はやし浩司

2002−10〜
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はやし浩司

子育て随筆(201〜300)

子育て随筆byはやし浩司(201)

整形という不道徳

●安易な肯定論
 「整形をしたおかげで、人生が明るくなった」「前向きに生きられるようになった」という、男性
や女性は多い。そういう肯定的な評価だけが先行し、このところ、整形する若い男女が、ぐんぐ
んとふえている。正確な数字はわからないが、浜松市内だけでも、この種の美容整形をする医
院が、急速に数をました。しかも市の中心部の一等地に、それらがずらりと並ぶ。

 身体コンプレックスはだれにでもある。この私にもある。……あった。私がそれを一番強く感
じたのは、オーストラリアで留学しているときだった。当時、あの人口三〇〇万人のメルボルン
市でさえ、日本人の留学生は私一人だけだった。目立つというよりも、いつも好奇の対象として
見られた。そういう中、私は、私のサイズに合うズボンをさがすのに苦労をした。結局、子ども
サイズのズボンを買って、それをなおして使ったが、あのとき感じた屈辱感は、いまでも忘れる
ことができない。もしあのとき、足の長さをあと、一〇センチ長くする手術があったら、私はそれ
を受けたかもしれない。

 だから整形する人の気持ちがわからないわけではない。しかし「賛成!」と言うには、あまり
にも遠い距離を感ずる。賛成か反対かと聞かれれば、当然、反対に決まっている。だいたいに
おいて、整形して何をなおす? 「なおす」といえば、まだ聞こえはよい。実際には、「ごまか
す」? 悲しいかな日本人の骨相は、もっとも貧弱というのが、世界の定説。長い間、極東の島
国で、孤立していたのが原因らしい。他民族と血の交流をほとんどしてこなかった。私も含め
て、顔のこわれた人や、崩れた人は多い。ほとんどがそうではないのか。そういう日本人が、
少しくらい顔をいじったところで、それがどうだというのか。

 整形することについて、何かの哲学があれば、まだ救われる。しかしそんな哲学など、どこに
もない。よい例が、あの厚底サンダル。私はあの厚底サンダルが、若い女性の間で流行したと
き、「日本人の短小コンプレックス、ここに極(きわ)まれり」と思った。髪の毛を茶色にしたり、
肌を脱色したり、つまりは白人コンプレックスのかたまりのようなことばかりしている。そしてそ
の延長線上にこうした美容整形があるとしたら、「賛成」とは、とても言えない。

●外面世界と内面世界
 世界には二つある。一つは、私たちを取り巻く、外面世界。この宇宙そのものということにな
る。もう一つは、私たちの心の中にある、内面世界。この内面世界も、外面世界の宇宙と同じく
らい、広い。もしそれがわからなければ、静かに目を閉じてみればよい。そのときあなたは、暗
闇の向こうに、何を感じ、何を思うだろうか。それが内面世界である。この内面世界が広くなれ
ばなるほど、相対的に外面世界は小さくなる。ばあいによっては、ちっぽけな世界になるかもし
れない。あるいは「外面世界など気にしてどうなる」とさえ思うようになるかもしれない。もう少し
わかりやすい例で説明してみよう。

 私はもう三〇年近く、自転車通勤をしている。その自転車通勤をしていることについて、群馬
県のT市で公認会計士をしているK君(私と同年齢)はこう言った。「そんな恥ずかしいこと、よく
できるな」と。彼に言わせれば、自転車通勤は、恥ずかしいことだというのだ。そこで話を聞く
と、彼はこう言った。「ぼくらの仕事はメンツを大切にする仕事だから、自転車なんかに乗って
いたら、それだけで相手にされなくなるよ」と。実際には、彼は、黒塗りの大型乗用車で仕事先
へ行くという。

 しかし私は一向に構わない。自転車通勤をしていることを、恥ずかしいだとか、かっこう悪い
ことなどとは、思ったこともない。もしそういうふうに思う人がいたら、私はむしろそういう人たち
を笑う。もとはと言えば、健康ために始めた自転車通勤だが、あるときから、それを誇りにさえ
思うようになった。「私は環境を破壊していないぞ」と。もし本当に天国というものがあるなら、私
はまっさきに天国へ入る資格がある。神様も私を一番に、迎えてくれるだろう。「あなたは地球
環境を守るために努力しましたね」と。

 自転車通勤を、恥ずかしいこと、つまりコンプレックスにするかどうかは、その人の考え方に
よる。もっと言えば、内面世界の広さによる。いや、だからといって、私の内面世界が、その公
認会計士の友人より広いと言っているのではない。たまたまこの分野については、私のほうが
広いというのだ。だから気にしない。人が何と言おうと、気にしない。

●戦うべきは、内面世界
 さて整形の話にもどる。身体的なコンプレックスがあるかどうかを問題にする前に、その人自
身の内面世界はどうなのかという問題がある。そういう内面世界が一方にあって、それでいて
なおかつ外面世界を気にするというのであれば、それはそれとして理解できる。が、その内面
世界がないまま、外面世界だけを気にして、コンプレックスを感ずるというのであれば、整形が
どうのこうのということを問題にする前に、生き方そのものがまちがっている。もし冒頭のような
論理がまかりとおるなら、どんな行為でも正当化されてしまう。「大麻を吸ってみたら、いやな気
分を吹き飛ばすことができた」「いやなヤツを殺してみたら、胸がスーッとした」と。

 それほど深く考えないで、流行だから茶パツにするというのなら、それはそれでよい。流行だ
から厚底サンダルをはくというのであれば、それはそれでもよい。しかし整形を、それらと同じ
に考えることはできない。健康な体に、不必要なメスを入れるということ自体、自然に対する冒
涜(ぼうとく)行為なのだ。自分の体は自分のものであって、決して、自分のものではない。たと
えばあなたの手を見てほしい。あなたは自分の手を見て、あなたがその手を自分で作ったと、
本当に思えるだろうか。あなたの体を見て、あなたがその体を自分で作ったと、本当に思える
だろうか。私は思えない。思えないばかりか、ときどき自分の手や体を見て、不思議に思うこと
がある。「いったい、これはだれの手なのだろうか」「これはだれの体なのだろうか」と。私は、
そういうものを勝手に作りかえることは、私を超えた私に対する、冒涜だと言っているのだ。

 みんなコンプレックスの一つや二つは、もっている。コンプレックスのない人など、いない。し
かしそのコンプレックスを戦うのは、自分自身の内面世界なのだ。仮に身体的なコンプレックス
があったとしても、戦うべきは、それをコンプレックスと思う自分自身なのだ。理由は簡単だ。
仮にあなたの顔がこわれていたとしても、それを恥ずかしく思うのは、「顔」ではない。あなたと
いう内面世界の人間なのだ。つまり戦うべき相手は、あなたの心なのだ。繰り返すが、そういう
戦いが一方にあって、なおかつ外面世界を気にするのなら、話はわかる。しかしそういう戦い
をすることもなく、外面世界だけを気にするというのであれば、それはまちがっている!
(02−10−21)※

(追記)道徳をともない自由は、危険ですらある。「人に迷惑さえかけなければ、何をしてもい
い」という論理ばかりが先行したら、世の中はどうなる。こうした美容整形医に高い道徳を求め
ることはできないのか。もとからそんな道徳のない人間が、医者をしている? 今、この日本で
は、こうした「自由観」が、大手を振ってまかり通っている。若者たちは、それに踊らされている
だけ? ある意味で本当の犠牲者は、その若者たちなのかもしれない。
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子育て随筆byはやし浩司(202)
 
静かに考える時間

 ある県会議員のスケジュールを見て、驚いた。(かなり誇張して書いてはあったが……。)毎
日、それこそ分刻みのスケジュールが、ぎっしり! 「10:00……○○会出席」「10:30……X
X団体との懇談会」「11;15……S県○○施設視察団と昼食」と。私は、その議員が忙しいこと
に驚いたのではない。驚いたのは、「この人は、静かに考える時間をどこで作っているのか」
と。
 
 私もある時期、一か月に、休みがたった一日という状態で仕事をしたこともある。朝から晩ま
で仕事、仕事の毎日だった。そういう自分を振り返ってみると、静かに考える時間など、どこに
もなかったことがわかる。いや、仕事をしながら、そのつど、何かを考えていたはずだが、実際
には、たいへん浅いレベルで、思考をループさせていたに過ぎない。だから「考える」という意
味においては、ほとんど何も残らなかった。

 静かに考えるということは、人間に与えられた、最高のぜいたくである。……この一文を書く
とき、実のところ、最初は「多分、人間に与えられた、最高のぜいたくではないか」と書いた。
が、それを書きなおして、「最高のぜいたくである」とした。こうしてものごとを断定するのは、そ
れ自体、勇気のいることだ。言い方をまちがえると、読者の反発をかう。しかし何度も自分に問
いかけてみたが、やはり、「ぜいたくである」と断定してもよいのではないか。だからあえて断定
する。「静かに考えるということは、人間に与えられた、最高のぜいたくである」と。

 ただし、考えるといっても、ループ状態になってはいけない。たとえば私は先日、二〇年ぶり
に、ある知人(六一歳)と会った。昔、一緒に仕事をしたことがある人だった。その人と一緒にタ
クシーに乗っているときのこと。その知人は、こう言った。「何だかんだと言っても、日本はいい
国ですよ」と。そしてそのあと、彼は、持論をあれこれ展開したが、私はそれを聞きながら、ま
たまた驚いた。その言葉にせよ、持論にせよ、それはそっくりそのまま二〇年前に聞いた内
容、そのものだったからである。つまり彼は、その部分については、この二〇年間、まったく進
歩しなかったことになる。

 こうしたループ性は、よく感ずる。私自身も、だれかと話をしていて、それを感ずることがあ
る。不思議なことに、同じ人と会うと、同じような話になってしまう。たとえば姉と会うと、そのた
びに、どういうわけだか、話の内容はいつも、川の話になってしまう。「今年は、鮎はとれた?」
「今年も川原は、キャンパーたちでにぎわった?」と。そういうことはよくある。

 そこで「静かに考える」には、ひとつの条件がある。それはいかにして、そのループ性から抜
け出るか、である。私のばあい、あくまでも参考的意見だが、つぎのようにして戦っている。一
つは、同じことを考えない。これは当然だ。そしてもう一つは、そのつど、いつも心の実験をす
る。何か、心の分野で、いつも新しい実験をしてみる。この方法は、私がまだ二〇歳そこそこ
のころ、気がついた。

 東京に行ったときのこと。山手線に乗って、隣の駅に行くのに、私はわざと反対回りの電車に
乗ってみた。時間があったということもある。景色を楽しみたかったということもある。東京の人
たちを観察してみたかったということもある。ともかくも、最初はそうした。そうしながら、自分の
心がどう変化するかを知りたかった。あるときは、隣の駅に行くのに、山手線を三周くらいした
ことがある。

 今でもときどき、この方法を使う。わざと歩いてみるという方法が多いが、そうすることで、そ
れまで気がつかなかったことに気づくことがある。先日も、市内へ行くのに、とんでもないほど
大回りをして行った。さすがそのときは途中で疲れてしまい、途中からバスに乗ったが、私のば
あい、そういうことをするのが楽しい。

 つまりこうした変化を自分の中につくらないと、その段階で、あるいはある一定の段階で、思
考はループ状態に入ってしまう。そして一度、そのループ状態に入ってしまうと、その段階で思
考は停止する。あるいはその段階から退化する。そういう意味では、思考というのは、「運動」
に似ている。毎日練習するだけでは足りない。(練習しなければ、退化する。)新しい技術を身
につけ、それを磨かねばならない。思考について言えば、静かに考える時間というのは、その
ために、どうしても必要な時間ということになる。

 冒頭の県会議員は、忙しいことを売り物に、自分の仕事ぶりを誇示しているのだろう。それ
はわかるが、やはり、県政のリーダーとして、どこかで静かに考える時間をつくってもらわねば
困る。私ならたとえば、そういうスケジュールの中に、こう書く。「朝五時から七時まで、○○とい
う本を読む。その感想を、著者Aに書いて送る」「昼食後二時間ほど、ベートーベンの第五を聞
きながら、しばらく瞑想(めいそう)する」と。忙しいだけの政治家であっては、いけない。
(02−10−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(203)

コンピュータ時代の心得

 先日、私のミスから、ホームページに、私信集を載せてしまった。私が書いた手紙や、その返
事などである。幸い(?)気がつくのがはやかったので、多分、だれの目にもとまることはなかっ
たと思う。そのときのこと。私はあるひとつの重大なことを悟った。それは、パソコンは、絶対に
信用してはいけないということ。

 パソコンを相手にするときは、パソコンをいつも「見知らぬ他人」と思うこと。パソコンに何か
記録を残すときも、写真やデータを残すときも、見知らぬ他人にそうしていると思うこと。メール
だってそうだ。このパソコンという電子装置は、よく故障をする。そのたびに修理に出すことに
なる。そのとき、だれがそういったメールを読むか、わかったものではない。私のばあい、さん
ざんそういう苦い経験をしてきたので、そういった記録は、いっさい、パソコンの中には残さない
ようにしている。いや、その前に、読まれて恥ずかしいもの、見られて恥ずかしいものは、載せ
ない、……というより、考えないようにしている。

 が、その私信集を載せたとわかったときには、少なからず、あわてた。それに気づいたの
は、夜、寝るためにふとんの中にもぐり込んだあとだったが、私は起きて、すぐ削除した。私信
には、当然、相手の住所や実名が書かれてある。いくら恥ずかしくないといっても、それはまず
い。

 そこで気がついてみると、これはまさにパソコンの利点といってもよいが、私はパソコンを前
にすると、身が引きしまるというか、気が引きしまる。「いいかげんなことは書けないぞ」という思
いが、いつしか、「いいかげんなことは考えないぞ」という思いに変わった。そしてさらに気がつ
いてみると、自分の考え方が、きわめてまじめになったというか、まともになった。(勝手にそう
思っているだけかもしれないが……。)が、それでも安心できない。

 先週、数年前に買った、シャープのパソコンが故障した。五年間保証に入っていたので、そ
れで修理に出した。ショップの人は、「多分、ハードディスクの故障でしょう。取りかえになると思
います」と言った。つまり私は修理に出す前に、つごうの悪いファイルやデータを消すことがで
きなかった。それで、心のどこかでひっかかりを覚えた。とくに気になったのは、そのパソコン
で、ある証券会社と電子商取り引きをしていたこと。たいした額ではないからよいが、しかしそ
の中には、私の電子認証番号と、パスワードも入っていた。もし悪意のある人がそれを知った
ら、その口座からお金を引き出すこともできる。

 そこで教訓。パソコンの中には、絶対に、他人に見られていけないものは、残さないこと。メ
ールでも、読んだら、即、削除。必ず、即、削除。いわんや文章にして残すものは、いつか、ど
んな形かは知らないが、公開されるものという前提で残すこと。絶対にパソコンは信用しないこ
と。少なくとも、私はそうしている。
(02−10−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(204)

老人体質

 もうすぐ満五五歳になる。そういうこともあって、このところ、老後の自分のことをよく考える。
まず健康面。

 これは私が見た老人観だが、老人になったら、やせ気味のほうが健康を維持しやすいので
は。標準体重というのがあるが、あれはアテにならない。若い人も老人も、同じ標準体重という
のは、おかしい。老人は、その標準体重×(0・9)くらいでよいのでは。体を支える筋肉が弱
い。

 で、私は今、六四キロ弱(標準体重では、適正体重の上限ギリギリ)。これに(0・9)をかける
と、五八キロという数字が出てくる。このあたりが、私の標準体重ということか。それはともかく
も、肥満はいけない。(太る)→(運動不足になる)→(筋力が弱る)→(体が不調になる)の悪循
環の中で、ますます不健康になる。太った体をもてあまし、ヨタヨタと歩いている老人を見ると、
「どうしてあんなに太ってしまったのか」と思う。もっともそのころ気づいても、遅い。へたにダイ
エットをすれば、体が本当に動かなくなってしまう。

 つぎに考えるのが、精神面。私は精神的に、それほど強くない。一方、ワイフは強い。ワイフ
と見ていると、その精神力の強さに感心する。ときどき「これが同じ人間か」と思うときさえあ
る。つまり私は、それくらい、弱い。ありとあらゆる精神病を、まんべんなく、広く浅くしょいこん
でいる感じ。今は、何となく、自意識でそれを抑えてはいるが、しかしいつ、そのうちの一つが
噴きだすかわからない。

 問題は、ひとりになったとき。ワイフには、「ぼくが先に死ぬからね」と言っているが、もしワイ
フが先に死んだら、どうする? そのときは、もう私は今の精神状態を保つことはできないだろ
う。多分、気がヘンになってしまう。そういうときのために、心の準備と用意はしておかねばなら
ない。まあ、一番よい方法は、早めに老人ホームに入居し、そこで好き勝手なことをすること
だ。まわりの人とワイワイしているうちに、気がまぎれるかもしれない。

 もちろん仕事と収入のことも考える。仕事は、このところの大不況で、どうしようもない。よく
「林先生でも、影響がありますか?」と言う人がいるが、私なんか、モロに受けている! 公務
員ではないのだ。退職金も、年金も、天下り先もないのだ! こういう生活をしていると、私がカ
スミか何かでも食べて生きていると思う人もいるかもしれないが、とんでもない誤解である。サ
ラリーマンの人より、はるかに状況はきびしい。

 もっとも仕事は、収入のためというより、自分の心と頭の健康のためにつづける。死ぬまでつ
づける。もしやめたら、とたんに、私は腐ってしまう。心も頭もだ。健康だっておかしくなるに違
いない。今、かろうじて健康なのは、仕事のために自転車通勤をしているからだ。だから赤字
になっても、仕事だけはつづける。つづけるしかない。

 こうして老後を考えていると、同時に、過去のことも、いろいろ思い出す。「これからどうしよ
う」と思うと、その一方で、「いろいろあったなあ」と。私としては、自分のできることはすべてした
ような感じなので、これから先、同じようなことをしても意味がないような気がする。つい先日
も、ある出版社から教材作りの依頼を受けたが、断った。あんなこと、これから先、何度繰り返
しても、時間のムダ。教材ができるころには、どこかの教授様が、その教材の表紙に名を載せ
ることになるだけ。もうそういうくだらない、提灯(ちょうちん)もちは、したくない。

 残り少ない人生だから、新しいことにチャレンジしてみたい。今は、こうしてマガジンの発行に
全力を尽くしている。この先、どうなるかわからないが、まあ、やるだけのことはやってみる。結
果がどうなるかはあまり考えたくない。ただひたすら、がむしゃらに、前に進むしかない。
(02−10−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(205)

北朝鮮

 昔、沖縄に在住のA氏(年齢不詳)が、こう書いた。「(北朝鮮の)主体思想はすばらしい」と。
「医療費がすべて無料だというのは、すばらしい」(某雑誌)とも。しかし聞くところによると、あ
の国では、ガンすらも、赤チンで治すというではないか。そういう治療法だとしたら、いくら無料
でも、してほしくない。

 今日のニュースを見ると、北朝鮮の核開発にふれ、アメリカが、年間五〇万トンの原油供給
を停止するという。それは当然だが、日本も今まで、すでに百数十万トンもの食料援助をして
いる。韓国や中国は、もっとしている。アメリカもしている。そういう国に向けて、核開発をすると
いうのも、どうかしているのでは?

 日本はもちろん、韓国も、アメリカも、北朝鮮を侵略する意図など、毛頭ない。ないことは、少
し、この国に住んでみればわかるはず。それを百も承知の上で、ありもしない脅威をかきた
て、その脅威を、金正日は、国内での独裁政権(読売新聞)を維持のために利用している。あ
のスパイ船にしても、そんなに日本のことを知りたければ、何も海の向こうからスパイなど送っ
てくる必要はない。堂々と観光客でくればよい。北朝鮮のすることは、どれも、どこかトンチンカ
ンというか、どこかピントがズレている。

 しかしそれにしても核兵器とは! 亡命した研究者の話によれば、こうした核開発のほか、旧
ソ連などから手に入れた核兵器を、師団ごとに一個ずつもっているとか。となれば、これは恐
ろしいことだ。ミサイルに積めなくても、船には積める。船に積んできて、そういう船を東京湾の
真ん中で爆発させれば、日本の経済は、それだけで完全にマヒしてしまう。ニュースによれば、
「爆撃」とか「ミサイル」とか、空のことしか言っていないが「海」はだいじょうぶなのか。

 拉致(らち)された被害者たちが今、日本にいる。みんな、まだ何かにおびえているようだ。何
でも、北朝鮮から監視役の同行者が二人ついてきたという。これもとんでもない話で、どうして
日本人が日本にいるのに、北朝鮮人の監視役がついているのか! それに対して何もできな
い日本政府の、弱腰には、ただあきれるばかり。北朝鮮に家族などの人質をとられていること
はよくわかるが、むしろそういう弱みを利用して、自分の弱腰を隠しているのではないのか。何
も戦争をしろというわけではないが、ここまで日本もペコペコする必要はないと思う。あるいはこ
の歯がゆさは、いったい、どこからくるのか。

 しかし忘れてはならないのは、悪いのは金正日であって、北朝鮮の人たちではない。彼らと
て、独裁政権の被害者なのだ。もちろん日本に住む北朝鮮系の人たちには、さらに罪はない。
ひょっとしたら、日本にいる北朝鮮の人たちが一番苦しんでいるのではないか。そういうことも
ふまえて、私はあえて、金正日に言いたい。「本当に北朝鮮という国を愛するなら、また南北統
一を願うなら、あなたが消えてなくなるのが、一番いいのです」と。

(02−10−21)

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子育て随筆byはやし浩司(206)

愛知県のR子さんより……

こんにちは、先日は講演すごくよかったです。
ありがとうございました。
ホームページもとても充実していますね、びっくりしました。 先生が作ったのですか?

はっきりわかりました。
自分は「マズイ」ぞっと、思いました。
お話の中心は幼稚園に通う子どもの年齢だったのですが、
上の子は八歳で男、下の子は四歳で女です。
下の子は特に問題はないと思うのですが、
(上の子は)保育園の時からなんですけど嫌な事をいやと言わないみたいです。
だからたたかれたりしても、怒らないし、やり返したりしないみたいで、
保育園では年下の子には人気があったようですが
(なにしても怒らない優しい子だったようです)

園長先生にもこのままだといつか爆発するよ!っといわれました。
本人に聞いたこともあるのですが。(嫌な事されても言わないから)
「遊びだからいいんだ!」っと言っていて? 大人みたいっと思っていました。

家ではものすごくいやだーと泣くし妹とよく喧嘩をするし、
パパがあきれてうるさがるくらいの大声で泣きます。
でも、小学校に通ってもどうもたたかれたり、しているみたいで、
帽子のゴムをきられてしまったり、まあふざけているうちはいいんですけど、
エスカレートしたら困るなと思っています。

私が小学校の時に三、四年の頃いじめられていて本当にいやで、
先生にそれらの子と、別なクラスにして欲しいっとお手紙をだしたりしました。
クラスが変わってからは明るい人生でしたが、あの時のようになったら
困るなーと心配になります。

私が情緒不安定で怒りっぽいし、だから安心できなくって
どっしりとできないのかなぁーっと思いました。
人の顔色をうかがうように、上手い事を言ってくれるのもそうなのかぁー。
っと思いました。
それをやはり私が自覚して気をつけるようにしないとだめなんだなぁー
つくづく思いました。まったく
自分の母親やパパから、よくそこがあんたの悪い所だよ、よくないよっとは言われても
実際に私の悩みの答えがそこにあるとは思わなかったです。

「子供がおびえるようになるよ。」っと母に言われても
私は「?」なんで???
「だってイライラが爆発してしまうと、、、
子供が忙しい時にあーでもないコーでもないとなると。
爆発しちゃうもん。」「反省はしているけどさー。」って感じでしたが。。
先生の言っていることがあんまりにも当たっているのでびっくりでした。

大泣きをしている時、ママを求めてぶそくりながらもわざとキーキーないている時は
「わかっているから」っと言って抱きしめてあげるようにしてはいます。
でも忙しくって大半は
パパは「いいかげんにしろ」っと怒鳴るまでほって置いてしまいます。
あまえているのか、あまったれているのか?
いまだに赤ちゃんの火がついたように泣いている時
どうやった安心できるのかと思ってしまいます。

パパもD君を怒りすぎて悪かったっと思っています。
太陽のお母さんになりたいのですが、大地の母になりたいのですが、
現実はそうもいかず。反省
でもお話を聞く事はやっぱりいい事ですよね、知らない事いっぱいあるし
そうなんだ-っと思うことが出来たし。
今回ぎくっと特にしてしまったので、いきなり長いメールになってしまったのですが。

下の子は上の子を見ているのか甘え上手です。
両方ともとっても可愛くって大好きです。

「勉強は何故しないといけないの?」っといつも上の子に聞かれます。
「K子ばっかり遊んでいてずるい」っと
宿題をする時間より遊んでいたいから、だっと言っています。

私は「知ることは面白いよ、字が読めれば本人の好きなプラモデルが自分で作れるし、
恐竜の本も自分で読めるよ」とは言ってみても、わかんないっと言っています。
できたとかやれるようになった喜びをいっぱい感じて欲しいし、と思うのですが

私は勉強が嫌いで高校でもう勉強はまっぴらご免って感じでした。
二〇歳の頃仕事をしながら宅建の勉強をした時に覚える事が面白いと思いまして、
あーもっと前に気が付いてやっていたらなぁーっと思いました。

去年はパソコンの勉強を会社でさせてもらい、朝早起きをして勉強する一年でした。
教室が夜の六時から八時週二回だったので子どもたちが寂しかったかも?
でも充実していました。

大泣きをしている時いまさら恥ずかしいんだけど、どうしたらいいのでしょうか?
勉強は何故しないとっと聞かれた時の私の返事はマズイでしょうか?
夜寝る時には「D君が大好き、D君だーいじ、D君ちゃん大丈夫。ママや
パパがいるからね」っと、言っているのはかえって良くないのかしら?
安心できるかなぁっと思ってたまに言ったりするのですが、

学童保育に行っていてもどーも、いい子みたいでおとなしいようです。        
家ではくそババーとか言っているし、威勢はいいのに。
でもそれは私の情緒不安定が悪かったのには参りました。

今先生の講演を聴けたきっかけを忘れずにしようと思いました。
ありがとうございました。
パパにも聞かせてやりたかったなぁと思いました。
二人で聞けばもっとD君について話ができるから。

またメールします。

(愛知県T市・R子より)

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R子さんへ

 メールから浮かびあがってくるご家庭は、とてもすばらしいですね。どこか全体にほのぼのと
して、それでいて活気があって。R子さんの、生き生きしたママぶりが、目に浮かんできます。ま
ったく問題ないですよ。順にご質問について、考えてみます。

●いやなことを、『いや』と言わないこと……長男、長女は、総じてみれば、神経質な子育てを
してしまうため、その分、子どもも萎縮し、(あるいは無理をするため)、どうしても意思表示が
へたになります。いやなことがあっても、「いや」と、はっきり言うことができないわけです。しか
し「がまん強い子」と誤解してはいけません。このタイプの子どもは、ストレスを内にためやす
く、そしてその分だけ、心をゆがめやすくなります。ひねくれる、いじける、ぐずる、つっぱるなど
の症状があれば、要注意です。

 しかし一度、そういった行動パターンができると、なおすのは容易ではありません。ただしここ
で誤解していけないのは、そのパターンはだれに対しても、同じというのではありません。子ど
もは相手によって、パターンを変えますので、一部分だけをみて、それが子どものすべてと思っ
てはいけません。家の中で見せる様子と、友だちとの世界で見せる様子が、大きく違うというこ
とはよくあります。A君に見せるパターンと、B君に見せるパターンが、大きく違うということもよく
あります。

 だから一部だけを見て、「うちの子はダメ」とか、「心配だ」と思ってはいけません。もちろん威
圧的な過干渉や、神経質な過関心が日常化すると、子どもの心は内閉しますが、(あるいは反
対に粗放化することもあります)、そういうケースでは、全体に行動や言動が萎縮します。もし
そうなら、それは子どもの問題ではなく、親の問題だということです。

●「いつか爆発するよ」と言われたこと……多分、園長先生は、「ストレスがたまると、それが心
をゆがめ、それがあるとき臨界点を超えて、爆発することもある」という意味で言われたのだと
思います。

 一般に、ふつうでない家庭状況で育てられた子どもは、大きく分けてつぎの二つの経過をた
どります。ひとつは、そのままのパターンでおとなになるタイプ。もうひとつは、その途中で、ゆ
がんだ自分を、自ら、軌道修正しようとするタイプ、です。

 たとえば親の過干渉で、精神そのものが内閉したような子どものばあい、そのまま内閉した
ままおとなになるタイプと、その途中で、そうした自分を一度リシャッフルするタイプがあります。
リシャッフルといっても、ふつうのリシャッフルではありません。心に受けたキズが大きければ
大きいほど、あるいはあとになればなるほど、はげしいリシャフルのし方をします。はげしい暴
力をともなう家庭内騒動に発展することも珍しくありません。子どもの成長ということを考えるな
ら、一見、扱い方がたいへんなように見えるかもしれませんが、後者のほうが、好ましいという
ことになります。

 もちろんR子さんのケースがそうだと言っているのではありません。これも一般論ですが、幼
児教育の世界では、「いい子」ほど、心配な子どもなのです。親に向かって、「ババア」とか、「ク
ソババア、早く死んでしまえ」と言う子ども、あるいはそういうことが言える子どものほうが、正常
だということです。子どもの口が悪いことを、あまり深刻に悩まないこと。言いたいだけ言わせ
ながら、相手にしないようにします。相手は、子どもなのですから。

●イライラすることについて……約七二%の母親が、子育てでイライラしています(日本女子社
会教育会・平成七年調査)。そのうち、七%は、「いつもイライラする」と答えています。だから、
ほとんどの母親は、子育てをしながら、イライラしていると考えて、まちがいないようです。R子
さんだけが、例外ではないということです。
 
 そこで大切なことは、そのイライラを、自分の範囲にとどめ、それを子どもにぶつけないこと。
……と言っても、子育てはいちいち考えてするものではありません。子育てはいわば、条件反
射のかたまりのようなものです。たいていの母親は、「頭の中ではわかっているのですが、いざ
その場になると、つい……」と言います。子育てというのは、そういうものです。あまり自分を責
めないように。子どもにも適応能力があるので、その能力を信じてください。情緒不安もある一
定の範囲なら、子どものほうがそういう親でも適応してしまいます。

 子育てをしていて、イライラしたら、子育てそのものから離れる方法を考えます。少し無責任
な言い方かもしれませんが、ときには、「なるようになれ!」と、子育てそのものから離れるよう
な「いいかげんさ」も大切だということです。またそのほうが、子どもも羽をのばすことができ、
かえって子どもの表情も明るくなります。

●「赤ちゃんが火がついたように怒る」について……かんしゃく発作が疑われます。時期的に
は、もうそろそろ落ちついてくるものと、思われます。自意識(自分の意思)で、コントロールす
るようになるからです。ただこのタイプの子どもは、興奮性だけは残りやすく、そのため年齢が
大きくなっても、緊張したりすると、声がうわずったり、反対におどおどしたりすることがありま
す。興奮させないように。食生活の面で、カルシウム分やマグネシウム分の食生活が、この時
期、たいへん効果的ですので、一度、ためしてみてください。

●甘えじょうず……心の開いている子どもは、甘えじょうずです。甘え方が自然で、親のほうが
やさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中にしみていくのがわかります。R
子さんのお子さんは、「甘えじょうず」ということですので、心の問題はないとみます。このままス
キンシップを大切にして、お子さんたちが心を開いてきたら、それをいつもやさしく包んであげ
てください。一般に愛情豊かな家庭に育った子どもは、ぬいぐるみを見せたりすると、ほっとす
るようなやさしさを見せます。

●「どうして勉強しなければいけないの?」について……R子さんの答え方は、満点です。視線
がお子さんの目の高さにあるのが、よくわかります。コツは、言うべきことはしっかり言いながら
も、あとは「時」を待つということです。その場で、「わかんない」とか言って、反応がなくても、あ
せってはいけません。子どもと接するときのコツは、言うべきことは言いながらも、そのときは、
わからせようと思わないこと。イギリスの格言に、『子どもの耳は長い』というのがあります。もと
もとの意味は、「子どもはおとなのヒソヒソ話でも聞いてしまうから、注意しろ」という意味です
が、私は勝手に、「子どもの耳は長く、耳に入ってから脳に届くまで時間がかかる」と解釈して
います。参考にしてください。

●寝る前の愛情表現……心安らかな眠りは、子どもの情緒の安定のためには、とても重要で
す。欧米では、「ベッドタイムゲームの時間」として、たいへん大切にしています。日本でも就眠
儀式といいますが、子どもは毎晩、眠りにつく前、同じ行為を繰り返すという習性があります。
まずいのは、子どもをベッドへ無理に追い込み、電気を消してしまうような、乱暴な行為です。
子どもの情緒が不安定になることがあります。R子さんのやり方でよいと思います。概して言え
ば、日本人は、元来スキンシップの少ない民族です。遠慮せず、ポイント的に濃厚な愛情を表
現してみてください。ベタベタの愛情表現がよいわけではありません。要するに、子どもを安心
させるようなスキンシップを大切にします。

●「いい子みたいでおとなしいようです」について……内弁慶外幽霊というのですね。

 以上です。R子さんの子育てで、参考にしていただければ、うれしく思います。
(02−10−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(207)

秋の夜のロマン、UFO

●資質を疑われるから、書かないほうが……
 私は超自然現象というものを信じない。まったく信じない。信じないが、UFOだけは別。信ず
るも信じないもない。私は生涯において、三度、UFOを目撃している。一度は、ワイフと一緒に
目撃している。(あとの二度については、目撃したのは私だけだから、だれにも話したことがな
い。文として書いたこともない。ここにも書かない。)

 が、私には、こんな不思議な体験がある。結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、こう
してものに書くのははじめて。だから前もって断っておくが、これはウソではない。ここにはウソ
は書かない。こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑われる。損になる
ことはあっても、得になることは何もない。事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうこと
は人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もいる。それはわかっているが、しか
しあえて書く。

●不可解な体験
 オーストラリアに留学していたときのこと。あと一か月ほどで、日本へ帰るというときのことだ
った。オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。私は友人のD君にビーチハウス(海
の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。ビーチハウスは、ローンという港町の手前、一〇キロ
くらいのところにあった。避暑地として有名なところで、そのあたりには、「グレートオーシャンロ
ード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在していた。

 ある日のこと。D君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。私とD君は、そのサンドイッチをも
って、ピクニックにでかけた。「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬(Cape Otway)に行
こう」ということになった。時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出かけたと思う。あともう少し
で、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になったのを覚えている。小高い山の中に入
って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチを食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。彼らがいうブッシュ(や
ぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。そして車の外へ
出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。そのときのこと。どちらが言ったわけではない
が、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。背丈の短い雑草が、点々と生えているよ
うな殺風景な岬だった。ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。たしか、「オッツウェイ
岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこかにあったように思う。私たちは地
面に正座してひざまづくと、そのまま体を前に倒した。そして地面に顔をあてたのだが、そこで
記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。横を見ると、D君も地面から顔を離
すところだった。私とD君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。ほとんど会話はなかったと
思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。そしてほどなく、アポロベイという
港町に着いた。港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地だった。私たちはそのひとつの
レストランに入って、ピザを食べた。日はとっくに暮れていた。まっ暗といったほうが正確かもし
れない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。そのとき私とD君は、D君の両親
の住むジーロンの町の家にきていた。そこで、ベッドに入って寝る前に、私はD君に、こう切り
出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「D、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、D、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、三〇分もかから
なかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、D、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだった。あるい
は眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔を離した。覚え
ているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町で、夕食
を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走っても、一時間
はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、外はまっ暗だった。時刻にすれば、夜の七
時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後一時か二時だったと思う。それ以上、遅い時
刻ではなかった。が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。距離にしても、三〇キロ
くらいしかない。が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた! どう考え
ても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をD君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。D君も同じように感じたら
しい。さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞いた。D
君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写真などを、そ
のつど届けてくれた。一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、そこには、ハバが数
百メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。ただしそのカメラマンのコメントによると、写
真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから五、六年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコミで伝え
られるようになった。いわゆる、「誘拐」というのである。私はあの日のあの経験がそれだとは
思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的に説明することができない。簡単に言
えば、私とD君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったということになる。そして同
時に、何らかのきっかけで起きたということになる。しかも数時間も! しかし現実にそんなこと
があるだろうか。私はその前にも、そのあとにも、一度だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠
ってしまったことなど、ない。電車やバスの中でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬
間に眠ってしまったようなことは、一度もない。

 私とD君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきD君と、こんな話をする。「ぼくたちは、宇宙人に体を検査されたのかも
ね」と。考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO
 ワイフとUFOを見たときの話は、もう一度、ここに転載する。繰り返すが、私たちがあの夜見
たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。それに「この世のもの」でもない。飛び去
るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのようにして消えて
いった。飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。そのことはこの原稿に書いたとおりである。その原稿
につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。この点については、
ワイフも同意見である。つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに
気づいた。そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。が、しばらくすると、その窓を
取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがってきた。そのときは、夜空に目
が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から浮かびあがってきたの
かもしれない。つぎの原稿が、その夜のことを書いたものである。

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●見たぞ、UFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私とワイフの二人で、
それを見た。見たことはまちがいないのだが、何しろ二五年近くも前のことで、「ひょっとしたら
……」という迷いはある。が、その後、何回となくワイフと確かめあったが、いつも結論は同じ。
「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一二時を
過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並ん
で飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思
った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。あとで聞くとワイフも同じことをしていたとい
う。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを囲む
ように、夜空よりさらに黒い、「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタカだと思った
のは、その物体の窓らしきものだった。「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反
対の方向に、音もなく飛び去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから
だ。が、どの部所に電話をかけても、「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれがUFO
とは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、
まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。が、このことを矢追純一氏
(現在、UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。当時私は
アルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。矢追氏はその番組の
ディレクターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。私とワイフは、その
中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったから
だ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物と考
えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその宇宙人(多
分、そうなのだろうが……)が、UFOに乗って地球へやってきても、おかしくはない。もしあの夜
見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘
う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラムを汚したくないし、第一ウ
ソということになれば、私はワイフの信頼を失うことになる。

 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君は
教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と
言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっ
ても、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野
だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国
語にも翻訳されている。そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えて
いる。たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、
私はそれについて書いてみた。
(02−10−21)※

(追記)私は宇宙人が、この地球の近くにいると聞いても、驚かない。みなさんは、どうですか?
 そんなことを考えていると、秋の夜、星空を見あげるのも、楽しくなりますね。まあ、「林もとき
どき、バカなことを書くものだ」とお笑いくださればうれしいです。そうそう私とワイフと見たUFO
ですが、新聞記事に書いたあと、二人、同じものを見たという人が、連絡をとってきました。こ
の話は、またいつか……!

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子育て随筆byはやし浩司(208)

The one who blesses others is abundantly blessed. (proverb 11:25)

●他人を祝福するものは…… 
 私のホームページに、「カード」というコーナーがある。トップページの一番下に、それがある。
私はそのコーナーを、アメリカのあるキリスト教団体(無宗派)が発行するフリーソフトを利用し
て、構成している。興味のある方は、一度、訪れてみてほしい。

 私はクリスチャンではないが、そのデザインのすばらしさに、いつも圧倒される。自分も、いつ
かそういうホームページにしたいと思っている。どうすれば、こういうカードができるのかとも、考
える。少なくとも、私がつくるホームページとは、格段の差がある。そのカードの一つに、こんな
ことが書いてあった。

「他人を祝福するものは、祝福される」と。英語では、「The one who blesses others is 
abundantly blessed.」となっている。

さて、いつもの、英語のレッスン。ここで「ブレス」という単語が二度出てくる。こうした単語の訳
で気をつけなければならないのは、正確な訳というのは、そもそも無理だということ。生活習慣
というか、宗教的バックグラウンドがまるで違う。で、大型辞書を調べてみると、つぎのようにあ
った。

 Bless……@聖別する、祝別する
        A祝福する、恩寵(おんちょう)を与えられんことを、神に祈る
        B恩恵を与える
        C神聖なものとして、あがめる
       (小学館、ランダムハウス英和辞典)  

 訳についてワイフに相談すると、ワイフは、いとも簡単にこう言ってのけた。「他人を幸福にし
てあげれば、自分も幸福になれるということね」と。ワイフには、恐ろしい才能がある。私が三
〇分も悩んだ英文の訳を、あっという間につけてしまった!

 たしかにそのとおりで、この英語を、「他人を祝福するものは、祝福される」と訳すと、どうも意
味がはっきりしない。「ブレス」を、「恵む」と訳すと、まだわかりやすい。「他人に恵みを与えるも
のは、豊かに恵みを与えられる」と。しかしそれでも、よくわからない。そこであれこれ、思いを
めぐらす……。が、「他人を幸福にしてあげれば、自分も幸福になれる」というのは、わかりや
すい。いや、そのことを教えてくれたのは、二男だかもしれない。

●二男のこと
 私の二男は、本当に心のやさしい子どもだった。幼稚園児のときは、私の勤め先の幼稚園
へ通っていたが、見ると、いつもほかの子どもが乗った三輪車をうしろから押していた。それに
乗りたいため、順番を待っている子どもが、別のところで列をつくっていた。そこである日、私
は二男にこう言った。「たまには、お前が押してもらいなよ」と。すると二男は、にこにこ笑いな
がら、こう言った。「パパ、ぼくは、このほうが楽しいよ」と。

 その二男は、高校を卒業するまで、私たちと一緒に生活したが、家事をよく手伝ってくれた。
男の子だったが、掃除も洗濯もしてくれた。料理もしてくれた。ワイフは、よく、「Sは、女の子だ
ったらよかったのに」と言っていた。その二男は、一度も大声を出して、怒鳴ったことも、暴れた
こともない。その二男のことで、よく覚えているのは、二男が高校一年生になったときのことだ。

入学式のあと、しばらくすると、毎日、学校から帰ってくると、ランニングに行くようになった。
「ほほう、高校生になると、変わるもんだな」と思っていたら、ワイフがこう言った。「ちがうのよ、
あなた。Sはね、体の弱い友だちのために、毎日、伴走しているのよ」と。

 二男は、その友だちと、ワンゲル部に入部する予定だった。しかし希望者が多くて、選抜テス
トがあるという。その友だちは、体力がないため、その選抜テストで落とされそうだという。それ
で二男が、その友だちを励ますために、伴走を始めた。

 私はその話を聞いて以来、二男を、「息子」とか、「子ども」とかは、思わなくなった。一人の対
等の人間と思うようになった。が、実は、この話には、その前の部分がある。

●受験勉強を放棄した二男
 二男が中学二年になったときのこと。二男は、生徒会の学年代表に選ばれた。そこで彼が最
初にはじめた運動が、朝のあいさつ運動だった。毎朝、ひとりで校門の前に立ち、そこを通る、
先生や生徒にあいさつをした。

 しかしやがてこの運動は、生徒会にとりあげられ、つづいて職員会議でもとりあげられた。そ
して「あいさつ運動」が、内申点として評価される「ボランティア活動」となった。どうしてあいさつ
運動が、ボランティア活動になるのかは、よくわからないが、ともかくも、そうなった。

 この静岡県では、高校入試が人間選別の関門になっている。しかも入学試験は、ほとんど内
申点で決まるしくみになっている。で、それが内申点として評価されると決まったとたん、校門
の前には、その点数がほしくて集まった、生徒たちがずらりと並ぶところとなった。あとで二男
はこう言った。「みんな、あいさつなんかしていなかったよ。ただ立っていれば、内申点がよくな
るから、立っていただけだよ。みんなヤジを飛ばしたり、からかっていただけだよ」と。

 そのあとしばらくして、二男は、こういう結論を出した。「パパ、受験勉強なんてくだらないよ。
そんなことまでして、みんな、いい高校に入りたいの?」と。私は二男の言葉に、返す言葉がな
かった。「そうだね」と言うのが精一杯だった。そしてそのまま、二男は、本当に、受験勉強をし
なくなってしまった。

 ワイフは少なからずそれにあわてたが、私は気にしなかった。二男は六歳のとき、一度死に
かけている。二男がそのとき助かったのは、まさに奇跡だった。以来、何があっても、二男に対
しては、「こいつは生きているだけでいい」と思うようになった。それが子育ての「柱」になった。
そのときもそうだった。私は「こいつは生きているだけでいい」と思いなおすことで、それを乗り
越えた。……乗り越えることができた。

●いよいよ受験
 で、いよいよ受験が近づいてきた。二男は自転車に乗り、あちこちの高校を自分で見てき
た。そして選んだ高校が、地元でも、A、B、C、DとつづくEランクの高校だった。「何もそこまで
レベルを落とさなくても……」と思ったが、二男は「そこでいい」と。が、ここでいくつか事件が起
きた。

 二男はE高校を選んだが、「二男と同じ高校に行く」と言い出した仲間が続出したのだ。それ
に困ったのが、彼らの親たちだった。そのうちの何人かの親たちから、つぎつぎと、電話がか
かってきた。そしてこう言った。「どうか、うちの子を、E高校へ誘わないでほしい」「うちの子もE
高校へ行くと言い出し、困っている」「お宅の息子がどこの高校へ入るかは、お宅の問題です。
行くなら、どうかお宅の子、ひとりで行ってください」と。

 私は二男を呼び、「友だちを誘うな」と言うと、「ぼくは何も誘っていない。あいつらが勝手に、
ついてくるだけだ」と。私は二男を信じた。二男は、そういう人間ではない。

 その伴走していた相手というのは、そういうふうにして二男についてきた、仲間の一人だっ
た。

●生徒会長選挙 
 一方、三男はおもしろい子どもで、小学校のときも、中学校のときも、賞という賞を総ナメにし
たような子どもだった。私と違って、女の子にももてた。中学三年生のときには、三男のファン
クラブまででき、その名簿には、一六〇人の女子の名前が記されていた。(これはホイト!)だ
から三男が歩くときは、いつもそのあとにゾロゾロと、女の子の親衛隊がついてきた。その三
男が、生徒会長に選ばれたときのこと。家族で祝賀会を開いていると、二男が何をひがんだの
か、「ぼくだって、生徒会長くらい、なれる」とポツリと言った。

 そこで私は、「あのな、言うのは簡単だけど、実際になるのは、むずかしいぞ」と。私も中学三
年生のとき、生徒会長に立候補して、落選した経験がある。が、その言葉を二男は、真(ま)に
受けてしまった。が、彼は自分では、生徒会長には立候補しなかった。すでにそのとき、文化
委員長として、学校祭の指揮をとっていた。

 そこで三男は、仲間のA君を立候補者にたてて、会長選挙に臨んだ。二男の立場は選挙責
任者だった。で、A君は、みごと当選。が、そのあと、しばらくしてから、A君の母親が、私のワイ
フにこう言ったという。「あの子が、あそこまで明るくなれたのは、おたくのS君(二男)のおかげ
です。ありがとうございました」と。ワイフからその話を聞いたとき、私は目頭が熱くなった。二
男は、まさに「他人に恵みを与えることで、恵みを得た」ことになる。

●常識論
 難解な神の言葉も、自分で親を経験してみると、簡単にわかることが多い。こう書くと、聖職
者の人には怒られるかもしれないが、聖書といっても、それほど気を張って読む必要はないの
ではないか。読み方によっては、ごくふつうの常識を書いてあるだけのような気もする。だから
「聖書」「聖書」と、重箱の底をほじるような解釈は、あまり意味がないのではないか。私たちの
心の中には、神や仏の教え以上の、「常識」というものが、すでに備わっている。人間が、何十
万年もかけてつくりあげた常識だ。鳥は水の中に入らない。魚は陸にあがらない。その常識の
おかげで、私たちは、この何十万年という、気が遠くなるほどの時間を生き延びてくることがで
きた。もし私たちが邪悪な存在なら、もうとっくの昔に絶滅していたはずである(注※)。

 私たちは、その常識の声に耳を傾ければ、よい。それでよい。人に親切にしたり、やさしくし
たりすれば、心地よい響きがする。人に意地悪をしたり、人をいじめたりすれば、いやな響きが
する。それが常識だ。まず自分の中の常識の声に静かに耳を傾ける。あとはそれに従って懸
命に生きればよい。それですべての行動が決まる。

 他人を幸福にしてあげれば、自分も幸福になれる。……考えてみれば、これも常識ではない
か。どこもまちがっていない。ごくごく当たり前の、常識ではないか。その先、それを実践するか
どうかは、人間の問題ではなく、それはひとえに、その人個人の問題ということになる。
(02−10−22)※

(注※)
 ダーウィンの進化論は、あまりにも有名。しかしダーウィンの進化論は、外形的進化論をい
う。あらゆる生物は、外界に適応するため、進化しつけたというのが、それ。しかしもうひとつ忘
れてはならないのは、内形(心)的進化論である。この進化論は私が考えたものだが、あらゆ
る生物は、種族を後世に残すため、精神面や心理面、感情面での進化も遂げてきた。もし同
族の仲間を殺すことに快感を覚えるような生物であれば、その進化の過程で、とっくの昔に滅
亡していたことになる。あるいは生まれたばかりの子どもに、親がかわいさを覚えないような
ら、その種族はとっくの昔に滅亡していたことになる。こうしてあらゆる生物は、その内形(心)
を進化させてきた。つまり人類が今、ここに存在するということは、そもそも人間が、少なくとも
仲間の人間に対しては、善なる存在であるからにほかならない。その善なる心が、私がいう
「常識」である。

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付録
三男について書いた原稿を添付します。中日新聞で発表した原稿です。
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子育てのトゲが心に刺さるとき

●三男からのハガキ 
富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続いて、
こう書いてあった。「一三年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあのとき泣き続けたか、そ
の理由がわかりました」と。

 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私とワイフ、一三歳の長男、一〇歳の二男、そ
れに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五号目まで来たところで、そこから見あげる
と、山頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前に
は無理だから、ここに残っていろ」と。ワイフと三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざし
た。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた!
 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。その日も、大学の
教授たちとグループを作って登山しているということだった。ワイフが朝、新聞を見ながら、「き
っとE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめ
つけられた。あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見な
がら、三男はどんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男がワイフのズボンに顔をうず
めて泣いていたのは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ
 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何
でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。私はやはりあ
のとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。

重苦しい気持ちでワイフにそれを伝えると、ワイフはこう言って笑った。「だって、あれは、E君
が足が痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩けな
いと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではない
のか?」「そうよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっ
そくそのあと、三男にメールを出した。

「登頂、おめでとう。よかったね」と。

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付記

子育てで失敗したと思っている、あなたへ

 子育てで、失敗なんかありませんよ。とことん「許して、忘れる」。それだけをただひたすら繰
り返してください。ただひたすら、許して、忘れるのです。あとは時間が解決してくれます。鉄の
ように固かった心も、やがて氷のように溶け始めます。それを信じて、ただひたすら、許して忘
れる、です。子育てに、根比べはつきもの。決して負けてはダメですよ。

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子育て随筆byはやし浩司(209)

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Sさん(四八歳母親・浜松市在住)の報告より
 
親子断絶のトンネルから、やっと抜け出たような気持ちです。
重苦しい、よどんだ空気から解放されたような喜びを感じます。
やっと我が家にも、親子の会話が戻ってきました。

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子育ては根比(こんくら)べ

 子育てはまさに、根比べ。小さい根比べ、大きい根比べ。それが無数につづいて、またまた
大きな根比べ。まさにその連続。しかし恐れることはない。愛さえあれば、何も恐れることはな
い。愛さえあれば、必ず、勝つ。勝って、鉄のようにかたまった子どもの心でも、必ず溶かすこ
とができる。

 まったく会話のない父子がいた。現在、父親は今、満五〇歳。息子は満二五歳。もとはとい
えば家庭騒動が原因だが、そのまま家族の歯車そのものが狂ってしまった。その父子は、息
子が中学生になるころから、まったく会話をしなくなってしまった。いっしょにテレビを見ていると
きも、食事をしているときも、父親のほうは、それなりに何かを話しかけるのだが、息子のほう
は何も答えなかった。父親の姿が見えたりすると、息子は、そのままスーッと姿を消したりし
た。はじめのころは、「何だ、その態度は!」「うるせエ〜」というやり取りもあったが、それもし
ばらくすると、消えた。

 やがて息子は、お決まりの非行コース。ときおり外出しては、そのまま何時間も帰ってこなか
った。外泊したこともある。真夜中に花火をあげて、近所の人に苦情を言われたこともある。コ
ンビニの前でたむろしたり、あるいは友人のアパートにあがりこんで、タバコを吸ったり、ときに
はシンナーも吸ったりした。親子の間は、ますます険悪なものになっていった。

 が、そのとき父親は、仕事の過労も重なって、一か月入院。そのときから、父親のほうに、大
きな心の変化が生まれた。息子が高校一年生のときだった。それまでは息子のこととなると、
すぐカリカリしていたが、まるで人が違ったかのように穏やかになった。「一度は、死を覚悟しま
したから」と、母親、つまりその父親の妻がそう言った。

 が、一度こわれた心は、簡単には戻らない。息子は相変わらず非行、また非行。やがて家の
中でも平気でタバコを吸うようになった。夜と昼を逆転させ、夜中まで友人と騒いでいることもあ
った。茶パツに腰パン。暴走族とも、つきあっていた。高校へは何とか通ったが、もちろん勉強
の「ベ」の字もしなかった。学校からは、何度も自主退学をすすめられた。しかしそのつど、父
親は、「籍だけは残してほしい」と懇願した。ときどき爆発しそうなときもあったが、父親はそうい
う自分を必死に押し殺した。あとになって父親は、こう言った。「まさに許して忘れるの、根比べ
でした」と。

 息子は高校を卒業し、専門学校に入ったが、そこは数か月でやめてしまった。そのあとは、
フリーターとして、まあ、何かをするでもなし、しないでもなしと、毎日をブラブラして過ごした。母
親のサイフから小づかいを盗んだり、父親の貯金通帳から勝手にお金を引き出したこともあ
る。しかし父親は、以前のようには、怒らなかった。ただひたすら、それに耐えた。父親は、息
子の意思でそうしているというよりは、心の病気にかかっていると思っていた。「これは本当の
息子ではない。今は、病気だ」と。そうアドバイスしたのは私だが、この段階で、「なおそう」と考
えて無理をすると、このタイプの子どもは、つぎの谷底をめざして、さらに落ちてしまう。今の状
態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対処する。

 そうして一年たち、二年がたった。この段階でも、親子の間は、いつも一触即発。父親が何
かを言おうとするだけで、ピリピリとした緊張感が走った。息子は息子で、ささいなことでも、何
でも悪いほうに悪いほうにとった。しかしそれでも父親はがんばった。まさにそれは、血がにじ
み出るような根比べだった。「息苦しい状態がつづきましたが、やがて、息子がいても、いなくて
も、気にせず、自分たちの生活をマイペースでできるようになりました。それからは多少、雰囲
気が変わりました」と。

 私はいくつかのアドバイスをした。その一つ、何をしても、無視。その一つ、「なおそう」と思う
のではなく、今の状態を悪くしないことだけを考える。その一つ、ただひたすら許して、忘れる、
と。

 無視というのは、息子が何をしても、気にしないこと。生活態度がだらしなくなっても、ムダな
ことをしても、親の意思に反することをしても、気にしないことをいう。子どもの存在を忘れるほ
どまでになればよい。

 今の状態を悪くしないというのは、「今のままでよい」と、あきらめて、それを受け入れることを
いう。ここにも書いたように、この段階で無理をすると、子どもは、つぎのどん底をめざして、ま
っしぐらに落ちていく。

 「許して忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ(与えるため)・アンド・フォ・ゲッツ(得るため)」とい
う。「愛を与えるために、許し、愛を得るために忘れる」ということ。その度量の広さこそが、親
の愛の深さということになる。

 父親はそれに従ってくれた。そしてさらに一年たち、二年がたった。息子はいつの間にか、二
四歳になった。突然の変化は、息子に恋人ができたときやってきた。父親は、その恋人を心底
喜んでみせた。家に招いて、食事を出してやったりした。それがよかった。息子の心が、急速
に溶け始めた。穏やかな表情が少しずつ戻り始め、自分のことを父親に話すようになった。父
親はそれまでのこともあり、すぐには、すなおになれなかった。しかし息子が自分の部屋に消え
たあと、妻と抱きあってそれを喜んだという。

 こうしたケースは、今、たいへん多い。「こうしたケース」というのは、親子が断絶し、たがいに
口をきかなくなったケースだ。そしてその一方で、子どもは親のコントロールのを離れ、そこで
非行化する。しかしこれだけは覚えておくとよい。「愛」があれば、必ず、子どもの心を溶かすこ
とができる。そして子どもは立ちなおる。で、あとは根比べ。まさに根比べ。愛があれば、この
根比べは、必ず、親が勝つ。それを信じて、愛だけは放棄してはいけない。ただひたすら根比
べ。

 今まで無数のケースを見てきたが、一度だって、この方法で、失敗したケースはない。どう
か、どうか、私の言葉を信じてほしい。今、その息子は、運送会社で、倉庫番の仕事をしてい
る。母親はこう言った。「とにかく息子の前では、夫婦で仲よくしました。そういう姿は、遠慮せ
ず、息子に見せました。息子に安心感を与えるためにです。それがよかったのかもしれませ
ん。もともと息子の様子がおかしくなったのは、夫に愛人ができたことによる、家庭騒動が原因
でしたから……」と。
(02−10−22)※

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子育て随筆byはやし浩司(210)

●負担は少しずつ減らす

 ときに子どもは、オーバーヒートする。子どもはまだ後先のことがわからないから、そのときど
きで、あまり考えないで、「やる」とか、「やりたい」とか言う。しかしあまりそういう言葉は信じな
いほうがよい。子どもが、音楽教室などへ行くのをしぶったりすると、「あんたが行くと言ったか
らでしょ。約束を守りなさい」と叱っている親を、よく見かける。が、それは酷というもの。

 で、慢性的な過負担がつづくと、やがて子どもの心はゆがむ。ひどいばあいには、バーントア
ウトする。症状としては、気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念
が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴える
ようになるなどが、ある。もっともこれは重症なケースだが、子どもは、そのときどきにおいて、
ここに書いたような症状を薄めたような様子を見せることがある。そういうときのコツがこれ、
『負担は、少しずつ減らす』。

 たとえば今、二つ、三つ程度なら、おけいこ塾をかけもちしている子どもは、いくらでもいる。
音楽教室に体操教室、英会話などなど。が、体の調子が悪かったりして、一つのリズムがおか
しくなると、それが影響して、生活全体のリズムを狂わせてしまうことがある。そういうとき親
は、あわててすべてを、一度にやめさせてしまったりする。A君(小二)がそうだった。

 A君は、もともと軽いチックがあったが、それがひどいものもらいになってしまった。そこで眼
科へ連れていくと、ドクターが、「過負担が原因です。塾をやめさせなさい」と。そこで親は、そ
れまで行っていた塾を、すべてやめさせてしまった。とたん、A君には、無気力症状が出てき
た。学校から帰ってきても、ボーッとしているだけ。反応そのものが鈍くなってしまった。

子どものばあい、突然、負担を大きくするのもよくないが、突然、少なくするのもよくない。こうい
うケースでは、少しずつ負担を減らすのがよい。おけいこごとのようなものについても、様子を
みながら、少しずつふやす。ひとつのおけいこが、うまく定着したのを見届けてから、つぎのお
けいこをふやすというように、である。そして減らすときも、同じように数か月をかけて、徐々に
減らす。でないと、たいていのばあい、立ちなおりができなくなってしまう。

 A君のケースでは、そのあと、無気力症状が、一年近くもつづいてしまった。もし負担を徐々
に減らしていれば、もっと回復は早かったかもしれない。さらにしばらくして、こんなこともあっ
た。

以前のような子どもらしい活発さをA君が取り戻したとき、親が、「もう一度……」と、音楽教室
へ入れようとしたことがある。が、それについては、今度はA君は狂人のようになって暴れ、そ
れに抵抗したという。もちろんそのため、A君は、勉強全体から遠ざかってしまった。今も、も
う、それから数年になるが、遠ざかったままである。

 子どもというのは、一見タフに見えるが、その心は、ガラス玉のようにデリケート。そしてこわ
れるときは、簡単にこわれる。もしそれがわからなければ、あなた自身はどうなのか。あるいは
どうだったかを頭の中に思い浮かべてみるとよい。あるいはあなたならできるか、でもよい。た
いていその答は、「ノー」である。
(02−10−22)※

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子育て随筆byはやし浩司(211)

問題意識

 今、英語の個人レッスンをしているK君が、「おみやげ!」と言って、韓国製のノリをくれた。
「何?」と聞くと、さりげなく、「韓国へ行ってきた」と。「韓国!」と驚くと、「修学旅行だった」と。

 私がはじめて韓国へ行ったのは、一九六八年。また日韓の間に国交のない時代で、私たち
はユネスコの交換学生として、韓国へ渡った。行きは博多から、船でプサンへ向かった。その
プサンでは、高校生のブラスバンドに迎えられた。そういう時代と比較するのも、ヤボだが、し
かし「修学旅行」とは!

 そういう話をしていたら、ワイフの料理教室仲間の一人が、ヨーロッパを一周してきたという。
地中海では、ギリシア、イタリアと回って、スペインまで行ったという。その仲間というのは、今
年六〇歳の女性。どこか脳の活動が、低調になってきたと噂(うわさ)される女性である。「(旅
行などして)だいじょうぶだったのか?」と聞くと、「ツアーで、添乗員もいたから」と。

 私が留学したころには、たとえば東京、シドニー間の航空運賃だけでも、往復四二万円だっ
た。当時のお金で四二万円である。大卒の初任給が、やっと四、五万円という時代だから、今
の貨幣価値になおすと、二〇〇万円ということになる。そういう時代だから、「外国へ行く」とい
うことには、それなりの意味があった。またそれなりの覚悟をもって、行った。が、今はちがう。
高校生が修学旅行で、そして六〇歳の女性が、ツアーで行く。そこで私はハタと考え込んでし
まった。

 私は二〇歳代のころは、毎月のように外国を飛び歩いていた。毎週、日本と香港、あるいは
台北を往復したこともある。二四歳のときでも、香港までの往復旅費が一二万円だったと記憶
している。ちょうど大卒の初任給の二倍だった。だからそれなりの利益を考えて、仕事をした。
つまり外国へ行くということについて、そもそもの真剣味が違った。貿易の手伝いをするだけで
はなく、情報を集めたり、友人をつくるというのも、大切な仕事だった。現地の人に積極的に話
しかけ、住所と名前を聞き出す。そして日本へ帰ってくると、こまめに手紙を出したり、プレゼン
トを送ったりした。

 長い前置きになったが、私が「ハタと考え込んだ」というのは、この点にある。問題意識がま
るで違う。冒頭にあげたK君に、「韓国はどうだった?」と聞くと、「日本と変わらなかった」と。
「食べ物は?」と聞くと、「まずかった」と。いや、K君を責めているのではない。私の時代とはあ
まりにも違うので驚いた。そこで私はこう考えた。

 私は今でも、つまりこの年齢になっても、外国へ行くと、郷里の言葉で言うと、「元(もと)を取
る」ということを、まっ先に考える。元を取るというのは、投下した資本に見あうだけの、利益を
得るという意味である。これは私の体にしみついたクセのようなもの。「利益」といっても、金銭
的なものだけではない。自分の頭の中を、できるだけひっかき回して帰ってくる。自分の頭の
中がバチバチと火花を飛ばしてショートするのを感ずるのは、私にとっては楽しい。いわんや、
観光気分で、のんびりと、ヨーロッパを回るなどということは、私にはできない!

 そこで改めて、子どもの世界をながめてみる。子どもを伸ばすためには、というより、子ども
自身が伸びるためには、問題意識がなければならない。この問題意識をいかにもちつづける
か、あるいはもたせるかということが、重要なポイントとなる。問題意識がなければ、目や耳の
中に飛び込んできた情報は、ただの色や形、音にすぎない。もしそうなら、お金がもったいない
というより、時間がもったいない。もちろんK君はK君なりに、何かをつかんで帰ってきたのだろ
うが、しかし率直に言えば、私の時代とは明らかに違う。「外国へ行ってきた」という意識そのも
のが、はるかに薄い。それがよいことなのか悪いことなのかは、別にして、若い時代は、もっと
問題意識をもってもよいのではないか。韓国へ行ってきて、「日本と変わらなかった」というので
は、あまりにもさみしい。

 しかし、だ。ワイフにこの話をすると、ワイフはこう言った。「旅行だもん、いいじゃない。楽しん
でくれば……」と。なるほど。しかし私には、どうしてもそういう考え方ができない。いつも元を取
るということばかり考える。これも戦後という、あのひもじい時代を生きた人間の後遺症かもし
れない。
(02−10−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(212)

親孝行は美徳か?

●旧世代から新世代へ
 ワクや権威でしばりあげて、家族をつくる時代は終わった。それにかわって、家族もそれぞれ
が対等の人間関係で結ばれるという時代がやってきた。しかし意識というのは、そうは簡単に
は変わらない。……変えられない。今でも、旧世代の中には、親の威厳や権威の重要性を説く
人は多い。若い人でも少なくない。中には、武士道や戦前の軍人訓までもちだして、それを説く
人もいる。こういう人にとっては、日々の子育ては、まさに「孤独との戦い」ということになる。

 ある女性(60歳)はこう言った。「林さん、子どもなんて育てるもんじゃないですよね。息子は
横浜の嫁に取られてしまいました」と。その女性は、息子が結婚して、横浜に住んでいること
を、「取られた」というのだ。私はなぜその女性が、そういう心理になるのか、最初は理解でき
なかった。意識のズレというのはそういうもので、意識がたがいにズレているときは、たがいに
理解できない。あるいはその意識にハマっている人は、自分が正しいと思うあまり、自分と違う
意識をもっている人を否定する。いや、私も、どちらかというと、その女性に近い年代なので、
その女性の気持ちが、まったく理解できないというわけではない。しかし、「取られた」とは…
…?

●日本の三〇年前!
 先日、NHKのテレビ報道を見ていて、驚いた。中国の若者たちの生活ぶりを伝えていたもの
だが、その中の何人かの若者が、こう言っていた。「私は親に産んでもらい、育ててもらいまし
た。その恩返しをするため、給料の何割かは、親に仕送りをしています」と。私が驚いたのは、
中国の若者たちが、そういった意識をもっていたことではない。そのように答える様子が、三〇
年前の自分自身と、まったく同じだったからだ。実のところ、私はそうだった。私もそういう意識
にしばられ、今のワイフと結婚する前から、収入の約半分を、毎月実家に仕送りしていた。

 だれに命令されたわけではない。当時としては、それが常識だったが、その経済的負担感と
いうより、その社会的重圧感は、相当なものだった。私も生まれながらにして、父や母に、「産
んでやった」「育ててやった」「大学を出してやった」と、それこそ耳にタコができるほど聞かされ
た。そういうもので自分の体ががんじがらめに、しばられた。重圧感というのは、それをいう。

 が、考えてみれば、これほどおかしな意識はない。私も三人の息子を育てたが、その過程
で、一度だって、「産んでやった」とか「育ててやった」という意識をもったことがない。ワイフも
「ない」と言う。むしろ子どもたちがいたおかげで、どれほど生活が楽しく、潤(うるお)ったこと
か。教えられたことも多い。感謝することはあっても、感謝されることは何もない。だいたい子ど
もをもうけるについても、私とワイフはいつも相談して決めた。三人の息子たちが、ちょうど三
年目ごとに生まれたのは、そのためだ。つまり子どもを産むのを決めたのは、私たちの意思に
よる。そして産んだ以上、育てるのは、親の義務ではないか。それを「産んでやった」「育ってや
った」とは?

●子どもに恩を着せる子育て
 この問題については、もう何度も書いてきたから、結論だけを書くと、こうなる。

 親がいるから子どもがいるという考え方は、観念論に根ざした考え方といってもよい。一方、
実存的な考え方では、「生まれてみた。そして父と母を認識した」と考える。どちらが正しいと
か、正しくないとかいうことではない。ただ親は子どもを選べるが、子どもは親を選べないという
こと。「産んでやった」「育ててやった」と言うのは、親の勝手だが、生まれ出る子どもは、自分
の意思で生まれるのではない。自分の意思で生まれたのでないのに、生まれたら、「産んでや
った」と言われる。考えてみれば、これほどおかしな話はない。いや、私も学生時代、よく母に
そう反論したことがある。が、母のそういうときの決り文句は、いつも同じだった。「そういうバチ
あたりのことを、よく言うな!」「産んでやった親に向かって、何てこと言うの!」だった。

 私たちはたしかに子どもを産み、子どもを育てる。しかしそれは子ども自身のためであって、
親のためではない。あるいは人類全体のためかもしれないが、親のためではない。また親の
ためであってはならない。理由は簡単だ。子どもといっても、一人の人間。決して親の所有物で
はない。モノではない。そもそも「産んでやる」とか、「育ててやる」とかいう対象ではない。だか
ら、「私の息子」「私の娘」と、「私の……」をつけること自体、まちがっている。

●親の義務
 親は子どもが巣立つとき、一度は、こう言ってあげる。「あなたの人生は、あなたのもの。たっ
た一回しかない人生だから、思う存分、この広い世界をはばたきなさい。親孝行? ……そん
なバカなこと、考えなくてもいい。家の心配? ……そんなちっぽけなこと、考えなくていい。あ
なたはあなたの人生を、まっすぐ前だけ見て、前に進みなさい」と。それでこそ親は、親として
の義務を果たしたことになる。

 もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するとか、家のめんどうをみるというので
あれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。しかし親がそれを、子どもに求めてはいけな
い。子どもに強要したり、期待してはいけない。そういう意味では、子育てにはいつも、ある種
のきびしさがともなう。が、そのきびしさを孤独にするかしないかは、結局は、その人の考え方
による。

●親孝行は美徳ではない
 私はまだ息子たちが赤ん坊のころ、その小さな手を見ながら、「どうしてこんな手ができるの
だろう」と思ったことがある。「この子は、少し前には、どこにいたのだろう」と思ったことがある。
しかし「私がつくった」などとは、思ったことはない。「私」は、親子という狭い関係を超えた、もっ
と大きく、もっと深い、つまりは生命の流れの中にある。「子ども」もそうで、生まれたときから、
子どもは、私を超えた、もっと大きく、もっと深い、つまりは生命の流れの中にある。「産んでや
った」とか、「育ててやった」とかいうような、そういうレベルの話ではない。いわんやそういう言
葉で、子どもをしばってはいけない。

 子どもはあなたから生まれるが、もっと大きく、もっと深い、生命の流れの中にある。そうした
流れに謙虚になるということは、とりもなおさず、あなた自身も、その流れの中にあることを知
ることになる。あなた自身が、親のために自分の人生を犠牲にすることは、決して美徳でも何
でもない。あるいはあなたは、自分の子どもがあなたのために自分の人生を犠牲にしているの
を見て、「それがいいことだ」と思うとでもいうのだろうか。私なら、「やめてくれ!」と叫ぶ。子ど
もが自分のために犠牲になっている姿など、見たくもない。考えたくもない。

 今、日本は旧世代から、新世代への移行期にある。そのためあちこちで、はげしい衝突や摩
擦が起きている。どちらを選ぶかは、あなたの問題だが、ひとつのヒントとして、ここに書いたこ
とを、一度真剣に考えてみてほしい。なぜならこの問題は、子育て全般に、しかも子育ての根
幹にかかわる問題だからである。
(02−10−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(213)

ある母親の自殺

 もうあれから、二七年になる。あの朝、あの母親は、自分の家の前で車に飛び込んで、自殺
してしまった。中学三年生の息子が、高校受験に失敗してから、数週間後のことだった。

 私はその息子を、週に一度、家庭教師をしていた。そういう関係から、その家の事情は、よく
知っていた。知りすぎていた。夫は、小さな貿易会社を経営していた。裕福な家庭だったが、夫
は、名古屋に愛人がいて、その愛人と密会を重ねていた。しかもそのとき、愛人との間に六歳
になる子どもがいた。

 その母親は、家庭教師が終わるたびに、何かと口実をつくっては、あれこれ相談をもちかけ
てきた。たいていはどうという話ではなかった。しかしそういう話にまぶして、私を誘惑しようとし
た。「私の体は、一〇万人に一人の体なのよ」と言ったこともある。しかし私はそれに応じなか
った。男というのは勝手なもので、そういう状況でないときは、あらぬロマンスを想像するものだ
が、しかしいざ、実際その場になると、それができない。私は、そういう意味では不器用な男
だ。フランス映画のようには、どうしてもできない。

 そしていよいよ息子の受験が近づいてきた。頭のよい子どもだったが、しかしS高校を受験
するには、無理があった。ただ私が教えていた英語だけはよくできた。それで何となく私も、そ
の受験に反対することはできなかった。そんなある夜、その母親から電話がかかってきた。受
験まであと二か月というときだった。受話器をとると、「どうしても相談したいことがある」と。私
はその真剣さに驚いて、その夜遅く、母親の家に向かった。時刻は、もう一一時を過ぎていた
と思う。

 母親はいつものようなやさしい笑みを浮かべていた。そして一通り、いつものようにお茶を出
し、あいさつが終わると、こう切り出した。「夫に、愛人がいるということだが、あなたは知らない
か?」「隠し子のことは?」と。私は知っていた。私とその会社の総務部長とは、別の仕事で懇
意にしていた。その部長から、その話は聞いていた。が、私は「知らない」と答えた。母親は、さ
らに、「総務部長から何か、話を聞いていないか」とたたみかけた。それも私は、「知らない」と
答えた。そのあと、いくつかその母親は、私に相談したが、それについては、ここに書けない。

 母親は、明かに私に助けを求めていた。淡々とした会話だったが、しかし私にはどうすること
もできなかった。私にとっては、ただの家庭教師先。それ以上の関係は求めていなかった。ま
た求められても困る立場にあった。男との女の関係になるのは、さらにまずかった。だからそ
の母親の話を、半ば茶化しながら、そして冗談ぽく、切り返していた。

 私とその母親との関係はそこまでで、そして息子の受験の数日前に、家庭教師の仕事もや
めた。が、しかし、その母親が自殺するとは思ってもみなかった。で、そのニュースは、義理の
姉からの電話で知った。「あんた、昨日の夜、○○会社の奥さんがなくなったっていう話を知っ
ている?」と。飛び起きてテレビのチャンネルを入れると、ちょうどそのニュースを、報道してい
るところだった。私はワイフにしたくさせると、すぐ車に飛び乗った。私はその母親とのことは、
すべて、ワイフに話していた。

 それから二七年。あの事件を思い出すたびに、胸が重くなる。ワイフは、「あなたの責任では
ない」とそのつど言うが、しかし心のどこかに、その責任を感じてしまう。もしあの夜、私がその
母親の話を、もう少し真剣に聞いていていれば、あの母親は自殺しなくてすんだかもしれない。
そういう思いが、心をふさぐ。
 
 では、なぜ、今、この話をここに書いたか、である。実は、数週間前からだが、よく似た事例
が、私の身辺で進行しつつある。母親は育児ノイローゼ気味で、このまま放置したら、何らか
の事件に発展する可能性が大きい。夫とは、先週、一対一で話したが、夫はポツリとこう言っ
た。「林さん、ぼくたち夫婦は、もう形だけなんですよ……」と。

 私はもう後悔をしたくない。だからできるだけその母親の相談にはのっている。……のってき
た。しかしこのケースでも、男と女の関係になるのは、たいへんまずい。私の仕事には、いつも
そういう問題がからむ。限界がある。だからやはり淡々とした関係をつづけながら、その範囲
でアドバイスするしかない。ワイフに相談すると、「あなたの問題ではないから」とか、「もうあの
夫婦はこわれているわ。それについては、あなたの責任ではない」とか言う。それはわかる
が、一度、失敗しているから、「私は知らない」で、どうしてもすますわけにはいかない。ただ今
は、何ごともなければよいがと願っている。そういう願いをこめて、この文を書いた。
(02−10−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(214)

達成感

 子どもの学習を指導するときは、@動機づけ、A楽しませる、B達成感を大切にする。動機
づけと、楽しませるについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。で、もう一つの
達成感について。

 達成感というのは、「やった!」という、満足感をいう。量的にも、学力的にも、その満足感を
子ども自身が味わうようにしむける。量的というのは、たとえばワークブックを一冊やり遂げた
ようなことをいう。この段階では、あまりこまかいことを言わないのが、コツ。たとえば計算問題
にしても、一〇問やって、七〜八問あっていれば、「できた」とみる。こまごまとした指導は、か
えって子どものやる気を奪う。

 「学力的」というのは、「勉強ができるようになった」というのが、それにあたる。しかし実際に
は、この指導は、たいへんむずかしい。しかも私の経験では、子どもが小学生になってからだ
と、何かにつけてうまくいかない。が、幼児だと、効果てきめんというか、簡単な指導で、それが
できる。言いかえると、この時期までの指導がたいへん重要である。たとえば幼児がやっとた
どたどしい文字を書いてみせたとする。そういうとき、少しおおげさにほめてみる。「こんなにじ
ょうずに書けるようになったの!」と。あるいは「この前より、字がうまくなったね!」と言ってあ
げる。「もっとあなたはじょうずに書けるようになるよ!」と、前向きな暗示を与えるのもよい。

 この時期の子どもは、ややうぬぼれかげんのほうが、あとあとうまくいく。「ぼくは、すごい」
「私は、できる」と子どもに思わせながら、前向きにひっぱっていく。

 子どもの学習を家庭で指導するときは、動機づけ、楽しませる、達成感、この三つを頭に置
きながら進めるとよい。
(02−10−23)

(注)「楽しませる」というのは、子ども自身が楽しむような雰囲気を大切にする。子どものばあ
い、一時間机の前にすわって、その中で一〇〜二〇分、勉強らしきことをすれば、よしとする。
雑談をしながらでもよい。お茶を飲みながらでもよい。そういうおおらかさが、子どもを伸ばす。
ガリガリと勉強するような姿は期待しないほうがよい。英語にも、「Happy learners learn best」
(楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ)というのがある。

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子育て随筆byはやし浩司(215)

ペットは、心をはぐくむ

 最近の子どもは、幼児も小学生も、そして中学生も、小さな虫を見ただけで、ギャーギャーと
声をあげて、逃げ回る。いわんやゴキブリがいたとなると、大騒動。しかしA君(年長児)は違っ
た。

 ある日のこと、教室に、一匹のクモが迷い込んできた。それを見て、子どもたちは、いつもの
ようにギャーギャーと声をあげて、逃げ回った。しかしA君は、両手でそのクモをすくいあげる
と、窓の外までもっていき、そこでクモを放した。これを見て、私は驚いた。あとにも先にも、そ
して今までも、そういうふうにしてクモを逃がした子どもは、見たことがなかった。

 あとで母親と話す機会があったので、その秘訣を聞いた。するとその母親は笑いながら、こう
話してくれた。

 父親が大の動物好きで、家の中は、動物園のようだというのだ。犬やネコだけではない。ウ
サギもハムスターもいる。庭には大きな水槽があって、魚もいる。もちろん虫という虫は、あら
ゆるものを飼っている、と。「いつも二人で散歩に行っては、いろいろなものをつかまえてきま
す」と。

 そのA君、本当に心のやさしい子どもだった。話しているだけで、おとなの私ですら、ほっとす
るような温もりを感じた。ほかにも似たような子どもがいたが、動物好きな子どもに、心の冷た
い子どもは、まずいない。そんなわけで、もしあなたが子どもをやさしい子どもにしようと考えて
いるなら、何か、ペットを飼わせるとよい。しかしこれには、ひとつ、大切な条件がある。

 それはあなた自身が、「好き」でなければならないということ。こんな子どもがいた。ある日の
こと、どこからどう迷い込んできたのかは知らないが、白い子犬がやはり教室へ入ってきたこと
がある。子どもたちは、「犬だ、犬だ」と、騒いだが、そのときのこと。一人の女の子(年長児)
が、何を思ったか、その犬めがけて、スリッパを投げつけた。ふざけて投げたというよりは、本
気だった。すかさず、「どうして、そんなことするの!」と私が叱ると、その女の子は、ニコリとも
せず、「私、犬が、嫌い!」と。

 あとであれこれ話を聞くと、その女の子の母親は、大の動物嫌い。一度、父親が犬を飼いそ
うになったことがあるが、それだけで夫婦関係がおかしくなってしまったこともあるという。つまり
ここでいう「条件」というのは、これは子育て全般にかかわることだが、こうしたケースも含め
て、「子どもだけ……」というのは、絶対にうまくいかないということ。

 親が本嫌いなのに、子どもだけを本好きにする。
 親がスポーツ嫌いなのに、子どもだけをスポーツ好きにする。
 親が勉強嫌いなのに、子どもだけを勉強好きにする。
 そして親が動物嫌いなのに、子どもだけを動物好きにする。

 すべて、こういうケースは失敗する。それこそ親の身勝手というもの。反対に、親が好きなこ
とは、子どもも好きになる。「好き」とか「嫌い」というのは、そういうもので、教えて教えられるも
のではない。感化されるものである。

 で、最近、講演した小学校で、こんな話を聞いた。あるクラス(小三)で、虫を飼うことになった
という。そこでのこと。一人の男の子が、カマキリをつかまえてきた。別の男の子が、小さなバッ
タをつかまえてきた。そこまではよかったのだが、もう一人の男の子が、何を思ったか、その小
さなバッタを手でもちあげ、カマキリの入ったカゴに落としたというのだ。

 その話をしてくれた女の先生はこう言った。「そういうことが平気でできる子どもの心が、私に
は理解できません」と。バッタを落とした男の子は、カマキリがバッタを食べるところが見たかっ
たと言ったという。

 最近の子どもは、どこか心がゆがんでいるのかもしれない。ただ、全体がゆがんでいるか
ら、その「ゆがみ」がわかりにくくなっているのも、事実だ。
(02−10−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(216)

親は、気高く

●B君(小三)のケース
 親は子どもの前では、努めて気高く生きる。こうした姿勢が、子どもに安心感を与える。その
安心感が、子どもを前向きに伸ばす。

 へつらう、ゴマをする、おべっかを使う、機嫌をとる、愛想をよくする、とりつくろう、ペコペコす
る、YES・NOをはっきりさせるよりは、ものごとをナーナーですまそうとする……、こういうの
は、日本人のお家芸だが、それだけ日本人は、卑屈になりやすい民族ということになる。長くつ
づいた封建時代が、独特の民族性をつくった? こんな事件があった。

 A君(小三)は、わがままな子どもだった。そのA君が、クラスで乱暴をした。それを見た、正
義感の強いB君(小三)が、A君にとびかかり、A君に、軽いケガをさせた。が、問題は、ここか
ら起きた。

 B君の家は、母子家庭。そしてその母親は、A君の父親が経営する会社で、事務員として働
いていた。だからこの事件を知って、B君の母親は、少なからず、あわてた。そこで母親は、B
君を連れて、その夜、A君の家まで、あやまりに行った。玄関には、A君の父母と、A君が並ん
だ。

 しかしいくら母親がたしなめても、B君は、がんとして頭をさげなかった。しかたないので、B君
の母親だけが、何度も何度も、ていねいに頭をさげてあやまった。

 この話は何度か、私の本やコラムにも書いた。で、それ以後、B君と母親の間には、まったく
会話がなくなってしまった。そこでB君の母親から、私に相談があった。「どうしたらいいか」と。

 ところで子どもにも、自尊心がある。実は、犬にもある。このことは、私の飼い犬と散歩をして
いて気づいた。私は犬のハナ(ポインター、猟犬)と散歩に行くときは、自転車で行く。とても歩
いて散歩するような犬ではない。で、そのハナだが、ほかの犬がその姿を見て、ワンワンとほ
えたりすると、背筋をのばすというか、頭をぐいともちあげるのである。かなり疲れていて、首を
うなだれて走っているようなときでも、である。そういうとき私は、「ははあ、こいつも、ほかの犬
に、かっこうのいいところを見せたがっているのだな」と思う。

 話を戻すが、この自尊心は、大切に守る。とくに子どもの自尊心は、大切に守る。こういうケ
ースでも、「どうせ、おとなになればわかるよ」というような言い方で、軽くあつかってはいけな
い。安易な妥協はしてはいけない。これは生きる誇りのようなもの。生きること、そのものと言
ってもよい。この誇りが、尊厳になり、その人の人格の基礎になる。この誇りがないと、たとえ
ば「悪」に対して、ブレーキがきかなくなる。歯止めがきかなくなる。つまり自尊心は、その子ど
も(人)を守る、心の砦(とりで)ということになる。

 さてB君のことだが、こういうケースでは、修復はまず不可能と考えるべき。一度キズついた
心は、簡単にはなおらない。……というより、なおそうと思うほうが、まちがっている。親子の会
話が途絶えたということだが、表面的な修復は、時間が解決してくれる。が、会話はもどって
も、心がそれで修復されたということにはならない。

 私が「どうしてお母さんだけで、あやまりに行かなかったのですか」と聞くと、その母親は、「だ
って……」と言ったが、むしろ母親がすべきことは、B君の立場で、B君の心を守ることだった。
母親には母親の立場があったのだろうが、そうならそうで、母親だけがあやまりに行けばよか
った。ペコペコと頭をさげる母親を見て、B君は、どんな気持ちでいたか……。私にはそのとき
のB君の気持ちが、痛いほど、よくわかる。

 生きる誇りは、どこでもつか。それは人それぞれだが、私は以前、こんな原稿を書いたことが
ある。これは中日新聞に載せてもらった記事である。

●落ちていた、五〇セント硬貨

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。皇后陛下の父君。そしてその
正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本義行氏。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いて
いた。私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はそ
の委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くた
びに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「どう
して私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。正田氏はソバを食べる手を
休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩』が同じだろ」と。そしてしばらく間をおい
て、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。私が寝泊りをすることになったメ
ルボルン大学のインターナショナル・ハウスは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。私の隣人は
西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣の息子などな
ど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にし
た。元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき各国
からノーベル賞級の研究者がやってきて、数か月単位で宿泊することもあった。井口昌幸領事
が、よど号ハイジャック事件で北朝鮮へ行った、山村政務次官を連れてきたこともある。山村
氏は事件のあと、休暇をとってメルボルンへ来ていた。

しかし「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしている
ことすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思
ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一
度だけ、私は、自分が最高の教育を受けていると実感したことがある。

 カレッジの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。誰かが落と
したものを、別の誰かが拾ってそこへ置いたらしい。当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八
〇〇円くらいか。もって行こうと思えば、誰にでもできた。しかしそのコインは、次の日も、その
また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにある
のを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「私は最高の教
育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この浜松
市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いて
いるという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも、私を支
え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。私は、情緒もそれほど安定していない。精
神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさな
いですんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげだった。あの五〇セント硬貨を思い出すこと
で、私は、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。
(02−10−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(217)

子どもの勉強時間

 こんな調査結果がある。

【学校での授業を含めた学習時間】

   一〇歳以上の小学生……4時間41分(4時間40分)
   中学生      ……5時間26分(5時間29分)
   高校生      ……5時間21分(5時間23分)
   短大・高専    ……3時間 5分(3時間 6分)
   大学・大学院生  ……2時間59分(2時間57分)

(総務省・〇一年一〇月、全国の一〇歳以上の男女、二〇万人を対象・かっこ内は、前回九
六年の調査結果)

 
 総務省の「社会生活基本調査」でわかった。大学生や大学院生の、一日の勉強時間は、大
学での講義も含めて、たったの二時間五九分(約三時間!)だというのだ。この時間数は、小
学生や中学生、高校生や短大生より少ない! 

 されはさておき、小学生のばあい、4時間41分=281分から、学校での勉強時間、250分
(50分x5時限)※を引くと、家での学習時間は、塾などで学習する時間も含めて、31分という
ことになる。私の実感でも、だいたいこんなものではないかと思う。その分、テレビを見たり、ゲ
ームをしたりする時間が、ふえている。ふつうの高校生でも、毎日、四、五時間は、テレビを見
ている。あるいは部屋では、一日中、テレビはつけっぱなし?

 こうした調査で平均値というのは、あまり意味がない。それはちょうど、毎月、一〇〇万円の
収入がある人と、一〇万円の収入の人を、足して二で割って、五五万円と算出するようなもの
だ。問題は、平均値ではなく、不公平さ。

 同じように、勉強する高校生は、学校以外でも、一日、五、六時間勉強している。こうした高
校生が、上位一〇%はいる反面、まったく勉強しない子どもも、五〇〜六〇%はいる。あるい
はもっと多いかもしれない。問題は、こうした子どもたちをどうするか、だ。つまりこうした子ども
たちは、そもそも「学ぶ」という姿勢そのものがない。ただその日、その日を享楽的に生きてい
るだけ。損とか、得とかいう話をしても、「損をしている」という意識すらない。何も受験だけが勉
強ではない。「勉強」というのは、そのほとんどは利益とは結びつかない。ある意味で、生き様
(ざま)そのものの問題である。

 それにしても、今の子どもたちは勉強しなくなった。本当にしなくなった。子どもたちがこうなっ
た背景には、いろいろ原因もあるのだろうが、現状はそういうものだという前提で、子どもの勉
強時間を考えるしかない。
(02−10−24)※

※……ここでいう総務省の平均値というのは、たとえば土日の勉強時間をどう計算しているか
ということが明確ではないので、この計算式は正しくないかもしれない。

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子育て随筆byはやし浩司(218)

人生で大切なのは、「時」

 近所の女性(八五歳)は、私がその家を訪れるたびに、仏壇の金具をみがいている。それほ
ど高価なものではない。しかしその女性にとっては、それが財産なのだ。命なのだ。人生なの
だ。

 こうした老人を論ずるとき、一番注意しなければならないのは、老人の心理は、老人にならな
いと理解できないということ。いつか、大学の恩師がそう話してくれた。安易な解釈や理解は、
誤解のもと。

 それはそれとして、私はこのところ、自分の中の変化が気になる。モノや財産に、それほど興
味をもたなくなったのだ。たとえばテレビ番組で、「このお宝は、二〇〇万円の価値がありま
す!」などとだれかが言ったとすると、すぐ、「それがどうしたの?」と思ってしまう。こういうこと
だ。

 この宇宙には、一つの砂丘(浜松市の中田島砂丘なら中田島砂丘でもよい)にある、砂粒の
数ほどの星がある。あるいはもっと多いかもしれない。この太陽系でいえば、太陽は星だが、
地球や火星は、その星の数にも入らない。いわば、星のゴミ。しかもだ、この宇宙の歴史は、
四〇億年とも五〇億年とも言われている。そういう地球の表面に、かろうじてへばりついて生き
ながら、宇宙の歴史からみれば、まばたきにもならない瞬間に生きながら、どうしてモノにこだ
わる? どうせ死ねば、宇宙もろとも、しかも永遠に「無」という闇の世界にもどる……。

 前世、来世論というのがあるが、本当にだれか、それを見たことがあるのだろうか。神はとも
かくも、釈迦は一言もそんなことは言っていない。それを言い出したのは、釈迦滅後、それも数
百年前後たってからの、その弟子と称する学者(?)たちである。ウソだと思うなら、一度でもよ
いから、『スッタニパーダ』(釈迦の生誕地に残る原始仏教の経典)に、目を通してみることだ
※。

 モノがムダと言っているのではない。私たちには、もっと大切なものがある。大切にしてしすぎ
ることがないものがある。それが、「今、ここに生きているという時」である。その価値は、とても
お金には換算できない。一秒、一秒に、かけがえのない価値がある。まさに私たちが、今こうし
て、この地球で生きていること自体が、奇跡なのだ。そういう奇跡を前にして、何が、モノだ。地
位だ。名誉だ。財産だ。……というのは、少し過激な意見だが、しかしそういうふうに考えるの
も、ときとして大切ではないのか。今、あまりにも、「時」の価値が、ないがしろにされすぎてい
る。

 要するに、生きるということは、その「時」を、いかに大切に使うかということに集約される。そ
れについては、また別のところで考えてみたい。ただ願わくば、私は冒頭に書いたような女性
のような生き方だけはしたくない。その年齢になったら、私の考え方も変わるかもしれないが、
今は、そう思う。自信はないが……。
(02−10−24)※
 
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※釈迦は、つぎのように述べている。

 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(二・二六)と。生きるのはあくまでも自分
自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や教団をつくり、自説の正し
さを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダのやり方ではない。ゴータ
マ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。死の臨終に際しても、
こう言っている。

 「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたも
って、実践し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、というこ
とをめざすものであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のため
に、世間の人々を憐(あわ)れむために、神々の人々との利益・幸福になるためである」(中村
元訳「原始仏典を読む」岩波書店より)と。

そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き
方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。

ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使って
いない。いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。

 また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。事実、「あとの書かれ
た経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。そういうことを言わないと、日本の仏教
そのものが、総崩れになってしまうからである。たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵経)が日
本に氾濫(はんらん)している。そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈迦の言葉
だ」「私が信仰する経典こそが、唯一絶対である」と主張している。

それはそれとして、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しか
しその中でも、もっとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えにも
っとも近いものということになるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、そのうちのひとつである
ということは常識。故中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威)も、「原始仏典を読
む」の中で、「原典批判研究を行っている諸学者の間では異論がないのです」(「原始仏典を読
む」)と書いている。で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパ
ダ(法句)』である。中国で、法句経として訳されたものがそれである。ここに転載した一節は、
その法句経の一部である。

 また神がいう、天国だが、残念ながら私はクリスチャンではないから、門前払いということに
なる。しかたない。しかしどちらにせよ、つまりあの世があるかないかは別として、ともかくも、
今、生きている間は、そういうものは「ない」という前提で生きる。それはちょうど宝くじのような
ものではないか。宝くじを買っても、当たることをアテにして、土地や家を買う人はいない。すべ
ては当たってからの、お楽しみ。同じように、まずこの世を生きるときは、「あの世はない」とい
う前提で生きる。懸命に生きる。そして死んでみて、あの世があれば、もうけもの。それから神
や仏を信じても、遅くはない。何といっても、あの世での生活は、永遠なのだから。

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子育て随筆byはやし浩司(219)

正統派

 コンピュータの世界には「正統」というものがあるらしい。私は、長い間、パソコンとつきあうこ
とで、それを思い知らされた。

 二七、八歳のころ、当時の金額で、三四万円という大金を出して、「ペット」というパソコンを買
った。コモドール社のパソコンである。あとで聞いたら、あのマイクロソフト社のビル・ゲーツも、
高校生のとき、同じパソコンをもっていたそうだ。(あのままその主流に沿ってがんばっていれ
ば、私も彼のような人物になれたかもしれない?)

 そのあと、パソコンは、まさにとっかえひっかえだった。しかし寄り道ばかりだった。

 最初の寄り道は、NECのパソコンに乗り換えたことだ。当時、六〇〇〇とか、八〇〇〇とか
いう機種が、NECからつぎつぎと発売された。それがやがて、九〇〇〇になり、九八となったと
思う。今もそのころのパソコンが、一台だけ座右に残っている。機種は、「PC98・21・V13」と
なっている。ある日、オーストラリアへ行ったとき、友人が、「ヒロシは、何を使っている?」と聞
いたから、私が「NECの98だ」と言うと、「何、それ?」と言った。そのとき私ははじめて、NEC
の98は、日本だけしか通用しないOSと知った。無知だった。

 このときすでに世界の潮流は、DOS/V規格のパソコンに向いていた。が、私はNECを信
じ、ただひたすらNECを買いつづけた。しかしこれがまちがいのもとだった。やがてNECは、
私のような純朴なユーザーを裏切り、膨大な付属資料やソフトを残したまま、DOS/V規格へ
と流れを転向してしまった。「あとに残されたユーザーはどうすればいいのだ!」と、そのとき
は、そう心の中で叫んだ。

 このとき、それと並行して、世の中には、ワープロなる電気製品が現れた。私はあえてNEC
に背を向けた。NECへの怒りが大きかった。そこで対抗馬のフジツーのワープロにこだわっ
た。ワープロというのは、一度その会社の製品に決めると、以後、その会社のものでないと、
役にたたない。互換性がない。それで今度は、ワープロをとっかえひっかえ、買いつづけた。し
かしこれもやがて、裏切られるところとなる。

 フジツーはやがて新製品を出さなくなった。それまでは年に三〜四回、新製品を発表してい
たが、ある時期から、パタリとそれが止まった。店の人に聞いても、「これからはパソコンの時
代です」と。この言葉に、あわてた。もしそうなら、今まで私が蓄積してきた文書が、全部、ムダ
になってしまう!

 が、私はワープロにこだわった。世の中にインターネットがはびこるようになっても、ただひた
すらワープロにこだわった。ワードだ、エクセルだといっても、ワープロにこだわった。フジツー
のワープロは、キーボードが特殊だったということもある。が、それがまちがいのもとだった。気
がついたときには、私は時流に完全に乗り遅れていた。そこでしぶしぶ、パソコンの世界に逆
戻り。今度は、正統派をただひたすらさがし求めた。……といっても、すべてDOS・V仕様にな
っていたが……。

 ほかにもある。レザーディスク(パイオニア)が出たころ、少数派だが、ビデオディスク(シャー
プ)というのもあった。私はそのビデオディスクにこだわった。ビデオも、VHSが出たころ、ソニ
ーからベータが出た。これはおとなしく、VHSにしたので、よかった。同じく今は、デジタルカメラ
はフジフィルムのファインピクスに統一しているが、スマートメディア(記録媒体)が、どうも劣勢
になってきた。パソコンで最初から、スマートメディアが読み書きできるようになっている機種
は、今のところ、ひとつもない、などなど。

 今から思うと、私はもっとすなおに、正統派に身を寄せるべきだった。私のようなものが、あ
えて、ひとり「流れ」に背を向けたところで、どうにかなるものではない。が、私は昔から、どこか
ひねくれている。それがわざわいした。

さあて、今、この世界では、何が正統派なのか。それをしっかりと見極めないと、結局はお金を
ムダにしてしまうことになる。……みなさんも、どうか、お気をつけください。
(02−10−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(220)

やわらかい頭

●こんなジョーク
 オーストラリアの友人のBob君は、若いときから、ジョークが好きで、いつも自分でジョークを
作って楽しんでいる。最近、メールで送ってきてくれたのを、いくつか紹介する。

★ある老人は、寝る前にいつも、バイアグラ二錠と、鉄分剤を三錠、のんでねた。だから朝起
きると、いつも彼の体は、北をさしていた。

★ある老人は、バイアグラを、いつも一錠しかのまなかった。そこでドクターが、「バイアグラ
は、二錠のまないと、効果がないから、二錠のみなさい」と、指示した。すると、その老人は、こ
う答えた。「いえ、先生、わしは小便をするとき、足元をぬらさなければ、それでいいのです」と。

 こんなのもある。

★ある老人が、深刻な顔つきで、病院へやってきた。そしてドクターにこう言った。「先生、わし
は最近、小便をしたあと、ときどきチャックをあげ忘れるのです。いよいよボケのはじまりでしょ
うか」と。すると、そのドクターは、こう答えた。「いいや、チャックをあげ忘れるのは、ボケでは
ない。チャックをさげ忘れたら、ボケです」と。

★カトリック教の神学校では、トイレで小便したあと、三度までは、あれを振ってもよい。四度以
上は、マスターベーションになるから、禁止(チャプター・69条)。

★暑い夏の日だった。男が、道端のレストランに入ると、一人の大柄な女性が、ミートパイ(オ
ーストラリアの名物料理)を食べていた。見ると、スカートを、上にまくしあげていた。そこで男
が、その女性に、「あんたは、暑いからそうしているのか?」と聞いた。するとその女性は、ニコ
リともせず、こう言った。「いいや、うるさいハエどもを、下へ寄せつけておくためさ」と。

●教育論
 さて、教育論。子どもでも、頭のやわらかい子どもは、ジョークがわかる。そうでない子ども
は、そうでない。昨年、ワールドカップのとき、私は、年長児クラスで、思わずこう言ってしまっ
た。

 「あのね、みんな、アルゼンチンのサポーターの中には、女の人はいないんだって」と。する
と、子どもたちが、「どうしてエ〜?」と。そこで私はおもむろに、「だってねえ、アル・ゼン・チン
だもんね」と。これを言い終わったとき、「このジョークは、幼児には無理だろうなと思って、見ま
わすと、一人だけニヤニヤと笑っている男の子がいた。そういう子どもは、頭がよい。この先も
伸びる。

 幼児の能力をみるときは、今、できるかできないかをみるのではない。この先、伸びるか伸び
ないかをみる。そのときポイントは、頭のやわらかさ。頭のやわらかい子どもは、伸びる。そう
でない子どもは、伸び悩む。ジョークがわかるかどうかは、その大切なバロメーターということに
なる。私の印象に残っている事件に、こういうのがあった。

●チョーク箱を持ちかえった、U子(年中児)さん
 ある日、幼稚園へ行くと、教室に、A組のA先生のチョーク箱が置き忘れてあった。そこで私
は、近くにいたU子さんを呼んで、「これをA組のA先生のところへもっていってね」と頼んだ。U
子さんは、元気な声で「ハーイ!」と言って、教室を飛び出した。

 当時、園舎は「コ」の字型になっていた。一方の端から一方の端がよく見えた。私は心配だっ
たので、廊下に立って、U子さんを見送った。が、U子さんは、そのチョーク箱を、A組へ置いて
こないで、もって帰ってきてしまった。途中、廊下で、A先生とすれ違っている。そこで私はU子
さんに、「どうしてA組に、チョーク箱を置いてこなかったの?」と聞いた。するとU子さんは、「だ
って、A先生がいなかったもん」と。さらに私が、「じゃあ、どうして廊下でA先生とすれ違ったと
き、A先生にチョーク箱を渡してくれなかったの?」と聞くと、こう言った。「だって、A先生は、教
室にいなかったもん」と。
 
 そのU子さんは、A組で、A先生にチョーク箱を渡すことしか考えていなかった。頭のかたい子
どもというのは、そういう子どもをいう。概して、早熟タイプに生育する女児に、この傾向が強く
みられる。一見、しっかりしてみえるが、融通がきかない。あとあと何かにつけて、伸び悩む。

 さて、あなたの子どもはどうか。あなた自身はどうか。あなたは冒頭のジョークを読んで、スラ
スラと意味がわかり、笑っただろうか。
(02−10−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(221)

邪悪な心

 心の邪悪な人が近くにいると、こちらの心まで邪悪になる。こちらがその気でなくても、巻き込
まれてしまう。そしていつの間にか、自分まで邪悪になる。そこで大切なことは、自分のまわり
の人にその邪悪さを感じたら、その人には近づかない。相手にしない。

 ある母親から、こんなメールが届いた。何でもその母親が住んでいるマンションは、「G中学
マンション」と呼ばれているというのだ。G中学というのは、神奈川県でも、有名な私立中学。た
またまそのマンションから、G中学校のグランドがよく見える。それにそのマンションには、G中
学の教員が、六、七人住んでいる。それでそういうニックネームがついたらしい?

 こういう世界で、「私」を保つのは容易ではない。同年齢の子どもをもつ親が集まると、自然と
そういう話になってしまう。その母親は、メールで、こう話してくれた。「G中学に入学して当たり
前。入学できなければ、人にあらずというような雰囲気です。そういう世界で、自分を保つの
は、容易ではありません」と。

 たとえば一人の子どもが、受験のためにA進学塾に通い始めたとする。するとその話は、あ
っという間に、ほかの親たちに知れてしまう。そして同じ進学塾に通うほかの子どもを通して、
成績は筒抜け。成績がよければよいで、ひがまれ、悪ければ悪いで、陰口をたたかれる。月
謝の高い進学塾だと、これまたひがまれ、安い塾だと、これまた陰口をたたかれる。「あのお
宅、無理をしてるわねえ」とか、「あのお宅では、しかたないわねえ」とか。その母親は、「私の
ようなよそ者から見れば、バカげているのですが、みんな真剣なところがおかしいです」と。

 こうした邪悪な人たちと戦う方法があるとすれば、自分の視野を広くし、視点を高くすることで
しかない。自分という人間が、相手を二ランクとか、三ランク超えたとき、はじめてその邪悪さ
を、はらいのけることができる。へたをすれば、その邪悪な世界に巻き込まれ、自分自身もそ
の邪悪な人間になってしまう。つまり邪悪さには、そういう魔力がある。だから結論は、結局
は、「近づかない」「相手にしない」ということになる。あのトルストイも、『読書の輪』の中で、こう
書いている。「善をなすには、努力が必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が
必要」と。

 が、その母親は、メールでこう書いてくれた。「ところで最近、先生のメールマガジンを読まさ
せて頂いております。近所のお母さん方のお稽古熱が激しいので、何度も流されそうになった
り、へこみそうになったりしていますが、いつも先生の記事で自分を取り戻しています」(原文の
まま)と。そういう形で、私のマガジンが役だっていることを知り、うれしかった。
(02−10−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(222)

善と悪

●神の右手と左手
 昔から、だれが言い出したのかは知らないが、善と悪は、神の右手と左手であると、言われ
ている。善があるから悪がある。悪があるから善がある。どちらか一方だけでは、存在しえな
いということらしい。

 そこで善と悪について調べてみると、これまた昔から、多くの人がそれについて書いているの
がわかる。よく知られているのが、ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反キリス
ト」)

 要するに、自分を高めようとするものすべてが、善であり、自分の弱さから生ずるものすべて
が、悪であるというわけである。

●悪と戦う
 私などは、もともと精神的にボロボロの人間だから、いつ悪人になってもおかしくない。それを
必死でこらえ、自分自身を抑えこんでいる。トルストイが、「善をなすには、努力が必要。しかし
悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」(『読書の輪』)と書いた理由が、よくわかる。
もっと言えば、善人のフリをするのは簡単だが、しかし悪人であることをやめようとするのは、
至難のワザということになる。もともと善と悪は、対等ではない。しかしこのことは、子どもの道
徳を考える上で、たいへん重要な意味をもつ。

 子どもに、「〜〜しなさい」と、よい行いを教えるのは簡単だ。「道路のゴミを拾いなさい」「クツ
を並べなさい」「あいさつをしなさい」と。しかしそれは本来の道徳ではない。人が見ていると
か、見ていないとかということには関係なく、その人個人が、いかにして自分の中の邪悪さと戦
うか。その「力」となる自己規範を、道徳という。

 たとえばどこか会館の通路に、一〇〇〇円札が落ちていたとする。そのとき、まわりにはだ
れもいない。拾って、自分のものにしてしまおうと思えば、それもできる。そういうとき、自分の
中の邪悪さと、どうやって戦うか。それが問題なのだ。またその戦う力こそが道徳なのだ。

●近づかない、相手にしない、無視する
 が、私には、その力がない。ないことはないが、弱い。だから私のばあい、つぎのように自分
の行動パターンを決めている。たとえば日常的なささいなことについては、「考えるだけムダ」と
か、「時間のムダ」と思い、できるだけ神経を使わないようにしている。社会には、無数のルー
ルがある。そういったルールには、ほとんど神経を使わない。すなおにそれに従う。駐車場で
は、駐車場所に車をとめる。駐車場所があいてないときは、あくまで待つ。交差点へきたら、信
号を守る。黄色になったら、止まり、青になったら、動き出す。何でもないことかもしれないが、
そういうとき、いちいち、あれこれ神経を使わない。もともと考えなければならないような問題で
はない。

 あるいは、身の回りに潜む、邪悪さについては、近づかない。相手にしない。無視する。とき
として、こちらが望まなくても、相手がからんでくるときがある。そういうときでも、結局は、近づ
かない。相手にしない。無視するという方法で、対処する。それは自分の時間を大切にすると
いう意味で、重要なことである。考えるエネルギーにしても、決して無限にあるわけではない。
かぎりがある。そこでどうせそのエネルギーを使うなら、もっと前向きなことで使いたい。だか
ら、近づかない。相手にしない。無視する。

 こうした方法をとるからといって、しかし、私が「(自分の)意思を高揚させた」(ニーチェ)こと
にはならない。これはいわば、「逃げ」の手法。つまり私は自分の弱さを知り、それから逃げて
いるだけにすぎない。本来の弱点が克服されたのでも、また自分が強くなったのでもない。そこ
で改めて考えてみる。はたして私には、邪悪と戦う「力」はあるのか。あるいはまたその「力」を
得るには、どうすればよいのか。子どもたちの世界に、その謎(なぞ)を解くカギがあるように思
う。

●子どもの世界
 子どもによって、自己規範がしっかりしている子どもと、そうでない子どもがいる。ここに書い
たが、よいことをするからよい子ども(善人)というわけではない。たとえば子どものばあい、悪
への誘惑を、におわしてみると、それがわかる。印象に残っている女の子(小三)に、こんな子
どもがいた。

 ある日、バス停でバスを待っていると、その子どもがいた。私の教え子である。そこで私が、
「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その子どもはこう言った。「いいです。私、こ
れから家に帰って夕食を食べますから」と。「ジュースを飲んだら、夕食が食べられない」とも言
った。

 この女の子のばあい、何が、その子どもの自己規範となったかである。生まれつきのものだ
ろうか。ノー! 教育だろうか。ノー! しつけだろうか。ノー! それとも頭がかたいからだろう
か。ノー! では、何か?

●考える力
 そこで登場するのが、「自ら考える力」である。その女の子は、私が「缶ジュースを買ってあげ
ようか」と声をかけたとき、自分であれこれ考えた。考えて、それらを総合的に判断して、「飲ん
ではだめ」という結論を出した。それは「意思の力」と考えるかもしれないが、こうしたケースで
は、意思の力だけでは、説明がつかない。「飲みたい」という意思ならわかるが、「飲みたくな
い」とか、「飲んだらだめ」という意思は、そのときはなかったはずである。あるとすれば、自分
の判断に従って行動しようとする意思ということになる。

 となると、邪悪と戦う「力」というのは、「自ら考える力」ということになる。この「自ら考える力」
こそが、人間を善なる方向に導く力ということになる。釈迦も『精進』という言葉を使って、それ
を説明した。言いかえると、自ら考える力のな人は、そもそも善人にはなりえない。よく誤解さ
れるが、よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから善人というわけでも
ない。人は、自分の中に潜む邪悪と戦ってこそはじめて、善人になれる。

 が、ここで「考える力」といっても、二つに分かれることがわかる。一つは、「考え」そのもの
を、だれかに注入してもらう方法。それが宗教であり、倫理ということになる。子どものばあい、
しつけも、それに含まれる。もう一つは、自分で考えるという方法。前者は、いわば、手っ取り
早く、考える人間になる方法。一方、後者は、それなりにいつも苦痛がともなう方法、ということ
になる。どちらを選ぶかは、その人自身の問題ということになるが、実は、ここに「生きる」とい
う問題がからんでくる。それについては、また別のところで書くとして、こうして考えていくと、人
間が人間であるのは、その「考える力」があるからということになる。

 とくに私のように、もともとボロボロの人間は、いつも考えるしかない。それで正しく行動できる
というわけではないが、もし考えなかったら、無軌道のまま暴走し、自分でも収拾できなくなって
しまうだろう。もっと言えば、私がたまたま悪人にならなかったのは、その考える力、あるいは
考えるという習慣があったからにほかならない。つまり「考える力」こそが、善と悪を分ける、
「神の力」ということになる。
(02−10−25)※

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●補足
 善人論は、むずかしい。古今東西の哲学者が繰り返し論じている。これはあくまでも個人的
な意見だが、私はこう考える。

 今、ここに、平凡で、何ごともなく暮らしている人がいる。おだやかで、だれとも争わず、ただ
ひたすらまじめに生きている。人に迷惑をかけることもないが、それ以上のことも、何もしない。
小さな世界にとじこもって、自分のことだけしかしない。日本ではこういう人を善人というが、本
当にそういう人は、善人なのか。善人といえるのか。

 私は収賄罪で逮捕される政治家を見ると、ときどきこう考えるときがある。その政治家は悪い
人だと言うのは簡単なことだ。しかし、では自分が同じ立場に置かれたら、どうなのか、と。目
の前に大金を積まれたら、はたしてそれを断る勇気があるのか、と。刑法上の罪に問われると
か、問われないとかいうことではない。自分で自分をそこまで律する力があるのか、と。

 本当の善人というのは、そのつど、いろいろな場面で、自分の中の邪悪な部分と戦う人をい
う。つまりその戦う場面をもたない人は、もともと善人ではありえない。小さな世界で、そこそこ
に小さく生きることなら、ひょっとしたら、だれにだってできる(失礼!)。しかしその人は、ただ
「生きているだけ」(失礼!)。が、それでは善人ということにはならない。繰り返すが、人は、自
分の中の邪悪さと戦ってこそ、はじめて善人になる。

 いつかこの問題については、改めて考えてみたい。以前書いた原稿(中日新聞掲載済み)を
ここに転載する。

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四割の善と、四割の悪
(以前、掲載したのと同じ原稿です。お許しください。)

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 
社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪
がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの
世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であった
り、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子
どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校
の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放
り投げていた。その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に
対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびし
いのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親
は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ
 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た
ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ
たら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおも
しろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話
が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え
ている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はより
よい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい
人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」
と。

●子どもの世界だけの問題ではない
 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが
わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ
をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問
題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと
いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは
どれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘
もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていた
ら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘は、そういうことはし
ないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、
その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆ
がめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人
 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、
大きく変わる。子どもの世界も変わる。

(参考)
 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)

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子育て随筆byはやし浩司(223)

振り回される親たち

 少し前、赤ちゃんがおしゃぶりを使うと、指しゃぶりが残りやすいという説があった。そこで一
時期、おしゃぶりが、子どもの世界から姿を消した。しかし今度は、無理におしゃぶりをやめさ
せると、子どもの情緒が不安定になるという説が出た。すると親たちは、再び、おしゃぶりを子
どもに与えるようになった。が、再び、おしゃぶりが、よくないという説がまた出てきた。理由は
あれこれあるらしいが、もっともらしい説が、つぎつぎと育児雑誌をにぎわした。

 そのつど、親たちは、ささいな情報に振り回される。新説が出るたびに、ああでもない、こうで
もないと振り回される。が、またまたまおしゃぶり論争。こんどは、おしゃぶりは、必要という説。
それに火をつけたのが、子どもたちによく見られる、口呼吸。「最近の子どもは口呼吸をする。
それは母乳で、じゅうぶん育てられなかったからだ」と。あるドクターが、テレビ番組の中でしゃ
べったのがきっかけだった。つまり赤ちゃんは、母親の乳首を吸っている間、鼻呼吸をする。
その乳首を吸う回数が少ないと、口呼吸になりやすいというのだ。そして鼻には、バイ菌などを
遮断する機能があるので、鼻呼吸する子どもは健康に、一方、口呼吸する子どもは、病気にな
りやすい、と。つまりおしゃぶりは、その鼻呼吸を子どもにさせるには、効果的であるということ
らしい。とたん、また、おしゃぶりが、復活した……!

 こういう論争を耳にすると、(私は乳児については、まったくの門外漢ということもあるが)、
「?」と思ってしまう。「どうしてもっと基本的なことを論じないのか」と。

 仮に百歩譲って、口呼吸より鼻呼吸が健康によいということにしよう。しかしそれでも、この問
題は、無数にある問題のひとつにすぎない。「無数」だ。こうした情報というのは、夜のバラエテ
ィ番組に出てくるクイズのようなもの。アフリカの一民族が使うような料理用の道具を持ち出し、
「これは何でしょうか?」と。自称、知識人やタレントたちが、さもしたり顔で、それを討論した
り、ときには、ギャーギャーと騒いだり……。しかしそれがわかったところで、どうということはな
いし、わからないからといって、これまたどうということはない。少なくとも、テレビというマスメデ
ィアを通して、全国の人たちに知らせなければならないような問題ではない。

 たしかに口呼吸と鼻呼吸はちがうが、子どもが口呼吸したらしたで、それはそのとき考えれ
ばよい。赤ん坊のときから、神経を使わねばならないような問題ではない。どうして親たちは、
こういう重箱の底をほじくりかえすような、ささいな問題で、そのつど振り回されるのか? 私に
はむしろ、そちらのほうを問題としたい。

 では、どう考えるべきか。 

この口呼吸と鼻呼吸の問題にしても、子育てを自然体でしていれば、何も問題はないはず。人
類は、そうして何十万年も生き延びてきた。つまりこれからも自然体で子育てをすれば、何十
万年も生きられる。そうした視点に立ちかえれば、一挙に、無数の問題を解決することができ
る。口呼吸と鼻呼吸の問題も、それに含まれる。

「口」はものを食べるため。「鼻」は呼吸をするため。そんなことは、自然の中では、常識ではな
いか。こうした「自然体」というか、「自然にかえれ」ということを、なぜ、もっとみんなが声を大き
くして言わないのか。言いかえると、もしあなたが子育てをしていて、何かのことで迷ったり、わ
からなくなったら、自然にかえればよい。それで結論は出る。すべてが解決する。私はこうした
情報が出るたびに、それに振り回されている親をみると、「はたして情報とは何か」と、そこまで
考えてしまう。
(02−10―25)※

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子育て随筆byはやし浩司(224)

考える力

 考える力というのは、無限にあるわけではない。それはちょうど体力に似ている。使えば使う
ほど、疲れる。一日に運動できる量(時間)が決まっているように、一日に考えられる量(時間)
も、決まっている。その上、その量は、年齢とともに、減少する。とくに体の調子が悪かったりす
ると、とたんに減少する。考えるのも、おっくうになる。

 が、それだけはでない。考えるとき、大切なのは、いかに鋭く、いかに深いかということ。疲れ
てくると、その力が弱くなる。ものを書いても、どこか、いいかげんになる。浅くなる。私はこれを
「うわすべり」と呼んでいる。うわすべりした文章は、つまらない。あとから読みなおしても、どう
もおもしろくない。

 また、考えるというのは、習慣のようなもの。その習慣のない人は、考えることすらしない。ま
たその習慣があっても、いつも考えていないと、その技術が低下する。これは運動に似てい
る。しばらく考えないでいると、考えるコツすら忘れてしまう。

 そこで年をとると、その考える力を、いかに大切に使うかが、重要になる。それは限られた予
算のようなもの。ムダには使えない。ムダに使ってはいけない。私のばあい、考える前に、それ
が考える価値があることかどうかを、まず決める。価値があることについては、考える。価値の
ないと判断したものについては、考えない。

 よく「考えることは苦痛ではありませんか」と言う人がいる。しかし私は考えることが楽しい。反
対に、頭の中がモヤモヤとしてくると、それを吐き出したくなる。そう、すべてを吐き出したとき
の、あの爽快感(そうかいかん)は、何ものにも、かえがたい。だから考える。

 ただこのところ、自分でも、その考える力が衰えてきたように思う。一番、気になるのは、集
中力がなくなってきたこと。一、二時間、文章を書いただけで、すぐ疲れてしまう。若いころは、
一晩で何一〇枚も原稿を書くことができた。今は、とても無理。ときどきワイフに、「ぼくは最
近、ボケてきてないか?」と聞く。ワイフは、「別に……」というが、もしワイフも同じようにボケて
いたら、それはわからない。

 みなさんは、今の私の文章を読んで、どう感じるだろうか。鋭さが消えたと思うだろうか。深み
がなくなったと思うだろうか。一年前の文章と比較して、どうだろうか。つまらなくなったと思うだ
ろうか。もしこれからも、このマガジンを読んでくださるようなら、そういうことも注意して読んでく
ださると、うれしい。
(02−10−25)※

(付記)
 私の近所に、夫も妻も、同時に、同じようにボケてしまった人がいる。その会話をワイフが聞
いてきた。実にユニークな会話だったそうだ。夫は、勝手に山の話をしていた。妻は勝手に海
の話をしていた。しかし不思議なことに、たがいに結構、会話になっていたそうだ。「私たち夫
婦の近未来像よ」と、ワイフは笑っていた。

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子育て随筆byはやし浩司(225)

トラウマ(精神的外傷)

 心にフタ(lid)をしてはいけない。フタをすれば、その心は行き場をなくし、やがて心そのものを
ゆがめる。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856―1939、オーストリアの心理学者)は、
それをネズミの穴にたとえて言った。「カワネズミの入り口をふさげば、そのカワネズミは、また
別の穴から出てくる。(抑圧された)潜在意識は、別の形となって、その人の心を裏から操(あ
やつ)る」と。

 そこでフロイトは、そのフタを取り除くために、まず患者自身に、思いつくままを話させた。こ
れがよく知られている、「自由連想法」(free association)という手法である。これは患者をリラッ
クスした状態におき、患者に自由にしゃべらせることにより、その話の内容から、患者の心理
状態をさぐるという方法である。フロイトは、ささいなことも、不愉快なことも、さらには恥ずかし
いようなことも、すべてしゃべらせた。そして患者の心をふさいでいる「フタ」が何であるかを知
ろうとした。たとえばノイローゼ患者がいる。このタイプの患者は、自分の心をふさぐ「不愉快な
こと」(unpleasant thing)を、取り去ろうともがくことによって、ノイローゼ状態になることが知られ
ている。問題は不愉快なことがあることではなく、どうしてそれを不愉快に思うか、である。その
思いを封じ込めてしまっているのが、ここでいう「フタ」である。

人間の心は一見複雑のようで、単純。単純のようで、複雑。私は幼児を教えるようになって、い
つしか、幼児には、大声で話させる訓練をするようになった。レッスンが始まると、最初の五〜
一〇分は、とにかく大声を出させるようにしている。つまりこうすることで、まず子どもの心を解
放させる。フロイトの言葉を借りるなら、「フタを取る」ということになる。この方法を用いると、簡
単な情緒障害なら、その場でなおってしまう。「治る」という言葉は使えないので、あえて、「なお
る」とするが、それに近い状態になる。そして子どもの心は一度、解放させてあげると、あとは
自らの力で、前に伸びていく。

 さて、その「自由連想法」だが、実のところ、これを自分でするのは、むずかしい。何人かの
高校生に試してもらったが、なれないうちは、「何を思うの?」「どうすればいいの?」という質問
が出てくる。私も自分でしてみたが、「思い」というのは、なかなか形になって出てこない。そこで
私なりに方法を変えてみた。何かマイナスの思い出がトラウマ(trauma、精神的外傷)の原因
になることが多いので、それについて、簡単な作文を書かせてみた。読者の方も、一度、自分
を試してみるとよい。これはいわば、私が考えた「作文連想法」ということになる。

(質問1) 今までで一番、つらかったことを、三つ書きなさい。
(質問2) 今までで一番。悲しかったことを、三つ書きなさい。
(質問3) 今、一番、嫌いなものを、三つ書きなさい。
(質問4) どんなタイプの人間が一番嫌いか、その特徴を三つ書きなさい。
(質問5) 今、一番したくないことを、三つ書きなさい。
(質問6) 今、一番心をふさいでいる問題を、三つ書きなさい。
(質問7) 自分のことで、一番いやだと思っているところを三つ書きなさい。
(質問8) 今までで一番、こわかったことを三つ書きなさい。
(質問9) 将来、自分のことで、そうであってほしくないことを三つ書きなさい。
(質問10)今、一番、苦手と思い、避けたいと思っていることを三つ書きなさい。

 この質問、正直に答えてみてほしい。そして、答の中に、ある共通点を見出したら、今度はそ
の理由を考えてみる。「なぜ、そうなのか」「なぜ、そうなったのか」と。そのときその原因を、で
きるだけ自分の過去に求めてみるとよい。それがあなたのトラウマということになる。

 ただここで注意しなければならないのは、ほとんど、どの人も、トラウマの一つや二つはもっ
ているということ。あるいはもっと、もっている。トラウマのない人はいない。だからトラウマがあ
ることが問題ではない。問題は、そういうトラウマがあることに気づかず、それに振りまわされ
ること。そして同じパターンで、同じ失敗を繰り返すこと。言いかえると、もしあなたが子育てを
していて、いつも同じパターンで、同じような失敗を繰りかえすというのであれば、このトラウマ
を疑ってみる。虐待にしても、暴力にしても、あるいは育児拒否にしても、だ。さらに夫婦不仲、
夫婦げんか、近隣との騒動などなど。そしてそれを知るための一つの方法が、ここでいう、「作
文連想法」である。

 そしてこのトラウマというのは、おもしろい性質をもっている。つまりそれが何であるかわから
ない間は、いつまでもあなたを裏から操る。が、ひとたびわかってしまうと、消えることはないに
しても、心のスミに、なりを潜めてしまう。そしてそのあと多少時間はかかるが、やがて問題は
解決する。そういう意味で、自分のトラウマが何であるかを知るのは、とても大切なことである。

ちなみに、私もこの質問に答えてみた。

(質問1) 今までで一番、つらかったことを、三つ書きなさい。
         父が酒を飲んで暴れたこと。
XXXXX(Secret)。
若いとき恋人と別れたこと。

(質問2) 今までで一番。悲しかったことを、三つ書きなさい。
         信じていたXXに裏切られ、だまされたこと。
         親友を、私の不用意な言葉で失ったこと。
         XXXXXX(Secret)

(質問3) 今、一番、嫌いなものを、三つ書きなさい。
         ウソ
         世間体
         酒
 
(質問4) どんなタイプの人間が一番嫌いか、その特徴を三つ書きなさい。
         XXXタイプの人間。
         だらしなく、XXXXの人間、
         ギャーギャーと騒ぐ軽薄な人間、。

(質問5) 今、一番したくないことを、三つ書きなさい。
         XXXへ、行くこと。
         人にへつらうこと。
         飛行機に乗ること。

(質問6) 今、一番心をふさいでいる問題を、三つ書きなさい。
         XXの問題。
         環境問題。
         将来への不安。

(質問7) 自分のことで、一番いやだと思っているところを三つ書きなさい。
         XXがあること。
         自分をごまかすこと。
         XXXXX(Secret)。
        
(質問8) 今までで一番、こわかったことを三つ書きなさい。
         父が酒を飲んで暴れたときの夜。
飛行機事故。
         アメリカへ、02年10月に行ったときのこと。
         
(質問9) 将来、自分のことで、そうであってほしくないことを三つ書きなさい。
         孤独死。
         絶望。
         ムダ死。
 
(質問10)今、一番、苦手と思い、避けたいと思っていることを三つ書きなさい。
         飛行機に乗ること。
         XXXXX(Secret)
         無一文になること。

 自分の回答を読んでも、何となくどこにトラウマがあるか、わかるような気がする。そしてそれ
が今まで、私の心を裏から操ってきた。それが何となくわかるような気がする。正確なものでは
ないかもしれないが、自己分析のためには、役立つかもしれない。
(02−10−25)※

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子育て随筆byはやし浩司(226)

日本の常識、世界の非常識

●国あっての国民?
 国あっての国民なのか。国民あっての国なのか。この議論とよく似ているのが、これ。学校あ
っての生徒なのか。生徒あっての学校なのか。

 日本では、そして北朝鮮でも、国あっての国民と考える。だから教育も、学校あっての生徒と
考える。国民も生徒も、「国の財産」という考え方である。だから国民が、国の方針にたてつくな
どということは、ありえない。その色彩が色濃く残っているのが、実は教育の世界である。

 あなたは一度だって、親として、子どもが通う学校のカリキュラムについて、学校に要望を出
したことがあるだろうか。全国の学校で、親が要望したカリキュラムが、一度だって、通ったこと
があるだろうか。答は、ノー。日本中の親たちは、そして子どもたちは、ただひたすら上(文部
科学省)から言われるまま、それに従順に従っている。しかし、これこそ、まさに世界の非常
識。

 アメリカでは、公立学校でも、各学校が独自で、親と相談して、カリキュラムを編成している。
学年の編成すら自由で、たとえば「うちの小学校は四歳児からの、プレスクール学級もありま
す」「うちの小学校は、小学二年(grade 2)までです」というような学校にすることもできる。PTA
という組織は、そのためにある。もちろんPTAという組織には、教師の任命権、罷免(ひめん)
権も、ある。そういうのが当たり前の世界から見れば、日本の教育は、何と遅れていることか。
大半の日本人は、「私たちは北朝鮮とは違う」と思っているが、世界的な視野から見れば、日
本も北朝鮮も同じ。

●不登校児は悪?
 文部科学省は、「不登校児解消運動」なるものを始めた。すでにいくつかの都道府県(埼玉
県など)が、それに呼応した動きを見せている。たとえば一部の中学校教員を小学校に転任し
てもらうなど。こうすれば「進学先の中学校に、知った先生がいれば、スムーズに中学校生活
になじめる」(埼玉県県教育委員会教育課)と。しかし、その大前提として、どうして不登校児が
悪なのか。

 これもアメリカの例だが、いわゆる学校へ行かないで、自宅で学習する子どもが、〇一年末
には、二〇〇万人(九七年には、一〇〇万人)を超えたと推定されている。日本流に言えば、
「不登校児」ということになるが、日本でいう不登校児ではない。「真に自由な教育は家庭でこ
そできる」という理念が、そこにある。「自由に学ぶ」(LIF)という組織が出しているパンフレット
には、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、つぎのようにある(K・M・バンデ
ィ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、
国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事
的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、つぎのように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率
はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所シス
テムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべき
ではないのか」と(以上、要約)。

●現状に合わせるアメリカ
 ここからがアメリカのおもしろいところで、こうした「動き」を悪と決めてかかるのではなく、こう
した実情にあわせて、それぞれの州政府は、希望する親や子どもには、カウンセラーや教師ま
で派遣している。ウソではない。私の義理の娘の母親(アメリカ人教師)は、その仕事をしてい
る。さらに各地のホームスクーラーが集まり、会を開いたり、合同で旅行会を開いたり、勉強会
を開いている。私とワイフが前回(〇一年一〇月)にアメリカへ行ったときも、たまたま児童館
で、そういうグループと行きあった。その楽しそうな姿を見たとき、彼らの教育観は、日本人の
それとまったく異質のものであることを、思い知らされた。

 何でも一つの型にあてはめようとする、日本の教育。それが「不登校児ゼロ運動」。一方、現
状を受け入れ、それに合った形の教育を用意しようとする、アメリカの教育。もちろんアメリカ
の教育にも、いろいろな問題点はある。しかし基本となる発想、そのものが違う。つぎの原稿
は、こうした違いをテーマにして書いた原稿(中日新聞で発表済み)である。

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●学校は人間選別機関? 

 アメリカでは、先生が、「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそれに喜んで
従う。「喜んで」だ。あるいは子どもの勉強がおくれがちになると、親のほうから、「落第させてく
れ」と頼みに行くケースも多い。これはウソでも誇張でもない。事実だ。そういうとき親は、「その
ほうが、子どものためになる」と判断する。が、この日本では、そうはいかない。先日もある親
から、こんな相談があった。何でもその子ども(小二女児)が、担任の先生から、なかよし学級
(養護学級)を勧められているというのだ。それで「どうしたらいいか」と。

 日本の教育は、伝統的に人間選別が柱になっている。それを学歴制度や学校神話が、側面
から支えてきた。今も、支えている。だから親は「子どもがコースからはずれること」イコール、
「落ちこぼれ」ととらえる。しかしこれは親にとっては、恐怖以外、何ものでもない。その相談し
てきた人も、電話口の向こうでオイオイと泣いていた。

 少し話はそれるが、たまたまテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた(九九年
春)。ある人がニュージーランドの小学校を訪問したときのことである。その小学校では、その
年から、手話を教えるようになった。壁にズラリと張られた手話の絵を見ながら、その人が「ど
うして手話の勉強をするのですか」と聞くと、女性の校長はこう言った。「もうすぐ聴力に障害の
ある子どもが、(一年生となって)入学してくるからです」と。

 こういう「やさしさ」を、欧米の人は知っている。知っているからこそ、「落第させましょう」と言
われても、気にしない。そこで私はここに書いていることを確認するため、浜松市に住んでいる
アメリカ人の友人に電話をしてみた。彼は日本へくる前、高校の教師を三〇年間、勤めてい
た。

 私「日本では、身体に障害のある子どもは、別の施設で教えることになっている。アメリカで
はどうか?」
友「どうして、別の施設に入れなければならないのか」
私「アメリカでは、そういう子どもが、入学を希望してきたらどうするか」
友「歓迎される」
私「歓迎される?」
友「もちろん歓迎される」
私「知的な障害のある子どもはどうか」
友「別のクラスが用意される」
私「親や子どもは、そこへ入ることをいやがらないか」友「どうして、いやがらなければならない
のか?」と。

そう言えば、アメリカでもオーストラリアでも、学校の校舎そのものがすべて、完全なバリアフリ
ー(段差なし)になっている。

 同じ教育といいながら、アメリカと日本では、とらえ方に天と地ほどの開きがある。こういう事
実をふまえながら、そのアメリカ人はこう結んだ。「日本の教育はなぜ、そんなに遅れているの
か?」と。

 私はその相談してきた人に、「あくまでもお子さんを主体に考えましょう」とだけ言った。それ
以上のことも、またそれ以下のことも、私には言えなかった。しかしこれだけはここに書ける。
日本の教育が世界の最高水準にあると考えるのは、幻想でしかない。日本の教育は、基本的
な部分で、どこか狂っている。それだけのことだ。

+++++++++++++++++++++++

●教育の世界は、戦前のまま
 こう書くからといって、私は何も、学校教育を否定しているのではない。ここにも書いたよう
に、アメリカの教育にも、いろいろな問題点がある。一方、日本の教育にも、すぐれた面があ
る。それは認める。しかし私がここで問題としたいのは、「自由への発想」である。「日本は自由
の国だ」とは言うが、本当に自由な国なのか。自由な国と思い込まされているだけではないの
か。あるいは本物の自由を、本当に知っているのか。

今、ほとんどの日本人は、あの北朝鮮を見ながら、「私たち日本人は、違う」と思っている。しか
しあの北朝鮮ほど、戦前の日本を思い起こさせる国はない。戦前の日本、そのままと言っても
よい。言いかえると、戦後私たち日本人は、一度だって、あの戦前の日本を、歴史の中で清算
したことがあるのかということになる。それがない以上、日本人の生活のあらゆる場面に、「戦
前」が残っていても、おかしくない。少なくとも、欧米の人から見れば、日本も北朝鮮も区別でき
ない。

 民あっての国。それが民主主義の考え方の根幹ではないのか。同じように、教育の世界も、
生徒あっての学校。その学校が旧態依然のままで、どうしてこの国に、民主主義が根づくとい
うのだろうか。
(02−10−26)※

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子育て随筆byはやし浩司(227)

子どものクイズ

 英語には、クイズのほか、「リドル」と呼ばれる、なぞかけ問題がある。こんなのがある。私が
もう三〇年以上も前から知っているので、こうして転載しても、著作権の問題はないと思う。

●ジョンは、14歳です。生まれてから今までに、誕生日(バースディ)は、何回あったでしょう
か。

●ある月は、30日あります。またある月は、31日あります。では、28日がある月は、一年に、
何回あるでしょうか。

●デニスは、シドニーで死にました。ではどうして、彼は、メルボルンで埋めてもらえないのでし
ょうか。

●ここに5個のリンゴがあります。3個取ると、今、もっているのは、何個でしょうか。

●レモンを、メロンに変えるには、どうしたらいいでしょうか。

上の問題の答は、つぎのとおり。

○1回。だれも、誕生した日は、1回しかない。
○12回(か月)。どの月にも、28日があるから。
○デニスは、もう死んでいて、自分の気持ちを言うことができないから。
○3個。3個手に取った(TAKE)したから、手にもっているのは、3個。
○L・E・M・O・N(レモン)の文字を並びかえると、M・E・L・O・N(メロン)になる。

さて、あなたは何問正解しただろうか。意外と、子どものほうが、正解率が高いかも?
(02−10−26)※

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子育て随筆byはやし浩司(228)

子どもの自殺

ある母親が、こんな相談をしてきた。「うちの子(小五女児)は、何かあると、すぐ、死ぬ、死ぬと
言います。こういうとき、どうしたらいいでしょうか」と。しかし「死ぬ、死ぬ」と言う子どもにかぎっ
て死なない。七歳以下の子どもには、まだ「死」は理解できない。また日本では一二歳以下の
自殺は、きわめてマレで、あなたの身辺では、まず、ないとみる。しかし一二歳をすぎたら、要
注意。

 私が経験した事例の中で強く印象が残っているケースは、高校三年生(当時)の女子だっ
た。私の家の近所に住む高校生で、学校へは通わず、中学二年のときから、高校三年になる
まで、私のところで勉強していた。その女子が急に変わったのは、中学三年になってからだっ
た。

 ある日、私にこんなことを言った。「先生、私、明日、学校へ行く途中に、交通事故を起こす」
と。そこで私が、「どうして明日のことがわかるのか」と聞くと、「私には自分の未来が見える」
と。
 
 その翌日、本当にその女子は、交通事故を起こした。話を聞くと、道路のスミを自転車で走っ
ていて、体ごとブロック塀にぶつけたらしい。顔、腕、足とけがをしていたが、とくに顔がひどか
った。それ以後、奇異な言動が目立つようになった。たとえばこんなことも言った。「私は、今、
Aさん(友人)とBさん(友人)が、学校の校門のところに立って話をしているのが、聞こえる」と。
あるいは、「夜、寝ていると、星のひとつから、電波が送られてくる。ときどきそれが、人間の声
のように聞こえるときがある」と言ったこともある。

 一応、高校には入ったが、断続的に休むようになり、しばらくすると、ほとんど行かなくなって
しまった。母親から「家庭教師の回数をふやしてほしい」と頼まれ、それからは、週一回から、
週二、三回とふやした。医学的には、それなりの診断名がつき、「要治療」ということになるの
だが、私の前では、とくに変わったところはなかった。まあ、ふつうの女子高校生という感じだっ
た。たた、勉強といっても、大半は雑談ばかりだった。気分が変わりやすく、それに合わせるの
に苦労したことはある。

 そしてその女子が高校三年生になったとき、何が原因だったのかよく覚えていないが、私と
けんかになっていまい、そのまま私のところへこなくなってしまった。高校生のばあい、勉強す
るかどうかは、本人が決める。それでそのままにしておいたら、数か月後のこと。その女子は
手首を自ら切って自殺をはかったという。幸い、発見が早かったので、命には別状がなかった
が、しかしその事件のあとすぐ、家族ごとどこかへ引っ越してしまった。その女の子は、父親の
実家に預けられたということだったが、あるいは病院へ入院したのかもしれない。
 
 子どもの自殺には、一定の前兆があることが知られている。それをまとめると、つぎのように
なる。こうした前兆がみられたら、要注意。

● いつも何かに脅迫されている様子。強迫観念が強く、おぼえたり、不安になる。
●「死」について語ることが多く、自分なりの独自の考え方や概念をもっている。またそれにつ
いて書いたりする。
●近辺に自殺した人がいて、それを例として見ている。
●自分の自殺願望を、消滅させたり、発散する場所をもっていない。自分だけの世界に閉じこ
もりやすく、被害妄想をもちやすい。
●精神的な欠陥、情緒的な未熟性がある。
●薬物、アルコール、シンナー遊びなどの前歴がある。
●家族から孤立し、家族とも会話がない。あるいは家族との交流を自ら拒否する。
(01−10−26)※

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子育て随筆byはやし浩司(229)

本能

 性欲、食欲とならんで、子育て本能がある。たまたま昨夜、高校生たちと話していたら、少し
顔を赤らめながら、T君(高二)がこんなことを言った。

 「先生、授業中、女の人の裸ばかり、頭の中に浮かんできて、勉強に集中できないときがあ
るヨ〜」と。

 それを聞いて、ほかの数人も、笑いながら、「ぼくなんか、もっとひどい。トイレで小便できなく
なるときがある」とか、「図書館で女性の解剖図を見ただけで、歩けなくなってしまった」とか言
いだした。
 こういうのを性欲という。これがあるから、人間は、生殖活動をする。子孫をつぎの代に残す
ことができる。

 つぎの食欲は別にして、子育て本能。母親というのは、自分の赤ん坊が泣いたりすると、い
たたまれない気持ちになる。ある母親はこう言った。「自分の子どもの寝顔を見ていたら、かわ
いくて、そのまま食べたくなってしまったことがある」と。

 しかし誤解してはいけないのは、親だからみな、子育て本能があるかというと、そうではない
ということ。たとえば今、「子どもを愛することができない」「どうしても自分の子どもを好きにな
れない」と、人知れず悩んでいる母親は、七〜一〇%はいる※。また母性や父性は、本能とい
うより、学習によって身につく。だから不幸にして不幸な家庭に育った人は、どうしても子育て
がぎこちなくなる。それだけ「親像」のない人とみる。

 ところで子どもに、母性にせよ、父性にせよ、それが育っているかどうかを知りたければ、温
もりのある素材でできた、ぬいぐるみを与えてみれば、わかる。母性や父性が育っている子ど
もは、抱き方もじょうずで、さもいとおしいといった様子で、そのぬいぐるみを抱く。そうでない子
どもは、関心を示さないばかりか、中には放り投げて遊んだり、キックしたりする子どももいる。

 が、大半の人は、この子育て本能をもっている。そして子どもを育てる。しかし本能であるだ
けに、やっかいな面もある。そのひとつ。ときとして歯止めがきかなくなり、それにおぼれてしま
うことがある。日本ではこれを「溺愛」というが、英語では、「dotage」という。「dotage」には、「老
いぼれ、もうろく」という意味もある。一般には、「foolish affection」という。ズバリ「愚かな愛」と
いう意味である。

 要するに、本能に、おぼれてよいものは、何もない。だからあなたがもし、「うちの子はかわい
い」と思ったら、(思うことは悪いことではないが……)、それが愛によるものなのか、本能によ
るものなのかを自問してみるとよい。(自問しても、あまり意味はないが……。)そしてそれが本
能によるものだと感じたら、心のどこかでブレーキをかけるようにしてみるとよい。それはあな
たのためというより、あなたの子どものためである。
(02−10−26)※

(追記)男の性欲本能について。本能がアクティブのときは、男は、自分の意思でそうしている
と思い込む。自分が本能に操(あやつ)られているとは、思わない。しかし結局は、操られてい
る。男と女のドラマはこうして生まれるが、どうしてそうなのか。つまりどうして、操られていると、
わからないのか。その理由のひとつは、本能は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だからであ
る。知性や、理性が届く範囲の外にある。だから自分では操られているとは、思わない。

※……東京都精神医学総合研究所の調査によれば、自分の子どもを気が合わないと感じて
いる母親は、七%もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していること
がわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)という。

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子育て随筆byはやし浩司(230)

元気のない社会

●もうすぐ借金が1000兆円!
 このところ郊外の町や村へドライブに行くと、やたらと公共工事ばかりが、目立つ。そのほと
んどは、やらなくてもよいような工事ばかり。ゆるやかなS字カーブの上に、わざわざ橋をか
け、直線にしてみたり、昼間でもほとんど人が通らないような山道を、舗装しなおしたり……。
いったい、何の工事(?)と、首をかしげるようなものが多い。まさにお金の使い道に困ったあ
げくのはての工事ということか?

 しかしこんな愚かな工事ばかりしていれば、国の財政が破綻(はたん)して当然。いや、もうと
っくの昔に破綻している。毎年、毎年、国の借金は雪だるま式にふえ、もうすぐ、1000兆円と
いう、とほうもない額になる。国の年間の税収が、50兆円弱だから、1000兆円という金額が
どういう額だか、わかるはず。わかりやすく言えば、年収500万円の人が、1億円の借金をか
かえたのと同じ。そんな借金、逆立ちしたところで、返せるわけがない。

 あのバブル経済が崩壊したとき、すぐに日本は、手を打つべきだった。私の知人にこんな人
がいる。

●ある知人の例
 その人は最初、500万円の借金をした。駐車場をなおし、その上に長男の勉強部屋をつくる
ためだった。大金だったが、すでにそのとき、その人は会社を退職することを考えていた。その
退職金が、1200万円。

 が、ここでひとつミスをした。友人がおこした会社に、900万円の投資してしまった。退職後
は、その会社で、役員として迎えてもらうつもりだった。しかしやがてすぐ、900万円ではすまな
くなった。何だかんだと、出資額は、数か月後には、計1200万円になった。退職金は、すべて
その投資に回った。とたん、500万円の借金が返せなくなった。悲劇は、ここから始まる。

 その人は500万円の借金を返すため、毎月約5万円の返済をすることになったが、給料どこ
ろか、その出資会社の経営がなかなか軌道に乗らなかった。そこでその人は、サラ金に手を
出した。あとは、その繰り返し。結果的に、ちょうど一年後には、借金は4000万円になり、さら
にそのあと、一年半後には、1億3000万円になった!

 どうしてそういう額になったかについては、そのウラには、この世界独特のカラクリがある。ま
るでゴミにハエがたかるように、無数のサラ金会社がその人にとりついた。まだ土地や家がも
のを言う時代だった。言い忘れたがその人は、父親から受けついだ、土地と家をもっていた。
土地は90坪。浜松市内でも中心街に近かったので、評価額は、4000万円。が、その土地だ
けでは、とても1億3000万円にはとどかなかった。そこで最後は、お決まりの自己破産。

●もっと早く手を打つべきだった
 日本の経済も、これに似ている。よく「ゾンビのような会社」と言われるが、そういう会社がゴ
ロゴロしている。経済誌によると、株価が100円以下の会社は、そのゾンビ会社だと言われて
いる。いつ倒産してもおかしくないが、大きすぎてつぶすにつぶせない会社ということらしい。
が、どうして日本の経済が、ここまでこじれてしまったかといえば、先に書いた、「その人」に似
ている。500万円とか、1200万円という借金の段階で、手を打てば、土地と家を売る程度
で、まだカタがついた。おつりもあったから、生活には困らなかったはず。しかし無益にずるず
ると先延ばしにした。で、最終的には、1億3000万円に! 自己破産という、これまた不名誉
な結果になってしまった。

 日本が自己破産するのは、いつか? 明日か、来週か、それとも来月か? もう来年というこ
とはないかも。いや、今年も、あと2か月でおしまいということなら、来年の春くらいまではもつ
かも。しかしそれ以上は……?

 たまたま日本の経済が、安定しているように見えるのは、みんながセッコラセッコラと、タンス
預金をしているからだ。もしそのタンス預金が、一部でも流出し始めたら、あっという間に、日
本はインフレ。超インフレ。ハイパーインフレ! みんな明日がわからないから、お金を使わな
いでいるだけ。しかしこの状態も、いつまでつづくことやら?

●元気のない社会
 暗いことばかり書いたが、本当にこのところ、みんな元気がなくなってきた。私の近辺でも、
事務所を閉鎖したり、会社をたたむところがふえてきた。こうこうと光をつけ、車が頻繁出入り
するところが、ビデオショップや、進学塾では、話にならない。もうこうなると、道はただひとつ。
私たちは、やがて襲いくる大恐慌に、静かに耐えるしかない。長くて苦しい嵐になるだろうが、
じっとそれに耐えるしかない。その嵐が去ったとき、日本は、アジアでも、ごくふつうの国になっ
ているだろう。台湾や韓国より、そのときでも優位を保てると考えるのは、もう幻想でしかない。
すでに世界は、そういう方向で動いている。知らないのは、日本人だけ。

 たとえば2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。こ
の数はピーク時の約三分の一(90年は125社)。さらに2002年に入って、マクドナルド社や
スイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」と「コ
スト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳料だ
そうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かにつけ
て日本語に翻訳しなければならない。

 さらに昨年(01年)、ひさしぶりにアメリカへ行って驚いた。今、アメリカでは、日本の経済ニュ
ースは、シンガポール経由で入っている(NBC、CNNなど)。日本の経済ニュースは、一応トッ
プでは報じられているが、もうアジアの経済ニュースの一つにすぎない。また10年ほど前か
ら、ハーバード大学以下、日本語を学ぶ学生が急減し、かわって中国語がそれにとってかわっ
た。世界は、もう日本を見放したとみてよい。

 で、そのあと、問題は、日本が再生するかだが、もうそのチャンスはないだろう。そのことは
今の子どもたちを見ればわかる。少子化だけが問題ではない。今の子どもたちには、私たち
が子どものときもっていたような、元気は、もう、ない。つまり日本の未来を支える子どもたち自
身に、元気がない。日本の教育改革は、30年は遅れた。今ごろやっと重い腰をあげたところ
で、手遅れ。今の改革が成果を出すのは、早くて20年後。そのころ世界は、どこまで行ってい
ることやら? 

 本当なら、何か希望のもてることを書かねばならない。ダメだ、ダメだと書くくらいなら、だれ
にでもできる。またそれは評論をするものの書くことではない。それはわかる。しかし大切なこ
とは、まず現状認識をしっかりとすること。政治家も含めて、日本人は、その現状認識すらして
いないのでは? それでは今私たちがかかえる問題は、解決しない。
(02−10−26)※

(補足)現状認識をしていないという一例ですが、こんなニュースが報じられています(10−2
7、TBSより転載)。これだけ日本が、借金漬けになっているのに、まだ「道路!」とは。怒れる
よりも先に、あきれてしまいます。みなさんは、こういうおめでたい人たちを、どう思いますか?
●江藤氏、道路公団民営化反対を協調 
 自民党江藤派の江藤会長は、宮崎市内であいさつし「道路公団民営化に関する法律は、国
会でいっさい通さない」と述べ、民営化に反対する姿勢を改めて強調しました。

 「やるならやってみろ。約200本法律を作らなければ道路公団の民営化はできない。絶対通
さん、国会を」(自民党江藤派 江藤T会長)

 また橋本派の村岡会長代理も「民営化推進委員会の主張は、もう道路を造るなというに等し
い」と指摘し、推進委員会の方針に反対していく姿勢を鮮明にしました。(NEWS・i・TBS系
列・27日 )

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子育て随筆byはやし浩司(231)

私とは何か@

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないかと。よく
「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」なのか。手に
生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)がない。あるはずも
ない。ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。だから、「私の
顔」と言えなくもない。しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。しかしなぜ書くかといえば、それがわからない。
多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。それはサッカー選
手が、サッカーの試合をするのに似ている。本人は自分の意思で動いていると思っているかも
しれないが、実際には、その選手は「私」であって「私」でないものに、動かされているだけ? 
同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされているだけ
かもしれない。となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャックとローズを思
い浮かべてみよう。彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。そして数日のうち
に、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心をと
らえた。それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に翻弄(ほんろ
う)されただけかもしれない。電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意思というよりは、その
意思すらも支配する、本能によって引き起こされたと考えられる。いや、だいたい男と女の関
係は、すべてそうであると考えてよい。つまりジャックにしてもローズにしても、「私は私」と思っ
てそうしたかもしれないが、実はそうではなく、もっと別の力によって、そのように動かされただ
けということになる。このことは、子どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。この時期は、
乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。この時期をすぎると、子どもは
急に生意気になる。人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子はこういう子だ」
という、とらえどころができてくる。そのころから自意識による記憶も残るようになる。(それ以前
の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。これは野脳の中の、辺縁系にある海馬
という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆるふ
つうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。ここに書いた、貪欲さや闘争心
も、それに含まれる。嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。子ども一人ひとり
は、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し高い視点から見ると、どの子ど
もも、それほど変わらない。ある一定のワクの中で動いている。もちろん方向性が違うというこ
とはある。ある子どもは、作文で、あるいは別の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲
さや闘争心を、昇華させていく。反対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらに
は心をゆがめる子どももいる。しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうし
ているにすぎない。

 となると、私は、どうなのか。私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局はそのハ
バの中で踊らされているだけなのか。もっと言えば、私は私だと思っているが、本当に私は私
なのか。もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。ムダにした原稿も、もう
一〇枚(1600字x10枚)以上になる。どうやら、私はたいへんな問題にぶつかってしまったよ
うだ。手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。これから先、ゆっくりと時
間をかけて、この問題と取り組んでみたい。
(02−10−27)

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子育て随筆byはやし浩司(232)

私とは何かA

 たとえば腹が減る。すると私は立ちあがり、台所へでかけ、何かの食べ物をさがす。カップヌ
ードルか、パンか。

 そのとき、私は自分の意思で動いていると思うが、実際には、空腹という本能に命じられて、
そうしているだけ。つまり、それは、「私」ではない。

 さらに台所へ行って、何もなければどうする? サイフからいくらかのお金を取り出して、近く
のコンビニへ向かう。そしてそこで何かの食物を買う。これも、私であって、「私」ではない。だ
れでも多少形は違うだろうが、そういう状況に置かれた同じような行動をする。

 が、そのとき、お金がなかったどうする? 私は何かの仕事をして、そのお金を手に入れる。
となると、働くという行為も、これまた必然であって、やはり「私」でないということになる。

 こうして考えていくと、「私」と思っている大部分のものは、実は、「私」ではないことになる。そ
のことは、野山を飛びかうスズメを見ればわかる。

 北海道のスズメも、九州のスズメも、それほど姿や形は違わない。そしてどこでどう連絡しあ
っているのか、行動パターンもよく似ている。違いを見だすほうが、むずかしい。しかしどのスズ
メも、それぞれが別の行動をし、別の生活をしている。スズメにはそういう意識はないだろう
が、恐らくスズメも、もし言葉をもっているなら、こう考えるだろう。「私は私よ」と。

 ……と考えて、もう一度、人間に戻る。そしてこう考える。私たちは、何をもって、「私」というの
か、と。

 街を歩きながら、若い人たちの会話に耳を傾ける。たまたま今日は日曜日で、広場には楽器
をもった人たちが集まっている。ふと、「場違いなところへきたな」と思うほど、まわりは若さで華
やいでいる。

「Aさん、今、どうしてる?」
「ああ、多分、今日、来てくれるわ」
「ああ、そう……」と。

 楽器とアンプをつなぎながら、そんな会話をしている。しかしそれは言葉という道具を使って、
コミュニケーションしているにすぎない。もっと言えば、スズメがチッチッと鳴きあうのと、それほ
ど、違わない。本人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」ではない。

 私が私であるためには、私を動かす、その裏にあるものを超えなければならない。その裏に
あるものを、超えたとき、私は私となる。

 ここまで書いて、私はワイフに相談した。「その裏になるものというのを、どう表現したらいい
のかね」と。本能ではおかしい。潜在意識では、もっとおかしい。私たちを、その裏から基本的
に操っているもの。それは何か。ワイフは、「さあねエ……。何か、新しい言葉をつくらないとい
けないね」と。

 ひとつのヒントが、コンピュータにあった。コンピュータには、OSと呼ばれる部分がある。「オ
ペレーティングシステム」のことだが、日本語では、「基本ソフト」という。いわばコンピュータの
ハードウエアと、その上で動くソフトウエアを総合的に管理するプログラムと考えるとわかりや
すい。コンピュータというのは、いわば、スイッチのかたまりにすぎない。そのスイッチを機能的
に動かすのが、OSということになる。人間の脳にある神経細胞からのびる無数のシナプスも、
このスイッチにたいへんよく似ている。

 そこで人間の脳にも、そのスイッチを統合するようなシステムがあるとするなら、「脳のOS」と
表現できる。つまり私たちは、意識するとしないにかかわらず、その脳のOSに支配され、その
範囲で行動している。つまりその範囲で行動している間は、「私」ではない。

 では、どうすれば、私は、自分自身の脳のOSを超えることができるか。その前に、それは可
能なのか。可能だとするなら、方法はあるのか。

 たまたま私は、「私」という問題にぶつかってしまったが、この問題は、本当に大きい。のんび
りと山の散歩道を歩いていたら、突然、道をふさぐ、巨大な岩石に行き当たったような感じだ。
とても今日だけでは、考えられそうもない。このつづきは、一度、頭を冷やしてから考える。
(02−10−27)※

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子育て随筆byはやし浩司(233)

私とは何かB

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。スパルタの七賢人の一人
のキロンも、『汝自身を知れ』と言っている。自分を知ることが、哲学の究極の目的というわけ
だ。ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623−62)も、『パンセ』の
中で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。別のところでは、「思考が人間の偉大さをなす」
ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。この言葉は、釈迦
が説いた、「精進」という言葉に共通する。精進というのは、「一心に仏道に修行すること。ひた
すら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。釈迦は「死ぬまで精進しろ。そ
れが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。つまり「私」というのは、その「考える部分」ということになる。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。そんなある日、一人の事業家がやってきて、あなたの
目の前に大金を積んで、こう言ったとする。「今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)をはかっ
てほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こう言うに
ちがいない。「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。そこであなたという政治家
が、人間であるためには、考えなければならない。考えて、脳のOSの外に出なくてはいけな
い。そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」と言って、そのお金を
つき返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こる。
そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はないことになる。
しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」があることにな
る。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。考えるといっても、あまりにも漠然(ばくぜん)
としている。つかみどころがない。考えというのは、方法をまちがえると、ループ状態に入ってし
まう。同じことを繰り返し考えたりする。いくら考えても、同じことを繰り返し考えるというのであ
れば、それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。そのヒントとなった
のが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533−92)の『随想録』である。彼は、こう書いてい
る。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたことがない」
と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。そのために「書く」というこ
とか。私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。もちろんこれは私の方
法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかしくない。しかしあえて言
うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考えることができる。書くことイコー
ル、考えることと言ってもよい。

 「私」が私であるためには、考えること。そしてその考えるためには、書くこと。今のところ、そ
れが私の結論ということになるが、昨年(〇一年)、こんなエッセーを書いた。中日新聞で掲載
してもらった、『子どもの世界』(タイトル)で、最後を飾った記事である。書いたのは、ちょうど一
年前だが、ここに書いた気持ちは、今も、まったく変わっていない。
(02−10−27)※

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「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届
けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意
地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうな
るか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子
育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うの
は、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなものだ。読者の顔が見えない。反応もわか
らない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人
だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気
分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリン
グな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないです
が、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが
多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、
「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみた
い。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれ
ない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があ
ると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあ
がる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま
読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさ
ます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、
長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。 

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子育て随筆byはやし浩司(234)

本能

 本能に、自らブレーキをかけることは可能なのか。……と、ときどき、そんなことを考える。こ
んな事件が、ずいぶんと前だが、私の近辺であった。

 一人の中学生(中二男子)がいた。学校では、そして家の中でも、借りてきたネコの子のよう
におとなしい子どもだった。その子どもが、近くの公園で、幼女に性的ないたずらを繰り返して
いたというのだ。

 こうした事件は珍しくないが、しかしその男子の話を聞いて驚いたのは、その手口というか、
方法だった。実にこまめに、しかも周到に準備して、幼女に近づいていたということ。それこそ
一日の大半を、その行為のために準備していた。幼女の好きそうなものを買ったり、作ったり
するなど。

 つぎにその男子で驚いたのは、だれが聞いても、「まさか!」と言うような男子だったというこ
と。おとなしいだけではなく、ひ弱で、どこかナヨナヨした感じの子どもだった。近所での評判
は、「静かで、穏やかな感じの子」ということだった。

 私はこの事件を知ってから、本能(本能にもいろいろあるが……)は、その人の人格や知性
とは切り離して考えるべきだと思うようになった。外見からは判断できないし、人格や知性でコ
ントロールできる範囲の、その外の世界にある、と。

 実のところ、これは私の意見ということになるが、この年齢になって、つまり満五五歳になっ
て、やっと本能をコントロールすることができるようになった。しかしその私が、三〇代や四〇
代のころ、それができたかどうかと聞かれれば、答はノーである。ある時期は、「コントロール
するほうが、おかしい」と居直ったことがある。いわんや二〇代のころには、不可能だった。私
がよく覚えているのは、大学二年生か三年生のころだったが、街を歩いていて、前を歩く若い
女性の足を見ただけで発情してしまい、歩けなくなってしまったことがある。

 当時の私は、それを「異常なことだ」と思い込み、かなり深刻に悩んだ覚えがある。しかし今
から思えば、異常でも何でもない。それは若い男の、むしろ自然な現象だったのだ。

 で、ここから先は性教育ということになるが、本能とは、そういうものであるという前提で、子ど
もの性の問題は考えたらよい。この問題だけは、人格や知性の外にある。また人格や知性だ
けでは、どうにもならない。少し飛躍した例だが、これだけエイズが騒がれていても、エイズ(HI
V)の陽性者は増える一方である。あるアメリカの大学(A州・H州立大学)のフットボールチー
ムの学生六〇人を調べてみたら、何と、そのうちの一五人が、陽性だったという報告もある。
わかっていても、そして警戒していても、そうなのだ。

 本能については、また別の機会に考えてみる。今のところ私の結論は、「若い人が、本能に
自らブレーキをかけることは、不可能」ということになる。またそういう前提で、この問題は考え
る必要がある。もっとはっきり言えば、道徳や倫理で、子どもの性を抑制しようとしても、ムダと
いうこと。子どもの性教育を考えるときは、もっと別の視点で考えるべきではないか。
(02−10−27)※

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子育て随筆byはやし浩司(235)

本は抱いて読む

 子どもに何かを教えるときは、「どこまで覚えたか」「どこまでできるようになったか」ではなく、
「どう楽しんだか」を大切にする。そうした「思い」が、子どもを前向きに伸ばす。

 たとえば子どもに本を読んであげるときも、まず子どもをひざに抱き、親の温かい息を吹きか
けながら読んであげる。その時期は、早ければ早いほどよい。期間は、長ければ長いほどよ
い。そういう経験をとおして、子どもは、「文字は温かい」「文字は楽しい」という思いを、自分の
中につくることができる。そしてそれが、子どもを前向きにひっぱっていく、原動力になる。

 今、年中児(満五歳児)でも、「名前を書いてみようね」と声をかけただけで、体をこわばらせ
る子どもが、二〇%はいる。中には、鉛筆をもたせただけで、涙ぐんでしまう子どもがいる。さ
らにやっと書かせても、一筆ごとに、「これでいいの?」「これでいいの?」と聞いてくる子どもが
いる。文字に対して何らかの恐怖心をもっている子どもとみてよい。しかし幼児期に一度、こう
いう症状を示すようになると、それをなおすのは、容易ではない。(逃げる)→(ますます苦手に
なる)の悪循環の中で、その子どもは、ますます文字嫌いになる。

 私の印象に残っている子ども(女の双子の姉妹)に、こんな子どもがいた。私がクヨヨンと紙
を渡して、「好きな絵を描いてごらん」と促したときのこと。言えば言うほど、体をこわばらせてし
まうのだ。絵に対して、特別な思いがあることがわかった。そこで後日、その子どもの母親と話
す機会があったので、理由を聞くと、こう教えてくれた。

 その子どもの家は、市内でも昔からある料亭で、祖母が、「家が汚れるから」という理由で、
いっさい、クレヨンを使わせないというのだ。一度は、そのクレヨンで壁をよごし、祖母にはげし
く叱られたこともあるという。

 子どもに何かを教えたあとは、子どもがどのような反応を示すか、静かに観察してみるとよ
い。「もっとしたい!」とか、「もう終わるの!」とか、子どもが言えば、そのレッスンは、大成功
だったということになる。
(02−10−27)※

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子育て随筆byはやし浩司(236)

本物を与える

 子どもに見せたり、聞かせたり、与えたりするものは、本物をこころがける。実際にはなかな
かむずかしいことだが、努めてそうする。絵画でも音楽でも、はたまた食べるものでも……。

 今、この世の中、あまりにも、ニセモノが多すぎる。子どもたちは、そういうニセモノを見なが
ら、その上で、自分の人生を組み立ててしまう。小ずるく生きていくには、手っ取り早い方法だ
が、しかしその分、人生そのものをムダにする。

 先日も、高校生たちを対象に、一番理想的な父親像についての調査があった(某、新聞
社)。結果、タレントのX氏が選ばれていた。見るからに軽薄な、テレビのバラエティ番組の中で
は、ギャグばかり飛ばしている男である。「どこに知性があるの?」と、疑いたくなるような男で
ある。しかしこうした調査をみて、そのX氏が、若者に一番支持されていると考えるのは、まち
がい。こういうことだ。

 仮に、X氏を10人のうち、1人が支持し、9人が支持しなかったとする。しかしもしそのX氏
が、テレビか何かのマスコミを通して、全国、500万人の若者に知られているとするなら、50
万票を獲得することになる。

 一方、A氏がいる。かれは10人のうち、9人の人に支持されているとする。しかし彼はマスコ
ミにはほとんど顔を出さない。知名度が、1%とすると、A氏を知っている人は、若者の中でも、
5万人だけということになる。つまり5万人掛ける0・9で、支持者はそれでも、4・5万票にすぎ
ない。要するに、こうした調査は、知名度の問題であって、支持されているとか、されていないと
かいうこととは関係ない。はっきり言って、こういう調査そのものに意味がない。ないばかりか、
かえって誤解を招く。

 が、この日本。知名度ばかりが先行し、知名度があることイコール、支持されているイコー
ル、正しいという評価がくだされる。中身など、ほとんど関係ない。また中身など、見ない。もと
もと本物とニセモノを見分けることすらすらしない。だから愚にもつかないような、見るからにIQ
(知的品性)の低そうなタレントを、すばらしい人と思い込んでしまう。またそういうタレントを、理
想の人物と思い込んでしまう。若者たちの未来に与える影響を考えるなら、これほど悲劇的な
ことはない。

 今の子どもたちは、芸術家たちが苦しんで書くような大作よりも、薄暗いマンションのスミで、
コソコソと描いたようなアニメのほうがすばらしいという。何年もかけて技術をみがいて歌う歌
手の歌よりも、音がズレたような音楽のほうが、すばらしいという。母親が手をかけ、コツコツと
つくった料理よりも、ファーストフードの店で出される料理のほうが、おいしいという。

 ニセモノに染まれば染まるほど、当然のことながら、本物が見えなくなる。しかしそれは同時
に、ムダな回り道をすることになる。いつかその子どもがそれに気づけばよいが、でないと、回
り道をしたまま、人生を終えることになる。実際、そういう人は多い。いや、回り道をしたことす
ら気づかない。気づかないまま。人生を終える人も、同じくらい多い。
(02−10−28)※

(追記)先ごろ、未成年の愛人と密会していたところをフォーカスされた、人間国宝の人物がい
た。妻が大臣ということもあったのだろう。ホテルのドアのところで、チンチンを見せて愛人と別
れる写真が掲載され、問題になった。しかしその後、その人物が、人間国宝の肩書きを返上し
たという話は聞いていない。(あるいはしたのかも?)さらにそういう人物を人間国宝に指定し
た人たちの責任問題は、いっさい、追及されていない。ここに日本のマスコミ社会のおかしさ
が、集約されている。私たち自身が、たとえ大きな川の中でも、その川底に根を張るようなこと
をしないと、その川に流されるままになり、結局は、自分を見失うことになる。

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子育て随筆byはやし浩司(237)

子育て段階論

●『まいた種のものしか、実はならない』
 『まいた種のものしか、実はならない』は、イギリスの格言。日本でも同じように、『蛙(かわ
ず)の子は、蛙』とか、『ウリのツルに、ナスビはならぬ』とかいう。

 こう書くと、『トビがタカを生む』とか、『青は藍(あい)より出でて、藍より青し』とも言うではない
かと言う人もいる。まあ、そういうことも、たまにはあるが、しかしふつうは、『まいた種のものし
か、実はならない』。

 子育ては、つぎの四つの時期に分けて考えるとよい。

●子育て段階論
(第一期)(夢と希望の時期)……乳幼児期から小学校入学前までの時期をいう。この時期は、
親は、子どもにかぎりない夢や希望を託す。それが悪いというのではない。この夢や希望があ
るから、子育てもまた楽しい。少しボールを蹴っただけで、「将来は、サッカー選手に」、少しお
もちゃのピアノの鍵盤をたたいただけ、「将来は、ショパンコンクールに」と親は考える。

 しかしこの時期、それが過剰期待になってはいけない。親の夢や期待が過剰になればなる
ほど、子どもにとっては、重荷になる。その重荷が、子どもの伸びる芽すら、押しつぶしてしま
う。

 またこの時期、子どもの得意分野と不得意分野が、少しずつ分かれ始める。そのときコツ
は、不得意分野をどうこうしようと考えるのではなく、得意分野をより伸ばすようにすること。そ
れを「一芸」というが、子どもの一芸は大切にする。中には、「勉強一本!」という子どももいる
が、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、坂をころげ落ちるかのように成績がさが
る。だから子どもの一芸は大切にする。子どもを側面からささえるのみならず、生来の仕事に
つながることも多い。さらに時期、才能の芽が見えてくるが、その才能は、つくるものではなく、
見つけるもの。無理につくろうとしても、たいてい失敗する。

 ときに戦場のようにもなり、イライラすることも多い。あたふたとするうちに、その日が終わっ
たというようにして、日々はすぎていく。

(第二期)(落胆と抵抗の時期)……子どもが小学校へ入ってから、受験勉強に入るまでの時
期をいう。この時期、親は、そのつど落胆を味わいながらも、それに抵抗する。子どものできが
悪かったりすると、「そんなハズはない」「うちの子はやればできるハズ」と、考える。たまによい
成績をとってきたりすると、「やっぱりそうだった」と、自分を納得させる。

 この時期は、親の方にも、心の余裕ができる時期でもある。乳幼児期の雑務から解放され、
子育ても一段落する。親が再び活動的になり、外に目を向けるようになる。またこの時期は、
子どもがちょうど親離れする時期に重なる。が、それに合わせて親も子離れをすればよいが、
それがむずかしい。親は自分から離れていく子どもを、一方で喜びながら、一方でさみしく思っ
たりする。親自身の心も、この時期、揺れ動く。

 日々はそのつど平凡に流れる。朝、起きると子どもがそこにいる。私もそこにいる。子どもは
子どもで、勝手なことをし、親は親で勝手なことをする。そんな感じで流れる。しかしこの時期、
子どもは、それまで親がもっていた夢や希望を、ちょうどキャベツの葉のように、一枚ずつはぎ
取りながら成長していく。

(第三期)(地獄と絶望の時期)……子どもが受験期を迎え、受験の結果が、出されるまでの時
期をいう。この時期、親は無意識のうちにも、自分の受験時代を再現する。選別されるという
恐怖、将来への不安。もっとも親がそれを感ずるのは、親の勝手。しかしそれを子どもにぶつ
けてはいけない。が、たいていの親は、その恐怖や不安を、子どもにぶつけてしまう。「もっと勉
強しなさい!」「こんな成績では、いい中学に入れないでしょ!」と。

 この時期以前は、日本のばあい、親子関係が外国のそれとくらべても、とくに悪いということ
はない。しかしこの時期を境に、日本では、親子関係は急速に悪化する。最初は小さなキレツ
だが、それがやがて断絶へと進む。今、中学生でも高校生でも、たがいに信頼しあい、慰めあ
い、助けあっている親子など、さがさなければならないほど、少ない。その原因がすべてこの受
験勉強にあるとは言えないが、受験勉強が原因でないとは、もっと言えない。

 が、それだけではすまない。この「受験」には、恐ろしいほどの魔力が潜んでいる。それまで
は美しく、どこか華やいでいた母親も、この時期に入ると、血相が変わってくる。子どものテスト
週間になっただけで、「お粥しかのどを通りません」と言った母親がいた。「進学塾の明かりを
見ただけで、カーッと頭に血がのぼりました」と言った母親もいた。

 そして受験が近づくと、親は、いよいよ狂乱の時期へと突入する。たかが子どもの受験と笑っ
てはいけない。子どもが入試に失敗したあと、自殺を図った母親だっている。夫婦関係がおか
しくなり、離婚騒動になるケースとなると、いくらでもある。子どもの受験という、あの独得の緊
張感が、それまで家族の中でくすぶりつづけていた火種に火をつけるからである。

 そしていよいよ子どもの受験……。親は狂乱し、子どもはその中で、悶絶する。程度の差も
あるが、この時期の親は、合理的な判断力すら失う(失礼!)。私は以前、『受験家族は、病人
家族』という格言を考えた。受験生がいる家族は、大きな病気をかかえた病人のいる家族と思
えばよい。みながみな、どこかピリピリしている。安易ななぐさめや、はげまし、さらには興味本
位の詮索(せんさく)はタブー。言い方をまちがえると、かえってその家族を苦しめることにな
る。その家族の気持ちになって、そっとしておいてあげることこそ、大切である。

 日々は、まさに緊張と一触即発の状態ですぎていく。暗くて重苦し毎日がつづく。

(第四期)(あきらめと悟りの時期)……まさに地獄のような受験期を抜け、一段落したあと、子
どもが巣立っていくまでの時期をいう。やがて親は、少しずつだが冷静さを取り戻す。そしてこ
う思うようになる。

 「いろいろやってはみたけれど、やっぱり、あんたはふつうの子だったのね。考えてみれば、
何のことはない。私だって、ふつうの人間ではないか」と。

 親はあきらめの境地に達するわけだが、あきらめることは悪いことではない。あきらめること
により、親は子どもの本当の姿を見ることができる。「まだ何とかなる」と思っている間は、それ
が見えない。子どもも心を開かない。「やっぱりあんたはふつうの子だったのね」と、親がそう思
うことで、子どもは、その重荷から解放される。そしてそのときを出発点として、親子という上下
意識のある関係から、「友」という対等の関係へと、その関係が、質的に変化していく。

●親子関係を大切に
 要するに、親はいつ、どこで、『まいた種のものしか、実はならない』という事実を悟るかという
こと。しかしあえていうなら、その時期は早ければ早いほどよい。親子といえども、その基本は
一対一の人間関係。子育てには、山もあれば谷もある。とくに子どもが受験期を迎えるころに
は、その山や谷は大きく深くなる。が、これだけは、ここに書ける。

この日本では、子どもの受験は避けては通れないものかもしれないが、しかしそれには親子の
人間関係まで破壊する価値はない。またたかが受験(失礼!)のことで、親子関係を破壊して
はいけない。それはちょうど、ドロの玉を包むのに、絹のハンカチを使うようなものだ。いや、子
どもの受験に狂奔する親にしても、結局は、大きな流れの中で、踊らされているに過ぎない。
「私は私」と思っているかもしれないが、「私」そのものが、流されているから、自分ではそれが
わからない。

●終わりに……
 「ふつうの家族」「ふつうの子育て」「ふつうの子ども」には、すばらしい価値がある。賢明な親
は、ふつうの価値をなくす前に気づく。そうでない親は、なくしてから気づく。仮に気づくとして
も、ほとんどの親は、その前に大きな回り道をする。が、ふつうの価値に気がついてしまえば、
何でもない。すべての問題は解決する。そして日々はまた平穏、無事に流れ始める。それはお
おらかでゆったりとした世界。まさに悟りの境地。だから、私はこの時期を、あえて、「悟りの時
期」とした。

 ここでいう「子育て段階論」は、あくまでも一般論。しかし大多数の親が、多かれ少なかれ通
る道でもある。ひょっとしたら、あなたとて例外ではない。そんなことも考えながら、子育て段階
論を頭の中に入れておくと、道に迷ったときの地図のように、あなたの子育てで役にたつ。
(02−10−28)※

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子育て随筆byはやし浩司(238)

Q:子どものことで、つぎつぎとわずらわしいトラブルが起きてきます。たいていは、親同士のつ
きあいに関することです。「悪口を言った、言わない」「礼儀を欠いた、欠かない」など。こういう
とき、どうしたらいいでしょうか。

A:何かトラブルが起きたら、そのトラブルのレベルを考えます。これは私流の、トラブルの解決
のし方ですが、一つの方法として、参考になると思います。つまり私は、そういうささいなトラブ
ルについては、無視するという方法を使います。しかしただ「無視しろ」と言われても、簡単には
できません。そこで私のばあいは、よりレベルの高い問題にぶつかっていくことで、結果とし
て、そのトラブルを無視するという形をとります。それについて書いたのが、つぎの「レベル論」
です。

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●レベル論

 身のまわりで起こる問題には、レベルがある。たとえば……。

レベル1…… 少し前、自転車でコンビニの駐車場を横切ろうとしたら、一台の車が、けたたま
しい急ブレーキをかけて、目の前で止まった。私はあやうく、はねられるところだった。見ると、
若い男女で、男は私に、「バ〜カ」と言った。声は聞こえなかったが、口の動きでそれがわかっ
た。女のほうは、視線をはずしたまま、ニヤニヤ笑っていた。

レベル2…… 私の家の近くは、かっこうの犬の散歩道。そのため、犬の糞だらけ。先日は、
何と、私の家の玄関前にそれがあった。そこで私は張り紙を木にぶらさげた。「どうか玄関の
前で、犬のフンをさせないでほしい」と。しかし数日後、その張り紙は破って捨てられてしまっ
た。おまけに、その下には、犬の糞がおいてあった。腹いせのためにしたのだろう。

レベル3…… 隣の空き地が、水道工事の「土場(どば)」になった。「土場って何ですか?」と
聞いたら、「資材置き場だ」と。それで安心していたら、それがとんでもないウソ。工事が始まる
と、終日、ユンボとダンプが、ゴーゴーとうなり音をあげるようになった。その騒音がいつ始まる
とも、またいつ終わるともなく、断続的につづく。短い期間ならよいが、もうそれが六月から、丸
四か月、つづいている。

レベル4…… 国政選挙になるたびに、どこかの宗教団体が、いっせいに選挙活動に動き出
す。思うように外出できない老人や、老人ホームにいる人、あるいはひとり暮らしの老人を、自
分の車に乗せ、投票所まで一日中、ピストン移送している。車の前には、申し訳程度に、「小さ
な親切運動」と書いたカードがはってある。「なるほど、小さな親切運動か」と思いたいが、どう
もスッキリしない。そういうタイプの老人(失礼!)に、そういうサービスをするのは、買収行為に
なるのでは? いくら無料でも、車の償却費、ガソリン代、それに「うべかりし人件費」を加えれ
ば、立派な買収行為になる。

レベル5…… 北朝鮮が、何人もの日本人を拉致(らち)した。「拉致」というと、わかりにくい
が、中身は、国家的誘拐事件。しかもその半数近くが、すでに死亡しているという。実際には、
拉致された日本人は、数十人とも、あるいはそれ以上とも言われている。在日朝鮮人の拉致
は、もっと多いとも(週刊S誌)。金日正という独裁者が、ありもしない外国の脅威をでっちあ
げ、自国の国民をだましつづけている。日本人の拉致事件は、こういう流れの中で起きた。

 以上、五つのレベルの話を書いた。私にとっては、どれも、少なからず、頭にくる話だ。が、こ
こで、重大な事実に気がつく。それは人というのは、相手にしている、その相手を見れば、自分
のレベルがわかるということ。小さな人間は小さな人間を相手にする。大きな人間は、大きな
人間を相手にする。(だからといって、金正日が大きな人物と言っているのではない。彼は見る
からに小さな人間だ。)

 そこでこの(レベル1・コンビニの車)から(レベル5・拉致問題)までの問題を自分にあてはめ
てみた。本当はどれも、頭にくるが、しかし(レベル1・コンビニの車)と、(レベル2・犬の糞)の
人間は、相手にしない。無視する。問題は(レベル3・騒音問題)だが、これについては、実は
先日、地主に手紙を書いた。これは相手にするとか、しないとかいう問題ではなく、静かな環境
を求めるのは、正当な権利だ。

 さて(レベル4・選挙問題)と、(レベル5・拉致問題)はどうか。時間があれば、(レベル4)も問
題にしたい。本当に今、問題すべきは、(レベル5)の問題だ。しかし私のような地方に住む人
間が、(レベル5)を問題にしてどうなる。さらにここには書かなかったが、(レベル6)として、環
境問題がある。この問題も、私のような地方に住む人間が論じたところで、ほとんど意味がな
い。

 しかしレベルの高い問題を考えるということは、自分を大きくするという意味で、とても大切な
ことである。レベルが高ければ高いほど、低い問題が、相対的に小さく見えてくる。たとえばこ
こでいう(レベル5・拉致問題)を考えていると、(レベル1・コンビニの車)や、(レベル2・犬の
糞)の問題は、どうでもよくなる。

 そこで今、あなたはどうなのかと、少しだけ振り返ってみてほしい。あなたは今、どのレベル
の問題を考えているだろうか。もしレベルの高い問題なら、それでよし。しかしレベルの低い問
題なら、できるだけ視野を高くもって、大きな問題にぶつかっていくとよい。そうすれば結果とし
て、今ある問題を、自然消滅的に解決できる。

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(追記)相談者の件でも、「つぎつぎとわずらわしいトラブルが起きる」ということであれば、それ
はトラブルが起きることに問題があるのではなく、「わずらわしい」と思う、その相談者自身に問
題があるとみる。つまり視点が低い(失礼!)。レベルが低い(失礼!)。そういうときは、ここに
も書いたように、もっと大きな問題、大きな敵を考え、それにぶつかっていく。そうすれば、あな
た自身を大きくすることができると同時に、それまでのささいなトラブルを、「無視できる」という
形で、一挙に解決することができる。
(02−10−28)※

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子育て随筆byはやし浩司(239)

■濱人【連載:子育て、ワンポイントアドバイス by はやし浩司】

●No.38 「勉強部屋は開放感がポイント」

  以前、高校の図書室で、どの席が一番人気があるかを調べたことがある。結
 果、ドアから一番離れた、一番うしろの窓側の席ということがわかった。子
 どもというのは無意識のうちにも、居心地のよい場所を求める。その席から
 は、入り口と図書室全体が見渡せた。このことから、子ども部屋について、
 つぎのようなことに注意するとよい。
 
 (1)机に座った位置から、できるだけ広い空間を見渡せるようにする。ド
    アが見えればなおよい。ドアが背中側にあると、落ち着かない。
 (2)棚など、圧迫感のあるものは、できるだけ背中側に配置する。
 (3)光は、右利き児のばあい、向かって左側から入るようにする。窓につ
    けて机を置く方法もあるが、窓の外の景色に気をとられ過ぎるようで
    あれば、窓から机をはずす。
 (4)机の上には原則としてものを置かないように指導する。そのため大き
    めのゴミ箱、物入れなどを用意する。

  多くの親は机をカベにくっつけて置くが、この方法は避ける。長く使ってい
 ると圧迫感が生じ、それが子どもを勉強嫌いにすることもある。

  また机と同じように注意したいのが、イス。イスはかためのもので、ひじか
 けがあるとよい。フワフワしたイスは、一見座りごこちがよく見えるが、長
 く使っているとかえって疲れる。また座ると前に傾斜するイスがあるが、た
 しかに勉強中は能率があがるかもしれない。しかしそのイスでは、休むこと
 ができないため、勉強が中断したとき、そのまま子どもは机から離れてしま
 う。一度中断した勉強はなかなかもとに戻らない。子どもの学習机は、勉強
 するためではなく、休むためにある。それを忘れてはならない。

  子どもは小学三〜四年生ごろ、親離れをし始める。このころ子どもは自分だ
 けの部屋を求めるようになる。部屋を与えるとしたら、そのころを見計らっ
 て用意するとよい。それ以前については、ケースバイケースで考える。

 ☆はやし浩司のサイト: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ 
 ●発売中!「子育てストレスが子どもをつぶす!」
  リヨン社・四六判並製・1300円+税 
  *詳しくは上記ホームページの新刊案内をご覧下さい。
(02−10−28)※

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子育て随筆byはやし浩司(240)

賢さとは何か

●高く登れば、まわりが低く見える
 どんな山にも登ってみるものだ。低い山だと思ってみても、登ってみると意外と遠くまで見え
る。たとえば浜松市の北西に舘山寺温泉という温泉街がある。その温泉街の反対側に、小さ
な湖をはさんで大草山という山がある。ロープウエィで一〇分足らずで登れる小さな山だが、そ
んな山でも浜松市はもちろんのこと、遠くは太平洋すら一望できる。

 人もそうだ。どんなささいなことでもよい。賢くなった状態から、そうでない人を見ると、その人
の愚かさがよくわかる。しかし愚かな人にはそれがわからない。対等だと思っている。もっとは
っきり言えば、賢い人には愚かな人がわかるが、愚かな人には賢い人はわからない。

 ……と言っても、実は人は、もちろん私も、賢い部分と愚かな部分をいつも同時にもってい
る。さらに賢いか愚かかということは、あくまでも相対的なものでしかない。私より賢い人はいく
らでもいる。つまり私が賢いと思っているのは、それは愚かな人に対してだけである。一方、そ
ういう私を愚かだと思っている人はいくらでもいる。

たとえば同じAさんならAさんとくらべても、「この部分はAさんより賢いぞ」と思う部分もあれば、
「そうでない」という部分もある。さらに自分のことについても、同じことが言える。何か新しいこ
とがわかったとする。すると、それまでの自分が愚かに見えることがある。それは無数の道を
同時に走るマラソンのようなものだ。一本の道をマラソンで走るなら、Aさんが一番、Bさんが二
番と、その順位がよくわかる。だれが賢くて、だれがそうでないか、よくわかる。が、無数の道を
別々に走ったら、それはわからない。それぞれの道で、「差」ができる。少し入り組んだ話にな
ってしまったが、要は、いかにして人は賢くなるかということ。

●賢くなるために
 方法はいくらでもある。しかしここで重要なことは、技術や知識では人は賢くならないというこ
と。いくらすぐれた技術にたけていたとしても、また世界中の科学者の名前を知っていたとして
も、それは「賢い」とは言わない。もっとわかりやすい例で言えばこうだ。たとえば一人の幼稚
園児が、剣玉をスイスイとしてみせても、また掛け算の九九をソラでペラペラと言っても、賢い
子どもとは言わない。となると、人の賢さは何によって決まるかということになる。またどうすれ
ば賢くなれるか。ここが重要だ。一つの方法としては、人間が本来的にもっている「愚かさ」を、
徹底的に追及するという方法がある。その愚かさを追及することによって、一方で賢さを浮か
びあがらせる。

 たとえば夜の繁華街を歩く。そこにはケバケバしいネオンサインが立ち並び、遊ぶ男と遊ぶ
女が、あたかもゾンビのように動き回っている。せっかくすばらしい健康と、明晰(めいせき)な
頭脳をもちながら、彼らは流れ行く「時」を、流れていくままムダにしている。あるいは威圧や暴
力を売り物にして、他人から金銭をまきあげている人がいる。ゴマカシばかりをして、コソコソと
生きている人がいる。もっと身近な例では、空き缶やゴミを空き地へ平気で捨てていく人がい
る。こうした人たちに愚かさの原型があるとするなら、賢くなるためには、そうした世界からの脱
却をめざせばよい。しかしここ別の問題が起きる。仮に脱却するとしても、学校の先生が子ど
もたちに校則のようにあたえるような、教条主義ではいけない。一つ、夜遊びはしないこと。二
つ、暴力を振るわないこと。三つ、ウソはつかないこと。四つ、ゴミを捨てないこと、と。

 こうした教条を守る人は、一見賢い人に見えるかもしれないが、しかし賢い人とは言わない。
人の賢さというのは、もっと根源的なもので、その人の底辺から上に向かって湧き出るようなも
のをいう。つまりそういう「教え」があるからするのではなく、「自らがつかんだ知恵」によってし
なければならない。「知性」や「智慧(ちえ)」と言ってもよい。問題のすべては、ここに集まる。
「自らがつかんだ知恵」だ。
(02−10−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(241)

裸の王様
……まとまりのない文章でごめんなさい。思いついたまま書きました。

●地位と肩書き
「裸の王様」という寓話がある。王様は立派な衣服を身に着けていると思っていたが、王様が
裸であることを見抜いたのは、子どもたちだった。通俗世間の人の目はごまかせても、子ども
の目はごまかせない。先日も私が、「来週は講演で東京へ行くことになっている」と話したら、ぐ
るりとあたりを見回したあと、「どうしてあんたなんかが……」と言った子ども(中二女子)がい
た。私はいつもそういう目にさらされているから、そう言われても気にしない。「さあね、きっと人
選ミスだよ」と笑うと、その子どもも、「そうだよねえ」とうれしそうに笑った。それはまさしく裸の
王様を見抜いた子どもの目だった。

 地位や肩書きがあれば、こうまでバカにされなくてすむだろうなと思うことは、しばしばある。
事実、この日本では、地位や肩書きやものを言う。そしてそれにぶらさがって生きている人は、
いくらでもいる。一度、どこかでそういう地位や肩書きを身につけると、あとは、つぎからつぎへ
と、死ぬまで要職が回ってくる……。しかし地位や肩書きにどれほどの意味があるというのか。
たとえばだれかが箱いっぱいのサツマイモを届けてくれたとする。地位や肩書きのある人は、
そういう好意を、果たして好意と受け取れるだろうか。どこかで「下心」を感ずるに違いない。一
方、私のような、何の地位も肩書きもない人間は、そういう好意を好意として、すなおに受け入
れることができる。

●地位や肩書きにぶらさがる人
 定年まぎわの人には、ひとつの大きな特徴がある。多分内側に見せる顔は、もっと別の顔な
のだろうが、外側に向かっては悲しいほど、虚勢を張ってみせる。「退職をしたら、地元の郷里
に帰って市長でもしようかな」と言った銀行マンがいた。「国際特許の翻訳会社でもおこして、
今の会社の顧問をする」と言った大手の自動車会社の社員もいた。しかし悲しいかな、そこは
サラリーマン。その人がその人なのは、「会社」という看板を背負っているからにほかならな
い。また定年まぎわの人は、それなりにその会社でもある程度の地位にいる人が多い。自分と
いう存在が、会社というワクを飛び越えてしまう。それで自分の姿を見失う。

 が、現実はすぐやってくる。たいていの人は、「こんなはずはない」「こんなはずではなかった」
と思いつつ、その現実をいやというほど見せつけられる。退職と同時に、それまでは山のよう
に届いていた盆暮れのつけ届けは消える。訪れる人もめっきりと減る。自分が優秀だと思い込
んでいた「力」も、現実の世界ではまったく通用しない。それもそのはずだ。その人が優秀だっ
たのは、「会社」という小さな、特殊な世界でのこと。そのワクの中での処理にはたけていたの
かもしれないが、そんな力など、広い世界から見れば、何でもない。その「何でもない」という部
分が、わかっていない。

 で、そのあと、このタイプの人は大きく分けて、二つの道を歩む。一つは、過去の経歴を忘
れ、人生を再出発する人。もう一つは、過去の経歴にしがみつき、その亡霊と決別できない
人。もともと肩書きや地位とは無縁だった人は別だが、しかし肩書きや地位が立派(?)だった
人ほど、退職後、社会に同化できない。できないまま、悶々とした日々を過ごす。M氏(六三
歳)は、退職まで、県の出先機関の「副長」まで勤めた人である。何かの違反を取り締まってい
たが、そのため現役時代には、暴力団の幹部ですらMさんの前では、借りてきた猫の子のよう
におとなしかったという。が、六〇歳で退職。それまでも近所の人には、あいさつもしなかった
が、その傾向は退職後さらに強くなった。いくつかの民間会社に再就職を試みたが、どこもて
いねいに(?)断られてしまった。

●自尊心と自己中心性
 「私はすぐれた人間だ」と思うのは自尊心だが、その返す刀で、「ほかの人は劣っている」と
思うのは、自己中心性の表れとみる。「私は私」と思うのは、個人主義だが、「相手も私に合わ
せるべきだ」と考えるのは自己中心性の表れとみる。人も老人になると、この自己中心性が強
くなる。脳の老化現象ともいえるものだが、アルツハイマーの初期症状の一つでもあるそうだ。
(物忘れがひどくなるという主症状のほか、繊細さの欠如、がんこになるなど。)言い換えると、
この自己中心性とどう戦うかが、脳の老化の防止策にもなる(?)。いや、防止にはならないか
もしれないが、少なくとも人に嫌われないですむ。私の遠い親戚に、こんな男性(六七歳)がい
た。

中学校の校長を最後に、あとは悠々(ゆうゆう)自適の生活をしていたが、会う人ごとに、「君
は何をしているのかね?」と。そしてその人が、その男性より肩書きや地位の高い人だと、必
要以上にペコペコし、そうでないと威張ってみせた。私にもそうだった。私が「幼稚園で働いて
います」と言うと、こう言った。「君はどうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事にありつけ
なかったのだろう」と。こういう人は嫌われる。その男性は数年前、八〇歳近くで他界したが、
葬式から帰ってきた母がこう言った。「あんなさみしい葬式はなかった」と。

●進歩とは何か  
その人の進歩はいつどのようにして停止するのか。ものを書いていると、それがよくわかる。た
とえば私は、毎日いろいろなことを考えているようで、実際には堂々巡りをしているときがあ
る。教えていることもそうだ。ある日気がついてみると、一〇年前、あるいは二〇年前と同じこ
とをしていることに気づくときがある。こういった部分については、私の進歩はその時点で停止
していることになる。

 そういった視点で見ると、人がまた別の角度から見えてくる。この人はどこまで進歩している
だろうか。あるいはこの人はその人のどの時点で進歩を止めているだろうか、という視点でそ
の人を見ることができるようになる。ただ「進歩」といっても、二種類ある。一つは、常に新しい
分野に進歩していくという意味での「進歩」と、今の専門分野をどこまでほりさげていくかという
意味での「進歩」である。この二つはよく似ているようだが、実のところまったく異質のものであ
る。

 たとえば医療の分野に興味をもった人が、そのあと今度は法律の分野に興味をもつというの
は、前者ということになる。一方、その分野の研究者が自分の研究を限りなく掘り下げていくと
いうのは、後者ということになる。どちらにせよ、人は油断すると、その進歩を自ら停止してしま
う。そしてある一定の限られた範囲だけで、それを繰り返すようになる。こうなるとその人はもう
死んだも同然(失礼!)……といった状態になる。毎日、読む新聞はといえば、スポーツ新聞だ
け、仕事から帰ってくると野球中継を見て、たまの休みは一日中、パチンコ屋でヒマをつぶす。
これは極端な例だが、そういう人に「進歩」を求めても意味がない。(実際、野球にしても、毎年
大きな変化があるようで、一〇年前、二〇年前の野球と、どこも違わない。パチンコにしてもそ
うだ。)

 これは職業には関係ない。たとえばここに銀行マンがいたとする。彼は毎日、銀行業務に追
われていたとする。しかしある時期までくると、その業務はそれまでの繰り返しになる。マイナー
な変化はあるのだろうが、それは「進歩」と言えるほどの変化ではない。世間一般の「仕事」と
いう業務からみると、ささいな変化だ。そこでその銀行マンは、さらに専門化していくが、それは
まさに重箱の底をほじるような世界へと入っていくようなものだ。自分自身では「進歩」と思い込
んでいるかもしれないが、それは本当に「進歩」と言えるものなのかどうか。

 一方、農家のお百姓さんがいる。「百姓」というだけあって、オールマイティだ。そのオールマ
イティさは、プロのお百姓さんに会ってみるとわかる。私の親しい友人にKさんという人がいる。
農業高校を出たあと、農業一筋の人だが、彼のオールマイティさには、ただただ驚く。農業は
もちろんのこと、大工仕事から、土木作業、農機具の修理まで何でもこなす。先日遊びに行っ
たら、庭先で、工具を研磨機で研いでいた。もちろん山村の生活で使うようなありとあらゆる道
具に精通している。しかも自然相手の生活だから、そのつど対応のし方が変わる。キーウィ生
産もしているし、花木の生産もしている。そういうKさんともなると、いつもどこかで挑戦的に進
歩しているのがわかる。(まあ、全体としてみれば、Kさんはお百姓さんというワクを超えてはい
ないが……。)

●知識と教養
 そこで私はこう考えた。専門的にその世界へどんどんと入っていってつかむのが、「知識」。
一方、外の世界へ自分の世界を広げていくのを、「教養」と。そういう意味で知識と教養は別物
である。そして知識のある人が必ずしも、教養があるということにはならない。反対に教養のあ
る人が知識があるということにもならない。こんなことを言った人がいる。「知識と教養は別物で
す。……教養を身につけた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出される」と。福
田恒存(劇作家、1912〜)が『伝統に対する心構え』の中で書いている一節である。このこと
は子どもを見ればすぐわかる。勉強ができるから人格的にすぐれた人物ということにはならな
い。むしろ勉強のできない子どものほうにこそ、人格的にすぐれた子どもを見ることが多い。
(そもそもこの日本では、人格的にすぐれた子どもほど、あの受験勉強になじまないという、教
育そのものに致命的な欠陥がある。)

 ところが進歩をしようとしても、今度は脳の物理的な限界を感ずることがある。記憶という分
野にしても、自分でもはっきりとそれがわかるほど、年々退化している。そして構造そのものも
退化するというか、がんこになることがわかる。自分では進歩しつづけたいと思いつつ、それが
どこか限界に達しつつあるように感ずる。進歩をこころがけていない人はなおさらで、その人は
その時点で完全に停止してしまう。これも一つの例だが、私の知人の中には定年退職したあ
と、のんびりと(?)年金生活をしている人が何人かいる。しかし彼らの生活を見ていると、五年
前、さらには一〇年前の生活とどこも違わない。それはちょうど、子どもがブロックで遊びなが
ら、小さな家を作っては、また壊すという作業に似ている。壊したあとから、また同じものを作っ
ているから、何となく生きているようには見えるが、また小さな家を作ってはこわしてしまう。そ
んな感じだ。

●こだわる人たち
 家柄や学歴にこだわる人は多い。地位や肩書きにこだわる人も多い。人はそれぞれだが、
この「こだわり」が強ければ強いほど、現実の自分を見失う。言うならばこれらはバーチャル
(仮想現実)の世界。そういうものにこだわっている人は、テレビゲームに夢中になっている子
どもと、どこも違いはしない。あるいはどこがどう違うというのか。

 人は生きるために食べる。食べるために働き、仕事をする。それが人間の原点だ。生きる本
分だ。しかしバーチャルな世界に生きている人にはそれがわからない。仕事をするために生き
ている。中には仕事のために生きることそのものを犠牲にする人さえいる。いや、仕事がムダ
と言っているのではない。要は「今」をどう生きるかであり、その本分を忘れてはいけないという
こと。一方、こんな人がいる。

 マクドナルドといえば、世界最大のハンバーガーチェーンだが、その創始者は、R・マクドナル
ド氏。九八年の七月に八九歳でなくなっているが、その少し前、彼はテレビのインタビューに答
えてこう言っている。氏は、一九四〇年にハンバーガーショップを始めたが、それからまもなく、
一九五〇年にはレストランの権利を、R・クロウ氏に売り渡している。それについて、レポーター
が、「損をしたと思いませんか?」と聞いたときのこと。「もしあのままあの会社にいたら、今ごろ
はニューヨークのオフィスで、弁護士と会計士に囲まれて、つまらない生活をしていることでしょ
う。(農場でのんびりと暮らしている)今の生活のほうが、ずっと幸せです」と。

 子どもの教育も同じ。たしかにこの日本には学歴社会があり、それにまつわる受験競争もあ
る。それはそれだが、ではなぜ私たちが子どもを教育するかといえば、心豊かで幸福な生活を
送ってほしいからだ。その本分を忘れてはいけない。その本分を忘れると、学歴や受験のため
に子育てをすることになってしまう。言うなれば教育そのものをゲーム化してしまう。そして本来
大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを、大切だと思い込んでしまう。しかしそれ
は同時に、子ども自身が子どもの人生を見失うことになる。

 先日も姉(六〇歳)と話したら、こんなことを言った。このところ姉の友だちがポツリポツリとな
くなっていくという。それについて、「どの人も仕事だけが人生のような人だった。何のために生
きてきたのかねえ」と。生きる本分を忘れた人の生き様は、それ自体、さみしいものだ。その人
が生きたはずの「人生」がどこからも浮かびあがってこない。それこそ「ただ生きた」というだけ
になってしまう。それともあなたは、あなたの子どもにそういう人生を送ってもらいたいと思って
いるか。いやいやその前に、あなた自身は生きる本分を忘れないで生きているだろうか。一
度、自問してみてほしい。
(02−10−29改)

(追伸)またまた地位と肩書きについて書いてしまいった。「林は、地位と肩書きに、よほど強い
コンプレックスをもっているんだろうな」と思う人も多いかもしれない。しかし私は、もともと、そう
いう世界に反発して、そういう世界を飛び出した。実のところ、つい数か月前も、あるアメリカの
大学から、名誉教授にという推薦を受けた。ワイフは「受けとけばいいじゃない」と言ったが、私
は断った。満五五歳にもなって、何が「名誉教授」? 今さら何だと思った。もしそんなことをす
れば、私の過去は何だったのかということになってしまう。それこそ敗北を認めるようなもの
だ。

 しかしこの日本では、こうした旧態社会を是正しないかぎり、子どもたちの未来に明日はな
い。活力も生まれない。つまり日本の未来は、お先真っ暗。だから、まず日本のこの権威主義
社会を、叩かねばならない。そのために、私は書きつづける!

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子育て随筆byはやし浩司(242)

飛行機

 私は子どものころから、飛行機が好きだ。子どものころは、そのためパイロットになるのが、
夢だった。それはそれとして、飛行機には、不思議な魅力がある。そのひとつ。ムダがない。

 今、書店で、飛行機の模型のついた雑誌(デル・プラド「世界の戦闘機」)が売られている。毎
週一冊ずつ発行されるものだが、私はときどき、その雑誌を買っている。一六〇〇円ほどする
ので、決して安い雑誌ではない。しかしときどき買っているだけなのだが、すでに飛行機は、二
〇機を超えた。で、そういう飛行機を並べてみると、おもしろい特徴があるのに気づく。それは
私自身の特徴でもあるわけだが、こういうことだ。

 私が好きな飛行機というのは、第二次大戦中のプロペラ機か、戦後まもなくしてから空を飛
び始めたジェット機だ。ここ一〇〜一五年に開発された飛行機というのは、あまり好きではな
い。(だからあまり買っていない。)いつも手にとってながめているのは、今は、アメリカの「リパ
ブリク・F84」という旧式のジェット戦闘機だ。胴体が、川魚のようで美しい。空気の吸入口も、
ちょうど魚の口のようでかわいい。だれかが「この飛行機は、魚の形をまねて設計した」と言っ
ても、私は驚かない。魚というのは、水の抵抗を最小限におさえるように進化して、今の形にな
った。

 で、私のそういう趣向というか、趣向性がいつできたかをさぐってみる。すると、それはちょう
ど、こうした飛行機が話題になったときと一致しているのがわかる。F84は、私が子どものこ
ろ、「ジェット機だ、ジェット機だ」と騒いだころに、活躍した飛行機である。あわせて当時は、ま
だ戦前のプロペラ機が、強く印象に残っていた。だから私のこうした趣向性は、そのころできた
ということがわかる。言うなれば、私の方向性の一部は、そのとき決まった。

 そして今度は、反対に、こういうこともあることに気づいた。私はそのF84を手にすると、どう
いうわけか、口で飛行機の爆音をつくり、急旋回してみせたり、上昇、下降をしてみせたりす
る。「大のおとなが……?」と思われるかもしれないが、私には結構それが楽しい。と、そのと
きだ。自分自身が、あの童心にかえっているのを知る。私が子どものころ、「ジェット機だ、ジェ
ット機だ」と騒いだころの自分である。そのあたりの情景というか、心の情景がもどってくる。今
は記憶にないが、ひょっとしたらそのとき、すでに、「ジェット機は魚みたいだ」と思ったのかもし
れない。私の郷里のほうでは、魚といえば、川魚がほとんどだった。

 今も飛行機が好きだ。見ているだけで、うっとりとする。人はいろいろなものに美しさを感ずる
というが、私のばあい、ムダのないものが好きだ。とくに飛行機には、ムダなものがない。小さ
な部品、小さな形ひとつひとつに、すべて何らかの意味がある。このF84にしても、尾翼の下
が、やや不自然にふくらんでいる。私はそのふくらみを見ながら、「どうしてだろ」「何があるの
だろ」と考える。多分、排気ノズルの調整装置か何かがついているのだろう。そういうふうにあ
れこれ考えるのが楽しい。ああ、そういえば、飛行機の機体と、女性の肉体は、どこか似てい
る。もっとも私のワイフの肉体は、もうムダばかりだが……。ははは。これは余談。ははは。ま
ったくの余談。
(02−10−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(243)

つまらない人間

 世の中には、つまらない人間がいる。どこがどうつまらないかは書けないが、いる。あなたの
まわりにも、いる。そういうつまらない人間は相手にしない。相手にするということは、あなた自
身も、そのつまらない人間ということ。

人間というのは、自分と同程度の人間を気にする。自分が相手をはるかに超えているときは、
気にしない。たとえば私は、幼稚園児に、「バカ!」と言われても、(当然だが……)、まったく気
にしない。もともと相手にしていないからだ。同じように、暴走族風の若者に、「バカ」と言われ
ても、気にしない。もともと相手にしていないからだ。

 そこであなたが気になる人間を、頭の中で思い浮かべてみるとよい。そしてその人間が、ど
の程度の人間かを、客観的に見つめてみるとよい。つまりそれがあなたの「レベル」ということ
になる。もしそのレベルが高ければ、それでよし。そうでなければ、あなた自身の視点を変えて
みる必要がある。でないと、長い時間をかけて、あなたも、そのつまらない人間になってしまう。

 具体的には、私のばあいは、もともとレベルの高い人間ではないので、「無視する」という方
法で、そういう人間からは遠ざかるようにしている。決して逃げるのではない。相手にしないと
いうことは、自分の心の中に、その人間を置かないということ。そのために無視する。その相手
はもちろんのこと、その相手にかかわるもの、すべてを、だ。ときどき好奇心にかられて、気に
なることはあるが、そういうときでも、あえて無視する。

 一方、世の中には、自分を高めてくれる人間もいる。会うだけで、その人の知性や理性が、
響きとなって伝わってくる人だ。私は幸運にも、今まで、日本でもトップクラスの人や、それに近
い人たちと交際することができた。さらに幸運にも、今でも、そういう人の何人かと、親密に交
際している。私はとても、そういう人たちのレベルではないし、一生、そのレベルに届くことはな
いと思う。しかし努力目標にはなっている。それはたとえて言うなら、山登りのようなものかもし
れない。登れないとわかっていても、その高い山を前に見ることで、自分の意思を高めること
ができる。

 これは人間の話だが、同じように、つまらないものは相手にしない。つまらないことも相手にし
ない。これは自分を高めるとか、低めるとかいうことではない。時間のムダだから、だ。

若いときは無限につづくと思われた時間も、このところ、その限界を強く感ずるようになった。
ただ私のばあい、それに気づくのが、あまりにも遅すぎた。こうして時間の限界を感ずるように
なったのは、満四五歳から四七、八歳にかけてではないかと思う。はっきりとはわからないが、
それまでの私は、実に怠惰(たいだ)な生活をしていた。時間をムダにしていた。今になって、
それが悔やまれる。

 つまらない人間、つまらないものやことを相手にするというのは、それだけ人生の回り道に入
ることを意味する。ゴールが「真理」だとするなら、そのゴールから遠ざかることにもなる。ゴー
ルにたどりつけるという自信は、今のところまったくない。ないが、しかし少しでも近づいてみた
い。だから改めて、ここで自分に言ってきかせる。つまらない人間は相手にしない。無視する。
つまらないものやことは、相手にしない。無視する。……まあ、こうしてあえて自分に言って聞
かせねばならないということは、私も、そのレベルの、つまりはつまらない人間ということになる
のだが……。
(02−10−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(244)

ADHD児について

 ADHD児の原因について、「内部分泌攪乱(かくらん)物質などの化学物質が、子どもの脳が
発達する時期である、妊娠期や授乳期に子どもの体の中に入って、危険がもたらされる可能
性が高い」(奥田洋一郎・朝日新聞・99年5月)というのが、最近の定説になりつつある。つま
りADHD児は、脳そのものがダメージを受けた、精神障害のひとつである、と。

 となると、その症状は、学童期にもっとも顕著にあらわれるものの、「おとなになってからも残
る」ということになる。実際、ADHD児といっても、知的障害をともなうケースと、知的障害をとも
なわないケースがある。また「脳の微細な障害」によって、症状も「多彩である」(以上、福島章
「子どもの脳があぶない」PHP)ということらしい。

 が、これはあくまでも精神医学の話。育児の世界では少し違った見方をする。たとえば子ども
には、自意識というのがある。「私は私」と自覚する意識である。この自意識が発達してくると、
子どもは自分で自分をコントロールするようになる。

 この自意識には、強弱があり、仮に脳の機質障害による行為障害があっても、その自意識
を強くすることで、障害といえるものを克服することができる。事実、この自意識が発達してくる
小学三、四年生を境として、ADHD児特有の症状は、急速に消滅し、外見的にはわかりにくく
なることが多い。子ども自身が、「こういうことをすると、みなに迷惑をかける」「こういうことをす
ると、先生に叱られる」「こういうことをすると、みんなに嫌われて、損をする」と、コントロールす
るからである。むしろ問題は、ADHD児であることではなく、それ以前の段階で、無理な指導
や、威圧的な指導が、症状を取り返しがつかないほどまでに、こじらせてしまうことである。
 
(教訓)
●妊娠期、授乳期に親が食べるものには注意しよう。
●子どもの自意識を、じょうずに育てよう。

 ついでに子どもの行為障害(CONDUCT DISORDER、略してCD)について、つぎのような
診断基準が発表されている(DSM式診断基準)。

 他者の基本的人権の侵害、または年齢相応の重要な社会規範や規制を侵害する行動パタ
ーンが見られる。以下の15項目のうち、3つ以上が当てはまれば、行為障害と診断される。各
項目、末尾(かっこ)内の数字は、小学5年生、10人に対して、私が聞き取り調査した結果の
数字。「そういうことをしたことがある」と答えた子どもの数である。

(1)他人に対するいじめ、脅迫、威嚇(いかく)。(5)
(2)取っ組み合いのけんか。(0)
(3)凶器を使用して、他人に重大な身体的危害を加える。(1)
(4)他人の体に対して、残酷な行為をする。(0)
(5)動物の体に対して、残酷な行為をする。(1)
(6)強盗。(0)
(7)性行為を強いる。(0)
(8)放火。(0)
(9)器物損壊。(2)
(10)他人の住居、建造物、自動車の中への侵入。(0)
(11)嘘をつく、人をだます。(0)
(12)万引き、侵入盗以外の窃盗、深夜の外出がしばしば。(0)
(13)外泊が二回以上。(0)
(14)不登校(一三歳未満から)。(0)

 さらにADHD児が、おとなになってからの症状としては、つぎのようなものがあるという(DSM
―W、「反社会的人格障害」)。

 他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、(一五歳以前に行為障害の履歴があり)、以下
の症状のうち、三つ以上によって示される。

(1)法律に違反する行動を繰り返し、逮捕される。
(2)人をだます傾向がある。自分の利益や快楽のために嘘をつき、偽名を使い、人をだますこ
とをくりかえす。
(3)衝動的で、将来の計画を立てられない。
(4)易怒性と攻撃性。けんかや暴力をくりかえす。
(5)自分や他人の安全を考えない、向こう見ずさ。
(6)一貫した無責任さ。仕事をつづけず、経済的な義務を果たさない。
(7)良心の呵責(かしゃく)の欠如。これは他人をいじめたり、傷つけたり、または他人のもの
を盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化したりすることによって示される。

 もちろんADHD児がすべて、ここにあげるような反社会的人格障害をもつようになるというわ
けではない。大半は、そのままふつうの人間(健常人)として、一般的な社会生活を営むように
なる。
(02−10−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(245)

隠蔽(いんぺい)記憶

 記憶としては覚えていないが、心のどこかに隠蔽(いんぺい)された記憶のことを、隠蔽記憶
(secret memory)という。フロイトが言い出したというと、ありがたい言葉に聞こえるかもしれな
いが、日本語で言えば、「わだかまり」ということになる。多少ニュアンスは違うが、ほぼ同じと
考えてよい。

 そのフロイト(ジークムント・フロイト・1856―1939、オーストリアの心理学者)は、ゲーテの
幼児期を例にあげて、その隠蔽記憶を説明している(「詩と真実」)・1917)。

 ゲーテ(ドイツ・作家・1749−1832)は、幼児期に、つぎからつぎへと皿やビンを窓の外に
投げて、こわしたという。そんな回想録を残している。ゲーテが、四歳か、その前のころのこと
だったという。それについてフロイトは、弟が生まれたことにより、ゲーテは、その不満を、皿や
ビンに向けたのだというような説明をしている。もちろんゲーテ自身は、それには気づいていな
かった。これを心理学の世界では、「転移」と呼んでいる。つまりひとつの不満が、形を変えて、
別の姿であらわれることをいう。ゲーテのばあい、弟を投げ出してしまいたいという思いが、転
移して、皿やビンを投げたのだ、と。つまり弟への嫉妬(しっと)心が、ここでいう隠蔽記憶という
ことになる。

 こうした例は、子どもの世界では、よく見られる。こんなことがあった。

 ある日、M君(年中男児)に、「お父さんの絵を描いてごらん」と、画用紙とクレヨンを渡したと
きのこと。しばらくは描くのだが、やがてすぐ、M訓は紙をクレヨンで塗りつぶしてしまった。そこ
で軽く注意して、また画用紙を渡すと、その画用紙も塗りつぶしてしまった。三度目もそうだっ
た。そのひきつった顔に驚いて、その場はそれでやめたが、理由は、翌日わかった。

 母親にその話をすると、母親はこう言った。「実は、その前日、父親が蒸発しまして……」と。
当時は「蒸発」という言葉を使った。突然いなくなることを、蒸発と言った。おそらくその蒸発に
いたる過程の中で、家族ではげしい騒動があったのだろう。M君は、その騒動の中で、いわゆ
る心的外傷(トラウマ)、つまり心にキズを負った。

 M君が巻き込まれた騒動が、隠蔽記憶。そして画用紙を塗りつぶしてしまったことが、転移と
いうことになる。このことは、子どもを理解するためには、いろいろな場面で応用できる。たとえ
ば子どもが何らかのふつうでない症状を示したとき、第一には、その症状を責めても意味がな
いということ。つぎに、その子どもを動かしている隠蔽記憶をたどりながら、心的外傷をさぐると
いうこと。先のゲーテの話によく似た例だが、こんなこともあった。

 ある母親から六歳になる女児についての相談があった。いわく「うちの姉は神経質で困りま
す。自分のものが、少しでも動いていると、激怒して、暴れたりします」と。

 そこで調べてみると、その女の子の妹が原因だということがわかった。妹への嫉妬が転移し
たと考えられた。その女の子は、ある日、ふと私にこう漏らした。「私、○○(妹名)なんて、ダー
イ嫌い!」と。理由を聞くと、その女の子がだいじにしているおもちゃなどを勝手にいじるという
のだ。そこで私が、「いいじゃない、少しくらい」というと、その女の子は、憤慨(ふんがい)した様
子で、こう言った。「あんな○○なんて、死んでしまえばいい」と。

 この隠蔽記憶、つまりわだかまりは、心の奥底に潜んでいて、あなたや子どもを、裏からあや
つる。しかもあなたや子どもが、なぜそうするかということがわからないまま、あなたや子どもを
あやつる。だからあなたや子どもに、どこか不自然で、どこか理解に苦しむ言動があれば、こ
の隠蔽記憶を疑ってみる。よくある例は、親は、自分の子育てをしながら、自分自身が受けた
子育てを、よきにつけ、悪しきにつけ、無意識のうちに再現する。それも隠蔽記憶ということに
なる。その自分自身が受けた子育てが、心豊かで、愛情に満ちたものであればそれでよい
が、そうでなければ、あなた自身の子育てに、何らかの悪い影響を与えているはずである。そ
ういう目で、自分の子育てを静かに観察してみる。

 まずいのは、そういう隠蔽記憶があることではなく、(だれにでも、そういう記憶はあるものだ
し、心豊かで、愛情に満ちた環境で育った人のほうが少ない)、それに気づかないまま、それに
振りまわされることである。そしていつも、同じパターンで、同じ失敗を繰り返す……。

私もこの「わだかまり」に気づいてから、もう二〇年になる。子どもの行動を観察していて、常識
的なプロセスでは、理解できないこと重なったからだ。「子どもならこうするはずだ」という思い
が、ときどき、行きづまることがあった。当時、印象に残っている事件に、こんなのがあった。

K君とY君という兄弟(兄が六歳、弟が三歳)がいた。見た目には仲がよい兄弟に見えたが、親
がいないところでは、兄は弟を殺す寸前までの虐待を繰り返していた。母親がこんなことを話し
てくれた。「兄は弟を、隣の家との空き地に連れていって、そこで弟を逆さづりにして、頭から落
としていました!」と。

 その兄が、なぜそうしたかということは、そのときは理解できなかった。その兄は、私の目の
前でも、弟思いの、よい兄を演じていたからだ。で、私はその「わだかまり」に気づいた。フロイ
トがいう、隠蔽記憶である。それからは、こうした屈折した子どもの気持ちが理解できるように
なった。と、同時に、子どもは表面的な様子だけを見て判断してはいけないということを、学ん
だ。
(02−10−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(246)

子どもの記憶

 フロイトは、子どもの記憶について、つぎのようなことを書いている。つまり幼児期記憶の回
想について、「言葉や観念によって思い出すという形で回想するだけなく、むしろその回想する
体験にともなう感情や対人関係のパターン、態度のほうを先に反復する」(「フロイト思想のキ
ーワード」小此木啓吾・講談社現代新書)と。

 このことは、たとえば子どもに、ぬいぐるみを与えてみればわかる。心豊かで、愛情に恵まれ
て育った子どもは、ぬいぐるみを見ただけで、うれしそうな笑みを浮かべ、さもいとおしいといっ
た様子で、それを抱こうとする。それはぬいぐるみを見たとき、自分自身が受けた環境を、そ
の場で再現するからである。

 あるいは絵本を与えてみればわかる。「あっ、本だ!」と喜んで飛びついてくる子どももいれ
ば、目をそむけてしまう子どももいる。その本の内容を確かめる前に、だ。こうした違いは、
「本」というものに、よい印象をもっているかどうかで、決まる。幼いときから、たとえば親に抱か
れて本を読んでもらった子どもは、本を見たとき、その周囲の状況や情景を、心の中で再現す
る。つまり本にまつわる「温もり」を、そこに感ずる。だから本を見ただけで、それを好意的にと
らえようとする。一方、たとえばカリカリとした雰囲気の中で、無理に本を読まされて育ったよう
な子どもは、本を見ただけで、逃げ腰になる。

 このことは、人間関係にも影響する。私はメガネをかけているが、初対面のとき、私の顔を見
て、こわがる子どもは少なくない。そこで理由を聞くと、親は、たとえばこう言う。「近所にこわい
犬を飼っている男性がいて、その人がメガネをかけているからではないでしょうか」と。つまりそ
の子どもにしてみれば、(こわい犬)→(こわい人)→(メガネ)→(メガネの人は、こわい)という
ことになる。

 フロイトは、こうした現象を、「転移」と呼んだ。しかしこうした転移は、おとなの世界でも、ごく
日常的に見られる。とくに人間関係において、それが顕著に見られる。たとえば、電話の相手
によって、電話のかけ方そのものが、別人のように変わる人がいる。自分より目上の人だとわ
かると、(無意識のうちに、しかも即座にそれを判断するが)、必要以上にペコペコする。一方、
目下の人だとわかると、今度は必要以上に、尊大ぶったり、威張ったりしてみせる。

 で、こういう人にかぎって、……というより、例外なく、テレビドラマの『水戸黄門』の大ファンで
あったりする。三つ葉葵の紋章か何かを見せて、側近のものが、「控えおろう!」と一喝する
と、周囲の者たちが、「ハハアー」と言って、頭をさげる。このタイプの人は、そういう場面を見る
と、痛快でならない。……らしい。

 そこでさらに調べていくと、こういう人たち自身もまた、そうした権威主義的な社会、あるいは
家庭環境の中で育ったことがわかる。つまりこうした感情なり、言動は、それぞれ一貫性をもっ
てつながっている。(権威主義的な環境で生まれ育った)→(自分自身も権威主義的である)→
(無意識のうちにも、それがその人の価値観の根底にある)→(無意識のうちにも、人を上下関
係を判断する)→(水戸黄門が痛快)と。言うなれば、水戸黄門を見ることで、このタイプの人
は、自分の価値観を再確認しているのかもしれない。その確認ができるから、水戸黄門はおも
しろく、また痛快ということにもなる。

 何だか、話が込み入ってきたが、要するに、子ども、なかんずく幼児を相手にするときは、表
面的な「心」とは別に、「もうひとつの心」を想定しながら、接するとよい。たとえば何らかの学習
をさせるときも、(何を覚えたか、何ができるようになったか)ではなく、(そのことが全体として、
どのような印象をもって、子どもの心の中に残るだろうか)を、考えながらする。そしてその印象
がよいものであれば、よし。そうでなければ、失敗、と。先にあげた例で言うなら、子どもに絵本
を見せたとき、「あっ、本だ!」と飛びついてくれば、よし。逃げ腰になるようであれば、失敗、と
いうことになる。フロイトの言葉を借りるなら、「よい転移ならよし。悪い転移には気をつけろ」と
いうことになる。

これを私たちの世界では、「前向きな姿勢」と言っているが、この時期は、こういう前向きな姿
勢を育てることを大切にする。この前向きな姿勢があれば、子どもは自らの力で、前向きに伸
びていくし、そうでなければ、そうでない。が、それだけではすまない。一度子どもがうしろ向き
になってしまうと、それをなおすのに、それまでの何十倍もの努力が必要になる。たとえば小学
校の入学までに、一度本嫌いになってしまうと、以後、好きになるということは、ほぼ絶望的で
あると言ってもよい。「だから幼児教育は大切だ」と言ってしまえば、あまりにも手前ミソというこ
とになるかもしれないが……。
(02−10−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(247)

人間の欠陥

 人間には、明らかな欠陥がある。個人としての、欠陥。それに集団を組んだときの欠陥。「教
育」というと、子どもを、前に向かって伸ばすことしか考えないが、しかしその欠陥をどう克服す
るかということについても教えていかないと、いつまでも人間は、同じ失敗を繰り返す。で、その
前提として、人間のもつその「欠陥」が何であるかを、知らねばならない。

 もちろん最大の欠陥は、殺しあいであり、戦争ということになる。太古の昔から争いや戦争は
絶えなかったし、今も絶えない。問題は、戦争ではなく、また戦争にいたる、大義名分でもな
い。なぜ人間は戦争するかという、その深層部にまでメスを入れないと、結局は、その繰り返し
になってしまう。仮に宇宙時代がやってきても、今度は、宇宙という場で、同じような戦争を繰り
返すようになる。

 では、人間にとっての最大の欠陥とは何か。そのヒントは、幼児の成長を、発展段階的に観
察してみると、わかる。たとえば満四、五歳ころの幼児は、純粋で無垢(むく)である。この時期
まで、あるべき環境のもとで、あるがままに育った子どもというのは、実に平和で、のどかな様
子を見せる。しかしその子どもが、やがて少年、少女期への移行期に入ると、もろもろの「しが
らみ」ができると同時に、無数の「しみ」が身につくようになる。いわゆる私たちおとなの原型
が、そこでできる。

 で、この時期をさらに詳しく観察してみると、この時期を境に、「欲」が生まれることがわかる。
フロイトは、「自我」という言葉を使って、それを説明したが、自我とも違う。名誉欲、所有欲、独
占欲、我欲、支配欲など。俗にいう「わがまま」、あるいは「我(が)」という言葉に総称される欲
である。教育の世界では、こうした欲を、善なるものとして、肯定的に受け入れる傾向が強い。
少なくとも、悪いものだとは思わない。事実、それによって伸びる部分も少なくない。しかしこう
した「欲」は、まさに両刃の剣。使い方をまちがえると、その人の人間性そのものまで狂わす。
集団になると、社会、さらには国のあり方まで、狂わす。戦前の日本や、現在の北朝鮮を見る
までもない。

 そこでこの欲を、どう位置づけるかだが、この欲を、人間が生来的にもつ欠陥と位置づけて
はどうだろうか。つまり欠陥と位置づけた上で、そのコントロールのし方を考える。一つの基準
としては、他者に対して、物理的な影響を与える「欲」については、「悪」という前提で考える。
「物理的」というのは、精神的な影響以外のものということになる。仮にその「欲」をもった人か
ら精神的な影響を受けたとしても、つぎにその影響を「行動」に移し、他者に影響を与える段階
で、コントロールする。その「コントロールのし方」が、もう一つの教育ということになる。

 たとえば昔、『おしん』というテレビドラマが、あった。あのおしんは、数年前、数千億円の借金
をかかえて倒産した、Yジャパンの社長のW氏の母親の、Kさんがモデルだとされる。最初、お
しんは、生きていくために働いた。しかしあるときから、ある意味で金の亡者になり、今度は、
働くために生きるようになった。日本中はその出世ぶりに感動したが、私はちがった。私の家
は昔からの自転車屋だったが、その系列の大型店ができてからは、閉店寸前まで追い込まれ
た。もしおしんが、生きるために働くということであれば、ああまで店の規模を大きくする必要な
どなかった。つまりおしんのもつ我欲が、私たちに物理的影響を与えた。もっと言えば、おしん
には、そうした我欲にブレーキをかけるだけの哲学がなかった。恐らく「マネー、マネー」という
だけの人ではなかったのか。その証拠にというわけではないが、日本中がおしんの苦労話に
は泣いたが、その反面、あのYジャパンが倒産したとき、関係者は別として、涙をこぼす人は、
一人もいなかった。

 たまたま今、中央教育審議会(文部科学省の諮問機関、鳥居泰彦会長)が、教育基本法の
見なおしをしている。そしてその中間報告素案が、明らかになっている。それによると、教育の
基本理念に愛国心や、社会形成に主体的にかかわる「公」の意識を前面に出ていることがわ
かる。もともと遠山敦子文部科学相が、昨年(〇一年)の一一月に、中教審に行った諮問は、
@伝統・文化の尊重、A家庭の役割、B宗教的情操の育成の三つの視点が「柱」になってい
た。しかし今回の中間報告素案では、三番目の宗教的情操の育成が見送られた。いろいろな
意見が付記されているが、これはしごく当然のことである。「宗教」といっても、今のように、K党
(S宗教団体が支持母体)が、政権の中枢部にいる「国」では、その宗教的中立性があやぶま
れる。ただ方向性としては、まちがってはいない。今の日本には、そして教育には、たしかに
「柱」となる情操的理念がない。

 そこで二つの考え方ができる。一つは、既存の宗教に依存するという考え方。遠山敦子氏が
諮問した、「宗教的情操」というのが、それにあたる。もう一つは、私たち自身が、新しい「柱」を
自らつくるという考え方。当然のことながら、私は後者を支持する。そしてその一つとして、ここ
に、「人間の欠陥」について考えてみた。これは情操のほんのひとつの「柱」にすぎないが、み
なが、それぞれの立場で、無数の柱をつくり、またそれを補強していけば、やがて宗教に負け
ないだけの大きな「柱」をつくることができる。何も神や仏に頼らなくても、自分たちの力で、そ
れができる。

 話が少しおおげさになってしまったが、人間には、生来的に欠陥があるという前提で、人間や
人間社会をみていくことは、まちがっていない。そうした謙虚さがあれば、私たち自身も、そして
この社会も、もう少し住みやすくなるのではないか。今の人間たちは、あまりにも傲慢(ごうま
ん)すぎる。
(02−10−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(248)

毎日、子どもの姿を見る

 私は高校二年まで、将来は建築屋になるのだと思っていた。設計士を考えていたが、現場の
大工にも、大きな魅力を感じていた。その私がやがて法科へ進み、商社マンになり、最終的に
は、今のような原稿を書くようになったのには、いろいろな理由がある。ともかくも、私は、ずっ
と、建築には興味をもっていた。今も、もっている。そういう立場で、少し専門分野を離れるが、
家の間取りについて……。

 子ども部屋を考えるとき、一番重要なポイントは、何らかの形で、子どもと家族が顔を合わせ
る接点をもつことである。具体的には、子どもが自分の部屋に行くときは、必ず、家族が集まる
居間や台所を通るようにする。このポイントだけはずさなければ、あとはそれほど、大きな問題
ではない。

 反対にこの接点がないと、そうでなくても、家族の心がバラバラになりやすいという現状にあ
っては、ますますバラバラになってしまう。「いつ学校から帰ってきたかわからない」「いつ出か
けたかわからない」「いつ帰ってきたかわからない」というのは、家族のあり方としては、たいへ
んまずい。ただし、それには条件がある。

 その一つは、そういう間取りではあっても、一方に親の過関心や過干渉があれば、逆効果だ
ということ。かえって子どもは、そういう間取りをうるさく思うかもしれない。息苦しく思うケースも
あるだろう。つまり「子どもを監視する」という目的で、こうした間取りを考えてはならないという
こと。あくまでも家族のパイプを大切にするという意味で考える。

 またこれはオーストラリアの例だが、オーストラリアでは子どもが高校生くらいになると、子ど
もたちは、親に別棟のバンガローを作ってもらい、同居する家そのものから離れることが多
い。これは子どもを自立させるという、親の思惑によるものである。いくら顔を見せあうといって
も、年齢的な上限があるようだ。その上限については、親子の信頼関係があれば、高校生に
なる前に、別居してもよいかもしれない。それはあくまでもケースバイケースということになる。
(02−10−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(249)

任せて育てる

 子どもは、任せて育てる。これも子育ての柱といってもよい。任すところは任せながら、親は
一歩、ひきさがる。まずいのは、何でもかんでも、親が口を出してしまうこと。とくに完ぺき主義
の親は注意する。こまごまとしたことを言いつけながら、それを子どもに最後まで守らせる、な
ど。子育ては、『まじめ七割、いいかげん三割』と覚えておく。いいかげんであることを恐れては
いけない。子どもはこの「いいかげんな部分」で、心を休め、心をいやし、そして羽をのばす。

 こんな家庭があった。その子ども(中一男子)は、学校でも、一〇〇人中、五〇〜六〇番あた
りをうろうろしているような子どもだった。その子どもに向かって父親がこう言っていた。「あの
な、お前、無理して勉強して、一番になることはないよ。のんびりやって、二、三番になればい
いよ」と。それに答えて子どもが、「ウルサイ!」とやり返していたが、私には、何とも、ほほえま
しい光景に見えた。

 たしかにこの日本では、受験勉強は避けて通れない道かもしれない。しかし子育てが終わっ
てみると、その受験勉強のむなしさが、ヒシヒシとわかる。そしてたいていの親は、こう悟る。子
どもにとって大切なことは、たくましく生きることだ、と。が、それ以上に大切なことは、家族の
絆。少なくとも、家族の絆を、子どもの受験勉強のために犠牲にしてはいけないということ。ま
た犠牲にするだけの価値は、絶対に、ない。

 話がそれたが、ときには、「お前の人生だから、お前はお前で、勝手に生きなさい」と、子ども
を突きはなすことも必要。子育ての目標は、子どもを自立させること。その目標を子育ての前
にかかげるなら、答はもう出たようなもの。『子どもは、任せて育てる』。
(02−10−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(250)

西田ひかるさんのこと

 実名を出して、恐縮だが、西田ひかるという、すばらしい女優がいる。私はその女優が、マス
コミに出てくるたびに、あの夜のことを思い出す。そして人間どうしをからませる、無数の縁の
糸を、ふと感ずる……。

 私はそのとき、G社という日本でも大手の出版社で、企画の仕事を手伝っていた。そんなある
日、そのG社のO氏と、伊豆を旅することがあった。そして伊東の旅館に泊まった。

 その温泉につかっていると、O氏がこう切り出した。「林さん、ぼくね、英語の雑誌を考えてい
るんですよ。ついては、力を貸してくれませんか」と。私は、「雑誌はたいへんですよ。ご存知の
ように、億単位の予算がかかりますから」と。そして最初は、その企画には反対した。

 が、一泊して熱海でO氏と別れるころ、その間に、どういう会話があったのかは、忘れたが、
「企画案だけは作っておきます」と、約束した。以後、数か月、私は英語雑誌の企画に、没頭し
た。カセットテープも、二〇本近く試作した。自宅にあったカラオケセットを利用して、それを編
集した。

 が、それから半年近くは、何の音沙汰もなく、過ぎた。が、その企画が、ひょんなことから、G
社でいう「社長会」の席で、通ってしまった。それについての経緯(いきさつ)はいろいろある
が、それについてはここには書けない。ともかくも、その企画が通ったのは、偶然に近いものだ
った。O氏自身も、「ひょうたんからコマです」と笑っていた。

 ふつう、単行本のばあい、人件費は別にして、安くて二、三〇〇万円前後の予算があれば、
出版できる。カラー刷りの豪華本となると、一〇〇〇万円前後。さらに全国販売の雑誌となる
と、ここにも書いたように、億単位のお金がかかる。私は「雑誌が無理なら、単発ものでも…
…」と思っていた。が、月刊雑誌になるとは! 予算規模がケタはずれに、違う。

 で、正式に、試作品をつくることになった。雑誌の名前は、当初考えていた「ピーカーブー」か
ら、「ハローワールド」に変更された。NHKに同じタイトルの海外報道番組があったが、簡単に
言えば、その名前を拝借した。たまたまNHKは、その名前を商標登録していなかった。

 で、試作という段階になって、O氏は、英語が話せて、マスコットガールになる女の子をさがし
始めた。その部分については、私は報告を受けるだけの立場の人間だったから、詳しい経緯
は知らない。が、O氏は、こう言った。「内藤Y子さんの娘さんに、Kさんという人がいますね。あ
の人を打診したら、ギャラが○○万円と言います。試作用の予算では、とても無理です」と。

 そこで困り果てたO氏は、横浜のアメリカンハイスクールに、自ら出むいて、適当な子をスカ
ウトすることにした。「適当」という言い方は、今の西田ひかるさんには、たいへん失礼な言い方
になるが、当時は、そういう雰囲気だった。そこで見つけたのが、その西田ひかるさんだった。
「英語はもちろん、歌もうまいです。すばらしい子ですよ」と。電話で報告してくれたO氏は、興奮
していた。

 そうして西田ひかるさんにお願いして、試作品が完成し、それからは月刊雑誌へと話がトント
ンと進んでいった。その西田さんと私が最初に会ったのは、創刊号が出る数か月前の、パーテ
ィの席だった。紺のジーパンをはいた、ごくふつうの高校一年生という感じだった。髪の毛も、
ふつうのおかっぱ頭だった。で、私はどういうわけか、その西田さんの横に座らせてもらった。

 もちろん西田ひかるさんは、私のことなど、覚えていない。ひょっとしたら、O氏のことも覚えて
いない。その後の西田さんの活躍ぶりは、すでにみなさんご存知のとおり。あれよあれよと思う
まもなく、日本を代表する女優となった。……なってしまった。

 で、最初の話。私はその西田ひかるさんを見るたびに、あの伊東の温泉を思い出す。いや、
このことはその後、O氏と会うたびに話題になった。「あの西田さんが、ああまで売れっ子にな
るなんて、思ってもいませんでしたね」「そうですねえ」と。もちろんそういう西田さんが、今の西
田ひかるさんになったのは、彼女自身のすばらしい才能と努力があったからにほかならない。
しかし人間の縁というのは、無数の糸がからみあってできるもの。もしあの夜、O氏が、英語雑
誌の話をしなかったら。もしそのあと、私が企画を始めなかったら。もしそのあと、企画が、社
長会を通らなかったら。そしてもしそのあと、O氏が横浜のアメリカンハイスクールへ出むかな
かったら、今の西田ひかるさんは、いなかったと思う。

 西田ひかるさんの名前を聞くたびに、私はふと、人間どうしをからませる、無数の縁の糸を感
ずる。西田さんの熱烈なファンの一人として……。
(02−10−31)※

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子育て随筆byはやし浩司(251)

日本の美

 イギリス人の街づくりで、感心するのは、どの街へ行っても、全体のバランスを考えて、街づく
りをするということ。このことは、イギリス本土にかぎらない。いわゆるイギリスの植民地になっ
た国々でも、そうだ。家々のカベの色、屋根の色、形なども、それぞれが調和している。

 一方、日本では、そうではない。先日、インド人の友人が東京へやってきた。「秋葉原へ行き
たい」というので、案内をした。するとその友人は、タクシーの窓から東京の街を見ながら、こう
言った。「すべてがメチャメチャだが、東京は曼荼羅(まんだら)のように調和している」と。彼と
しては、精一杯のお世辞を言ったつもりなのかもしれない。

 で、こうした文化の違いについて、「欧米は、押す文化、日本は、引く文化」と説明した人がい
る。たとえば刀で人を殺すときも、欧米人は、その刀を相手に押しながら、殺す。日本人は、引
きながら殺す。こうした違いは、ほかにも、包丁やノコギリの使い方にも表れる。欧米人は、も
のを切るときも、押しながら切る。日本人は、引きながら切る。

 同じように町並みをつくるときも、欧米人は、外から見た美を追求する。これに対して日本人
は、家の中から見た美を追求する。たとえば欧米では、通りから見たとき家が美しくなるよう
に、家の色や形を考える。しかし日本人は、まず自分の家を高い塀で囲み、その中だけで美を
追求する。つまり塀の外は、どうでもよいと考える。

 こうした民族性がつもりにつもって、今の違いとなった。たとえば私が住んでいるこの地域
は、どういうわけだか、コンクリートのブロック塀が多い。どれも暗い灰色にくすんでいる。また
その上には、クモの巣のように、電線が無数に張り巡らされている。こうした見苦しさは、しばら
く外国を旅行して、日本に戻ってきてみるとよくわかる。わかりやすく言えば、日本人は、街づく
りがへた。

 実際、アメリカへ行ってみると、家の豪華さには、度肝を抜かれる。全体のサイズが日本の
家より数倍大きいこともあるが、それぞれの家々が、全体のバランスを考えてつくられている。
(もちろんそうでない家も多いが……。)地域によっては、屋根の色、カベの色が統一されてい
る。芝生にしても、雑草をはやしておこうものなら、たとえ自分の家の庭でも、行政指導を受け
る。そういうアメリカから見ると、日本の家々は、まだまだといった感じがする。

 ……と、考えて子育て論。どこかこじつけの感じがしないでもないが、こうした「引く文化」は、
どこかで「自分さえよければ」という考え方につながる。「自分の家(うち)さえよければ」が、転じ
て、「うちの子さえよければ」となる。実は、こうした考え方が、教育改革の大きなネックになって
いる。私のような者が、いくら教育改革を唱えても、それ以上は広がっていかない。たいていの
親たちは、自分の子どもが学校を離れると、「うちはもう関係ありませんから」と逃げてしまう。

 こうしたことを総合的に考えると、「押す文化」と「引く文化」の、どちらがよいかという議論は
別にして、社会も、教育も、そして文化も、民族性に大きく影響を受けているのがわかる。言い
かえると、ものごとを考えるとき、そうした民族性の部分までメスを入れないと、解決しないこと
もあるということ。一つの考え方として、参考にしてほしい。
(02−10−31)

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子育て随筆byはやし浩司(252)

成功?

 二男から、こんなメールが届いた。「昨夜は、S(私の孫)がはげしく泣いた。たいへんだっ
た。……生活はたいへんだけど、ぼくもいつか、パパのように成功したい」と。

 私は最後の「成功」というところで、ハタと息を止めた。「成功? 私が、成功している?」と。

 私自身には、私が成功者だという自覚は、まったくない。ないばかりか、毎日が、まるで薄い
氷の上を歩いているようなもの。また自分の過去を振り返っても、損をすることはあっても、得
をするということは、ほとんどなかった。全体としてみれば、一〇の努力をして、報われたの
は、そのうちの七とか八程度ではなかったか。たとえば親の遺産にしても、ワイフの父親が死
んだとき。一二万円もらっただけ。あとにも先にも、その種類のお金を手にしたことは、ただの
一度もない。

 もちろん私には、肩書きも地位もない。名誉もない。何もない。しかし二男は、私のように「成
功したい」と。いったい、二男は、私の何を見て、そう言っているのか。

 もっとも人生には、そんなに得をすることなど、ない。中には貧乏クジばかり引いている人だ
っている。そういう人からみれば、たしかに私はラッキーだ。健康だし、家族も健康だ。いろい
ろ問題はあるが、みんなで力を合わせれば、何とかなる。たいしたぜいたくはできないが、それ
ほど大きな不幸もなかった。今のように、ほどほどに生きられれば、満足しなければならない
のかもしれない。これから先は、今までのようにはいかないと思うが、しかしその覚悟はできつ
つある。が、自分が成功者だとは、決して思っていない。

 そこで改めて考えてみる。成功者って、何か、と。

 地位や肩書きを得ることか? ……ノー! 名誉や名声を得ることか? ……ノー! 財力
や権力を得ることか? ……ノー! では、何か?

 私は生きることにまつわる無数の「地獄」から解放された状態を、成功というのではないかと
思う。いろいろな地獄がある。

 孤独。だれにも相手にされないこと。
 生きる目的がなくなること。自分の価値がなくなること。
 病気、家族の事故や死、別離。

 どれが一番とか二番とかいうことではないのかもしれない。どれもいやなものだ。ある意味
で、生きるということは、そういう地獄との戦いであると言ってもよい。そういう地獄を味わいたく
ないから、みな、歯をくしばって、懸命にがんばっている。仮に地位や肩書き、名誉や名声があ
るとしても、それはあくまでも結果。またそれがあったからといって、こうした地獄から抜け出る
ことはできない。地獄の中では、何の助けにもならない。ただお金について言えば、お金は人
を幸福にはしないが、なければ、その人を不幸にする。

 ……とまあ、どんどん話がわき道にそれていくのは、そもそも、「成功」とか、「失敗」とか、そ
ういう尺度で人生をみることが、まちがっているからだ。人生には、成功も、失敗もない。だか
ら成功者も、失敗者もいない。またそういう目で、人をみてはいけない。自分もみてはいけな
い。まあ、あえて言うなら、人生の最後の最後まで、生き生きと前向きに生きられる人のこと
を、成功者というのか。たいへんむずかしいことだが、ひとつの努力目標として、私はそう考え
る。

 二男には二男の意見があるのだろう。このエッセーをメールで送ってみて、二男の意見を聞
いてみたい。
(02−10−31)

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子育て随筆byはやし浩司(253)

善人ぶる

 私はいつから、こうまで善人ぶるようになったのか。とくにそれを強く感ずるのは、講演に招
かれたときだ。講師として、演壇の横にすわり、紹介されるのを待つ。主催者のあいさつのあ
と、講師紹介が始まり、そしてそれが終わると、演壇に登る。そのとき、私は、ふと、「どうして
私がここにいるのか」と思う。

 善人ぶることなら、だれにだってできる。簡単なことだ。それほど大きな努力はいらない。さも
知っているという顔をして、柔和な笑みを浮かべ、静かにしていればよい。何かを聞かれても、
きれいごとだけを並べていればよい。しかし本当にむずかしいのは、自分の中の悪と戦うこと
だ。堕落(だらく)から、身を守ることだ。あのトルストイも、『読書の輪』の中で、こう書いてい
る。「善をなすには、努力が必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」と。
前にも書いたが、よいことをするから、善人というわけではない。悪いことをしないから、善人と
いうわけでもない。人は、悪と戦って、はじめて善人になる。

 たとえば道路に、大金の入っているサイフが落ちていたとする。一〇〇万円とか二〇〇万円
でよい。まわりにはだれもいない。あなたがそれをもって帰っても、見つかることは、まず、な
い。しかもあなたは今、お金に窮している。その日に食べる食事代もない。そういうとき、あなた
は自分の中の邪悪さと戦うことができるか。それが、ここでいう「悪と戦う」ということである。

 こうした悪と戦う場面は、実は、日常生活の中では、頻繁(ひんぱん)に起こる。そういう意味
では、人間はまさに社会的な動物である。人と会っただけで、いつもそういう立場に立たされ
る。そこで大切なことは、まずささいな悪と戦ってみる。ウソをつかない。ゴミを捨てない。ルー
ルを守る。インチキをしない。そういうささいな戦いを通して、戦い方を身につける。自分を鍛え
る。私のばあい、いちいち考えて行動するのがめんどうだから、自分で教条的に、それを決め
て従うようにしている。たとえばウソにしても、一度ウソをつくと、あとがたいへん。つじつまを合
わせるために、つぎつぎとウソをつかねばならない。気をめぐらさなければならない。考える力
があったら、もっとほかのことに使いたいという思いもある。だからウソはつかない。が、それで
ももし、大金の入ったサイフが落ちていたら……。

 そんな「私」を知るひとつの手がかりとして、こんな事件があった。

 私が大学三年生のときのこと。夜、バス停でバスを待っていると、足もとに一〇〇〇円札が
落ちているのに気がついた。私はとっさに、なぜそうしたかはわからないが、それを足で踏み
つけて隠した。うしろはたまたま交番だった。私はそのままの姿勢で、じっと立った。今でもそ
のときの気持ちをよく覚えているが、私はそれを、何かのワナではないかと思った。手でつか
んだとたん、うしろから警官がやってきて、「逮捕する」とか何とか。私はつぎつぎとやってくるバ
スを見送りながら、時間にして、三〇〜四〇分はそのまま立っていた。

 一〇〇〇円といっても、今のお金になおすと、五〇〇〇円ほどの価値がある。その上、当時
の私は貧乏学生。一度でよいから、あのトンチャン(焼肉)を、腹いっぱい食べてみたいと思っ
ていた。が、どうしても手をのばしてそれを拾うことができなかった。私は法科の学生だった。
そういう自負心もあった。だからそのまま立っていた。が、多分、不自然な位置だったと思う。
あとから並んだ人が、けげんそうな顔つきで私をながめながら、横を通り過ぎ、バスに乗り込ん
でいったのを覚えている。

 私は善人か。それとも善人ではないか。そこでこういう話を、中学生にぶつけてみた。「君た
ち、交番の前で、五〇〇〇円を拾ったら、どうする?」と。六人の中学生がいた。すると、全員
が、「交番に届ける!」と。そこですかさず、「君たちは、本気か? きれいごとを言っているだ
けではないのか?」と聞くと、また「交番へ届ける!」と。ひとり、「どうせそういうお金は、自分の
ものになるよ」と。

 そこでまた私は考えてしまった。中学生でもわかる論理が、当時の私にはわからなかったの
か、と。いや、頭の中でシミュレーションするのと、実際、そういう立場に立たされるのとでは、
受けとめ方はまるでちがう。中学生の言葉をそのまま信ずることもできない。そこで話を変え
て、「一〇〇〇円だったら、どうする?」「五〇〇円だったら、どうする?」と聞いてみた。する
と、「一〇〇〇円なら、もらってしまうかな」「一〇〇円だったら、ぼくのものする」と。どうやら、こ
うした善悪は、金額によって決まるようだ。……ということは、彼らがもっている論理は、倫理で
はない。

 それが倫理であるかどうかは、つまりその人の行動規範であるかどうかは、人が見ていると
か、見ていないとかいうこととは関係ない。このケースで言えば、金額の大小ではない。あくま
でも自分の問題なのだ。たとえばゴミにしても、「大きなゴミは、道路に捨てないが、小さなゴミ
なら捨てる」というのは、倫理ではない。たとえガムの食べかすでも、道路へ捨てない。そういう
ふうに、自分を律する力が、倫理なのだ。

 私はしかし、中学生たちが、「一〇〇〇円なら、拾ってもらってしまうかな」と言ったとき、正直
言って、ほっとした。理由は簡単だ。

 私はそのあと、うしろの交番に目をやりながら、その一〇〇〇円札を拾って、すかさず自分
のポケットにつっこんだ。そしてあとは一目散に、その場を走って逃げた。うれしかった。本当
にうれしかった。そして私は今でも、はっきりと思えているが、その一〇〇〇円で、喫茶店でお
茶を飲んだあと、あのトンチャン屋へ足を運んだ。ライスが一〇〇円。トンチャンが一皿、一五
〇円。それを腹いっぱい食べた。

 そんな私が、今、善人ぶって、みなの前に立つ……? いつか私を講演会で見る人がいた
ら、ぜひ、このエッセーを思い出してみてほしい。そしてこう思ってほしい。「あの、林め、偉そう
な顔して、善人ぶっているが、どうしてあんな男が、ここにいるのか?」と。そう思ってもらったほ
うが、私にとっては、ずっと気が楽になる。
(02−11−1)

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子育て随筆byはやし浩司(254)

負けるが、勝ち

 子どもを間にはさんだトラブルは、相手が先生であれ、親であれ、子どもであれ、『負けるが
勝ち』。これは子育ての大鉄則。

 ほかのことならともかくも、子どものことで、先生や、親や、相手の子どもと争っても意味はな
い。ないばかりか、争えば争うほど、かえってあなたの子どもの立場は悪くなる。たとえば園や
学校の先生、あるいはほかの親から、何か子どものことで苦情を言われたとする。そういうとき
は、まずこちらが頭をさげる。さげて謝る。あなたが「ごめんなさい、うちの子はできが悪いもの
ですから」と。それを先に言ってしまえば、相手も、「いいんですよ、うちも悪いんです」となる。
そしてあとは、ものごとがスムーズに流れる。理由はいくつかある。

 わかっているようでわからないのが、自分の子ども。とくに子どもは、小学校へ入って、友だ
ちとの第三世界(家族を中心とする世界を、第一世界、園や学校を中心とする世界を、第二世
界という)が大きくなると、何かにつけて親の目が届かなくなる。そして子どもによっては、それ
ぞれの世界で、まったく別の人間を演ずるようになる。そういう子どもの姿を知るためには、ま
ず、親自身が謙虚になること。そのために、先に頭をさげる。

 また子どもに居心地のよい世界をつくるのは、親の役目でもある。中には「それでは子どもが
かわいそう」と言う親もいるが、親がカリカリすればするほど、結局はそのシワヨセは、子どもに
集まる。子どもの問題は、子どもの問題。「どうせ子どもの問題ではないか」という、割り切り
も、ときには大切。こんな事件があった。

 ある子ども(小三男児)が、学校から帰るとき、「足で石を蹴った」。子どもは「蹴った」と言った
が、本当は悪意をもって投げたのかもしれない。が、その石が、運悪く、A教師の車に当たって
しまった。子どもは「たまたま当たった」と言ったが、本当は当てるつもりで当てたのかもしれな
い。A教師の車は、買ってまもない、新車だった。事件は、ここから始まる。

 A教師は、保険で修理費をまかなうことにした。しかしそのためには、事故調書を取らねばな
らない。で、こういうケースでは、教師はその子どもの保護者である親を、加害者にして調書を
作成するしかない。が、その親は、がんとして、それを受け入れなかった。最後の最後まで、
「子どものしたことだから」「そんなところに車をとめた、先生が悪い」と。私にも相談があったの
で、私は、「いいじゃないですか。適当に応じておけば」と言った。A教師の目的は、修理費を保
険でまかなうことだった。その子どもを責めることではなかった。が、それについても、「私は子
どもの名誉のために戦います」と。しかし「戦う」とか、「戦わない」とか、もともと、そういうおお
げさな話ではない。

 もちろんこのケースでも、その事件を境に、親と教師、教師と子どもの信頼関係は、こなごな
に崩れた。教育というのは、その信頼関係で成りたつ。信頼関係がなかったら、教育そのもの
が成りたたない。事実、その事件があってからまもなく、その子どもは、あちこちで問題を引き
起こすようになった。友だちを殴って、ケガをさせるなど。恐らくA教師がその子どもにブレーキ
をかけなくなったためではないか。

 もちろん親に卑屈になれと言っているのではない。正義をまげろと言っているのでもない。た
だ、自分を、子どもと同等の世界に置いてはいけないと言っている。えてして親は、子どもの世
界で、何かトラブルが起きると、その世界に巻き込まれてしまう。そしてそのトラブルに関わって
いるうちに、自分を見失ってしまう。これがこわい。少し前だが、親どうしの、言ったの、言わな
いのがこじれて、裁判沙汰になったケースもある。親や教師の不用意な発言が原因で、親や
教師が転校させられる事件となると、これまた日常茶飯事。が、そういう事件が起きるたびに、
結局は一番キズつくのは、子ども自身ということを忘れてはならない。

 だから、『負けるが、勝ち』。子どものことで、親が争っても、よいことは、何もない。
(02−11−1)

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子育て随筆byはやし浩司(255)

まじめ七割、いいかげん三割

 子育てでこわいのが、スパルタ主義、極端主義、それに完ぺき主義。

 スパルタ主義というのは、「スパルタ教育」をいう。きびしい鍛錬主義の教育をいう。古代ギリ
シアのスパルタで、戦士教育のために使えわれた、「勤倹・尚武の厳格な教育をいう」(日本語
大辞典)。この主義は、もともと親像に欠ける親が、短絡的な思考で用いることが多い。とくに
幼児期には、してはならない。幼児期は、心豊かな親の愛のもと、穏やかな家庭環境を大切に
する。

 つぎに極端主義というのは、バランス感覚に欠けた教育法をいう。おけいこ塾にしても、毎
日、分きざみのスケジュールを組んだり、あるいは反対に、朝から晩まで、同じことをさせるな
ど。数年前、日本の中学校を訪問したあるアメリカ人の教師が、こう話してくれた。

 「日本の中学校では、たとえば野球部の生徒は、学校が始まる前も、終わってからも、野球
ばかりしている。土曜日も、日曜日も、野球ばかりしている。異常だ」と。

 そこで私が、「では、アメリカの子どもたちは、どうしているか」と聞くと、こう話してくれた。

 「アメリカでは、私たちは毎日、いろいろなスケジュールを組むようにしている。野球部の生徒
でも、音楽鑑賞をさせたり、美術館を回らせたりしている。毎日、野球ばかりさせるようなことは
しない」と。

 日本では、極端であればあるほど、よい教育と誤解しているようなところがある。しかし極端
であればあるほど、「いびつな人間」(失礼!)ができる。しかしこれは本来あるべき、子どもの
姿ではない。またそうであってはならない。

 そして完ぺき主義。この完ぺき主義には、いろいろな意味がある。こまかなことを、神経質に
子どもに守らせるというのも、完ぺき主義。音楽も、体育も、勉強も、はては人間関係もすべて
うまくさせようと考えるのも、完ぺき主義。しかしそれが何であるにせよ、完ぺき主義は、子ども
に害になることはあっても、よいことは何もない。

 子どもは、(そしておとなも)、「いいかげんな部分」で、息を抜き、羽をのばす。いいかげんな
ことを容認せよというわけではないが、手抜きができないほどまで、子どもを追い込んではいけ
ない。言うべきことは言いながらも、あとは適当にすます。先週も、ある講演会へ行ったら、あ
とで、こんな質問が出た。「うちの子(小学生)は、食事中も、姿勢が悪くて困ります。どうしたら
いいでしょうか」と。

 私はこう答えた。「言うべきことは言っても、あとはあきらめなさい。そういう場になったとき、
それができればそれでよしとします。家庭というのは、心をいやし、家族といこう場所です。そう
いうところで、あまりカリカリ言うと、家庭が家庭としての機能を失ってしまいます」と。

 今、親の完ぺき主義が原因で、神経症、さらには情緒障害や、さらには何らかの精神障害に
なる子どもは少なくない。もしそれでもあなたが完ぺき主義がよいというのなら、あなたも明日
から、禅道場かどこかへ入ったような気持ちで、自らを律してみることだ。それをまず、あなた
自身が実行し、それを子どもに見せながら指導する。が、それができないというのであれば、
あ・き・ら・め・る。『まじめ七割、いいかげん三割』というのは、そういう意味である。
(02−11−1)

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子育て随筆byはやし浩司(256)

今、子どもの世界では……

●J君の言葉
 中学二年生の、J君と話す。そのJ君が、自分の不安について、ポツリポツリと話し始めた。
彼は、こう言った。

 「次回の期末試験が、気になる。点数が気になる。いつも気になるが、今回は、テスト範囲が
広いから、気になる。勉強の調子はふつうだが、不安な教科がある。英語だ。英語は暗記しな
ければならないことが、たくさんある。暗記はしているが、すべて暗記できるかどうか、不安だ。
一〇〇点をめざしているわけではない。八〇点くらいでいい。しかし八〇点もむずかしい。悪い
点数をとったときのことを考えると、不安になる。点数だけなら気にならない。親が気にするか
ら不安になる。親は気にして、怒る。こわくはないが、ゆううつになる。そして先のことが不安に
なる。成績は、そのまま高校受験に関係してくる。今、言えることは、しっかり勉強して、あとに
なって後悔しないこと」と。

●後悔?
 J君は、「後悔」という言葉を使った。そこで私が、「それはだれかの受け売りではないか」と聞
くと、「ぼくの言葉だ」と。が、今度は、私のほうが考えてしまった。私は、もともと負けず嫌いの
人間だから、後悔という言葉は好きではない。実際には、その言葉を、ほとんど使ったことがな
い。その時点、時点で、現状を受け入れ、そのつどあきらめるべきことは、さっさとあきらめて
いる。今も、そうだ。考えれば、後悔すべきことは、たくさんある。しかしできるだけ、それについ
ては、考えないようにしている。後悔するということは、私にとっては、敗北を認めるようなもの
なのだ。

 それに、私は、いつも、そのつど、懸命に生きてきた。失敗ばかりしていたが、しかしやるべ
きことをやったという思いが強いから、後悔というものはない。たとえば今、知人や友人の中に
は、「肩書き」や「地位」という面では、出世(この言葉は、本当に不愉快だが)した人も多い。日
本でも、一、二を争う大学で、教授になっている人もいる。そういう人たちに基準を置けば、静
岡県の片すみで、こうして売れもしない原稿を書いている私は、まさに失敗組ということにな
る。後悔しろと言われれば、私ほど、後悔しなければならない人間もいない。しかし私は後悔し
ない。その必要もない。しかしこれは私の負け惜しみか。それとも、開きなおりか。あるいはひ
ょっとしたら、後悔するのがこわくて、懸命にふんばっているだけか。……ふと、そんな迷いが、
心をふさぐ。

 が、この問題も、何が本当に大切かという視点にもどれば、おのずと結論が出てくる。名誉
か、地位か、肩書きか、立場か、財力か、と。これについては、私のワイフが教えてくれた。私
のワイフは、まったく野心のない女性で、結婚したころは、同じ人間の中に、そういう人間がい
ること自体、信じられなかった。一方、ワイフは、いつも私にこう言っていた。「あなたはかわい
そうな人ね」と。

 ここまで考えて、私はJ君に作文を書かせた。

●今の自分とこれからの自分

 とうとう一一月に入り、期末テストが近くなってきました。前回のテストでは、まあまあよい成績
をとることができましたが、今回のテストは、今までの努力の結果が出るかどうかという意味
で、特別なテストです。この四か月、自分の不安な科目について、重点的に勉強をしてきまし
た。しかし不安です。もしこの努力について、結果が悪いと、いけないからです。(文は、少し、
筆者が改めた。)

 そのときだ。私は、あのワイフの言葉が、頭の中を横切った。「J君は、かわいそうな子ども
だ」と。

●かわいそうな子ども
 J君は、勉強が好きで、勉強しているわけではない。勉強がしたいから、週に一度、私のとこ
ろにきているのではない。彼がなぜ、私のところにきているかと言えば、背負い込んだ不安と
戦うためにきている。しかしその不安というのは、J君自身がつくった不安というよりは、社会的
な重圧感と言ってもよい。彼は、市内でも一番という進学校に通っている。そういうところでは、
否応なしに、そういった不安の世界に巻き込まれてしまう。

 J君は、さかんに「あとで後悔したくないから」と言っていた。それについて、私は、こう話した。

 「あのね、懸命に生きれば、後悔なんてしないよ。やるだけのことを、やればいい。結果はあ
とからついてくる。しかしね、懸命にやれば、それがどんな結果であれ、それは君自身なんだ。
君が、君自身をつかめば、絶対に後悔はしない。だいたい高校にも、大学にも、いい高校、い
い大学なんて、ないんだよ。またそういうところへ行ったからといって、成功者ということにはな
らない。もちろん、幸福になれるということでもない。君には、すばらしい健康と、才能があるで
はないか。君は、すでに幸福なんだよ。それを信じて、そしてそれを大切にして、今、やるべき
ことをやろう。それでいいんだよ」と。

 J君は、懸命に笑みを浮かべながら、暗く沈んだ心を隠そうとしていた。それが私にはつらか
った。私がせいぜいできることと言えば、J君のそうした不安を軽くすることだが、しかしそれは
もうできないだろう。J君の心をふさぐ大きな石は、石というより、巨大な岩石に近かった。もし
私が精神科医なら、気うつ症という診断をくだしたかもしれない。いつしか私は、J君の好きな、
釣りの話に話題を変えた。そして一時間ほど、その釣りの話をした。

帰り際、岐阜の友人が送ってくれた長良川の写真集を、「あげるよ。いつか、こういうところで、
釣りをしてごらん」と言って渡すと、うれしそうに、それをカバンに入れて、帰っていった。
(02−11−2)
 
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子育て随筆byはやし浩司(257)

夢判断(the Interpretation of Dreams)

 フロイトの「夢判断(the Interpretation of Dreams)」は、よく知られている。フロイトによれば、
夢は、二重の構造に分かれるという。たとえば眠っているとき、何かの夢を見る。その夢その
ものを、「顕在的夢内容(manifest dream)」といい、その夢の奥に隠されている、意識下の意味
を、「潜在的夢思考(latent dream thought)」という。

 わかりやすく言えば、人間は夢を見るが、夢には、意味があるということ。たとえばソーダ水
の夢をみたとする。その夢そのものが、「顕在的夢内容」。しかしなぜソーダ水の夢を見るかと
いえば、のどがかわいていて、水を求めるから。その「求める部分」が、「潜在的思考」というこ
とになる。

 フロイトは、「夢は、現実と、潜在的意識をつなぐ」と考えた。というのも、潜在的意識は、その
人自身は意識することができない。脳の深い部分に隠されていている。が、その潜在的意識
は、夢という形であらわれるというのだ。そこでフロイトは、その人が見た夢をてがかりに、その
人の脳の奥にひそむ潜在意識をさぐろうとした。それが「夢判断」である。

 実は、こうした手法は、東洋医学にもあって、すでに少なくとも二〇〇〇年ほど前には、中国
で確立されていた(霊枢、淫邪発夢篇)。私が書いた本、「目で見る漢方診断」(飛鳥新社版)で
も、とりあげた。「フロイトが書いた」というと、どこかありがたい感じがするのは、それだけ私も
権威主義者ということか。それはさておき、もう少し、フロイトの説に耳を傾けてみよう。

 フロイトが言うには、「人はあることを忘れようとすればするほど、そのことを無意識の世界
で、考えるようになる」という。このことも、現実の生活に当てはめてみると、よくわかる。たとえ
ばAさんならAさんのことで、いやなことがあったとする。そのときそのAさんのことを忘れよう
と、心にフタをすればするほど、そのいやなことは、潜在意識の中に、より深くもぐり込む。だか
ら表面的には忘れたかのように見えるが、実際には、潜在意識の中で、より強く、Aさんや、そ
のいやなことを考えるようになるという。

 が、こうした潜在意識のこわいところは、その先である。潜在意識は、あなたが意識できない
ところに巣をつくり、やがてあなたを裏から操るようになる。無意識の世界から、あなたを操る
から、あなたがそれに気づくことはない。

たとえばあなたがもし、子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すと
いうことであれば、まずこの「巣」を疑ってみる。たとえば子どもが何かを失敗したとき、思わ
ず、手が出てしまうとか……。ある母親は、自分の子(四歳児)を叩くとき、いつも「あんたさえ、
いなければ!」と叫んでいた。なぜそう叫ぶのか、自分でもわからなかったという。が、私が「そ
れはあなたが、今の夫との結婚を望んでいなかったからではないですか」と言うと、そのときは
じめて、その母親は、自分の言葉のもつ意味に気づいたようだった。

●あなたの夢判断
 何人かの高校生に、「君たちは、よく、どんな夢を見るか」と聞いてみた。すると、こんな答が
かえってきた。

☆「学校の階段の上から、飛び降りて、空を飛ぶ夢」
☆「バスに乗り遅れる夢」
☆「どこかのホテルに泊まっている夢」
☆「ロボットに追いかけられる夢」と。

「学校の階段から飛び降りる夢」は、抑圧からの解放を願っているということか。「バスに乗り遅
れる夢」「ホテルに泊まっている夢」というのは、追いつめられた高校生の心情を表していると
もとれる。私も、この種の夢をよく見る。「ロボットに追いかけられる夢」もそうだ。この種の夢
は、幼児でもよく見る。幼稚園の年長児にも聞いてみたが、子どもだから、ほんわかとした楽し
い夢を見るというのは、ウソ。大半(半分以上)の子どもは、ほとんど毎日、「こわい夢」を見て
いる(筆者、調査。詳しくは別のところで)。

 そこであなた自身はどうか。あなたは夜眠っているとき、どんな夢を見るだろうか。私が今
朝、こんな夢を見た。その夢を、正直に書く。

 ……私は、数人の仲間と、車に乗っていた。道端に、大きな木の枝が数本、落ちていた。
一、二本はやり過ごしたが、三本目のとき、木の枝が車をこすりそうになったので、私はドアの
外に出て、その木の枝を、さらに遠くに投げた。

 また私は車に乗った。途中、青い壁の家の前で止まった。そこで友人の一人がおりた。それ
までは気がつかなかったが、彼は青い目をしていた。「あいつはアメリカ人だったのか」と隣の
男に聞くと、その男は、そうだと言った。

 が、気がつくと、私はその青い壁の家の中にいた。ずいぶんと粗雑なつくりの家で、中は、ベ
ニア板で仕切られていた。私は自分の部屋をさがすと、窓際の狭い部屋が、それだった。この
あたりで、目がさめた……。

 この夢は、いったい、何を表しているのか。あるいは、何も表していないのか。私のばあい、
夢というと、たいていいつもどこかを旅している。それだけ精神状態が落ち着いていないという
ことか。しかもその旅には、いつも不安がついてまわる。スンナリといかない。道端の木の枝が
それを表している。それはそのまま、今の心理状態を代弁している。私は毎日、心のどこかに
不安をかかえながら生活している。(不安のない人はいないと思うが……。)

 青い目の友人が出てきたのは、これは毎度のことで、あまり意味はないと思う。しかし青い壁
の家は……? そういえば、先月、招待された友人の家は、青い壁の家だった。そこには、オ
ーストラリア人の夫と、スイス人の妻がいた。それが記憶に残っていたのかもしれない。

 最後の狭い部屋は何か。多分、あの部屋は、学生時代の下宿を表していたのだと思う。あの
部屋も、ベニア板で仕切られていた。広さは、四畳しかなかった。……などなど。こうしてときに
は、自分の夢を分析してみるのも、おもしろいかもしれない。さて、あなたは今朝、どんな夢を
見ただろうか。
(02−11−2)

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子育て随筆byはやし浩司(258) 

観察学習

 日本語で「学ぶ」というのは、もともと「マネブ」から派生しているという説がある。つまり、「ま
ねをすることが、学ぶ」と。

 これについて、こんなおもしろい実験がある。

 海に住む軟体動物のタコは、かなり頭のよい生き物らしい。そこでそのタコを調教してみた科
学者がいた。彼は、タコに、赤と白のボール見せ、赤いボールのうしろにはエサが隠されてい
て、白いボールに触れたら、軽い電気ショックを与えようにした。するとタコは、二〇回前後の
試行錯誤の結果、白いボールには、触れなくなったという。

 が、もう一つ、水槽を用意して、そこに別のタコを入れておき、先のタコが学習するのを見せ
ておいた。そしてそのあと、同じような調教をしてみたところ、そのタコは、四回の試行錯誤だ
けで、白いボールには触れなくなったという。つまりそのタコは、別のタコが学習するのを見な
がら、自分でも学習していたことになる。これを専門用語では、「観察学習」という(参考、山本
大輔著「脳と記憶の謎」講談社現代新書)。

 このことからもわかるように、他人のマネをするということは、意外に簡単なことだ。こんな話
もある。合成ゴムの研究と開発には、何一〇年もかかった。しかしひとたびそれが世に出回る
ようになると、研究室の学生ですら、見よう見まねで、半日で合成ゴムを作ることができるよう
になったという。さらに、昨日もテレビを見ていたら、今では核兵器を作ることなど、何でもない
そうだ。「銅線と爆薬と、ある程度の量のウラニウムがあれば、一〇〇〇万円程度の費用でで
きる」(テレビ報道)と。「今では、もっとも安価な爆弾になった」そうだ。

 言いかえると、子どもにものを教えるときも、まねをさせるのは、簡単なこと。しかし子ども自
身に考えさせるのは、たいへんむずかしい。と同時に、時間がかかる。たとえば子どもに向か
って、「この問題は、このように解くのですよ」と教えるのは、簡単なこと。しかし自分で解答し方
そのものを引き出すことができるように導くのは、たいへんむずかし。と同時に、時間がかか
る。このことは、幼児についても言える。それまでワイワイと騒ぎながら授業をしていた子どもで
も、私が「あなたはどう思う?」と意見を求めたとたん、シーンとしずまりかえってしまう。しかも
時間がかかる。やっと口を開いたとしても、たどたどしい言い方しかしない。まるで別人になっ
たかのように錯覚することもある。

 こうしたことを考え合わせると、「教える」といっても、二種類あるのがわかる。一方、「学ぶ」と
いっても、二種類あるのがわかる。「まねをさせる教え方」と、「自ら考えさせる教え方」。「まね
をする学び方」と、「自ら考える学び方」である。どちらがよいとか悪いとかいうのではなく、本来
の教育というのは、「自ら考えさせ」、「自ら考える」という関係でなければならない。少なくとも、
上から下へ、ただ一方的に情報を伝達するような教育は、教育ではない。戦前の日本のよう
な、あるいは今の北朝鮮のような国で、人間ロボットを作るという意味では、効果的な方法かも
しれない。が、そういう教育で生まれるのは、あくまでもロボット。人間ではない。

 ただとても残念なことは、今の日本の教育システムの中では、ゆっくりと考えながら進む子ど
もは、受験勉強では不利だということ。たとえば分数どうしの割り算がある。その問題のとき、
「割る分数は、(分母と分子を)ひっくり返して掛ければいい」と教える。読者のみなさんも、たい
ていそう習ったと思う。私もそうだった。しかしではなぜ、ひっくり返して掛ければいいのか、そ
の理由を、きちんと説明できる人はいるだろうか。私も塾の講師をアルバイトでしていたとき、
一人の女の子に、その質問をされて、あわててしまったことがある。「どうして円周率は、3・14
ですか」と聞かれたときも、そうだった。もう三〇年近く前のことだが、そのときは、「あとでまた
教える。今日は時間がないから」と逃げるしかなかった。

 もっとはっきり言えば、今の日本の教育は、子どもに考えさせるというシステムになっていな
い。受験体制そのもの、そうなっていない。むしろ考える子どもを、避ける傾向がある。嫌う先
生すら、いる。「考える力といっても、それをどう評価(採点)するのか」と、質問してきた先生が
いた。だから授業そのものも、「わかったか?」「では、つぎ!」が、基本になっている。教える
側にしても、子どもにいちいと考えさせていたら、カリキュラムを消化できなくなってしまう。

 しかしこれからの日本を考えるとき、今のままでよいとは、だれも思っていない。いや、今まで
は、「追いつけ、追い越せ」が教育の柱になっていたから、それでもよかったかもしれない。今
の日本の繁栄は、その結果であるとみてよい。しかしそういう時代は終わった。教育について
も、そういう教え方は、もう通用しない。つまり、もう「マネブ」という時代は、終わった。
(02−11−2)※

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子育て随筆byはやし浩司(259)

「心の客人」論

●招かざる客
 あなたは自分の家には、不愉快な人や、いやな人は入れない。不要なものも置かない。見て
いて不愉快になるものは、置かない。それと同じように、心の中には、不愉快な人や、いやな
人は入れない。不要なものも置かない。見ていて不愉快になるものは、置かない。たとえて言う
なら、心の中は、あなたの家そのもの。

 少し前だが、私に執拗ないやがらせをしてきた人がいた。最初は誤解から始まったものだ
が、そのいやがらせの内容はともかくも、「どう文句を言ったらよいのか」「どう反撃したらいい
のか」「こちらの言い分をどう通せばいいのか」と、あれこれ考えているだけで、自分のレベル
が、どんどんとさがっていくのを感じた。そしていつの間にか、気がついてみると、そのいやな
人が、私の心の家の、そのどん真中に、デーンと座っているのを知った。

 こうした招かざる客は、簡単には出て行かない。「出て行け」と言っても出て行かない。その
上、ひとたび入ってくると、家の中で、わがもの顔で動き出す。だから、こうした招かざる客は、
玄関に入る前に、そこで退散してもらう。

●心の客人論 
 心の中に入れる客人は、選んだほうがよい。これは当然のことだ。しかし油断してはいけな
い。これはコンピュータのウィルスと同じで、油断をすると、すぐ入ってきる。だから安っぽい好
奇心はもたないこと。お人好しが悪いというのではない。ないが、安易に相手に期待をもたせ
ないこと。自分を飾ったりすると、それが理由で、「出て行け」と、言えなくなってしまう。一五年
ほど前だが、こんな事件があった。

 一人のセールスマンがやってきた。百科事典を売りたいと言った。ついては、生徒の名簿を
貸してくれないかと言った。私は貸せないが、パンフレットなら配ってあげてもよいと答えた。結
果、七、八人の生徒からの注文をとることができた。が、このときから、その男は本性を出し
た。その男はその七、八人の生徒の家をつぎつぎと訪問し、別の高額商品を売りつけようとし
た。「私と、林先生は、二〇年来の親友です」と、ありもしないウソを並べた。

 この男とのトラブルは、そのあと二年近くもつづいた。私が最初会ったとき、「いいかっこう」を
してみせたからだ。少し大物ぶってみせた。それが悪かった。

 「この人はおかしいな」と感じたら、玄関先で話す程度にする。またその段階で、帰ってもら
う。とくに心の客は、そうで、決して、それ以上、自分の心の中に入れてはいけない。

●交際論
 こういう意見に対して、「いろいろな人とつきあうのは、大切なことだ。自分の視野を広げる」と
いう意見がある。こういう意見は、よく子どもの世界で、耳にする。

 しかし、本当にそうか? 私は今、当然のことだが、暴力団とか、そういう類の人とは、いっさ
い、関係がない。あやしげな商売としている人とか、あやしげな宗教をしている人とも、いっさ
い、関係がない。考えてみれば、今、つきあっている人は、ある一定のかぎられた層の人たち
にすぎない。しかしそれで困ることは何もない。

 英語のことわざに、『同じ羽の鳥は集まる』というのがある。日本でも『類は友と呼ぶ』という。
その子どもがどんな子どもかを知りたかったら、その子どもがどういう仲間の中にいるかを見
ればよい。同じように、自分という人間を知りたかったら、今、自分がどういう仲間の中にいる
かを知ればよい。それがとりもなおさず、「私」のレベルということになる。言いかえると、自分を
高めるためには、よりよい仲間をさがし、その輪の中に入っていく。さらに言いかえると、レベ
ルの低い人たちとは、勇気をもって決別していく。人生が永遠にあるのなら、回り道をしてもか
まわないが、人生は、短い。回り道をしているヒマなど、ない。

 だから私はある時期から、自ら交際範囲を、せばめていった。しばらくつきあってみて、「この
人と話しても時間のむだ」「会っても、得るところがない」と感じたら、そのまま別れるようになっ
た。そんなとき、最初に迷ったのは、年賀状だった。いつの間にか、毎年交換する年賀状が、
X百枚以上にもなった。経済的な負担も相当なものになった。そこでワイフに相談すると、意見
が二つに分かれた。「今までつきあった人は大切だから、最後まで大切にしよう」という意見と、
「もう会うこともないような人なら、交換するのはやめよう」という意見。実のところ、この問題に
ついては、今でも結論は出ていない。

●トラブル
 心の中に入った招かざる客は、どうやって追い出すか。先に書いた、私にいやがらせをして
きた男について、私は、相当不愉快な思いをした。無視しようと思ったのだが、相手は断続的
に、それを繰り返してきた。もう少し、具体的に話そう。

 これはあとでわかったことだが、その男のところに、しばらくの間、無言電話がかかってきた
らしい。それでその男は、どういうわけだか、その無言電話の犯人が、私だと思ったらしい。そ
こでその男が使った手は、逆に私に無言電話をかけるという方法だった。しかし私の電話機
は、すべてナンバーディスプレイになっている。だれから電話がかかってきたは、すぐわかる。
が、その男の電話機は、電話帳に登録されていなかった。私はナンバーだけひかえて、そのま
ま無視することにした。

 が、ある日、ひょんなことから、その電話の持ち主がわかった。何と町内の電話帳に、その男
の電話番号が載っていたのだ。しかも私の家のすぐ近くに住んでいる男だった。何かのこと
で、私のことをよく思っていなかったのだろう。町内会で対立したことか、あるいはワイフとのト
ラブルがあったことか。……などなど、いろいろ考えた。で、私はある夜、その無言電話がかか
ってきた直後、その男に、こちらから電話をした。

 「今、私の家に電話をしませんでしたか?」
 「するわけないだろ!」
 「しかしこちらの記録には、あなたの家の電話番号が記録されています」
 「してないって言ってるだろ!」
 「何か、用事があるなら、途中で電話を切らないでください」
 「してないと言ってるだろ(ガチャン!)」と。

●いかに客人を追い出すか 
 こうしたトラブルで、大切なことは、トラブルそのものを解決することではない。この種のトラブ
ルは、日常茶飯事。いちいちカリカリしていたら、身がもたない。よく政治家は、「私の不徳のい
たすところ」という言葉を使うが、そういうトラブルが起きるということ自体、まさに自分の「不徳」
と考えてよい。仮に犯人がわかっても、その犯人を責めても意味がない。責めれば責めるほ
ど、自分自身も、そのレベルに落ちることになる。

 では、どうするか。私は無視するという方法をとる。なかなかむずかしいことだが、それにまさ
る方法はない。その電話をしたあと、何とも気まずいというか、胸騒ぎすると言うか、不愉快な
気持ちを、私は味わった。いやがらせをされるほうだって、いくら被害者とはいえ、気分は悪
い。で、気がついてみると、先にも書いたように、その男が、私の心の家に、土足でズカズカと
入りこんでいるのがわかった。

 一度入り込んだ、招かざる客人は、簡単には出ていかない。あれこれ忘れようとするのだ
が、そうしようと思えば思うほど、ペッタリと心のどこかに張りついてしまう。当時、その男は、ブ
ルーの大型車に乗っていたが、町で、ブルーの車を見ただけで、心臓がドキドキしたのを覚え
ている。

 そこで私がつぎにとった方法は、結局は、自分を高い位置から見つめなおすという方法であ
る。まず自分を分析し、そしてなぜそうなのか。また原因は何なのかということを、自分なりに
追求してみた。私のばあい、文を書くという方法で、それに対処した。そして結果として、つまり
その招かざる客人のレベルをはるかに超えることで、追い出すことができた。「あいつは実にく
だらない男だ」と、ワイフと笑いあったとき、その客人は、心の家の中から消えた。

●子どものばあい
 こうした心の客人を、どう選択し、そしてそれが招かざる客とわかったとき、玄関先でどう退散
してもらうかは、私にとっては、かなりたいへんな作業である。しかし、だ。子どもたちを観察し
てみると、数は少ないが、中に、そういう行為が、自然とできる子どもがいるのがわかる。まわ
りにいくら悪友がいても、どこかサラサラと受け流し、そういう悪友たちと染まっていかない。
今、思いつくだけでも、高校生のM君、小学生のA子さんなど。そしてこういう子どものすばらし
いところは、まさに『類は友を呼ぶ』が意味するように、本当に、よい子どもしか集まらない。な
ぜか。その子どものまわりには、いつもどこかなごやかな雰囲気が流れている。

 これについては、もうしばらく観察し、また別の機会に報告する。今しばらく、時間がほしい。
こういう子どもは、何かが、私とは違うはずである。(私のまわりは、いつもピリピリとした緊張
感がある?)何か? 何だろう?

 「心の客人」論は、私が考えた。まだ未完成で、発表できるような話ではないが、何かの話題
になればうれしい。(つづく)
(02−11−2)※

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子育て随筆byはやし浩司(260)

ホルモンと脳障害

 環境ホルモンが、脳に微細障害を与えるらしいということは、今では常識である。微細障害と
いうのは、目では見えないほどの障害という意味である。そしてこの障害が、今、話題になって
いる、ADHD(attention deficit hyperactivity disorder・注意欠陥多動性障害)にも関連してい
るという(福島章氏「子どもの脳があぶない」・PHP)。もちろん微細障害の原因は、ホルモンだ
けではない。「(妊娠六〜七ヶ月から、生後一年くらいまでの間に)、子どもの脳に、感染、外
傷、酸素欠乏、栄養不足、有害物質、中毒などの悪影響が加わると、脳の形成や発達に異常
が起こる」(同書、二六頁)ということだそうだ。

 福島章氏は、ある少年犯罪者の例をあげ、「この少年の人並みはずれた攻撃性と、性衝動
は、胎児期に(母親に)与えられた、黄体ホルモン製剤によって、彼の脳がふつう以上に、《男
性化》されたためではないか?」と書いている。黄体ホルモン製剤は、天然の女性ホルモンを
まねてつくられた、化学物質である。

 ……何ともおどろおどろしい話である。というのも、今では環境ホルモンは、ありとあらゆる場
所に侵入していて、もはやそれと無縁であることは、不可能になってしまったからだ。北極に住
むアザラシですら、汚染されている。そうした環境ホルモンが、生態系そのものあり方を崩し、
環境すら今までとは、違ったものにしつつある。子どもの脳への影響は、ほんのその一部に過
ぎない。そこで私たちは、親として、どのように考えたらよいのだろうか。いや、考えれば考える
ほど、不安が募(つの)るばかりで、その先が見えてこない。こうした感覚は、恐らく、読者の皆
さんも、同じではないかと思う。そこで私は、つぎの三つのことを提案する。

(1)子育ては、「自然」と旨(むね)とする。「自然を旨とする」というのは、生活の基盤を、過去
一〇〇年はどうであったか、その前の一〇〇年はどうであったかという視点で見なおすという
こと。こと環境ホルモンということになれば、食物に注意する。

(2)この問題を考えるときは、「うちさえよければ……」という論理は通用しない。あなたの子ど
もはたとえ無事でも、そのまた子ども(孫)はどうかという問題につながってくる。自分の子ども
が障害をもつのはつらいが、孫が障害をもつのは、もっとつらい。孫のことで苦しむ、あなた自
身の子どもの姿を見るとことは、言うなれば、ダブルパンチということになるのか。ある母親が
そう話してくれた。そこでおかしいと思ったら、どんどんと戦っていく。電話や手紙、あるいはメ
ールで、抗議する。 

(3)問題をもった子どもや、その親に、心から温かく接する。新約聖書の中にも、こんな一節が
ある。

 「他人の悲しみや苦しみを、痛み嘆く人は、幸いだ。なぜなら、彼らは、心安らかに、慰められ
るだろうから(Blessed are those who mourn, for they will be comforted.)」、「慈悲深い人は、
神に祝福されるだろう。なぜなら彼らは、慈悲を与えられるだろうから(Blessed are the 
merciful, for they will be shown mercy.)」(Matthew 5-9)と。

 訳は私がつけた。クリスチャンの人が読んだら、怒るかもしれない。私がもっている聖書は、
アメリカ人の友人のJimがくれたもの。Ryrie版の分厚い聖書だ。表紙には、金文字で私の名
前が入っている。こんなことはどうでもよいが、その人の価値は、相手の立場で、いかにその
悲しみや苦しみを共有できるかということで決まる。それができる人は、人間としての価値があ
る。できない人は、そうでない。それはわかるが、むずかしいことだ。今の私には、とてもできそ
うもない。できないが、しかしそういう温かい心を忘れたら、この問題は、絶対に解決しない。ま
たそういう温かい心さえあれば、いかに環境ホルモンで、子どもたちの脳や心が侵されても、こ
わがるものは何もない。
 
 こう書くと、人間には救いがないということになるが、決してそうではない。このエッセーを書く
ときに読んだ、『子どもの脳があぶない』(福島章氏著)の中には、こんな記述があちこちにあ
る。その一つを、引用してみる(同書、三〇ページ)。

 「早幼児期脳障害児は、その障害による適応不全の上に、思春期の心身の変化と動揺が重
なって、たまたま非行に陥ることがあるが、成人後には心身ともに安定するので、適応障害が
起こりにくくなる。また、非行的なサブカルチャに接触して、逸脱した価値観に染まった脳障害
のない青年よりも、そのようなものと無縁の状態で、偶発的・衝動的に事件を起こした脳障害
児のほうが、青年期を脱すると、非行から足を洗いやすい」と。

福島氏は、「問題を起こすのは、思春期だけで、成人になれば落ちつく」「かえってふつうの子
どもより、非行から足を洗いやすい」と。福島氏のこの言葉は、私たちにとって、大きな励みに
なる。
(02−11−3)
  
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子育て随筆byはやし浩司(261)

脳の診断法

 ときどきワイフと、ボケについて、話しあう。幸い、私の家系にも、ワイフの家系にも、ボケた
人はいないので、多分、私たちもボケないだろうと思う。しかしこの年齢になると、心配は、心
配だ。

 そのボケについて、いろいろな診断基準があるようだ。子どもの知能訓練にも役立ちそうな
ので、ここで考えてみる。あるいはあなたの自身の脳の診断に応用できるかもしれない。なお
テスト内容は、田辺敬貴氏や池田学氏の文献を参考に、私が作成した。

(1)再生テスト
だれかに、五つのものの名前を言ってもらう。そしてそのあと、その五つのものの名前を復唱
(再生)する。
例「ハサミ、机、トラック、こいのぼり、くじら」

(2)手がかり再生テスト
身につけているものを、一つ取りあげ、それがいつ、どのようにして、自分のものになったかを
話させる。
例「(サイフを見せながら)、これはいつ、どこで買いましたか。値段はいくらでしたか。あるいは
だれにもらいましたか」

(3)再認テスト
過去に見たことがあるものを取りあげながら、それを見たことがあるかどうかを聞く。
例「(近所の店の写真の一部を見せながら)、この店を見たことがありますか。またそれはどこ
ですか。何の店ですか」

(4)単語完成テスト
言葉の一部を抜いて、それを答えさせる。
例「海□山□」「馬□東□」「油□大□」

(5)再学習テスト
何かむずかしい言葉を与え、それをどれくらい早く、正確に暗記できるかをみる。
例「『脳の辺縁系には、帯状回、海馬(かいば)、扁桃体(へんとうたい)などの組織がある』とい
う言葉を、暗記してください」

 さて、あなたはこれら五つのテストを、クリアできただろうか。実のところ、私は自分の脳の機
能が低下していることが、このところよくわかる。記憶力が悪くなった。集中力がなくなった。洞
察力が浅くなった。機転がきかなくなった。口のロレツが回らなくなった。が、何よりも心配なの
は、思考そのものが混乱し、うまくまとめられなくなったこと。頭の中で、ぼんやりとしているだ
けで、どうしてもそれを吐きだすことができない。文を書いていても、堂々巡りしてしまう。先へ
進まない。もうそろそろボケ始めても、おかしくない年齢だから、心配でならない。今のところ、
一応、これらのテストはクリアできたが、自分が作った問題だから、当然といえば、当然だ。

 ところで最初(1)の、五つのものは、何だったか。「クジラ、トラック、机、……」。三つは思い
出せたが、「ハサミ」と「こいのぼり」は、思い出せなかった。自分で作った問題なのに……。心
配だア!
(02−11−3)

(追記)かなりボケた人(七七歳男性)が、近くにいる。郷土史を書いているが、そんなわけで、
その人が書いた文章は、読むに耐えない。ヘタクソというか、支離滅裂。主語と述語が一致し
ない文章ばかり書いている。たとえば、「佐鳴湖畔に、A聖人(しょうにん)が建立したとされる、
XX寺の近くに、私が訪れると、寺の住職は、うれしそうに、その文書が陳列してある」と。で、あ
る日、私はその人にこう聞いてみた。

 「その年齢で、文章を書いておられますが、脳というのは老化しないのですか」と。するとその
人は、我が意を得たりというような顔をして、こう言った。

 「林君、文を書けるようになるには、三〇年の修行が必要だよ。人に読んでもらえるようにな
るのには、さらに三〇年に修行が必要だよ。私なんか、七〇歳を過ぎて、やっと自分の文章が
書けるようになった。年齢は関係ない。心配しないことだ」と。

 私はその言葉を聞いて、ますます心配になった。

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子育て随筆byはやし浩司(262)

回り道は、危険信号

●不登校ばかりが話題になるが……
 園や、学校から、意気高々と、「ただいま!」と帰ってくればよし。そうでなければ、家庭のあり
方を、かなり反省したほうがよい。

 今、不登校ばかり話題になるが、それと同じくらい、問題になっているのが、帰宅拒否。つぎ
の原稿は、その帰宅拒否(中日新聞に掲載済み)である。

●帰宅拒否
 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふ
えている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になると、うちの
子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにき
てほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の
裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがすのですが、お
かげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。私はその話を聞いて、「帰宅
拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、家庭が、家庭としての機能を
果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼児の
ばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれて、当
然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲れた心や、
キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければな
らない。が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外
の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』というのがある。つまり人というの
は、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが、気が休まるとい
うことを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭のようでなくてはいけない。
あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこでこんな簡
単なテスト法がある。
 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほし
い。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関
係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこか
へ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。もう少
しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然
に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いということであれ
ば、この帰宅拒否を疑ってみる。家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子ど
もは無意識のうちにも、いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家
がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言う
と、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あなたの
家庭はすばらしい家庭ということになる。
(02−11−3)

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子育て随筆byはやし浩司(263)

マンネリは、知能の大敵

『人は、教育がつけばつくほど、ますます好奇心が強くなる』と言ったのは、ルソー(一七一二ー
一七七八、フランスの文学者、啓蒙思想家。教育論『エミール』など)である。言いかえると、好
奇心が旺盛な子どもは、伸びる。伸びる子どもは、ますます好奇心が、旺盛になる。

 そこで、伸びる子どもの三条件は、@好奇心が旺盛であること、A生活力があること、B持
続的な集中力があること。この三つを兼ねそなえている子どもは、たとえ今は、「5」の能力で
あっても、やがて「6、7……」と伸びていく。好奇心の旺盛な子どもは、常に新しいものに、挑
戦的な姿勢を見せる。趣味や遊びが、周期的にどんどん変化していく。幼児の場合、趣味や遊
びがいつも同じというのは、あまり好ましい姿ではない。もしそうであれば、お母さん自身が新し
い趣味や遊びを始め、子どもをその世界の中に引き込むようにする。特にマンネリ化した生活
は、知能発達の大敵と考える。子どもの周辺にはいつも、変化を用意する。

 つぎに持続的な集中力。集中力のある子どもは、人をよせつけないほどの気迫を見せる。お
絵描きでも、ブロック遊びでも、夢中になってする。ただし反復性の強い作業をいつまでも黙々
とするというのは、子ども本来の姿ではないから、もしそうであれば、興味の対象を子どもから
静かにそらすようにする。またテレビゲームなど、強い興奮性をともなう遊びも、幼児には好ま
しいものではない。真夜中でも突然飛び起きてゲームをするというようであれば、当然、やめさ
せる。

 なおこの集中力の大敵は、睡眠不足。年中児で、10時間15分、年長児で10時間というの
が、平均的な熟睡時間。何らかの原因で、恒常的に睡眠時間が短くなると、子どもは特有の睡
眠不足症状を見せるようになる。日中生彩なくボーッとしている、など。集中力に持続性がなく
なるのが特徴で、ものごとにあきっぽくなる。この時期、昼寝ぐせのある子どもも同じような症
状を見せるが、昼寝ぐせのある子どもはその時間にだけ、その症状を見せるという点で区別で
きる。いつまでも昼寝ぐせが取れないということであれば、その時間だけ、ガムをかませるとい
う方法でなおす。

 さてルソーの名言。ルソーは、『教育がつけばつくほど、好奇心がます』と言っている。それだ
け子どもの世界が広がるからということになる。そしてその世界を広げてあげるのが、教育と
いうことになる。

 方法は簡単。子どもにはあらゆる経験をさせる。そしてあらゆるところへ連れていきます。お
金を使って、旅行をせよということではない。郵便局で切手をはらせることだって、子どもには
すばらしい経験になる。こうした日常的な努力が、子どもの世界を広め、続いて、子どもの好奇
心をかきたてる。

 ある著名な女流評論家のお母さんは、その評論家が小学生だったころ、ただの一度も同じ
お弁当を作らなかったという。つまりそういうお母さんの努力が、その評論家をすばらしい女性
にしたと考えられる。
(02−11−3)

(追記)現代の子どもの問題点は、まさに「情報のシャワー」の中で、育っていること。生後まも
なくから、テレビづけになり、しばらくすると、今度は、ゲームづけになったりする。車社会の発
達とともに、親の行動半径も広くなり、その分、ますます子どもに与える情報も多くなる。こうし
た情報のシャワーによる悪影響も、あちこちで指摘され始めている。「子どもの脳があぶない」
(PHP)の著者、福島章氏は、同書の中で、「環境ホルモンという化学物質による、脳そのもの
(ハード)の変化があり、さらに情報環境の変化による脳の働き方の基本システム(OS)の変
化がある」(同書一九ページ)と書いて、この情報シャワーが子どもの脳に与える影響を、危惧
(きぐ)している。
 
 子どもの脳、とくに右脳(形の認識、直感的総合的な判断、創造的想像的思考、情緒的な感
情をつかさどる)ばかりを刺激することの弊害を、もう少し、煮詰めてみる必要があるのではな
いだろうか。とくに最近の子どもたちは、ものごとを分析して、論理的に考える傾向が弱くなっ
たように感ずる。私の年代と比べても、著しく劣っているような気がする。その分析や論理をつ
かさどるのは、右脳ではなく左脳である。

 さらに最近は、「右脳教育ブーム」で、右脳教育そのものが、カルト化している。しかしこれだ
け情報が氾濫してくると、情報の選択と整理こそ必要で、あえて子どもに右脳教育をほどこす
必要はないというのが、私の考えであり、結論である。あくまでも参考までに。

 つぎの原稿は、こうした情報シャワーについて、私の意見を書いたものである(中日新聞掲
載済み)

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子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども
 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突
然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。
その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち
らの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級
 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」
(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり
する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?
 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期
に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレ
ビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎ
る。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎ
る。

●ゲームは右脳ばかり刺激する
 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直
感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつか
さどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こ
うした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えている
ことはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということにな
る。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

(付記)
●ふえる学級崩壊
 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。一九九九年一月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海
道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにさ
れた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生七〇名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……一九人
 教師の指示を行動に移せない       ……一七人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……九人、など(同大会)。

●心を病む教師たち
 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人
から二二〇人程度で推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人に
ふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわかり、九六
年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は全休職
者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患
者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約
半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレス
によるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策
 現在全国の二一自治体では、学級崩壊が問題化している小学一年クラスについて、クラスを
一クラス三〇人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとってい
る(共同通信社まとめ)。また小学六年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的に
は、小学一、二年について、新潟県と秋田県がいずれも一クラスを三〇人に、香川県では四
〇人いるクラスを、二人担任制にし、今後五年間でこの上限を三六人まで引きさげる予定だと
いう。福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小一でクラスが三〇〜三六人のばあいでも、
もう一人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の
小学校では、六年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入して
いる。大分県では、中学一年と三年の英語の授業を、一クラス二〇人程度で実施している(二
〇〇一年度調べ)。

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子育て随筆byはやし浩司(264)

北朝鮮

 ありもしない外国の脅威をかきたて、独裁政権を維持しようとする北朝鮮。あの国を見ている
と、教育の恐ろしさもさることながら、人間が本来的にもつ愚かさを見せつけられるようで、もの
悲しくすらなる。

 すでに北朝鮮の国家経済は、完全に崩壊している。自国の紙幣は、外国では、紙クズ同然。
北朝鮮では、彼らが言うところのレートで換算すると、タバコ一箱が、六万円(!)だという。仮
にあの見るからに粗悪なタバコを、国際の市場価格で、五〇円と計算しても、何と彼らは、自
分たちの通貨を、一二〇〇倍も、サバを読んでいることになる。(実際には、あのようなタバコ
は、商品価値はない。)ここまでくると、笑うよりも先に、もののあわれすら感ずる。 

 彼らが鎖国しているのは、自国民につきつづけているウソがバレるのがこわいからだ。少し
前まで、「韓国は、私たちより貧困で、アメリカの支配下で、民は奴隷になっている」とさかんに
宣伝していた。聞くところによると、テレビもラジオも、チャンネルは固定式で、国営の放送しか
見たり聞いたりできないそうだ。また新聞も、黒刷り、青刷り、赤刷りと三種類に分かれてい
て、一般庶民は、黒刷りの新聞しか読むことができないという。青刷りというのは、高級官僚
用。赤刷りは、さらにその上の政府要人用。青刷りも、赤刷りも、読んだら、回収されるしくみに
なっているという。

 もし北朝鮮が、外国の情報を解禁したら、あの独裁政権は、「三日でつぶれる」(国会審議会
答弁)というが、私もそう思う。だからあの独裁者は、必死になって、鎖国政策をつづける。つ
づけるしかない。が、そこで私は気がついた。あの北朝鮮という独裁国家を見ていると、それ
がそのまま、個人にも、当てはまるということ。私が以前、カウンセリングした家族に、こんな人
がいた。

 G氏(七五歳)という男性がいた。相談してきたのは、そのG氏の長男の嫁にあたる女性だっ
た。いわく、「G氏ほど、見栄、メンツ、世間体にこだわる人はいないが、どうしたらいいか」と。

 一度、見栄、メンツ、世間体を気にし始めると、自分がなくなってしまう。そしてそれが長くつ
づくと、生きザマそのものが、常識的なものの考え方から、はずれてしまう。が、当の本人が、
それに気づくことはない。自分では正常だと思う。またそれが世のあるべき姿だと、錯覚する。
G氏について、その女性はこう言った。

☆家系が火の車でも、冠婚葬祭の仏前、香典、祝儀などを少なめにすると、不機嫌になる。
☆車は、古いベンツに乗っているが、車検は切れ、登録は抹消されている。近所を乗り回す程
度だからよいが、いつ警察にバレるかと、ハラハラしている。
☆あちこちに空き地をもっているが、その空き地を担保に、お金を借りている。しかも借りる相
手は、親戚ばかり。
☆二男や長女からも、お金を借りている。「質素に生活しよう」と何度も提案しているが、その
たびに、激怒する。
☆「家の中の恥ずかしい話を外でするな」と、そればかりを口ぐせにしている。実家へ数日行っ
て帰ってくると、親にどんな話をしたか、しつこく聞く。
☆長男(その女性の夫)には、「育ててやった」が口ぐせ。「お前の大学の費用は、○千万円か
かったから」と。

どこかどう北朝鮮的であるかは、もうおわかりかと思う。一応、あの国にも、国としてのメンツも
あるだろうから、これ以上のことは書けないが、結局はその被害者は、北朝鮮の国民自身で
あること。そのことは、日本から拉致(らち)された、日本人の被害者を見るだけでもわかる。だ
から私は、あえて言う。

 金正日よ、……。ああいう頭のおかしい独裁者を批判するのは、もういやになった。あの顔を
頭の中に思い浮かべるだけで、ぞっとする。(……)の部分には、適当な言葉を入れて読んで
ほしい。
(02−11−3)

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子育て随筆byはやし浩司(265)

男尊女卑の日本人(金沢学生新聞・02年11月号より)

●私の体は正常ではない?
 私のばあい、足の短さが、いつも悩みのタネだった。何度かズボンを買いに行ったが、私に
合うズボンはない。そこで私はいつも子ども用のズボンをはいていた。長距離列車もそうだ。向
こうのトイレは、おとな用、子ども用と分かれている。男用、女用ではない。しかしおとな用で
は、下まで足が届かない。列車がゆれるたびに、それ以上に体がゆれる。それでは用を足す
ことができない。そこで私はいつも子ども用のトイレを使っていた。まだある。

オーストラリアの学生たちは、よく、パブの前の道路にすわりこんでビールを飲む。そのとき彼
らはひざを立てた状態で、三角ずわりをする。そういう姿勢をとると、ひざの上に、ちょうどうま
いぐあいに頭がのる。が、私はのらない。まさかそういうところで正座するわけにもいかない。
そんなわけで皆と一緒に並んでビールを飲むのが、私には苦痛でならなかった。

●日本の男はモテない
 人種の違い。日本に住んでいると、それを感ずることはない。しかし外国に住んでいると、そ
れを毎日のように感ずる。メルボルン大学の中に、日本人の留学生は私、一人だけ。オースト
ラリア人は、私を通して日本を見、そして日本人を見ていた。そういう視線を感ずるたびに、私
はその人種の違いを意識した。が、それですんだわけではない。いつしか私は違和感を覚える
ようになった。一度や二度ではない。「ここは私の国ではない」という思いだ。あるときは町の中
を歩きながら、自分の足が宙を飛んでいるように感じたこともある。

皆は、親切だった。しかしその親切も、ある一定のワクの中の親切であって、それを越えること
はなかった。それをもっとも強く感じたのは、やはり女性を意識したときだった。日本の男は、
モテるかモテないかということになれば、そのレベルを、はるかに下回っていた。私は異性とし
て相手にされる存在ではなかった。私の身長は一六六センチで、当時の日本では平均的だっ
たが、ハウスの中でも、私より背が低いオーストラリア人は、一〇〇人の中で一人しかいなか
った。加えて日本人は、世界の中でも、骨相学的にも、もっとも貧相をしているということだっ
た。極東の島国で、多民族との血の交流がなかったため、そうなったらしい。目が細くつりあが
り、あごが細く、歯が前へ飛び出している。私はよく、「ヒロシは、日本人のようではない。君の
両親は中国人か」と言われたが、そのたびに喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑な心境
になったのを覚えている。

●モテない理由はほかに……
 が、本当のところ、日本人の男がオーストラリアの女性に相手にされない理由はほかにあっ
た。たとえばオーストラリア人の男たちは、うしろからやってきた女性でも、ドアを通すとき、そ
の女性を体で包み込むようにして先へ行かせる。マナーの違いといえばそれまでだが、日本人
にはそうした基本的なマナーが欠けていた。が、マナーだけの問題でもなかった。

オーストラリアでは、夫が妻に向かって、「おい、お茶!」などと言おうものなら、それだけで離
婚事由になる。日本ではごく当たり前の会話だが、こうした男尊女卑的な体質が、日本人の男
性には、体のシミのようにしみこんでいる。そしてそれがそのつど顔を出す。しかも悪いことに、
少し親しくなると、気がゆるみ、それがそのまま出てきてしまう。私も「おい、お茶!」という言い
方こそしなかったが、それに近い言い方を何度かしたことがある。そしてそのたびに「しまっ
た!」と思い、相手の女性にそれをわびなければならなかったことがある。

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子育て随筆byはやし浩司(266)

夕暮れどき

 私は夕暮れが、子どものときから嫌いだった。その時刻になると、父は近くの酒屋で酒を飲
み、いつも通りをフラフラと歩いていた。おかげで私のプライドは、ズタズタにされた。しかもそ
れが私が五、六歳のときから、中学三年の終わりごろまでつづいた!

 一度もそういうことはなかったが、学校の参観日でも、父だけには来てほしくなかった。ときど
き先生が、「今度はお父さんにくるように言ってください」と言ったこともあるが、そのたびに、私
は父ではなく、先生や母をうらんだ。

 たまたま先日も、ワイフと買い物を終え、通りへ出ると、その夕暮れだった。薄水色の空を残
し、その向こうには、赤茶けた夕暮れが、広がっていた。冷たい風が頬を切ったそのとき、私
はふと、ワイフにこう漏らした。「ぼくは、こういう夕暮れが嫌いだ」と。

 それからもう四〇年以上になる。とっくの昔に忘れてよいはずなのに、いまだにあのころの自
分が、重く、心をふさぐ。恐らく、私はその重荷から、死ぬまで解放されることはないだろう。何
度も何度も、ワイフの胸の中で泣いたことがある。父が酒を飲んで暴れるたびに、五歳年上の
姉と私は、家の中を逃げ回った。恐ろしかった。こわかった。今でも、「姉ちゃん、こわいよ」「姉
ちゃん、こわいよ」と泣きつづけた自分を、忘れることができない。ときどき、真夜中に、体をガ
タガタと震わせて、泣くこともある。そういうときワイフは、いくらかの水を私の口にふくませ、「あ
なた、なんでもないのよ」「なんでもないのよ」と、私を胸に抱いてくれる。私は私で、子どものよ
うに、ワイフの乳首を吸いつづける。

 こうした心的外傷(トラウマ)は、だれにでもあるものか。あるいは、ほとんどの人にはないの
かもしれない。私がもつ、多重人格性(?)は、こうした心的外傷に起因しているのかもしれな
い。ふだんはやさしくて穏やかな私。しかしどこがどう狂うのか知らないが、ときとして冷酷にな
ってしまう。ときどき、どちらの自分が本当の自分かわからなくなる。……なった。ある意味で、
私の三〇歳代、四〇歳代は、そういう自分との戦いの連続だった。今でも油断すると、別の人
格が顔を出す。すべてを投げ出して、どこか遠くへひとりで逃亡したくなることさえある。「こんな
世界なんか、めちゃめちゃになってしまえ」と思うこともある。

 本当の私はどちらなのか。こうしてものを冷静に書いている私が、本当の私なのか。それと
も、ひょうきんで、冗談ばかり言い、人にペコペコとへつらう私が、本当の私なのか。さらにそれ
とも、つんと冷酷な私が、本当の私なのか。ただ幸いなことに、そういった多重人格性がありな
がらも、いつも冷静な自分が、ほかの自分をコントロールしていてくれる。別の人格になってい
るようなときでも、もう一人の私がそういう自分を客観的に見ていて、「浩司、やめろ」「今のお
前は、本当の自分ではないぞ」と、声をかけてくれる。

(人前での私)……冗談が好きで、笑わせじょうず。口が達者で、おもしろい。好奇心が旺盛
で、行動的。さみしがり屋で、気が小さい。冷静な判断力があって、正義感が強い。

(ときどき顔を出す私)……冷酷な判断を、ズバズバ出す。孤独に強く、ひとりでも生きていか
れるように思う。めんどうなことをしていると、頭が混乱する。とくに反復作業ができない。もの
ごとに攻撃的、かつ暴力的になる。

(本当の私?)……学者的で、理論家。沈着、冷静で、合理的なものの考え方をする。静かに
ぼんやりしていることを好む。人に会ったとたん、愛想のよい男に変身する。

 そういう私が、子どものころ、かろうじて自分を支えることができたのには、二つの理由があ
る。ひとつは、やさしい祖父母が同居していたこと。近くに親類がいたことも、幸いした。私は家
族とは、決して一対一の関係にはならなかった。

 もう一つは、末っ子の強みというか、よい意味でも悪い意味でも、放任されたこと。毎日、真っ
暗になるまで、外で、目いっぱい、遊んだ。そして夏休みや冬休みなど、休みごとに、母の実家
で、好き勝手なことをしたこと。もしこれら二つのことがなかったら、私は今、確実に精神を病ん
でいただろうと思う。

 今、私のそういう経験が役にたっているとは思わないが、しかしそういう意味では、そうでない
人より、「心の問題」がよくわかる。恐怖症にしても、神経症にしても、私はそういうのを、自分
で体験している。よく冗談ぽく私は、「ありとあらゆる精神病を、広く、浅くもっていますから」と言
うが、それは決して誇張でも何でもない。こうしたコラムをとおして、私のそうした「欠陥」が、皆
さんのお役に立てれば、うれしい。

 話がとんでもないわき道に入ってしまったが、夕暮れの中でも、とくに秋の夕暮れは、さみし
い。どこがどうというわけではないが、自分という人間を、かぎりなく小さくする。私はコートのチ
ャックをあげると、ワイフにこう言った。「今夜は鍋物にしてよかったね。うんとあったかくして食
べよう」と。ワイフはそれに答えてニコリと笑い、私の腕の内側に、自分の手を入れてきた。
(02−11−3)※

(追記)私の恐怖症についての、原稿を転載します。

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私の恐怖症(中日新聞に掲載済み)

●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

@対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に
出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこ
わくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できな
い、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れ
ない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)
のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があ
ったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということが
わかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足す
ことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入
ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、
先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、
ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものば
あい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからない
ことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。

これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのため
それ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、い
つも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原
因になる。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となっ
て表れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パター
ン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機
恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。

私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状
態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと
汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言い
きかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではど
うにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。

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子育て随筆byはやし浩司(267)

読者の数が五〇〇人(E−マガのみ)を超えた日に

●読者の方との「糸」
 私は若いころから、たくさんの本を書いてきた。自分のペンネームで出したのも含めると、三
〇冊以上になる。二〇歳代のころは、有名人やタレントたちのゴーストライターもしていた。一
応、守秘契約にサインをしているので、その人や本の名前を明かすことはできない。

 で、このところ、マガジン用の原稿に、全力を注いでいる。以前も同じように書いていたが、本
のことは、もう頭にない。「これ以上、本を出したところで、それがどうなのか?」という思いが強
い。私の本は売れない。出版社の人も、こう言う。「あなたにもう少し、知名度がもう少しあれば
ねえ……」と。

 が、このマガジンには、不思議な魅力がある。それは「私」と「読者の方」が、それぞれ一本の
糸でつながっていることだ。本よりは、それがはるかにはっきりしている。私は日々に、思いつ
いたことを書き、それをこうして配信する。本のばあいは、中身の原稿が、何度も選択、推敲さ
れる。印刷に回るまでにも、数か月かかることがある。出版されるころには、自分がはるか先
へ行ってしまっていることが多い。が、マガジンは、そうでない。この原稿にせよ、書いているの
は、一一月三日。配信日は、一一月一一日を予定している。少し間を置くことになるのは、私
のばあい、予約を入れながら、配信するからだ。一一日号は、多分、明日(四日)に、配信予
約を入れることになる。

 ただ大きな迷いはある。ときどき「どうしてこんなことをしているのだろう」と。あるいは「何にな
るのだろう」と思うこともある。が、そういうとき、一人、二人と読者の方から、「役に立っていま
す」というメールが入ったりすると、そういう迷いが吹き飛んでしまう。「発行してよかった」という
気になる。

 私はこのマガジンをとおして、自分の経験のすべてを読者の方に伝えたい。私はこの地球に
生まれ、ほんの瞬間だが、皆さんといっしょに、生きている時間を共有できた。同じ文化をも
ち、同じ言葉を話し、そして同じような立場で、無数の子育てを経験してきた。それはまさに奇
跡のようなものかもしれない。いや、奇跡だ。

●時間を共有するために
 私が死ねば、私はもちろんのこと、この宇宙も、消えてなくなる。どこかへ行ってしまう。「あ
る」はずなのに、「消える」。「見えない」。スティーブン・ホーキングというイギリスの科学者は、
そういう宇宙が、ここにもそこにも、あそこにも、無数にあるという。要はその宇宙に生まれて
みないと、その宇宙がわからないということか。が、たまたま私は、皆さんと同じように、この宇
宙に生まれた。そして今、その宇宙の片隅にある地球で、同じ空気を吸っている。私とあなた
は、別々の人間かもしれないが、宇宙という規模、さらには宇宙の歴史という中でみると、他人
というよりも、仲間というよりも、一つの同じ生命体ということになる。

 何とも大げさな話になってしまったが、しかし私は、そう考える。だから、その共有をしっかりと
するために書く。自分の経験をすべて出し切ることについて、それがもったいないとか、そうい
うことはもう考えない。出し惜しみもしない。いつも最善のものを、すべて出し切っている。今も、
そうだ。これからも、そうだ。死ぬまで、そうだ。こうしたマガジンが、みなさんの役に立つかどう
かは、本当のところ、よくわからない。中には、「こんなこと書いて!」と怒っている人も、いるか
もしれない。しかしもしそうなら、私を許してほしい。私はあなたという人を、不愉快にしたり、怒
らせるために、このマガジンを発行しているのではない。

 私は、こうして「今」という時間を、あなたという読者と、共有できることを、心から感謝してい
る。私は生きている。あなたも生きている。いっしょに生きている。そのように実感できること
を、心から感謝している。願わくば、これから先、いろいろ苦しいことや悲しいことがあるかもし
れないが、みんなが力をあわせて、そういう苦しみや悲しみを共有したい。助けあい、励ましあ
い、慰めあい、そしていっしょに生きていく。そのための一つの武器として、私の経験が役にた
てば、こんなうれしいことはない。

●私はただの「情報屋」
 親は子どもを育てる。それを「子育て」という。しかし子育ては、ただの子育てではない。そこ
には、人生の意味、生きる意味、そして私たちがなぜここにいて、どこへ行くかという理由、そ
れが隠されている。それを知るかどうかは、その人の問題意識の深さによる。しかしもしあなた
が、謙虚に、そのドアをたたけば、子どもたちのほうが、それを教えてくれる。実のところ、私が
そうだった。このマガジンをとおして、そういう私が学んだものを、みなさんにお伝えしたい。

 もちろんそれを判断し、選択し、ときには批評しながら、利用するのは、あなた自身ということ
になる。私ではない。そういう意味では、私はただの「情報屋」にすぎない。そういう本分を忘れ
ず、これからも力がつづくかぎり、マガジンを発行する。本当に、このマガジンをご購読してくだ
さっていることについて、心から感謝している。これからも末ながく、どうか、どうか、よろしく!
(02−11−3)※

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子育て随筆byはやし浩司(268)

●今日も一日、終わった!

 今日も一日、終わった。午前中は、原稿を書いたり、雑務をこなしたりして終わった。昼ごろ
ワイフが、ドライブに行こうと誘ったので、気賀の関所まで行ってきた。浜名湖の北にある関所
だ。正確には、関所跡というのか。今は資料館になっている。

 帰ってきたのが、午後三時ごろ。それから私はコタツに入って原稿書き。ワイフはその間、買
い物に行ったらしい。私があとで、「買い物に行こうか?」と声をかけると、「今、行ってきたとこ
ろ」と言った。そう、私はコタツに入るとまもなく、居眠りをしてしまった。

 夢の内容は、よく覚えている。どこかの温泉で、歌を歌っている夢だった。カベを隔てた隣の
女湯のおばちゃんたちが、パチパチと手をたたいてくれた。二曲目を歌おうとしたら、そこで目
がさめた。時計を見ると、午後四時半を過ぎたところだった。私は、あわててまた原稿を書き始
めた。日曜日に書き溜めておかないと、原稿が足りなくなってしまう。いや、ワイフは、多すぎる
から減らせと、そればかりをいう。私が発行しているマガジンの量のことだ。

 夕食は、ギョーザだった。ニンニクをたっぷりとつけて食べた。こうしてニンニクを食べられる
のは、日曜日の夕食だけ。何といっても、臭いがきつい。犬のハナでさへ、私がニンニクを食
べると、そばにも寄ってこない。息を吹きかけてやると、くしゃみばかりする。犬には、よほどこ
たえるらしい。

 このニンニクは、強壮剤だ。昔、どこかの科学者が、こう教えてくれた。「ニンニクには、興奮
剤と鎮静剤の二つが入っています」と。が、私のばあい、ニンニクを食べると、急に男性的にな
る。もっともそうなるのは、私だけで、ワイフには効果がないようだ。が、それ以上に、私のばあ
い、どういうわけだか、頭がスッキリする。きっと脳のシナプスをつなぐ脳間伝達物質が活性化
するためではないか。これは私の勝手な解釈。

 夜、書斎を出て、居間へ行くと、ワイフは、居間のコタツでコックリコックリと居眠り。テレビは
つけたまま。そこでテレビを消そうとすると、「見てるから、ダメ」と。家の改築をテーマにした番
組だった。今夜は、元銭湯を改築するという番組だった。私もコタツに入って、しばらくいっしょ
に見る。「BEFORE」では、古い銭湯だったが、「AFTER」では、モダンな家に変身していた。
それを見ながら、「うちも改築しようか」と声をかけると、ワイフは、「テレビだから安くできるの
よ」と。つまりテレビ番組だから、業者も安く請け負ってくれるのだ、と。「あんなの七〇〇万円
で、できるわけないじゃない」とも。

 その番組のあと、しばらく、世間話をする。ワイフは、私にとっては、大切な情報源。あちこち
から、いろいろな話題を集めてきてくれる。少し前、「私、スパイみたいでいやだわ」と言ったの
を覚えている。そう、ワイフは、スパイかもしれない。「女の話」は、女のスパイが集めるにかぎ
る。

 夜、一〇時ごろ、またワイフは居眠り。「寝ようか」と声をかけると、「まだはやい」と。そこでま
た雑談。しばらくすると、ワイフは、コタツから出て、インターネットをのぞいた。それを私も横で
見る。「あんたがニンニク臭くないということは、私も臭いということね」と。たがいに臭いときに
は、たがいの臭いがわからない。

 そしてあれこれするうちに時間が過ぎて、ワイフは、先に寝室の中に入っていった。私も寝室
へ入ったが、今度はそこにあるコタツに入り、この原稿を書き始めた。私の家では、各部屋に
一台ずつパソコンが置いてある。一年に一台くらいの割で買いつづけていたら、そうなってしま
った。ときどきワイフが、「下取りに出したら?」と言うが、私にはそれができない。それぞれの
パソコンには、思い出がしみついている。とくに買ったときの喜びがしみついている。パソコン
は、私にとっては、ただの電気製品ではない。

 さて、今日の日記。こうして今日も、平凡に、何ごともなく過ぎた。終わった。何かをしたよう
で、何もできなかった。あっという間に終わってしまった感じ。ニンニクのおかげで、今夜の私
は、かなり男性的だが、肝心のワイフは、ふとんをかぶってもう眠っている。軽いいびきがここ
まで聞こえてくる。そうそう、さきほどワイフは、こんな話をしてくれた。何でもどこかの国で、四
〇歳くらいの妻が、五〇歳くらいの夫を、かみ殺してしまったというのだ。理由は、セックスをし
てくれなかったから、とか。警察が来たときにも、その妻の口のまわりは血だらけだったという。
夫の肉片もあったという。女でも、そうなるのかなと、しばらく考えてしまった。男が女をかみ殺
したという話なら、私にもわかるにだが……。

 今日は〇二年、一一月三日。文化の日だった。今、時刻は、一一時半。これから私も眠る。
いつもの就眠儀式をすましてから眠る。言い忘れたが、寝る前に、いろいろな電気製品のカタ
ログを見て眠るのが、私の就眠儀式。どうか、誤解のないように!

(02−11−3)※

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子育て随筆byはやし浩司(269)

イメージ・トレーニング

 ささいなことが気になったら、イメージ・トレーニングをするとよい。(本当の意味での、イメー
ジ・トレーニングとは違うが……。)私はもともと気が小さく、臆病(おくびょう)な人間なので、ささ
いなことを気にして、よくクヨクヨ悩む。そういうときの解決法が、これ。

@まず頭の中に、直径0・5ミリ(1ミリの半分)の針の頭を思い浮かべる。それが地球。その地
球から、約10メートル離れたところに、直径15センチのボールを想像する。それが太陽。そ
のボールを、琵琶湖にぎっしりとつめて並べる。それが銀河系にある星の数。それと同じよう
に、今度はそのボールを、太平洋にこれまたぎっしりとつめて並べる。それが私たちの宇宙を
とりまく、大銀河にある星の数。この大宇宙には、太陽のような星が、(地球は、残念ながら星
ではない。宇宙のゴミ)、中田島(浜松市の南にある三大砂丘のひとつ)の砂粒の数ほどある。
あるいはもっと多いかも?

Aつぎに反対に、5000メートルのロープを頭の中に思い浮かべる。地球の歴史を50億年と
して、その5000メートルのロープにたとえると、100年は、最後の1ミリの、そのまた10分の
1に過ぎない。つまり0・1ミリということ。仮にあなたが100歳まで生きたとしても、5000メート
ルのロープの上では、最後の0・1ミリにしかならない。

 ここまで頭の中で想像できたら、今度は、逆のことを頭の中にイメージしてみる。

B中田島の砂丘の一粒を頭の中に思い浮かべてみる。その一粒を、学校のグランドの中心部
に置いてみる。その砂粒の一つの、ほんの2センチ程度のところに、チリを置く。それが地球。
グランド全体が、太陽系ということになる。そして本州全体が、この銀河系。地球全体が、大銀
河ということになる。

Cそして今度は、こう考える。仮に地球の歴史の50億年を、1日にたとえると、100年といって
も、0.0017秒にしかならない。まばたきする時間より、はるかに短い。まばたきする時間の
約100分の1。いくら速くまばたきしても、5秒間に25回はできない。つまりまばたきする時間
は、約0・2秒とみる。つまり仮にあなたが100歳まで生きたとしても、地球の歴史を一日にた
とえると、あなたの生きている時間は、まばたきする時間の100分の1でしかないということ。

 ここまでできたら、@〜Cを、静かに頭の中で繰り返してみる。できるだけビジュアルに想像
してみるのがよい。そのときコツは、ほかのことは何も考えないこと。このトレーニングで、悩み
を解決しようとか、気を大きくもとうとか、そういう下心ももたないこと。ただひたすら、@〜Cを
繰り返す。電車の中でもよいだろうし、バスの中でもよい。静かに目を閉じることができるところ
なら、どこでもよい。

 ……そのあと、どうなるか? それは一度、あなた自身でたしかめてみてほしい。効果がなく
て、ダメもと。私のばあい、よくこのトレーニング法を使うので、数分くらいするだけで、軽い悩
みなら、そのまま抜け出ることができる。とくに人間関係で悩んだときには、効果がある。たい
ていはいつも、夜、床に入ってから眠るまでにする。あえて言うなら、私のばあい、ときどき、そ
こにいろいろな宇宙人を登場させるが、これは邪道。それについてはまた別の機会に書く。
(計算はおおざっぱなものですが、だいたいこんなものです。)
(02−11−4)

●つまらないことで、クヨクヨ悩んでいるヒマはありません。人生は短いですよ。愚かな人は相
手にしないこと。無視すること。

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子育て随筆byはやし浩司(270)

平凡は美徳だが……

 平凡は美徳だが、その平凡からは、何も生まれない。この相矛盾した命題を、どう考えたら
よいのか。

 そもそも平凡であることには、すばらしい価値が隠されている。賢明な人は、その価値をなく
す前に気づく。愚かな人は、それをなくしてから気づく。しかしここでひとつのカベにぶつかる。
「だからどうなのか?」というカベである。

 実のところ、私は最近、何をしても、この「だからどうなのか?」というカベにぶつかる。昨夜も
テレビを見ていたら、若い女性たちが温泉の露天風呂に入り、「ああ、いい気持ちイ!」「気分
は最高!」「モミジがきれいイ!」と叫んでいるのが、目にとまった。そのときもふと、「だからど
うなのか?」と思ってしまった。

 ……と考えてみると、私たちは日常生活の中で、「だからどうなのか?」という部分を、ほとん
ど省略して生きているのがわかる。あるいはそれを考えるのを避けているのかもしれない。も
し「だからどうなのか?」ということころまで考えてしまうと、生活そのものが成り立たなくなってし
まう。あるいは懸命に生きているあなたに向かって、だれかが、「だからそれがどうなの?」と
聞いたとしたら、あなたはいったい、それに何と答えるだろうか。

 「平凡であること」には、この「だからどうなのか?」という問題が、いつもついてまわる。人は
平凡であることを求めながら、平凡すぎると、生きる意味そのものを見失ってしまう。そこでこ
の問題を解くために、私は、あえて「平凡」を、二つに分けて考えてみることにした。

 一つは、日々の生活者としての平凡。もう一つは、人間としての平凡。前者は、「生物として
の平凡」と言いかえてもよい。たとえば朝起きて、朝食を食べる。仕事に行く。昼食を食べる。
仕事をして、家に帰り、そして床につく。そういう平凡をいう。

 これに対して後者は、人間としての平凡をいう。「人間」から、「人」をとった、その「間」にある
ものということになる。わかりやすく言えば、「思想」「知恵」「道徳」「哲学」ということになる。もっ
と言えば、精神的な生きザマをいう。

 平凡を、とりあえず、この二つに分けることによって、最初の命題に答えることができる。
日々の生活者としての平凡は美徳だが、精神的な生きザマにおいて平凡というのは、美徳で
も何でもない。むしろその人にとっては、危険なことでもある、と。人生そのものを、ムダにする
ことにもなりかねない。

 そこで大切なことは、日々の生活者としての平凡は守りつつ、精神的な生きザマを、いかにし
て高揚させるかである。この部分を省略してしまうと、いつも、「だからどうなのか?」というとこ
ろで、その人の生きザマが止まってしまう。動物と同じになってしまう。先に例をあげた、温泉に
入った若い女性たちの例で考えてみよう。

 彼女たちが露天風呂の温泉に入ったのは、日々の生活の延長でしかない。あるいは日々の
生活の一部でしかない。「ああ、いい気持ちイ!」と叫んだのは、食事をしたあと、「ああ、おい
しかったア!」と言うのと、どこも違わない。人は、パンと水があれば生きることができるが、し
かしパンと水だけで生きても、生きたことにはならない。そこで彼女たちが人間として生きるた
めには、「だからどうなのか?」という部分に、彼女たち自身が答えなければならない。

 ……とまあ、またまた複雑な話になってしまった。本当はこのつづきを書きたいが、書けば、
多分、読者の皆さんが、逃げてしまうと思う。「林の話は、理屈ぽくて、ダメだ」と。多分ワイフに
相談しても、「むずかしいことは考えないで、楽しめばいいのよ」と言うにちがいない。それがわ
かるからここまでにしておく。しかしこれだけは、言いたい。

 ここにも書いたように、日々の生活者として、平凡であることは、これはまちがいなく美徳であ
る。それを守り、それを維持するのは、とても大切なことである。で、そのとき、少しだけ自分に
問いかけてみてほしい。「だからそれがどうなのか?」と。ほんの少し、そういういった視点か
ら、日々の生活者としての平凡さを疑ってみたとき、あなたはもう一つの平凡さに気づくはずで
ある。そしてそれに気づけば、あわよくば、そのことがきっかけとなって、あなたは自分の生き
ザマを、より高揚させることができるかもしれない。
(02−11−4)

●みなと同じことをしていると感じたら、思い切って、そのカラから飛び出してみよう。その先に
は、新しいあなたが待っている。

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子育て随筆byはやし浩司(271)

「公」について

 以前、教育改革国民会議は、つぎのような報告書を、中央教育審議会に送った。いわく「自
分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬(いけい)の
念をもち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てるとともに、社会
生活に必要な基本的知識や教養を身につけることを、教育の基礎に位置づける」と。

 こうした教育改革国民会議の流れに沿って、教育基本法の見なおしに取り組む中央教育審
議会は、〇二年一〇月一七日、中間報告案を公表した。それによれば、「国や社会など、『公』
に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」とある。

 一読するだけで頭が痛くなるような文章だが、ここに出てくる「涵養(かんよう)」とは何か。日
本語大辞典(講談社)によれば、「知識や見識をゆっくりと身につけること」とある。が、それに
しても、抽象的な文章である。実は、ここに大きな落とし穴がある。こうした審議会などで答申さ
れる文章は、抽象的であればあるほど、よい文章とされる。そのほうが、官僚たちにとっては、
まことにもって都合がよい。解釈のし方によっては、どのようにも解釈できるということは、結局
は、自分たちの思いどおりに、答申を料理できる。好き勝手なことができる。

 しかし否定的なことばかりを言っていてはいけないので、もう少し、内容を吟味してみよう。

 だいたいこの日本では、「国を守れ」「国を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、国の恩恵を受けてい
る人と考えてよい。お寺の僧侶が、信徒に向かって、「仏様を供養してください」と言うのに似て
いる。具体的には、「金を出せ」と。しかし仏様がお金を使うわけではない。実際に使うのは、
僧侶。まさか「自分に金を出せ」とは言えないから、どこか間接的な言い方をする。要するに
「自分を守れ」と言っている。

 もちろん私は愛国心を否定しているのではない。しかし愛「国」心と、そこに「国」という文字を
入れるから、どうもすなおになれない。この日本では、国というと、体制を意味する。戦前の日
本や、今の北朝鮮をみれば、その意味がわかるはず。「民」は、いつも「国」の道具でしかなか
った。

 そこで欧米ではどうかというと、たとえば英語では、「patriotism」という。もともとは、ラテン語
の「パトリオータ(父なる大地を愛する人)」という語に由来する。日本語では、「愛国心」と訳す
が、中身はまるで違う。この単語に、あえて日本語訳をつけるとしたら、「愛郷心」「愛土心」とな
る。「愛国心」というと反発する人もいるかもしれないが、「愛郷心」という言葉に反発する人は
いない。

 そこで気になるのは、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かん
よう)することが大切」と答申した、中教審の中間報告案。

 しかしご存知のように、今、日本人の中で、もっとも公共心のない人たちといえば、皮肉なこと
に、公務員と呼ばれる人たちではないのか。H市の市役所に三〇年勤めるK市(五四歳)も私
にこう言った。「公僕心? そんなもの、絶対にありませんよ。私が保証しますよ」と。とくに長
年、公務員を経験した人ほどそうで、権限にしがみつく一方、管轄外のことはいっさいしない。
情報だけをしっかりと握って、それを自分たちの地位を守るために利用している。そういう姿勢
が身につくから、ますます公僕心が薄れる。恐らく戦争になれば、イの一番に逃げ出すのが、
官僚を中心とする公務員ではないのか。そんなことは、先の戦争で実証ずみ。ソ連が戦争に
参画してきたとき、あの満州から、イの一番に逃げてきたのは、軍属と官僚だった。

 私たちにとって大切なことは、まずこの国や社会が、私たちのものであると実感することであ
る。もっとわかりやすく言えば、国あっての民ではなく、民あっての国であるという意識をもつこ
とである。とくに日本は民主主義を標榜(ひょうぼう)するのだから、これは当然のことではない
のか。そういう意識があってはじめて、私たちの中に、愛郷心が生まれる。「国や社会など、
『公』に主体的に参画する意識」というのは、そこから生まれる。

 これについて、教育刷新委員会(委員長、安倍能成・元文部大臣)では、「本当に公に使える
人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。それが今まで、
日本に欠けていたのではないか」(哲学者、務台理作氏)という意見が大勢をしめたという(読
売新聞)。私もそう思う。まったく同感である。言いかえると、「個人」が確立しないまま、「公」が
先行すると、またあの戦時中に逆もどりしてしまう。あるいは日本が、あの北朝鮮のような国に
ならないともかぎらない。それだけは何としても、避けなければならない。

 再び台頭する復古主義。どこか軍国主義の臭いすらする。教育の世界でも今、極右勢力
が、力を伸ばし始めている。S県では、武士道を教育の柱にしようとする教師集団さえ生まれ
た。それを避けるためにも、私たちは早急に、務台氏がいう「個人の確立」を目ざさねばならな
い。このマガジンでも、これからも積極的に、この問題については考えていきたい。
(02−11−4)

(読者のみなさんへ)
 私の意見に賛成してくださいそうな人がいたら、この記事を転送していただけませんか。みな
さんがそれぞれの立場で、民主主義を声を高くして叫べば、この日本は確実によくなります。
みんなで、子孫のために、すばらしい国をつくりましょう!

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子育て随筆byはやし浩司(272)

愚劣な人たち

●いやがらせ
 一人の母親が娘(小三)を迎えにきて、こう言った。「よくうちの車にペンキがかけられるので
すよ」と。犯人(こういう言い方は適切ではないかもしれないが……)は、だいたいのところわか
っているのだという。しかし最後の証拠がつかめないのだという。

 そこで「どんな人ですか」と聞いたが、私はその話に驚いた。

 その犯人らしい男というのは、道の反対側に住んでいる、小学校の元校長の男だというの
だ。今年、六五歳になる。私が「多分、頭のほうが……」と言いかけると、「それがその人は、
公民館で、俳句の指導をしているんですよ。ボケてはいないと思います」と。それにはまたまた
驚いた。

 が、それだけではない。そこで駐車場に入れないように、入り口のところに自転車をたてかけ
ておくのだが、今度は、腹いせに、自転車のタイヤをパンクさせていくのだという。「まさか…
…!」と言いかけたが、やめた。こういう事件は、ないことはない。

●アンビリーバブルな事件
 私が経験した事件の中で、もっともアンビリーバブルな(信じられない)事件は、こんな事件だ
った。

 ある日、近くの大型スーパーへワイフと行くと、一人の男(六〇歳くらい)が、自転車置き場
で、つぎつぎと自転車を放り投げるようにして、倒していた。すでに数人のブラジル人らしき人
たちがそれを、あきれ顔で見ていた。そこで私が割って入り、「どうしてこんなことをするのです
か!」と叫ぶと、その男はこう言った。「じゃまだ、じゃまだ!」と。そこで私はこれみよがしに、
男の前で、倒れた自転車をつぎつぎと、立ててやった。やがてブラジル人たちも、笑いながら、
それに加わった。それは実に奇妙な光景だったに違いない。自転車をつぎつぎと倒す男。その
一方で笑いながら、自転車を立てる私とブラジル人。

 やがてその男は自分の自転車を取り出すと、そのまま、つまり無言のまま走り去っていった。
私たちはそのうしろ姿を見ながら、声を出して笑った。実は、その男というのも、学校の元教師
だった。

●そういう前提で考える
 なぜ、そういう人間がいるかということよりも、この世の中には、そういう人間もいるという前
提で考える。それはスーパーで起きる、万引きのようなものかもしれない。大きな店では、最初
から万引き率を計算して、商品の価格を決めている。いくら取り締まっても、万引きはなくなら
ない。

 が、問題はこの先である。仮にそういう事件に遭遇(そうぐう)すると、されたほうは、本当に
不愉快になる。心のカベに、ガムテープか何かが張りついたような不快感である。そしてそのと
き、そういう不愉快なことを、心からすぐ流しさることができればよいが、そうでなければ、それ
は心の中に住みついて、その人自身の人間性を狂わす。

●心の免疫性
 そこでこうした問題が起きたら、どう対処するか、である。そこで出てくる言葉が、「免疫(めん
えき)」という言葉である。そのヒントとして、こんな話がある。

 私がインターネットを始めたころ、よくウィルスの攻撃を受けた。アンチウィルスのソフトも入っ
ていなかった。で、そのたびに、冷や汗をタラタラと流しながら、ただひたすらリカバリーを繰り
返した。当時は(今も)、いつも四〜五台のパソコンを同時に動かしていたから、これはたいへ
んな作業だった。いつしか私は、息子たちに、「パパは、リカバリーの神様だね」と言われるよう
になった。リカバリーのし方だけは、だれにも負けない。

 そのリカバリーをしているとき、最初のころは、そのウィルス入りのメールやファイルを送った
人を、心底、うらんだ。憎んだ。こうしたイライラは、腹の底まで熱くする。相手を、怒鳴りつけて
やりたかった。その衝動をこらえるのに、苦労した。が、それもなれてくると、そのうち、気にな
らなくなった。今では、「また、やられた!」という感じでリカバリーできる。ウィルスは、仮にXさ
んの名前で、送られてきても、Xさんが送ったとは限らない。中には、他人の名前を勝手に使う
ウィルスもある。

●心の家に入れない
 そこで大切なことは、自分の中に、いかに免疫性をつくるか、である。もちろん犯人がわかれ
ば、それには抗議しなければならない。しかしいちいちそんなことで腹をたてていたら、こちら
も、そのレベルに落ちてしまう。要するに、相手にしない。無視する。それにまさる方法はない。
そういう招かざる客人は、心の家の中には、入れないこと。

 ……と考えて、子どもたちのこと。子どもの世界では、もっと濃密に、もっと頻繁(ひんぱん)
に、いじめが起きている。そういういじめの被害者となって苦しんでいる子どもも、多い。もちろ
んいじめは、容認してはいけない。できれば根絶しなければならない。しかしこのいじめにあう
と、子どもは、大きく二つのタイプに分かれる。ひとつは、ここでいう免疫性を身につけるタイ
プ。たいへん合理的で、すなおなものの考え方ができるようになる。もうひとつは、自らも、陰湿
になり、今度は反対にいじめる側にまわるタイプ。いじめられることで、自らも心がゆがめたと
考えられる。

 さて冒頭の話。この話には、もう一つ、伏線がある。それは「元校長」という部分である。どう
いうわけだか、私も含めて、子どもを相手にしている人は、どこか常識はずれになりやすい。長
い間、まさに「子どもの王国のキング」として君臨しているためか。このことについては、また別
の機会に考えるが、これもまた、教師の陥りやすいワナかもしれない。子どもを相手にしていて
も、視点がいつも上にあり、子どもを見おろすような教育をしている教師ほど、自分を見失う。

 私はその母親と別れるとき、こう言った。「そういう先生に、子どもたちが習っていたかと思う
と、ぞっとしますね」と。すると母親も、こう言った。「まあ、先生にもいろいろありますから。それ
に同じ人間でも、いろいろな面がありますから……」と。
(02−11−4)

●心の客人は、よく選んで迎えよう。おかしな客人は、招きいれないこと。

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子育て随筆byはやし浩司(273)

今、子どもたちの世界で……

 今、小学生の間で流行しているのが、ダジャレ。この中のいくつかを覚えておいて、子どもの
前で言ってみるとよい。子どもは、あなたを尊敬するようになる。なおこれらのダジャレは、子ど
もたちから聞き取り調査したもの。ほとんどは、雑誌などからの受け売りかと思われる。

★オオカミがトイレに入って、こう言った。「オー、カミが、ない」。
★カエルが、ヒックリカエル。
★「山田さん、本、返した」「いや、まだです」
★お山が火山で、ふっとんだ。おや、マー。
★教育テレビに、きょう、行く?
★浅草は、朝、臭い。
★グラスが、三つで、サングラス。
★パンを、ジーと、見つめて、ジーパン。
★パンが二枚で、パンツー。
★ダジャレを言ったのは、ダーレジャー。
★ジーが二人で、ジジイ。
★カッパが二匹で、カッパ・ツに泳いでいた。
★アルミ缶の上にある、ミカン。
★屋上に、ウンコ、置くじょう。
★下駄箱の上に、げっ、タバコ!
★ロシアの殺し屋、ああ、おそろしや。
★スパイダーマンが、梅ぼしを食べて、オー、スッパイダー。
★ジャイアン、死んじゃ、イヤ〜ン。
★林先生が、ひげ、はやした。

 これを書いていて思い出したが、私にも、こんなことがあった。留学しているころ、オーストラ
リアの小学校へ行くと、子どもたちが私のところへやってきて、手を合わせ、「アッソウ、アッソ
ウ」と言った。どこかで日本語を覚えたらしい。私はたいへん気をよくして、それを喜んでいた
ら、オーストラリア人の友人が、こう話してくれた。「ヒロシ、君はからかわれているんだよ。アス
というの、おしりの穴、ソアというのは、痛いという意味。だから『アッソウ』というのは、『おしり
の穴が痛い』という意味だよ」と。

 実はその少し前、日本の天皇がアメリカを訪問して、この言葉を連発した。それをオーストラ
リアのテレビ局が、それを報道したらしい。それでオーストラリアの子どもたちの間で、この言
葉が流行した。当時といえばまだ、日本や日本人が、オーストラリアでは警戒されている時代
だった。
(02−11−4)

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子育て随筆byはやし浩司(274)

「なぜ」「どうして」

 年中児(満五歳ごろ)から、年長児(満六歳ごろ)にかけて、子どもの会話の中に、「なぜ」「ど
うして」が、急速にふえる。こうした質問をとおして、子どもは、「論理」を学ぶ。だからこの時
期、子どもの質問には、ていねいに答えてあげること。しかし、親子のチン問答も少なくない。

(子)「お母さん、どうしてテレビは映るの?」
(母)「それは映るようにできているからよ。映るからテレビというのよ。映らないのは、テレビと
は言わないでしょ」
(子)「……?」

(子)「お母さん、どうしてテレビは映るの?」
(母)子どもに、外の電線を見せながら、「あそこから入ってくるのよ」
(子)「……?」

 まずいのは、何でも神様のせいにすること。

(子)「どうして夜になると、お星様が出てくるの」
(母)「そのように、神様がしたからよ」
(子)「どうしてお日様があるの?」
(母)「神様が、そうしたからよ」
(子)「どうして風が吹くの?」
(母)「神様が、そうしたからよ」

 この時期をとおして、A=B、B=C、だからA=Cという論理を学ぶ。しかし最近読んだ本に、
こんなのがあった。これは中学校で使う英語の教科書(Sun Shine・中二)に出ていた話であ
る。

 ある女の子(バージニア、八歳)が、「サンタクロースはいるか?」という手紙を出したことに対
する返事だが、これがおもしろい。

「だれもサンタクロースを見たことがないわね。しかしこの世界には、見ることができないものが
たくさんあるよね。たとえば愛は見ることができないでしょ。しかし愛はあるよね。だからサンタ
クロースはいるのよ」(プログラム8)と。

 これはもうメチャメチャな論理である。こんな論理がまかりとおったら、幽霊も、悪魔も、ドラキ
ュラもいることになってしまう。天国も、地獄もあることになってしまう。(本当にあるかもしれな
いが……。)

 一方、こうした子どもたちの論理が、破壊されつつあるのも事実。少し前だが、幼稚園の年
長児で、「学校へ行きたくない」という子どもが続出した。理由を聞くと、「花子さんがいるから」
だった。当時、「学校の怪談」というテレビドラマがはやった。それが理由だった。ほかに、小学
校の中学年から高学年にかけて、まじないや、占いにこる子どもは多い。信じている子ども
は、本気で信じている。私が「あんなのはインチキだよ」と言っても、まったく聞く耳をもっていな
い。携帯電話の運勢占いには、毎日、一〇〇万件以上ものアクセスがあるという。とても悲し
むべきことである。

 子どもの質問には、どんなばあいも、ていねいに答える。これは子育ての要(かなめ)と言っ
てもよい。そうそうテレビについてだが、あるお母さんは、虫眼鏡(めがね)をもってきて、テレビ
の画面を拡大して子どもに見せたそうだ。そしてこう説明した。「テレビには、こまかい電気が
いっぱい集まっているのよ。それがついたり消えたりして、映像が映るのよ」と。どうもこのあた
りが正解のようだ。
(02−11−4)

●仮に運命というものがあっても、最後の最後まで、ふんばって生きよう。そこに生きる人間の
尊さがある。

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子育て随筆byはやし浩司(275)

若者を中心に、HIV陽性者、一万五〇〇〇人!

●一〇人に一人が、エイズに!
 京都大学のK教授の推計によれば、二〇〇二年、HIV(エイズ)の陽性者は、若者を中心
に、一万五〇〇〇人に達するだろうと言われている。そしてこの数は、今後二〇一〇年までの
八年間で、数倍以上の、五万人にまでふえるという(NHKのニュース解説・一一月四日夜放
送)。

 五万人という数字がどういう数字かと言えば、たとえば満一八歳から二五歳までの若者の数
を、約八〇〇万人とすると、一〇〇人に一人弱という割合になる。しかもそこで陽性者の増加
がとまるわけではない。以後、二次曲線的に陽性者はふえ、二〇二〇年には、……? 想像
するだけで、恐ろしいことになる。もしあなたの子どもが今、四〜六歳の幼児なら、二五歳まで
にエイズに感染する確率は、このままのハイペースで進めば、一〇%以上とみてよい。繰り返
すが、一〇%以上だ! 一〇人に一人だ!

 こういう現状を前にして、あなたはどう考えるだろうか。またどう行動したらよいだろうか。

●親自身が賢くなる
 そのためにはまず親自身が、賢くなる。こういう現実が迫ってくると、「教育を何とかしろ」と
か、「学校で指導をしてほしい」という声ばかりが、大きくなる。しかし改めるべきは、子どもの
世界ではなく、おとなの世界である。おとなの私たちが愚かなことを繰り返していて、どうして子
どもに向かって、賢くなれと言えるのか。また何でもかんでも、学校に……という発想では、もう
問題は解決しない。そうでなくても、学校には問題は山積している。しかも問題はたまる一方
で、今では、ほとんどの学校では、教育そのものが、マヒ状態に陥っている。

 そこで一つの提案だが、もしあなたが私のマガジンの読者なら、私の記事を参考に、そのつ
ど、子どもに話しかけてみてほしい。「あなたはどう思う?」「あなたなら、どうする?」と。もちろ
んこのエイズだけの問題ではない。私も力のつづくかぎり、こうして最善の情報を、みなさんに
伝える。だから、それぞれについて、あなたの子どもに話しかけてみてほしい。時間はかかる
し、根気のいる作業になるかもしれない。しかしこうした努力が、あなたの子どもを、根底から
賢くする。

●親子で話しあいを……
たとえば最近私が書いた原稿の中には、「心の客人論」「常識論」「公について」「愚劣論」など
がある。どれも私のオリジナルの原稿である。こういうテーマを、あなたの子どもに直接ぶつけ
てみてほしい。「林という人間が、こんなことを言っているけど、あなたはどう思う?」と。私が正
しいとか、正しくないとかいうことはあまり考えなくともよい。あくまでも話題として、そのたたき台
になればよい。その目的は、言うまでもなく、あなたの子どもを、「自ら考える子ども」にするこ
と。このHIVの陽性者の問題にせよ、子どもを守るためには、それ以上の方法はない。

 まあ、考えてみれば、よくもこれだけ、つぎからつぎへと問題が起きるものだと思う。私も毎
日、こうして原稿を書いているが、テーマが尽きることはない。「今日は、これで書き尽くしたぞ」
と思って、床に入ると、またつぎからつぎへと、書きたいことが襲ってくる。ワイフは、「マガジン
の量が多すぎるから、減らしたらいい」とよく言うが、しかし私自身は、かなり原稿を削ってい
る。おそらく半分以上は削っている。が、それでも「多すぎる」と。

●自ら考える子どもにしよう
 話を戻すが、仮に一〇人のうち、一人がエイズに感染したとなると、もう教育はその時点で崩
壊する。教育どころではなくなってしまう。そこで私たちは何をしたらよいかという問題にぶつか
る。で、参考になるかどうかはわからないが、私とワイフは、今まで、つぎのようにして戦ってき
た。

☆私の住む地域には、Y街道という大きな街道が走っている。その街道沿いには、いまだかっ
て一度も、テレクラやその種の捨て看板(棒に布を張った看板、ベニアにチラシを張った看板。
俗に「捨て看」という)などが、並んだことはない。だれかが立てたら、その夜のうちに、私とワイ
フが、それを回収して、捨てている。(法律的には、捨て看は、ゴミ。いくら勝手に撤去しても、
罪に問われることはない。みなさんも、遠慮せず、堂々と撤去したらよい。念のため。)

☆テレクラなど、あやしげな大きな看板が、合法的に立てられたときには、地主を調べて、電
話攻勢をかける。あるいは直接、その番号に電話をかけて抗議をする。だからいまだかって、
そのY街道沿いには、大きな看板が立ったことはない。いや、一度だけ、N郵便局(このあたり
の中央集配所)の四つ角に、その看板が立ったことがある。そのときは、私はその夜のうち
に、電話番号のところに、シールを張り、見えなくした。一度は、スプレーで、番号を見えなくし
た。ほかにその看板の上に、抗議文を張りつけたこともある。たしか「子どもたちを守ろう」と書
いた抗議文だった。数回、こうした攻防が繰り返されたが、数回目に、相手があきらめ、看板
を撤去した。Y街道沿いは、私の縄張り。勝手なことはさせない。

●あなたの地域で活動しよう!
 これは私の戦いだが、しかしみんながそれぞれの地域で、こうした戦いをすれば、少しは社
会が動く。そしてそういう力が、やがて大きくなって、結果的には、子どもたちの未来を守ること
になる。だから、みんなも、勇気を出して行動してほしい。何かできるはずである。また何かを
しなければならない。

 が、やはり何といってもそれ以上に大切なのは、繰り返すが、やはり親の私たち自身が、賢く
なること。親が賢くなれば、子どもも賢くなる。賢くなって、自分で判断するようになる。あなたの
子どもをエイズから守るためには、この方法しかない。
(02−11−5)

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つぎの原稿は、子どもの抵抗力について、かいたものです。中日新聞発表済み。
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子どもが非行に抵抗するとき 

●あやしげな男だった
 あやしげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがと
れる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。

 西洋医学では「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という治
療原則を打ちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れた
からだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ちたてる。人体に足りないもの
を補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考え
ることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけ
の抵抗力があったからにほかならない。

●非行は東洋医学的な発想で 
 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親は叱ったりす
る。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をは
ねのける子どももいる。東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないか
は、抵抗力の問題」ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医
学の本質はここにある。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医学」というよりは、
「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えて
もよい。ではどうするか。

●子育ての基本は自由
 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。つまり子どもには、自
分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ早
いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。「あなたはどう思
う?」「どうしたらいいの?」「どう始末したらいいの?」と、いつも問いかけながら、要は子ども
のリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のあ
る子どもにする。

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●子どもを守るために、あなたの地域で行動しよう。
●子どもを、考える子どもにしよう。そのために、まず親のあなたが、考える親になろう。

(追記)「Y街道」と書いたが、「雄踏(ゆうとう)街道」をいう。浜松市の西と中心部を結ぶ、幹線
道路である。読者の中には、浜松の人が多いので、あえて実名を書くことにした。この地域の
人は、その種の捨て看を、道路沿いに見たことがないはずである。私はその雄踏街道をワイフ
と守るようになって、もう二〇年以上になる。

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子育て随筆byはやし浩司(276)

日本は官僚主義国家

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。学生時代、私が学んだオーストラリ
アの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。「君主(天皇)官僚主義国
家」となっているのもあった。日本は奈良時代の昔から、天皇を頂点にいだく官僚主義国家。
その図式は、二一世紀になった今も、何も変わっていない。たとえばこの静岡県でも、知事も
副知事も、みんな元中央官僚。浜松市の市長も、元中央官僚。この地域選出の国会議員のほ
とんども元中央官僚。「長」は、中央からありがたくいただき、その長に仕えるというのが、この
あたりでも政治の構図になっている。その結果、どうなった?

 今、浜松市の北では、第二東名の道路工事が、急ピッチで進んでいる。その工事がもっとも
進んでいるのが、この静岡県。しかも距離も各県の中ではもっとも長い(静岡県は、太平洋岸
に沿って細長い県)。実に豪華な高速道路で、素人の私が見ただけでもすぐわかるほど、金が
かかっている。現存の東名高速道路とは、格段の差がある。もう少し具体的にデータを見てみ
よう。

 この第二東名は、バブル経済の最盛期に計画された。そのためか、コストは、一キロあた
り、236億円。通常の一般高速道(過去五年)の五・一倍のコストがかかっている。一キロあた
り236億円ということは、一メートルあたり2300万円。総工費一一兆円。国の年間税収が約
五〇兆円だから、何とこの道だけで、その五分の一も使うことになる。片側三車線の左右、六
車線。何もかも豪華づくめの高速道路だが、現存の東名高速道路にしても、使用量は、減る
か、横ばい状態。つまり今の東名高速道路だけで、じゅうぶんということ。国交省高速国道課
の官僚は、「ムダではない」(読売新聞)と居なおっているそうだが、これをムダと言わずして、
何という。何でもないよりはあったほうがマシ。それはわかるが、そんな論理で、こういうぜいた
くなものばかり作っていて、どうする。静岡県のI知事は、高速道路の工事凍結が検討されたと
き、イの一番に東京へでかけ、先頭に立って凍結反対論をぶちあげていたが、そうでもしなけ
れば、自分の立場がないからだ。

 みなさん、もう少し、冷静になろう! 自分の利益や立場ではなく、日本全体のことを考えよ
う。私とて、こうしてI知事を批判すれば、県や市の関係の仕事が回ってこなくなる。損になるこ
とはあっても、得になることは何もない。またこうして批判したからといって、一円の利益にもな
らない。

 あの浜松市の駅前に立つ、Aタワーにしても、総工費が2000億円とも3000億円とも言わ
れている。複雑な経理のカラクリがあるので、いったいいくらの税金が使われたのか、また使
われなかったのか、一般庶民には知る由もない。が、できあがってみると、市民がかろうじて使
うのは、地下の大中の二つのホールだけ。あの程度のホールなら、四〇〇億円でじゅうぶんと
教えてくれた建築家がいた。事実、同じころ、東京の国立劇場は、その四〇〇億円で新築され
ている。豪華で問題になった、東京都庁ビルは、たったの一七〇〇億円! 浜松市は、「黒字
になった」と、さかんに宣伝しているが、土地代、建設費、人件費のほとんどをゼロで計算して
いるから、話にならない。が、それでムダな工事が終わるわけではない。その上、今度は、静
岡空港!

 これから先、人口がどんどん減少する中、いわゆる「箱物」ばかりをつくっていたら、その維
持費と人件費だけで、日本は破産してしまう。このままいけば、二一〇〇年には、日本の人口
は、今の三分の一から四分の一の、三〇〇〇〜四〇〇〇万人になるという。日本中の労働者
すべてが、公務員、もしくは準公務員になっても、まだ数が足りない。よく政府は、「日本の公務
員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これはウソ。まったくのウソ!

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、公
社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数だけで
も、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これですべてではな
い。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施
設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町村
の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇団体
近くもある。

 今、公務員の人も、準公務員の人も、私のこうした意見に怒るのではなく、少しだけ冷静に考
えてみてほしい。「自分だけは違う」とか、「私一人くらい」とあなたは考えているかもしれない
が、そういう考えが、積もりに積もって、日本の社会をがんじがらめにし、硬直化させ、そして日
本の将来を暗くしている。この大恐慌下で、今、なぜあなたたちだけが、安穏な生活ができる
か、それを少しだけ考えてみてほしい。もちろんあなたという個人に責任があるわけではない。
責任を追及するわけでもない。が、もうすぐ日本がかかえる借金は、1000兆円になる。国家
税収がここにも書いたように、たったの50兆円。あなたたちの生活は、その借金の上に成り
立っている!

 こういう私の意見に対して、メールで、こう反論してきた人がいた。「公共事業の七〇%は、人
件費だ。だから公共事業はムダではない」と。

 どうしてこういうオメデタイ人がいるのか。やらなくてもよいような公共事業を一方でやり、その
ために労働者を雇っておきながら、逆に、「七〇%は人件費だから、ムダではない」と。これは
たとえていうなら、毎日五回、自分の子どもに、やらなくてもよいような庭掃除をさせ、そのつど
アルバイト料を払うようなものだ。しかも借金までして! それともあなたは、こう言うとでもいう
のだろうか。「アルバイト料の七〇%は、人件費だ。だからムダではない!」と。

 日本が真の民主主義国家になるのは、いつのことやら? 尾崎豊の言葉を借りるなら、「しく
まれた自由」(「卒業」)の中で、それを自由と錯覚しているだけ? 政府の愚民化政策の中で、
それなりにバカなことをしている自由はいくらでもある。またバカなことをしている間は、一応の
自由は保障される。巨人軍の松井選手が、都内を凱旋(がいせん)パレードし、それに拍手喝
さいするような自由はある。人間国宝の歌舞伎役者が、若い女性と恋愛し、チンチンをフォー
カスされても、平気でいられるような自由はある。しかし日本の自由は、そこまで。その程度。し
かしそんなのは、真の自由とは言わない。絶対に言わない。

 少し頭が熱くなってきたから、この話は、ここでやめる。しかし日本が真の民主主義国家にな
るためには、結局は、私たち一人ひとりが、その意識にめざめるしかない。そしてそれぞれの
地域から、まずできることから改革を始める。政治家がするのではない。役人がするのではな
い。私たち一人ひとりが、始める。道は遠いが、それしかない。
(02−11−5)※

●官僚政治に、もっと鋭い批判の目を向けよう!
●ムダなことにお金を使わず、子どもの養育費の負担を、もっと軽くしよう!

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新聞に掲載したコラムを、転載します。
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大学生の親"貧乏盛り"
 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均十一
万七千円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけではす
まない。アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に四十
−五十万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネット
も常識。…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。
世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! 

 そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、
貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。
 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなけ
ればならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度
があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対G
NP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない(ユネスコ調べ)。欧米各国
が、七−九%(スウェーデン九・〇、カナダ八・二、アメリカ六・八%)。日本はこの十年間、毎年
四・五%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少ないというこ
とは、それだけ親の負担が大きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀行の救済の
ためだけに、四兆円近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国二百万人の大学生
に、一人当たり二百万円ずつの奨学金を渡せる!

 が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのは
そういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世
界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。い
まだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている! 日本人の
この後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまでも
個人的利益の追求の場と位置づけている。

 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え
ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが
積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。

 日本の教育制度は、欧米に比べて、三十年はおくれている。その意識となると、五十年はお
くれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなところで、子どもを育
てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがい
ろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ三十年。この状態はいまだに変わってい
ない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育て
たくない」と。

 私も三人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫の
ことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。

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子育て随筆byはやし浩司(277)

ゴーストライター

 一一月も入って、まもないころ、一人のドクターから、ハガキが届いた。読むと、「このところ
体調をくずして、年始の年賀状を失礼させていただきます」とあった。よほど体の具合が悪い
のだろう。追伸の欄には、「お手紙をいただきましても、返事を書く気力もないと思いますので、
どうかお許しください」とあった。私とワイフは、そのハガキを見て、しばし言葉をつまらせた。

 私は二〇代のころ、いろいろな出版社で、ゴーストライターをしていた。そうして書いた本は、
一五冊はあると思う。「思う」というのは、こうして生まれる本は、いろいろな人の手を経て出版
されるからだ。私があらかじめ原稿を書き、あとで著者が手なおしするというケースもあった。
あるいは著者が、まず自分の声をテープレコーダーに吹き込み、それを聞きながらリライトす
るというケースもあった。だから実際のところ、何冊書いたかと聞かれても、わからない。

 が、どういうわけか、私が書いた本は、どれも売れた。その中の一冊に、「xxx」という本があ
る。あるホームドクターの日常的なできごとを書いたものだが、これはあとで、テレビのドラマに
もなり、そののち、一〇年以上も売れつづけた。が、私はいわば、請け負い業者。原稿ができ
た段階で、いくらかのお金を受け取って、それでおしまい。ふつう、相手の方が私を忘れる。…
…忘れたがる。

 ゴーストライターには、一応、守秘義務というのがある。原稿を売った段階で、著作権も渡
す。と、同時に、以後、その原稿にまつわるいっさいの権利を放棄する。あとになって、「あの
本は私の書いたものです」とは、言わない。言えない。言ってはならない。

 が、その本が、そこまで売れるとは思ってもみなかった。出版後、ちょうど一年で、一二万部
も売れた。定価が一八〇〇円。そのドクターへの印税は、一二%だったから、それだけで約二
六〇〇万円近くになった。なんとか賞という、賞まで取った。私はそのニュースを出版社からの
電話で聞いたが、そのドクターは、さぞかし居心地の悪い思いをしたことだろうと思った。とても
いっしょに、喜ぶ気にはなれなかった。
 
 が、ふつうなら、著者(?)と私の関係は、私が出版社へ原稿を売り渡したときに終わる。しか
しどういうわけだか、そのドクターとは、それから三〇年近くも、関係がつづいた。そのドクター
は、ことあるごとに、私に気をつかった。その気持ちは、よくわかった。あるいはあとになって、
私が彼の名誉をひっくり返すようなことをするとでも思っていたのだろうか。しかし私はそんなタ
イプの人間でない。

 そのドクターからは、年賀状だけは、毎年届いた。ときどき数年、私のほうが出さなかったこ
とはあるが、それでも、毎年届いた。が、そのうち何というか、私は親近感を覚えるようになっ
た。実のところゴーストライターとして書いた本など、見たくもない。思い出したくもない。その著
者(?)の名前を聞くだけで、不愉快になる。いつか私は、ゴーストライターは、娼婦のような商
売だと思ったことがある。娼婦は体を売るが、ゴーストライターは、魂を売る、と。それに私が書
いた本が売れたという話を聞くのは、気持ちのよいものではない。何だか損をしたという気持ち
になる。

 マスコミの世界は、本当に不可解な世界だ。中身など、ほとんど評価されない。そのドクター
は、先にも書いたように、なんとか賞という賞を受賞している。が、その賞は、本来、私がもらう
べきものだ。しかしなぜ彼がその賞を取ったかといえば、その本が売れたからにほかならな
い。そしてなぜ売れたかというと、中身ではない。そのドクターのもっていた、知名度だ。彼の父
親は、xxxの世界ではよく知られた有名人だった。

 実際には、私はそのドクターとは、一度しか会っていない。最初、出版社の編集長が、私を彼
に紹介したときだ。あとは私のほうで勝手に原稿を書き、そのまま出版社に渡した。ここにも書
いたように、この種の本は、いろいろな方法で出版される。しかしその本は、私があちこちの病
院を取材し、ほぼ一〇〇%、私が書きあげた。ただ「本」というと、特別の思いをもつ人も多い
が、私にとっては、ただの商品。それを書くのは、私のビジネスだった。だからそういうインチキ
なことをしながらも、私自身には罪の意識はなかった。が、それが一〇年、二〇年とたつと、変
わってきた。その後、私が自分の名前で出した本は、どういうわけだか、売れなかったこともあ
る。「やはり、この世界、知名度が大切」ということを思い知らされるたびに、自分のしてきたこ
とを後悔するようになった。

 そのドクターから、ハガキが届いた。文面からすると、冒頭にも書いたように、病状はかなり
重いらしい。読み返せば読み返すほど、病状の重さが、ひしひしと伝わってきた。心のどこか
で、憎んだこともある。心のどこかで、軽蔑したこともある。心のどこかで、ねたんだこともあ
る。そのドクターが、重病だという。もう少し若ければ、知人の死として、距離を置くことができた
だろうが、「自分の時代は終わった」という思いが、私の心をふさいだ。仮にそのドクターが死
ねば、ゴーストライターをしていたころの自分も死ぬことになる。あのときのあの本が私の本だ
と、それを証明する人がいなくなる。

 「しかしこのドクターも、根はいい人だったんだね」と私が言うと、ワイフも、「そうね」と。「最後
の最後まで、ぼくのことが気になったのだろう。いや、ぼくなら気になる。降ってわいたような企
画に、名前を貸しただけで、数千万円の印税を手にした。その上、賞までもらい、ちょっとした
有名人にもなった。そのもととなる本が、ゴーストライターによるものだとなるとね」と。
 「あなたがいつか名乗り出るとでも思ったのかしら?」
 「ははは、ぼくはそんなことはしない。しかし、だよ。そのドクターは、その前にも、そしてその
あとにも、一冊も本を書いてない。きっと書けなかったのだろうね」
 「でも、何だかかわいそう」
 「そうだね。結局は自分の人生を汚してしまった。でも、あの賞の授賞式のとき、『この本は、
林というゴーストライターが書いたものです』と言いたかったのかもしれないね」
 「でも、できなかった……」
 「そうだね。彼としては、この話は墓場までもっていくつもりだよ」

 私はそのハガキをもう一度ゆっくりと読みなおすと、壁につりさげた状さしの中にしまった。そ
していつものように外へ出て、自転車にまたがった。
(02−11−5)※

(追伸)このエッセーは、そのドクターのために書いた本の文調と構体裁をまねて書いてみた。
この文調と体裁こそが、その本が私の本であるという証拠でもある。

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子育て随筆byはやし浩司(278)

消しゴム依存症

●私のばあい
 「依存症」という精神障害がある。アルコール依存症とか、買い物依存症とかいうのがあるそ
うだ。依存症というのは、ある一定の限度を超えて、病的になったサマをいうが、これを薄めた
ものなら、だれにでもある。私にもある。もっとも私の世界では、依存症という言葉は、使わな
い。「こだわり」という。

 私のこだわりといえば、今はパソコンか。年に一度くらいは、新しいパソコンを買っている。こ
のパソコンは、まさに日進月歩。CD−Rがついたかと思えば、今度はDVD。さらにLANに。最
近ではUSB2・0など。どんどん新しい機能が追加される。インターネットにしても、今ではADS
Lが当たり前。一年前の機種が、陳腐に見えるから不思議である。

 で、新しいパソコンを買ったからといって、それでこだわりが終わるわけではない。私のばあ
い、どの機能も完ぺきに動作しないと、気がすまない。たとえば新しいソフトを入れたとする。そ
のとき、98やMeでは動作していたソフトが、XPの方では動作しないときがある。そういうとき
は、その原因を徹底的に追究する。マニュアルを読んだり、電話をあちこちにかけたりするな
ど。結構たいへんな作業に見えるかもしれないが、私にはそれが楽しい。問題が大きければ
大きいほど、そして苦労をすればするほど、解決したときの喜びは大きい。

 そして依存症。私は週に数回は、大きなパソコンショップをのぞいている。ただパソコンは値
段が値段だから、おいそれと買うわけにはいかない。そこで年に一回程度ということになるが、
その機種選びが、これまた楽しい。(〇二年度は、予算がないので、買っていない。)買う前の
数か月は、迷いに迷う。いや、ときどき、カタログを見ただけで、「これだ」と思って買うのもある
が、たいていは迷う。カタログを集めて、それを毎晩、寝る前に読む。この程度が、もう少しは
げしくなれば、依存症ということになるのか。もっとも寝る前に読むカタログは、パソコンにかぎ
らない。デジタルカメラや、周辺機器のもある。一か月もすると、結構な分量になるので、ときど
きメーカーも、たいへんだろうなと思う。つまり私のようなユーザーが多いと、カタログの印刷代
ばかりがかさむ。

●子どもの依存症
 さて子どものこと。こうした依存症というか、依存性は、たいていどの子どもにも見られる。そ
れぞれが何かの依存性をもっている。よく見られるのが、筆記用具。大きなペンケースに、五
〇〜一〇〇本近い筆記用具をもっている子どももいる。「二、三本、あればいいじゃない」と言
うと、「どれも使う」と答えたりする。鉛筆だけではない。いろいろな種類のペンやシャープペン
シルなど。カラーペンも、全色もっている。

 もう一つは、消しゴム依存症。このタイプの子どもは、考えてから書くというよりは、書いてか
ら考える。何でも一応書いてみて、それを見ながら頭の中を整理するというわけだ。だから一
時間も勉強すると、消しゴムの消しクズが、山のようになる。が、考えてみれば、これほど時間
のムダはない。仮に一分間に、数回消しゴムを使ったとする。そして一回に五秒前後の時間を
使ったとする。それだけで、一分間に、一五秒前後は、消しゴムを使ったことになる。だからこ
ういう消しグセのある子どもは、テストなどでも、決定的に不利である。たとえば五〇分のテスト
でも、消しグセのある子どもには、三〇〜四〇分しかないことになる。

 そこで私は幼児については、消しゴムを使わないように指導している。「考えてから書きなさ
い」と指導している。が、この段階でも、すでに消しグセのついている子どもは、おかしな症状を
見える。たとえば消しゴムを取りあげたりすると、イライラして、勉強が手につかないといった様
子を見せる。私はこれを、勝手に、「禁断症状」と呼んでいる。しかし一度、こうした消しグセが
身につくと、それを改めるのは、容易ではない。いくら注意しても、親や教師がいないところで
は、消しゴムを使うからだ。だからこうした消しグセは、つけないほうがよい。具体的には、幼
児には消しゴムを与えない。

 こう指導すると、「まちがえたときはどうするのですか?」という質問が、親や子どもからよく出
る。そういうときは、一本線を引いて、それで消したことにすればよい。それがまた国際的な消
し方である。もちろん重要な文書や、だれかに提出する文書は、ていねいに消してから出す。
それは常識。

 それに大切なのは、「答」ではなく、「考え方」。もっといえば、その答にいたるまでのプロセ
ス。そのプロセスを残すためにも、消しゴムは使わないほうがよい。これは私の人生観にもか
らんでくるが、私は「消せばなおる」という人生観が大嫌い。そういうこともあって、どうにもこう
にも、消しゴムが好きになれない。

 さらにもう一つ。これは日本人の悪いクセなのだろうが、日本人は、消しクズを、手で払って、
手前に落とす。欧米人は、これに対して、手で払って向こう側の前に出す。そしてそこに集めて
おく。日本人のように、下へ落とさない。板間の部屋ならよいが、ジュータンを敷いたような部屋
だと、消しクズは、やっかい。子どもが足で踏みつけたりすると、鉛筆の汚れなどが、ジュータ
ンに、そのまましみついてしまう。

 ところでアメリカでは、消しゴムをほとんど使わないそうだ。小学生のばあい、反対側に消しゴ
ムがついている鉛筆を使うという。「まちがえたときは、消しますか」と聞いたら、その先生は、
「そうです」と意外とあっさりと答えてくれた。しかし小さいだけに、かえって使いにくいらしい。だ
から結果として、「ほとんど使わない」そうだ。
(02−11−6)

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子どもの問題

 子どもの問題には、三種類ある。

(1)子ども自身では、解決できなくなる問題。
(2)あとで、親の力で、どうにでもなる問題。
(3)子ども自身がやがて、自分で解決できる問題。

 子どもに何か問題が起きたら、あるいは起きそうだったら、まずこの三つのうちのどれにあた
るかを、判断してみるとよい。たとえば……

(1)子ども自身では、解決できなくなる問題
 神経症、情緒障害、精神障害にかかわるような問題。子ども自身の力では解決できそうもな
く、こじれたとき、その後遺症がずっとつづくと思われるような問題。

(2)あとで、親の力で、どうにかなる問題。
 しつけ一般、たとえば簡単な健康問題。歯みがき、手洗いなどの日常的な習慣。たとえ「失敗
した」と思う状態になっても、あとから親がケアすれば解決できる問題。

(3)子ども自身がやがて、自分で解決できる問題。
 家庭環境、貧困、家庭不和など。そのときは、子どもの心がキズついたりするが、子どもが
成長するにつれて、子ども自らが克服できる問題。

 ……ここまで書いたところで、先日、講演先で、一人の母親から、こんな質問があった。「祖
父母と、教育問題で対立する。どうしたらいいか」「私の目を盗んでは祖父母のところへいき、
小づかいをもらっている。子どもがダメになっていくようで心配だ」と。祖父母が、子どもに甘く、
それで家庭教育が乱れるというのだ。

 この問題は、ここでいう(3)の問題に属する。子どもによっては多少ドラ息子化するかもしれ
ないが、しかしこの程度の問題なら、やがて子ども自身が自分で克服する。さらに自意識が発
達してくると、反対に祖父母を批判するようになる。だからあまり深刻に考えないこと。言うべき
ことは言いながらも、あとは時間に任せる。子ども自身がやがてそれを悪いことだと、自分で気
がつくときがくる。

 それに祖父母との同居の問題は、別居かさもなくば離婚というところまで覚悟するなら話は
別だが、そうでなければ、受け入れてあきらめる。祖父母の子育て方針に、いろいろ問題はあ
っても、そうしたことから得るデメリットよりも、メリットも多いはず。親としては不満だろうが、そ
のメリットを生かして、親は親で好き勝手なことをすればよい。

 むしろ親と祖父母が対立することによって、家庭全体のムードが、おかしくなること。それから
生ずるギクシャクした雰囲気のほうが、子どもに悪い影響を与える。家族の中で、家族どうし
が、子育てのことで対立すると、子どもは糸の切れたタコのような状態になる。しかもそのと
き、子どもへの親(嫁)が祖父母のことを、いやな祖父母だと思っていると、祖父母もまた、親
(嫁)のことを悪い親(嫁)だと思っているもの。そういう意味では、人間の心はカガミのようなも
の。だからこの問題も、いきつくところ、あきらめる。あきらめて、あとは受け入れる。そして祖
父母の言いたそうなことを先に言ったり、やってしてやる。そして「おじいちゃんや、おばあちゃ
んのおかげでたいへん助かっています」と、おじょうずの一つでも言えばよい。

 子育てにはいろいろな問題が、つきまとう。そのとき大切なことは、それが大切な問題なの
か、どうかということを、まず選択する。そうでないと、つまりその選択をまちがえると、何がなん
だかわからなくなってしまう。混乱する。

 親としては、完ぺきな環境を子どもに提供したいと考えるが、完ぺきな子育てなどないし、ま
たそれができないからといって、自分を責めてはいけない。子ども自身にも、今のあなたと同じ
ように、自分で問題を解決する「力」がある。そういう意味では、子育ては、決してあなたひとり
の問題ではないし、ひとりですべてを背負ってはいけない。子どものもつ「力」を、信ずる。そし
てここにも書いたように、言うべきことは言いながらも、いつか子どもが、自分で判断できるよう
に、その下地だけはつくっておく。「お母さんは、そういうふうにして小づかいをもらうことは、悪
いことだと思う。あなたはそれについて、どう考えるの?」と。(1)の問題はともかくも、(2)や
(3)の問題は、そういう視点でとらえる。
(02−11−6)

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子育て随筆byはやし浩司(280)

人間宣言

 人間宣言!
 人間らしく、生きよう!
 人間らしく、仕事をしよう!
 
 あなたは、軍服を着た軍人に人間を感ずるか?
 あなたは、制服を着た警察官に、人間を感ずるか?
 あなたは、スーツにネクタイをしめたサラリーマンに、人間を感ずるか?

 人間宣言!
 私たちは、ロボットではない!
 私たちは、機械の歯車ではない!

 私たちは、人間だ!
 私たちは、温かい血をもった人間だ!
 私たちは、温かい心をもった人間だ!

不完全であることを、恥じることはない。
未完成であることを、恥じることはない。
ボロボロであることを、恥じることはない。

さあ、あなたも勇気を出して、制服をぬいでみよう。
さあ、あなたも勇気を出して、カラから飛び出してみよう。
さあ、あなたも勇気を出して、心から叫んでみよう!

私たちは、人間だ!
私たちは、人間だ!
私たちは、人間だ!

 昔、東京オリンピックのとき、日本の選手団が一糸乱れぬ入場行進をしてみせたとき、日本
人はみな、そのすばらしさに(?)、歓声をあげた。しかし今、だれもそんな行進など、見向きも
しない。

 同じように、今、北朝鮮がそのつどする、あのマスゲームを、だれもすばらしいとは思わな
い。先日も、北朝鮮の上級小学校(?)の模様が、テレビで報道されていた。子どもたちは不自
然な笑みを顔いっぱいに浮かべて、これまた一糸乱れぬ演技をしていた。しかし今、そんな演
技を、だれもすばらしいとは思わない。そういう画一行動は、ただ不気味なだけ。恐ろしいほ
ど、不気味なだけ。

 さあ、私たちも自分の姿を振り返ってみよう。私たちの周囲には、そういう不気味さはない
か。私たちは今、自信をもって、私たちは、あの北朝鮮と違うと、胸を張って言えるか。さあ、あ
なた自身はどうか。あなたはどこかで、画一行動をしていないか?

 さあ、あなたも制服をぬいで、ネクタイをはずして、行列から離れて歩いてみよう。もし、それ
が無理なら、まず、あなたの心から制服をぬいで、ネクタイをはずして、行列から離れて歩いて
みよう。心を解き放てば、体はあとから、ついてくる!

 私たちは人間。だから遠慮せず、人間らしく、生きよう!
(02−11−6)

●ロボットのような人間が、近代的だと、だれが言い出した? 私は中学生のとき、はじめてデ
パートへ行った。そのとき、人形のようなデパートガールを見て、「これは人間か?」と思った。
しかしあのとき受けた強烈な印象は、そののち、色あせ、いつの間にか私から消えた。私が変
わったのか? それとも日本人全体が、ロボットのようになってしまったのか?

●もっとガタガタの人間でよい。また、そういう人間であることを恥じる必要はない。もっと私た
ちは、ありのままに生きよう。ありのままでいいのだ。それを私は、「人間宣言」と呼ぶ。

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子育て随筆byはやし浩司(281)

ハレンチ番組

 一一月三日、M大学で、民主党の鳩山由紀夫代表が講演をしていたときのこと。一時間ほど
したところで、聴衆の中から、突然、「コーラスを捧げたい」と申し出があり、その連中が、二曲
歌を歌ったという。で、大学側が調べたところ、このコーラスはNテレビのバラエティー番組製
作の一環と判明し、スタッフは「取材」と称して会場に入っていたことがわかった。

この事件に対して、大学側は、学部長名で日本テレビに抗議するとともに、陳謝と放送の中止
を求めることを決定した。また、事態を知らずに巻き込まれた民主党の鳩山代表も、「視聴率
稼ぎのために、人の心をズタズタにする行為を平気で行うことに断固抗議してまいりたい」と 放
送中止を求めたという(TBS・inews より)。

 カメラがうしろにあれば何をしてもよいという傲慢さ。これは今のテレビ界がもつ、共通の傲
慢さと言ってよい。先日もこんな番組があった。

 二人のお笑いタレントが、地方を旅し、突然、その家にあがりこみ、昼食や夕食をその家の
家人にもらって食べるという番組であった。私が見たときは、その家の妻が、夫のために用意
しておいた昼食を、一人のタレントが、何だかんだと理由をつけて食べるところであった。一
見、ほほえましい番組に見えたが、私はその番組を見ているうちに、何とも言われない不快感
に襲われた。もしあなたが、個人の立場でそんなことをすれば、即、その家から追い出される
であろう。警察に逮捕されるかもしれない。あるいは地方のテレビ局が、無名のタレントを連れ
て、東京へ行ったら、東京の人は、同じように、その地方の人を迎えてくれるとでもいうのだろう
か。

 こうした傲慢さの背景にあるのは、地方の人の、都会コンプレックス。それにマスコミコンプレ
ックスがある。この浜松市でも、東京からきたというだけで、何でもありがたがる傾向がある。
たとえば同じ講演でも、中央からきた講師だと、「東京から来た」というだけで、一回、三〇〜五
〇万円が相場。テレビなどで少し名の通った講師だと、一〇〇万円プラス旅費と宿泊費が相
場。タレントの世界には、「中央で有名になって、地方で稼げ」が、合言葉になっている!

 今回のM大学でのハレンチ事件は、こうした流れの中で起きた。あの低俗きわまりない連中
と、それを指揮する同じように低俗なプロデューサーとディレクター。こういう連中が一体となっ
て、起きた。が、ここで忘れてならないのは、こうしたテレビ番組が、若者や子どもたちに与える
影響は、想像以上のものだということ。いくら学校という場で、良識を学んでも、そんなものは、
こうした番組の前では、ひとたまりもない。むしろ学校教育そのものが、逆に破壊されることだ
ってある。

 こうしたテレビ局に、倫理や道徳を求めても、ムダ? もともとそういう人たちが、番組を作っ
ているのではない。また、本来なら、勇気ある有識者が、もっとこうしたマスコミのあり方を批判
してもよいはずなのだが、それはしない。批判すれば、テレビ界から追放されてしまう。テレビ
界から追放されたら、(あるいは嫌われたら)、「地方で稼ぐ」ということができなくなってしまう。

 もっと、みなさん、いっしょに賢くなろう。賢くなって、もっともっと中央に背を向けよう。そしても
っと中央を批判し、本物とニセモノを見分ける目をもとう。私たちはともすれば、中央から流さ
れてくる情報を、ただ一方的に受け止めるだけ。そして中央の意のままに、あやつられるだ
け。こんなことをしていたら、地方は、いつまでたっても、「地方、地方」とバカにされるだけ。

 M大学は、学長名で、Nテレビ局に抗議したというが、ひょっとしたらM大学にせよ、「テレビ
取材」ということで、飛びついたのではないか。シッポを振ったのではないか。今の大学に、こ
れは私立大学全般に言えることだが、こうしたハレンチ行為に抗議するだけの良識があると
は、とても思えない。だいたいにおいて大学教育が、そうした良識を育てるしくみになっていな
い。

 私はこの事件を聞いたとき、「またか……」と思った。今まで何度となく、この種の事件が起き
るたびに、テレビ局へ抗議をしてきた。しかしすべてがムダだった。たとえば七、八年前、イス
ラム教徒のトルコに行き、素っ裸になって踊ったお笑いタレントがいた。体育館に集まった聴衆
の中には、女性や子どももいた。結局、その番組は放映されなかったが、日本そのものが、世
界の人に笑われた。私もテレビ局に電話で抗議したあと、文書でも抗議した。で、そのタレント
は、しばらくはなりを潜めていたが、今度はパプア・ニューギニアに住む裸族のレポーターとし
て、再び、番組に登場していた。彼はその番組の中で、チンチンの先に大きな、筒をつけ、誇
らしげに笑っていたが、それはまさにトルコの事件を、逆手にとったような番組だった。

 こういう番組を見ると、私たちは低俗タレントのほうばかりを責めるが、本当に責められるべ
きは、その上のディレクターであり、プロデューサーなのだ。あるいはテレビ局本体なのかもし
れない。しかしさらに責められるべきは、そういう番組に対して批判力をもたない、私たち自身
なのかもしれない。テレビ局は、そしてマスコミは、何かあると報道の自由を盾にとって、もっと
もらしいことを言うが、しかしこんな番組のために、報道の自由があるわけではない。私たちは
もう一度、「報道がどうあるべきか」という原点に立ち返って、現在のテレビ界の姿勢をながめ
てみる必要がある。

●こういうハレンチ番組を見たら、テレビ局へどんどんと抗議の電話をしよう。テレビ局によっ
ては、苦情処理センターを置いているところが多い。中には、常時留守番電話になっているの
もあるが、遠慮せず、抗議しよう。伝言を残そう。私たちは子どもたちのために、戦うのだ!
(02−11−6)

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子育て随筆byはやし浩司(282)

自由

 自由のもともとの意味は、「自らに由(よ)る」、あるいは、「自らに由らせる」という意味であ
る。

 この自由には、三つの柱がある。@まず自分で考えさせること。A自分で行動させること。B
自分で責任を取らせること。

@まず自分で考えさせること……日本人は、どうしても子どもを「下」に見る傾向が強いので、
「〜〜しなさい」「〜〜してはダメ」式の命令口調が多くなる。しかしこういう言い方は、子どもを
手っ取り早く指導するには、たいへん効果的だが、しかしその一方で、子どもから考える力を
奪う。そういうときは、こう言いかえる。「あなたはどう思うの?」「あなたは何をしたいの?」「あ
なたは何をしてほしいの?」「あなたは今、どうすべきなの?」と。時間は、ずっとかかるように
なるが、子どもが何かを言うまでじっと待つ。その姿勢が、子どもを考える子どもにする。

A自分で行動させること……行動させない親の典型が、過保護ママということになる。しかし過
保護といっても、いろいろある。食事面で過保護になるケース。運動面で過保護になるケース
など。親はそれぞれの思い(心配)があって、子どもを過保護にする。しかし何が悪いかといっ
て、子どもを精神面で過保護にするケース。子どもは俗にいう「温室育ち」になり、「外の世界
へ出すと、すぐ風邪をひく」。たとえばブランコを横取りされても、メソメソするだけで、それに対
処できないなど。

B自分で責任を取らせること……もしあなたの子どもが、寝る直前になって、「ママ、明日の宿
題をやっていない……」と言い出したとしたら、あなたはどうするだろうか。子どもを起こし、いっ
しょに宿題を片づけてやるだろうか。それとも、「あなたが悪い。さっさと寝て、明日先生に叱ら
れてきなさい」と言うだろうか。もちろんその中間のケースもあり、宿題といっても、いろいろな
宿題がある。しかし子どもに責任を取らせるという意味では、後者の母親のほうが、望ましい。
日本人は、元来、責任ということに甘い民族である。ことを荒だてるより、ものごとをナーナーで
すまそうとする。こうした民族性が、子育てにも反映されている。

 子育ての目標は、「よき家庭人として、子どもを自立させる」こと。すべてはこの一点に集中す
る。そのためには、子どもを自由にする。よく「自由」というと、子どもに好き勝手なことをさせる
ことと誤解する人もいるが、それは誤解。誤解であることがわかってもらえれば、それでよい。
(01−11−7)

●子どもは自由にして育てよう。
●子育ての目標は、子どもをよき家庭人として、自立させること。

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子育て随筆byはやし浩司(283)

見せる質素、見せぬぜいたく

 子どもの前では、質素を旨(むね)とする。つつましい生活、ものを大切にする生活、人間関
係を大切にする生活は、遠慮せず、子どもにはどんどんと見せる。

 ときに親もぜいたくをすることもあるが、そういうぜいたくは、できるだけ子どもの目から遠ざ
ける。あなたの子どもはあなたの子どもかもしれないが、その前に、一人の人間である。それ
を忘れてはいけない。子どもは、一度ぜいたくになれてしまうと、そのぜいたくから離れることが
できなくなってしまう。こんな子どもがいた。

 ある日、私の家に遊びに来ていた中学生(中二女子)が、突然、家に帰ると言い出した。理由
を聞いても言わない。しかたないのでタクシーを呼んであげたら、あとで母親がこう教えてくれ
た。「あの子は、よその家のトイレ(便座式)が使えないのですよ」と。「ボットン便所だったら、な
おさらですね……」と言いかけたが、やめた。

 このまま日本が、今の経済状態を維持できればよし。しかしそうでないなら、それなりの覚悟
を、親たちもしなければならない。多くの経済学者は、二〇一五年には、日本と中国の立場が
入れかわるだろうと予測している。実際には、二〇一〇年ごろではないかという説もある。すで
にASEAN地域での、政治的指導力は、完全に中国に握られている。そういうことも考えると、
二〇一五年以後は、日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならなくなるかもしれない。たいへん
残念なことだが、すでに世界はそういう方向で動いている。

 で、こういう状況の中、子どもにぜいたくをさせるということは、たいへん危険なことでもある。
先日も、中国で使っている教科書(国定教科書)を小学生に見せたら、全員が、「ダサ〜イ」と
声をあげた。見るからに質素な装丁の教科書だった。しかし日本の教科書のほうが、豪華すぎ
る。ほとんどが四色のカラーページ。豪華な写真に、ピカピカの表紙。

アメリカのテキスト(アメリカには日本でいう教科書はない)も、豪華で、その上、たいへん大きく
重い。しかしアメリカでは、テキストを学校で生徒に貸し与えたり、順送りにつぎの学年の子ど
もにバトンタッチしたりしている。日本では、恐らくこうした教科書産業のウラで、官僚と業者が
何らかの関係をもっているのだろうが、しかしそれにしても……? たった一年しか使わないテ
キストを、ここまで豪華にする必要はない。カラー刷りが必要だったら、子ども自身にカラーペ
ンで色を塗らせれば、よい。

 またまたグチになってしまったが、将来、今のような経済状態が保てれば、それはそれでよ
い。しかしそうでなくなれば、苦しむのは、結局は子ども自身ということになる。「昔はよかった」
と思うだけならまだしも、親が生活の質を落としたりすると、「あんたがだらしないから!」と、そ
れだけで親を袋叩きにするかもしれない。よい例が、小づかい。今どきの中学生や高校生は、
一万円や二万円の小づかい程度では、喜ばない。それもそのはず。今の子どもたちは、すで
に幼児のときから、そらゲーム機だ、そらソフトだと、目いっぱい、ほしいものを買い与えられて
いる。あのプレステ・2にしても、ソフトを含めれば三万円を超える。そういうものを一方で平気
で買い与えておきながら、「どうすればうちの子を、ドラ息子にしないですむでしょうか?」は、な
い。

 この「質素」の問題とからんで、「家庭経済」の問題がある。よく「家計はどこまで子どもに教え
るべきか」ということが話題になる。子どもに不必要な不安感を与えるのもよくないが、しかしあ
る程度は、子どもに見せる必要はある。たとえばアメリカの学校には、「ホームエコノミー」とい
う科目がある。小学校の中学年くらいから教えている。日本でも家計簿の使い方を教えている
が、アメリカでは、家計の管理のし方まで教えている。機会があれば、家計のしくみや、予算の
たて方、実際の支出などを子どもに教えてみるとよい。子どもをよき家庭人として育てるという
意味では、決して悪いことではない。
(02−11−7)

●質素な生活を大切にしよう。
●子どもには、ぜいたくは見せないようにしよう。
●子どもには、ぜいたくな生活をさせないようにしよう。
●ある程度の家計の流れは、子どもに見せておこう。

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子育て随筆byはやし浩司(284)

三つ子の魂、百まで

 『三つ子の魂、百まで』というのは、その人の基本的な性格や方向性は、三歳ごろまでに決ま
るので、それまでの子育てを大切にしろという意味。しかし教育的には、つぎの四つの意味を
もつ。

(1)この時期の子どもをていねいに見れば、その後、子どもがどんなふうになっていくかについ
て、おおよその見当がつくということ。
(2)この時期までに、何か心にキズをつけてしまうと、そのキズは、一生つづくから注意しろと
いう意味。
(3)この時期をすぎたら、その子どもはそういう子どもだと認めたうえで、子どもの性格や方向
性はいじってはいけないということ。
(4)そしてもう一つは、子どもが大きくなってから、いろいろな問題が起きたときには、この三歳
までの育て方に原因を求めろということ。

 ただ念のために申し添えるなら、この格言は、公式の場(公の雑誌や新聞など)では、使えな
いことになっている。「差別につながる」ということだそうだ。私も一度、G社から出している雑誌
に、この格言を引用して、抗議の電話をもらったことがある。いわく、「三歳までに不幸だった子
どもは、おとなになってからも不幸になるということか」と。

 しかしそういった抗議はともかくも、この格言は、たしかに真実を含んでいる。「三歳」と切るこ
とはないが、幼児期の子どものあり方は、その子どもの基礎になることは、もうだれの目にも
明らかである。

 さて本題。よく親は、子どもの性格は、変えられるものと思っている。しかし実際には、そうは
簡単ではない。子どもの性格は、乳児から幼児期にかけての時期。私は性格形成第一期と呼
んでいる。そして幼児期から少年少女期にかけての時期。私は性格形成第二期と呼んでい
る。これら二度の時期を経て、形成される。

とくに大切なのは、幼児期から少年少女期(満四・五歳〜五・五歳)の時期である。この時期を
経るとき、子どもに、人格の「核」ができる。教える側からすると、「この子はこういう子だ」という
つかみどころができてくる。それ以前の子どもは、どこか軟弱で、それがはっきりしない。が、こ
の時期をすぎると、急にその形がはっきりとしてくる。言いかえると、この満四・五歳から五・五
歳の時期の、幼児教育が、とくに大切ということ。冒頭にも書いたように、この時期にできる基
本的な性格は、その子どもの一生を方向づける。

 またこの時期というのは、自意識がそれほど発達していないので、子ども自身が、自分を飾
ったり、ごまかしたりできない。その分、その子どもの本来の姿を、正確に判断することができ
る。「この時期の子どもをていねいに見れば、その後、子どもがどんなふうになっていくかにつ
いて、おおよその見当がつく」というのは、そういう意味である。

 が、何よりも大切なことは、この時期をとおして、子どもは、子育てのし方そのものを、親から
学ぶ。子育ては本能でできるようになるのではない。学習によってできるようになる。しかし学
習だけでは足りない。子どもは自分が親に育てられたという経験があって、もっと言えばそうい
う体験が体の中にしみこんでいてはじめて、自分が親になったとき、今度は、自分で子育てが
できるようになる。そういう意味でも、この時期は、心豊かな親の愛情や、心静かで穏やかな家
庭環境を大切にする。またそれにまさる家庭教育はない。
(02−11−7)

●三歳までの家庭環境を、大切にしよう。
●幼児期をすぎたら、性格をいじってはいけない。あるがままを認め、受け入れてしまおう。

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この原稿に関連して書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞にて発表済み)
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子育て随筆byはやし浩司(285)

教育を通して自分を発見するとき 

●教育を通して自分を知る
 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、
決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ
 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に
大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すこ
とを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信
頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間
の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども
 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の
動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつ
きやすい(長畑正道氏)など。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手
にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一
見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あ
るいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私
実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私
であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問
題であることに気づいた。

●まず自分に気づく
 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中
を旅してみるとよい。
(02−11−7)

●いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではな
く、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題
は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

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子育て随筆byはやし浩司(286)

心を失う子どもたち

 少し冷めた目で、受験教育をながめてみると……

 光あふれる進学塾。ガンガンとしゃべりつづける講師。それをただひたすら、黙々とノートをと
る受講生たち。見ると、受講生たちは、みな、「必勝」と書いたハチマキをしめている。席は、前
回の模擬テストの結果で決まる。右の最前列が、トップの学生。左の最後尾が、ビリの学生。
それ以上成績が落ちると、二軍のBクラスに落とされる……!

 こういう授業を、すばらしいと思う親がいる。またそれが教育のあるべき姿だと思う親もいる。
しかしこんなのは教育でも何でもない。ただの訓練。犬の訓練。いや、犬の訓練でも、そこまで
しない。

 問題は、なぜこういう非常識が、日本の常識となってしまったか、である。それには長い歴史
と、日本独特の学歴社会がある。それについては、また別のところに書くとして、こういう教育
を受けた子どもほど、スイスイと人間選別期間を通りすぎていくというのは、まさに悲劇的です
らある。が、問題は、その先。

 仮にその子どもたちが、関門を通りぬけたとしても、それによって受けた心のキズは大きい。
さまざまな形で、子どもの心を大きくゆがめる。高校や大学へ入ってから、精神を病む子どもも
多い。日本では、それを指摘すると、教育システムそのものが崩壊する。だからだれもあえて
問題にしようとしない。あるいはそれが日本人全体の国民性にまでなっている。だからだれも
気づかない。

 たとえばガリガリの受験勉強を経験した人ほど、心が冷たくなる。これはウソでも何でもな
い。常識だ。それを疑うなら、あなたの周囲を少しだけ見回してみればよい。あなたの周囲に
は、心やさしい人もいれば、そうでない人もいる。しかし受験勉強とは無縁で育った人ほど、心
やさしいということを、もうあなたはずでに知っているハズ。

 私は週末は、浜松市郊外の山荘で過ごす。そこで会う人たちは、明らかに浜松の人たちとは
違う。どこがどう違うかということを書き始めたら、それだけで一冊の本になってしまうが、とも
かくも違う。人間の質そのものが違う。山荘の周辺で会う人たちには、牧歌的な温もりがある。
しかし一方、もっともいじめが陰湿で、悪質なのが、県内でも一番と目されているS進学高校。
はからずも私の息子もその高校に通ったが、三年間で、二度自転車が盗まれ、三度破壊され
た。ほかの小さな被害を数えたら、キリがない。この傾向は、有名国公立大学でも同じで、頭
が切れる分(?)、さらに陰湿かつ悪質になる。

 だいたいにおいて、受験教育は教育ではない。「指導」である。点を稼ぐための指導である。
そういう指導を、教育と錯覚し、受験指導をする講師もあわれなら、受講生たちはもっとあわれ
である。先日も北朝鮮のコンピュータ学校を取材した番組を見たが、そこで学ぶ子どもたち
は、まさに人間ロボット。画面を一心不乱にみつめながら、機関銃のようにキーボードを叩いて
いた。しかも見ると、小学一、二年生程度の子どもたちである。ああいうのを「教育」と思い込ん
でいる北朝鮮政府は、まさに狂っている。いや、日本だって、同じようなことをしている。国際的
に見れば、それほど変わらない。

 私も若いころ、進学塾の講師をしたことがある。当時のやり方で、そして日本の常識的なやり
方で、ただ一方的にガンガンとしゃべりながら授業を展開した。しかしそのやり方の基本は、私
が高校時代、私の高校で身につけた教育法である。私はそれがあるべき教育の姿だと、信じ
て疑わなかった。あるいはほかの教育法を知らなかった。が、私はまちがっていた。私の教育
法も、まちがっていた。そんなのは、教育ではない。ただの訓練。犬の訓練。いや、犬の訓練
でも、そこまでしない。……と、話が繰り返しになったので、ここで書くのをやめる。
(02−11−7)

●受験教育を、一度、冷めた目でながめてみよう。
●ああいう受験教育が本当に教育なのだろうか。それを一度、疑ってみよう。
●またああいう教育を通り抜けた人は、本当に優秀と言えるのだろうか。それも一度、疑って
みよう。

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子育て随筆byはやし浩司(287)

無料のマガジン

 今、電子マガジンを無料で出している。読者も合計で七〇〇人足らずと、この日本の巨大な
マスコミ社会の中では、取るに足らないマガジンである。しかし私は、このマガジンに不思議な
魅力を感じている。正直言って、楽しい。それについて書くまえに、少しだけ、私の過去を書か
ねばならない。

 私は、ずっと、この道に入ってからというもの、ただひたすら最底辺の立場を歩いてきた。今
もそうだが、それだけに無数の辛酸(しんさん)をなめさせられた。そのため私はいつしか、「私
のもっている知識や情報は、タダでは人に教えない」と思うようになった。私がつかんだ知識や
経験は、それこそ私の汗の涙の結晶でもある。血だって流した。同僚の年配の教師にひっぱ
たかれたことは、数度ある。親に首をつりあげられたことも、数度ある。電話で怒鳴られたこと
となると、数知れない。が、もし私がそれなりの地位や立場にあれば、そういうことはなかった
だろうと思う。

 だから私はいつしか、「親族(おやぞく)」という言葉を考えた。「親族は信用してはいけない」
「親族は肩書きで人を判断する」「親族は……」と。そういう意味では、私はクールだった。いか
にその子どもが、そのとき失敗の道をまっしぐらに落ちる一歩手前にいても、金の切れ目が縁
の切れ目。その子どもが金銭的な意味で、私とつながっていないときには、黙った。無視した。
正直に告白するが、私はその親族に、どれほどいじめられたことか! そうして黙ることは、親
族に対する、唯一の私の抵抗方法だった。

 が、その心境が変わり始めたのは、私が四六、七歳になるというころだった。今から思うと、
何がきっかけだったかはよくわからない。たぶん、できの悪い息子たちのことで、あれこれ悩ん
だり、苦しんだ結果ではないかと思う。ともかくも、私は親族に少しずつ心を開き始めた。そして
電話による相談にのり始めた。もちろん無料である。多少でも、お金を受け取れば、かえって
そのほうが、プライドに傷つく。私が得た経験や知識は、そんな安っぽいものではない。つまり
そう思うから、お金は受け取らない。もしもらうということであれば、それ相当の報酬を要求す
る。そのときは、徹底的に責任をとる。

 そんな私だが、一方で、たくさんの本を書いてきた。お金儲けは、そちらで、と考えた。ところ
が私が書いた本は、ほとんど売れなかった。たいていは、初版で、そのまま絶版。よく売れて、
二刷。三、四刷までいったのは、ほんの数冊にすぎない。いつしか私は、本でお金を儲けよう
などとは思わなくなった。

 この状態は今も変わらないが、そういうとき、電子マガジンを発行してみた。最初は、興味本
位だった。しかしそのうち、本気になってきた。この電子マガジンは、お金にもならなし、名誉に
もならない。はっきり言って、何にもならない。しかしだからこそ、私に合っている。有料マガジ
ンという手もあるが、有料にするならするで、相場の月額三〇〇円程度では、売りたくない。私
の原稿は、そんな安っぽいものではない。(勝手にそう、うぬぼれているだけだが……。)どう
せ金額が少ないなら、ただのほうが気が楽だ。それに気が変われば、いつだってやめられる。
フリーのカードは、自分のところに残しておきたい。つまり「無料」というのは、そういう私の現在
の心境に、ぴったりと合っている。

 しばらく私は、とにかく全力で、マガジンの原稿を書いてみる。何になるか、あるいは何にもな
らないのか、それはわからないが、とにかく、書いてみる。結果はあとからついてくる。あるいは
何もついてこないかもしれない。やってみるしかない。その「やってみるしかない」という投げや
りなところが、今の私には、楽しい。
(02−11−7)

●読者の皆さんへ、少し生意気なことを書いてしまいましたが、どうか気分を悪くしないでくださ
い。しかしこれだけは約束します。このマガジンを読んでくださっている方だけは、子育てで失
敗(失敗というものはないのですが……)しなくてすむようにします。私のありったけの経験を、
このマガジンを通して、みなさんにお伝えします。このマガジンを読めば、一〇〇人力、あるい
は一〇〇〇人力という状態にします。約束します。そんなわけで、これからもよろしくお願いし
ます。

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子育て随筆byはやし浩司(288)

自己管理能力

 自己管理能力のない子どもがふえている。しかも中学、高校と、受験勉強に明け暮れた子ど
もほど、その自己管理能力がない?

 ある母親はこう言った。「毎月生活費として、一〇万円(マンション代は別)渡していますが、
足りたことがないようです。ほとんど毎日アルバイトをし、内緒で車まで買っていました」と。

 そのためその大学生は、ローンの返済と、ガソリン代に追われる毎日。で、母親がそのマン
ションをたずねてみると、どの部屋もこうこうと電気がつき、冷暖房は一日中、つけっぱなし。冷
蔵庫には、腐った肉まであったという。

 決してドラ息子タイプの子どもではない。外の世界では、むしろできのよい大学生といったふ
う。しかし単位はほとんど落としていた。そこでいよいよごまかしがきかなくなり、最後は、父親
に泣きつくハメに。

 勉強はよくできる。そこそこの大学にも入った。しかし自己管理能力が、まったくない。経済観
念もない。予算を決めて、その中で生活することもできない。すべてがどんぶり勘定。すべてが
場当たり的。そういう現象が今、特殊な一部の子どもというより、ほとんどずべての大学生に共
通して見られる。

 なぜ、子どもがそうなるか。もう、言わずもがな。

 日本の子育ては、どこかおかしい。狂っている。本来教えるべきことを教えない。そういう狂
いが、そのまま突っ走っている感じ。こういう子どもがどうなるかということよりも、結局は、その
シワ寄せは親に集まる。爪に火をともして学費を工面して、子どもに送る。しかし肝心の子ども
は、そんな親の苦労など、どこ吹く風。大学生とは名ばかり。毎日、遊びこけている。

 さあて、みなさん。本当にこれでよいのか。このままでよいのか。もう一度、子育てのあり方
を、根本から考えなおそう。でないと、最終的に不幸になるのは、子どもたち自身ということに
なる。
(02−11−7)※

●子育ての目標は、自立したよき家庭人をつくること。その原点を、もう一度確認しよう。

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子育て随筆byはやし浩司(289)

長野県松本市のKJさんより、こんなメールが届いています。
軽い神経症を発症しているU男君(長男、現在中一の男子)に
ついて、アドバイスしたあと、いただいたメールです。
今日は、この問題について、考えます。

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こんばんは! はやし先生、

U男(長男)へのご丁寧なアドバイス本当に有難う御座いました。
神経症と不登校のページ何度も 読み、とても勇気づけられました。
私が、本人をいかに追い詰めていたかが、明白になり 反省しています。

U男は、小3からサッカーを初め、そのすばしっこさから少年団ではいつもレギュラーとして監
督に起用して頂いていました。
本人にとって サッカーが全てで、「夢はサッカー選手」でした。5年の終わりに、監督の推薦を
うけ、プロのコーチからトレーニングさせて頂く機会を得ました。
本人の意思で、参加すると言ったのに、数回で「もう止める」というのです。

「楽しいサッカーじゃない。周りの子が、あまりにうまく、レベルがちがうから、
一緒にやると迷惑かける。いじめにもあっている。」と…

同じ地区から参加している父母の母親は、カンカンでした。
「子供は、つらい時、逃げたいって言います。うちの子だって行きたくないって言ったことがあっ
たけど引きずってでも行かせましたヨ! ときには厳しく、正しい方向へ導いてあげる事こそ
が、親としての使命なのではありませんか?しかも行きたくても行けなかったお子さんもいるの
ですよ! 監督の推薦を受けてもいるのだし、監督にも、今後の推薦を受けられるかどうかと
いう意味で、チームにも迷惑をかけることになるのですよ。そんなに簡単に辞められるのです
か?」と… 

本人には「もう少しがんばってごらん」と励ましたりしたのですが、全くの逆効果でした。
代表、監督、コーチ父兄に謝罪し辞めました。

少年団でのサッカーは、楽しく6年まで続け、卒団しました。
JY(ジュニアユース)はまた、本人の意思で入団しました。
が、3ヶ月しないうちに辞めるといいだしました。
1年としては、当然なのですが、下働きの雑用と、ベンチでの試合応援、監督に「動きが悪い、
態度がなってない」といつも眼をつけられていたようです。
決定的だったのは、練習の間中、だめだ、だめだと足でけられて完全否定されたそうです。
俗に言う熱血指導なのでしょうが、本人は、「もう、小学校の時のような楽しいサッカーじゃなく
なちゃった。
動きがだめだと言われるからこう動けば良いかと思って動くとそれもダメだと言う。
監督の言うようにはどうやっても無理なんだ。完全に自信無くしちゃったよ。」
その間、親として、本人の心の叫びを受止められたかと言うとノーである。

脳裏にプロのトレーニングを止めるとき、父兄から非難された悪夢が蘇りました。
はやし先生の言う「わだかまり」である。

追い詰めたり、叱咤激励したり…一言でも「それが、あなたのだした結論ならやめればいい
よ。」と、子供を信頼し、任せていれば、神経症に至らなかったかもしれませんね。
大切な事に気付かせて下さり、本当に有難う御座います。

10月上旬、ずーっと休部していたU男に、代表から、電話がはいった。
「どうしても1名メンバーが足りず、困っている。公式戦出場のために、是非試合に出てほし
い。」と…いままで、JYに入部してから1度も試合に出たことがないのだ。
が、本人が出なければ、棄権になってしまうのだ。
「どうすりゃいい?すぐに返事の電話を待ってるって…」
監督は旅行中で不在、代表が代理監督を務めるという。
「自分で決めると良いよ。出れるかどうかは自分次第だからネ!そして、もうそろそろ今後続け
るか辞めるか結論をださないとネ!」と私
「じゃあ、試合には出る、それで辞める。」決心には、かなりの勇気が必要だったろう。
精一杯考えて、チームが、棄権になることだけは避けたい思いだったのだろう。
我が子ながら、心から「えらい!」と言ってだきしめてあげたい衝動にかられた。(が、できなか
った)

試合当日、辞める挨拶もかねて、試合会場に応援に行った。
案の定、練習を積み重ねてきたチームメイトとは、力の差は歴然だった。
何度も倒れながら、精一杯グランドを走った。チームも本人を信頼し、パスを出してくれる。
心無い父兄の声、「何?なんであんなにバタバタ倒れるの。
しばらく練習してないから?もう、疲れちゃってるみたいね!
なんであんなとこパス出してるの?なんだ、一応彼がいたんだ。(身長が低く遠くからは見えに
くい)」さらに「あの陰の監督に黙って彼をだしちゃっていいの?
知らないよー。」(旅行中の監督にU男は、おまえなんて絶対に試合にはださんといわれていた
らしい。)

相手は強豪チームで、結果は大差で負けた。
父兄、代表に挨拶し、この日をもって、やめた。
このあと、無気力な様子がみられ、現在に至っている。
心がかなり傷ついたのだろう。大した事はないと軽く考えていた。
今は、U男の心の声にじっと耳をすまし、寄り添えればと思っている。
今日、「ただいまー」と帰り、「陸上、かなり疲れたヨ!」と言うU男に、「大変だったね!ゆっくり
休むといいよ!」と自然に答える事が出来た。

これもはやし先生のお蔭です。本当に有難う御座いました。
幸いにも、親子断絶度は、良好(ホントかナ?)
こんなに長くなってしまってすみません。
 
では、お休みなさい                  

(長野県松本市KJより) 

+++++++++++++++++++++++++++

失敗と挫折 

●私のばあい
 もう一〇年になるだろうか。私はワイフと、テニスクラブに通うようになった。で、最初のうち
は、それなりに結構自由に、楽しむことができた。しかしそのうち、コーチが、あれこれ言い始
めた。「腕の曲げ方が悪い」「腰のひねり方が悪い」と。とたん、私はやる気をなくした。「何も、
私はウィンブルドンで出るつもりは、ないのだ!」と、言いそうになったがやめた。同時に、その
テニスクラブもやめた。

 私はもともと「球」を相手にするスポーツが、苦手。大嫌い。原因は、わかっている。小学六年
生のときだったか、いつか、野球をしていて、デッドボールを当てられたからだ。それまでは軟
式ボールを使っていたが、そのときは硬式ボールだった。まるで石をぶつけられたかのような
衝撃だった。それでボールがこわくなってしまった。それで「球」が苦手になってしまった。

 一度、こういう形で挫折(ざせつ)すると、(「挫折」というほど大げさなものではないかもしれな
いが……)、この時期、それを修復するのは、容易ではない。「この時期」、つまり少年少女期
は、あっという間にすぎてしまう。何とかしようと思っているうちに、一年、二年とたってしまう。私
も高校を卒業するまで、結局は、あの野球だけは、好きになれなかった。

●正しい道?
 子どもは、当然のことながら、未経験。そのときは何もわからず、あれこれとやりたがる。親
が「ピアノ教室へ行ってみる?」と聞いたりすると、「うん、やりたい」と言ってみたりする。しかし
この時点で、子どもの約束など、本気にしてはいけない。しばらくして子どもが、「もうやめたい」
と言ったりすると、親は、「あんたがちゃんと、約束したからでしょ」と言ったりするが、それは酷
というもの。あるいは中には、「一度始めたことを、途中でやめるなんて、これから先、心配だ」
と考える親もいる。しかしそんなに大げさに考えてはいけない。

 このU男君のケースもそれにあたる。U男君の親に向かって、「うちの子だって行きたくないっ
て言ったことがあったけど引きずってでも行かせましたヨ! ときには厳しく、正しい方向へ導
いてあげる事こそが、親としての使命なのではありませんか?」と言った人がいる。私は子ども
を教えさせてもらうようになって、もう三〇年以上になるが、親に向かって、このように言ったこ
とは、ただの一度もない。とても、言えない。だいたいにおいて、いまだにその「正しい道」すら
わからない。多分、U男君の親に向かって、そう言った人は、すばらしい人格者なのだろう。私
には、とてもまねできない。

 たかがサッカーではないか。たかがボール蹴りではないか。どうしてもっと「楽しむ」ということ
をしないのか。あえて言うなら、サッカーは、手段であって、目的ではない。サッカーをとおして、
温かい人間関係をつくれれば、それでいいではないか。またそういう人間関係におけるドラマ
のほうこそ、大切なのだ。私にもこんな経験がある。

●息子のサッカー教室
 息子の一人も、しばらくサッカークラブに通った。そのクラブの監督は、ある楽器メーカーの
サッカー部のキャプテンもしたことがある人だという。そこで話を聞くと、「ボランティアでしてい
るから、無料だ」と。私はこの言葉に感動した。「無料で、子どもを指導する」というのだ。私は
私をはるかに超えた、すばらしい人格者を思い浮かべた。また最初は、そういう目でその人物
を見ていた。が、そのうち、様子がおかしいのに気づいた。

 その人物をA氏ならA氏としておこう。そのA氏の目的は、ただ一つ。「勝つ」ことだけ。一応型
どおりの指導はするが、素質がないとわかると、その子どもには、見向きもしない。実のところ
私の息子も、その一人だったが、結局は、そのクラブに一年以上通ったが、最後まで、一度も
公式の試合には出させてもらえなかった。あとで話を聞くと、「あの監督は、盆暮れに、ある程
度の現金をもっていかないとダメ」と聞かされた。しかもそれも一〇万円単位だという。「一〇万
円!」と驚いていると、「月謝だってそれくらいでしょ! 毎週日曜日に、それくらい世話になっ
ているのだから」と。そういう監督に、子どもの「教育」を期待した私が、バカだった。

U男君の母親も、「一年としては、当然なのですが、下働きの雑用と、ベンチでの試合応援、監
督に『動きが悪い、態度がなってない』といつも眼をつけられていたようです。決定的だったの
は、練習の間中、だめだ、だめだと足でけられて完全否定されたそうです」と書いている。もち
ろんこういう否定的な見方ばかりしていてはいけない。中にはすばらしい監督やコーチがいて、
すばらしい指導をしている人もいる。またそういうクラブで、鍛えられ、すばらしい子どもになっ
た例も多い。しかしその一方で、キズつき、挫折して子どもも多いのも事実。私の経験では、こ
うした経験が効を奏して、「よかった」「すばらしかった」という思いで、クラブを去っていくのは、
全体の、三〜四割程度ではないか。それと同じくらいの子どもが、「もうこりごり」という思いをも
ちながら、クラブを去っている。

●日本人の結果論
 日本では、大乗仏教の影響か、「結果」を大切にする。「結果こそ、すべて」というわけであ
る。「死に際の様子で、その人の一生が評価される」と教える宗教団体もある。しかし結果はあ
とからついてくるもの。たとえその結果が悪くても、その人の人生がまちがっていたということに
はならない。

 ある母親は、自分の息子が高校受験に失敗したあと、こう言った。「いろいろやってみました
が、すべてがムダでした」と。「音楽教室にも、算数教室にも、体操教室にも、進学塾にも入れ
ましたが、ムダでした」と。もしこんな論理がまかりとおるなら、その人が、最後に交通事故か何
かで、悲惨な死に方をしたら、すべてがムダだったということになってしまう。しかしそんなこと
はありえない。大切なのは、そのプロセスなのだ。その中身なのだ。

 が、実際には、日本人の体質としてしみついた「結果重視論」を、是正するのは、簡単なこと
ではない。ものの視点や考え方が、親から子どもへと、無意識のまま、代々と受け継がれてい
る。英語にも『終わりよければ、すべてよし』という格言がないわけではない。しかしものの見方
が、日本人とはかなり違う。つぎのエッセーは、中日新聞に掲載してもらった記事である。話を
先に進めるまえに、それをここに転載する。内容がここに書いたことと少し重複するが、許して
ほしい。

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●子育てプロセス論

 クルーザーに乗って、海に出る。ないだ海だ。しばらく遊んだあと、デッキの椅子に座って、ビ
ールを飲む。そういうときオーストラリア人は、ふとこう言う。「ヒロシ、ジスイズ・ザ・ライフ(これ
が人生だ)」と。日本人ならこういうとき、「私は幸せだ」と言いそうだが、彼らはこういうときは、
「ハッピー」という言葉は使わない。

 私はここで「ライフ」を「人生」と訳したが、ライフにはもう一つの意味がある。「生命」という意
味である。つまり欧米人は人生イコール、生命と考え、その生命感がもっとも充実したときを、
人生という。何でもないような言葉だが、こうした見方、つまり人生と生命を一体化したものの
考え方は、彼らの生きざまに、大きな影響を与えている。

 少し前だが、こんなことをさかんに言う人がいた。「キリストは、最期は、はりつけになった。そ
の死にざまが、彼の人生を象徴している。つまりキリスト教がまちがっているという証拠だ」と。
ある仏教系の宗教団体に属している信者だった。しかし本当にそうか。この私とて、明日、交
通事故か何かで、無惨な死に方をするかもしれない。しかし交通事故などというものは、偶然と
確率の問題だ。私がそういう死に方をしたところで、私の生き方がまちがっていたということに
はならない。

 ここで私は一人の信者の意見を書いたが、多くの日本人は、密教的なものの考え方の影響
を受けているから、結果を重視する。先の信者も、「死にぎわの様子で、その人の人生がわか
る」と言っていた。つまり少し飛躍するが、人生と生命を分けて考える。あるいは人生の評価と
生命の評価を、別々にする。教育の場で、それを考えてみよう。

 ある母親は、結果として自分の息子が、C大学へしか入れなかったことについて、「私は教育
に失敗しました」と言った。「いろいろやってはみましたが、みんな無駄でした」とも。あるいは他
人の子どもについて、こう言った人もいた。「あの親は子どもが小さいときから教育熱心だった
が、たいしたことなかったね」と。

 そうではない。結果はあくまでも結果。大切なのは、そのプロセスだ。つまりその人が、いか
に「今」という人生の中で、自分を光り輝かせて生きているかということ、それが大切なのだ。子
どもについて言えば、その子どもが「今」という時を、いかに生き生きと生きているかというこ
と。結果はあとからついてくるもの。たとえ結果が不満足なものであったとしても、それまでして
きたことが、否定されるものではない。

このケースで考えるなら、A大学であろうがC大学であろうが、そんなことで子どもの評価は決
まらない。仮にC大学であっても、彼がそれまでの人生を無駄にしたことにはならない。むしろ
勉強しかしない、勉強しかできない、勉強だけの生活をしてきた子どものほうが、よっぽど人生
を無駄にしている。たとえそれでA大学に進学できた、としてもだ。

 人生の評価は、「今」という時の中で、いかに光り輝いて、自分の人生を充実させるかによっ
て決まる。繰り返すが、結果(東洋的な思想でいう、人生の結論)は、あくまでも結果。あとから
ついてくるもの。そんなものは、気にしてはいけない。

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 同じような立場で、もう一つ書いたのが、つぎのエッセーである。これも中日新聞に掲載して
もらったものである。

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●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて
疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論の
ある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映る
のは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、
心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切では
ないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は生徒たちに
は、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとか
らついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人
生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常
会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その
違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……
と、私は心配する。

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●KJさんへ 
 このKJさんのメールに話をもどす。一つ気になるのは、KJさん自身の視点の中に、子ども
がいないこと。親意識が強すぎるというか、子どもの友として、子どもの横をいっしょに歩くとい
う姿勢が、あまり感じられない(失礼!)。KJさん自身も、「その間、親として、本人の心の叫び
を受止められたかと言うとノーである」と書いている。

 この時点で忘れてはいけないことは、すでに子どもは、「学校」という大きなワクにしばられて
いるということ。その上、その学校の外で、ギューギューとしぼられたらたまらない。これはたと
えて言うなら、会社員が仕事の外で、また別の仕事をもつようなもの。私が先に書いた、「たか
がサッカーではないか。たかがボール蹴りではないか」という意味は、ここにある。将来、Jリー
グへと思うなら話は別だが、そうでなければ、クラブはクラブとして、楽しめばよい。才能のある
子どもは、そういう状態でも伸びるし、ない子どもは、いくらしぼっても、伸びない。こんな話もあ
る。

 数か月前に、あるテレビ局が、アメリカのあるリトルリーグ(少年野球クラブ)を取材していた。
そのリトルリーグは、どこで試合しても、負けるだけ。勝ったためしがない。しかし監督も、コー
チも、選手も、そして親も、いっこうに気にしていない。それもそのはず。そのクラブのメンバー
は、身体のどこかに障害をもった子どもたちばかりである。しかも監督は、障害がひどくて、自
信をなくし始めたような子どもほど、選手として前に出す。そしてその子どもが、たまにヒットらし
きものを打つと、みんなが小躍りして喜ぶ。相手のチームの監督も、コーチも、そして選手たち
も、小躍りして、いっしょに喜ぶ。どうして日本よ、どうして日本人よ、こうしたやさしさをもてな
い! どうしてもたないのか! バカヤロー!

 結局、その違いがどこからくるかと言えば、まさに生きザマの違いということになる。結果を重
要視する日本人。プロセスや中身を大切にする欧米人。この違いは大きい。そしてそれが、長
野県の松本市という小さな町にまで、影響している。U男君のプレーを見た、ほかの父母につ
いて、KJさんは、つぎのように書いている。

「心無い父母の声、『何?なんであんなにバタバタ倒れるの。しばらく練習してないから? も
う、疲れちゃってるみたいね! なんであんなとこパス出してるの? なんだ、一応彼がいたん
だ。(身長が低く遠くからは見えにくい)』と。さらに『あの陰の監督に黙って彼をだしちゃってい
いの? 知らないよー』と。(旅行中の監督にU男は、おまえなんて絶対に試合にはださんとい
われていたらしい。)」と。

 U男君のプレーをみながら、ほかの親たちは、笑うどころか、「陰の監督に内緒で出していい
の?」と言ったというのだ。監督だけではない。それを見守る親たちも。「勝つこと」イコール、結
果しか考えていない。が、最後にKJさんは、こう結んでいる。

 「心がかなり傷ついたのだろう。大した事はないと軽く考えていた。今は、U男の心の声にじっ
と耳をすまし、寄り添えればと思っている。今日、『ただいまー』と帰り、『陸上、かなり疲れた
ヨ!』と言うU男に、『大変だったね!ゆっくり休むといいよ!』と自然に答える事が出来た」と。

 おめでとう! KJさん。あなたはすばらしいお母さんになりましたね。おめでとう!
(02−11−8)

●教育のレベルは、いかに弱者にやさしい教育かで決まる。またそういう視点をふみはずし
て、教育のレベルを語ることはできない。

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子育て随筆byはやし浩司(290)

日本人の結果主義

●結果主義
 あの世があるという前提で生きると、死に際は、まさにあの世への入り口ということになる。
大乗仏教で、死に際の様子を重視するのは、こういうところに理由がある。そのため、大乗仏
教では、たとえばキリスト教を批判するとき、決まってもちだすのが、キリストの十字架への張
りつけである。「キリストは、最期はあのような、無惨な死に方をした。それがキリスト教はまち
がっているという証拠だ」と。私も学生のころ、地元の寺の僧侶に、そう聞かされたことがある。

 どちらが正しいかということを、ここで論じても意味がない。また私には、それを判断する力は
ない。しかしこうした大乗仏教的な思想、つまり結果主義は、私たちの生活のあらゆる部分に
影響を与えている。もちろん教育にも、そして子育てにも、である。

●ある母親の例
 ある母親は、自分の息子が高校受験に失敗したあと、こう言った。「すべてがムダでした」と。
「いろいろな教室に通わせました。家庭教師もつけました。高額な教材も買いました。しかしム
ダでした」と。親がこうした心境になる背景には、ここに書いたような、結果主義がある。ほかに
も、例がある。その一つが、「産んでもらいました」「育ててもらいました」という、日本人独特
の、「もらいました」論である。少し飛躍した感じがしないでもないが、こういうことだ。

 「今、私がいるのは、親に産んでもらい、育ててもらったからだ」と言う人がいる。日本人には
たいへんなじみのある言い方で、大半の人は、「そのとおり」と思っている。しかしこの考え方
は、あくまでも結果論にもとづいた考え方でしかない。実のところ、私も子どものときから、いつ
も父や母に、そう言われて育った。「お前を、産んでやった」「育ててやった」と。耳にタコができ
るほど、そう聞かされた。で、ある日、こう反発した。私が中学生くらいのときではなかったかと
思う。「いつ産んでくれと、頼んだ!」と。それを言うと、母は激怒して、「親に向かって、何てこと
言う!」と、私に大声で叫んだ。

 そこで親は、子どもを育てる過程でも、「教室へかよわせてやった」「家庭教師をつけてやっ
た」「高額な教材を買ってやった」と考える。実際、私なども、ことあるごとに、親に「お前には、
学費で、○百万円もかけたからな」と言われた。この段階で、子どもも、「教室へ通わさせても
らいました」「家庭教師とつけてもらいました」「高額な教材を買ってもらいました」と思えば、た
がいの関係は、うまくいく。しかし今の子どもたちはそうは、思わない。その思わないところか
ら、断絶が始まる。話が脱線したが、親子の断絶にも、この結果主義が関係している。

 もともと子どもをもうけるかもうけないかを決めるのは、親の意思ではないのか。しかも子ども
をつくるといっても、私たちが直接組み立てるわけではない。男の立場でいうなら、セックスをし
て、射精すれば、それでこと足りる。少なくとも、私はそれ以上のことはしなかった。女の立場で
も、妊娠中はたしかに苦しいが、しかしそれとて生まれてくる子どもに頼まれたからそうしてい
るのではなく、むしろ生まれてくる子どもが楽しみだから、そうしている。子どもは、まさに夫婦
の愛の結晶ということになる。

 それがあるときから、一転して、親は、子どもに向かって、「産んでやった」という。この親の変
化は、いつどのようにして生まれるのか。いや、もしその女性が、いやいや、それこそあと継ぎ
か何かのために、不本意ながら子どもをもうけたというのであれば、こうした考え方もあるかも
しれない。しかしそうでなければ、つまり望んで、自分の意思で子どもをもうければ、もともとこう
いう発想は生まれない。子どもが生まれてきたことについて、「ありがとう」と言うことはあって
も、「産んでやった」とは、決して思わない。

●親がいるから子どもがいる
 そこでさらに考えを推し進めていくと、この問題は、「親がいるから子どもがいる」という考え方
と、「生まれてみたら、親がいた」という考え方の、どちらかに集約されるのがわかる。親の立
場から、一方的に子どもを、「自分のモノ」と見る考え方と、子どもの側から見て、子どもの世界
を中心に、親を認識するという考え方といってもよい。日本では伝統的に、前者の考え方をす
る。で、こうした考え方も、つまるところ、結果主義的な見方ということもできる。さらに念をおす
と、こういうことになる。

 親がいるから、子どもがいる。だから子どもにとって、親は絶対。そういう意味で子どもは、服
従的であればあるほど、できのよい子どもということになる。日本独得の親孝行論も、こういう
流れの中で生まれた。美化された。つまりこの時点で、「子どもがいる」のは、「親のおかげ」、
つまり「親がいる結果、子どもがいる」と考える。そして自分自身も、先祖がいるから、その結
果、自分もいると考える。このタイプの人が、好んで、「先祖、先祖」と言うのは、そのためであ
る。

 こうして日本人の結果主義は、ありとあらゆる部分に入り込んでいる。そしてそれが日本の
社会をつくるバックボーン(背骨)になっている。で、あなたはどうか。簡単なテストをしてみよ
う。

(A派)
●子どもは親に服従的であるべき。親に向かって、「バカ!」などと言うことは許さない。
●先祖があっての私。その私あっての子ども。先祖を敬うのは、家庭生活の基本。
●親孝行は家庭教育の要。親は、デンとした威厳があることこそ、大切。

(B派)
○子どもといっても、未熟で未経験かもしれないが、それをのぞけば、対等の人間。
○子どもは子どもで、自分の納得する人生を、自分なりに思う存分、羽ばたけばよい。
○親子でも尊敬しあう関係こそ、理想的。たがいに大切にするという姿勢があればよい。

 さてあなたはA派に近いだろうか、それともB派に近いだろうか。それを少しだけ、自問してみ
てほしい。
(02−11−8)

(注意)私のマガジンを読む人で、A派の人はほとんどいないと思う。マガジンというのはそうい
うもので、フィーリングが合わなければ容赦なく、解約される。だからこのマガジンを読む人は、
私のフィーリング、つまりB派だと思う。しかしこの問題は、生きザマの根幹にかかわる問題だ
から、頭からA派ならA派を否定すると、それこそたいへんなことになる。たとえば先祖を大切
にしている人に向かって、その先祖を否定すると、それはそのままその人自身を否定すること
になる。じゅうぶん注意してほしい。

 私のばあい、周囲にA派の人はいくらでもいるが、そういう人だとわかった段階で、その人に
合わせるようにしている。この問題は、ここにも書いたように、生きザマの根幹にかかわる問題
だから、多少争ったところで、それでどうにかなる問題ではない。相手を説得できるということも
ない。大切なことは、相手の考え方を認め、そして相手の立場で、ものを考えてやること。A派
の人もB派の人も、仲よく共存すること。それが大切である。

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子育て随筆byはやし浩司(291)

妻たちの計算

●財産目当ての妻
 夫に生活力がないと、初期の段階では、妻は、夫の生活力のなさを嘆き、夫を責める。しか
しその段階をすぎると、つぎに妻は、夫の実家の財産、あるいは同居する親の財産に目をつ
ける。そして夫への愛情を減らす一方、それと反比例する形で、夫の実家への依存性を強め
る。

 こうしたパターンは、きわめてよく見られる。ごくふつうのことである。ひょっとしたら、あなたの
周囲にも、同じようなケースの一つや二つは、あるかもしれない。

 で、その前の段階として、夫の親、つまり義理の親は、自分のメンツを構うあまり、妻、つまり
嫁の前で、よい格好(かっこう)をして見せることが多い。具体的には、財産家であるようなフリ
をする。で、調べてみると、おもしろいことに、たいていの日本人はそう形でミエを張る。そして
そうしたよい格好が、妻にあらぬ期待をいだかせ、のちのちのトラブルの原因になることもあ
る。

 さて、夫の実家に依存性を強めた妻は、そこで今度は、義理の親の前で、よい「女」を演じる
ようになる。よい妻やよい嫁ではない。よい「女」を、だ。こうして義理の親の心をつかみ、親に
取り入ろうとする。目的は、もちろん、親の財産である。こうしたパターンも、たいてい共通して
いて、どの妻も、ほぼ同じような経過をたどる。が、ここで誤算が生ずるときがある。妻が義理
の親と対立するときがある。いつもいつも、うまくいくとはかぎらない。

 そういうとき妻がもちだすのが、「子ども」。子どもをエサにして、義理の親の歓心を買おうと
する。あるいは自分と、義理の親をつなぐ接着剤にしようとする。ここから先は、現実にあった
話を書く。

●N氏のケース
 N氏はそのとき、すでに四〇歳になっていた。しかしどこかヌボーッとした性格で、よい結婚相
手に巡りあうことができなかった。で、四〇歳になったとき、夫の両親が、彼に見合いをさせ
た。相手は、三〇歳の女性だった。女性には、すでに離婚歴があった。で、最初の数か月は、
それなりにうまくいっていたが、うまくいったのは、その数か月だけ。そのうちたがいの間は、急
速に冷却化していった。原因や理由は山のようにあった。が、それでも離婚することなく、五年
経ち、七年経った。二人の間には、五歳の男児と、三歳の女児がいた。

 ふつうならとっくの昔に離婚していてもおかしくない状態だったが、一つだけほかの家族と内
情が違っていた。夫の実家は、昔からの農家で、H市の郊外に、数千坪単位の土地をもってい
た。しかも区画整理の工事がはいるたびに、数千万円単位の現金を手にしていた。妻はこの
財産に目をつけた。

 妻は、土日になると、足しげく二人の子どもを連れて、夫の実家へ通った。なんだかんだと理
由をつけて、泊めてもらうこともあった。さらに自分のほうから、実家の親に、子どもたちをその
実家から、小学校や幼稚園へ通わせたいと申しでたこともある。しかしそのもくろみは、うまくい
かなかった。実家の親たちが断ったからだ。多分、心のどこかで割りきれないものを感じたか
らではないか。あるいは夫婦関係が冷えていることを知っていたためではないか。が、孫のか
わいさには勝てなかった。そんな関係が、それからまた、二年、三年とつづいた。

 もうこういう状態になると、修復は不可能。夫は「ぼくたちは形だけの夫婦です」と言ったが、
本当に形だけの夫婦、形だけの家族だった。夫は運送会社の倉庫番をしていたが、夜勤がほ
とんど。家族の会話も、ほとんどなかった。

●それでも夫婦、それでも家族
 で、その夫婦はどうなったか? ……ところがである。今でも、その夫婦は夫婦のまま。家族
は家族のまま。何も変わっていない。読者の皆さんも、何かしら劇的な結末を期待したかもし
れないが、そういう結末もない。ただの夫婦。ただの家庭。

 実はここに家族の不思議さがある。人はそれぞれの方法で家族を築くが、その家族は、一つ
とて同じものはない。そうでない人からみると、いくら問題があるように見えても、それぞれの夫
婦は、そして家庭は、それなりに夫婦であり、家庭である。はたからみていると、このN氏のケ
ースでも、N氏に、「それでいいのか?」と問いつめたくなるが、そんなことをしても意味はない。
何も解決しない。第一、本人たちがそれを望んでいない。

 妻とは話したことがないので、その気持ちは、よくわからない。
 夫は、相変わらず淡々と自分の仕事をつづけている。
 実家の親たちは、こう言っている。「まあ、いいじゃないですか」と。嫁が財産目当てで近づい
てきていることについても、「ぜんぶわかっています。まあ、いいじゃないですか」と。老齢になる
と、そういう心境になるらしい。
(02―11−8)

●『夫婦げんかは、イヌも食わない』という。同じように、夫婦の問題、家庭の問題は、アンタッ
チャブル。ふれたところで、どうにもならない。干渉するだけ、ヤボ。本人たちに、なるように任
せるしかない。

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子育て随筆byはやし浩司(292)
 
息苦しい社会

●ガチガチの管理社会
 日本ほど、ガチガチに管理され、息苦しい国は、ほかにない。何をするにも、許可だ、認可
だ、資格がいる。

 アメリカの田舎町でタクシーに乗る。メーターなど、ついていない。料金は、乗るとき、決め
る。「一人一〇ドルで、二人で二〇ドル」と。で、翌日も来てくれと頼んだら、今度は夫が別の車
でやってきた。「妻は、ほかの仕事で、ほかへ行っているから、かわりに私が来た」と。

 こうしたおおらかさが、日本からは消えた。一見、すごしやすい国に見える。が、その実、すご
しにくい。が、それだけではない。これだけ管理されると、いわゆるすきま産業がなくなる。すき
ま産業がないということは、夢が生まれないということ。すべての人が、すべての立場で、歯車
となって動くしかない。

 教育とて例外ではない。今、H市のどの小学校、中学校、それに高校へ行っても、スリッパに
はすべて通し番号がつけられている。そしてそのスリッパは、その番号の書いた下駄箱に入れ
るならわしになっている。だから学校へ入るものは、その下駄箱から、スリッパを出し、帰ると
きは、その番号の下駄箱にそのスリッパをしまう。

 そこで懸命に、アメリカの学校はどうだったかを思い出してみるのだが、彼らはまずクツを脱
がない。そのまま教室へ入る。いいかげんと言えば、いいかげん。スリッパさえない。下駄箱な
ど、さらにない。しかしいつも不思議に思うのは、どの学校でも、床にジュータンを敷きつめてい
ること。「汚れないのか?」と思うが、彼らは気にしない。そういうアメリカの学校とくらべると、
「では、スリッパは、いったい何のためにあるのか」ということになる。

 そこで中学生たちに聞いてみた。「どうして学校では、スリッパをはくのか?」と。いろいろな答
が返ってきた。「靴下を汚さないため」「トイレへ行くとき、困るから」など。一人、「スリッパをはく
のは、日本の習慣だから」と言った子どもがいた。そこで私が、「スリッパというのは、英語だ」
と言うと、「へえ、英語だったの?」と。

 話がそれそうなので、ここまでにしておくが、学校には学校の言い分があるのだろう。しかし
仮にスリッパが必要だとしても、通し番号までつける必要があるのかという疑問もある。カゴか
箱に、どさっと入れておけば、それでよいのではないか。そういうことで神経をつかうなら、もっ
とほかのことにつかったほうがよいのでは? これはあくまでも、(?)としておく。

 それはともかくも、この日本、何から何まで息苦しい。本当に息苦しい。「自由だ」「自由だ」と
言ったところで、どこに自由があるのか。

●日本は官僚主義国家 
 日本がなぜこうなってしまったか、だが、理由は簡単。日本は官僚主義国家。決して民主主
義国家ではない。官僚たちは、まず民衆を管理する。あらゆるところを管理する。そうして管理
しながら、役人をふやし、権限を拡大する。彼らの息がかかった組織や団体がふえればふえる
ほど、それはそのまま彼らの天下り先となる。

 しかしこういう管理型社会では、まず、若者が窒息する。それについて書いたのが、つぎの原
稿である。この原稿は、もともと中日新聞に掲載してもらうつもりで書いたが、編集者の意向で
ボツになったものである。なぜ、ボツになったか、読んでもらえば、わかる。内容が少しダブる
が、許してほしい。

++++++++++++++++++++

日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?
 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦
労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマも
ない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。また
別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるまま、ま
じめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで言うよ
うになる。

●最後はメーター付きのタクシー
 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前
の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗
を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運
転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場
で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、
それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼
ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった
 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれてい
た。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行
った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小
づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれは
ない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私と
こんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」、学「翻訳ぐらいなら、何とか」、私
「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれば、
仕事が回ってくるかもしれない」、学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜカッコ悪い?」、学「恥ず
かしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その
学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろ
んその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる
 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者
たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論
から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国
になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏
にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本
の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学
生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私たちは飽食とぜ
いたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うのは、結局は子どもた
ち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子どものために、よかれ
と思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)
●日本の中高生は将来を悲観 
 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象に
した調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在
の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。
学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で
最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニュー
ヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望
に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本
は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えた
が、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低
だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは
弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽し
む」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三
二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だった
のに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七
六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利
益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なこ
とも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希
望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊
かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

(02−11−9)
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子育て随筆byはやし浩司(293)

人間に設計図はあるのか?

 人間に設計図はあるのか? もちろん、ない。あるはずもない。あるはずもないのに、しかし
現実には、設計図がある?

 日本では、それをコースという。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学……と。ほと
んどの親は、それがあるべき人間のコースであると、信じて疑わないでいる。そしてそのコース
に合わせて、つぎに自分の子どもの設計図を描く。

 家を建てるときも、道路をつくるときも、設計図があれば楽。楽というより、設計図がなけれ
ば、仕事が先に進まない。しかし子どもというのは、家や、道路ではない。「心」をもった人間で
ある。だから設計図どおりにはいかない。またいくはずもない。いかなくて、当たり前。そういう
前提で、子どもの設計図を描くのは、悪いことではない。しかし、その設計図にこだわってはい
けない。

 人間に形はあるのか? もちろん、ない。あるはずもない。あるはずもないのに、しかし現実
には、形がある。だからその「形」にそぐわない子どもがいたところで、何もおかしくない。また
そぐわないからといって、まちがっているとか、正しくないとか、言ってはいけない。

 日本では、それを「世間一般の常識」という。(私がよく使う「常識」とは、意味が違うが…
…。)たとえば女性は、その年齢になったら、年上の男性と結婚して、家庭をもうける。男性は
それなりの会社で定職につき、立派な社会人となる、と。

 しかしこんな常識は、神様が決めたのでも、仏様が決めたのでもない。長い間、人間が生き
てきた中で、最大公約数的にできたものにほかならない。だからそれが人間のあるべき「道」と
決めてかかってはいけない。
 
 私が今、直接知っている事例をいくつか、あげてみよう。

(事例1)J君(現在三〇歳)は、高校を中退。浜松市でもナンバーワンという進学校である。そ
して一年ほどブラブラしたあと、名古屋市にある演劇学校に入学。そこで「?」(どういうふうに
ジャンル分けしたらよいのかわからない職業)を身につけ、今は行楽地や遊園地で、ぬいぐる
みの衣装を着て、舞台で踊っている。彼はそれを、「とても楽しい」と言っている。

(事例2)C君(現在二七歳)は、今度、八歳年上の女性と結婚することになった。親が反対しよ
うと思ったころには、すでに子どもができていた。しかし今は、子どもが生まれるのを楽しみに
しながら、浜松市内のアパートで、楽しそうに生活している。

(事例3)F君(現在二五歳)は、大学三年生のとき、学生結婚。相手の女性も学生だった。が、
F君は、そのまま大学を中退。東京R大という名門校(こういう言い方は好きではないが……)
を出て、しばらくはフリーターとして生活費を稼いでいた。今も、定職にはつかず、奥さんと、そ
のつど、いろいろな仕事をして暮らしている。

(事例4)K君(現在二〇歳)は、高校の夏休みに、アメリカにホームステイした。が、帰国すると
また、そのまま渡米。親の反対を押しきっての渡米である。今は、ロスで、映画人としての道を
歩み始めている。

 今、教育の世界では、「個性」という言葉がよく使われる。しかし個性を伸ばすためには、そ
の前に多様性のある社会、また人間の多様性を認める社会が必要である。それがないまま、
「個性、個性」と言っても、言われたほうが困る。また個性をもてばもつほど、結局は苦しむの
は、その子ども自身ということになる。

 だから親が子どもを育てるときは、ふたつの覚悟をしたらよい。ひとつは、子どもがどんな道
を歩むことになっても、それを認めるだけの寛容さと、度量の広さを用意しておくこと。もうひと
つは、そういう子どもになるという前提で、あなた自身の中にある設計図や世間一般の常識
を、一度疑ってみるということ。疑うだけでよい。そういう疑いが、日本全体に広がったとき、日
本は確実に変わる。

 子どもというのは、あなたから生まれるが、決して、あなたの思い通りにはいかない。それが
わからなければ、あなた自身を見つめてみればよい。あなただって、決して、親の思い通りに
は、なっていないはずだ。もっともそれに気づいている人は、まだよいほうだ。たいていの人
は、「自分は何も問題はなかったはずだ」と考えている。しかしそういう人ほど、あなた自身を振
り返ってみてほしい。それはあなたのためというより、これから先、あなたとあなたの子どもの
パイプを破壊しないため。このタイプの人ほど、子どもの設計図にこだわり、世間の一般常識
にこだわる傾向が強い。
(01−11−9)※

●子どもに、自分の設計図を押しつけては、いけない。
●子どもに、世間の一般常識を押しつけてはいけない。
●多様性のある社会、多様性を認める社会をめざそう。

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子育て随筆byはやし浩司(294)△

二種類の世間体

 世間体にも、二種類ある。自分をしばる世間体と、他人をしばる世間体。当然のことながら、
世間体を気にする人は、一方で自分をしばり、一方で他人をしばる。そうすることで、自分の価
値観を擁護する。ふつうに考えれば、窮屈な世界に思えるが、「あれこれ考えないで、世間に
あわせて行動する」という意味では、楽な生き方である。

 私は岐阜県の田舎町に生まれ育った。古い町で、昔からの因習や慣習が根強く残ってい
た。それは私にとっては、窒息しそうなほど、息苦しい世界だった。何をするにも、「世間が許さ
ない」「世間が笑う」「世間体が悪い」などという言葉が、その前にあった。で、ある日、私は猛
烈に反発した。「世間が何だ」「世間体が何だ」「世間が何をしてくれる!」と。

 ふつうこうした世間体は、冒頭にも書いたように、他人をしばる道具としても利用される。具体
的には、「笑う」「のけものにする」「バカにする」「軽蔑する」という方法で、他人をしばる。相手
の周囲を息苦しくする。結果として他人が自分たちと違ったことをするのを、許さない。しかしそ
うすることは、結局は、回りまわって、自分のクビをしめることになる。Yさん(七五歳)もその一
人。その年齢になったので、そろそろ老人ホームへと考えていた。そう考えていたのは、周囲
の家族たちだが、それにがんとして抵抗したのが、Yさん自身だった。Yさんは、若いころから、
そういう形で老人ホームへ入る人や、親を老人ホームへ入れる家族を、さんざん悪く言ってき
た。笑ったり、さげすんだりしてきた。この年代の人たちは、「ホーム」や「施設」に対して、どう
いうわけだか、私たちには理解しがたい偏見をもっている。しかし他人を笑う人は、自分がそ
の立場に置かれたとき、笑った分の数百倍苦しむ。

 どちらにせよ、世間体などというものは、日本が捨てるべき、まさに民族的かつ土着的意識
の一つと言ってもよい。封建時代のような、集団で身を寄せあって生きる時代には、それなり
の意味もあったが、今は、もうそういう時代ではない。やがて死語になるだろう。若い世代の人
は、この言葉すら、ほとんど使わない。が、それを今、ここで加速させたところで、悪くはない。
少なくとも、逆戻りをさせてはいけない。見栄、メンツ、体裁も同じように考えてよい。
(02−11−9)

●もっと個人を大切にしよう。個人を尊重しよう。個人の価値を認めよう。
●「世間体」という言葉を使う人には、「世間はだれも、あなたのことを気にしていませんよ。あ
なたはあなたで、もっと気楽に生きたら」と言ってあげよう。

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子育て随筆byはやし浩司(295)△

無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それだけで軽蔑の対象にな
る。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそ
れをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということ
になっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もな
い。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話を
してみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねの
けてしまう。(実際、どの部分がどのようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサ
イ」という意味すら、よく理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、そ
の結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。その
きっかけとなったのが、文部省の三通の通達である。

●文部省からの三通の通達
日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。文部省が一九
六〇年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、それ
に「初等中等局長通達」(一二月二四日)。

 この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動
から、政治色は一掃された。さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、禁止さ
れた。当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があ
ったが、それから四〇年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。
その結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入る
と、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。
構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう一〇年以上になるが、結局は、ほとんど何も改
革されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、
日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩
壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラス程度の通達で、日
本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解
してほしい。日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままにあやつられている。

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子育て随筆byはやし浩司(296)△

減りつづける人口

 このままのペースで、人口が減りつづけたら、西暦二一〇〇年には、日本の人口は、約三〇
〇〇〜四〇〇〇万人になってしまうという。今の人口の四分の一から、三分の一である。

 こうなると、日本の国家そのものが、存亡の危機に立たされる。経済力はもちろんのこと、何
よりも心配されるのは、国防力、食料生産力。さらに公務員や準公務員の数を減らしていかな
いと、二一〇〇年には、日本人のほぼ全員が、その公務員、もしくは準公務員、あるいはその
家族ということになってしまう。つまり国の生産力は、かぎりなくゼロに近くなる。

 問題は、なぜこうまで少子化が進んでしまったかということ。いろいろな調査結果が発表され
ている。が、親の身になれば、答はすぐわかる。この日本では、子どもを育てるのが、本当に
たいへん。第一に、お金がかかりすぎる。小学生や中学生ならまだしも、高校生、さらに大学
生ともなると、一〇〇万円単位の出費がのしかかってくる。しかも世界に名だたる不公平社
会。すべてがガチガチに管理され、途中で息を抜くことも許されない。管理されればされるほ
ど、元気がなくなる。ある調査によっても、「日本の中学生たちは、授業についていけず、学問
への情熱も、自信も責任感もとぼしい」(日本青少年研究所調査、〇一年三月、〜〇二年一〇
月※)という結果が出た。こんなことは当然だ。それほど苦労しなくても、ノーノーと生きられる
人がいる一方、働いても働いても、どうしてこんなに生活が苦しいのかと思っている人も多い。
この私ですら、もし、もう一度、人生をやりなおすことができるとしても、子どもは三人もつくらな
いと思う。せいぜい一人?

 そこで思いきって発想を変えよう。日本が二二世紀にも存続できるようにするには、どうした
らよいかという発想で考えよう。

 二〇一五年には、日本と中国の経済的立場は、逆転する。これは予測でも何でもない。すで
に既成の事実になりつつある。早ければ二〇一〇年という人もいる。あと八年だ。すでにASE
AN(東南アジア諸国連合)では、日本は、脇役。中国がリーダーシップをとるようになってしま
った(二〇〇二年)。

 そこでひとつの提案だが、……といっても、私はこの提案を、すでに二〇年前からしている
が、英語とあわせて、中国語も、学習科目に加えたらどうだろうかということ。今からその準備
を始めても早すぎるということはない。教育学部に中国語学科をもうけ、教授まで育てるのに、
二〇年はかかる。学校で中国語教育が始まるのは、そのあとだ。

 また日本が一国で存在できない以上、よその国との連携(れんけい)も、深めねばならない。
今のようにアメリカと連携を保つという方法もあるが、それよりも大切なのは、韓国、あるいは
朝鮮(今の北朝鮮は、やがて崩壊する)、さらには東南アジア各国と、連携を保つということ。
中国とでも、よい。どちらにせよ、私たちの国は、アジアの国の中の、ワンオブゼムになるとい
う前提で、未来を考える。今の日本人にしてみれば、とても受け入れがたい未来像かもしれな
いが、しかし現実的な考え方をすれば、そうなる。

 が、悲観ばかりしていては、いけない。そのかわり私たち日本人は、文化的、思想的指導者
として、今度はアジアの中で、そして世界の中でリードすることができる。そういう意味では、私
たちはまちがいなく、アジアの中でも、先進的な位置にある。つまり文化や思想を、この日本の
中で、もっともっと高揚させることができる。またそのほうが、アジアの人のみならず、世界の人
たちの心をつかむことができる。少なくとも、お金の力でアジアに君臨する時代は、もう限界に
きている。

 本来なら、ここで教育を自由化して、日本の教育に活力をとりもどすことだが、それはこの日
本の中では、もう不可能。ここまで官僚支配が徹底してくると、身動きひとつできない。たとえば
ドイツでは、子どもたちは、たいてい午前中に授業を終え、午後はそれぞれクラブで勉強した
り、運動したりしている。民間の活力をじょうずに利用している。どうしてこの日本では、それが
できないのか? 言いかえると、そのできないところに、官僚支配の「陰」がある。もっとも今の
日本で、教育を自由化すれば、進学塾ばかりが勢力を伸ばす。なぜそうなのかということも考
えないと、教育の自由化も、かえって日本をおかしな方向に導いてしまう。しかしこの問題こそ
が、少子化の本当の原因であると言ってもよいのだが……。

 まとまりのないエッセーになってしまったが、この問題は、もう一度、じっくりと考えてみる。こ
れからのテーマとしたい。
(02−11−9)

●中国語の科目を考えよう。
●教育を自由化しよう。
●不公平社会を是正しよう。

※……一ツ橋文芸教育振興会、日本青少年研究所の両財団法人が、日米中の三か国調査
をして、つぎのような結果を発表した(それぞれの国、1000〜1300人について、調査、〇二
年一一月)。それによると、

数学の授業の理解度……ほとんど理解できない、少しは理解できる……日本、35%
                                米国、14%
                                中国、13%
           自分で行ったことは、自分の責任    ……日本、25%
                                米国、60%
                                中国、50%
           自分に満足している          ……日本、 9%
                                米国、54%
                                中国、24%
                      (一〇分の一の位は、四捨五入した) 

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子育て随筆byはやし浩司(297)

スランプ

 英語で、デプレッションというと、「うつ状態」をいう。私の友人のR君(オーストラリア人)も、長
い間、そのデプレッションで苦しんだ。「暗いトンネルの中にいたようだった」と、当時を振り返っ
て、彼はそう言う。

 私もときどき、そのうつ状態になる。いくつかトラブルが重なると、そのあと、そうなる。ホッとし
たときに、そうなる。何をするのもおっくうになる。ひどいときは、テレビを見たり、新聞を読んだ
りするのも、いやになる。どこか精神状態がフワフワしたような気分になり、つかみどころがなく
なる。

 もっともそういう状態は、今に始まったことではない。若いときからあった。だからなれたという
か、その状態とうまくつきあう方法を、自分なりに身につけた。その方法、第一、そういう状態に
なったら、さからわず、そのままの状態で、よく眠る。第二、カルシウム剤をたくさんとる。第三、
……。いろいろあるが、その中でも、もっとも効果的なのは、買い物。ほしいものを、バカッと買
ってしまう。もっともあまり高価なものだと、かえって落ち込みがひどくなるので、そこそこの値
段のもの。買い物依存症になる人がいるというが、そんなわけで、私はそういう人の気持ち
が、よく理解できる。私も、その仲間?

 結局は、人間は、何も考えないほうが、生きやすい? 先ほどもテレビを見ていたら、どこか
の鉄道の車掌が、原稿を読みながら、客にあたりの様子を説明しているシーンが出てきた。の
どかな光景だった。今ごろは、紅葉の見ごろ。私はその車掌の、どこかヌボーッとした表情を
見ながら、「この複雑な社会を生きるためには、かえってこのほうがいいのかなあ」と、思わず
考えてしまった。言われたことだけを、まあまあ、そこそこにやって、あとはのんびりとその日、
その日を、無難に暮らす……。

 私は私だが、では、その私は、私の息子たちには、どんな人生を歩んでほしいかというと、ひ
ょっとしたら、その車掌のような人生かもしれない。あまり高望みはしない。(しても無理だが…
…。)そこそこの人生を、のんびりと送ってくれれば、それでよい。本人がそれだけの力があ
り、野心もあり、そしてそれを望むなら話は別だが、そうでなければ、健康を大切にしながら、
自分の力の範囲内のことをしてくれれば、それでよい。

 そうそう少し前だが、私はこんなことを思った。インドのマザーテレサが、大きく話題になって
いたころのこと。私はもし私の息子が、インドへ行って、マザーテレサのようなことをしたいと言
い出したら、それに賛成するだろうか、と。世界中の人は、マザーテレサを賞賛していたが、で
は、それが人間として、あるべき人間の姿かというと、そうは思わない。……思えなかった。そ
こで当時当、私は何人かの父母にこう聞いてみた。「あなたは、あなたの息子(娘)に、マザー
テレサと同じようなことをしてほしいですか?」と。すると、全員、「ノー」と答えた。

 話がそれたが、そう考えると、「生きる」ということが、どういうことなのか、またまたわからなく
なってしまう。まあ、あえて言うなら、自分の力の範囲で、自分の力の限界をわきまえ、無理せ
ず、生きていくということか。そういう意味では、私など、恵まれた環境にある。ときどき、自分
の仕事がこんなに楽でよいものかと思うときがある。あるいは私のばあい、職場そのものが、
ストレス発散の場所になっている。自由な時間はたっぷりあるし、私に命令する人は、だれもい
ない。(ワイフは別だが……。)もっともこういう環境をつくったのは、無意識のうちにも、私自身
の弱点を避けるためだったかもしれない。もし私が、大きなオフィスビルのどこかで、パソコン
相手に、数字とにらめっこしているような仕事をしていたとしたら、とっくの昔に発狂していた
か、自殺していたかもしれない。自殺はしなくても、心筋梗塞か脳内出血で死んでいたかもしれ
ない。

 そういうこともあって、いつしか私は、落ち込みそうになると、いつも、こんな歌を口ずさむよう
になった。

♪……のんびり行こうよ、俺たちは……あせってみたって 同じこと……

 この歌は、小林亜星氏作曲によるもの。日本の高度成長期に、ある石油会社のコマーシャ
ルソングとして、歌われたものである。あなたも気分が滅入ったら、この歌を口ずさんでみた
ら、どうだろうか。少しは気が楽になるかも? そう、私たちはのんびり行こう。あせってみて
も、どうせ同じこと。
(02−11−9)※

●今、落ち込んでいる人へ、いっしょに助けあいながら、励ましあいながら、がんばって生きて
いきましょう。人生にはいろいろありますね。まあ、本当にいろいろありますね。私もときどき、
美しい景色をながめていたりすると、「よくがんばっているなあ」と、自分のことがいとおしくて、
涙をこぼすことがあります。みなさんは、いかがですか。

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子育て随筆byはやし浩司(298)

今日もまた……

 今日もまた、とても悲しいことがあった。一人、山荘の窓から外を見ていたら、涙がこぼれて
きた。どうしてつづくときは、こういうことばかりつづくのか? 

 生きるということは、雲の間の光を見ながら、それをたよりに、森の中をさまよい歩くようなも
の。数えてみれば、楽なことより、苦しくてつらいことのほうが多い。楽しいことより、さみしいこ
とや悲しいことのほうが多い。わずかな夢や希望に自分をたくし、「何とかなるだろう」と、自分
を励ましながら、自分の体にムチを打つ。

 今、できることは、現実を受け入れ、その中で最善をつくすこと。ワイフを愛し、息子たちを愛
し、ただひたすら、許して忘れる。ただただ、ひたすら、許して忘れる。問題があることが悪い
のではない。また問題と戦っても、意味はない。そういう問題が、人生にはつきものという前提
で、問題を受け入れる。なるようにしかならないときは、なるようにしかならない。しかし何もしな
くても、なるようになるときは、なるようになる。それを人は、「運命」というが、決して運命を受け
入れろということではない。あきらめろということでもない。最後の最後までふんばるから人間。
生きるドラマも、そこから生まれる。生きる美しさも、そこから生まれる。

 人生はよく航海にたとえられる。私自身は、航海をしたことがないから、本物の航海がどうい
うものかは知らない。しかし人生は、まさに航海のようなもの。私はよく、自分が、大波や小波
をかぶりながら、航海しているさまを頭の中で想像する。ときどき問題にぶつかると、「さあ、来
い!」と、その問題を波にみたてて叫ぶのは、そのためだ。今も、そう。私は懸命に、「さあ、来
い! 負けるもんか!」と、波に向かって叫んでいる。

 ふと見ると、横で、ワイフもさみしそうに、空を見あげていた。私は顔中に笑みを浮かべなが
ら、「だいじょうぶだよ。何とかなるよ」と言った。ワイフは、だまってそれにうなずいた。
(02−11−9)※

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子育て随筆byはやし浩司(299)

新しいタイプの社会主義国家?

公務員の人も、準公務員の人も、どうか怒らないで聞いてほしい。
これは日本全体の問題だから……。

●公務員志望が、ナンバーワン
 〇二年度の冬のボーナス予想が、出そろった。それによると、民間企業は、昨年度より、全
体に四〜五%の下落。しかしこの大恐慌下にあっても、公務員のボーナスだけは、反対にふ
えつづけている。全体に三〜四%の増加!

 数年前、財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが東京、ソウル、ニューヨーク、
パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。その結果、希望する職業
は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は
医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・
五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)と
いうことがわかった(二〇〇〇年七月)。

 それぞれの公務員の人に、責任があるわけではない。またそういう人の、責任を追及してい
るわけでもない。ただしかし、このままでよいかということ。こうまで日本で、公務員や準公務員
がふえ、またこうまでこうした人たちが優遇されると、日本の社会そのものが、活力をなくしてし
まう。もちろん経済力も落ちる。そのことは、旧ソ連を見ればわかる。今の北朝鮮をみればわ
かる。

 私の周囲でも、民間の企業ですら、官僚体制への依存度を高めている。何かにつけて、「○
○をすれば、補助金が出ます」とか「○○で申請すれば、交付金が出ます」とか、そんなことば
かり言っている。お金は天から降ってくるものではない。地からわいてくるものでもない。しかし
この日本では、そんなわかりきったことすら、わからなくなってきている? H市の市役所に勤
めるE氏(四五歳)は、はからずもこう言った。「デフレになったおかげで、私ら、生活が楽にな
りました」と。

●知事も市長も、国会議員も、元官僚
 本来なら、政治によって、日本の流れを変えなければならないが、その政治そのものが、官
僚の思うがままに動かされている。総理大臣以下、野党の党首すら、元中央官僚。全国四七
の都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県では副知事も元中
央官僚。七〜九の県では副知事も元中央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の
多くも、元中央官僚。明治の昔から、全国の津々浦々まで、官僚が日本を支配するという構図
そのものが、すでにできあがっている。こういう国で、構造改革、つまり官僚体制の是正を期待
するほうが、おかしい。

その結果、国の借金だけでも六六六兆円(国の税収は五〇兆円)。そのほか、特殊法人の負
債額が二五五兆円(〇〇年)。「日本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もいる。が、
だ。さらに驚くべきことは、こういう日本にあっても、公務員や準公務員、さらに官僚体制にぶら
さがる団体の職員数は、減るどころか、今の今も肥大し続けている!

●日本はこれでよいのか?
 この国がこれから先、どうなるか、そんな程度のことなら、中学生や高校生でもわかる。日本
は、やがて行きつくところまで、行く。が、こうなってしまったのは、結局は、日本人が、そのつ
ど、「考える」ということを放棄してしまったからではないのか。その責任は、政府にあるのでは
ない。官僚にあるのでもない。私たち自身にある。もう一五年も前になるだろうか。明日が国政
選挙の日というとき、一人の子ども(小五男児)が、こう言った。「明日は、浜名湖で、パパとウ
ィンドサーフィンをする」と。私が「お父さんは、選挙には行かないのか?」と聞くと、「あんなの
行かないって、言っている」と。こういう無関心が、積もりに積もって、今の日本をつくった。

 選挙のたびに、低投票率が問題になるが、その低投票率をもっとも喜んでいるのは、皮肉な
ことに、官僚たちではないのか。国民の政治意識が薄くなればなるほど、好き勝手なことがで
きる。

 また私のようなものが、こんなことを訴えても、何にもならない。彼らにしてみれば、その立場
にない私の意見など、腹から出るガスのようなものだ。その立場にある人でも、この日本では、
反官僚主義をかかげたら、それだけで、排斥されてしまう。仕事すら回ってこない。あるいはこ
れだけ公務員や準公務員が多くなると、あなたの家族の中にも、一人や二人は、必ずそういう
人がいる。あるいはあなた自身がそうかもしれない。そういう現実があるから、内心ではおかし
いと思っていても、だれも反旗をひるがえすことができない。へたに騒げば、自分で自分のクビ
をしめることになる。

 公務員が、人気業種ナンバーワンというのは、そういう意味でも、実に悲しむべき、現象と考
えてよい。あなたもこの問題を、一度、じっくりと考えてみてほしい。
(02−11−10)

●すこし前、K県A高校の校長が、「フリーター撲滅論」を唱えた。「フリーターというのは、まと
もな仕事ではな」と。「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味である。私はこの言葉に、
猛烈に反発した。その校長が言うところの、「まともな仕事」というのは、どういう仕事のことを
言うのか。仕事にまともな仕事も、まともでない仕事も、ない。私は幼稚園講師になったとき、さ
んざんこの言葉を浴びせかけられた。母にも言われた。叔父にも言われた。高校時代の担任
にも言われた。その言葉で、私はどれほど自信をなくし、キズついたことか。具体的には、三〇
歳をすぎるまで、自分の職業を隠した。しかし社会的なきびしさという点では、自分で選んだ道
とはいえ、その校長とは、比較にならない。そういうきびしさが、日本を下から支えているのだ。
決して、こういう校長が、日本を下から支えているのではない。それがわからなければ、一度で
よいから、この大不況下で、職業安定所を出入りする元サラリーマンの気持ちになって考えて
みることだ。それともリストラにあった人は、この校長は、「まともな人間ではない」とでも、言う
のだろうか?

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子育て随筆byはやし浩司(300)

新・子育て格言(6)

●マンネリは、知能発達の敵

「アレッ」と思う意外性が、知恵の発達をうながす。その瞬間、子どもの脳は、全開状態にな
る。そしてその意外性に対応していくことで、思考の柔軟性が生まれ、知能が発達する。このこ
とは、大脳生理学の分野でも、つぎのように説明される。

 人間の大脳には、約一〇〇億の神経細胞がある。そしてそれぞれの神経細胞は、約一〇万
個のシナプス(細い回線)をもっている。その数だけで、10の15乗、つまり1000兆本になる。
しかし遺伝子がこれらすべてを管理しているかといえば、そうではない。遺伝子の中のDNA
は、多くても、10の10乗程度といわれている。つまり脳のシナプスは、それだけ柔軟性をもっ
ていると同時に、その人個人の、置かれた環境、教育、努力によって影響を受けるということ
になる。が、それだけではない。

 シナプスどうしが、複雑にからみあい、連絡しあうことによって、人間はより複雑な思考をする
ことができるようになる。たとえば脳の神経細胞の数は、生まれてから死ぬまでほとんど同じで
も、大脳皮質は成長にともなって厚くなる。神経細胞自体がふえるわけではないのに、大脳皮
質が厚くなるのは、細胞自体が大きくなり、「樹状突起も複雑に分岐し、繁茂した状態になるこ
と。脳のほかの部分の成長にともなって、たくさんの入力繊維が入ってくること。グリアが増殖
することによる」(新井康允氏)ためだそうだ。専門用語ばかりでわかりにくいが、、要するに、
それだけ回線が複雑になるということ。この回線をふやすのが、意外性である。意外性が、新
しい回線の発達をうながし、そしてその意外性を処理するために、回線どうしがつながり始め
る……。

 そこで子どもには、いつも意外性のある環境を用意する。たとえば少し前、オーストラリア人
の夫婦が、私の家にホームステイしたことがある。そのときのこと。毎朝、まずそうな顔をして
朝食を食べていたので、半ば冗談のつもりで、「チョコレートでも出そうか?」と言うと、「オー、
イエス!」と。あいにくチョコレートがなかったので、ココアを出すと、彼らはそのココアと砂糖
を、あの白いご飯の上にかけ、さらにその上からミルクをかけて食べていた。そのときのこと
だ。私は頭の中で、バチバチと、脳細胞がショートして火花を放つのを感じた。それがここでい
う「意外性」である。

 そこで具体的には、こうする。

(1)何でも体験させる……よく誤解されるが、「お金をかけろ」ということではない。ごく日常的な
ことで、いろいろ体験させる。郵便局へ行っても、切手を買わせ、それをハガキや封筒にはら
せる。電車に乗るときも、自分で切符を買わせるなど。コツは一歩退いた状態で、子どもに任
すようにする。
(2)家の中に変化を求める……いつも家の様子や、もように変化をつける。イスや机、テーブ
ルの配置など。子どもが外から帰ってきたとき、「アレッ」と思うようにしむける。以前、こんな女
子中学生がいた。年がら年中、いつも自分の机とイスをもって、家の中を移動しているというの
だ。母親は、「ヤドカリみたいです」と笑っていたが、その子どもは、頭のよい子どもだった。ほ
かによく「転勤族の子どもは、頭がいい」と言う。それも、やはり、こうした環境の変化が、よい
方向に作用しているためと考えられる。
(3)どこへでも、連れていく……子どもは外へ出すにかぎる。そのときも、できるだけ歩くように
するとよい。車というのは便利だが、やはり汗をかきながら受ける刺激と、そうでない刺激に
は、大きな違いがある。たとえばテレビで見る、アメリカのグランドキャニオンと、実際に見るグ
ランドキャニオンとでは、受ける印象は、まったく違う。
(4)同じことを繰り返さない……これは親の努力目標ということになる。いつも違った刺激を与
えるようにする。食事でも、何でも。ある母親は、娘のために、一日とて同じ弁当をつくらなかっ
たという。その女性はやがて、日本を代表するような女流評論家になったが、母親のそういう
姿勢が、そういう女性をつくったとも考えられる。
(5)ユーモアを大切に……日本人は、欧米人とくらべても、ユーモアがたいへん少ない民族と
考えてよい。生真面目(きまじめ)といえば、まだ聞こえはよいが、その実、頭がカタイ? 子ど
もが、「お母さん、雨だよ!」と言ったら、「私が、飴(あめ)? なめてみてごらん?」くらいのジョ
ークは、いつも会話の中にあってほしい。

 あとは、子どもといっしょに、意外性を楽しめばよい。たまには、おもちゃのトラックをよく洗
い、その中に寿司を並べてもよい。たまには、料理を大きな皿に並べて、絵を描いてみてもよ
い。そういう意外性が、子どもを伸ばす。

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●見栄は、目つぶし

狭い世界に住んでいると、どうしても見栄をはる。だいたい、人間というのは、自分と対等の相
手を、気にする。言いかえると、今、自分がどんな人間を相手にしているかがわかれば、それ
があなたのレベルということになる。そこであなたは、どんなとき、どんな相手に見栄をはるか、
少しだけ頭の中に、思い浮かべてみてほしい。そしてその相手が、レベルの高い人であればよ
い。しかしレベルの低い人であれば、長い時間をかけて、あなたもそのレベルの低い人になる
から、注意する。

 もっとも、見栄などはっても、意味はない。もっと言えば、自分のない人ほど、見栄をはる。自
分をかざる。ごまかす。隠す。あなたのまわりにも、見栄をはる人は多いと思うが、そういう人
ほど、自分がない。あるいは心のさみしい、つまらない人とみてよい。

 実のところ、私の息子の一人が、長い間、就職先がなく、しばらく道路工事の旗振りの仕事を
した。「もっと楽な仕事があるだろう」と、私とワイフは息子にそう言ったが、息子はこう言った。
「こういうきびしい仕事をしておけば、あとはどんな仕事をしても、楽になる」と。私ができること
と言えば、せいぜい日焼け止めクリームを、そっと用意してあげることでしかなかった。そのと
きのことだ。息子はこう言った。「パパは、ぼくがこんな仕事をするのを恥ずかしくないか?」と。

 私には、もう「恥ずかしい」という意識は、どこにもない。あるわけがない。だいたい、だれに
恥ずかしがらなければならないのか。近所の人にしても、親類にしても、私の生徒の親にして
も、私が相手にしなければならないレベルではない(失礼!)。私も小さな人間だが、そういう人
たちを、とっくの昔に超えている(失礼!)。そこで私は息子にこう言った。「がんばれるだけが
んばれ。だれかがお前を笑ったら、私がそいつを、たたきのめしてやる!」と。

 見栄を気にすると、自分の姿が見えなくなる。そして自分の子どもを見失う。見栄はめつぶ
し。わかりやすく言えば、「見栄など、クソ食らえ!」ということか。私は私で生きる。あなたはあ
なたで生きる。そういうわかりやすさが、私を光らせ、あなたを光らせる。つまるところ、生きる
ということは、いかに自分であるかで決まる。他人の目の中で生きれば生きるほど、自分を失
うことになる。はたから見ても、それほどつまらない人生はない。

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●ミルクは泣いてから与える

子育てはリズム。そのリズムが、子どものリズムと合っていればよし。そうでなければ、子ども
が親のリズムに合わせることができない以上、親が子どものリズムに合わせるしかない。

 たとえば赤ん坊が泣いてから、ミルクを与える親がいる。泣く前にミルクを与える親もいる。
 たとえば子どもが、「行きたい」とせがんでから、英語教室へ入れる親がいる。子どもが求め
る前に、英語教室へ入れる親がいる。
 たとえば子どもが、「もっと勉強したい」と言ってから、塾へ入れる親がいる。子どもが望む前
から、塾へ子どもを押し込む親がいる。

 こんな親がいた。あと少しで夏休みというときのこと。母親が分厚いパンフレットをもってき
て、こう言った。「先生、うちの子(小三男児)は、ああいうグズな子でしょ。だから夏休みの間、
洋上スクールへ入れようと思うのですが、どうでしょうか?」と。そこで私が、「本人は行きたが
っているのですか?」と聞くと、「いえね、先生、それで困っているのです。本人は、行きたくない
と言って、私を困らすのです」と。

 こうしたリズムは、一度できると、それがずっとつづく。一生つづくといっても、過言ではない。
親は、いつまでたっても、心配先行型の子育てをする。その結果、子どもはいつもそういう親
に、引き回されるだけ。自立心の弱い子どもになる。あるいは自分で自分を律することができ
ないから、どこか常識ハズレになりやすい。親から見れば、「グズな子」ということになる。

 そこでテスト。もしあなたの子どもが、ベッドで寝る直前になって、「明日の宿題をやっていな
い」と言ったとする。そのとき、あなたはどうするだろうか。

 子どもを起こし、宿題をいっしょに片づけてやる親もいる。あるいは反対に、「あなたが悪い
から、明日、学校で先生に叱られてきなさい」と言って、そのまま寝させる親もいる。これもリズ
ムで決まるが、もしあなたのリズムが、子どものそれと違っているようなら、今日からでも遅くな
いから、子どものリズムで歩いてみるとよい。方法は簡単。子どもを子どもとしてみるのではな
く、友として、その横を歩くようにすればよい。そしていつも「あなたは何をしてほしい」「あなた
は何をしたい」と静かに語りかければよい。

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●みんな、不安

子育てをしていて、不安でない人のほうが少ない。前提として、みんな、不安と考えてよい。つ
まり、不安なのは、あなただけではない。

 「うちの子は、ちゃんとおとなになれるかしら」「ひとりで、だいじょうぶかしら」「交通事故は?」
「けがは?」と。学校へ入れば、今度は「勉強は、だいじょうぶかしら」「いじめれれるのではな
いかしら」「不登校児になるのではないかしら」「落ちこぼれるのではないかしら」と。さらに、こ
のところ国際情勢もあやしくなってきた。経済情勢も悪い。子どもを取り巻く環境は、悪化する
ことはあっても、よくなることは何もない。「紫外線は?」「化学物質は?」「環境ホルモンは?」
などなど。その上、連日のように、暗い事件がつづく。コンビニの前を通ると、どうも素性のよく
ないような若者が、たむろしている。「うちの子はだいじょうぶかしら?」と。

 こうした不安と戦う唯一の方法は、自分の子どもを信ずること。また信じられるように、親側
の心を整える。またそういう子どもに、子どもを育てる。「うちの子は、うちの子で、たくましく、何
とかやっていくだろう」という思いが、親の不安を解消する。が、それがないと、あとは、何をし
ても、その不安から解放されることはない。

 しかし、実のところ、自分の子どもを信ずることは楽ではない。簡単なことでもない。それ自体
が、子育ての大きな「柱」といってもよい。つまり子育ての目標のすべてが、ここに集約される。
しかし方法がないわけではない。

(1)子育てを楽しむ……「子どもを育てる」「育ててやる」と考えるのではなく、「子どもといっしょ
に、友として、人生を楽しむ」という視点で、子育てを組み立てる。私も長男が生まれたとき、
「いつかこの子と、会話ができるようになればいい」と本心からそう思った。
(2)「あなたはいい子」を口グセにする……いつも「あなたはいい子」を口グセにする。子どもと
いうのは不思議なもので、親の口グセどおりの子どもになる。長い時間をかけてそうなる。あな
たが「うちの子はグズだ」と思っていると、あなたの子どもは、そのグズな子どもになる。が、「い
い子」と思っていると、そのいい子になる。最初はウソでもよいから、そう言う。言いつづける。
(3)親子のパイプを大切にする……同じような不安を感じても、親子のパイプが太いうちは、い
っしょにそれを乗り越えることができる。助けあい、励ましあい、いたわりあい、なぐさめあう。そ
ういう意味で、家庭は、子どもにとっては、いこいの場、いやしの場とする。子どもがある程度、
大きくなったら、こまごまとしたしつけを、家庭の中ではしていはいけない。
(4)なるように任せる……子どもというのは、何とかしようと思っても、そうならないときは、なら
ない。しかし何もしなくても、自分の力で育っていくもの。自分のことならともかくも、親としては、
子ども自身の中に感ずる、子どもの運命に、任すしかない。さからってもムダ。流れを変えよう
としても、ムダ。あるがままを認め、そのあるがままの中から、子どもを引き出す。仮に子ども
が不登校児になっても、「まあ、そういうこともあるわね」「うちの子はうちの子」という思いが、
子どもの心を守る。あなた自身の心を守る。
(5)「今日」を維持する……大切なことは、こうした不安を感じたら、「今日」の状態をより悪くし
ないことだけを考えて、明日にそれをもっていく。その今日が無事なら、明日も無事。来週も、
来月も、来年も無事。今日があるように、明日も同じようにやってくる。決して不安になること
も、心配することもない。流れに静かに身を任せば、明日は必ずやってくる。自分のことならと
もかくも、子どものことではそうする。
(6)視野を広く、大きく……こうした不安は、視野がせまく、低くなったとき、倍加する。だからい
つも視野を広く、高くもつ。子育てをしていると、つぎからつぎへと、いろいろな問題が起きてく
る。しかしそのとき、そういう問題に、同じレベルで巻き込まれると、自分を見失ってしまう。こ
れはまずい。どんなばあいも、自分をできるだけ高い位置から見おろす。そのために、日ごろ
から、子育てについて考える習慣をなくしてはいけない。

 さてさて、本論。今、みなさんは、こうして私の原稿を読んでいる。私はそのこと自体が、すば
らしいことだと思う。私がすばらしいというよりは、恐らく私ほど、現場で、しかも最前線で、子育
てを見てきたものはいないということ。二〇代から三〇代は、まさに修羅場の連続だった。そう
いう意味では、私は、どんな教育者より、豊富な経験をつんでいる。それをこうしてみなさんに、
お伝えしている。だから私は、それをすばらしいことだと思う。ほとんどの人は、うたかたにただ
よう低劣で、浅はかな情報に振り回され、右往左往しているだけ。先人の知恵や経験に耳を傾
けることをしない。しかし今、あなたは私の経験に耳を傾けている。それを、私は、すばらしいこ
とだと思う。またそういう視点で、私の子育てエッセーを利用してほしい。私は必ず、あなたの
不安が解消できるだけの、知識と経験を提供する。またそれができる自信がある。……とま
あ、何とも、自己宣伝ぽくなってしまったが、それがわかってもらえなくて、ときどき、歯がゆく感
ずることが多い。

 みんなで力をあわせて、子育てをしていこう。私もあと何年、こういう活動ができるかわからな
いが、力のかぎり、がんばってみる。そして少しでも、みなさんの不安を解消できればと思って
いる。このエッセーの終わりの、「さてさて、本論……」以下は、私の余談。無視していただい
て、かまわない。

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●自分の運命、他人の運命

久しぶりに、大阪へ行ってきた。外回り線という電車に乗った。で、そこで、そこが大阪とわか
るのは、大阪弁という方言があるから。まわりの人たちがみな、どこか聞きなれない方言で、ペ
チャペチャと早口でしゃべっている。それをのぞいたら、東京と大阪の区別はつかない。「この
電車は山手線です」とだれかが言っても、私は、それを信じてしまうだろう。つまり、大阪の人
も、東京の人も、それぞれが、「私たちは東京とは違う」「大阪とは違う」と思っていても、外の
「私」から見れば、オ・ナ・ジ。

 この話は、運命論と関係している。他人を、「私」から見ると、それぞれが決まったパターんの
中で、決められた未来に向かって動いているように見える。まさに運命を感ずるときは、そのと
きだ。大阪の人も、東京の人も、ある一定のワクの中にいるのがわかる。私が「区別はつかな
い」と書くのには、そういう意味も含まれる。

 同じように、こうまで長く、そのときどきにおいて、たとえば不登校の子どもを扱っていると、ど
の子どもも同じに見えてくる。一〇年前に経験した不登校児も、二〇年前に経験した不登校児
も、そして今、経験している不登校児も、同じに見えてくる。区別はつかない。そしてそれぞれ
の子どもが、ほぼ同じようなコースをたどって、いつか、何ごともなかったかのようにして、おと
なになっていく。私はそういう流れの中に、やはり運命を感ずる。つまり、「決められたコース」
を、だ。

 そこで私は、運命をふたつに分ける。ひとつは、自分の運命。もう一つは、他人の運命。ここ
に書いたのは、どれも他人の運命だが、もし運命というものがあるなら、それは「他人の運命」
をいう。で、問題は、自分の運命だ。はたして、自分の運命は、あるのか?

 そこで視点を、まず「私」からはずす。はずして、その視点を、より高いところにおき、そこから
自分をながめてみる。そうすると、不思議なことだが、私が大阪で、そしてあの電車の中で見
た、大阪の人のように、自分を客観的にみることができる。と、同時に、自分自身の運命を知
ることができる。

 私が考える自分の運命というのは、まず、まあ、このまま浜松市の郊外のボロ家で、一生を
終えるだろうなという事実。ひとり、何だかんだと、犬の遠吠えのようなことを繰り返して、一生
を終えるだろうなという事実。そのうち、ワイフか私が先に大きな病気になり、深い悲しみや苦
しみを味わうだろうな事実。たいしたこともできず、まあ、そこそこの人生をその時点で、終える
だろうな事実。それを運命といえば、運命ということになる。

 が、今度は、視点をずっと下におろして、自分の中から、運命をみてみる。すると、視野が一
転する。「私は私、運命などない」という考え方に、一転する。仮にそういうそういう運命がある
としても、私は今、こうして懸命にふんばって生きている。「このまま終わるだろうな」という人生
であってはいけないという思いも強い。だから懸命に、それと戦っている。つまり「自分にとっ
て、自分の運命はない」ということになる。もっと言えば、私の道は、私が決める。

 そこで結論から言えば、人は「運命」という言葉を口にするとき、ひょっとしたら、この二つを
混同しているのではないかということ。中の世界から見る自分の運命と、外の世界からみる他
人の運命を混同している。だから話がややこやしくなる。おかしくなる。さらにもっと言えば、外
から見る他人の運命というのは、あくまでも結果であって、それは運命ではないということにな
る。話がわかりにくくなってきたが、そもそも、運命などというものはないのではないか。またそ
う考えたほうがわかりやすい。

 この問題は、もう少し先でもう一度考えてみるが、今のところ、そういう結論になる。仮にそう
いう運命が、それぞれに人にあるとしても、最後の最後のところで、ふんばって生きるのが人
間。そこからドラマが生まれ、生きる人間の価値が生まれる。美しさが生まれる。決して、自分
の人生を、運命論で、安易にかたづけてはいけない。

(付記)きわめて卑近な話になるが、こう考えても、運勢だとか、占いだとか、占星術だとか、タ
ロットだとか、そういうことを言っている人の気が知れない。はっきり言って、バカげている。道
に迷ったら、自分で考える。それが人間ではないか。

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●夢中こそ、力

子どもが何かのことで、夢中になる様子を見せたら、そっとしておく。子どもは夢中になること
で、集中力を養い、思考力を養う。一般論として、「頭をよくする」ためには、今まで使っていな
かった脳の部分を使えばよい。つまりできるだけ変わった分野に進出すればするほど、頭はよ
くなる。子どもについて言えば、できるだけ変わった経験をさせればよい。させればさせるほ
ど、頭はよくなる。

 ……ということは、もう一〇年も前に出した本(「子育て格言」(山手書房新社))の中で書い
た。が、私はここまで書いて、ふと考えてしまった。私自身はこの一〇年の間に、新しい分野に
進出したか、と。そしてそこで、さらに考えてしまった。今、思いつくものが、何もない。これとい
って、「新しいことをした」という部分が、何もない。生活そのものも、一〇年前と、ほとんど変わ
っていない?

 そう言えば、このことは、先日会った、恩師とも話題になった。それについて恩師はこう言っ
た。「責任ある仕事をしなさい。そういう仕事をすれば、またいろいろな人に会える。会うこと
で、自分をみがくことができる」と。つまり変わった分野とは、それ相当の人に会うことだ、と。そ
こで私が、「具体的に何をすればいいですか?」と聞くと、「H市の市長ぐらいにはなりなさい」
と。私は、「先生は、冗談が好きですね」と笑ったが、つづけて私はこう言った。「そういう仕事を
すれば、自分の時間がなくなる。そうでなくても、自分の時間が足りないと思っているのに、あ
んな忙しい仕事をさせられたら、たまりません」と。

 これは私の負け惜しみでも何でもない。もし政治家をめざしていたとしたら、とっくの昔になっ
ていた。そういうチャンスは、何度かあった。しかし同時に、今の私に一番欠けるものといえ
ば、緊張感かもしれない。「責任」ということになると、私には社会的責任は、ほとんどない。気
楽といえば気楽だが、しかしこの気楽さこそが、私が求めてきたものである。自由の原点も、そ
こにある。そんなわけで、この「気楽さ」を、簡単に放棄するわけにはいかない。

 で、子どもの話に、もどる。子どもは未経験な存在だから、いろいろな経験をさせる。これは
子育てにおいては、たいへん重要なことである。決して、小さな世界に閉じ込めてはいけない。
コツはある。親自身が、新しい世界につぎつぎとチャレンジしていく。そしてそれから生まれる
緊張感の中に、子どもを巻き込んでいくようにする。親が居間で寝そべりながら、「あなたは外
で遊んできなさい」は、ない。

 ただし、子どもの夢中にも、条件がある。その(1)反復作業はさせない。(2)興奮性の強い
夢中は、避ける。

(1)反復作業はさせない……よい例が、反射運動だけをためすようなテレビゲームなど。ある
いは黙々と、単純作業を繰り返す。同じことを、何度も繰り返したり、それにこだわったりする。
同じ夢中でも、こうした夢中は、子どもの性格を自閉させる。以前、小さな丸だけをつなげて
黙々と絵を描いていた女の子(年中児)がいた。親や先生は、「根気のあるいい子です」と言っ
ていたが、しかしそれは自閉症の初期症状だった。
(2)興奮性の強い夢中……幼児期に避けなければならない感情に、嫉妬(しっと)と、攻撃心
がある。この二つは、おそらく人間が原始的な生物であった時代からもっていた感情で、この
二つをいじると、子どもの性格がゆがむことがある。そのため子どもが嫉妬するような場面
は、できるだけ避ける。またゲームでも、スポーツでも、俗にいう、「頭に血がのぼるような興奮
性」は、好ましいものではない。この興奮性が強くなればなるほど、理性的にものを考えること
ができなくなる。以前、こんな子ども(年長男児)がいた。私が、「ブランコを横取りされました。
あなたはどうしますか」と聞いたときのこと。その子どもは、こう言った。「そういうヤツはぶん殴
ってやる。どうせ口で言ってもわかんねえ」と。そういうようなものの考え方をするようになる。

 さてまた、私の話。私はそのつど、いろいろなものに夢中になる。宗教論の本を書いたときに
は、日本中の寺をあちこち回った。(この本はペンネームで書いた。)木工にもこったし、山荘
を建てるときは、家以外の工事は、ほとんど私とワイフがふたりでした。小さな教室をもってい
るが、その教室の机やイスなど、備品にいたるまで、すべて私が自分でつくった。私の趣味
は、定期的に変化するのが特徴で、だいたい数か月から数年単位で変化していく。本を書くと
きも、多い年は、一年で一〇冊あまり出版した。今は、電子マガジンづくりがおもしろい。私は
何かに夢中にならないと、すぐ退屈してしまう性格らしい。のんびりとブラブラしているということ
が苦手。先に、「生活そのものも、一〇年前と、ほとんど変わっていない?」と書いたが、こうし
て改めて考えなおしてみると、結構、「変わった部分」もあるのかもしれない。ただ、どうしても、
それを実感として、つかむことができない。

(02−11−11)※




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