はやし浩司
はやし浩司 子育て随筆(601〜700)
子育て随筆byはやし浩司(601)
怒りの哲学 ●同じ事象でも…… 毎年、一万人近くの人が、交通事故でなくなっている。しかし「一万人」と聞いても、あまり驚 かない。なぜか。 一方、もし隣のK国が日本を侵略してきて、一万人の日本人を殺したら、そうはいかない。日 本中が、パニックになる。 同じような話だが、「極刑」がある。許しがたい重罪を犯した人は、この日本では死刑になる。 「死をもって償ってもらう」とかなど、裁判官は言う。それはそれだが、ではガンを宣告された人 はどうなのか。 ガンの宣告だって、死の宣告である。しかもある日突然、宣告される。重罪を犯して死の宣 告をされるというのであれば、まだ話がわかる。しかしガンの宣告は、そうでない。 こんな話もある。先日の突風で、私の家のテラスの屋根が吹き飛んでしまった。正確には、 塩化ビニールの屋根がこわれてしまった。この家も建ててもう二五年になる。あちこちがボロボ ロになってきた。 しかし、だ。数年前だが、どこかの子どもが、わが家に向けて、牛乳ビンを投げつけた。息子 の一人が、どこかでうらみを買ったらしい。牛乳ビンはカラカラとはげしい音をたてて、屋根か ら落ちてきた。幸い被害はなかったが、瓦の一、二枚は、それで割れたかもしれない。(まだ屋 根にのぼって、確かめていないので、わからない。) いろいろな例をあげたが、一見、同じように見える「事象」でも、こちら側の心のもち方によっ て、まったくとらえ方が変わってくることがある。順に考えてみよう。 交通事故で一万人死んでも、パニックにならないのは、私たちが、日常の生活の中で、それ を受けいれているからである。(決して容認しているわけではないが……。)何十年もかけて、 少しずつふえたということもある。なれたということもある。それに事故が、全国のあちこちで、 バラバラに起きているということもある。 が、K国に侵略されて、一万人の日本人が殺されたら、そうはいかない。即、戦争ということ になる。はげしい怒りや、憎しみが、日本中を襲うに違いない。なぜか。これを考える一つのヒ ントにこんなことがある。 私の家にいる犬のことだが、もしどこかの犬が、私の家に入ってきて、エサを盗んだら、大げ んかになるに違いない。実際には、そういうことは今までになかったが……。しかしその犬のエ サを、毎日のように、ヒヨドリやツグミが盗んでいく。しかしうちの犬はまったく、怒らない。無視 している。 ●同じ人間だから腹がたつ? こういうことを考えあわせると、人間というのは、人間以外の行為には、かなり寛大だが、同 じ仲間の人間がする行為には、寛大になれないという性質があるのではないかということにな る。その反対の例が、死刑の宣告である。 同じ死の宣告だが、重罪を犯して死の宣告をされるというのは、同じ人間に宣告されるという 点で、恐怖に違いない。もちろんガンを宣告されるのも恐怖だが、他人や社会との関係が、そ れで切れるわけではない。治療しながら、戦うということもできる。つまり重罪を犯した人に与え る死の宣告は、「同じ人間がする行為には、寛大になれない」という人間の性質を、逆に利用し たものだということもできる。極限に近い恐怖を、その犯罪を犯した人に与えることができる。 (だからといって、死刑を肯定しているわけではない。誤解のないように!) 何とも回りくどい話になってきたが、もう一度、整理すると、こうなる。 突風で、屋根がこわされても、腹はたたない。しかしだれかに意図的に瓦を割られると、腹が たつ。その違いはどこから起きるかといえば、要するに、それを受け止める、こちら側の心の 問題だということ。相手が「自然」であれば、人間は、最初から、無の状態で、その問題を考え ることができる。しかし相手が「人間」だと、そうはいかない。無の状態にはなれない。だから、 腹がたつ。 そこで、では、同じ人間がする行為でも、もしこちら側が、先に無の状態になったら、どうなの かということになる。私は、昨夜、こんな経験をした。 ●無になればよい? いつものように、自転車で町から帰ってくるとき、信号を無視して走ってきた車に、私はあやう くはねられそうになった。信号が赤になってから、ゆっくりと一呼吸置いてからのことだった。そ の車はわき道から飛びだしてきた。見ると、若い女性だった。私は瞬間、「あぶない!」と叫ん だが、もうそのときは、車は大通りを右折して、走り去っていくところだった。 私は、激怒した。カーッと頭に血がのぼるのが、わかった。そのドライバーを呼び止めて、怒 鳴りつけてやりたい衝動にかられた。が、しかし、だ。そういうふうに、私がその女性を許せな いのは、ひょっとしたら、相手が人間だからではないのか。相手が人間だから、無になれない。 だから腹がたつ? 犬やネコなら、腹はたたない? が、もし、私のほうが先に、無になってしまえば、腹もたたないのかもしれない。こういうケー スでも、そういう無茶な運転をするドライバーもいるという前提で、道路を走る。仮に信号が、私 にとっては青になっていても、もう一度、確かめてから道路に出るようにする。あるいはそういう ドライバーは、犬かネコと思えばよい。そうすれば、少なくとも、私はヒヤリとすることもなく、ま たそのため、激怒することもない。 要するに、無になるということだが、もちろんそれにも程度の問題がある。高徳な信仰者な ら、あらゆることについて、そういう境地に達することができるのかもしれないが、私はできな い。それにすべてを無にすればよいということでもない。しかし時と、ばあいによって、その無に なることで、問題の多くを回避することはできる。つまりこちら側の心の状態を変えることで、私 の身のまわりも、ずいぶんと住みやすくなる。 これまたますます何とも回りくどい結論になってしまったが、今日、私はそれを発見した。これ から先、何かの処世法として、役にたててみたい。 (030215) ●知恵多ければ、いきどおりも、また多し。(旧約聖書、箴言一六章三二節) ●人間も、憤怒(ふんど)を制(おさ)えないうちは、ほんたうに自然を友とすることはできない。 (島崎藤村「飯倉だより」) ●怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる。(ピタゴラス「卓談」) ●怒りは愚考に始まり、悔恨に終わる。(ボーン「格言のハンドブック」) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(602) 心を解き放て あなたはクサリを感じないか? あなたの心を、取り巻いているクサリ。 がんじがらめにしているクサリ。 そのクサリを感じないか? それを感じたら、そのクサリをはずしてみよう。 むずかしいことではない。 あなたは思いきって、言いたいことを言えばよい。 したいことをすればよい。 おかしいと思うことがあったら、おかしいと言えばよい。 いやだと思ったら、いやだと言えばよい。 世間体というクサリ。 見栄というクサリ。 メンツというクサリ。 妻だからというクサリ。 母だからというクサリ。 女だからというクサリ。 過去というクサリ。 現在というクサリ。 未来というクサリ。 そんなクサリとは、今日でお別れ。 あなたはどこまでいっても、あなた。 この世界で、たった一人しかいない人間。 この地球で、たった一度しかない人生。 だったら、だれにも遠慮することはない。 何も恐れることはない。 ただひたすら「今」というときの中で、 今を懸命に生きればよい。 さあ、あなたも勇気を出して、青い空に向かって、叫んでみよう。 「私も人間だ! 私も生きている! これが私の命だ!」と。 そして思いきって、息を吸ってみる。 そして思いきって、息を吐き出してみる。 「今」という時を、全身で実感してみる。 心を解き放て。 解き放って、思いきって羽ばたけ。 羽ばたいて、大空を飛べ。 飛んで飛んで、飛びまくれ。 あなたを束縛するものは、何もない。 あなたを止めるものは、だれもいない。 あなたを押さえることは、だれにもできない。 あなたは自由だ。 どこまでも、どこまでも、あなたは自由だ。 (030217) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 子育て随筆byはやし浩司(603) 韓国の人たちへ 昨年(〇二年)の終わり、ソウル市内で、大規模な反米デモが組織された。何でも一〇万人 以上もの人たちが集まったという。発端は、米軍の戦車に、韓国の女子中学生がひき殺され たという事件だった。その気持ちは理解できる。しかしその反米デモの最中、デモ隊が巨大な 星条旗を、ビリビリと破ってみせたのは、まずかった。本当に、まずかった。 アメリカ人の国旗に寄せる熱い思いは、恐らく日本人には理解できないものだろう。恐らく韓 国人にも理解できないものだろう。彼らは合衆国国家。いろいろな民族が集まって、ひとつの 国をつくっている。その合衆国の象徴、つまり愛国心の象徴が、星条旗である。 韓国が、もともと反米的な国なら、それもしかたない。許される。しかし今のところ、アメリカは 同盟国。しかも最前線で、韓国を北朝鮮から守っている。先の朝鮮動乱では、三万三六〇〇 人ものアメリカ兵が、韓国のために犠牲になっている。いくら反米感情が高まったからといっ て、星条旗を破ってみせてはいけない。別のところでは、星条旗を燃やしたというが、そこまで してはいけない。 で、結果として、その追い風にのって、反米、北朝鮮との融和政策をかかげる、N氏が大統 領の座についた。N氏は、選挙運動中、「仮に米朝(アメリカと北朝鮮)戦争になっても、韓国は 中立を守る」と公約してしまった。(これには当然のことながら、日朝戦争になっても、韓国は中 立を守るということを意味する。)そんな公約を聞いて、アメリカが怒らないわけがない。ものご とは、もう少し、常識で考えたらよい。 そして今、韓国は、日本のみならず、アメリカの意向さえも無視して、独自の北朝鮮外交を進 めている。「韓国が、アメリカと北朝鮮の仲介役になる」とまで言い出している。そして日本に は、「アメリカに対話に応ずるように説得してほしい」とさえ言い出している。当初、日米韓三か 国の結束が、何よりも重要と言われていた。しかしその結束を、韓国は、つぎつぎとぶち壊して いる。 こうなるとアメリカの選択はただひとつ。韓国からの撤退である。少なくとも、韓国を最前線で 守らなければならない理由など、どこにもない。現に今、アメリカ軍は最前線からの撤退を決め てしまった。この先、小数の空軍と海軍を残して、陸軍は撤退するという。しかしそうなればなっ たで、それこそ、北朝鮮の思うツボ。あっという間に、韓国は、北朝鮮の大軍勢にのみこまれて しまう。言いかえると、今まで韓国が韓国であったのは、最前線でアメリカ軍が、韓国を防衛し ていてくれたおかげではないのか。 実のところ、私は韓国の心配をしているから、こんなことを書いているのではない。韓国は韓 国の選択をすればよい。今の北朝鮮のような国がすばらしいと思うなら、それはそれでかまわ ない。しかし私たち日本人は、ああいう国はお断り。今のままでは、やがて北朝鮮は核兵器を ふりかざし、日本をあれこれ脅してくるだろう。「言うことを聞け、さもなければ東京に核爆弾を ぶちこむぞ」と。そういう未来から、この日本や、日本の子どもたちを守らねばならない。だから 何としても、今のこの段階で、北朝鮮の暴走をくい止めなければならない。また暴走させてはな らない。そのためにも、今、韓国に求められるのは、日米韓を中心とする連携プレーである。 その連携プレーの中に、中国とロシア、さらにはほかのアジアの国々を巻き込んでいく。そうい う視点から考えても、今の韓国の独自外交は、キレツを入れるというより、世界への配信行為 と考えてよい。 このまま韓国がさらに日米のふたつの国から離反していくというのであれば、日本も、もう韓 国など相手にせず、日米の二つの国を中心にして、今後の外交を進めていくしかない。とても 残念なことだが、日米韓の三か国の連携を強めるか、ぶち壊すかは、ひとえにこれからの韓 国の動向によって決まる。ここはどうか、賢明な選択をしてほしい。 (030215) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 子育て随筆byはやし浩司(604) 楽天的に生きる ワイフに、「楽天的に生きる秘訣(ひけつ)は何だ?」と聞くと、ワイフは、「性質の違いよ」と笑 う。そこで「どう違う?」と聞くと、「あなたは心配性よ。それは性質のようなものだから、しかたな いわね」と。 しかし考えてみれば、私たちは不思議な夫婦だ。性質がまったく正反対というか、結婚生活 が長いので、そうなったというか……。たがいにたがいの欠点や弱点を補いあいながら、生き ている。 たとえばワイフは、スーパーでものを買うときも、決して、レジのあの機械を疑わない。一方私 は、店員がものを通すたびに、金額を確認する。そして頭の中で、即座に計算をする。「お前 は、機械を信じすぎているようだ」と言うと、ワイフは「コンピュータで動くから、まちがえるわけ がないでしょ」と言う。 こうした傾向は、まさに一事が万事。「老後の資金はどうする?」と聞くと、「何とかなるわよ」 と。「お金が足りないよ」と言うと、「今住んでいる土地と家を売ればいいわよ」と。「病気(ガン) になったらどうする?」と聞くと、「簡単にはならないわよ。なったら病院へ行けばいい」と。さら に「お前は、いろんなことが心配にならないのか? 北朝鮮だって、いつ攻めてくるかわからな いぞ」と聞くと、「心配しても、しかたないでしょ。私、ひとりが考えても、どうにもならないでしょ」 と。いつしか私は、ワイフは、女の体をした、男と思うようになった。見方によっては、私より、は るかにたくましい? そう、私は子どものころ、「女」を、軽蔑していた。またそういうふうに育てられた。「女」と遊ぶ だけで、当時は、仲間はずれにされた。「女たらし」と言われて、バカにされた。だから中学を卒 業するまで、女の子と遊んだ記憶がない。経験もない。今でも、心のどこかにそういう思いが残 っている。だから今の今でも、ワイフに何かのことで負けたりすると、「チクショー」と思ったりす る。 一方、ワイフは、これまた変わった女性で、子どものころ、同性の女の子とは、ほとんど遊ば なかったという。いつも男の子と遊んでいたという。自分でも女と思ったことがないという。いわ ゆる「女なんて、大嫌い」というタイプの女性である。運転をしていても、ヘタクソな女性ドライバ ーに出会ったりすると、「やっぱり、女はヘタね」などと言う。そこで私が、「お前だって女だろ」と 言うと、「私は、ああいう女性とは違う」と言う。 どうやらこのあたりに、楽天的に生きる秘訣が隠されているようである。要するに、自分に居 なおりながら、ずうずうしく生きるということか。「自分に居なおる」というのは、「私は私。文句あ るの!」というふうに考えることをいう。別の言い方をすれば、サバサバ生きることをいう。その ワイフには、ワイフ独特の、ワイフ語録というのがある。 ●私は、家族のみんなが幸福になればそれでいいの。 ●どうせ死ぬまでの人生よ。それまで生きればいいの。 ●ちょうど死ぬとき、財産がゼロになればいいの。 ●生きていくだけなら、お金はかからない。 ●私は、今まで無事生きてこられたから、いつ死んでもいいの。 ●天国なんてあるわけないでしょ。今が天国なの。 ●私は死なないの。死んだとき死んだとわかる人はいないわ。だから死なないの。 私は仕事がら、毎日のようにいろいろな母親と接している。しかし私のワイフは、そういう母親 たちとも、明らかに違う。たとえば私は、ワイフが、息子たちに向かって、「勉強しなさい」と言っ たのを聞いたことがない。で、ある日、私が、「どうしてお前は、息子たちに勉強しろと言わない のか?」と聞くと、「あなたがいるからよ」と。「あなたが、じゅうぶんすぎるほどしているからよ」 と言ったこともある。しかし私のワイフなら、だれと結婚しても、息子や娘に、「勉強しなさい」と は言わないだろう。私のワイフは、そういう女性である。 もっともワイフがそういう性質でなかったら、私たちの家族は、今ごろは一家心中しているか もしれない。心中まではしなくても、深刻で、かなりクラーイ家族にはなっていたはず。だからワ イフについて、いろいろ不平、不満はないわけではないが、最近は、「まあ、私にとっては、す ばらしいワイフだ」と、ごく自然な形で、そう思えるようになった。 (030215) ●愛するものと暮らすには、ひとつの秘訣がある。相手を変えようとしてはならない。それが秘 訣である。(シャルドンヌ「エヴァ」) ●汝が良妻をもたば、幸福者にならん。悪妻をもたば、哲学者にならん。(ソクラテス「卓談」) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(605) メガネ このところ朝起きると、どこかモノがかすんで見える。白内障か?、と思ったが、原因は、メガ ネの汚れだった。もうこのメガネも、買って一〇年になる。硬質ガラスでできているというが、表 面は、すり傷だらけ。そろそろ買い替えの時期がきたようだ。 私がメガネをかけるようになったのは、中学一、二年のころではなかったか。周囲にメガネを かけている人が多く、私のばあい、メガネをかけるのに、それほど抵抗はなかった。以来、四 〇年以上、メガネをかけている。 メガネを嫌う人も多いが、もしメガネをかけていなければ、私は、三度、失明していただろうと 思う。一度は、山の中へタラの芽を取りに入ったときのこと。バシッとタラの木が、私のメガネを たたいた。タラの芽を取ろうと、木を引き寄せたときのことだった。あとで見ると、メガネの上と 下に、大きな切り傷ができていた。 もう一度は、バイクで運転していたときのこと。S湖のまわりを猛スピードで走っていたら、こ れまたバシッと、メガネに何か当たった。見ると、コガネ虫だった。コガネ虫がメガネに当たり、 メガネの上で飛び散っていた。 さらにもう一度は、こんな事件だった。中学二年生のM君と対峙して、数学を教えていたとき のこと。私が目を閉じたまま、うつらうつらと、M君の話を聞いていた。そのときだ。何を考えた か、M君が、シャープペンシルを、私の顔と机の間に立てた。私はそれを知らず、そのまま頭 を下へ振った。とたん激痛! シャープペンシルの先はメガネのおかげで目をそれ、眉間の下に突き刺さった。とたん、大 量の鮮血が顔面に飛び散った。もしそのときメガネをかけていなければ、シャープペンシルの 先は、まともの眼球に突き刺さっていた。そういう位置関係にあった。 だからメガネに、私は三度、目を守られたことになる。いろいろ不便はあるが、これからもず っとかけつづけるつもり。 そのメガネについての余談だが、私は、いわゆるメガネ族だから、どういうわけか、メガネを かけている人に親しみを覚える。女性でも、メガネをかけている人のほうに魅力を感ずる。これ はどういう心理によるものかわからないが、本当の話。 もう一つ余談だが、あのシャープペンシルをつき立てたM君は、いわゆるお宅族と呼ばれる 子どもで、幼いときからテレビゲームばかりしていた。そのためか、ものの考え方が、どこか現 実離れしていた。恐らくシャープペンシルをつき立てたときも、ゲーム感覚ではなかったか? このタイプの子どもは、何かにつけて常識ハズレになりやすい。 (030216)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(606) 半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう) 以前、「半夏者瀉心湯(はんげしゃしんとう)」には、壊れたDNAを修復する物質が含まれて いるというようなことを書いた。恩師のT先生が、先日、私の家に遊びにきたとき、そう話してく れた。それで私の家でも、以来、半夏者瀉心湯をのむようにした。 で、そのことをメールで、T先生に話すと、「半夏者瀉心湯ではなく、半夏厚朴湯です」とのこ と。私の聞きまちがいということになる。当日、いくつかの漢方薬をいくつか処方してみせたの で、それでまちがえたのかもしれない。 T教授のメールでは、こういうことらしい。 「林様: 私がなめるように言われたのは「半夏厚朴湯」です。 シャシントウは聞いたことはありません。 もしかしたら、 山荘で、いろいろお出しになった中にあったのかもしれま せん。 私は覚えてはおりませんが。 テニスクラブの中 の薬学のえらい先生(学士院賞も頂いている)の提唱です が、だまされたと思ってなめています。 クラブの中では 信者が少なくありませんで、中には、一つ手術をして、未 だ現にガンを持っている人で、あと2年と言われた人がも う5年経って元気、元気でテニスをしています。 その人 は勿論絶対の信者で、朝晩なめているそうです。 勿論人 によって違うかも知れませんが。 取り敢えず」と。 方法は、寝る前に、舌の上にのせ、体に吸収させるようにするとよいとのこと。この説を信ず るか信じないかは、みなさんの判断に任せる。私はT先生を信じているので、さっそく、半夏厚 朴湯をなめることにする。量は、市販のエキス細粒(真空乾燥で粉状になった薬)では、耳かき いっぱい程度の、小量でよいとのこと。私たち夫婦もそうしてなめているが、一日分の量で、二 人で一週間はもつ。「そんな小量でいいのですか?」と聞くと、「小量でいいです」とのこと。なお T先生は日本化学会の元会長。日本学士院賞も受賞している。 (030216) ●半夏厚朴湯は、もともとは婦人病の薬として知られている(金匱要略)。 胃腸が弱く、気うつ症などの神経症状に広く使われている。 不安神経症、神経性胃炎などにも効果がある。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(607) 雨の日曜日 コタツに入っていたら、いつの間にか居眠り。外は雨。昼なのに、夕方のよう。鉛色の空、す べてが元気なく、暗く沈んでいる。何かをしなければならないと思いつつ、しかしやることもな い。 昨日読んだ、心理学の本が気になる。その中に、夢判断のことが書いてあった。夢の内容に よって、その人の心の中の状態がわかるという。空を飛ぶ夢。列車やバスに乗る夢など。実 は、私はその両方の夢をときどき見る。 私はたいてい見知らぬ土地にいる。そしてどこかの旅館に泊まっている。が、朝になる。そこ で電車かバスに乗ろうとする。しかしまだ私はそのあたりをウロウロしている。時間だけが過ぎ ていく。「早く乗らねば、乗り遅れてしまう」と、ハラハラとあせる。たいていそんなところで目がさ める。 こういうのを悪夢という。いやな夢だ。こういう夢で、列車やバスは、「死」を意味するのだそう だ。その本にはそう書いてあった。つまり乗ってしまえば楽になると考えるのは、死への旅立ち を意味するのだ、と。 私がよく旅行している夢を見るのは、私の人生そのものが、旅行のようなものだからではな いのか。この土地に住んで三〇年以上になるが、いまだに、どこか落ち着かない。この家にし ても、仮の住まいという感じが、どうしてもぬぐいきれない。 つぎに夢を見ながらハラハラするのは、今に始まったことではない。若いころは、学校の夢を よく見た。テスト会場でテストを受けているのだが、時間がなくハラハラする。あるいはどこかの 会場に向かうのだが、その会場がどこかわからず、ハラハラする、など。今は、それが列車や バスに置きかわった? つまりそういう夢を見るときというのは、精神状態がかなり不安定になっているときとみてよ い。何か心配ごとがあり、それがつづいたようなとき、そういう夢を見る。ただこのところ、同時 に、夢の中で居なおることも多くなった。「乗り遅れてやれ」と、自分から乗り遅れることもある。 「乗り遅れても、どういうことはない」と、自分に言って聞かせることもある。空を飛ぶ夢にして も、山の上から飛びおりることもある。心のどこかで、「ああ、これは夢だ」とわかるときもある。 そういうときは、思う存分、空の散歩を楽しむ。 しかし私にとって夢というのは、リアルな映画のようなもの。ときどき寝る前に、「今夜はどん な夢を見るのだろう」と楽しみにすることがある。おかげで本当にこわい夢というのは、あまり 見ない。子どものころは、ロボットに追いかけられたというような夢を見たが、最近は見ない。 反対に、空にUFOが飛んできて、それをみんなで見あげるというような夢はよく見る。今も、居 眠りをして何かの夢を見た。少し前まで内容を覚えていたが、今は忘れてしまった。 何だったのかなあと思いつつ、外の庭を見ると、雨がやんだようだ。心もち空が明るくなった ような気がする。キーウィの棚からいくつかの水滴が、白く輝きながら、たれさがっている。そう いえば先ほど見ていた夢は、どこかの温泉に入っている夢だった。コタツに入ったまま居眠り すると、よく温泉に入っている夢を見る。なぜそういう夢を見るか? その理由など、改めて、こ こに書くまでもない。 (030216) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(608) 劣等感と依存性 ●劣等感を克服する二つの方法 本来なら、劣等感(コンプレックス)などというものは、少なければ少ないほどよい。しかし人 はだれしも劣等感をもっている。多かれ少なかれ、劣等感のない人はいない。それは人間が、 ある時期、子どもであったことによる。つまり子どもの世界からみると、おとなたちは常に、支 配者でしかない。子どもであるがために、いくらがんばっても、おとなには勝てない。体も小さ い。体力も弱い。知識や経験では、とても勝てない。そういう「思い」が、長い時間をかけて、子 どもの心の中に蓄積される。そしてそれが劣等感の原型となる。 だれしも劣等感をもっているとしても、その劣等感と戦う方法として、人は取りあえず、二つの 道から選択する。ひとつは、前向きに、つまりプラス方向に戦う方法。何とか、周囲のものを見 返してやりたいと思うのがそれ。このタイプの人は、名誉や地位、肩書きを求め、他人より優位 に立つことで、その劣等感を克服しようとする。 もうひとつは、反対に、自分をより下位に置くことにより、相手の同情を誘ったり、援助を求め る方法。前向きに戦う方法を、プラス型というなら、こちらはマイナス型ということになる。こうい う傾向は、女性に多い。ある女性(六〇歳)は、ことあるごとに、自分の息子や娘にこう言って いた。「お母さんも、歳をとったからねエ〜」と。このタイプの女性は、そう言いながら、言外で、 「だから何とかしてほしい」と言う。つまりそう言いながら、相手が、「では、何とかしてあげます よ」と言うのを待っている。 ●マイナス型の克服法 一見、正反対に見える方向性だが、プラス型にせよ、マイナス型にせよ、この二つのタイプに は、大きな共通点がある。それはともに、相手を支配したいという欲望である。つまりプラス型 は、自分を相手よりより優位な立場に置くことによって、相手を支配しようとする。一方、マイナ ス型は、相手に同情させ、援助させることにより、相手を自分の支配下に置こうとする。 ある母親は、息子(四〇歳)から、電話がかかってきて、息子が、「お母さん、生活費はある のか?」と聞くと、いつもこう言っていた。「お母さんはね、イモを食べていればいいんだよ。近 所の友だちが、先週、イモを届けてくれてね。それを毎日食べているから、心配しなくていいよ」 と。 つまりこの女性は、「心配しなくていいよ」と言いながら、その実、子どもに心配させている。心 配させながら、子どもから援助を引き出そうとしている。が、それだけではない。そういう息子 を、一方的に、「親思いの、いい息子」と位置づけることによって、自分の親としての優位性を 保とうとしている。 こういう心理、つまり、自分の劣等性を、何らかの形で補おうとする心理を、心理学の世界で は「補償」という。こうした補償は、多かれ少なかれ、ほとんどの人に見られる。が、その中で も、自立心の弱い、つまりは依存心の強い人ほど、その傾向が強い。 それをさらに説明するために、二人の人を想定してみる。 ●二つのタイプ 一人(A氏)は、仕事人間。明けても暮れても、考えることは、仕事のことばかり。出世が生き がいで、いつも「いつかは自分もそれなりの人間になって、社会から認められたい」と願ってい る。 もう一人(B氏)は、いわゆるダメ人間。何をしても失敗ばかり。仕事もうまくいかない。努力も しない。まわりの人が、「あなたは本当は、やればできるはず」と励ませば励ますほど、怠(な ま)けてしまう。 この二人も、見たところ、まったく正反対の人間に見える。A氏はたいへん自立心が旺盛。生 活態度も、積極的で、攻撃的だ。それにくらべてB氏は、自立心が弱く。生活態度も、消極的 で、防衛的。しかしA氏もB氏も、自分の劣等感を克服しようとしている点では、共通している。 A氏は、「何とか認められたい」と思って、そうしている。「私はすばらしい人間なのだ。だから人 が私に従うのは当然だ」と思うことで、自分の優位性を保とうする。一方、B氏も、相手に「やれ ばできるはず」と思わせて、自分の立場をとりつくろっている。「やればできるのだが、自分が ダメなのは、やらないからだ」と、そう相手に思わせることで、自分の優位性を保とうとする。 少しわかりにくいかもしれないが、B氏のようなケースは、子どもの世界ではよく見られる。 ●「やればできるはず」と思わせて、自分の立場を守る たとえばC君(小五)は、たいへん学習態度が悪い。授業中も、ふざけて遊んでばかりいる。 先生が何かを注意しても、それを茶化したり、あるいは適当にごまかしてしまう。もちろん成績 も悪い。 そういうC君をよく観察すると、ふざけることによって、自分の立場をとりつくろっているのがわ かる。まじめに学習し、まじめに取り組んで、それで勉強ができなければ、自分はバカだという レッテルを張られてしまう。そこでC君は、自らふざけることによって、そのレッテルが張られる のを避けようとする。先生やまわりの仲間に、「ぼくは本当は、やればできる人間なのだが、で きないのは、まじめにやっていないからだ」と思わせる。思わせることによって、自分の立場を 守ろうとする。 こんなケースもある。N君(小六)は、親の期待と、自分の実力のギャップの中で、悩んでい た。……悩んでいるはずだった。親は「何とかA中学へ」と言っていた。しかしN君には、その力 がなかった。多分そのとき、C中学どころか、D中学ですら、あぶなかったかもしれない。そこで 私はN君に、こうアドバイスした。「君の力は、君が一番よく知っているはずだ。だったら、一 度、お父さんに君の力を、正直に話したほうがよい」と。 しかしN君は、決して、自分の実力のことは話さなかった。話せば、自分の立場がなくなってし まうからだ。N君は、父親や母親には、「やればできる」と思わせることで、自分の立場を守って いた。自分のわがままをとおしていた。「成績が悪いのは、先生の教え方が悪いからだ」「成績 が悪いのは、部活動が忙しく、勉強時間がないからだ」と。 ●結局は依存性の問題 こうした劣等感を、なぜもつかといえば、結局は、その人の依存性の問題に行きつく。もし真 の意味で、自立心が旺盛であるなら、そもそも劣等感など、もたない。「私は私。人は人」という 生きザマをつらぬく。が、依存性の強い人は、それができない。できない分だけ、劣等感をも つ。 わかりやすい例では、容姿コンプレックスがある。鼻が低い、肌が黒い、足が短い、など。そ ういう劣等感をもつ人というのは、結局は他人に依存したいという思いが転じて、劣等感とな る。この時点で、「私は私。人は人。人が何と思おうが、私には関係ない」という姿勢があれ ば、容姿コンプレックスなど、吹っ飛んでしまうはず。 が、その依存心を払拭(ふっしょく)できない。だからたとえば、顔を整形をしてみたり、あるい は、人前に出るのを避けたりするようになる。ある女性は、テレビの番組の中で、こう話してい た。「整形をしたおかげで、人生が、バラ色になりました。生きザマも前向きになりました。それ までの私は、人前に出るのもいやで、家の中にずっと引きこもったままでした……」と。その女 性は、その番組の中で、整形手術を受けていた。 しかしその女性は、何も変わってはいない。「変わった」と思っているのは、彼女の脳の中で も、表面的な部分だけ。もっとはっきり言えば、彼女自身の本質、つまり依存性は、何も変わっ ていない。「生きザマが前向きになった」といっても、依存性そのものが消えたわけではない。 先の例でいうなら、B氏的だった彼女が、A氏的になっただけにすぎない。 要するに、表面的な症状には、だまされてはいけないということ。とくに子どものばあいはそう で、一見、正反対に見える子どもでも、その中身は同じということは、よくある。その一つの例と して、ここでは劣等感を考えてみた。 【教訓】 ●子どもたちに、一方的に、おとなの優位性を見せつけたり、押しつけてはいけない。おとなの 力で、子どもをねじ伏せたり、やりこめてもいけない。子どもに不要な劣等感をもたせないため には、ときには、バカなフリをしたり、負けたフリをして、子どものほうを優位な立場に立たせ る。そしてそうすることによって、子どもに依存心をもたせることを防ぐことができる。 (030216) 【追記】 この原稿を読んで聞かせると、ワイフはこう言った。「整形する人というのは、整形する前も、 そして整形したあとも、他人の目を気にしているのね。つまりは他人への依存性という点では、 何も変わっていないのね」と。 ワイフのこの言葉は、よく的(まと)をとらえているので、ここに追記として、記録しておく。それ にワイフはこうも言った。「本当に自立心のある人は、他人の目など気にしない。他人に認めら れるとか、認められないとか、そういうことは関係なく、マイペースでいくものね」と。この言葉 も、たしかに的をとらえている。そしていつしか話は、鈴木M氏という政治家の話になった。昨 年、贈収賄事件で逮捕された政治家である。 「ああいう政治家を見ていると、劣等感のかたまりのような気がする」と私。 「そうね、ああいう政治家は、自分の劣等感をごまかすために、政治家になったようなものね」 とワイフ。 「出世欲、名誉欲にとりつかれた人というのは、たいていこのタイプの人と見てよい」 「自分の劣等感を克服するために……?」 「いいや、そのやり方では、本当のところ、克服はできない」 「じゃあ、どうすればいいの?」 「劣等感というのは、心という内面世界の問題だろ。いくら外の世界で自分をとりつくろっても、 克服はできない」 「自分をつくれということ?」 「そういうことになる」 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(609) 権威主義と依存性 ●生まれながらの劣等感 親が権威主義的であればあるほど、子どもには依存性がつく。「どういう関係があるのか?」 と思う人もいるかもしれない。 子どもは生まれながらにして、おとなに対して、かぎりない劣等感をもつ。子どもがおとなにな るというのは、まさにその劣等感との戦いであるといってもよい。私も子どものころ、父にどうし ても将棋に勝てなかった。そのつど挑戦しても、あっという間に負かされた。が、そのうち、将棋 には定石というものがあるのを知った。そこで私はどこからか定石の本を手に入れ、その定石 どおりに将棋をするようになった。とたん、私は見ちがえるほど、強くなった。そして中学へ入る ころには、ときどき反対に父を負かすようになった。 私のばあい、ラッキーなことに、父はそれほど権威主義的ではなかった。親としての威厳もあ まりなかった。民主的でもなかったが、しかしいろいろな面で、父は穴だらけの人間だった。子 どものときから、その穴をよく知っていた。何をしても、父は不器用で、それにへただった。魚を いっしょに釣りに行っても、私のほうがたくさん釣った。そういう意味では、いつも、「おやじなん か、たいしたことない」と思っていた。言いかえると、私は生意気な子どもだった。 しかしそういう生意気さは、むしろ子どもの成育には、大切なものである。「親を親の前で負 かす」という子どもの姿は、旧世代の人にとっては許しがたい態度かもしれない。しかし子ども は、「親を負かす」ことから、おとなの世界に挑戦していくということを学ぶ。そして真の自立心 は、そういう挑戦的な姿勢の中から生まれる。 ●子どもの自立を殺す権威主義 が、一方、子どもの真の自立心を押し殺してしまう親がいる。問答無用式に、親の考え方や 生きザマを押しつけてしまう。結果として、子どもは、親に依存するようになり、その分、自立で きなくなってしまう。その押し殺す道具としてよく使われるのが、「権威」である。 もちろんだからといって、すべての権威を否定するわけではない。また自立心がない子ども の原因が、すべて権威によるものだと言っているのではない。私がここで言いたいのは、えて して権威は、子どもを黙らせる道具として使われ、その結果、子どもに依存心をもたせることが あるということ。そういう意味で、親がもつ権威主義には、じゅうぶん注意したらよいと言ってい る。 こんな例が正しいかどうかはわからないが、私が子どものころ、祖父はよくこう言った。「学校 の教科書に書いてあったから、まちがいない」と。 それがここでいう権威主義である。「教科書は絶対」という大権威。その大権威を前にして、 祖父は、疑うことすらしなかった。そして一も二もなく、それに従ってしまう。それがここでいう依 存性である。今でも、権威のある人の意見だと、ミソもクソもありがたがる人はいくらでもいる。 ありがたがるのは、しかたないとして、その分、その人は自分で考えるのを放棄してしまう。 これと同じようなことが、実は親子の間でも起きる。たとえば親の権威が強すぎて、子どもが その陰で小さくなっているようなケース。こういうケースでは、子どもは一方的に親に依存する ようになる。親を絶対と思うことによって、親に対して、服従的な姿勢になる。親のほうから見れ ば、従順で、いわゆる「かわいい子」にはなるが、その子どもは自立できなくなってしまう。中に は途中で猛反発して、親から去っていく子どももいるが、たいていはそのまま自立できなくなっ てしまう。 ●私の母のばあい 実のところ、私の母は、女性でありながら、まさに権威主義のかたまりのような人だった。何 かにつけて、私の母は「親に向かって! (何ということを言うのだ!)」と、私をよく叱った。母 にしてみれば、親は絶対的な存在であり、その親にたてつくなどということは、子どもとしてある まじきこと、ということになっていた。では、その母が、それだけ自立心が旺盛であったかという と、そうではない。むしろ自分の権威を子どもに押しつけることによって、私たち子どもに依存し ようとしていた。もう少しわかりやすく言うと、権威を押しつけることによって、子どもを、自分の 支配下に置こうとした。つまり自分が依存しやすい子どもをつくるために、権威を、私たちに押 しつけていた。こうした母独特の生きザマは、「親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちる」という、 母がよく口にする言葉に、よく表れている。 母は今でも、私が何か口答えをすると、こう言う。「親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちる」 と。残念ながら私は、地獄というものを信じていないから、「地獄へ落ちる」と脅されても、どうと いうことはない。しかし母のような、熱心な信心者だったら、その言葉一つにおびえるだろう。つ まりそういう意識をもって、私をおどす。母にすれば、親を批判するなどということは、もっての ほかということになる。それはわかるが、その一方で、「地獄へ落ちる」と、子どもをおどすとこ ろまでする。これは親の権威をキズつけたら、地獄へ落ちる。だから親に従えということを意味 する。しかしなぜそういうふうにおどすかと言えば、私という子どもを自分の支配下に置きたい から。そして私という子どもに依存したいからにほかならない。 ●権威主義 どうも話がうまくまとめられないが、権威主義のこわいところは、それが強ければ強いほど、 子どもを劣等感の世界に閉じこめてしまうということ。私はよく水戸黄門の葵の紋章を例にあ げる。水戸黄門の側近のものが紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、まわりのものが、 一斉に頭をさげる。日本人には、たまらないほど痛快な場面だが、そのおかしさは、今の北朝 鮮を見ればわかるはず。ああいう国では、民衆は自由にものを考えて、自由に行動することす らできない。同じように、権威主義的な家庭環境の中では、家族は自由にものを考えて、自由 に行動することすらできない。そればかりか、家族、なかんずく子どもに、隷属意識が生まれ る。この隷属意識が、子どもを、自ら劣等感の世界に閉じ込めてしまう。 つまり親の権威主義など、百害あって一利なし。どこをどうつついても、肯定的な面が出てこ ない。中には、親の権威は大切だとか、さらには、江戸時代の武士道までもちだして、権威主 義を肯定する人もいる。いろいろな思いがあって、そういう人たちは、そういう主張をするのだ ろうが、これからはそういう時代ではない。またそうであってはならない。 もし権威にかわるものがあるとするなら、「尊敬」ということになる。たとえ親子でも、一対一の 人間関係の中で考えたらよい。その上で、「尊敬する」「尊敬される」という次元で考えたらよ い。親の威厳があるから、尊敬されるということではない。威厳がないから、尊敬されないとい うことでもない。しかし親は、子どもに尊敬される存在でなければならない。また、これからの親 は、それを目ざす。 このつづきは、また別の機会に考えてみたい。まだ頭の中で、はっきりしていないので、どう もうまくまとめられない。だから今日は、ここまで。 (030216) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(610) ●島根県のUYさんより はじめまして。 HPをよく拝見させて頂いています。 娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。 娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。 小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし た。 それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。 話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。 真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に は見えません。 走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。 そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。 物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。 私自身、過関心であったと思います。 気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。 今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について は、それでは分からないという事を伝える様にしています。 できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。 また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。 食べ物の好き嫌いは全くありません。 そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。 心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの でしょうか。 また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。 泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私 が折れる事はありません。 その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。 そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出 来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。 自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま す。 できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。 【UYさんへ、はやし浩司より】 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう 書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以 上、なおるはずもないのです。 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿 は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。 +++++++++++++++++ 汝(なんじ)自身を知れ 「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し い。こんなことがあった。 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学 校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。 ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな 子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない 子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」 ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。 話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部 分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに 振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって 自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、 いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中 にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。それに気づくこ とが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分で ない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。 ++++++++++++++++++ おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、 子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。 意識には、大きく分けて@潜在意識と、A自意識(自己意識)があります※。潜在意識という のは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことです。い ろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育ってき ます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分でコント ロールすることができるようになるわけです。 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待 しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。 ●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子 でした。 ●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。 ●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。 ●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度 には見えません。 ●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで す。 ●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもあり ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話 しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので す。たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞 説、ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ でも、いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、 赤ちゃんがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんの メールによると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、 心配先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数か ぎりなく、話が出てきてしまいます。 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」 とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性 の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。むしろ問題は、そのことで はなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視することによって、子どものほかの よい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」という指導が日常化します と、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナス型になることもありま す。 私も幼児を三五年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子 さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収ま ってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからで す。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっ こよくしたい」「みんなに認められたい」と。 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)ただも う一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になっているよう なら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿(中日 新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で はないか?」「過干渉ではないか?」と。 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人 は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を 繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか もしれません。 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作 はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動 く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ う考えてみてください。 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まってい きます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一 方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。ですから、愛情の 糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツは、完ぺきな子ど もを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らないというのは、子ど もの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度は、子どもの心そ のものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそ ういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心 を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは 何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。 ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そし て、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださ ると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしん ちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一 度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2ー25号に掲載しま すが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至 急、お知らせください。 (030217) ※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考 え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった 状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳 くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ ァミリス」03・3月号)。 ++++++++++++++++++++++ 子どもの脳が乱舞するとき ●収拾がつかなくなる子ども 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突 然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。 その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち らの頭のほうがヘンになる。 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が 急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人 に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに 数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑 えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。 ●崩壊する学級 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病 欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九 〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」 (六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。 ●「荒れ」から「新しい荒れ」へ 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが 最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの 教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。 日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を 感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」 (一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。 ●原因の一つはイメージ文化? こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊 家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、 アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期 に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレ ビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎ る。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎ る。 ●ゲームは右脳ばかり刺激する こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その 証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚 が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直 感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつか さどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こ うした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えている ことはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということにな る。 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を あげる。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(611) 二種類の代償的愛 子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいという、親のエゴに基づいた愛 を、代償的愛という。子どもを、自分の不安や心配を解消するために利用する。自分の果たせ なかった夢を実現させるための道具に使うこともある。いわば愛もどきの愛。自分勝手な愛。 子どもの受験勉強に狂奔する親もその一つ。「子どものため」を言いながら、結局は、自分の 不安を解消するためにそうしている。 この代償的愛には、二種類ある。一つは攻撃的に、子どもを支配するという代償的愛。私は 『攻撃型代償的愛』と呼んでいる。「子どものことは私が一番よく知っている」という過信のもと、 何かにつけて命令口調になるのが特徴。 もう一つは、子どもに同情させ、その同情心を利用して、結果的に子どもの心を支配するとい う代償的愛。私は『依存型代償的愛』と呼んでいる。涙ぐましいほどまでに、「いい親」を演じな がら、子どもにそう思わせるのが特徴。 親によっては、こうした二種類の代償的愛を、子どもによって使い分けることがある。たとえ ば長男には攻撃型代償的愛を、二男には依存型代償的愛を、というように。さらに、年齢に応 じて、変化することもある。若いときは、攻撃型代償的愛を繰り返し、老年になると、依存型代 償的愛を繰り返すようになるなど。 もともとこのタイプの親は、自立できない、依存性の強い親とみてよい。あるいは真の親の愛 にめざめることができない、未熟な親とみてよい。そういう自分の心のスキマを埋めるために、 子どもを利用する。原因はいろいろあるが、その人自身の精神的未完成さが原因になってい ることが多い。 Tさん(八〇歳女性)は、長男(五五歳)には、攻撃型代償的愛を、二男(五〇歳)には、依存 型代償的愛を繰り返していた。一見すると、まったく異なった接し方に見えるが、「代償的愛」と いう点で、共通している。 まず長男については、その結婚に、ことごとく反対してきた。「へんな嫁をもらうと、財産が食 いつぶされる」というのが、その理由だった。長男は、どこかいつも病気がちで、ハキのない男 だった。二人の関係を近くで見たことがある人は、こう言った。「まるで主人と奴隷の関係のよ うだった」と。Tさんは、小さな荷物ですら、決して自分ではもたなかった。すべて長男にさせて いたという。 一方、二男については、こんなことがあった。二男が結婚すると報告したとき、Tさんは、「悔 しくて、悔しくて、一晩中、泣き明かした」という。恐らく息子を取られたという悔しさで、そうした のであろう。こうした感覚は、そうでない人には理解できないものかもしれない。Tさんは、今で もこう言っている。「息子なんて、育てるもんじゃ、ないですね。親なんて、さみしいもんですわ。 息子は横浜の嫁に取られてしまいました」と。 こうした代償的愛は、決して、「愛」ではない。Tさんについても、Tさんは口ぐせのように、「子 どもはかわいい」と言っているが、それは自分をなぐさめる道具として、そう言っているに過ぎな い。だから子どもが自分から離れていくのを許さない。Tさんにしても、昔からの茶碗屋を経営 しているが、長男には、給料すら渡したことがない。「私が管理していたほうが安全だ」「息子に 渡すと、パチンコ代に消えてしまう」と。一方、二男からは、そのつど、お金を取りあげていた。 実は、その取りあげ方が、たくみである。 Tさんは、二男の前では、頼りない、細々とした言い方をする。電話などでは、今にも死にそう な声で話す。つまりそういう話し方をしながら、まず自分に同情を寄せる。 T「母さんは、夜なべをして、手袋、編んであげたよ」 子「ありがとう、お母さん」 T「いいんだよ。父さんは、土間でわらうち仕事をしているからね」 子「ありがとう、お母さん」 T「心配しなくていいよ。あかぎれがひどいときには、生ミソすりこんでいるからね」 子「痛くないの?」 T「いんだよ、いいんだよ。根雪も溶ければ、畑仕事も待っているからね」と。 子「生活費はあるのか?」 T「心配しなくてもいいよ。母さんは、何とかやっていくからね……」と。 このタイプの母親は、子どもに心配をかけることにより、つまり子どもの同情心をたくみに引 き出すことにより、子どもを自分の支配下に置こうとする。そして結果として、子どもを、自分の 思いどおりにコントロールする。いたたまれなくなって二男がお金を送ると、「大切に使わせても らうよ」などと言ったりする。「あなたのかわりに、先祖様を守ってあげるからね」と言うこともあ る。 子どもに対してだけではない。周囲の親戚や、近所の人たちにも、同じように行動する。だか ら、このタイプの人は、周囲の人たちには、すばらしい人という印象を与えることが多い。Tさん も、近所では、「仏様」と呼ばれている。何一〇年もかけて、そういう技術をみがいた? さて、問題は私たち。私たちはどうか? 代償的愛でもって、子どもを愛していると錯覚してい ないだろうか。あるいはときに攻撃的になったり、依存的になったりしていないだろうか。あなた 自身の「愛」を一度、ここで確かめてみるとおもしろい。 (030217) 【追記】 親の代償的愛を受けた子どもは、どうなるかという問題がある。すべての溺愛が、代償的愛 とは言えないが、溺愛は、この代償的愛に似ている。多くの部分で重なっている。で、子どもは 子どもで、こうした親の代償的愛に気づくとことは、まずない。むしろ、自分は親の深い愛に包 まれていたと錯覚することが多い。たとえばマザコンタイプの男性。 このタイプの男性は、親にベタベタ甘え、そして親孝行を最高の美徳と位置づける。そのため 親を、絶対視し、「私の親はすばらしい親だ。だから尽くすのは当然」というような考え方で、自 分のマザコン性を正当化する。だれかが親の悪口を言おうものなら、それに猛然と反発したり する。たとえ妻(嫁)でも、それを許さない。最近も、私の近辺で離婚した女性がいる。その女性 の元夫もそうだった。しかしこのタイプの男性は、「母親か妻か、どちらを選べ」と迫られると、 母親を選ぶ。そして離婚して出ていく妻に対しては、「できの悪い嫁だったからしかたない」と考 える。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(612) 私たちの本当の敵とは……? 私は一九六八年に、韓国に渡った。まだ日韓の間に国交のない時代で、私は、UNESCOの 交換学生として、渡った。 プサン港へ着いたときは、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日、一日だ け。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。しかしそれは想像を絶する、日本 攻撃だった。 これはあくまでも仮定論だが、もしあのころ、日本にアメリカ軍が駐留していなかったら、日本 は、韓国もしくは、北朝鮮に占領されていただろうと思う。当時、日本の自衛隊は、約六万人 強。かたや韓国軍は、一八万人弱。それだけではない。韓国は完全な徴兵制を敷いていた。 国民すべてが、銃の使い方、大砲の撃ち方に精通していた。私は彼らが日本に対してもつ憎し みを知るうち、「日本がつぎに戦争するとしたら、相手は韓国だろうな」と思った。 それから約三五年。日本はかろうじて平和を保つことができた。軍事費にそれほど多額の費 用を使うこともなく、また徴兵制を敷くこともなく、今まで平和を保つことができた。しかしここで 誤解してはならないのは、日本が平和を保つことができたのは、日本人が平和を守ったわけで も、また平和を愛したからでもない。ここにも書いたように、アメリカ軍が、日本にいたからであ る。 もし当時、日本にアメリカ軍がいなければ、韓国や北朝鮮は、当然のことながら、日本に攻 め入っていた。つまりそれくらい彼らの憎しみは、大きかった。またそういう憎しみを買ってもし かたないようなことを、日本は彼らに対してした。……してしまった。もしそのことがわからなけ れば、反対の立場で考えてみればよい。 ある日突然、圧倒的な軍事力をもつ北朝鮮が、日本の九州に上陸してきた。そしてまさに破 竹の進撃を繰り返し、一週間のうちには、東京都まで占領してしまった。以後、金XXの銅像へ の参拝を義務づけられ、かつ三人以上が集まって日本語を話すのも禁止されてしまった。これ に違背したものは、北朝鮮の憲兵によって容赦なく逮捕され、裁判にかけられることもなく投 獄。こんな状態が、何と、三〇年近くもつづいた! 私たちを直接指導してくれたのが、あの金素雲氏(韓国を代表する詩人)だったこともある。 私は当時の手帳にこう書いた。「日本の教科書はまちがってはいないが、すべてを書いていな い」と。 他国の軍事政権が、その軍事力にものを言わせて、自国へ侵略してくることへの恐怖という のは、相当なものだ。それもわからなければ、今、ここであの北朝鮮が日本へ侵略してきたと きのことを、ほんの少しだけ頭の中で想像してみればよい。それともあなたは、北朝鮮が日本 へ侵略してきても、平気とでも言うのだろうか。あの北朝鮮が、である。当時の日本といえば、 今の北朝鮮以上に北朝鮮的であった。 が、日本があぶなかったのは、そのときだけではなかった。それをさかのぼる一〇年前、日 本は、当時の中国に報復されても、少しもおかしくない状態だった。今から思うと、このときも、 日本はアメリカ軍に守られた。もし六〇年代に、日本にアメリカ軍が駐留していなければ、日本 はほぼ確実に、中国の植民地になっていた。中国にしても、いつなんどき、日本を植民地にし てもおかしくない状態だった。日本は、それくらいのことをされても文句言えないようなことを、 中国に対しても、してしまった。 こう書くからといって、何も、アメリカのおかげと言っているのではない。歴史というのは、無数 の偶然と必然が重なって決まる。考えようによっては、今の日本は、アメリカの植民地のような もの。また仮に今、中国の植民地であったとしても、私たちは今と同じように、結構、ハッピーな のかもしれない。北朝鮮の人だって、テレビで見るかぎり、みな幸福そうだ。今の日本だって、 外の世界からみれば、役人たちにぎゅうぎゅうに管理された官僚主義国家だが、この日本の 中で住んでいると、それもよくわからない。結構、私たちは私たちなりに、自由だと思っている。 それはそれとして、今、日本はたいへん危機的な状況にある。今後の展開のし方によって は、戦争になるかもしれない。日本には、その気はなくても、相手はそうではない。しかしこの 状態は、今、始まったわけではない。六〇年代にも、七〇年代にもあった。今もあるし、これか らもある。もちろん世界が平和であるにこしたことはないが、しかし平和などというものは、少な くとも今のこの地球では、幻想でしかない。では、どうするか? 私たちはともすれば、「自分だけの平和」「自分の国だけの平和」を考える。しかしそれでは、 足りない。相手の国の平和を保障してあげてこそ、自分の国の平和を守ることができる。 つぎに、戦争はいやだからという論理だけで、平和を求めてはいけない。戦争というのは、ど ちらか一方が逃げ腰になったとき、キバをむく。言いかえると、平和を守るということは、積極 的に、戦争と向かいあわなければならない。そこに暴力団がいるなら、ばあいによっては、そ の暴力団と戦わねばならない。いわゆる何もしない平和主義というのは、この世界では偽善で しかない。 そして三つ目に、私たちは平和を口にしたら、同時に、敵は私たち自身だと自覚する。仮に 北朝鮮と戦争状態になっても、敵は北朝鮮ではない。金XXでもない。私たちの敵は、私たち自 身である。私たちの心の奥に潜む、邪悪な心である。どんな戦争も、たがいの当事者たちは、 自分が正しいと信じてそれをする。相手がまちがっていると信じて戦争をする。しかしそれで は、「戦争」は解決しない。平和な世界はいつまでたっても、やってこない。戦争を解決し、平和 な世界にするためには、私たち自身が変わらねばならない。そのために自分自身の中の敵 と、私たちは戦う。 で、この中でとくに重要なのは、やはり三番目。少し抽象的な言い方でわかりにくいかもしれ ないが、このことは、暴走族どうしの抗争を想定してみるとわかる。二つの暴走族のグループ が、縄張りを争って抗争、つまり戦争を起こしたとする。当のグループたちには、それぞれに言 い分があり、また正義があるかもしれない。しかし全体としてみれば、彼らが本当に戦うべき相 手は、もう一方のグループではなく、自分自身の中に潜む、邪悪さである。が、本人たちには、 それがわからない。わからないから、いつまでたっても、なぜ繰りかえすのかさえわからないま ま、同じような抗争事件を繰りす。 さて、このエッセーの結論。 とても残念なことだが、私たち日本人は、大きなまちがいを犯した。戦争というまちがいであ る。が、そのまちがいもさることながら、さらに戦後、その責任を回避しつづけた。今も、回避し ている。見方によっては、これも大きなまちがいである。日本人として、自分たちのまちがいを 認めることは、たいへんつらい。つらいが、一度、このあたりで、過去を清算しないと、そのまち がいは、いつまでもつづくことになる。 今から三五年前、韓国から帰ってきた私に対して、「君は、韓国に洗脳されたのか?」と言っ た人がいた。ごく最近も、「君は日本人だろ。どうしてその日本人が、日本を悪く言うのか」と言 った人がいる。しかし私は韓国に洗脳されたわけでも、日本を悪く言っているのでもない。私は 私たち自身の中に潜む邪悪さこそが、悪いと言っている。悪いことをしたことを認めないで、そ れから逃げてまわるのも、その邪悪さの一つということになる。そういう邪悪さと戦うことこそ、 今、私たちに求められている。三五年前の、あの韓国の人たちの燃えるような憎悪の念を思 い出すたびに、私は、そう思う。 (030217) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(613) 男はロマンティスト 恩師のT教授の奥さんがなくなって、もう二〇年以上になる。このところときどきその奥さんに ついて、T教授がこう書いてくる。「あの世へ行ったら、ながく待たせたねと言って、妻に謝りま す」と。そのメールを読んで、ジーンときた。 しかし、だ。私のワイフにこの話をすると、こう言った。「本当に待っていてくれるかしら。私な ら、向こう(天国)で、再婚してるわ」と。「どういうことだ?」と聞くと、「だから男はおめでたいの よ」と。 ワイフの説によると、こうだ。女性というのは、男性が考えているほど、ロマンティストではな い。だから二〇年もほうっておかれたら、再婚する、と。「男っておめでたいから、きっと待って いてくれると思っているのね。しかし女にも女の立場があるのよ。二〇年も待っているわけない でしょ」と。 この話には、少しショックを受けた。もしこんな話をT教授に話したら、T教授は、もっとショック を受けるかもしれない。T教授は、あの世で奥さんに会うのを、何よりも楽しみにしている。先日 の返事でも、私はこう書いた。「きっと奥さんが、金の橋の向こうで待っていてくれますよ。お楽 しみに!」と。 しかしワイフの言うことにも一理ある。男は別れた女性のことを、いつまでも思っている。しか し女性のほうは、そうでない。別れたとたん、その男性のことを忘れる。(これはあくまでも、ワ イフの説だが……。)「別れたあとも、男って、女も自分のことをずっと思っていてくれると思うも のらしいわね。でも、そんなこと、ないわ」と。 そこで私は恐る恐る、こう聞いた。「もしお前が先に死んだら、向こうで、再婚するか?」と。す るとワイフは、「そうね、するかもね。しかしもう結婚はめんどうだから、いや」と。そこで「じゃ あ、お前は先に死んでも、待っていてくれないのか」と聞くと、少し迷ったあと、「さあねえ、待っ てるでしょうね」と。何とも冷たいワイフではないか。「ぼくなら待っているぞ」と言うと、「そうね え、あんたなら待ってるでしょうね」と。 そのうち霊界インターネットというのも、できるかもしれない。霊界と、この世をつなぐインター ネットだ。いや、もう気のはやいカルト教団の連中なら、考えているかもしれない。カルトの世界 にも、ハイテクがどんどん入り込んでいる。クローン人間やUFOを、教団の教えにおいている カルト教団すら、ある。しかし本当に霊界とつながったら、おもしろい。 「ええ、奥さんですか?」 「はい、そうです」 「先生がさみしがっていますから、会いにきてあげてくださいな」 「はあ、もうこちらで再婚しましたから……」 「ええっ! 再婚なさったのですか?」 「そうですよ。あんな気難しいダンナなんて、こりごり」と。 しかし方法がないわけではない。生前のデータをすべて、どこかにプールしておく。そしてそ の人が死んだあと、そのデータにインターネットでアクセスする。そして相手の質問に応じて、コ ンピュータが予想される会話を合成し、答える。そういうことができるようになれば、あたかも霊 界とインターネットしているかのような感じになる。 「もうそろそろ、私も死ぬからな」 「そうね、早くいらっしゃいよ。こちらは楽しいわよ」 「そうか。もうお前が死んでどれくらになるかねえ」 「一六七二日と一四時間三四秒よ」 「もうそんなになるのか?」 「そうよ。あんたも年をとったわねえ」 「うん、もうすぐ八〇歳だ」と。 こういうことを想像するのも、私という男がロマンティストのせいかもしれない。現実はもっと、 シビア。そうそうこのエッセーを、恩師に送ろうかと思ったが、やめた。先にも書いたように、こ んなエッセーを読んだら、恩師はショックを受けることだろう。純朴な先生だからこそ、ここはそ っとしておいてやる。 (030217)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(614) 学習塾、どん底の時代 ●変わる親の意識 数年前から、学習塾(いわゆる受験目的とした進学塾)に、大きな変化が現れている。一九 九五〜七年前後を境に、都会における学習塾数、講師数は、ともに減少に転じたが、それが このところ、さらに拍車がかかってきた。 国民生活金融公庫が行った調査によれば、つぎのような結果が出た。 学習塾や英会話学校など学校外の教育を受講している子どもの割合が今年度は21.3%と なり、昨年度に比べ4.6ポイント減ったという。その理由としては、 「必要性を感じない」が34.2%、 「費用の負担が重い」が28.2%、 「子どもが希望していない」が25.4%となっている。 特に高校生を持つ家庭では半数近い45.2%が「費用負担の重さ」をあげており、デフレ不 況で親の給料が削減される中、そのしわ寄せが子どもの教育費に影響している現状が、これ でよくわかる(TBS報道)。 ●きびしさは、どこも同じ もちろんこうしたきびしさは、学習塾だけにかぎらない。日本全体が、そのきびしさの真っ最 中にある。教育機関とて例外ではない。私立幼稚園にしても、少子化の並をもろにかぶってい る。私立幼稚園の経営ボーダーラインは、二〇〇人(園児数)と言われているが、そのボーダ ーラインを切る幼稚園が、続出している。 進学塾にいたっては、さらに深刻である。今では、個人の進学塾で、生き残っている塾はほと んどないとみてよい。大半がすでに教室を閉じたか、もしくは塾長自身が別の仕事を兼業して いる。残るは生徒数が三〇〇人以上という、大手、中堅の進学塾だが、こちらのほうも経営は きびしい。これから数年をかけて、さらに淘汰(とうた)が進むものとみられる。 ●本物が生き残る? もっともこういう中、しぶとく生き残っている塾もある。このことはもう一〇年近くも前から言わ れていることだが、「その必要性のある塾は、生き残る」ということ。独自の教材で、独自のカリ キュラムを組んでいる学習塾は、強い。言いかえると、本物は残るということ。私立幼稚園にし ても、こういう不況の中、反対に園児数をふやしている幼稚園もある。 F市のR幼稚園もその一つ。先日園長に会ったら、園長はこう言っていた。「うちだけは、ふえ ていましてね」と。 その幼稚園では、給食には、独自の玄米を使っている。はだし教育、裸教育も実践してい る。それだけではないが、そういう独自の教育観が、親たちの心をとらえたらしい。 ●私の教室 もちろん私の教室も、基本的には「塾」であり、こうした影響からは無縁ではない。本当のとこ ろ、この四月からの新年度は、何とか仕事ができそうだが、来年はどうなるか、わからない。し かし「おかげで……」というか、「ありがたい……」というか、ほとんどの幼児教室が教室を閉め た中で、私の教室だけは、生き残っている。理由など、ここに書くまでもない。私を支えてくれる 親たちがいるからだ。が、それ以上に、私を支えてくれる子どもたちがいるからだ。子ども自身 が、親をひっぱってきてくれる。 私は「子どもは笑えば伸びる」を持論に、「楽しい教室」だけを心がけてきた。そして教材はす べて手作り。数年分の教材が、長さ、七〜八メートルのロッカーに、ぎっしりと入っている。もち ろんカリキュラムも、すべて手作り。何年もかけて、親たちと話しあいながら決めてきた。一部 は、学研の「まなぶくん・幼児教室」として、市販化もされた。そういう実績がある。 が、きびしいことには、変わりない。三〇年以上、いっさいの宣伝もせず、チラシも配らず、口 コミと紹介だけで経営してきた。これらかもその姿勢を守りたいが、実のところいつまでつづくこ とやらと考えることも多くなった。「やれるだけやってみよう……」とワイフとは話しあっている が、その気持ちは、この不況下、みな、同じ。どこも、同じ。 ただここで言えることは、みなさん、それぞれの立場で、がんばりましょうという程度。立場や 仕事は違っても、これからも私たちは生きていくしかない。不況だから、生きるのをやめたとい うわけには、いかない。そのうち、きっと、また、何かよいことがあるだろう。 あああ、しかし、こういう話は、いやなもの。だからこの話は、ここまで! (030218) ●しかし、みんな、もう息切れしてしまっている。「がんばろう」「がんばります」と励ましあっては いるが、もう、どこをどうがんばればいいのか? このままさらにダラダラと不況がつづくと、そ のうち貯金も使い果たし、(もう、使い果たしたが……)、体力そのものがなくなってしまう。近所 でも、自分の住んでいる土地や家を投げ売りする人がチラホラと出てきた。「いよいよ末期だ な」と思ったり、「つぎは私かなあ」と思ったりする。 ●ただとても残念なのは、政治家や役人は、まったく別のものさしで、この日本の中で生きてい るということ。このH市でも、市議会議員の手当てなどは、かえってふえている! 「ムダな建物 は作らないほうがいいのでは?」と言うと、「林さん、公共事業をやめたら、もっと失業者が出ま すよ」(友人のK氏、H市役所勤務)とのこと。「そうかなあ」と思ったり、「うまいこと言うなあ」と 思ったり……。 ●私の近所のX氏は、二四年前に旧国鉄を退職したあと、毎月三〇万円以上の年金で、優雅 な生活(失礼!)をしている。ざっと計算しても、合計一億円になる! 「いいなあ」と思ったり、 「これでいいのかなあ」と思ったり……。たしか旧国鉄の債務だけでも、二〇兆円近くあるので は? 二〇兆円といえば、全国一〇〇万人の人に、二〇〇〇万円ずつ渡す金額。一〇万人 の人に、二億円ずつ渡す金額。それとも二〇万人の人に、一億円ずつ。こういう計算をする と、宝クジなど、バカくさくて、買えなくなる。 ●正直言って、もう私も疲れた。いえ、生きるのが疲れたというのではなく、こういう問題を考え るのが、疲れた。「どうでもなれ!」という気持ちが、ここ数年、どんどんと大きくなっている。ワ イフも口ぐせのようにこう言う。「日本の心配もいいけど、うちの家計も心配してよ」と。ああ、私 の正義感も、風前のともし火! ●だれをうらんでも始まらないが、日本もバブル経済崩壊直後に、さっさと手を打っておけば、 こういうことにはならなかった。ずるずると、その場しのぎなことばかりをしてきたから、こういう ことになった。いわゆる借金が借金をうみ……というのだ。私の知人なんかは、最初はたった 七五〇万円の借金だったが、二年半後には、それが一億五〇〇〇万円にまでふくらんでい た。日本の経済も、それと同じことになっている。にもかかわらず、いまだに「道路だ」「建設だ」 なんて言っている政治家を見ると、心底、なさけなくなる。それにしても、IQが低すぎる? ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(615) 子ども大学生、親貧乏盛り ●子どもが大学生になると、ドシリとかかってくるのが 学費。本当に、ドシリと、だ。もしあなたが「何とか なる」と考えているなら、その考えは、甘い ●警告の意味もこめて、あなたの近未来について(中日新聞掲載済み) 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均一一 万七〇〇〇円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけで はすまない。アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に 四〇〜五〇万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インター ネットも常識。…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた 常識。世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、 貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなけ ればならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度 があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対G NP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。 欧米各国が、七ー九%(スウェーデン九・〇、カナダ八・二、アメリカ六・八%)。日本はこの十 年間、毎年四・五%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少 ないということは、それだけ親の負担が大きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀 行の救済のためだけに、四兆円近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国二百万 人の大学生に、一人当たり二百万円ずつの奨学金を渡せる! が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのは そういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世 界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。い まだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本人のこ の後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまでも個 人的利益の追求の場と位置づけている。 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが 積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。 日本の教育制度は、欧米に比べて、三十年はおくれている。その意識となると、五十年はお くれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなところで、子どもを育 てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがい ろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ三十年。この状態はいまだに変わってい ない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育て たくない」と。 私も三人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫の ことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。 ++++++++++++++++++++++++ ●では、私たちは、やがてやってくるこういう 現実を前にして、どう対処したらよいだろう か? その前に、こんな深刻な話もある。 ++++++++++++++++++++++++ ●三つの失敗 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。 ある母親が娘(高校一年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて母親を 無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、それがわか っているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていってあげたからでし ょ。それがわかっているの!」と。それに答えてその娘はこう叫んだ。「いつ、だれがあんたに そんなことをしてくれと頼んだ!」と。これが失敗、その一。 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校三年生になった娘に、 父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。「こうなった のは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 私を大学へやる のは、あんたの役目でしょ」と。そこで私に相談があったので、その娘を私の家に呼んだ。呼ん で、「お父さんのことをわかってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。「私は小さいときか ら、さんざん勉強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったときも、行きたくもない のに、進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだった、順位はどう だったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。その私に、『もう勉 強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。これが失敗、その二。 Yさん(女性四〇歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医者にする のが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかりとした設計図を もち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。Yさんにしてみれば、明けて も暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「うるさい」の取っ組みあいもしたと いう。が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状態になりながらも、Yさんは 息子に勉強を強いた。あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思いはどこか にありましたが、無事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許してくれると思って いました」と。で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽 きてしまった。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に 「家庭教師でも何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣いて頼 んだが、程度ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その三. こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失敗、あ るいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。 ++++++++++++++++++++++++ 否定的なことばかり書いたが、どこか否定的に ならざるをえないほど、今の日本の教育はおか しい。なぜか? ひとつには、親たちの無責任な姿勢がある。だ れもそのときは、大きく問題にする。しかし自 分の子どもが、その時期を過ぎると、みな、そ の問題から遠ざかってしまう。「もう終わりまし たから」と。 教育の問題は、一過性の問題にすぎないという わけである。だから問題だけが山積みされ、あ とへあとへと順に先送りされる。 では、どうするか? 私たちは、前もって、こうした問題をどうする かを考えなければならない。しかしこれについ ても問題がないわけではない。 親たちは日々の子育てに追われるあまり、先の ことを考える余裕がない。「日本の教育改革も大 切だが、うちの子が、大学へ無事へ入れるかどう かのほうが、問題」と。 しかし心の準備だけはしておいたほうがよい。こ こに書いたことは、決して、あなたの子育てとは 無縁ではないはず。あるいは今、あなた自身の問 題かもしれない。 子どもが大学生になると、本当に家計はきびしい。 しかしそのきびしさの中でも、親子がわかりあい、 励ましあい、そして尊敬しあうなら、親も救われ る。やりがい、生きがいもそこから生まれる。苦 しい仕事をしながらも、まだ楽しい。 結局は、今からそういう親子関係をめざすという こと。それが、この問題の解決策になるのでは? ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(616) 金XXと、私 独裁者の金XXと、私は、どこかどう違うか? あるいは金XXと、あなたはどこがどう違うか? 私は、それほど違わないのではないかと思う。もし金XXが、ピョンヤンの工場で修理工をして いたら、彼は修理工になっていたと思う。一方、私が金XXの立場にいたら、私がその独裁者に なっていたかもしれない。最近、こんなことを考える。 先日も、道路で、無謀な運転をしている女性にでくわした。かなりあぶなかった。私が「あぶな い!」と叫んだときには、その車は、もう別の車線に入って、走り去るところだった。そのときの こと。もし私が金XXだったら、即座にその女性を逮捕。裁判なしで、収容所送り。そう考えた。 瞬間だったが、それくらい頭にきた。 が、現実の私には、そんな力はない。ないから、その車を見送りながら、ブツブツとものを考 えるしかなかった。実は、こうした違いが、金XXと私の違いでもある。 私たち庶民は、日常の生活の中で、かなりの部分、がまんして生きている。言いたいことも言 わず、したいこともしないで、生きている。他人に迷惑をかけられたり、あるいはバカにされな がら生きている。こうした部分があるから、私は私でいられる。 しかし金XXは、そうではない。金王朝と呼ばれていることからもわかるように、まさに王様。キ ング。恐らく彼の周囲の取り巻きたちは、ピリピリと神経をとがらせて、彼に仕えているに違い ない。聞くところによると、テレビのアナウンサーが、少し言い方をまちがえただけで、収容所 へ送られたこともあるという。それこそ金XXの機嫌をそこねたら、死刑になるかもしれない。 そんな生活の中で、自分を保つのは、容易ではない。私などは単純だから、数日間、だれか にチヤホヤされただけで、自分を見失ってしまう。そういう状態が、ずっと続いたら、もっと見失 ってしまう。(すでに自分を見失っているかもしれないが……。) そういう人間の「弱さ」は、(弱点と言ってもよいだろうが……)、だれも、もっている。私も、も っている。あなたも、もっている。問題は、もっていることではなく、どうすれば、そういう弱さを 克服し、自分を保つことができるかということ。私はやはり、そのためには、いつも自分を原点 に置くということが大切だと思う。「原点」というのは、「最底辺」ということ。わかりやすく言えば、 ボトム(底)。 地位や肩書き、名誉や財産のない世界に自分を置き、そこから「上」を見ながら、生きる。そ ういう世界にいると、人に迷惑をかけられることはあっても、かけることはない。バカにされるこ とはあっても、バカにすることはない。そういう世界で日常的に耐えることで、自分の中の傲慢 (ごうまん)さを、つぶすことができる。 つい先日も、日本でもその道の第一人者といわれる、哲学者と呼ばれる人と、いっしょに食 事をした。有名大学の学長まで勤めた人である。しかし彼は、私が無肩書きの人間であること を知ると、手のひらを返すように、態度を変えた。それがおもしろいほど露骨だったので、「あ あ、この人は、この程度の人なんだな」と思った。と、同時に、世間からチヤホヤされるうちに、 自分を見失ってしまったのではないかと思った。そういう人は、いくらでもいる。 ……と考えて、では、私はだいじょうぶかというと、そうでもない。私のばあい、このところ、何 かにつけて、世間を逆(さか)うらみする傾向が強くなった。ものの考え方が、ひねくれてきた。 そういう私を知って、恩師のT先生は、いつもこう言う。「林君は、何が不満なのですか。この国 は、いい国ではありませんか」と。この逆うらみの裏にあるものは何かといえば、それは、結局 は、「傲慢」そのものということになる。 傲慢なのだが、その傲慢が、通らないから、逆うらみする? もし私のような人間が、金XXの ような立場に立ったら、こう言うかもしれない。「私の本を買って、読め。読まないヤツは、収容 所送りだ」「私の意見を聞け。反発するヤツは、収容所送りだ」「私の意見を尊重しろ。無視し たヤツは、収容所送りだ」と。 事実、本当にそういうことができたら、痛快だろうなと思う。それこそ水戸黄門の三つ葉葵の 紋章のようなものだ。紋章を見せただけで、みなは、ハハーと頭をさげる。 だから私はこう結論づける。独裁者の金XXと、私は、どこも違わない、と。ひょっとしたら、あ なたとも違わない。なぜなら、私たちは、みな、同じ人間だから、だ。 (030218) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(617) 子育てポイント ●子どもに、子どもの育て方を教える 子どもに子どもの育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、 子育てをするのですよ」「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。 教えるだけでは足りない。身にしみこませておく。「幸せな家庭というのは、こういうものです よ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「家族というのは、こういうものですよ」と。そういう「し みこみ」があってはじめて子どもは、今度は自分が親になったとき、自然な形で、子育てができ るようになる。 ●自分の過去をみる 一般論として、不幸にして不幸な家庭の育った人(親)は、子育てがへた。どこかぎこちない。 自分の中に親像のない人とみる。 ある父親は、ほとんどその母親だけによって育てられていた。(父親の父親は、今でいう単身 赴任の形で、名古屋に住んでいた。)そのため父親がどういうものであるか知らなかった? 何か子どもに問題があると、子どもを、容赦なく、殴りつけていた。このように、極端にきびしい 親、あるいは反対に極端に甘い親は、ここでいう親像のない人とみる。 また不幸な家庭に育った人は、「いい親子関係をつくろう」「いい家庭をつくろう」という気負い ばかりが強くなり、結果として、子育てで失敗しやすい。 もしあなたが自分の子育てのどこかで、ぎこちなさを感じたら、自分の過去を振りかえってみ る。この問題は、自分の過去がどういうものであるかを知るだけで、解決する。まずいのは、そ の過去に気づかないまま、その過去に振りまわされること。 ●「育自」なんて、とんでもない! よく「育自」という言葉を使って、「育児とは、育自」と言う人がいる。しかし子育てはそんな甘 いものではない。親は子育てをしながら、子どもに、否応なしに育てられる。 子育てはまさに、山や谷の連続。その山や谷を越えるうちに、ちょうど稲穂の穂が、実るとた れてくるように、親の姿勢も低くなる。もし「育自」を考えるヒマがあるなら、親は親で、子育てを 忘れて、一人の人間として、外の世界で伸びればよい。そういう姿勢が、一方で、子どもを伸ば す。自分を伸ばすことを、子育てにかこつけてはいけない。 ●カプセル化に注意 家庭という小さな世界に閉じこもり、そこで自分だけの価値観を熟成すると、子育てそのもの がゆがむことがある。これをカプセル化という。 最近は、価値観の多様性が進んだ。また親たちの学歴も高くなり、その分、「私が正しい」と 思う人がふえてきた。それはそれで悪いことではないが、こと子育てに関しては、常識と経験 が、ものをいう。頭で考えてするものではない。 そのため子育てをするときは、できるだけ風通しをよくする。具体的には、ほかの親たちと交 流をふやす。が、それだけでは足りない。いつも「私はまちがっているかもしれない」という謙虚 な姿勢を保つ。そして子どもを、自分を通して見るのではなく、別個の一人の人間としてみる。 「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「私の子どもは、私と同じように考えているは ず」と過信している親ほど、子育てで失敗しやすい。 このカプセル化のこわいところは、それだけではない。同じ過保護でも、カプセルの中に入る と、極端な過保護になる。過干渉も、過関心も、極端な過干渉や、過関心になる。いわゆる子 育てそのものが、先鋭化したり、極端化したりする。 ●親の主義に注意 よく「私は○○主義で、子どもを育てています」などという人がいる。しかし「主義」などというも のは、無数の経験と、試行錯誤の結果、身につくもの。安易に主義を決め、それに従うのは、 危険ですらある。いわんや、子育てに、主義などあってはならない。よい例が、スパルタ主義、 完ぺき主義、徹底主義など。 これについては、以前、こんな原稿を書いたので、ここに張りつけておく。 ++++++++++++++++ 子育ては自然体で(中日新聞掲載済み) 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。 そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。これは 健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。 いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨 み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの 崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的に も悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、これ を読みかえると、こうなる。 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、徹底主義、スパルタ主 義、完ぺき主義がある。 徹底主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめる」と決めたら、パッとや めさせるようなことをいう。よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、 子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。 スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、 子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを 求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」 「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子どものできがよ くても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、見え、メンツ、世間体。これ に振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放されれば、子育てにまつわ るほとんどの悩みは解消する。 要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけない。 「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけない。必要な ことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どんな子どもにも、自 ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。 子育てを一言で言えば、そういうことになる。さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に 順応して生活すれば生存可能であり、それに背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気 調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育 てはうまくいくが、そうでなければ、そうでない」ということになる。 子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的とし て、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せられる。 精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。栄養過多も いけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、な ど。少しこじつけの感じがしないでもないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。 ++++++++++++++++ あなたは神経質ママ? 雑誌「ファミリス」に掲載済み ●『まじめ七割、いいかげんさ三割』 子育ては『まじめ七割、いいかげんさ三割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。 たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。とき にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉 する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。) ●子育ての三悪 子育ての三悪に、スパルタ主義、徹底主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また徹底主義というのは、やることなすことが極 端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、 こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。 ●こわい完ぺき主義 完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり 子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分 のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい るだけ。 ●子育ての基本は自由 子育ての基本は、子どもを自立させること。そのためにも子どもは「自由」にする。自由とはも ともと、「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、@自分で考えさせ、A自分で行動さ せ、そしてB自分で責任を取らせる。過干渉や過関心は、子どもから考えるという習慣を奪う。 過保護は自分で行動するという力を奪う。また溺愛は、親の目を曇らせる。たとえば自分の子 ども(中三男子)が万引きをして補導されたときのこと。夜中の間にあちこちを回り、事件その ものをもみ消してしまった母親がいた。「内申書に書かれると、進学にさしさわりがある」という のが、その理由だった。 ●家庭はいやしの場に 子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと 変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に 座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。このテストで高得点だった 人ほど、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。 ●子どもには自分で失敗させる また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解 決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、 子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん さが、子どもを自立させる。たくましくする。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ●ズル休みのすすめ 不登校児をもつ親などと話していて、いつも気になるのは、「学校とは行かねばならないとこ ろ」という観念で、頭がガチガチにかたまっていること(失礼!)。ときには、「どうしてそこまで学 校にこだわるのか」とさえ思ってしまう。 昔、毛沢東は、『造反有理』と言った。「反抗するものには、理由がある」という意味だが、既存 のコースに反発する子どもには、必ず、それなりの理由がある。頭から、「おかしい」とか、「ま ちがっている」とか決めつけないで、ときには、子どもの言い分にも、耳を傾けてやる必要があ るのではないだろうか。 もちろん勤勉であることは、それ自体は悪いことではない。しかし日本人は、勤勉であること を美徳とするあまり、もっと大切なものを、見失っているのではないだろうか。そういう思いをこ めて書いたのが、つぎのエッセーである。 +++++++++++++++++++ 常識が偏見になるとき ●たまにはずる休みを……! 「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。 アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たと えば……。 ●日本の常識は世界の非常識 @学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が 教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州 政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解している人が多 いが、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人 を超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと 言われている。 それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は 家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開い たり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、 こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。 Aおけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通 う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位 (※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。そのクラブ だが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の中 にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二〇〇一年調べ)。こう した親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一 四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最 長二七歳まで支払われる。 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性 に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対 する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をも つが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住 所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときは どうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ 氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待って いると、先生のほうから電話がかかってきます」と。 B進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中 高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚い た。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、は さんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に 話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアで はどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子 も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを 組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクー ルには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行 き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。 ●そこはまさに『マトリックス』の世界 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身 の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ るべきか。さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではな い。学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなた にしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶 対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこ が仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。 ●解放感は最高! ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと 動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に 行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。 ※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後 三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めるこ とができる。 ●「自由に学ぶ」 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」 を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。 それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政 治を行うための手段として用いられてきている」と。 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社 会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を 破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、 国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事 的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな い。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所シス テムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべき ではないのか」と(以上、要約)。 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい る。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生で は、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(618) 雑感 数年前の夏、一人の女性が亡くなった。享年、八五歳だった。ときどき私の家の前まで散歩 でやってきた。そのため顔を合わせると、よく立ち話をした。 その女性は、五、六年前までは、つえをついていた。しかしなくなる前は、小さな乳母車を引 いていた。ころぶからいけないからということだった。ふくよかな、やさしい顔をしていた。話し方 もおだやかで、静かだった。私はその女性から、よくこのあたりに伝わる昔話を聞いた。 が、その女性は、ある日倒れ、そのまま昏睡状態になってしまった。病院には、四か月ほど いただろうか。一度見舞いに行きたいと、家人に話し出たが、「来ていただいても、本人は何も わかりませんから」と、断られてしまった。見舞いの品だけ、家人に渡した。 それからしばらくしてから、つまりその女性がなくなってしばらくしてから、別の男の人(六〇歳 くらい)と、こんな話をした。その人は、その女性を、昔からよく知っている人だった。 私「あの方は、本当にいい人でしたね」 男「はあ、いい人? あの人がですか?」 私「そうです。いい人でしたね」 男「林さん、それはどうですかねえ……」 私「どういうことですか?」 男「いいや、若いころは、あの人は、きつい人でしたよ」 私「えええ? 本当ですか?」と。 このあたりで「きつい人」というのは、「こわい人」「きびしい人」という意味である。ふつう、相 手を非難するときに使う。決して、ほめるときには、使わない。 この話はそれで忘れたが、さらにそれからしばらくしてから、私はその女性と昔、職場がいっ しょだったという女性(七〇歳くらい)と知りあいになった。そして同じような話になった。 私「あの方は、きつい人だったと言う人もいますが……」 女「そうですねえ。本当にこわい人でした」 私「こわい……?」 女「みんな、あの人にビクビクしていましたよ」 私「ビクビク……ですか?」 女「みんなを、とことんいびりましたからね」 私「いびった……?」 話せば長くなるが、その女性は、退職するまでずっと、縫製工場で働いていた。その職場で は最長老で、そのため社長すらも自分の下におき、好き勝手なことをしていたという。若い女 性などは、その女性に、どれほど泣かされたかわからないという。 私は、そのつど、「はああ……?」としか、驚くしかなかった。私が知るその女性は、どこまで も親切で、やさしかった。ここにも書いたように、穏やかで、静かだった。しかしその女性が、若 いころは、まったく別の女性だったとは……? 私は何度も、その女性の別の顔を思い浮かべ ようとしたが、どうにもこうにも、想像すらできなかった。 この話をワイフにすると、ワイフも、「本当?」と言って驚いた。ワイフは、私以上に、その女性 と、道ばたで会話をしている。 私「あの人が、若いころ、きつい人だってこと、信じられるか?」 ワ「ううん、できないわね」 私「そうだろ。できないだろ」 ワ「本当かしら。信じられないわ」 私「そうなんだよなあ。ぼくも信じられない……」 もしその女性が変わったとするなら、恐らく、退職してからのことだろう。あるいは変わってい ないのかもしれない。たとえば若いころは、仕事熱心で、みなに誤解されていただけなのかもし れない。あるいはもう一つの可能性としては、その女性は、私たちの前では、仮面をかぶって いたということもありえる。さらにもう一つの可能性としては、私たちに、人を見る目がなかった ということもありえる。しかし……? しばらくその女性のことは忘れた。で、最近、何かのことで、その女性を思い出すことがあっ た。人はどう言おうと、そして過去がどうであれ、私たちには、すばらしい女性だった。あるとき は、「どうせ老人になるなら、ああいう老人になりたいものだ」と思ったことさえある。 私「やはり、あの人は、ぼくたちにはいい人だったね」 ワ「そうよ。私もそう思うわ」 私「それでいいよね。他人がどう思おうとも、ぼくらには関係ないから」 ワ「そうよ。人は人よ。人がどう言おうが、私たちには、いい人だったから」 私「そうだね。他人が悪く言ったから、悪い人だと思いなおすこともないしね」 ワ「そうね……」 似たような話だが、ここ五年ほど、近くでつきあった人がいる。その人も穏やかな紳士だっ た。が、その人は、数か月前、隣のW市に引っ越してしまった。それでその人のことを忘れて いたが、その人は、二〇年ほど前、このH市をひっくり返すような大事件を起こした人だったと いう。最近そのことを知った。何でもそのあと一〇年近く、刑務所に入っていたということだっ た。「人は見かけによらぬもの」と言うが、そのときこそ、心底、そう思ったことはなかった。 こういうことは、よくある。若いころは、そういう話は聞かなかったが、人生も終盤に近づくと、 そういう話がよく耳に入ってくる。そしてそのたびに、「へええ……?」と驚く。しかし過去はどう であれ、その人がそのとき、よい人なら、それでよいのでは。過去をほじくりかえすことはない。 仮に過去がどうであれ、今は今だ。考えてみればそのとおりで、今あるのは、「今」という現実 でしかない。それに今さら、過去をとやかく言っても始まらない。 その紳士は、W市に引っ越してしまい、もう二度と顔を合わせることもないだろう。あの女性に しても、もう亡くなってしまった。そして私自身も、やがてこの世から消えてなくなる。悪い人も、 悪くない人も、悪いと思った人も、悪いと思わなかった人も、みんな消えてなくなる。だから、今 は今で、今を大切にして生きるしかない。どこまでいっても、今という「時」は、私のもの。ほか のだれのものでもない。 (030219)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(619) こまかい話だが…… ●消しゴムについて 消しゴムというより、消しグセは、一度、身につくと、それをなおすのは、容易ではない。だか ら、子どもには、消しゴムをもたせないほうがよい。 一度、消しグセが身につくと、「考えてから書く」というよりは、「書いてから考える」、あるいは 「まず書いてみて、それをみて考える」というようになる。そうなると、消しゴムを使ってばかりい て、先へ進まなくなる。 子どもによっては、一行書いては消し、また書いては消すという作業を繰りかえす。そのため 一時間も勉強すると、机の上が、消しクズの山になる。が、それだけではない。消しグセのある 子どもは、その分だけ時間をムダにする。 仮に一分間に、一回、一〇秒間、消しゴムを使ったとする。それだけでも、五〇分間には、五 〇〇秒、つまり八分間以上消しゴムを使うことになる。このロスは、テストのときなどには、痛 い。 「先生に見てもらうのは、消しゴムを使ってきれいに書こう」というような言い方にとどめ、子ど もには消しゴムをできるだけ使わせないようにする。実際、小学校へ入ってからだと、この消し グセをなおすのは、容易ではない。親や教師の目の届かないところでは、相変わらず、消しゴ ムを使うからである。 そこで、こういう消しグセのついた子どもから、無理に消しゴムを取りあげたりすると、子ども によっては、勉強そのものが、手につかなくなることがある。いわゆる禁断症状に似た症状を 示す。イライラするだけで、考えることから逃げてしまう。 なお都会の理科系大学では、入試試験で、消しゴムを使うのを禁止しているところが多い。 それが書き残したメモを見て、試験官が、学生の能力を判断するためである。今後、この傾向 はますます大きくなるものと思われる。 以上のような理由から、幼児期は、子どもには消しゴムをもたせないほうがよい。 ●キャップについて 鉛筆にかぶせるキャップがある。あのキャップほど、危険なものはない。キャップ自体が危険 というよりは、こういうことだ。 子どもは、(とくに幼稚園児は)、鉛筆を使うとき、キャップを鉛筆の反対側にはめる。そのあ と、鉛筆を使うのをやめたあと、そのキャップをはずそうとする。事故は、このとき、起こる。 子どもは両手で、鉛筆とキャップを握る。握ったまま、両手を広げるようにして、キャップをは ずそうとする。しかしそのとき、不自然な力が入り、ひょいとキャップがとれることがある。その とき、隣の子どもの顔などを、鉛筆の先でつつく。私の教室でも、いくら注意していても、数年に 一度は、ヒヤリとする。二〇年ほど前には、鉛筆のシンが、隣の子どもの、頬に突き刺さったこ ともある。もしそれが目だったとしたら……。今思い出しても、ゾーッとする。 鉛筆は、先がとがっているという点で、幼児には、危険な道具である。もち歩くときは、シンを 手で包むようにしてもたせるなどの注意が必要である。 (030220) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(620) 作られる意識 ●洗脳 夜のニュース番組の中で、K国の映画が紹介された。K国のゲリラ兵士が、アメリカ軍と戦 い、最後は、そのアメリカ軍につかまり、処刑されるという映画であった。その英雄は、死ぬま ぎわ、「将軍様、バンザーイ!」と絶叫して、命を落す。 このシーンを見ていて思い出したのが、日本映画である。戦争中、日本兵たちは、敵陣に突 入するとき、「天皇陛下、バンザーイ!」と言って死んでいったという。(実際には、「お父さ ん!」「お母さん!」と叫んで、死んでいったというが……。) そのシーンを見ていて、つまりK国の英雄が、「将軍様、バンザーイ!」と死んでいくシーンを 見ていて、私は、ふと、「意識というのは、作られるもの」と思った。その映画だけではない。K 国の軍隊では、「将軍様を死守する」というのが、合言葉になっていという。「死守したい」と思う のは、その人の勝手だが、問題は、そのことではない。問題は、そう思うこと自体、国によっ て、コントロールされているということ。そういう意味では、洗脳というのは、本当にこわい。 ●ポケモンブーム もう六、七年ほど前になるだろうか。「ポケモン(ポケットモンスター)」がはやり始めたころ、子 どもたちはだれもかれも、「ピカチュウはかわいい」と言いだした。ピカチュウの絵をまねて描い てみせただけで、クラス中が騒然となってしまった。 そこである日、私は、子どもたち(小学二、三年)に、「ピカチュウのどこがかわいいの?」と問 いかけてみた。が、その一言だけで、これまたクラス中が、騒然となってしまった。「先生は、お かしい」とまで言われてしまった。私はあまりの異常さに驚き、一冊の本を書いた。それが「ポ ケモンカルト(三一書房)」という本である。 ところがこの本もまた、袋だたき。しかも驚いたことに、私を攻撃してきたのは、二〇歳を過 ぎたような大のおとなたちばかりであった。中には、「お前は、子どもたちの夢をつぶして、それ でも教育者か!」と言ってきた人もいた。電話で何度も、抗議してきた人もいた。私は、「将軍 様、バンザーイ!」というシーンを見たとき、そのころの私を思いだしていた。 ●作られる私たち K国の人たちも、戦前の日本人も、そして最近の子どもたちも、何か、別の大きな力によっ て、「作られている」。しかし怖ろしいことに、本人たちには、「作られている」という意識が、ほと んどない。その意識がないまま、結局は、その大きな力の意のまま動かされている。が、問題 は、K国の人たちでも、戦前の日本人でも、はたまた子どもたちでもない。問題は、実は、私た ち自身である。 私たちは、本当に、作られていないか? これは私の経験だが、私たちは、大学四年生になると、何も迷わず、就職の道を選んだ。こ れは当然だとしても、そのとき、だれもが、大企業ほど、よい就職先だと思った。だからほとん どの仲間は、銀行や証券会社、商社をめざした。そのこと自体は、まちがっていたとは思わな いが、しかしそのあと、オーストラリアへ留学してみて、私は、世界の常識が、私がもっていた 常識と、あまりにもかけ離れていたのを知って、驚いた。 当時の日本は、まさに高度成長期。会社員たちは、企業戦士とおだてられ、仕事のため、す べてのものを犠牲にした。またそうすることが、美徳と考えられていた。当時、すでに担任赴任 という制度が、日本の社会に定着しはじめていた。そのため家族そのものすら、犠牲になっ た。 ある商社マンは、こう言った。「二年ぶりに日本へ帰ってきたとき、娘(四歳)に、『この人、だ れ?』と言われたときは、ショックだったよ」と。こうした悲喜劇が、日本中で起こりつつあった。 ●自由とは? そういう意味で、私自身も、私自身の力ではおよばない、もっと大きな力によって動かされて いたことになる。ひょっとしたら、今だって、動かされているかもしれない。そういう意味で、この 問題は、決して、他人ごとではない。 私たちは、本当に、自分の意思で、ものを考え、行動しているか? 自由とは、「自分の意思に従い、自分で行動する」こと。これを言いかえると、自由を手に入 れるためには、自分の意思に従い、自分で行動しなければならない。さらに言いかえると、他 人の意思(大きな力なら、大きな力でもよいが……)によって、動かされている間は、自由では ないということになる。あるいは自由だと思い込まされているだけ、ということになるかもしれな い。 話をもどす。冒頭にあげた、K国の英雄が、最後に「将軍様、バンザーイ!」と言って死んで いった話を思い浮かべてみてほしい。その英雄は、本当に、自分の意思でそう考えて、そう言 ったのか。もしそうなら、それでよし。しかしもっと大きな力によって、そう洗脳されて、そう言っ たとしたら、その英雄は、ただのロボットにすぎない。 このことは回りまわって、結局は、私たち自身の問題になる。戦前の日本の兵隊たちが、「天 皇陛下、バンザーイ!」と言って死んでいったのも、また子どもたちがピカチュウの絵を見ただ けで、騒然となったのも、結局は、みな、その大きな力で、動かされていただけということにな る。で、さらに今度は、自分自身をながめてみたとき、私たち自身の中に、ここでいうロボット的 な部分がないとは、だれも断言できない。 ●自由とは、自分を取りもどすこと 実は、この話は、自由論と密接に関係している。つまりそのロボット的な部分と戦うこと自体、 自由を求めた戦いそのものと言ってもよい。私たちは、自分では、「私は自由だ」と思っている かもしれないが、それはひょっとしたら、そう思いこんでいるだけかもしれない。脳のCPU(中 央演算装置)が狂っているため、それに気づかないでいるだけかもしれない。 恐らく、K国の英雄も、自分では、自由を求めて戦ったつもりなのだろう。戦前の日本兵もそ うだ。そしてピカチュウに夢中になる子どもたちも、そうだ。さらに大学四年になったとき、迷わ ず、就職の道を求めた私もそうだ。しかし私たちは、決して、私たちではなかった! 私たちは、本当に自由なのか? ここまで書いて、筆がとまってしまった。「私たちは、本当に自由なのか」と。「私たちは本当に 自分の意思に従い、自分で行動しているのか」と。 私は、K国の映画を見たあと、しばらく考えこんでしまった。人間本来がもつ、愚かさという か、悲しさというか、それを覚えたからだ。それは私たち自身がもつ、愚かさであり、悲しさであ ると言ってもよい。 ●息苦しさを覚えた私 今、この時点では、つまり私の視点では、K国の英雄は、かわいそうな人ということになる。一 人の独裁者に利用されているだけということになる。しかしひょっとしたら、K国の人たちの視 点からみると、私たちのほうが、まちがっているということになるかもしれない。「私は、K国の 人たちより、自由だ」と思ってみても、それがそのまま「私は正しい」ということにはならない。現 に今、私という人間にしても、今まで洗脳されっぱなしに、洗脳されてきた。いまだに戦前のま まという部分も、この日本には少なくない。おとなといっても、ピカチュウに夢中になった子ども たちと、それほど違わない。今、この時点において、「私はだれにも洗脳されていない」と、自信 をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろうか。 K国の映画の中では、その英雄は、両手をあげ、体中にアメリカ軍の銃弾をいっぱい受けて 死んでいった。何ともK国らしい映画だったが、その「らしさ」が強ければ強いほど、私には不愉 快だった。何というか、体中をクサリで巻かれるような不快感である。キャスターの人たちは、 「史実とは違うようですね」というようなことを言っていたが、私には、そんなことよりも、何とも言 えない息苦しさのほうが気になった。 (030221) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(621) 家山(いえやま) 講演で、家山という小さな町に行くことになった。 浜松→東海道線→金谷(かなや)→大井川鉄道→家山(いえやま) 浜松から電車に乗り、金谷まで行く。そこで大井川鉄道に乗り換え、家山まで行く。が、その 大井川鉄道が、楽しかった。各駅に停車するごとに、私とワイフは、大笑い。理由は、車内アナ ウンスだった。 「……運賃は、運賃箱に入れてください……」と、そのつど繰り返す。若い女性の声だった が、「ウンチは、ウンチ箱に入れてください……」とも聞こえた。いや、「代官町」という駅まで は、それほど、おもしろいとは思わなかった。しかしその「代官町」という駅へ着く、少しその手 前。またあの声……。 「つぎは、ダイカンチョウ。ウンチンはウンチンバコに入れてください……」と。ワイフが先に気 づいて、「あんた、聞いた? 大浣腸だって。ウンチは、ウンチ箱に入れてくれだって」と。それ で笑った。以後、家山に着くまで、アナウンスが流れるたびに、私たちは笑った。笑いつづけ た。 家山は、静かな町だった。どこか金沢を思わせる町並み。小さな路地を歩いてみたが、学生 時代の下宿先を思いだした。少し時間があったので、町の中央にある、天王山という名前の山 に登ってみた。周囲を三六〇度見渡せる、小さな山だが、見晴らしのよい山だった。頂上に、 見晴台が作ってあった。私たちはそこまで登った。 さすが川根のお茶どころ。……と私は思った。山のすそを利用して、あちこちに茶畑が見え た。町の中心には、全国でもよく知られた製茶工場がいくつかあった。「Y園、K園、H田のお茶 は、ここでできるのね」とワイフが言った。毎日飲んでいるお茶だけに、親しみが、ぐんとわい た。 天王山の途中に、小さな寺があり、その右手奥に、忠魂碑が建っていた。それには、そのあ たりから出征し、戦争でなくなった人たちの名前が刻まれていた。三百数十名の名前が、一人 ずつ書きこんであった。見ると、年齢は、二〇歳から二七、八歳くらいまで。ほとんどは、二二 歳前後に集中していた。 忠魂碑には、「国のために戦い……終戦で平和が訪れ……自由思想の中で、国のために死 んでいった人が忘れられ……」というようなことが書いてあった。私の息子たちの年齢だったの で、何ともやりきれないものを感じた。「人生も、これからだったのに……」と。 しばらくイスにこしかけ、ワイフとお茶を飲んだ。風のやんだ、春のうららかな日だった。駅を おりたとき、駅員が、「今日は暖かいですね」と言った。私が「K小学校はどちらですか?」と聞 いたときのことだった。本当に暖かい一日だった。手袋を用意していたが、いつの間にか、紙 袋の中に入っていた。 「あれね……」と私。 「何?」とワイフ。 「運賃箱ではなく、チケットボックスとか、そういうふうに言えばいいんだよ」 「チケットだけではなく、お金も入れるのよ」 「そうか……」 「それに、チケットボックスと言うと、お年寄りには理解できないかもしれないわ」 「うん……。しかし発音がおかしい。ウ・ン・チン箱と、やたらとゆっくりと言うから、かえっておか しい」 「そう聞こえるのは、あなただけかもね」 私とワイフはその山の下で別れた。「千頭(ぜんず・大井川鉄道の終点)まで行ってみるわ」と ワイフは行った。私はそのまま講演先の、K小学校に向かった。 (030222) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(622) 努力してムダ 先日、三〇年来の友人に、こんなメールを出した。「がんばろうとは思うけど、今まで、がんば ってきた。これ以上、がんばる余地はもうないような気がする。がんばっても、よくならないばか りか、かえって悪くなっていくような気がする」と。 昨年のある日。市内でもナンバーワンと言われている進学高校(県立高校)の校長が、今 度、市内でも最大規模の市立図書館の館長に就任した。この日本ではよく見られる、ごく日常 的な人事異動だが、私は、「どうして館長に?」と思ってしまった。もちろんその館長に、個人的 な感情はまったくない。それがまちがっていると言っているのでもない。しかし「校長だったから 館長に」という、そのわかりすぎるほどわかりやすい常識が、気になった。 不公平社会。そしてそれから生まれる不公平感。それがこの日本には、充満している。いくら 官僚主義国家といっても、ここまで不公平感が高まると、国の崩壊は、近い。この日本では、 公的な保護を受ける人は、最後の最後まで、徹底的に受ける。そうでない人は、ほとんどとい ってよいほど、受けない。私などは、その「まったく受けない人間」だから、正直言って、生きて いくことにバカらしさすら覚える。 読売新聞が、さきごろこんな調査をした。「日本は努力すれば、だれでも成功できる社会だと 思うか」と。それに対して、「そうは思わない」と答えたのが……、 中学生 ……70・6% 高校生 ……78・1% 大学・短大生……79・4% 社会人 ……72・5% つまり大学生のうち、80%近くが、「努力しても、ムダ」(読売新聞社コメント)と答えているの がわかる。この80%という数字は、私の実感にも近い。「実感」というのは、「日本は、新しいタ イプの社会主義国家」(ある経済評論家の言葉)という実感。まだ十年前には、「そういう見方 もあるのかなあ?」と思ったが、今は、それが80%程度まで、確信に近いものになった。 この日本では、あらゆるものが、認可、許可、それに資格でがんじがらめになっている。一個 人が生きていこうとしても、「さあ、始めよう」と思ったその段階で、すでに無数のクサリが体に 巻きついてくる。この窒息感、閉塞(へいそく)感は、どうしようもない。日本の社会全体を、息 苦しいものにしている。が、それだけではない。この息苦しさこそが、そのまま不公平社会の 「原点」にもなっている。 役人たちは、権限と管轄にしがみつく。そしてそれが窮屈(きゅうくつ)になってくると、さらに 権限と管轄を拡大する。そのために許可、認可事項をふやし、資格制度をもうける。そして箱 モノと呼ばれる建物をふやし、そこへ人員を配置する。 徳岡孝夫氏(評論家)は、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」というが、これですべてで はない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、 施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町 村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇団 体近くもある。そしてこういう世界では、そういう世界に住む人どうしで、仕事を回しあっている。 どこかの県立高校の校長が、市立図書館の館長になっても、まったくおかしくない「しくみ」が、 すでに、完ぺきにできあがっている。 もちろん、それぞれの個人の人に責任があるわけではない。それぞれの人は、その「流れ」 の中で、与えられた仕事をしているに過ぎない。しかしこれだけは忘れないでほしい。こうした 人たちが、最後の最後まで、この日本を食いつぶし、やがてこの日本を破滅させるということ。 そのことは、あの旧ソ連の崩壊を見れば、わかるはず。 ちまたでは、猛烈な不況の嵐が吹きすさんでいる。リストラはますます加速されている。昨 年、大学の同窓会に出たが、民間企業に勤めた友人たち(満五四、五歳)は、全員、例外な く、リストラされていた。そこで転職ということになるが、その転職もままならない。旧国立大学を 出た友人たちですら、「給料が三〇万円以上の会社はないよ」と言っている。こうした現実が一 方にあるにもかかわらず、G県の県庁の検査課(年俸九〇〇万円弱)に勤める別の友人は、 こう言った。「毎日、ヒマでヒマで、どうやって時間をつぶそうかと、そればかりを考えている。パ ソコンを相手にゲームをしていても、だれも文句を言わない。デフレ? かえってここ十年、生 活が楽になったよ」と。 だから私もあえて言う。「この日本、努力してもムダ。構造改革(官僚政治の是正)など、夢の また夢。総理大臣も第一野党の党首も、みんな、元中央官僚だから、話にならない。これから も日本は、ずっとずっと、官僚主義国家。国が滅ぶまで、すっとずっと官僚主義国家」と。 そうそう言い忘れたが、もし私が、「日本は努力すれば、だれでも成功できる社会だと思うか」 と聞かれたら、私はまちがいなく、こう答える。「ノー」と。それがこの五五年間生きてきた、私の 結論でもある。 (030222) ※国家公務員と地方公務員、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事 業団体の職員を含めて、官族という(徳岡孝夫氏)。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(623) 真の自由を求めて…… ●二種類の意識 意識には、二種類ある。「自分で作った意識」と、「作られた意識」である。本当にそう言うか どうかは別として、先日、テレビを見ていたら、こんなシーンが飛びこんできた。あのK国のテレ ビドラマだったが、ある実話をもとにしたドラマだという。その兵士は、ドラマの中で、アメリカ軍 の銃弾を受け、死ぬ前、「将軍様、バンザーイ!」と叫んでいた。 そのシーンを見ていて、私はふとこう考えた。そのK国の兵士は、本当にそう考えて、そう言 ったのか。それとも、そう言わされただけなのか、と。仮に自分の意思でそう言ったとしても、こ の「本当にそう考えた部分」が、「自分で作った意識」ということになる。そして「言わされた部 分」が、「作られた意識」ということになる。 しかし意識というのは、もともと脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、どういう意識であ れ、自分がどういう意識をもっているか、自分でそれがわかる人はいない。だれしも、「私は 私」と思っている。が、ひとつだけ、自分がどんな意識をもっているか、それを知る方法がある とすれば、自分の意識を、他人にぶつけてみることである。あるいは外国の人にぶつけてみる ことである。できるだけ、自分とは違った意識をもっていると思われる人に、ぶつけてみるのが よい。その結果、つまりその反射的効果として、自分がどんな意識をもっているかがわかる。 私も昔、学生のころ、オーストラリアの友人に、「日本の商社マンは、(オーストラリアでは)、 軽蔑されている」と言われたときには、心底、驚いた。彼は「軽蔑」という言葉を使った。当時の 日本といえば、まさに高度成長期のまっただ中。文科系の学生は、みな、銀行マンや商社マン の道をめざした。私もその一人だったが、その商社マンが、「軽蔑されている」と! つまり「商社マンは、すばらしい仕事」という思いは、ひょっとしたら国策の中で、「作られた意 識」ということになる。それは形こそ違うが、K国の兵士が、「将軍様、バンザーイ!」と叫んだ 意識と、それほど違わないのではないか。こう言いきるのは、乱暴なことかもしれないが、しか しそういう面は、たしかにある。もっとわかりやすく言うと、私たちの意識の中には、「私は私」と 思いながら、実は「私は私」と思いこまされている部分が、かなりある? ●私は私でない部分を知る どうすれば、「私は私でない部分」を知ることができるか。私のばあい、私が私でない部分を、 強烈に思い知らされたのは、やはり留学時代である。それまで私がもっていた常識と、オース トラリア人のもっている常識が、まっこうからぶつかりあうたびに、その「私でないない部分」を 思い知らされた。(だからといって、私がまちがっていたというのではない。) よい例が、オーストラリアの友人が、オーストラリア外務省からの手紙を破り捨てたときのこと だった。私が「外交官ではないか! すばらしいことだ!」と言うと、その友人は、「ブタの仕事 だ」と言って、それをゴミ箱へ捨ててしまった。そしてこう言った。「ヒロシ、アメリカやイギリスな ら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。 考えてみれば、あの国は移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは正反 対。一方、当時の日本人にとっては、外国へ出るというだけでも、名誉なことになっていた。つ まりこうしたオーストラリア人の意識を知ることで、私がどういう意識をもっているかを知ること ができた。そしてそのことを手がかりに、自分の中の「作られた意識」を知ることができた。 ●私でない部分からの解放 「自由とは何か」というのは、結局は、「私であってあって、私ではない部分からの解放」という ことになる。最近でもこんなことがあった。 友人の一人が、リストラでそれまで三〇年近く勤めていた会社をクビになってしまった。が、 その翌週から、その友人は、職探しに歩き始めた。ちょうどそのころ会ったので、私はその友 人にこう言った。「どうせ失業保険が出るのなら、そのお金で、目いっぱい、遊べばよいではな いか。奥さんと外国へでも行ってきたら?」と。するとその友人は、「そうは言うけどねえ、林 君。不安なんだよ」と。 またこれは別の知人の話だが、来年、いよいよ定年退職をすることになったという。それにつ いて、「林君、ぼくはね、退職したら、北海道から九州まで、すべての県をひとつずつ観光して みるよ」と。そこで私はこう言った。「だったら、今日から始めればいい。来年になったら、病気 になってしまうかもしれないよ」と。 この二人の友人や知人は、それぞれ、まじめな人である。私がもともといいかげんな人間だ から、よけいに、それがよくわかる。で、彼らは彼らなりの意識をもって、今を考え、未来を考え ている。しかしどこからどこまでが、彼ら自身の意識であり、どこから先が、作られた意識かと いうことになると、それがよくわからない。 「まじめな会社人間」という部分は、これは作られた意識とみてよい。こうした勤勉さを日本人 は美徳とするが、それが本当に美徳かどうかということになると、それは疑わしい。あるいは美 徳と思いこまされているだけなのかもしれない。反対に、この美徳のもと、日本人が犠牲にして いるものも、多い。そのひとつが、家族。家族意識。この話はまた別のところですることにして、 こうした作られた意識に、心ががんじがらめになっている間は、その人は自由にはなれない。 ●真の自由人をめざして 真の自由人になるためには、まず自分の意識を知る。そしてどこからどこまでが自分の意識 で、どこから先が、作られた意識かを知る。それはここにも書いたように、実は、一見、簡単な ことのようで、簡単ではない。しかしそれをしないことには、真の自由人にはなれない。 そして「作られた自分」を発見したら、それと戦う。しかしこれは、さらにむずかしい。たとえば ここに一人のカルト教の信者がいたとする。彼は、死んでミイラ化した死体を、生きていると信 じている。そういう信者に向かって、「あなたはまちがっている」「この人は死んでいる」、さらに は「あなたは狂信的になっていて、自分を見失っている」と言っても、その信者は、その言葉を 理解することもできないだろう。常識的な人から見れば、その信者は「作られた意識」のかたま りということになるが、本人はそれすら理解できない。むしろ「自分は正しい」と思いこんでい る。 仮に、その信者が、自分はおかしいと感じたとしても、その状態から、カルトを抜くのは、きわ めてむずかしい。私も一〇年ほど前まで、いろいろなカルト教団の信者と対峙してきたが、そ の難しさは、想像を絶するものと言ってよい。実際には、不可能に近い。いわんや、自分で自 分の「作られた意識」に気づき、それから抜け出るのは、もっとむずかしい? が、方法がないわけではない。私は「常識」をあげる。いつも自分自身の中の、常識に従って 考え、行動すればよい、と。この常識論については、別のところで考えることにして、私のばあ いは、そうしている。神や仏の教えに従うという方法もあるのだろうが、私のばあいは、常識を 優先させている。おかしいものは、おかしいと思う。すばらしいものは、すばらしいと思う。そう いう常識を大切にしている。これはあくまでも、私だけの方法だが……。 (030222) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(624) 子どものストレスについて 浜松市のSAさんより SAさんは、お子さん(年中女児)が、私の教室でストレスを感じているのではないかと心配し ています。それについて、「心配ありません」とメールを書きました。その返事が届きましたの で、紹介させていただきます。 ++++++++++++++ メール有り難うございます。 「ストレスを感じていない」という先生のお言葉、ホッと致しました。 分からなくても分かっているように答えること、R子(年中児)のストレスにや自信喪失につなが るのではないかと 少し心配でした。 余り大人の感覚で子供を見ないようにしようと反省しました。 今年に入ってから数に関する授業が主なので自宅でも少し教えたりもしていたのですが、上手 に教えることが出来ません。 思わず怒ってしまったり・・・。 昨晩は10時になるとお化けが出てくるからと早く寝るよう自分で努めていました。 先生は花粉症なんですか? お身体ご自愛下さい。 私はU男(弟・〇歳)が大きいせいか、腰痛です。 ++++++++++++++ SAさんへ、 ●適度なストレスは、子どもを伸ばす 適度なストレスは、子どもを伸ばします。それは常識ですが、幼児のばあい、ひとつ条件がつ きます。「神経を使わせない」ということです。子どもは体力や知力を使って、疲れるということ は、まずありません。しかし子どもは、神経疲れには、たいへん弱く、それこそほんの数分と か、半時間だけでも神経を使ったりすると、それこそヘトヘトに疲れてしまいます。同じストレス でも、神経疲れには注意します。 ●注意すべきは、神経症 ストレスが負担になってくると、子どもは、それを体や心で表現します。そのひとつが、神経症 です。 ただこの神経症は、症状が千差万別で、どれといって定型がありません。「どうも様子がおか しいな」と感じたら、神経症を疑います。幼児のばあい、よくみられる症状としては、指しゃぶ り、夜尿症、髪いじり、潔癖症、腹痛、下痢、脚痛、頭痛など。チックなども、よく見られる症状 です。さらに症状が悪化すると、夜驚症や夢中遊行(ねぼけ)などが出てくることもあります。こ うなれば当然、ストレスの原因を取り除かねばなりません。詳しくは、ヤフーの検索などで、「は やし浩司 神経症」を検索してくださると、必要なページがヒットできると思います。http:// www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page079.html ●赤ちゃんがえりにご注意 最近、下の子どもがお生まれなったということですから、上の子の心の変化をていねいに観 察してください。私が見たところ、今のところだいじょうぶのようですが、ふとしたことから、欲求 不満を感ずるようになるかもしれません。「あなたはお姉ちゃんだから」という「ダカラ論」など で、R子さんを、追いつめないようにします。 ここにも書きましたが、適度なストレスは、子どもの成育には欠かせないものです。みなと、ワ イワイ騒ぎながら、自分を発散させます。そういうたがいの刺激が、子どもを伸ばします。安心 して、お任せください。 そうそう腰痛ですが、私も重いものをもったりすると、その数時間後から腰痛が始まります。 要するに重いものをもたないことですが、しかし、そういうわけにもいきませんね。私のばあい は、幸運にも、数日放っておくと、いつの間にか症状が消えています。どうかお体を大切に! それからいただきましたメールですが、次回のマガジンに掲載してもよろしいでしょうか。掲載 予定日は、三月一日になります。よろしくご了解ください。 (付記)ストレスのメカニズム 精神や肉体が、緊張状態におかれると、副腎髄質から、アドレナリンの分泌が始まる。これに よって、心拍数がふえ、呼吸が早くなる。 こうした状態が短期間で終われば問題はないが、それが長期間にわたると、体にさまざまな異 変が起きてくる。食欲がなくなったり、精力が減退したり、さらには免疫機能が減退したり、胃 腸障害などを引き起こしたりする。下垂体前葉などから分泌されるホルモンが、影響を与える とされる。 (030222)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(625) 親としての限度 ぜいたくからは、夢は生まれない。 飽食から、夢は生まれない。 享楽から、夢は生まれない。 安楽からは、夢は生まれない。 子どもをかわいがるということは、ぜいたくをさせることではない。 子どもをかわいがるということは、飽食にすることではない。 子どもをかわいがるということは、享楽にすることではない。 子どもをかわいがるということは、子どもを安楽にすることではない。 子どもを育てるということは、限度をわきまえること。 子どもをかわいがるということは、限度を超えないこと。 子どもをおとなにするということは、限度に耐えさせること。 子どもに夢をもたせるということは、限度の中で育てること。 親としてすべきことはする。 親としてしてはいけないことはしない。 「その限度を知っている親のみが、 真の家族の喜びを与えられる」(バートランド・ラッセル)。 (0030222) ●子どもは、すべての動物の中で、もっとも扱い方がむずかしい。なぜなら子どもはまだ、訓練 されない思慮の泉をもっとも多くもつがゆえに、動物のうちで、もっともずるく、すばしこく、高慢 であるからである。(プラトン「法律」) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(626) ウインド・トーカーズ ニコラス・ケイジ主演の『ウインド・トーカーズ』(新作)という映画を見た。ニコラス・ケイジが演 ずる軍曹と、一人のナバホ族の兵隊との友情をテーマにした映画である。 場所は、第二次大戦中のサイパン島。映画の中の「敵」は、日本軍。この種の映画は、見て いると、いつも複雑な心境になる。いくらアメリカ映画でも、私は日本人だし、いくら日本軍が敵 という映画でも、私はその子孫なのだ。日本兵がつぎつぎと殺されるシーンなどは、見るだけで も、いやなもの。 で、映画そのものは、ドンパチの繰り返しで、それほどよい映画とは思わなかった。しかし最 初から最後まで、私とワイフがその映画に釘づけになったのには、理由がある。そのナハボ族 の役を演じた俳優が、私の二男にウリ二つと言えるほど、よく似ていたからだ。どう似ているか は、もしその映画を見るようなことがあれば、そのあと、二男の写真と見くらべてみてほしい。 二男の写真は、二男のホームページに出ている。二男のホームページは、私のホームページ のトップページから、アクセスできる。 しかも二男は、今、アメリカに住んでいる。この前会ったとき、「人種差別はないか?」と聞く と、あっさりと、「ある」と答えた。「差別されて、いやな思いをしたことはないか?」と聞くと、それ にもあっさりと、「しょっちゅうだ」と答えた。 二男はもちろん、アジア人。これは世界中、どこへ行っても、事情は同じだが、「日本人だから ……」という理由で、特別に見てもらえるということはない。とくに二男が住んでいる中南部あた りでは、大学生でも、日本がどこにあるか知らない人が多い。そこで私が、「そんなところに住 んでいるなら、日本に帰ってこい」と言うと、「偏見など、世界のどこへ行ってもある」と。 映画の中でも、ナバホ族の兵隊は、白人の兵隊たちに、あれこれいやがらせを受ける。「裸 でいると、ジャップ(日本人)も、インディアンも区別つかない」と、ヤユされるところもある。その 兵隊が、ここにも書いたように二男に似ていたため、そのつど、私は見ていて、つらかった。 「二男もいじめられていなければいいが……」とか、「同じようなめにあっているのでは……」と か、思ったりした。 もっともアメリカ人にしても、みながみな、人種偏見をもっているわけではない。また日本人に しても、他国の人に偏見をもっている人は、いくらでもいる。こうした偏見や差別は、二男が言う ように、世界のどこにもある。おかしなことだが、同じ日本人どうしでもある。結論を先に言え ば、こうした偏見をもつ人は、それだけでも、住む世界が狭いということになる。が、それだけで はすまない。そうした偏見が、国家どうしの戦争に発展することもある。あのバーナードショー も、「人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう」(「語録」)と書いている。 あちこち話が飛びそうなので、ここでこの話はやめる。『ウインドトーカーズ』そのものは、何で もない映画だったが、そんなわけで、私は、その映画を見ながら、あれこれ考えさせられた。 (030222) 【追記】 民族としての誇りを、自己に対してもつことは許される。しかしその誇りを、他の民族に、押し つけてはいけない。この種の誇りは、ときとして自己の優位性を示すために利用される。そして その返す刀で、相手を否定するために利用される。危険か危険でないかということになれば、 民族主義は、その排他性ゆえに、それ自体、危険なものである。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(627) 叱りの原点 事情があって、犬小屋を、玄関のほうに移した。とたん、その翌朝から、ハナ(犬)が、ほえは じめた。朝、四時一五分ごろ、新聞配達の人が来るのだが、その人にほえる。 そこでほえるたびに、私は起きていき、ハナを叱る。この犬のほえ声ほど、近所迷惑なもの はない。私はそれをよく知っている。 が、叱っても、ほとんど、効果がない。犬という動物は、考える前に、声のほうが先に出るよう だ。しかもハナは猟犬。もともとあまり知的レベルの高い犬ではない。 初日。私はハナが何度かほえたあと、起きていき、いつもの調子で、「うるさい!」と、一喝し た。ふだんなら、それで静かになる。その朝も、それで静かになった。 二日目。前日とまったく同じ調子で、ほえた。そこで今度は、新聞を丸めて、たたくフリをし た。この方法は、いつも最終的な方法として使うもので、ハナには、かなり脅威になるらしい。 そのフリをしてみせると、そのまま犬小屋にひっこんでしまった。 犬のばあい、叱るほう、つまり私のほうには、「嫌われてもよい」という、どこか投げやり的な 叱り方になる。嫌われるとか、嫌われないとか、そういうことは、あまり考えない。いくら愛犬と いっても、人間の子どもとは違う。第一、言葉が通じない。ある程度の体罰は、しかたない。 「痛み」を与えて、しつけるしかない。 が、三日目もほえた。私は、朝、庭へ飛び出すと、ハナを追いかけた。追いかけて、犬小屋で 追い込んだ。そこで近くにあった、脚立で、入り口をふさいだ。ハナは、犬小屋の中で、ウーウ ーとうなっていた。ハナは、明らかに恐怖感を覚えているようだった。 しかし、だ。そこが犬。これだけ毎朝、叱っても、ハナは、またつぎの朝も、ほえた。いつかワ イフが、「ハナは、バカだ」と言っていたが、そのときは、私もそう思った。学習能力が、ほとん ど、ない。しかしハナにしてみれば、多分、言い分はあるのだろう。通行人は、家の中まで入っ てこない。しかし新聞配達の人は、敷地の中まで入ってくる。私の家のポストは、玄関脇につい ている。 私は犬小屋に逃げたハナを、外へ出して説教しようとした。そして小屋に手をつっこんだとこ ろで、おびえたハナが、さらにけたたましくほえて、私の手をかんだ。「飼犬に手をかまれる」と は、まさにこのこと。指先から少し、血が出た。私は、近くにあった板で、入り口をふさいだ。 その朝は、指を消毒したりしているうちに、そのまま眠られなくなってしまった。書斎に入り、 一時間ほど、原稿を書いた。書きながら、ハナのことが気になった。言うなればハナは独房に 入ったわけだが、しかしこれはいくら犬でも、かわいそうだ。一時間ほどあとに、入り口をふさい でいた板をはずしてやった。ハナはいつものように、体を私にすりよせてきて、精一杯、愛敬を ふりまいた。 子育てにおいても、いかに子どもを叱るかは、重要なポイントになっている。恐怖心を与えな い。威圧しない。暴力を加えない。言うべきことは繰りかえし、淡々と言う。そしてあとは、言っ たことが、子どもの脳にしみこむまで、時間を待つ。……これが原則だが、犬には、この方法 は、通用しない。ここにも書いたように、言葉が通じない。それに犬という動物は、考えるよりも 先に、ほえてしまう。これは犬の本性のようなもの。 そこで私とワイフの出した結論は、また以前の場所に、犬小屋をもどす、だった。で、この原 稿を書く少し前、その作業を完了した。考えてみれば、犬小屋を移したことが、ハナを神経質 にしたのかもしれない。犬にとっても、寝場所というのは、神聖不可侵の聖域。その寝場所を 移したのだから、ハナはハナなりに、情緒が不安定になったのかもしれない。「犬だから……」 と安易に考えた私のほうが、まちがっていた。 で、改めて、叱り方の原点を考える。 私がハナを叱ったとき、私は、頭に血がのぼるのを覚えた。そのとき私は、瞬間だが、ハナ への愛情が消えたのを感じた。とくに手をかまれたときは、そうだった。「こんな犬は、保健所 に送ってやる!」とさえ思った。「怒り」というのはそういうものか。それまでの関係を、こなごな に破壊してしまう。そればかりか、ものの考え方そのものを、破滅的にしてしまう。 一方、「恐怖」にも、同じような作用がある。ふだんはおとなしく、やさしいハナが、私の手をか んだのが、それだ。もっとも本気でかんだのではない。本気でかんだら、私の指など、軽く食い ちぎってしまうだろう。牛の骨でも、バリバリと、人間がせんべいを食べるかのようにして食べて しまう犬である。かんだというより、私の手をはらいのけたとみるべき? そのとき、私の「怒り」と、ハナの「恐怖」が、真正面から、ぶつかった。しかしこうなると、叱る ほうも、叱られるほうも、理性などない。判断力もない。ハナにも、ない。だからいくら叱っても、 意味がない。朝食のとき、ワイフはこう言った。「ハナは、なぜ自分が叱られているか、わかっ ていないのよ」と。私は、「そうだ」とうなずいた。 こうして朝の騒動は、多分、今日でおしまい。あとで追記の形で、明日の朝のことを書く。明 日は、ハナはほえないだろうと思うが、本当のところ、心配は心配だ。明日またほえるようなこ とがあれば、今度こそ、近所の人はだまっていないだろう。クワバラ、クワバラ! (030223) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(628) 英語教育 ●衰退する日本の経済力 またまた、一人の女性(母親、三二歳)が、私のところにやってきて、こう言った。「先生、私は 小学校での英語教育に反対です。先生も、反対してください。まだ日本語も満足に話せないよ うな子どもが、どうして英語ですか!」と。 もうすでに、アジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまった。アメリカでも、アジアの経 済ニュースは、シンガポール経由で入っている。もちろん東京マーケットの情報も、である。 一方、東証外国部から、外国企業が、どんどんと撤退している。二〇〇二年一月の段階で、 上場している外国企業は、たったの三六社。この数はピーク時の約三分の一(九一年一二月 には一二七社)。さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー 銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少した のは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな 英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければなら ない。が、それだけではない。 彼らが日本に住むとき、衣食住は別として、もっとも心配するのが、健康管理である。少し前 だが、アメリカ人の友人が、こう言った。「シンガポールでは、アメリカの病院とまったく同じよう に、ドクターに診察してもらえる。しかし日本では、そうはいかない」と。 一事が万事。日本の国際化は、三〇年は遅れた。たとえばあの韓国ですら、列車で旅をす ると、どこへ行っても、案内板は、ハングル文字のほか、日本語や中国語、それに英語で書か れている。車内アナウンスまで、日本語でしている。が、日本では、英語のアナウンスは、新幹 線だけ。しかも、吹き出すほど、不自然かつ、ヘタクソな英語。「ウエルカム・ツ・シンカンセン (新幹線にようこそ)」などと言われると、日本人の私ですら、「別に、新幹線に乗りに来たので はない!」と言ってしまう。 ●教育は、二〇年先を見ながら組みたてる 教育というのは、二〇年先、三〇年先をみて、組みたてなければならない。そんなわけで、は っきり言って、今ごろ英語教育をはじめても、遅すぎる。先週も、国連大使の英語のスピーチを 聞いたが、あまりにもヘタクソで、私は唖然(あぜん)としてしまった。原稿の英語を棒読みして いるだけ。隣の席は、たまたまイラク。そのイラクに気を使うだけの余裕もなく、ただひたすら原 稿を、一心不乱に見つめながら、棒読み! 私は、こう思った。「この程度の英語力で、どうし て外国の代表と、英語で議論などできるだろうか」と。 こういう現実を前にして、「英語教育は必要ない」とは! 私はあきれて、その女性に反論す ることもできなかった。 教育をもっと自由化しろ! 英語を学びたい子どもがいる。学びたくない子どももいる。英語 を教えたい親がいる。教えたくない子どももいる。英語教育が必要と思う教師がいる。必要でな いと思う教師もいる。だったら、ドイツやカナダ、オーストラリアのように、クラブ制を導入すれば よい。そしてその分、学校を早く終わったり、月謝の補助をすればよい。何からなにまで、学校 で……という発想が、もう古い。北海道から沖縄まで、同じ教育を平等にという発想では、いつ までたっても意思統一などできるわけがない。どうして日本人よ、日本の親たちよ、こんな簡単 なことがわからない! 一部の県の一部の都市では、実験的にクラブ制を導入するところもで てきた。しかしそれは、あくまでも実験的。 「今からでも遅くない」とは、もう言いたくない。遅すぎる。とにかく遅すぎる。今ごろ自由化して も、二〇年後には、日本は、世界どころか、アジアの中でも、ほかのアジアの国々についてい きだけでも精一杯。これは予想でも、何でもない。もう確実な未来である。 どこの学校へ行っても、校舎という建物だけは、度肝を抜くほど、立派。しかし中味は、驚くほ ど、貧弱。それはちょうど、盆暮れのつけ届けでもらう、海苔(のり)に似ている。何枚も包装紙 を解いて、豪華な化粧箱をあけると、これまたきれいな缶が並んでいる。で、その缶のフタをか えると、数枚ずつ海苔が透明の袋に入っている。ごていねいに、一袋ずつ、乾燥剤まで入って いる! 今の学校教育が、この海苔と同じとは言わないが、しかし見かけの豪華さにだまされ てはいけない。教育の価値は中味。未来性があるかないかで決まる。 ●教育の自由化 学校は、三時で終わればよい。ドイツのように単位制度にして、午前中だけで終われるように してもよい。あとは子どもたちの希望と、方向性にあわせて、子どもたちが自由にクラブに通え るようにすればよい。学校の中にクラブを作ってもよい。あるいはほかの学校にあるクラブに 行くようにしてもよい。こうすれば学校の先生の負担も軽くなるし、先生もやる気が出てくる。外 国語にしても、英語だけが外国語ではない。韓国語も、中国語も、親や子どもの希望、さらに は社会的なニーズに応じて、自由に選択できるようにする。民間の活力を利用すれば、教育そ のものが、もっと生き生きしてくるはず。 が、こうした自由化には、一つ、大きな条件がある。それは官僚体制という不公平社会を是 正しておくこと。一方で、不公平社会を野放しにすれば、結局は、進学塾だけが「クラブ」という ことになってしまう。そうなれば、教育の自由化など、まさに絵にかいたモチで終わってしまう。 さあ、みなさん、どうする? 私は、このままでは、本当に日本は沈没してしまうと思う。それを 心配している。もっとも、私のようなものがこういうことを心配しても、どうにもならない。しかしも し、みなさんが、それぞれの場で、ここに書いたようなことを口にしてくれれば、それはやがて 大きな力となって、日本の教育を変えていく。ためしにあなたの子どもの先生に、「教育をもっと 自由化すればいいですね」と言ってみてほしい。その言葉に、決して先生たちは怒らないは ず。なぜなら、今の超の上に超がつく管理教育の中で、もっとも苦しんでいるのは、学校の先 生たちにほかならないからである。 (030223) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ + 子育て随筆byはやし浩司(629) 先を歩く母親 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを 歩く。そして友として、子どもの横を歩く。 このうち、ガイドとして、子どもの前を歩くことしか考えていない親がいる。Mさん(四〇歳)が そうだった。もうあれから五年になるだろうか、ある日、私のところへきて、こう言った。 「先生、私はA進学塾も、B進学塾も、嫌いです。そこで先生にお願いしたいのです。私の希 望としては、C高校ぐらいには入ってほしいのですが、無理ならD高校でもいいです。ただ娘 (小六)には、これからも新体操だけはつづけてほしいと思っています。がんばれば、学校推薦 で、S高校に入れるかもしれません」と。 Mさんと話していて、一番気になったのは、肝心の子どもの姿がまったく見えてこなかったこ と。子どもに相談したという形跡すら、ない。何度も私が、「お子さんは、どう思っているのです か?」と聞こうとしたが、Mさんは、一方的に、まくしたてるだけ。私の話にすら、耳を傾けようと しなかった。 こういう親は、少なくない。何割かがそうであると言ってもよい。「子どものことは私が一番よく 知っている」という過信と錯覚のもと、子どもの進路はもちろん、子どもの心まで、親のほうで勝 手に決めてしまう。そこで私が、「私のところは、個人の教室で、進学塾ではありません。受験 が目的なら、そういう塾へ行かれるほうがよいかと思います」と言うと、「それがわかっているか ら、ぜひ、お願いします」と。 そこでMさんの子どもに面談してみることにした。本人が「やりたい」と言うなら、引きうけるつ もりでいた。しかし子どもは、最初から元気のない様子で、こう言った。「よろしくお願いします」 と。 私「本当に、ここで勉強したいの?」 子「うん……」 私「いやだったら、いやだと言えばいいんだよ」 子「いやじゃないけど……」 私「あのね、先生のほうから、うまく言って、お母さんに断ってあげようか?」 子「……そんなことしたら、お母さんに、叱られる……」 私「いいんだよ。言い方はいろいろあるからね。今は、忙しいから、引きうけられないとか、そう いうふうに言えばいいんだから……」 子「うん……」と。 私がそのとき見た感じでは、「勉強どころではない」だった。子どもの精神そのものが、萎縮し ていた。C高校やD高校どころか、無事、どこかの高校へ入ることすらむずかしいのではと思っ た。原因は母親の過干渉と過関心。もちろんMさんには、そんなことは言わない。言う必要もな い。また言ってはならない。 が、つぎにまた母親に会うと、こう言った。「あのEさん。あの子は、先生のところにいたんで すってね。あのEさん、京都のK大学に入ったというじゃあ、ありませんか。すばらしいことです わ。それにF君。あの子も先生のところにいたんですってねえ。あのF君は、東京のA私立中学 に合格したとか」と。 私の生徒が、みな、首尾よく有名高校や大学(こういう言い方は不愉快だが……)に入学して いるわけではない。進学率ということになれば、たしかにほかの進学塾よりは進学率は、はる かによいかもしれない。しかしそうでない子どもも、多い。 Mさんは、上ばかり見ていた。目が上についているようにも感じた。だから下が見えない。下 を見ようともしない。このままいけば、親の過剰期待が原因で、Mさんの子どもがバーントアウ トする可能性はきわめて高い。不登校を繰りかえすようになるかもしれない。何らかの障害を もつようになることだって考えられる。引きこもりや、家庭内暴力を起こすようになるかもしれな い。しかしMさんには、それがわからない。 さらに数日してから、私は、Mさんの子どもを預かるのを断った。親の期待が、子どもの実力 と、大きくかけ離れているときは、早めに断ったほうがよい。これは私が、この三〇年間で身に つけた処世術のようなもの。へたに手を染めると(失礼!)、私自身も、受験競争のドロ沼に巻 きこまれてしまう。そうなればなったで、体がいくつあっても、足りない。心も、もたない。いや、 それ以上に、子どもが犠牲になる。 そのあと、Mさんの話は聞かない。今度、そのあとどうなったか、どこかで聞いてみようと思 う。その報告は、またの機会にする。 (030225) ●教育とは、自然の性、すなわち天性に従うことである。国家、あるいは社会のためを目標と し、国民とか公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。(ルソー「エミール」) ●教育の目標は、それぞれの人が、教育を終えたあとも、自己の教育を継続できるようにする ことである。(デューイ「教育論」) ++++++++++++++++++ 【追記】 このMさんのことを書いていて、思い出した生徒(小四女児)がいる。Rという名前の女の子 だった。まじめすぎるほど、まじめな子だった。小学生だったが、几帳面(きちょうめん)な会計 士をそのまま子どもにしたような子だった。言葉づかいも、まったく乱れなかった。ときどき、母 親と話す機会があったが、「家でもそうだ」と、母親は言った。 Rさんは、経済的には恵まれていたが、家族の愛には、そうでなかった。両親は結婚当初か ら、まったくの別居状態だった。家族の体裁をかろうじて支えていたのは、世間体だった。 (中略) そのR子さんは、小学六年生になるとき、私の教室を去っていった。R子さんの弟から、R子 さんの母親が、すでにK進学塾への申し込みをしたという話を聞いていた。こういうケースで は、私はまったく、無力でしかない。 「……先生、私、この教室をやめたくないです」 「わかっているよ」 「また、いつか教えてもらえますか」 「いいよ。いつでも、もどっておいで」 「お母さんが、どうしてもK進学塾へ行けと言うから」 「わかっているよ。うちは、進学指導はしないから、ごめんね」 「……」と。 (中略) そのあとRさんは、不登校を断続的に繰りかえしながらも、市内の進学高校に入学した。しか し入学と同時に、その段階で、そのまま燃えつきてしまった。あわせて過食症と拒食症を交互 に繰りかえすようになった。数か月もの間、部屋から一歩も出てこないこともあったという。Rさ んの母親から、何度かめの相談を受けたのは、そのころだった。 「どうしてうちの子だけが、ああなってしまったのでしょう」 「決してR子さんだけでは、ないですよ」 「街を歩いていて、同年齢の子どもが元気そうなのを見ると、自分がなさけなくなります」 「そんなふうに、思ってはいけません。だれだって、風邪をひくでしょう。それと同じです」 「あの子は、本当にいい子でした」 「今でも、いい子ですよ」 「今でも……?」と。 R子さんを、そういう子どもにしたのは、母親かもしれない。そうでないかもしれない。しかし母 親が原因でなかったとは、私にはとても言えない。が、原因など、こうなってみると、どうでもよ いことかもしれない。R子さんは、R子さんだ。R子さんは、精一杯、よい子を演ずることによっ て、自分を追いこんでいった。そしてそれがある日、突然、プッツンしてしまった。 もしその途中の段階で、母親が友として、R子さんの横を歩いていたら、R子さんは、そうはな らなかったかもしれない。あるいは多少の問題はあっても、こうまで症状をこじらせることはな かった。そんなこともあって、私は、改めて、こう思う。 親は、結局は、行き着くところまで自分で、行かないと、気づかない。ほとんどの親は、子ども が何かのサインを出し始めても、「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、それを見落として しまう。さらに症状が進んでも、「まだ何とかなる」「今が最悪」と、無理をする。あるいは多少、 子どものできがよかったりすると、目いっぱい、無理をする。そしてあとはお決まりの悪循環。 この段階でも、親は、底の底に、もうひとつの底。さらにその下にもうひとつの底があることを 知らない。R子さんの母親も、最初は、「このままでは、うちの子は、大学へ行けなくなってしま う」と言っていたが、私はそのとき、「その程度ですめばまだよいほうだ」と思った。 さて、あなたはだいじょうぶか? あなたは自信をもって、子どもの横を友として歩いていると 言えるか? もしそうでないなら、一度、自分の子育てを見なおしてみたらよい。「子どものこと は、私が一番よく知っている」「うちの子は、まだまだ伸びるはず」「私と子どもは、良好な親子 関係を築いている」「子どもは私に感謝しているはず」と思っている親ほど、あぶない。 +++++++++++++++++ 燃え尽きる子どもについて書いた原稿です。(中日新聞経済み) ++++++++++++++++++ ●「助けてほしい」 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、 助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、 してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。 一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多 いとみるか、少ないとみるか? ●燃え尽きる子ども 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減 退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、 強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。 で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。 ●原因は家庭、そして親 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経 症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、 高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。 「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入 れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」 と。 ●休養を大切に 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者 が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう 状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合 っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(630) がまん論 ●体重が六六キロに、逆戻り! 正月過ぎに、体重が六三キロ台になり、喜んでいた。が、今夜、体重計に乗ってみると、何 と、六六キロ! ギョッ! あわててまた、ダイエット宣言。道理でこのところ、食事がおいしい はずだ。昨夜も、夕飯のあと、パンを丸々一個、食べてしまった。 『克己(こっき)』という言葉がある。「自分に克つ」という意味である。一見簡単そうだが、自分 に克つことはむずかしい。戦場で、幾百人の敵に勝つより、自分に克つことのほうが、はるか にむずかしいと言った人もいる。私自身は、戦場に立ったことがないので、これについてはよく わからない。が、教える立場で言うなら、「自分にきびしい教師ほど、子どもにやさしい。しかし 自分に甘い教師ほど、子どもにきびしい」というのは、正しい。 ●自分との戦い ……と、まあ、おおげさな話は別にして、ダイエットというのは、まさに自分との戦いでもある。 食欲というのは、それくらい強い欲望と考えてよい。たとえばどこかの店で、料理を注文する。 目の前に、一人前の料理が並べられる。全部食べてしまうと、食べすぎということはわかってい る。しかしいったん食べだすと、とまらない。そのときだ。「今日はここまで」と、箸をおく。ダイエ ットしたことがある人なら、だれしも知っていると思うが、空腹感を残したまま、がまんして食事 を中断するのは、たいへんなことである。 しかしこうしたがまんは、日常生活には、つきもの。その一つが、性欲。ネットサーフィンをし ていると、ときどき、とんでもないサイトに出くわすことがある。「素人妻投稿クラブ」「混浴クラ ブ」「輪姦クラブ」「SMクラブ」などなど。出会い系サイトのチャットルームの会話をながめてい ると、「これが現実か!」とさえ思ってしまう。いや、そういうサイトを見たあと、自分のホームペ ージやマガジンを読むと、自分のしていることが、バカらしく思えてくる。アクセス数にせよ、読 者数にせよ、彼らのそれは、私のホームページやマガジンとは、ゆうに二桁は違う! ●がまん が、ここでも、がまんする。「残り少ない人生だから、そういう楽しみがあってもいいのでは」と いう誘惑も、ないわけではない。「どうせ排泄行為なのだから、それほどシリアスに考えることも ないのでは」という思いも、ないわけではない。性欲を満たし、排泄(男は射精、女性はクライマ ックス)したときの快感は、決してほかでは味わえないものである。が、それでもがまんする。 私のばあい、もうひとつのがまんは、運動である。毎日、一、二時間のサイクリングは欠かし たことがない。が、寒い日は、正直言って、つらい。しかしそれでも自転車にまたがる。そこで も、やはり、同じようながまんを経験する。「できるならやめようか」とか、「今日一日ぐらいは、 さぼろうか」という思いが、いつもそのつど私を悩ます。 ●自滅プログラム? そういう意味では、人間というのは、本来的には、怠け者なのかもしれない。「できるだけ楽を しよう」と考えて、楽を求めるのではない。「できるだけ苦労を避けよう」と考えて、結果として、 楽な道を選ぶ? これは脳のどういうメカニズムによるものかは知らないが、考えようによって は、自滅プログラムということになる。 (苦労を避ける)→(運動不足になる)の悪循環を繰りかえしていれば、その人は、結局は健 康を害することになる。自滅することになる。そこで本来なら、つまり運動不足になったら、生き るためのプログラムが作動して、食欲や性欲のように、運動を求める欲望が起きなければなら ない。「運動不足だ。ああ、運動したい」と。しかし実際には、そういう欲望は、生まれない。 ●がまんの美学 そこで私は気がついた。食欲をがまんする力。性欲をがまんする力。そして運動するために がまんする力は、同じものである、と。もう少しわかりやすく言うと、こうなる。 食欲や性欲は、いわば生きていくために必要なプラスのプログラム。一方、苦労をしたくない というのは、自滅の道につながるマイナスのプログラム。こうしたプラスとマイナスの、無数のプ ログラムが、いつも同時に人間には作用している。が、どんなプログラムであるにせよ、度がす ぎれば、害になる。そこで「がまん」という作用が働く。言いかえると、がまんすることこそが、人 間の意志、もっと言えば、人間が人間であるゆえんということになる。 ●がまんするから人間 がまんできるかどうかで、その人の意思の強さが決まる。そして意思の強さは、そのままその 人自身の、人間的な価値ということになる。プラスのプログラムであるにせよ、マイナスのプロ グラムであるにせよ、本能的なプログラムに操られている間は、その人は、ただの「生きる動 物」にすぎない。しかしそうしたプログラムと戦い、自分の意思で自分をコントロールしたとき、 その人は、「生きる動物」の上に立つ「人間」ということになる。その、つまり自分をコントロール するための一つの方法が、ここでいう「がまん」と考えてよい。 ……と考えて、これで結論が出た。私は明日から、自信をもって、ダイエットする。しばらく苦 しい戦いがつづきそうだが、その戦いこそが、私が人間であるという証拠でもある。食欲や性 欲に負ければ、それはそのまま、人間としての私の敗北でもある。私は人間であるがために、 がまんする。人間であるということを証明するために、がまんする。「ははは。さあ、こい、食欲 め! 負けるもんか!」と。 (030224)※ ●あらゆる動物において、もっともはげしい欲望は、肉欲と飢餓である。(アディソン「スペクテ ーター」) ●われわれをいちばん強く支配する欲望は、淫欲のそれである。この種の欲望は、これで足り るということがない。満足させればさせるほど、ますます増長する。(トルストイ「読書の輪」) ●貪欲は、偶像礼拝にほかならず。(新約聖書・コロサイ人への手紙) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(631) ●子どもを支配する 人、親子でいえば子どもを支配する方法に、三つある。命令、同情、それに脅迫。 「○○しなさい!」と命令する。このばあい、親は、いつも子どもに対して、優位な立場にいな ければならない。一般的には、この方法で、親は子どもを支配する。しかしときに、親子関係が 逆転することがある。そういうとき親は、同情という方法を用いる。子どもに同情させながら、結 局は自分の思いどおりに、子どもを操るという方法である。 Aさん(女性四五歳)が、それに気づいたのは、ごく最近のことだった。ある日、伯父(七三歳) から、突然、電話がかかってきた。伯父はAさんにこう言った。「姉(Aさんの母親)の様子が、 おかしい。一度、姉の様子をみてほしい」と。そこでAさんが、母親(七六歳)の家に行ってみる と、母親は、いつものように元気だった。Aさんは、こう言う。 「母は、自分がさみしくなると、あちこちに電話をします。しかしそのとき、今にも死にそうな、 か弱い声で、あちこちに電話をするのです。それが母のクセなのですが、それで、みなが心配 して、私のところに電話をしてきたりするのです」と。 が、それだけではない。たとえばAさんが、しばらく訪問してくれなかったとすると、Aさんの母 親は、伯父に、こんな電話をするという。 「あああ、子どもなんて、育てるもんじゃないですね。孫ができると、みんな、親のことなんか、 忘れてしまって。親なんて、さみしいもんです」と。そしてAさんには、こう言う。若くして死んだ、 叔母のBさんのことを話題にしながら、「Bさんは、早く死んでよかったね。長生きしても、いいこ とは何もないし……。私も早く、お迎えがこないかねえ」と。 ●もともと依存心の強い人 こうした「同情」という方法を用いる人は、もともと依存心の強い人とみてよい。人間はだれしも 歳をとると、その依存心が強くなるが、もともと強い人は、さらに拍車がかかる。そして歳を重 ねた分だけ、その方法が巧みになる。ごく自然な形で、それをすることができるようになる。こ れはYさん(女性七〇歳)のケース。 Yさんが、息子や娘たちにお金をせびるときには、独特の方法を使う。まず健康状態がおも わしくないことをにおわす。つぎに生活が苦しいことをにおわす。そして息子や娘たちが心配し て電話をかけてきたりすると、こう言う。「心配しなくてもいいよ。お母さんは、○○さんが、先週 届けてくれた竹の子を、毎日、食べているからね。おいしいよ。お前たちにも、分けてあげたい ね」と。 息子や娘たちは、たがいに連絡をとりあい、Yさんに、いくらかのお金を送る。するとYさん は、息子や娘たちにこう言う。「ありがとう。これで母さんも、安心してお前たちのために、先祖 様を、お祭りすることができるよ。お前たちのために、しっかりと、古里(ふるさと)を守っておい てあげるからね。お金は、大切に使わせてもらうよ」と。 同情と、恩着せは、いわばペアのようなもの。この二つを巧みに使い分けながら、結局は、子 どもを、自分の思いどおりに操る。よい例が、窪田聡氏とい人が作詞した、『かあさんの歌』と いう歌である。「♪母さんは、夜なべをして、手袋、編んでくれた。『木枯らし吹いちゃ、冷たかろ うて。せっせと編んだだよ』……」という、あの歌である。(『木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて。せ っせと編んだだよ』の部分は、母からの手紙の引用という形になっている。)仮にそうであって も、親は息子に、こんな手紙を書いてはいけない。日本では、この歌は名曲の一つになってい るが、名曲になっているということ自体、こうした同情と恩着せが、この日本では、ごく日常的に なされていることを意味する。 ●代償的愛 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、そして真の愛。こうして教 条的に、「愛」を分類するのは、正しくないかもしれないが、大まかに分ければそうういうことに なる。 このうち代償的愛というのは、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりに動かし たいという愛をいう。いわば愛もどきの愛ということになる。多くのばあい、自分の心のスキ間 を埋めるために、子どもを利用する。よい例が、溺愛である。 ある母親は、毎朝、幼稚園の門のところに立って、自分の子どもをながめていた。そこで園 長が、「心配しなくてもいいですよ。任せてくださいね」と言うのだが、いっこうにそれに応ずる気 配がない。その母親は、園長にこう言った。「あの子は、私がそばにいてあげないと、何もでき ない子どもですから」と。そしてこんなことがあった。 幼稚園で、お泊り保育をしたときのこと。その母親は、一晩中、泣き明かしたというのだ。しか もその母親は、そういう自分の姿を、「あるべき親の姿」として、みなに話したという。 一般的には、溺愛している母親は、それを親の深い愛と誤解する。溺愛していることを、むし ろ他人に誇ることが多い。しかし溺愛は、愛ではない。ここでいう代償的愛である。ほかにも、 たとえば子どもの受験勉強に狂奔する親がいる。このタイプの親は、「子どものため」と称し て、結局は、子どもの心など、何も考えていない。自分の不安や心配を解消するために、そうし ているにすぎない。 ここでいう「子どもに同情させながら、子どもを自分の思いどおりに動かす」というのは、まさ にその代償的愛ということになる。ふつうは、命令という形で、子どもを自分の支配下におこう とするが、それがままならなくなると、親は、同情という手段を用いる、が、それでもままならな いと、今度は、脅迫とという手段を用いる。 ●子どもを脅迫する親 私もこの話を最初に聞いたときには、耳を疑った。しかし現実に、こんな話がある。以前書い た原稿の一部を、転載する。 ++++++++++++ ストーカーする母親 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居することに なった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していたのが、娘の 実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも……」と考えていた が、そのもくろみは、もろくも崩れた。 が、結婚、二年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家庭騒動 の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、珍しくない。し かしここからが違った。 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)による 復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当たった!」 「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた人生を返せ!」と。 それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、はやく死んでしまえ!」 「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろってやる!」「親を不幸にした ものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。 それだけではない。どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知ってい て、「夫婦だけで、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品を あさっているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、あ れ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、 何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が悪くな ると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、フラフラする わ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえるのに」「もう、長いこと 会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしくないわよ」「明日あたり、私の 通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。 +++++++++++++++ ここまで極端な例は少ないにしても、これを薄めたようなケースとなると、いくらでもある。ひょ っとしたら、あなたの親もそうかもしれない。さらにひょっとしたら、あなた自身もそうかもしれな い。 ●真の愛を 子どもを愛するということは、そんな簡単なことではない。では、どうすればよいかということに ついては、またの機会に考えるとして、こうした問題では、まず、自分がそうであることに気づ かねばならない。 あなたは、子どもを支配しようとしていないか。命令したり、同情したり、あるいは脅迫したりし ていないか。もしそういう傾向が見られたら、今のこの段階で、その「芽」を、つぶしておいたほ うがよい。でないと、先にも書いたように、この芽はますます大きくなり、やがてあなたの子育て のあり方そのものをゆがめる。そして結果として、親子関係を破壊し、あなたはさみしく、孤独 な老後を迎えることになる。 (030224) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(632) 正直(1) 山荘を建てるとき、ジャリを買った。最初は庭師から買った。一立米、二万円だった。つぎに 近くのコンクリート会社から買った。そのときは、一立米、一万二〇〇〇円だった。そこで最後 は、自分たちでトラックを借りて、ジャリ会社から直接買った。ジャリ会社では、「重さ(トン売 り)」でジャリを売ってくれたので、正確な値段はわからないが、一立米に換算すると、二七〇 〇円以下ではなかった。これを並べてみると、こうなる。 庭師 ……二〇〇〇〇円 コンクリート会社……一二〇〇〇円 ジャリ会社 …… 二七〇〇円 この世界、値段があってないようなもの。しかし一方で、こういうことばかりしているから、結局 は信用されない。私たちも信用しない。しかしそれが回りまわって、その業種の全体評価となっ てしまう。 今、若い人で、政治家は信頼できると考えている人は、ほとんどいない。その理由のひとつと して、つまり私たちが、「政治家はどうも?」と思うのは、こうした政治家の多くが、その裏で、土 建業者、もしくは不動産業者とからんでいるからではないのか。 このことは、地方議会だけのことではない。県議会も、そして国会も、それぞれの議員の多く が、その裏で、土建業者、もしくは不動産業者とからんでいる。違いといえば、スケールが違う だけ。それぞれが公共事業という利権にぶらさがって、好き勝手なことを、し放題、している? 結局は、私たち一人ひとりが、賢くなるしかない。私も、とても残念なことだが、土建業者や不 動産業者とつきあうときは、細心の注意を払う。小さな工事を頼むときでも、彼らがもってくる見 積書や仕様書などというものは、私たちをだます、七つ道具のひとつにすぎない。そう考えるよ うにしている。 ほかにも、たとえば山荘の工事では、いろいろな工事を、そのつど、土建業者にしてもらっ た。水道管を埋設するときも、四〇センチ以上、穴をほるという約束だったが、実際には、一五 センチ以下だった。疑いをもった村の人が、掘り返してみせてくれたときには、私自身の信用 にキズがついてしまった。 政治についてもそうで、私たち一人ひとりが、賢くなるしかない。賢くなって、人間を選ぶ目を 養うしかない。つまり、今の日本の政治が、ここまで質が悪くなってしまったのは、政治家を選 ぶ、私たちが、愚かだったということになる。私のエッセーにしては、かなり飛躍した結論になっ てしまったが、結局は、そういうことになる。 ついでに、こんな話もある。 あるとき市議議員のX氏が、数名の選挙参謀をつれて、私の事務所へやってきた。そしてこ う言った。「その先の堤防に、私は石段をつけようかと考えているのですが、いかがですか」と。 事務所のオーナーがやってきて、うれしそうにこう言った。「ぜひ、お願いします。あそこに石 段があれば、便利になります」と。 こうしてその市議会議議員は、そのあたりの家を一軒ずつ、回った。私はそれを見ながら、 「政治家もたいへんだなあ」と思った。が、ところが、である。工事は、何と、それから一か月も しないうちに始まってしまった! その政治家は、その石段工事がすでに予定になっているのを知って、つまり自分の手がらに 見せるために、そうしたのだろう。というのも、いくら何でも、一か月というのは、早過ぎる。仮に そういう計画があったとしても、議会での承認、工事費の見積もり、入札などなど、少なくとも半 年はかかるのでは? 私はその工事を見ながら、ますます政治家を信用しなくなった。 これはあくまでも余談だが……。 (030224) 【追記】 またまた否定的なことばかり書いてしまった。どうもこのところ、私の精神状態はよくないよう だ。本当なら、「こういういい政治家もいます」「こういう良心的な土建業者もいます」というような 話を書くべきかもしれない。私のエッセーを読みつづけていると、きっと読者の人も、暗くなって しまうだろう。 ものを書くときは、つまり自分の意思を相手に伝えようと思うときは、どんなテーマであれ、ま ず自分の精神状態を整えなければならない。整えたうえで、自分の考えをまとめる。でないと、 かえって、読者の方を、おかしな方向に導いてしまうことになる。そこであえて実験。今度は、 同じテーマで、心を整えてから書いてみる。 ++++++++++++++++++++ (同じテーマで……) 正直(2) 山荘を建てる前、私とワイフは、土地づくりに六年をかけた。もともとミカン畑になっていたと ころを、ユンボで削って整え、そこに杉の木を植えた。私たちは、毎週、週末を、そのあたりで 過ごした。テントを張って、野宿したこともある。 そんな中、一人の石組み屋の人と知りあった。Kさんという。知りあったとき、もう六〇歳をす ぎていた。私はこのKさんに頼んで、山荘のまわりの石組みをしてもらった。Kさんの本職は、ミ カン栽培。それで石組みをしてもらうにしても、Kさんの手がすいたときということになった。こう して、実際には、五年ほどをかけて、少しずつ、石組みをしてもらった。 ある日、Kさんは、こう言った。「私が作った石組みは、地震があっても、ビクともしない」と。K さんは、このあたりで出る石灰岩を、一個ずつハンマーで叩いて形を整えてから、積みあげて いた。内側にセメントをつめたが、鉄筋は使わなかった。「これが昔からのやり方でね」と。 そのKさんの仕事に気迫がこもるようにんばったのは、すい臓ガンの手術をしてからだ。私が 「たいへんだったらいいですよ」と言うと、「ぜひ、私にやらせてください。私が完成します」と。い つも奥さんが仕事を手伝っていたが、「この人は、言いだしたら聞かないのです」と笑ってい た。 石組みは、平米(へいべい・一平方メートル)単位で、値段が決まる。Kさんは、「平米、一万 五〇〇〇円でいい」と言った。だから高さ一・五メートル、一〇メートル幅で、二二万円前後とい うことになる。相場の値段の約半額程度。私はいつも「申しわけない」と思いつつ、Kさんの仕 事を、休みには、手伝ったりした。 そういうKさんの、いわゆる「まじめさ」は、どういうところから生まれたのか? いつだった か、Kさんは、こんな話をしてくれた。 「今の子どもたちは、学校が休みだというと、喜びますね。しかし私が子どものころは、学校 へ行くのが楽しみだった。家にいるとね、仕事ばかりさせられましたから……」と。何でも、燃料 で使う焚き木集めは、子どもの仕事だったという。Kさんは、山々の尾根を指でたどりながら、 「あのあたりまで焚き木を集めに行ったものです」と言った。 私も子どものころ、学校の給食が楽しみだったのを覚えている。家での料理は、正直言っ て、まずいものばかりだった。その話をすると、Kさんは、「今の子どもたちは、恵まれすぎてい ますよ」と。 子どもというのは、皮肉なものだ。楽をさせればさせるほど、そしてよい思いをさせればさせ るほど、ドラ息子化する。しかし反対に、使えば使うほど、忍耐力のある、たくましい子どもにな る。生活力も、身につく。私はKさんを見ていて、そう思った。 で、そのあと、Kさんは、一時、抗がん剤をのんでいたため、どこかふつうでない様子のときも あったが、どうやら病気のほうは、治ってしまったようだ。それからもう八年になるが、今でも、 ミカン栽培をしている。山荘に行く途中の道で、小型トラックを出して、一袋一〇〇円のミカンを 売っている。私は週末にその街道を通りすぎるたびに、Kさんは元気なんだなと思う。いや、少 し前までは、私たちの車(赤いカローラ)を目ざとく見つけ、ミカン畑から飛び出し、よく手を振っ てくれた。が、新しい車(水色のビッツ)にかえてからは、それもなくなった。今度、新しい車を見 せながら、あいさつに行こうと思っている。 そうそう山荘が完成したとき、私はKさん夫婦を、一番に山荘に招待した。なべ料理をごちそ うした。それから山荘の裏手の床に、Kさんの名をコンクリートで刻んだ。それには、「一九九 六年八月・石組みを完成する・H・K・」と書いた。 +++++++++++++++++++ ●こうして「正直(1)」と、「正直(2)」を書いてみた。同じようなテーマだが、書く私の視点が違う と、多分、みなさんに与える印象も違うのでは……。同じ土建業者といっても、Kさんのような人 もいる。 (030224) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(633) 読書 このところ毎日のように、本を買っている。買うといっても、値段が手ごろな新書版。だいたい 五〇〇〜六〇〇円前後。その分、夕食は、四〇〇円前後であげる。私のばあい、夕食が外食 になる。(一日の小づかいは、二〇〇〇円なのだ!) 正直に告白するが、あの文学小説ほど嫌いなものはない。文字をもてあそぶような表現方法 が気に入らない。たいした人生経験もないような人が(失礼!)、わかったようなことを、得意顔 で書くのが気に入らない。もし「書け」と言われるなら、私だって、あの程度の文章なら、いくらで も書ける。 ……小さな風流が、そこかしこに渦をつくり、小枝をさざめかす。その間から白い、朝の陽光 がいく筋もの帯をたらす。こまかいさざ波が、あちこちで重なりあって、こぜわしく動きあってい る。私は、まだ開ききらない目を、数回手でこすりながら、どこか重ぼったい頭を熱いお茶でご まかす。そしておもむろに、その日の新聞を開く……。 こうした文章は、技巧的であるがゆえに、「私自身」ではない。が、何よりもこわいのは、読者 に、まちがった印象を与えることだ。文章というのは、そういう意味では、衣装に似ている。飾ろ うと思えば、いくらでも飾れる。あの文学小説には、どうしてもその「飾り」がつきまとう。 そんなわけで私が買うほとんどの本は、実用書。しかしおかしなことだが、育児の本や、教育 の本は、ほとんど買わない。そういう本に影響されるのが、いやだからだ。二番煎じのような文 章は、書きたくない。仮に私が言っていることが、だれかの言っていることに似ているとしても、 それは偶然によるもの。私のばあい、だれかが私と同じことを言っていると知ったときには、自 分の説をひっこめるようにしている。 こんなことがあった。 先日、テレビを見ていたワイフが、「あれっ、この人、あなたと同じことを言っている」と言っ た。見ると、どこかの教育評論家が、対談しているところだった。「どんなことをしゃべった?」と 聞くと、「子育ては、子どもに子どもの育て方を教えることと言っていたわ」と。 子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。……というのは、私の二五年来の持論でもあ る。私はこのことを、幼稚園で教えているときに発見した。 ある日のこと。園児たちに、「君たちは、おとなになったら、何になりたいですか?」と聞いたと きのこと。子どもたちはいろいろなことを言ったが、ひとり、「私、幼稚園の先生になりたい」と言 った子どもがいた。そのときだ。私はこう思った。「そうか、じゃあ、先生が、その見本を見せて あげよう。あなたが幼稚園の先生になったら、こういう先生になればいい」と。 「子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て」という、私の持論は、こうして生まれた。しか しマスコミというのは、何かにつけて、東京という中央から、地方に流れてくる。いくら私が二五 年前から持論を唱えても、そういう声は、中央には届かない。いくら本を書いても、その本その ものが売れない。この世界では、実力よりも、知名度がモノを言う。肩書きがモノを言う。で、ど こかのだれかが私の持論と同じことを、テレビでしゃべったとする。するとその説は、その瞬 間、全国に流れ、私の説がそのまま吹き飛ばされてしまう。 それ以後、私が、「子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て」といくら言っても、二番煎じ になってしまう! だから私の立場としては、自説を引っこめるしかない。 そういうこともあって、つまりほかの人の子育て論や教育論を読んでいると、何かにつけて、 いろいろ影響を受けるので、私は、努めて、読まないようにしている。私は私だし、そういう姿 勢はこれからも貫きたい。もしどこかに私の意見と同じようなことを言っている人がいたら、そ れはここにも書いたように、偶然か、そうでなければ、その人が私の説を盗んだかのどちらか と考えてもらってよい。 しかしこれだけは、読者の方に約束する。私はいまだかって、(当然だが……)、他人の意見 や文章を、盗用したことは一度もない。引用するときは、必ず、出典先を明記する。 あちこちに話が飛んだが、今、読んでいる本は、「釈迦の遺言」(志村武著・三笠書房)。読み ごたえのある良書である。ほかに週刊誌などは毎週三〜四冊は買っては、アメリカに住んでい る二男に送っている。あとはパソコン雑誌や、旅行雑誌など。ときどき料理の本や、ラジコンの 本も買う。そのときの気分。小づかいのほとんどは、そんなわけで、本代に消える。 (030225) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(634) あとで伸びる子、伸び悩む子 中学や高校の後半になって、学習面で、伸びる子と伸び悩む子がいる。どこがどう違うか? まず伸び悩む子どもだが、自分で勉強していくという姿勢そのものがない。依存心が強く、だ れかに指示してもらわないと、何もできない。子どものときから、手取り、足取り、指導されてい ると、子どもはそうなる。 私の本業は、学習塾だから偉そうなことは言えないが、子どもは、その塾づけにしてはいけ ない。子どもを塾づけにすれば、ある学年までは伸びるが、そのあと、伸び悩む。そこで私の ばあい、子どもが高学年になればなるほど、「自分で勉強しなさい。わからないところだけをも ってきなさい」というような教え方をする。一見、冷たい教え方に見えるかもしれないが、そのほ うが、結局は、子どものためになる。 まずいのは、子どもを塾づけにし、依存心をもたせてしまうこと。もっとも、ずるい進学塾など は、親も子どもも、むしろ塾づけにすることによって、塾から離れられなくする。そのためにどう するかということを、彼らは、企業戦略の一つとして、毎日のように研究している。簡単な方法 としては、「この塾を離れたら、勉強ができなくなりますよ」「成績がさがりますよ」という状態に する。方法は、いくらでもある。 ……こういう話は苦手なので、ここまでにしておく。私はそういう意味で、知りすぎている。詳し く書けば、同業の仲間を裏切ることにもなる。私の姿勢はどうであれ、仲間は仲間だ。それに いくら「私だけは違う!」と叫んでみても、世間は、そうはみてくれない。とくにこの日本では、地 位や肩書きだけで、相手を判断する。その傾向が強い。 しかし大切なことは、子ども自身が、自ら伸びていくように、その方向性と原動力をつくるこ と。そして子どもに任すところは、思いきって任す。親としては、やりすぎない。その限度をしっ かりと守る。 もちろんそれでも伸び悩む子どもというのは、いる。しかしあなたにも限界があるように、そし て限界があったように、だれにでも限界はある。その限界を認めて、あとは子ども自身に任 す。もっとはっきり言えば、あきらめる。まずいのは、「まだ何とかなる」「うちの子はやればでき るはず」と、子どもを追いたてること。そして伸びる芽まで、反対に摘んでしまうこと。 では、どうするか……? それを説明するのが、私の役目ということになる。これからそれに ついて、一つずつ説明していきたい。 ●リズムを守り、無理をしない。 学習面で子どもを伸ばすためには、リズムをつくり、そのリズムを守る。毎日のリズム、毎週 のリズム、そして学期ごとのリズム、と。そのリズムは、ときに単調で、退屈なものだが、そのリ ズムの中で、子ども自身が変化するのを、辛抱強く、待つ。そういう意味で、学習塾を利用する のは、悪いことではない。 コツは、決して、無理をしないこと。子どもの能力が、七とか八のレベルなら、家庭での学習 は、五とか六のレベルで進める。大切なのは、子ども自身が感ずる達成感である。あるいは低 学年児であれば、満足感ということになる。「できる・できない」ではなく、「どう楽しんだ」かを大 切にする。 ●本読みが、すべての学習の基本 小学生のばあい、理科も社会科も、「理科的な国語」「社会科的な国語」と考えるとよい。つま り本を読んで理解するが、理科や社会科の力の基本になる。反対に、本を読んで理解すると いうことが苦手だと、ほとんどの科目に、その影響が出てくる。 そんなわけで、読書を、家庭教育の中心にすえるとよい。アメリカの小中学校でも、読書(ラ イブラリー)の授業を、たいへん重要視している。学校の図書室も、たいてい玄関を入ると、す ぐのところにある。 問題は、いかにして本を読ませるかだが、親がテレビを見ながら、子どもに向かって、「本を 読みなさい」は、ない。親自身が、日常的に本に接すること。そういう姿勢が、子どもを本好き にする。 ただ漢字と、計算練習は、別に、毎日少しずつしたほうがよい。しかし量に注意する。小学校 の低学年児では、毎日一〇〜二〇分が限度ではないか。高学年児でも三〇分を限度とする。 子どもにもよるが、毎日の課題は、過負担にならないようにするのが、コツ。 ●月刊ワークブックを利用する 現在、多くの月刊ワークブックが市販されている。チャレンジ、毎日の学習、ポピー、トレーニ ングペーパー、エースなど。ここに名前をあげた教材は、どれも編集面ですぐれた教材であ る。選ぶとしたら、この中のものを、推薦する。ただ子どもの好みやレベルの問題があり、どれ がどうとは言えないが、だいたいつぎのような基準で選べばよい。 (チャレンジ)総合雑誌的で、子どもを楽しませる内容になっている。分厚い雑誌風の教材が送 られてくるが、子どもが実際取り組む内容は、見た目ほど、多くない。程度は、中レベル。中学 生、高校生用の「進研ゼミ」と連動していて、大学受験まで段階的につながっているので安心。 (ベネッセコーポレーション) (毎日の学習)学習月刊雑誌としては、無駄のない編集になっている。勉強を意識した内容に なっている。幅広い親子に支持され、長い年月をかけて熟成された教材と言える。程度は、中 のやや上レベル。(学研) (ポピー)「ポピー」というやさしいネームから連想されるように、量も少なく、レベルもやや低い が、子どもには、その分、負担が軽い。とりあえず月刊教材を……と考えている人には、選ん で失敗がない。低学年児で、その気になれば、一時間程度ですませてしまう。親がそばについ ていれば、予習用としても使える。(全家研) (トレーニングペーパー)量も多く、本格的な月刊教材。遊びがほとんどない。かなり勉強ぐせ のしっかりした子ども向き。レベルは、高いが、ステップアップ方式で編集されているので、そ れをこなしていくうち、そのレベルまで到達できるようになっている。家庭教師などと併用する と、効果が大きい。(教育社) (エース)量も、内容も中レベル。子どもに負担がない編集になっている。学研の「毎日の学習」 に似た編集になっているが、「毎日の学習」より、ややレベルが低い。しかし値段が手ごろなの で、もっとも無難な教材といえる。(リコー) 以上、あなたの子どもの学力が心配なら、ポピーかエースを。まあまあふつう程度の学力が あるなら、毎日の学習かチャレンジを。トップレベルをねらうなら、トレーニングペーパーを、と いうことになる。値段的に手ごろなのは、エースかポピー。子どもの様子をみて、選ぶとよい。 ●段階的に組みたてる 子どもの教育はマラソンに似ている。スタートから飛び出すと、息切れしてしまう。あるいはい つまでものんびりと走っているわけにはいかない。おおむね、つぎのようなステップを頭に置き ながら、家庭教育を組みたてるとよい。 (小学一、二年児)「勉強は楽しい」ということだけを考えて、家庭学習を考える。この時期は、 「遊び半分、勉強半分」という考える。「勉強は、勉強部屋で、学習机に向かってするもの」とい う固定観念は、あまり意味がない。 (小学三、四年児)リズムを大切にする。大きな変動は好ましくない。親があせって、リズムを乱 したりすると、学習そのものが大きな影響を受けるので注意する。子どもが自覚するまで辛抱 強く待つ。学校での学習がわかる程度にしながら、淡々と日々を過ごす。この時期は、無理を しない。 (小学五、六年児)この時期になって、子どもに「勉強しよう」「もっとしなければ」という意欲が現 れてくる。その意欲に応じて、学習塾や進学塾をじょうずに利用するとよい。まずいのは、子ど もの意思を確かめないまま、親が子どもを引き回すこと。この時期、一度子どもの「やる気」を 折ると、それを回復するのは、かなりむずかしい。子どもといいながら、すでに半分はおとなと みて、子どもの心を大切にする。 ●子どもの「力」を知る 自分の子どもの能力が、どの程度かを知るのは、とても大切なこと。と、同時に、それを知る のはたいへんむずかしい。そこで簡単なチェックテスト。つぎの項目で、あなたの子どもについ て、あてはまるのに、(○)をつけてみてほしい。 ( )ときどき、こんなこともわかっていないのと思うことがある。学校のテストでも、とんでもない ミスをしたり、トンチンカンな答を書いたりすることが多い。 ( )何となく毎回、そのつどごまかしてテストをしているような感じ。丸がついている問題でも、 あとで聞くと、まったく理解していないことがある。 ( )学校の先生と話しても、ほとんどほめられることがない。クラスの仲間たちにも、軽く見られ ているようなところがある。 ( )家ではあきっぽく、無理に勉強をさせても、時間ばかりかかって、ほとんど何もしない。フリ 勉、ダラ勉が目につく。何ごとにつけ、集中力がない。 ( )いつ見ても、机のまわりが雑然としている。勉強をしているという雰囲気が、あまり感じられ ない。学校での様子を聞いても、「まあまあ」というような、あいまいな言い方をして、逃げてしま う。 ( )いつも、つきあっている仲間の子は、どの子も、できの悪そうな感じがする。趣味も享楽 的、退廃的。静かで知的な会話をすることができない。 ( )趣味のハバもせまく、いつも同じ仲間と、同じようなことをしている。本といっても、読むの はマンガばかり。作文や漢字が苦手。 ( )ワークブックや教材を買い与えても、ほとんどしない。(月刊教材もたまっていく一方。) ( )何かを教えても、時間ばかりかかる。またやっとできるようになったと思っても、つぎの週に は、きれいに忘れてしまっていることが多い。万事に逃げ腰。事務的。やる気がほとんどない。 ( )幼児のときから、何かにつけて、遅れがち。言葉の発達、文字、数への興味など。そのつ ど苦労をさせられた。親子のリズムがあまり合っていないと感ずることが多い。 このテストで、 【○が8〜10個】????? 【○が5〜 7個】かなり能力的(学習面での)に心配な子どもとみる。(失礼!) 【○が2〜 4個】平均的な能力の子どもと思われる。 【○が0〜 1個】かなり優秀な子どもとみてよい。 ここで、かなりきわどいことを書いてしまったが、能力を見誤ると、かえって伸びる芽を摘んで しまう。そういう意味で、子どもの能力を的確に知るのは、子どもの能力を伸ばすための必要 不可欠な第一歩ということになる。この能力を見誤ると、(無理をする)→(ますます勉強が苦手 になる)の悪循環の中で、子どもの成績はますますさがる。 小学三、四年生になると、子どもの学力も、かなり正確にわかっていくる。レベルも定着してく る。そのレベルの範囲で、プラスアルファの部分として「伸び」を考えるのは、それは当然だとし ても、あくまでもプラスアルファ。そういう視点で、子どもの学習をみる。 (030226)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(635) 心の遊離 ●リストラ 会社をクビになる……。それは恐ろしいほどの衝撃。多分、給料を得るために働いたことの ない人には、その衝撃は理解できないだろう。多くの、専業主婦たちも……? それがよいとか悪いとか言う前に、仕事に命をかけている男は多い。そういう男が、ある日突 然、リストラを言い渡される。しかしそれは単なるクビ切りではない。その人の人生を否定する ことに等しい。少なくとも、リストラされた人は、そう感ずる。 先日も、こんな話を聞いた。ある男性(四〇歳)が、会社をリストラされた。しかしその男性 は、そのことを妻や子どもたちに話すことができなかった。リストラされたあとも、毎日、朝、会 社へ行くフリをしながら、毎日ブラブラしながら、時間をつぶしていた、と。 この話をワイフにすると、ワイフは、「どうして家族に(リストラされたことを)、話せないのかし ら?」と言った。しかし残念ながら、家庭に入った専業主婦には、その悲しみは理解できない。 私のワイフは、ふつう以上に思いやりのある女性だとは思うが、そのワイフでも理解できな い? ●妻には話せない 私も、似たような経験をよくする。月末になって、「さようなら」と別れたあと、一人の子どもが 小さなメモをもってくる。「何か?」と思って見ると、「今日でBW(私の教室名)をやめます」と。 いろいろなやめ方があるが、そういうやめ方をされると、いくら三〇年の経験があるとはいえ、 体中からガクリと力が抜ける。 何という無力感。虚脱感。決して、おおげさなことを言っているのではない。「教育」というの は、ものの販売とは違う。そこには当然、「子どもへの思い入れ」がある。その思い入れが、あ る日突然、一方的に切られてしまう。それから与えられるショックには、独得の空しさがともな う。 そういうとき私は、ワイフにとても、話す気にはなれない。たいていは翌月になって、月謝のチ ェックが終わったあと、「○○さんは、どうしたの?」ということになってはじめて、「あの子はや めたよ……」と、私は告げる。 問題は、どうしてこういう「心の遊離」が、夫婦の間でも起こるかということ。そこで何人かの仲 間に、メールで聞くと、いろいろなことがわかった。 「どうせ、ワイフに言っても、わからないよな」と言った人がいた。「男には男のプライドがあるか らな」と言った人もいた。一人、「うちの家内は、ノー天気だ」と言った人もいた。 ●ノー天気という無責任 ノー天気。……「ダンナはダンナ、私は私」と、ヘンな割りきりかたをする。割りきるのはよい のだが、そのまま仕事(収入の責任)を、夫だけに押しつけてしまう。一見、すばらしい妻に見 えるが、しかしこれほどの悪妻は、ない。夫の仕事の苦しみなど、みじんも理解しない。……し ようとさえしない。それこそ収入がなくなると、「男のクセに!」とか、「お金がなければ、生活で きない!」と、夫を責める。夫にもそういう雰囲気がわかるから、たとえばリストラされても、そ れを妻に話すことができない。 これに似たようなことは、親子の間でも、起こる。たとえば子どもの成績がさがったとする。そ のとき親が、不用意に、「何よ、この点数は!」「こんなことでは、いい学校に入れないでし ょ!」と言ったとする。親は、子どもを励ましたり、子どもに自覚を促すためにそう言うが、しか し言われた子どもは、そうは取らない。取らないばかりか、つぎから、学校でのことを話さなくな る。当然だ! 夫は、日常のささいなことから、妻の心の中を知る。そしてそれを積み重ねながら、妻がどの ように考え、どのように行動するかを知る。「知る」というよりも、以心伝心でそれを感ずる。 ●以心伝心 たとえば妻が、どこかのダンナをけなして、「あの人、男のクセに……」と、ふと漏らしたとす る。それほど深い思いをもって言ったのではなくても、夫は、そうでない。そういう言葉を聞きな がら、「自分も……」と思ってしまう。そしてそれが積もりに積もって、ここでいう「心の遊離」が 始まる。子どももそうで、たとえば親が、「あそこの子どもは、成績が悪いから、D高校しか入れ なかった」と言ったとする。子どもは、そういう言葉を横で聞いて、親がどう考えているかを知 る。だからますます成績の話を親にしなくなる。……できなくなる。 賢い親。そうでない親。どこが違うかといえば、日ごろから、よく考えているかどうかの違いに よる。「考える」ということは、「いかに相手の立場で考えるか」ということ。もっとわかりやすく言 えば、会話術ということになる。たとえばワイフが、日ごろから、「あなたの仕事もたいへんね。 無理をしないでね」と、夫に言っていれば、夫だって、つまづいたようなとき、それを妻に話しや すいかもしれない。子どももそうで、親が、日ごろから、「お前はよくがんばっているよ。無理を するなよ」と、子どもに言っていれば、子どもだって、つまづいたようなとき、それを親に話しや すいかもしれない。 ●チェックテスト さてもしあなたが妻なら(このマガジンの読者は、圧倒的に女性が多いと思うので……)、こん なことを想像してみてほしい。あなたの夫が、リストラになったとする。そのときあなたは……、 (1)自分たちの生活(家計や子どもの将来や、生活)の心配よりも、夫の立場で、夫の苦しみ を理解する。 (2)夫の立場で、夫の苦しみを理解するよりも、自分たちの生活のほうを先に心配する。 あなたは、(1)と(2)のどちらかを、少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。同じように、も し、あなたの子どもの成績がさがり、希望の(目標としていた)学校への入学がどうもむずかしく なってきた。そのときあなたは……、 (3)子どもの将来よりも、子どもの立場で、子どものつらい気持ちのほうを心配する。 (4)子どもの立場で、子どものつらさを理解するよりも、子どもの将来が不安になり、落ちつか なくなる。 多分、(1)を選んだ人は、同時に、(3)を選ぶ。(2)を選んだ人は、同時に(4)を選ぶ。一 見、まったく別々の問題に見えるかもしれないが、実は、底流で、深くつながっている。こういう のを「一事が万事」という。(2)や(4)を選んだ人は、結局は、自分のことしか考えていない。だ から夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、良好な人間関係を築くのに失敗する。こんな母親 がいた。 ●ある母親 その母親は、三度、結婚して、三度、離婚した。高校生になる息子がいたが、まったくの断絶 状態。見た感じは、大柄で、穏やかな人だったが、やがて理由がわかった。その母親は、何か につけて、自分のことしか、考えていなかった。 「長男だから、家の跡をついで、家のめんどうをみてもらわねばなりません」 「あの子に嫌われると、老後が心配です」 「いい大学を出ないと、一生、貧乏ということになります」 「私は男運が悪く、どの夫も、生活力がなく、苦労しました」 「息子にはいい人と結婚してほしいです。おかしな人と結婚すると、苦労するのは私のほうです から」と。驚いたのは、その母親は、実の兄の失敗まで、笑い話にしていたことだ。こう言った。 「兄はね、退職金で事業を始めたのですが、失敗。家屋敷もすべて、抵当で取られてしまいま したよ。だらしない兄でね」と。 私はその話を聞きながら、「私でも、こういう女性とでは、結婚生活をつづけることは、できな いだろうな」と思った。それが離婚の理由だとは思わないが、しかし無関係とは言えない。 ●私も……? かく言う私も、不況の嵐の中。懸命に自分を支えながら、生きている。ワイフや子どもの前で は、努めて明るく振るまい、心配をかけないようにしている。しかしそういう自分を、いつまでも ちこたえられることやら。あまり自信がない。ワイフも、息子たちも、どちらかというと、ノー天気 族。それがよい面のときもあるが、しかしノー天気であるばかりが、よいというわけではない。 (030226) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(636) ある高校生についての相談から ●プロローグ 「プロローグ」などという大げさなものではないが、たまたまこんな歌を思い出しながら、ある 高校生についての相談を考えていた。 ♪北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らかに咲いた 可憐な花を 緑の髪にかざして 今日も ああ 北風の中に 聞こうよ春を 北風の中に 聞こうよ春を この歌は、私たちの世代の人間なら、だれしも知っている。(若いお父さんやお母さんは、知 らないだろうと思う。)吉永小百合さんが歌った、「寒い朝」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)という 歌である。口ずさんでいると、どこか心の中が、暖かくなる。 ●応急処置 ある男子高校生(二年)が、苦しんでいる。母親から、そういう相談があった。「ときどき、『ぼく は、もうダメだ』と言います。暗く、沈んでいます。毎日、ため息ばかり。『そんなに学校がつらい のなら、退学したら……』と言ってあげるのですが、そういう状態でも、学校へだけはがんばっ て行きます」と。 学歴信仰……。何も親だけの特権ではない。少ないが、子ども自身が学歴信のかたまりとい うケースもある。「学校」「受験」という呪縛(じゅばく)から、自分を解放することができない。もと もと生まじめな性格の子どもに多い。 このタイプの子どもに、「退学したら……」と言っても、逆効果。かえって子どもを、崖っぷちへ 追いこんでしまう。私のばあい、このタイプの子どもは、子ども自身がヘトヘトになるまで、勉強 でしぼってやる。(……やった。最近は、高校生と対等な立場に立つのができなくなった。体 力、知力ともに、太刀打ちできなくなった。)二時間とか、三時間でよい。そのあと、子どもは、 すがすがしい表情を示す。このタイプの子どもは、勉強をしたくないのではない。したいのだ。し かしそのとっかかりがなくて、苦しんでいる。だからそのきっかけだけを作ってやればよい。 どこか応急処置的な教え方だが、学歴信仰というのは、そういうもの。その呪縛を解きはらう ことを考えていたら、何年もかかってしまう。それでは間にあわない。だから「とりあえず……」 という方法で、しぼってやる。 ●ある夫のケース この大不況下。職場でキズつき、倒れていく男性は、多い。本当に多い。しかしその一歩手前 で、苦しんでいる男性は、もっと多い。毎日、悶々と悩みながら、「家族のため」と必死に、自分 にムチを打っている。もちこたえている。 もっともそういう状態でも、家族の温かい理解があれば、まだ救われる。ワイフに相談する と、ワイフは「あんたは病気よ」と言う。さらに自分の苦しさを訴えると、「病院へ行ったら?」と 言う。息子や娘たちにしても、そういう父親の苦しみなど、どこ吹く風。親子の会話もない。あっ ても、どこか儀礼的。つけっぱなしになった電気ストーブを消したりすると、息子は「ケチケチす るな!」と言う。夜遅く帰ってきた娘に、「どこへ行っていたんだ?」と声をかけると、娘は「うるさ いわね」と言う。 それでも必死に歯をくしばりながら、その日、その日の仕事をこなす。しかし先は、わからな い。先月も一人、リストラで会社を去った。「つぎは私か……」と思うと、仕事どころではない。あ る友人は、メールで、こう書いてきた。「みな、疑心暗鬼になってしまって、仕事にならない。派 手なアドバルーンばかり、どんどんとあげているが、実際、利益につながるのは、一つもない」 と。 老後のことを考えると、不安と心配ばかりが襲う。「どうやって生きようか」ということよりも、 「どうやって死のうか」ということばかり、考える。別の知人は、半ば冗談めいて、こう書いてき た。「ひとり、だれにも気づかれず墓に入る方法を考えています」と。 こういうときワイフに、「そんなにグズグズ言うなら、仕事をやめたら」と言われるくらい、つら いことはない。決して、仕事をしたくないわではない。仕事から逃げたいわけではない。仕事を したいのだ。仕事があれば、仕事をしたいのだ。しかし、肝心の仕事がないから、悩んでいる。 苦しんでいる。どうして世のワイフたちよ、それがわからない! ●励まし、脅しは、タブー 「がんばれ」式の励まし。「こんなことでは……」式の脅しは、子どものみならず、どん底で苦し んでいる夫には、タブー。かえってその子どもや、夫を、突き放してしまう。 言うとしたら、ねぎらいの言葉。決してひとりではないことをわからせるための、温かい言葉。 「あなたはがんばっているよ。それでいいのよ」とか、「いざとなったら、私がついているからね」 とか、そういう言葉である。 が、中には、家庭に埋没するあまり、現実感覚のない母親やワイフがいる。このタイプの女 性は、お金は天から降ってくるものだと思っている(失礼!)。子どもの勉強にしても、「やれば できるはず」と、能力など、いくらでも地の底からわいてくるものだと思っている(失礼!)。 今、日本中が、大不況という暗雲に包まれている。その暗雲の中で、多くの人たちが、つらい 毎日を送っている。しかしそういう暗雲の中でも、また家庭という小さな世界でも、「♪心ひとつ で、暖かくなる」である。 (030229) ついでに、「寒い朝」の、二番と三番を掲載しておく。 2 北風吹きぬく 寒い朝も 若い小鳥は 飛び立つ空へ しあわせ求めて 摘みゆくバラの さすとげいまは忘れて 強く ああ 北風の中に 待とうよ春を 北風の中に 待とうよ春を 3 北風吹きぬく 寒い朝も 野越え山越え 来る来る春は いじけていないで 手に手をとって 望みに胸を元気に 張って ああ 北風の中に 呼ぼうよ春を 北風の中に 呼ぼうよ春を +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(637) 非常識 二月二六日のあるとき、北朝鮮が、日本海に向けて、対艦ミサイルの発射実験をした。翌日 は韓国の大統領の就任式という、その日である。 これについて二七日は、日本中は大騒ぎ。「目的は?」「意味は?」「意図は?」と。中に、冗 談だろうが、(しかしかなりまじめに)、「大統領の就任式に向けた祝砲」というのもあった! しかし目的もなにもない。こうした非常識なことを平気でするのが、あの男なのである。もとも と感覚がまともではない。またああいう男を、「まとも」と思ってはいけない。「まとも」という前提 で、つきあってはいけない。自分勝手で、わがまま。その上、短気で、何かにつけていじけてい る。しかしこのタイプの男のつきあいにくいところは、自分は勝手し放題のことをしておきなが ら、だれかが同じようなことを彼にすると、人一倍、大騒ぎするということ。その上、常識が通じ ない。 こんな話を聞いた。その人の隣家に、大きなクルミの木がある。そのクルミの木が大きくな り、枝がその人の庭をおおうようになった。そこで隣家の奥さんに、枝を切ってほしいと伝え た。が、この一言が、どういうわけか、その隣家の夫を激怒させた。翌日の朝、隣家の夫は、こ う言ってきた。「木は切るが、受益者負担ということで、費用は、お宅でもってほしい」と。そこで その人は、しかたないので、脚立とノコギリをもってきて、自分でその木の枝を切った。切った のは、あくまでも自分の庭のほうにのびてきた枝だけだった。が、これがまたその隣人を激怒 させた。隣人は、こう言った。「他人の家の木を勝手に切ることは、法律上、許されない。損害 賠償を請求する」と。 この隣人の言っていることは、どの部分もおかしい。しかし本人は、おかしいとは思っていな い。正当な権利を主張しているつもりでいる。北朝鮮のあの男の言い分と、どこか似ている? もっとも不思議なもので、北朝鮮の言い分だけを聞いていると、どこかあの男が言っているこ とが正しく思えるときもある。こうした情報は、朝鮮日報(韓国系メディア・日本語版)を通して、 インターネットで入手できる。 ●原子炉を再稼動するのは、電力確保のためだ。 ●アメリカだって核兵器をもっているではないか。 ●戦争は終わっていない。休戦しているだけだ。 ●原油供給を止められたから、原子力発電所を作るだけだ、などなど。 おそらく、北朝鮮の人たちは、毎日、こういう情報だけを聞いているのだろう。そしてその上で、 自分たちの考えを組みたて、結局は、あの男のよいように操られている。しかしそれが北朝鮮 の人たちの常識ということになる。 ……となると、いったい、常識とは何かという問題にぶつかる。Aという常識をもつ人から見れ ば、Bという常識をもつ人は、非常識に見える。Bという常識をもつ人から見れば、Aという常識 をもつ人は、非常識に見える。常識というのも、相対的なものなのか? このところ矢継ぎばやに、いろいろ考えさせられる。日本が危機的な状況にあるから、なおさ らである。東京や大阪に、核ミサイルが打ち込まれるかもしれない。それが現実の問題になっ てきた。核兵器でなければ、化学兵器かもしれない(週刊ポスト誌)。生物兵器は、ゲリラ的に 使用されるかもしれないという(同誌)。日本人の私たちから見れば、彼らの常識は、完全に狂 っているが、しかしそれが彼らの「正常な常識」らしい。そしてその彼らから見れば、私たち日 本人の常識のほうこそ、狂っているということになる。 日本中が大騒ぎしている中、アメリカのケリー国務次官補は、こう言った。「大統領就任式と いう、おめでたい日の前日に、ミサイル実験をするとは、非常識だ」と。ここで私ははじめて、 「非常識」という言葉を聞いた(二月二七日)。つまり、「それまで非常識という言葉を使わなか った、日本政府や韓国政府は、非常識」ということになるのかもしれない。考えてみれば、ケリ ー国務次官補が言うとおり、北朝鮮のあの男のすることは、どれもこれも非常識なことばかり。 韓国政府には悪いが、ああいう男を、そもそも「まとも」に扱おうとすること自体、まちがってい る。 (030228) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(638) 狂った頭 おかしな現象が起きた。その前夜は、いろいろ事情があって、四時間しか眠っていなかった こともある。そしてその日は、何と、一日中、チョコレートを食べていた。おまけにこれまた事情 があって、ココアとミルクセーキの缶ジュースを、二本も飲んでしまった。甘いものをほとんど食 べない、私が、である! その夕方から、夢と現実の混濁(こんだく)が起きた。夢といっても、ふだん眠っているときに 見るような夢ではない。よく覚えていないが、たとえば心のどこかで、二本の物干しザオを思い 浮かべたとする。なぜそれを思い浮かべたかも、よくわからない。そしてそれが、どういうわけ か、頭の中で、二つの考え方に結びつく。入試で言えば、本命とスベリ止めのような感じにな る。で、子ども(中学生)に、入試の話をしていると、その朝、本当に二本の物干しザオを見た ような気がしてくる。そこで自問してみる。「私は本当に二本の物干しザオを見たか?」と。しか し私は見ていない。 明らかに私の頭は、狂った。……狂っていた。何がどのように作用したのかは知らないが、 狂っていた。おそらく覚せい剤か何か、そういうものによる作用と似ているのではないか。科学 的に言えば、甘い食品を大量に摂取したことにより、インスリンが一時的に大量に分泌され、 それが脳のセロトニン(脳間伝達物質)の供給過多を引き起こし、それが一時的に脳を覚醒さ せてしまったということになる。 こういう現象は、子どもたちの世界でも、よく観察される。それについては、また別の機会に 考えることにして、ともかくも、その夜は、こわかった。ふつうの恐怖ではない。自分が自分をこ わがるという恐怖である。「このまま私の脳は狂ってしまうのか」という恐怖である。 私は大量に湯を飲んだ。インスリンとセロトニンを中和するためである。つぎに漢方薬を自分 で処方してのんだ。神気が乱れたときには、サンソウニンとチモを主体とした漢方薬がよい。そ して当然のことながら、早く床に入った。 翌朝、目をさますと、いつものような朝になっていた。その直前まで夢を見ていたが、目をさま したとたん、それまでの夢と、目の前の現実が、はっきりと区別できた。私は「ああ、よかった」 と思った。 しかしそれにても、恐ろしい経験をした。自分の頭が、勝手に動きだして、勝手にものを考え るというのは、本当に恐ろしい。そこで私は、ここで誓う。「もうチョコレートは、二度と食べない ぞ」と。バレンタインなんて、もうコリゴリ! クソ食らえ!! (030228)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(639) 天皇は元首 衆議院憲法調査会(中山太郎会長)で、「天皇は元首としたほうがわかりやすい」という意見 が相ついだという(〇三年二月)。 私は、戦後生まれの世代だが、天皇について論ずるときは、いつも背筋に、ツンとした緊張 感を覚える。私が子どものころには、まだ戦時色が、濃く残っていた。「天皇」と呼び捨てにする ことすら、許されなかった。「陛下」もしくは、「天皇陛下」と言わねばならなかった。 私はこういう議論を聞くたびに、「では、天皇自身はどうなのか」ということを考える。「象徴」で あるにせよ、「元首」であるにせよ、天皇自身は、それを望んでいるのか、と。もし天皇自身が、 「私は象徴なんかではいやだ。元首にしてほしい」と言うのであれば、それはそれでかまわな い。あるいは反対に、「私は象徴はいやだ。ごくふつうの民として、ふつうの生活を送りたい」と 言ったら、どうなのか。そういう議論がないまま、一方的に、天皇に、「あなたは天皇です」「あな たは国の象徴です」「元首です」と押しつけてよいものか? 仮に元首なら元首でもよい。しかし今の平成天皇のように、人格的にも高邁(こうまい)な人 で、日本人に親しまれている人ならよい。しかし何世代かあとに、あるいはいつか、天皇が、あ る日突然、今のK国の金XXのようにならないともかぎらない。そういう危険性は、どう回避する のか。天皇自身にはその気がなくても、官僚たちが天皇を思うように操り、日本をとんでもない 方向に導くことだって考えられる。現に、昭和天皇の時代には、そうなった。その結果、日本 は、あの第二次世界大戦を引き起こしている。 こういう話は、たいへん微妙な話なので、私のようなものが意見を言うことすら、どこかはば かれる。しかし法のもとの平等ということを前提に考えるなら、天皇の存在は、明らかに、その 平等の原則に反する。この私ですら、「人間はみな、平等です」と、子どもたちの前で、自信を もって言うことができない。このはがゆさは、いったい、どこからくるのか。なぜなのか。 こういうことは、国会という場で、国民の総意として決まるものだから、決まれば決まって、私 には異論はない。私とて、一人の日本人として、それに従う。しかし今のように、天皇自身の声 がまったく聞こえないところで、天皇の待遇を、「会議」が勝手に決めてしまうことは、どうかと思 う。もっとわかりやすく言えば、天皇自身の人権はどうなるのかということ。もし私なら、もっとず っと低い立場で、たとえば「お前の家系は、明日から、代々、○○財団の理事長をやってもら う」と決められたら、こう言うだろうと思う。「待ってほしい。私は、自分の人生は自分で決めるか ら」と。 私は天皇制に賛成とか、反対とか言っているのではない。その議論をする前に、私は、何 か、もっと大切なことを忘れているような気がしてならないと言っている。どうも今の政治家たち は、人の心を「ハズ論」で考える傾向が強い。「空港を作れば、便利になるハズ」「道を作れば、 国民は喜ぶハズ」と。天皇の問題にも、そのハズ論ばかりが先行している? 「天皇はそれで 幸福なハズ」「皇族の人たちは、それで喜んでいるハズ」と。しかし本当に、そうなのか? ……この問題は微妙なので、ここでやめる。どうも苦手。こういう話は……。ああ、疲れた! (030228) 【北朝鮮問題】 ●小学校の高学年、中学生たち(約二〇人)に聞いてみた。「君たちの学校の先生は、今の北 朝鮮問題について、何か説明してくれるか?」と。それに対して、全員、例外なく、「ない!」と。 現行の学校教育の中では、政治教育は、タブーになっている。それはわかるが、明日にでもミ サイルが飛んでくるかもしれないという現実の中で、こんなことでよいのか。政治教育ばかりし ている、北朝鮮。一方、まったくしない、日本。どちらも、少し極端すぎるのではないか? ただ ただ疑問? +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(640) ●すべての国民は、国の教育機関で、平等な教育を受ける権利がある。……ということで、学 校教育は発達した。しかしそれが達成されたあとは、「教育」そのものに対する考え方は変わ ってくる。変わって当然である。それはちょうど、食事に似ている。貧しい時代には、腹がふくれ れば、それでよかった。しかし人々の意識が、ある一定のレベルを超えると、それは必要なこ とかもしれないが、それでは足りない。料理が発達し、人々が食生活に楽しみを求めるように なったのと同じように、親や子どもたちは、教育に、「中身」を求めるようになった。 +++++++++++++++ ●何のための歴史教育 生きた歴史教育は、「今」という時点で考えて、はじめて可能である。それはたとえて言うな ら、料理の教育に似ている。料理にしても、自分で作ってみて、はじめてそれがわかる。 昨夜も高校受験をひかえた中学生と話しあってみた。彼はこのあたりでも一番と呼ばれる進 学校を受験することになっている。たまたまアヘン戦争の話をしたが、こう言った。 「道光帝が、林則徐を広州に派遣した。で、アヘンを没収し、イギリス貿易を中止したんだ。そ れで一八四〇年に、イギリス議会が、清に対して宣戦を布告した……」と。 そんな彼でも、私が「では、どうして今の北朝鮮が日本を目の仇(かたき)にしているのか」と 聞いても、「知らない」「わからない」と言う。「あんな国は、あっという間にやっつけてやる」とも 言う。「しかし向こうは、一〇〇万人の兵隊をもっているよ。日本は二〇万人だよ」と、私が言う と、「アメリカが、核兵器で始末してくれるさ」と。 ●実用的でないのが教育? こうした例は、英語にも、国語にもある。恩師のT教授も、理科もそうだという。(私には理科 教育はよくわからないが……。)日本の教育は、伝統的に、どこかおかしい? 本当におかし い? 教えるべきことを教えないで、教えなくてもよいようなことばかり、教えている? 何かしら 役にたたないようなことを教えるのが教育と、誤解しているような面すらある。反対に、実用的 なことは教えてはいけないというような風潮すら、ある。 アメリカでは、中学校での上級数学(Advance Math)では、中古車の買い方から教え始め、 小切手の切り方まで教える。高校で車の運転のし方を教えるところも多い。もちろん免許も学 校で取れる(地方の高校など)。 ●学者になるには、すぐれた体系 が、この日本では、その道のエラーイ先生がたが、教科書をつくる。だから日本の教科書は、 将来、数学者や歴史学者、英語の文法学者になるには、きわめてすぐれた体系をもっている。 しかしみながみな、数学者や歴史学者、さらには、英語の文法学者になるわけではない。そう いう道に進むのは、全体の一%もいないのでは? 歴史教育にしても、なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去を学び、未来にその経験や失 敗を生かすためである。頭でっかちのモノ知りを育てるためではない。少し前だが、こんなこと を暗記している中学三年生がいた。 「富山のチューリップ、長野の高原野菜、浜名湖のウナギ……」と。そこで私が、「高原野菜っ て何?」と聞くと、「知らない……」と。さらに「浜名湖でウナギの養殖なんか、もうしてないよ。み んな台湾や中国から輸入しているよ」と言うと、「いいの、そんなことは!」と。こういう教育の現 実を、いったい、どれほどの人が知っているだろうか。英語にしても、学校で習う英語は、まっ たく役にたたない。そんなことは、四〇年も前から言われつづけてきた。五〇年かもしれない。 しかしやっと重い腰をあげたのは、ほんの数年前。その成果が出てくるのは、これから先、さら に二〇年後? ●教育の自由化を みなさん、もっと教育を自由化しよう。もっと教育を自由に考えよう。もっと教育を自由の流れ の中に置こう。ドイツやイタリアのように。カナダやオーストラリアのように。今の日本の教育 は、いまだに戦前のあの軍国主義時代の亡霊を引きずっている。学校万能主義。第一主義。 絶対主義などなど。私たちは、あの北朝鮮の教育体制を見て笑うが、どこがどう違うのか。私 には、その「違い」がわからない。 たとえばドイツでは、子どもたち(中学生)は、たいてい午前中で授業を終え、そのあと、好き なクラブに通っている。いろいろなクラブがある。月謝は一〇〇〇円程度。費用はチャイルドマ ネーによって、国によって補助されている。イタリアもそうだ。そして大学についても、ヨーロッパ は、全体として、すでに完全に共通化された。こういう時代が、もう世界の常識だというのに、い まだに、学歴社会だのなんのと、バカみたい。いい学校だの、いい大学だのと、バカみたい。 学生たちは、その道のプロになるために大学へ行く。大学院へ行く。しかも、だ。欧米では、奨 学金を手にした学生たちは、自由に大学間を渡りあるいている。 ●人間選別の弊害 今ごろ教育改革しても、遅い。遅過ぎる。この日本では、せっかくすぐれた才能をもっていて も、進学という関門を通りすぎるたびに、ふるい落されていく。つい先日も、O君というマレにみ る、優秀な子ども(小学生)がいた。小学三年生のときには、中学三年生でもできないような難 解な数学を、自分で考えた方法で解いていた。しかしこういう子どもを伸ばす機関が、日本に はない。理解もない。そこで東京の私立中学を受験したが、残念ながら、どこも不合格。「社会 ができなかったから……」と、O君は言った。 こういうO君のような例は、本当に多い。が、これからは、もうそういう時代ではない。貧しい 時代の学校教育から、豊かな時代の学校教育へと変身しなければならない。その豊かな時代 とは何かといえば、それぞれの人が、自分の個性を光らせて生きる時代をいう。これに対し て、「全教科、まんべんなくできる子どものほうが、望ましい」という意見もある。しかしその「全 教科」にしても、本当に全教科なのか。私は以前、毎年、冬に刊行される「時事辞典」※を調べ てみたが、学校で習う勉強など、その辞典の二〇分の一から三〇分の一にもならない。「全教 科」「基礎学力」といいながら、何をもって全教科というのか。何をもって、基礎学力というの か。 たとえばオーストラリアのグラマースクールでは、中学一年レベルで、外国語にしても、ドイツ 語、フランス語、中国語、インドネシア語、日本語から選択できる。芸術にしても、美術、音楽、 演劇などが、それぞれ独立している。ほかに宗教もあれば、読書、キャンピング、コンピュータ などもある。全体に広く浅く教えながら、子どもの多様性を認める教育システムになっている。 そして学外クラブも発達していて、それ以上に学びたい子どもは、それぞれのクラブに通ってい る。 ●自由度で決まる、国の力 国家の力は、いかに民衆が自由であるかによって決まる。教育とて例外ではない。すぐれた 教育というのは、いかに多くの、将来への選択肢を子どもに与えることができるかで決まる。 話がぐんぐんと脱線してしまったが、なぜ私たちが子どもを教育するかといえば、子どもたち が将来、多様性のある社会の中で、柔軟(フレキシブル)に、力強く生きていくことができるよう にするためである。とくに歴史教育は、先にも書いたように、過去を学び、未来にその経験や 失敗を生かすためである。しかしその歴史教育一つとっても、子どもたちの世界では、まったく 役にたっていない。日本よ、日本の親たちよ、本当にこんなことでよいのか? ※「イミダス」の索引の中から、学校の授業(英数国社理)で扱うような項目と、そうでない項目 を分けてみた。その結果、ここでいう二〇分の一から三〇分の一という数字を算出した。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(641) 雑感 ウーロン茶を飲み始めて、もう二〇年になる。きっかけは、健康によいとか、そういうことが話 題になったからだと思う。よく覚えていない。もちろん私が子どものころには、ウーロン茶なるも のは、日本にはなかった。私が子どものころは、番茶がほとんど。お茶といえば。番茶だった。 味は、今の麦茶に似ている。濃い茶色のお茶である。 私はどういうわけか、毎日、お茶をたくさん飲む。自分では、血圧が低いためと言っている が、本当のところはわからない。夏などは、昼間だけでも、三〜四リットルは飲む。冬でも、二 リットル前後、飲む。飲まないと、どこか頭がボーッとしてくる。もちろん朝も、夜も飲む。書斎に いるときも、いつもチビチビと飲んでいる。 反面、酒は一滴も、飲めない。奈良漬けを食べただけで、二日酔いになってしまう。断酒宣言 をして、ちょうど、一〇年になる。それまでは、ビールをコップ一杯くらいは飲めたが、今は、ま ったく飲めない。飲んだら、二日酔いどころか、三日酔いになる。 ほかにコーヒーは、ダメ。コーヒーは、飲んだとたん、ゲーゲーとあげてしまう。緑茶は飲める が、どういうわけか、飲むと、頭が覚醒状態になってしまう。寝る前に飲むと、朝方まで、眠られ なくなる。で、ウーロン茶ということになる。ウーロン茶なら、体に合っているというか、体が慣れ たというか、ごく自然に、いくらでも飲むことができる。 そのお茶で思い出したが、生涯において、もっともおいしかったお茶といえば、川根町で飲ん だお茶。たまたま村の祭のときで、通りを歩いていると、村の人たちに声をかけられた。「あん たは、本物のお茶を飲んだことがあるかね」というように、声をかけられたと思う。村の人たち が、その家に、一〇人前後集まっていた。私とワイフは、言われるまま縁側にすわった。 しばらくすると、その家の主人らしき男が、盆にのせて二杯のお茶をもってきた。見ると、美し い澄んだ色をしていた。そしてその男は、こう言った。「こういうお茶はね、このあたりでも、めっ たにできないお茶だよ」と。お茶は、香りと色、それに味で決まるという。もちろんお茶の入れ方 もある。 「色を見てみなさい。きれいなエメラルドグリーンでしょう」 「はい」 「つぎに味だよ、味。一口、飲んでみなさい」と。 私とワイフは、少しずつ出されたお茶を味わいながら、その味に驚いた。口の中で、味と匂い が、大きく広がったからだ。熱さもちょうど、よかった。ふつうそういうとき、「おいしいですね」と 言うが、その言葉も出てこなかった。私は味を何度も確かめながら、「これが本物のお茶だア」 と、自分に言って聞かせた。村の人たちは、そういう私たちの反応を横で見ながら、うれしそう に笑った。 以後、それから二〇年以上になるが、残念ながら、私たちは、それほどまでにおいしいお茶 に出あったことがない。ときどきおいしいお茶を飲むことはあるが、そのたびに、「あのお茶ほ どではないね」と言いあっている。 ……で、ウーロン茶の話。そのウーロン茶については、台湾から来ていた中国人が、一度お 茶を入れてくれたことがある。しかし「おいしいでしょう」と言われるほどには、そのおいしさが理 解できなかった。 ご存知の方も多いと思うが、台湾へ行くと、超高級のウーロン茶を売っている。宝石箱のよう な箱や、きれいな陶器のツボに入っている。もちろん値段も高い。一〇〇グラムで、数万円と いうのもある。私自身はそういうお茶を買ったことはない。が、一度だけ、台北の出版社の社 長に、プレゼントされたことがある。そのお茶も、きれいな陶器のツボに入っていた。たしかに おいしかった。味はよく覚えていないが、それまで口にしていたウーロン茶とは、味が、明らか に異なっていた。あとで、「一週間ほどで飲んでしまいました」と、メールを書くと、「あのお茶 は、特別の日に飲むお茶です」と、叱られてしまった。 毎日飲んでいるお茶だが、意外と、みな、無頓着。私も無頓着。だいたいなぜお茶が必要な のかということもわかっていない。私もわかっていない。ただ多分、こういうことではないかと思 う。 昔は水が汚かった。それでその水をわかして飲んだ。が、それでも臭いや色が消えない。そ こで木や草の葉を入れて飲むようになった? いかにすれば、まずい水を飲むことができる か。言うなればお茶というのは、そのために考え出した、人間の知恵ということになる。たった 今も、そのウーロン茶をすすりながら、私はそう考えた……。 (030228) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 子育て随筆byはやし浩司(642) 失業 若いころ、世界中を飛び歩いていたころのこと。だれかが、こう話してくれた。「街角に浮浪者 (失礼!)が、立ち並ぶようになったら、失業率は一〇%と見てよい。通行人より、浮浪者のほ うが多いと感じたら、二〇%。二〇%を超えたら、その国へは行かないほうがよい。危険だ」 と。 今、日本の失業率は、五・五%だという。年齢別ではわからないが、満五〇歳以上では、そ の一〇%を超えているのではないか。簡単に「失業」と言うが、失業することから受ける精神的 打撃は、想像以上のものである。自分の過去を否定されるのみならず、未来をも否定される。 たとえば今、自殺者が、年間、三万人(三万一〇四二人・二〇〇二年・警察庁)もいるという。 その数は、交通事故による死亡者の四倍。しかも、男性が七割、五〇歳以上が、六割以上だ という。決して、人ごとではない。私など、まさにその予備軍のようなもの。私のばあい、自殺す ることまでは考えないが、自殺する人の気持ちが、よくわかる。 先日も、ある読者から、「ドクターのH氏をどう思いますか?」というメールが届いた。H氏は、 九〇歳を過ぎても現役で活躍しているドクターである。頭の回転もすばらしい。その歳になって も、本を書いている。無数の講演もこなしている。 しかし忘れてはならないのは、H氏は、ドクターという恵まれた身分にあるということ。もちろん 定年退職もない。しかし私のばあいは、そうは長生きできない。長生きすればするほど、みん なに迷惑がかかる。多分というより、まちがいなく、そこまで財産がつづかない。仮に老人ホー ムへ入居するとしても、毎月一五万円。夫婦二人で、三〇万円。一〇年で、三六〇〇万円。二 〇年で、七二〇〇万円。プラス、生活費。そんなお金、どこにもない! 体が動かなくなったら、仕事もやめなければならない。同時に、収入も止まる。「九〇歳まで 生きたい」とは、思うが、どうやったら生きられるか、経済的な意味で、その方法がわからな い。「まあ、今のうちに燃焼するだけ燃焼して、そのときがきたら、サッサと死ぬ」と、今は、そん なふうに考えている。 【万年失業者の私から……】 私たちは、どうせ負け組。川原の枯れススキ。どうあがいても、「上」には、出られない。「がん ばりましょう」と励ます、勇気もない。またそんなふうに励まされても、どうしようもない。できるこ とといえば、精一杯、身のまわりのものを大切にして、細々と質素に生きるだけ。未来? そん なものは、もう、ない。夢にせよ、希望にせよ、そんなものぶらさげて生きる年齢でもない。い や、この年齢になると、「だからどうなの?」と、そこまで考えてしまう。 私は懸命に生きてきた。あなたも懸命に生きてきた。みんな、懸命に生きてきた。今も、私は 懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。みんな、懸命に生きている。これからも私は、 懸命に生きていく。あなたも懸命に生きていく。みんな、懸命に生きていく。その「形」がどうであ れ、その懸命に生きている姿に、価値がある。本当の価値がある。私はその価値を信じたい し、信じている。 もともと生きるということは、不完全でボロボロなもの。形なんて、ない。コースも、ない。ある ように見えるのは、幻想。みんな、精一杯、自分の人生をとりつくろって生きているだけ。それ 以上に、壊すのが、こわいから。それ以上に、失うのが、こわいから。中身なんか、どこにもな い。だから互いに、懸命に支えあって生きている。夫婦にせよ、親子にせよ、家族にせよ、友 人や、近隣にせよ、そして社会にせよ、国にせよ、みんな、だ。 だから不完全でボロボロであることを、恥じることはない。恥じる必要もない。ただ、居なおれ ばよい。「私は私だ」と。少なくとも、私は、そう生きている。毛玉がすり切れたようなセーターを 着て、古ぼけたジャンパーをはおり、自転車に乗って、トコトコと道の横を走っている。自転車 にこだわるわけではないが、私の人生そのものが、その自転車に乗っているようなもの。大型 の高級車で走るような人生とは、まったく異質の世界。「雑草は強い」と、自分ではそう言って 聞かせているが、本当のところ、その雑草も、このところ元気がない。不況、不況で、仕事も元 気がない。どうしようもない。 もう少し若ければ、若いときのように、電柱に「翻訳します」という張り紙をして回るのだが、今 は、そういう時代でもない。「家庭教師をします」でもよい。いや、いざとなったら、やる。やるし かない。私は今まで、懸命に生きてきたし、生きている。だからこれからも、最後の最後まで、 懸命に生きる。ただ一つだけ、若いころと違うのは、このところ、「自分のため……」という意識 が、ほとんど消えたこと。「家族のため……」「社会のため……」「未来の子どもたちのため… …」という意識ばかりが先に立つようになった。自分の人生など、どうせ先が知れている。どう あがいても、どうにもならない。が、不思議なことだ。そういう意識をもつと、心のどこかで、「じ ゃあ、もう少しがんばってみるか」という気持ちがわいてくる。そしてそれが私をうしろから支え る、原動力になる。 居なおろう。どん底、おおいに結構。そう、声、高らかに叫んでみよう。どん底であるがゆえ に、人は、「真実」に近くなる。またどん底から見ると、人間の愚かさがよくわかる。何が大切 で、何がそうでないかが、よくわかる。それはちょうど、病気になってはじめて、健康の価値が わかるようなものかもしれない。しかしどん底は、病気とは違う。どん底はどん底でも、生きてい れば、そのうち、一つや二つは、よいことがある。前向きに生きていけば、そのよいことが、必 ず、向こうからやってくる。 以上、失業で苦しんでいる人のためというよりは、自殺する一歩手前で、悩んでいる人のた めというよりは、自分のために書いた。だから、今日も、私はがんばる。がんばって、これから 山荘へ遊びに行く。小雨など、もろともせず! ははは。私は生きているのだ! (030301) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(643) メルボルン オーストラリアのメルボルンは、世界で一番住みやすい都市だそうだ。先日、何かの雑誌で、 そう読んだ。一年中、気候は温暖。自然環境に恵まれ、食べ物も安い。山荘に向かう車の中 で、オーストラリアのブッシュソング(民謡)を聞いていたら、そのメルボルンを思い出した。思い 出したというより、つぎつぎと、あの町でのことが、頭に浮かんできた。 メルボルンへ行ったら、シティ(中心部)を、ブラブラと歩いてみるとよい。コーナーごとに、歴 史的な建物が並んでいる。少し郊外へ行くと、たとえばビクトリアマーケット(市場)などがある。 移動するには、トラムと呼ばれる市内電車に乗ればよい。 メルボルン大学は、メルボルンの市内から、北へ歩いて三〇〜四〇分くらいのところにある。 市の三分の一は公園と言われていることからもわかるように、メルボルンには緑が多い。町の 中に公園があるというよりは、公園の中に町があるといったふう。メルボルンのことを、「庭園 都市(ガーデンシティ)」ともいう。車のナンバープレートには、そう書いてある。 とくにメルボルン大学の周辺には、緑が多い。大学自体の敷地はそれほどでもないが、周辺 を、いくつかのカレッジが取り囲み、その周辺をまたいくつかの公園が取り囲んでいる。私がい た、インターナショナルハウスの裏の公園だけでも、反対側の地平線が見えないほど、広かっ た。そうそうその公園では、よく散歩した。その公園でのこと。いつも森の中に子どもたちの列 が、出たり入ったりしていた。何かがあるとは思っていたが、何があるかは知らなかった。あと で、つまり日本へ帰ってから、友人に、「あそこには何があったのか?」と聞くと、その友人はこ う言った。「ヒロシは、行ったことがないのか。あそこにはあのあたりでも最大の動物園がある」 と。 私は何かにつけて、よくシティまで行った。たいていはトラムに乗っていったが、歩いていくこ とも多かった。私は歩くのが好きだった。その途中で、いろいろなものを見るのは、本当に楽し かった。英語そのものが好きだったから、英語を読んでいるだけで、ハッピーな気分になれ た。日本語にはない表現を読んだり、聞いたりすると、そのつど「なるほど」と思ったりした。 「来年の三月には、オーストラリアへ行こう」と声をかけると、ワイフは、うれしそうに笑った。 「大学では、ゲストルームに泊まればいい」とも。OBであれば、安い値段で、ゲストルームに泊 まれるはずである。「角のミルクバーは、まだあるそうだ。今、カナダに住んでいる人が、そう話 してくれた」と。 私はいつもシティへ行くときは、その角のミルクバーに立ち寄った。ミルクバーというのは、菓 子屋と簡単なレストランをかねたような店。日用的な雑貨のほとんどは、その店でそろった。と くに野イチゴでつくったジャムがおいしかった。また「ミルクバー」という名前からもわかるよう に、そこではミルクセーキも売っていた。女学生たちが、よくテーブルに座って、そのミルクセー キを飲んでいたのを覚えている。 「あなたにとって、一番、幸福なときだったのね」と、今度は、ワイフが口を開いた。私は迷わ ず、「そうだよ」と答えた。私にとって、もっとも幸福だったのは、あのころだ。あのころほど、そ の前にも、あとにも、心が輝いていたことはなかった。一日一日が、それまでの一年一年に感 じた。これは決してオーバーな言い方ではない。本当にそう感じた。一日でできる思い出が、そ れまでの一年分より多かった。深かった。 そして今、こう思う。あの時代が幸せだったというよりも、ああいう思い出ができたということが 幸せだ、と。思う存分、自分の青春時代を燃焼できた。その満足感が、今でも、心を満たしてく れる。私にとって、メルボルンというのは、そういう町だ。そしてその名前を耳にするたびに、な つかしさと、いとおしさが、胸いっぱいに、広がる。 「オーストラリアへ行こうか?」と私。 「行くって?」とワイフ。 「つまり移住だよ」 「いいわね」 「アポロベイという海のそばの町がいい」 「アポロベイ?」 「そう、小さな町だけど、毎日、乗馬だってできる」 「いつか……」と思って、もう二〇年が過ぎてしまった。このままぐずぐずしていたら、また二〇 年、たってしまう。決断するなら、この二、三年のうちかもしれない。今なら、健康だし、人生を 楽しむ余力がまだある。 やがて車はI町に入り、ゆるい坂を登り始めた。あいにくの雨だった。私はカセットデッキの電 源を切った。温風ヒーターのスイッチも切った。同時に、私は雨の中、車の外に走り出ると、山 荘の入り口をふさぐクサリを、はずした。それを見て、ワイフが、車を山荘へとすべらせた。私 は、あとを追いかけた。冷たい雨が顔をぬらしたが、心の中では、私はまだ、ブッシュソングを 歌っていた。 (020301)※ +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ※ 子育て随筆byはやし浩司(644) 子どもとしての気負い 「私は親だから……」というのは、親の気負い。しかし子どもにも、その気負いがある。「私は 子だから……」と。 Sさん(四〇歳女性)は、毎週、実家へ帰っている。七〇歳になる父親がいるからである。 が、その父親とは、うまくいっていない。Sさんは、こう言う。「父は、私をうらんでいます。父は 養子をもらって、私に実家のあとを継がせようと考えていました。しかし私は家を出てしまいま したから」と。 Sさんは、何度か、父親に自分のところにくるように頼んだ。が、父親は、それをがんとして、 拒んだ。しかしそのうち、道路でころんでから、自由に歩くことができなくなってしまった。そこで Sさんは、そうして通いながら、父親のめんどうをみている。が、悲劇はつづく。 父親が、「かなりボケてきた」というのだ。がんこで、怒りっぽくなったという。「先日も、パック のまま料理を並べたら、『こんなもの食えるか! ちゃんと皿に盛りつけろ!』と、それを床に投 げてしまいました」と。 Sさんの心の晴れる日はない。「そうかと言って、知らぬ顔をしているわけにもいきません。親 ですから……」と。「ああいう父ですから、施設には入ってくれそうにもありませんし……」とも。 わがままな子どもをもって苦しむ親もいるが、一方、わがままな親をもって苦しむ子どももい る。親子ではないが、もう少し深刻なケースでは、こんなのもある。 K氏(五〇歳)は、身寄りがなくなった兄(六〇歳)を引き取ることになった。が、引き取って、 同居したとたん、K氏の妻(四二歳)を、あたかも自分の妻のように扱い始めたという。が、そ れだけではない。妻が風呂に入っていたりすると、用もないのに脱衣場のそばでウロウロした り、妻の下着をタンスから出して見たりするなど。 妻はこう言う。「夫にへんなライバル心があるのですね。夫より、自分のほうがすぐれている と、そんなことばかり言うのです。子どものころの話をもちだして、ぼくのほうが優秀で、やさし いと、です」と。 が、事件は、起きた。ある日のこと。K氏の妻が、ひとりでエレクトーンを弾いていたときのこ と。うしろからやってきた、その兄が、妻に、抱きついてきたというのだ。妻は、思わず兄をつき 倒したというが、その事件のあと、妻は、数日、実家へ帰ってしまった。そのK氏もこう言う。「そ うかと言って、兄を、追い出すこともできません。身内ですから……」と。 こういうケースは、多い。本当に多い。親は子どもをもうけて、親になるが、しかしその子ども は子どもで、同時に、無数の「しがらみ」にしばられる。そしてそのしがらみの中で、もがき、苦 しむ。「子だから……」「身内だから……」と。 そんなわけで、「気負い」というのは、何も、親から子どもへの一方的なものばかりではない。 子どもから親への気負いもある。しかしその気負いも、良好な人間関係があるなら、それほど 苦にはならない。むしろ生きがいになることが多い。が、その人間関係が破壊されると、とたん に苦痛になる。冒頭に書いたSさんは、こう言う。 「毎週、水曜日に実家に行くようにしています。パートの仕事が休みだからです。しかしその水 曜日が近づくと、気が重くなります。頭痛が始まることもあります。だいたい月曜日くらいから様 子がおかしくなって、水曜日の朝は、起きるのもつらいくらいです。父に会っても、話すこともな いし、そばにいるだけで神経がすり減ってしまいます」と。 ともすれば私たちは、親の立場だけで、ちょうど上から下を見るように、子どもの世界を見が ちである。しかしときには、子どもの立場で、自分はどういう存在なのかを見なければならな い。でないと、結果として、いつかどこかで、その子どもをかえって苦しめることになる。こうした 問題は、多かれ少なかれ、どの家庭にもあるものだが、親が子どもの心を見失ったとき、この 問題は、悲劇になる。さて、あなたはだいじょうぶか? だいじょうだと自信をもって言えるか? 一度、自問してみたらよい。 (030302) 【教訓】 ●子どもには、恩着せがましいことは言わない。 ●子どもには、親のうしろ姿を、押し売りしない。 ●子どもの自立を考えたら、親も、自分の自立を考える。 ●子どもを、自分の心のスキ間を埋めるために、利用しない。 ●親は、最後の最後まで、気高く、前向きに生きる。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(645) 「私はダメな人間」VS「私には、ダメな点がある」 子どもが、「私はダメな人間」と言うときと、「私には、ダメな点がある」と言うときは、はっきり と区別する。 「私はダメな人間」と言うときは、「私」イコール、「ダメな人間」を意味する。こういう言い方を する子どもは、自分で立ちなおることができない。以前、こんな子ども(中学女子)がいた。 ここ一番というときになると、決まって、「どうせ、私はダメだもんね」と。理由を聞くと、「どうせ 私はS小学校の入試に落ちたもんね」と。その子どもは、その年齢になっても、小学校の入試 で失敗したことを、まだ苦にしていた! しかし「私には、ダメな点がある」というのは、まだ「私」が主体的に働いているという点で、問 題はない。ほとんどの人は、そういう「ダメな点」を克服するために、戦う。そして前向きに伸び ていく。このことを最初に指摘したのは、フロイトの弟子のA・アドラーという学者である。彼によ れば、ウィークポイント、つまり劣等感は、だれにでもあるものであり、その劣等感を意識したと き、人は不安状態に追いこまれるという。そしてその不安状態が逃れるため、人は、ばあいに よっては、逃避したり、反対に不安状態を克服するために、努力したりするという。 子育てでは、子どもに、「ダメな点がある」というところまでは思わせても、「私はダメな人間」 というところまでは、思わせてはいけない。これを私は、「核攻撃」と呼んでいる。人格の「核」と いう中枢部まで、攻撃することをいう。たとえば子どもが何かの失敗をしたようなとき。「あなた はやっぱりダメな子ね」と言うのは、ここでいう核攻撃ということになる。その言い方が、子ども の心の核に近ければ近いほど、子どもの人格に与える影響は、大きい。 先の女子中学生も、入試に失敗したとき、何らかの形で、まわりの人から核攻撃を受けたに ちがいない。もっとわかりやすく言えば、そのとき、キズついた。子どもの世界では、本来、こう いうことは、あってはならない。 子どもとて、ときとして、自信をなくす。劣等感に悩むこともある。そんなとき、子どもがどんな 言い方をしているか、少しだけ注意深く聞いてみるとよい。とくに受験期をひかえた子どもな ど。「今度のテスト、数学で失敗した」というような言い方をするなら、それほど、心配しなくても よい。しかし「がんばったけど、私、やっぱりダメだった」というような言い方をしたら、注意す る。そういうとき、子どもを励ましたり、叱ったり、脅したりすると、かえって子どもを窮地に追い こむことになる。子どもを励ますとしても、どこかに希望を残すような励まし方をするとよい。「数 学はダメでも、英語がよかったから、いいじゃない」「今度は、調子が悪かっただけよ」とか。 (030303) ●われわれのもっている天性で、徳となりえない欠点はなく、欠点となりえない徳もない。(ゲー テ「ヴィルヘルム・マイステル」) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(646) Q:三歳の息子ですが、このところ反抗がひどくて困ります。どう対処したらよいでしょうか。(静 岡県G市・MK) 第一反抗期 あなたの子どもに、第一反抗期は、あったか? 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という※。二〜四歳の 第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。 子どもは、この反抗期をとおして、親に対して、絶対的安心感をもつことができるようになる。 どんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだという安心感である。この安心感 が、親と子どもの間の信頼関係の基本になる。ここでいう「絶対的」というのは、疑いをいだか ないという意味。 よく誤解されるが、子どもが親に反抗することは、悪いことではない。悪いのは、子どもがそ の反抗心を自分の心の中に、おし隠してしまうことである。俗にいう、「いい子ぶる子ども」とい うのは、それだけ自我の発達※が遅れるのみならず、親も含めて、人と信頼関係が結べない 子どもとみる。 このタイプの子どもは、自分の心を守るために、さまざまな特殊な行為(問題行動)を繰りか えすことが知られている。 ●異常な依存心……だれかにベタベタに甘える。だれかれなく、愛想がよくなり、こびを売るよ うになる。しかし心を開けないため、孤独。不安。他人に対して愛想がよくすることにより、身の まわりに、「自分は愛されている」という環境をつくろうとする。 ●引きこもり……人との接触を断ち、自分の世界に閉じこもる。人と接すると、必要以上に気 をつかい、神経疲労を起こしやすい。不登校の原因となることもある。つまり人との関係を断ち きることによって、身の保全をはかろうとする。 ●異常な敵対心……行動が攻撃的になり、自分以外のすべてのものは、「敵」と位置づけて、 排斥したり、否定したりする。非行、集団非行に走るケースも多い。攻撃的に相手を否定する ことで、自分の優位性を保とうする。 ●異常な隷属心……たいていは親に対してだが、その人に異常なまでに隷属する。隷属する ことによって、身の保全をはかる。このタイプの子どもは、必要以上に相手にへつらったり、ペ コペコする。 これらの行為は、子どもによって、さまざまに変化する。しかし共通しているのは、信頼関係が 結べないことによる、不安と孤独、焦燥と心配を解消するため、自分の心を守ろうとしている点 である。これを心理学の世界では、「防衛機制」という。 そこであなたの子どもチェック。 あなたの子どもは、二〜四歳の第一反抗期のとき、あなたという親に対して、好き勝手なこと をし、また言っていたか。あなたは親として、それを許していたか。もしそうなら、それでよし。し かしもしあなたの子どもが、あなたの前でいい子ぶったり、反抗らしい反抗もしないまま、今に 至っているなら、かなり注意したほうがよい。これから先、ここでいうような問題行動を起こす可 能性は、たいへん高い。あるいはすでにそれは始まっているかもしれない。 子どもというのは、それぞれの時期に、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。反抗 期はまさにそのカラを脱ぐ時期と考えてよい。それぞれの時期にうまくカラを脱げなかった子ど もは、あるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。たいていは激しい摩擦と、軋轢(あつれき)を 引き起こす。たとえば家庭内暴力を起こす子どもも、こうしたメカニズムで説明できることが多 い。 だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親としてそれ をたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた視点で子 どもを見るようにする。 (030303) ※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許 さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張 状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不 安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり (マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。 表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的 な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。 ※……「自我」というのは、要するに、その子どもの「わかりやすさ」をいう。教える側からみる と、「つかみどころ」ということになる。自我の発達している子どもは、何を考え、何をしたいか が、外から見ても、たいへんわかりやすい。したいことをし、言いたいことを言う。YES、NOを はっきりと言う。一方、自我の軟弱な子どもは、それがわからない。何を考えているかすら、わ からないときがある。どこか仮面をかぶったような感じになる。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(647) 防衛機制 心の状態が、不安や心配などで、不安定になったとき、その不安定さから身を守るため、人 間には、独得の心理が働く。これを防衛機制という。 この防衛機制は、つぎの四つに分けて考えるとよい。 ●異常な依存心……だれかにベタベタに甘える。だれかれなく、愛想がよくなり、こびを売るよ うになる。見た感じ、セカセカしている。しかし心を開けないため、孤独、不安。他人に対して愛 想がよくすることにより、身のまわりに、「自分は愛されている」という環境をつくろうとする。 子どものばあい、だれにも愛想がよいというのは、決して好ましいことではない。たとえば新し い環境で、新しい人に接したようなとき、ふつう、子どもは警戒する。警戒して、あたりを注意深 くながめたり、相手を観察したりする。しかしこのタイプの子どもは、相手の求めているものを 敏感に察知し、その相手が好みそうな自分を先に演出する。つまり相手に取り入るのがうま い。無意識のうちにも、相手に好かれることをだけを考え、そして行動する。それが「愛想がよ い」という形で、外に現れる。 ●引きこもり……人との接触を断ち、自分の世界に閉じこもる。人と接すると、必要以上に気 をつかい、神経疲労を起こしやすい。不登校の原因となることもある。つまり人との関係を断ち きることによって、身の保全をはかろうとする。 不安や心配が、自分のコントロールできる範囲を超えたとき、子どもは、二つの反応を示す。 攻撃的に暴れるタイプと、内閉して、引きこもるタイプである。家庭内暴力を繰りかえす子ども は、前者。引きこもる子どもは、後者と考えることもできる。このうち引きこもるタイプは、自分と 他人とのかかわりを最小限にすることで、人と接することから生ずるる不安や心配から、自分 を遠ざけようとする。 ●異常な敵対心……行動が攻撃的になり、自分以外のすべてのものは、「敵」と位置づけて、 排斥したり、否定したりする。非行、集団非行に走るケースも多い。攻撃的に相手を否定する ことで、自分の優位性を保とうする。 他人との信頼関係を結ぶことができないため、人間関係を、短絡的な発想で、結論づけよう とする。ささいな恩や義理に一生を捧げると誓ってみたり、ささいな裏切りを、ことさら大げさに 取りあげたりするなど。ふつう正常な、つまり心静かな人間関係を結ぶことができない。「♪行 儀よく、まじめなんか、できやしなかった。夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」(尾崎豊「卒業」) というような発想に傾きやすくなる。 ●異常な隷属心……たいていは親に対してだが、その人に異常なまでに隷属する。隷属する ことによって、身の保全をはかる。このタイプの子どもは、必要以上に相手にへつらったり、ペ コペコする。 このタイプの子どもは、隷属することにより、思考することそのものを停止してしまう。まさに 親の言いなりといった感じになる。そのため親は、そういう子どもを、「すなおな、いい子」と評 価することが多い。が、実際には、自分で考えないため、言動が、どこか常識ハズレになりや すい。薬のトローチをお菓子がわりになめてしまった子ども(小二男児)、父親が大切にしてい たウィスキーのフタを、あけてしまった子ども(小四男児)などがいた。 こうした防衛機制は、その症状の軽重に応じて、はっきり現れるばあいもあるし、そうでない ばあいもある。どういう症状であるにせよ、不安や心配が、その基底にあるとみる。言いかえる と、「気のせい」「気はもちよう」と、安易に子どもの心を決めてかかってはいけない。 (030203) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(648) 「私」論 ●基底不安 家庭という形が、まだない時代だった。少なくとも、戦後生まれの私には、そうだった。今でこ そ、「家族旅行」などいうのは、当たり前の言葉になったが、私の時代には、それすらなかっ た。記憶にあるかぎり、私の家族がいっしょに旅行にでかけたのは、ただの一度だけ。伊勢参 りがそれだった。が、その伊勢参りにしても、夕方になって父が酒を飲んで暴れたため、私た ちは夜中に、家に帰ってきてしまった。 私はそんなわけで、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。同時に、家にいても、いつ も不安でならなかった。自分の落ちつく場所(部屋)すら、なかった。 ……ということで、私は、どこかふつうでない幼児期、少年期を過ごすことになった。たとえば 私は、父に、ただの一度も抱かれたことがない。母が抱かせなかった。父が結核をわずらって いたこともある。しかしそれ以上に、父と母の関係は、完全に冷えていた。そんな私だが、かろ うじてゆがまなかった(?)のは、祖父母と同居していたからにほかならない。祖父が私にとっ ては、父親がわりのようなところがあった。 心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底になっ ていて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。絶対的な安心感があって、子どもの心とい うのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その安心感がゆらぐと、それ以後、「不安」が基 本になった生活態度になる。たとえば心を開くことができなくなる、人との信頼関係が結べなく なる、など。私のばあいも、そうだった。 ●ウソつきだった私 よく私は子どものころ、「浩司は、商人の子だからな」と、言われた。つまり私は、そう言われ るほど、愛想がよかった。その場で波長をあわせ、相手に応じて、自分を変えることができた。 「よく気がつく子だ」「おもしろい子だ」と言われたのを、記憶のどこかで覚えている。笑わせじょ うずで、口も達者だった。当然、ウソもよくついた。 もともと商人は、ウソのかたまりと思ってよい。とくに私の郷里のM市は、大阪商人の影響を 強く受けた土地柄である。ものの売買でも、「値段」など、あってないようなもの。たがいのかけ 引きで、値段が決まった。 客「これ、いくらになる?」 店「そうですね、いつも世話になっているから、一〇〇〇円でどう?」 客「じゃあ、二つで、一五〇〇円でどう?」 店「きついねえ。二つで、一八〇〇円。まあ、いいでしょう。それでうちも仕入れ値だよ」と。 実際には、仕入れ値は、五〇〇円。二個売って、八〇〇円のもうけとなる。こうしたかけ引き は、日常茶飯事というより、すべてがその「かけ引き」の中で動いていた。商売だけではなく、 近所づきあい、親戚づきあい、そして親子関係も、である。 もっとも、私がそういう「ウソの体質」に気づいたのは、郷里のM市を離れてからのことであ る。学生時代を過ごした金沢でも、そして留学時代を過ごしたオーストラリアでも、この種のウ ソは、まったく通用しなかった。通用しないばかりか、それによって、私はみなに、嫌われた。さ らに、この浜松でも、そうだ。距離にして、郷里から、数百キロしか離れていないのに、たとえば この浜松では、「かけ引き」というのをまったくしない。この浜松に住んで、三〇年以上になる が、私は、客が店先で値段のかけ引きをしているのを、見たことがない。 私はウソつきだった。それはまさに病的なウソつきと言ってもよい。私は自分を飾り、相手を 楽しませるために、よくウソをついた。しかし誤解しないでほしいのは、決して相手をだますた めにウソをついたのではないということ。金銭関係にしても、私は生涯において、モノやお金を 借りたことは、ただの一度もない。いや、一度だけ、一〇円玉を借りたが、それは緊急の電話 代だった。 ●防衛機制 こうした心理状態を、「防衛機制」という。自分の身のまわりに、自分にとって居心地のよい世 界をつくり、その結果として、自分の心を防衛する。私によく似た例としては、施設児がいる。 生後まもなくから施設などに預けられ、親子の相互愛着に欠けた子どもをいう。このタイプの子 どもも、愛想がよくなることが知られている。 一方、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような子どもは、どこかどっしりとしていて、態度が 大きい。ふてぶてしい。これは犬もそうで、愛犬家のもとで、ていねいに育てられたような犬は、 番犬になる。しかしそうでない犬は、だれにでもシッポを振り、番犬にならない。私は、そういう 意味では、番犬にならない人間だった。 ほかに私の特徴としては、子どものころから、忠誠心がほとんどないことがある。その場、そ の場で、相手に合わせてしまうため、結果として、ほかのだれかを裏切ることになる。そのとき は気づかなかったが、今から思い出すと、そういう場面は、よくあった。だから学生時代、あの ヤクザの世界に、どこかあこがれたのを覚えている。映画の中で、義理だ、人情だなどと言っ ているのを見たとき、自分にない感覚であっただけに、新鮮な感じがした。 が、もっとも大きな特徴は、そういう自分でありながら、決して、他人には、心を許さなかった ということ。表面的には、ヘラヘラと、ときにはセカセカとうまくつきあうことはできたが、その 実、いつも相手を疑っていた。そのため、相手と、信頼関係を結ぶことができなかった。いつも 心のどこかで、「損得」を考えて行動していた。しかしこのことも、当時の私が、知る由もないこ とであった。私は、自分のそういう面を、母を通して、知った。 ●母の影響 私の母も、よくウソをついた。で、ある日、私の中に「ウソの体質」があるのは、母の影響だと いうことがわかった。が、それだけではなかった。私の母は、私という息子にさえ、心を開くこと をしない。詳しくは書けないが、八〇歳をすぎた今でも、私やワイフの前で、自分を飾り、自分 をごまかしている。そういう母を見たとき、母が、以前の私そっくりなのを知った。つまりそういう 母を通して、過去の自分を知った。 が、そういう私という夫をもつことで、一番苦しんだのは、私のワイフである。私たちは、何と なく結婚したという、そういうような結婚のし方をした。まさにハプニング的な結婚という感じであ る。電撃に打たれるような衝撃を感じて結婚したというのではない。そのためか、私たちは、当 初から、どこか友だち的な夫婦だった。いっしょにいれば、楽しいという程度の夫婦だった。 そういうこともあって、私は、ワイフと、夫婦でありながら、信頼関係をつくることができなかっ た。「この女性が、私のそばにいるのは、お金が目的だ」「この女性は、もし私に生活力がなけ れば、いつでも私から去っていくだろう」と。そんなふうに考えていた。同時に、私は嫉妬(しっ と)深く、猜疑心(さいぎしん)が強かった。町内会の男たちとワイフが、親しげに話しているのを 見ただけで、頭にカーッと血がのぼるのを感じたこともある。 まるで他人のような夫婦。当時を振りかえってみると、そんな感じがする。それだけに皮肉な ことだが、新鮮といえば、新鮮な感じがした。おかげで、結婚後、五年たっても、一〇年たって も、新婚当初のままのような夫婦生活をつづけることができた。これは男女のどういう心理によ るものかは知らないが、事実、そうだった。 が、そういう自分に気づくときがやってきた。私は幸運(?)にも、幼児教育を一方でしてき た。その流れの中で、子どもの心理を勉強するようになった。私はいつしか、自分の子ども時 代によく似ている子どもを、さがすようになった。と、言っても、これは決して、簡単なことではな い。 ●自分をさがす 「自分を知る」……これは、たいへんむずかしいことである。何か特別な事情でもないかぎ り、実際には、不可能ではないか。どの人も、自分のことを知っているつもりで、実は知らな い。私はここで「自分の子ども時代によく似ている子ども」と書いたが、本当のところ、それはわ からない。無数の子どもの中から、「そうではないか?」と思う子どもを選び、さらにその子ども の中から共通点をさがしだし、つぎの子どもを求めていく……。こうした作業を、これまた無数 に繰りかえす。 手がかりがないわけではない。 私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。 私は毎日、家には、まっすぐ帰らなかった。 私は休みごとに、母の実家のある、I村に行くのが何よりも楽しみだった。 こうした事実から、私は、帰宅拒否児であったことがわかる。 私は泣くと、いつもそのあとシャックリをしていた。 静かな議論が苦手で、喧嘩(けんか)になると、すぐ興奮状態になった。 私は喧嘩をすると、相手の家の奥までおいかけていって、相手をたたいた。 こうした事実から、私は、かんしゃく発作のもち主か、興奮性の強い子どもであったことがわ かる。 私はいつも母のフトンか、祖父母のフトンの中に入って寝ていた。 町内の旅行先で、母のうしろ姿を追いかけていたのを覚えている。 従兄弟(いとこ)たちと寝るときも、こわくてひとりで、寝られなかった。 こうした事実から、私は分離不安のもち主だったことがわかる。 ……こうした事実を積み重ねながら、「自分」を発見する。そしてそうした「自分」に似た子ども をさがす。そしてそういう子どもがいたら、なぜ、その子どもがそうなったかを、さぐってみる。印 象に残っている子ども(年長男児)に、T君という男の子がいた。 ●T君 T君は、いつも祖母につられて、私の教室にやってきた。どこかの病院では、自閉症と診断さ れたというが、私はそうではないと思った。こきざみな多動性はあったが、それは家庭不和など からくる、落ち着きなさであった。脳の機能障害によるものなら、子どもの気分で、静かになっ たり、あるいはおとなしくなったりはしない。T君は、私がうまくのせると、ほかの子どもたちと同 じように、ゲラゲラと笑ったり、あるいは気が向くと、静かにプリント学習に取りくんだりした。 そのT君の祖母からいつも、こんなことを言われていた。「母親が会いにきても、絶対に会わ せないでほしい」と。その少し前、T君の両親は、離婚していた。が、その日が、やってきた。 まずT君の母親の姉がやってきて、こう言った。「妹(T君の母親)に、授業を参観させてほし い」と。私は祖母との約束があったので、それを断った。断りながら、姉を廊下のほうへ、押し 出した。私はそこにT君の母親が泣き崩れてかがんでいるのを見た。私はつらかったが、どう しようもなかった。T君が母親の姿を見たら、T君は、もっと動揺しただろう。そのころ、T君は、 やっと静かな落ち着きを取りもどしつつあった。 T君が病院で、自閉症と誤診されたのは、T君に、それらしい症状がいくつかあったことによ る。決して病院を責めているのではない。短時間で、正確な診断をすることは、むずかしい。こ うした心の問題は、長い時間をかけて、子どもの様子を観察しながら診断するのがよい。しか し一方、私には、その診断する権限がない。診断名を口にすることすら、許されない。私はT君 の祖母には、「自閉症ではないと思います」ということしか、言えなかった。 ●T君の中の私 T君は、暴力的行為を、極度に恐れた。私は、よくしゃもじをもって、子どもたちのまわりを歩 く。背中のまがっている子どもを、ピタンとたたくためである。決して痛くはないし、体罰でもな い。 しかしT君は、私がそのしゃもじをもちあげただけで、おびえた。そのおびえ方が、異常だっ た。私がしゃもじをもっただけで、体を震わせ、興奮状態になった。そして私から体をそらし、手 をバタつかせた。私が「T君、君はいい子だから、たたかないよ。心配しなくてもいいよ」となだ めても、状態は同じだった。一度、そうなると、手がつかられない。私はしゃもじを手から離し、 それをT君から見えないところに隠した。 こういうのを「恐怖症」という。私は、T君を観察しながら、私にも、似たような恐怖症があるの を知った。 私は子どものころ、夕日が嫌いだった。赤い夕日を見ると、こわかった。 私は子どものころ、酒のにおいが嫌いだった。酒臭い、小便も嫌いだった。 私は毎晩、父の暴力を恐れていた。 私の父は、私が五歳くらいになるころから、アルコール中毒になり、数晩おきに近くの酒屋で 酒を飲んできては、暴れた。ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと、人が変わった。そして 食卓のある部屋で暴れたり、大声で叫びながら、近所を歩きまわったりした。私と姉は、その たびに、家の中を逃げまわった。 ●フラシュバック そんなわけで今でも、ときどき、あのころの恐怖が、もどってくることがある。一度、とくに強烈 に覚えているのは、私が六歳のときではなかったかと思う。姉もその夜のことをよく覚えてい て、「浩ちゃん、あれは、あんたが六歳のときよ」と教えてくれた。 私は父の暴力を恐れて、二階の一番奥にある、物干し台に姉と二人で隠れた。そこへ母が 逃げてきた。が、階下から父が、「T子(母の名)! T子!」と呼ぶ声がしたとき、母だけ、別の ところへ逃げてしまった。 そこには私と姉だけになってしまった。私は姉に抱かれると、「姉ちゃん、こわいよ、姉ちゃ ん、こわいよ」と声を震わせた。 やがて父は私たちが隠れている隣の部屋までやってきた。そして怒鳴り散らしながら、また 別の部屋に行き、また戻ってきた。怒鳴り声と、はげしい足音。そしてそのつど、バリバリと家 具をこわす音。私は声をあげることもできず、声を震わせて泣いた……。 声を震わせた……今でも、ときどきあの夜のことを思い出すと、そのままあの夜の状態にな る。そういうときワイフが横にいて、「あなた、何でもないのよ」と、なだめて私を抱いてくれる。 私は年がいもなく、ワイフの乳房に口をあて、それを無心で吸う。そうして吸いながら、気分を やすめる。 数年前、そのことを姉に話すと、姉は笑ってこう言った。「そんなの気のせいよ」「昔のことでし ょ」「忘れなさいよ」と。残念ながら、姉には、「心の病気」についての理解は、ほとんどない。な いから、私が受けた心のキズの深さが理解できない。 ●ふるさと 私にとって、そんなわけで、「ふるさと」という言葉には、ほかの人とは異なった響きがある。ど こかの学校へ行くと、「郷土を愛する」とか何とか書いてあることがあるが、心のどこかで、「そ れができなくて苦しんでいる人もいる」と思ってしまう。 私はいつからか、M市を出ることだけしか考えなくなった。M市というより、実家から逃げるこ とばかりを考えるようになった。今でも、つまり五五歳という年齢になっても、あのM市にもどる というだけでも、ゾーッとした恐怖感がつのる。実際には、盆暮れに帰るとき、M市に近づくと、 心臓の鼓動がはげしくなる。四〇歳代のころよりは、多少落ち着いてはきたが、その状態はほ とんど変わっていない。 しかし無神経な従兄弟(いとこ)というのは、どこにでもいる。先日もあれこれ電話をしてきた。 「浩司君、君が、あの林家の跡取りになるんだから、墓の世話は君がするんだよ」と言ってき た。しかし私自身は、死んでも、あの墓には入りたくない。M市に葬られるのもいやだが、あの 家族の中にもどるのは、もっといやだ。私は、あの家に生まれ育ったため、自分のプライドす ら、ズタズタにされた。 私が今でも、夕日が嫌いなのは、その時刻になると、いつも父が酒を飲んで、フラフラと通り を歩いていたからだ。学校から帰ってくるときも、そのあたりで、何だかんだと理由をつけて、 友だちと別れた。ほかの時代ならともかくも、私にとってもっとも大切な時期に、そうだった。 ●自分を知る そういう自分に気づき、そういう自分と戦い、そういう自分を克服する。私にはずっと大きなテ ーマだった。しかし自分の心のキズに気づくのは、容易なことではない。心のキズのことを、心 理学の世界では、トラウマ(心的外傷)という。仮に心にキズがあっても、それ自体が心である ため、そのキズには気づかない。それはサングラスのようなものではないか。青いサングラス でも、ずっとかけたままだと、サングラスをかけていることすら忘れてしまう。サングラスをかけ ていても、赤は、それなりに赤に見えてくる。黄色も、それなりに黄色に見えてくる。 たとえば私は子どものころ、頭にカーッと血がのぼると、よく破滅的なことを考えた。すべてを 破壊してしまいたいような衝動にかられたこともある。こうした衝動性は、自分の心の内部から 発生するため、どこからが自分の意思で、どこから先が、自分の意思でないのか、それがわか らない。あるいはすべてが自分の意思だと思ってしまう。 あるいは自分の思っていることを伝えるとき、ときとして興奮状態になり、落ちついて話せなく なることがあった。一番よく覚えているのは、中学二年になり、生徒会長に立候補したときのこ と。壇上へあがって演説を始めたとたん、何がなんだか、わからなくなってしまった。そのとき は、「あがり性」と思ったが、そんな簡単なものではなかった。頭の中が混乱してしまい、口だけ が勝手に動いた。 私がほかの人たちと違うということを発見したのは、やはり結婚してからではないか。ワイフと いう人間を、至近距離で見ることによって、自分という人間を逆に、浮かびあがらせることがで きた。そういう点では、私のワイフは、きわめて常識的な女性だった。情緒は、私よりはるかに 安定していた。精神力も強い。たとえば結婚して、もう三〇年以上になるが、私はいまだかっ て、ワイフが自分を取り乱して、ワーワーと泣いたり、叫んだりしたのを、見たことがない。 一方、私は、よく泣いたり、叫んだりした。情緒も不安定で、何かあると、すぐふさいだり、落 ちこんだりする。精神力も弱い。すぐくじけたり、いらだったりする。私はそういう自分を知りな がら、他人も似たようなものだと思っていた。少なくとも、私が身近で知る人間は、私によく似て いた。祖母も、父も、母も、姉も。だから私が、ほかの人と違うなどというのは、思ったことはな い。違っていても、それは「誤差」の範囲だと思っていた。 ●衝撃 ふつうだと思っていた自分は、実は、ふつうではなかった。……もっとも、私は、他人から見 れば、ごくうつうの人間に見えたと思う。幸いなことにというか、心の中がどうであれ、人前で は、私は自分で自分をコントロールすることができた。たとえばいくらワイフと言い争っていて も、電話がかかってきたりすると、その瞬間、ごくふつうの状態で、その電話に出ることができ た。 自分がふつうでないことを知るのは、衝撃的なことだ。私の中に、別の他人がいる……という ほど、大げさなことではないが、それに近いといってもよい。自分であって、自分でない部分で ある。それが自分の中にある! そのことは、子どもたちを見ているとわかる。 ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、つっぱりやすい子どもなど。いろいろな子どもが いる。そういう子どもは、自分で自分の意思を決定しているつもりでいるかもしれないが、本当 のところは、自分でない自分にコントロールされている。そういう子どもを見ていると、「では、私 はどうなのか?」という疑問にぶつかる。 この時点で、私も含めて、たいていの人は、「私は私」「私はだいじょうぶ」と思う。しかしそう は言い切れない。言い切れないことは、子どもたちを見ていれば、わかる。それぞれの子ども は、それぞれの問題をかかえ、その問題が、その子どもたちを、裏から操っている。たとえば 分離不安の子どもがいる。親の姿が見えなくなると、ギャーッとものすごい声を張りあげて、あ とを追いかけたりする。先にあげた、T君も、その一人だ。 その分離不安の子どもは、なぜそうなるのか。また自分で、なぜそうしているかという自覚は あるのか。さらにその子どもがおとなになったとき、その後遺症はないのか、などなど。 ●なぜ自分を知るか ここまで書いて、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あなたは自分を知れと言うけど、知 ったところで、それがどうなの?」と。 自分を知ることで、少なくとも、不完全な自分を正すことができる。人間の行動というのは、一 見、複雑に見えるが、その実、同じようなパターンの繰りかえし。その繰りかえしが、こわい。本 来なら、「思考」が、そのパターンをコントロールするが、その思考が働く前に、同じパターンを 繰りかえしてしまう。もっとわかりやすく言えば、人間は、ほとんどの行動を、ほとんど何も考え ることなしに、繰りかえす。 そのパターンを裏から操るのが、ここでいう「自分であって、自分でない部分」ということにな る。よい例が、子どもを虐待する親である。 ●子どもを虐待する親 子どもを虐待する親と話していて不思議だなと思うのは、そうして話している間は、そういう親 でも、ごくふつうの親であるということ。とくに変わったことはない。ない、というより、むしろ、子 どものことを、深く考えている。もちろん虐待についての認識もある。「虐待は悪いことだ」とも 言う。しかしその瞬間になると、その行動をコントロールできなくなるという。 ある母親(三〇歳)は、子ども(小一)が、服のソデをつかんだだけで、その子どもをはり倒し ていた。その衝撃で、子どもは倒れ、カベに頭を打つ。そして泣き叫ぶ。そのとたん、その母親 は、自分のしたことに気づき、あわてて子どもを抱きかかえる。 その母親は、私のところに相談にきた。数回、話しあってみたが、理由がわからなかった。し かし三度目のカウンセリングで、母親は、自分の過去を話し始めた。それによるとこうだった。 その母親は、高校を卒業すると同時に、一人の男性と交際を始めた。しばらくはうまく(?)い ったが、そのうち、その母親は、その男性が、自分のタイプでないことに気づいた。それで遠ざ かろうとした。が、とたん、相手の男性は、今でいうストーカー行為を繰りかえすようになった。 執拗(しつよう)なストーカー行為だった。で、数年がすぎた。が、その状態は、変わらなかっ た。本来なら、その母親はその男性と、結婚などすべきではなかった。しかしその母親は、心 のやさしい女性だった。「結婚を断れば、実家の親たちに迷惑がかかるかもしれない」というこ とで、結婚してしまった。 「味気ない結婚でした」と、その母親は言った。そこで「子どもができれば、その味気なさから 解放されるだろう」ということで、子どもをもうけた。それがその子どもだった。 このケースでは、夫との大きなわだかまりが、虐待の原因だった。子どもが母親のソデをつ かんだとき、その母親は、無意識のうちにも、結婚前の心の様子を、再現していた。 ●だれでも、キズはある だれでも、キズの一つや二つはある。キズのない人は、いない。だから問題は、キズがあるこ とではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振りまわされること。そして同じ失敗を繰り かえすこと。これがこわい。 そのためにも、自分を知る。自分が、いつ、どのような形で、今の自分になったかを知る。知 ることにより、その失敗から解放される。 ここにあげた母親も、しばらくしてから私のほうから電話をすると、こう話してくれた。「そのと きはショックでしたが、そこを原点にして、立ちなおることができました」と。 しかし自分を知ることには、もう一つの重要な意味がある。 ●真の自由を求めて 自分の中から、自分でないものを取り去ることによって、その人は、真の自由を手に入れる ことができる。別の言葉で言うと、自分の中に、自分でない部分がある間は、その人は、真の 自由人ということにはならない。 たとえば本能で考えてみる。わかりやすい。 今、目の前にたいへんすてきな女性がいる。(あなたが女性なら、男性ということになる。)そ の女性と、肌をすりあわせたら、どんなに気持ちがよいだろうと、あなたは頭の中で想像する。 ……そのときだ。あなたは本能によって、心を奪われ、その本能によって行動していることに なる。極端な言い方をすれば、その瞬間、本能の奴隷(どれい)になっていることになる。(だか らといって、本能を否定しているのではない。誤解のないように!) 人間の行動は、こうした本能にかぎらず、そのほとんどが、実は、「私は私」と思いつつ、結局 は、私でないものに操られている。一日の行動を見ても、それがわかる。 家事をする。仕事をする。育児をする。すべての行為が何らかの形で、私であって私でない 部分によって、操られている。スーパーで、値ごろなスーツを買い求めるような行為にしても、も ろもろの情報に操られているといってもよい。もっともそういう行為は、生活の一部であり、問 題とすべきではない。 問題は、「思想」である。思想面でこそ、あらゆる束縛から解放されたとき、その人は、真の 自由を、手に入れることになる。少し飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、その第一歩が、 「自分を知る」ということになる。 ●自分を知る 私は私なのか。本当に、私と言えるのか。どこからどこまでが本当の私であり、どこから先 が、私であって私でない部分なのか。 私は嫉妬深い。その嫉妬にしても、それは本当に私なのか。あるいはもっと別の何かによっ て、動かされているだけなのか。今、私はこうして「私」論を書いている。自分では自分で考えて 書いているつもりだが、ひょっとしたら、もっと別の力に動かされているだけではないのか。 もともと私はさみしがり屋だ。人といるとわずらわしく感ずるくせに、そうかといって、ひとりで いることができない。ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」※は、どこかで書いた。私は、そ のヤマアラシに似ている。まさにヤマアラシそのものと言ってもよい。となると、私はいつ、その ようなヤマアラシになったのか。今、こうして「私」論を書いていることについても、自分の孤独 をまぎらわすためではないのか。またこうして書くことによって、その孤独をまぎらわすことがで きるのか。 自分を知るということは、本当にむずかしい。しかしそれをしないで、その人は、真の自由を 手に入れることはできない。それが、私の、ここまでの結論ということになる。 ●私とは…… 私は、今も戦っている。私の体や心を取り巻く、無数のクサリと戦っている。好むと好まざると にかかわらず、過去のわだかまりや、しがらみを引きずっている。そしてそういう過去が、これ また無数に積み重なって、今の私がある。 その私に少しでも近づくために、この「私」論を書いてみた。 (030304)※ ※ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」……寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに 寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけて しまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離 れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(649) 親の希望 私の教室では、受験期を迎えた子どもには、「自学」を指導する。方法は、自分で本屋へ行 かせ、自分で参考書やワークブックを買わせる。それを一日、一冊の割合で、子どもにやらせ る。 荒っぽいやり方だが、この方法は、たいへん効果がある。勉強というのは、結局は、「自分で やるしかない」。それが「勉強」である。 しかしいきなりこの方法を用いても、失敗する。その一、二年前から、少しずつ、その体勢に もっていく。子どもに依存心をもたせないよう、子どものやる気をなくさせないよう、慎重にその 体勢づくりをする。 この方法は、一見、冷たい指導に見えるが、子どもの学習指導でこわいのは、その依存心を もたせてしまうこと。その依存心をもたせると、ある一定の時期までは伸びる(?)が、その時 期をすぎると、伸びなくなってしまう。 が、ここで私と親の衝突が起きる。 少し成績が伸びたりすると、ほとんどの親は、「うちの子はやれば、できる」「もっとしぼれば、 もっと伸びる」と考える。そしてこの段階で、どこか進学塾へ……、ということになる。 私の仲間(友人ではない)の中には、その進学塾を経営している人が、何十人もいる。だから そういう進学塾を批判するのはつらいが、(カット、また別の機会に……)、そういうこと。 が、親には、それがわからない。夏休みになったりすると、「家でブラブラしているよりは、夏 休みの特訓教室に入ってくれたほうがよい」と考えて、進学塾に通わせる。しかしとたん、私が それまでにつくりあげてきた体勢が、総崩れになってしまう。が、それだけでは、すまない。 船頭が二人だと、船は前に進まない。同じように、受験指導についても、指導者が二人だと、 子どもの学習は、かえって混乱する。私のばあい、進学塾ではないから、親が「進学を……」と 言ったときには、そのまま引きさがるようにしている。もう少し若いころには、中学三年生につ いては、七月のはじめから、一一月の末まで、毎日三〜四時間、無料で教えていた。(このS 県では、高校受験が、人間選別の関門になっている。)私を信頼してくれる親や子どもには、そ ういう教え方で、私は答えていた。 が、このところ、体力もつづかなくなった。だからそういう指導は、やめた。しかし心意気だけ は、まだ残っている。 数日前も、どこかの進学塾のコマーシャルが、新聞に載っていた。A中学、合格者、一二三 人。K中学、合格者、五六人。R中学、合格者、三二〇人、と。しかしその陰で、いかに多くの 子どもたちが、キズつき、倒れ、そして……、ことか! 親たちは、こういう数字だけを見て、「う ちの子も……」と考えるが、そうでないケースのほうが、もっと多い。失敗して、かえって成績を さげるケースとなると、さらに多い。 要は全体として、どうとらえるかだが、当然のことながら、こうした進学塾では、失敗したケー スなどは、発表しない。自分たちの成果を誇ることはあっても、失敗したことは隠す。 親というのは、自分で失敗してみるまで、それが失敗だったとは気づかない。それまでは、 「まだ何とかなる」「やればもっとできるはず」と、子どもを追いたてる。子どもは子どもで、その 瞬間だけ、「(進学塾へ)行きたい」「行ってみる」などと言う。しかしどうせ長くはつづかない。た いていは、半年もすると、オーバーヒート。 しかしさらに皮肉なことに、親というのは、子どもがそういう状態になっても、原因が自分にあ ったとは思わない。「子どものため」という、へんな思い込みが、判断を誤らせる。仮に子どもが 燃え尽き症候群を示したとしても、だ。だから、私は、ただ黙って引きさがるしかない。「息子 が、○○進学塾に籍を移したいといっていますので……」「わかりました」と。これは「受験勉 強」にまつわる、宿命のようなもの。親と争っても、しかたない。親と争ったところで、どうにかな る問題ではない。私ができることといえば、静かに彼らを見送るだけ。それだけ。 (030305) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(650) 人間の盾(たて) 二月四日のTBSニュースによれば、日本から行った、一〇人前後の人たちが、戦争を防ぐ ため、イラクで、「人間の盾」になっているという。しかもイラクの受け入れ団体からの要請を受 けて、石油精製所や発電所、食糧倉庫などに居場所を移したという。これらの施設は、アメリカ 軍の攻撃目標とされているところだという。 これに対して、メンバーの一人は、日本にこんなメールを送ってきている。 「きのうは人間の楯として、バグダッド市内のアル・ダラという発電所に泊まりにいきました。 湾岸戦争以降もこの発電所は度々、空爆を受けては建てなおしていると耳にしました。電気、 ガス、ベッド、水、食料など不自由なものは特にないです」(TBS報道)と。 私はこのニュースを聞いて、「?」と思ってしまった。どういう思想的背景があるのかは知らな い。またその思想が、どのように昇華されて、このような行動にでたのかは知らない。しかし 「勇気ある、すばらしい行動」とは、私にはとても思えない。またそういう方法をとったところで、 戦争が阻止できるとも、思わない。仮に、その盾となった人たちが死傷したとしても、戦争を防 いだ英雄になるとも、思わない。 どんな行動にせよ、「行動」そのもにには、敬意を払う。またそれだけの行動をするには、そ れなりの「思い」や「決意」があってのことだろう。私のような門外漢が、安易にあれこれ批判す ること自体、許されない。人間の盾になっている人についての情報がないので、これ以上、コメ ントのしようがない。しかし「?」な行動であることは、確か、だ。 ……もちろん、だからといって、戦争を肯定しているわけではない。アメリカがイラクを攻撃し てよいとも思っていない。ただ今回、北朝鮮の問題とからめてみると、アメリカを除いて、だれ が、ああいった独裁政権の暴走を防いでくれるかという問題がある。 過去はさておき、またその経緯(いきさつ)がどうであれ、今まさに、日朝関係は、一触即発 の状態にある。こういった状況のとき、だれが、あの北朝鮮をおさえてくれるのか。だれが、こ の日本を守ってくれるのか。もしイラクがこのまま暴走すれば、その脅威は、北朝鮮の比では ない。何といっても、イラクには、石油という「マネー」がある。そのマネーを使って、好き勝手な ことができる。そんなことをされれば、中近東は、一挙に不安定になる。もしそれがわからなけ れば、北朝鮮がいくつかの核ミサイルをもったときのことを想像してみればよい。そのとき日本 は、「平和を守ります」などと、のんきなことを言っていることができるだろうか。 よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから、善人というわけでもな い。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる。 同じように、平和な生活をしているから、善人というわけではない。戦争をしないから、善人と いうわけではない。人は、戦争そのものと戦って、はじめて、善人になる。そこで改めて、人間 の盾になっている人たちのことを考えてみる。 彼らは一見、その戦争と戦っているように見えるが、どこか、ピントがハズレているように見え る(失礼!)。どこか、やるべきことが違っているように見える(失礼!)。それだけのエネルギ ーと行動力があるなら、もっと別の方法でそれができないものかとさえ、思う。仮に彼らが正し いとしても、彼らの家族は、今ごろ、どう思っているだろうか。もしそれが私の息子なら、私は、 きっと毎晩、眠られぬ夜をすごすに違いない。あるいは、「帰ってきてほしい」と懇願するかもし れない。もっとはっきり言えば、「イラクの受け入れ団体からの要請を受けて……」という部分 からもわかるように、彼らもまた、フセインという独裁者に利用されているだけということにな る。もしそうなら、それは「盾」というよりは、「人質」ということになるのでは? その可能性がな いとは、だれにも言えない。 そんなわけで、私は、人間の盾となっている日本人に、理解は示すが、彼らを支持はしない。 彼らには彼らの思想や背景があってのことだろうが、それがわからない。わからないから、こ れ以上のことは、書けない。今は、「?」ということにしておく。 (030305) ●やむをえず戦う戦争は、正しい。希望を断たれるときは、武器もまた、神聖なものにならん。 (ホメロス「イリアス」) ●戦争を防止するもっとも、たしかな方法は、戦争を恐れないことである。(ランドルフ「演説」) ●戦争は、人類を悩ます、最大の病気である。(ルター「卓談」) ●平和というのは、人間の世界には、存在しない。しいて平和と呼ばれているものがあるとす れば、戦争の終わった直後、あるいは、まだ戦争の始まらないときをいう。(魯迅「墳」) 【付記】「反戦」とか「平和」とかいう言葉を口にする人は、自ら、戦場に出向くだけの勇気と覚 悟のある人にかぎられる。そうした勇気や覚悟のない人が、平和を口にすることは許されな い。「戦争はいやだから」という理由だけで、平和を口にすることくらいなら、だれにだってでき る。 このことは、学生時代、ベトナムから帰ってきた、Cという兵士(オーストラリア人)と話してい て知った。彼はこう言った。「ぼくたちは、君たちアジア人のために戦っている。そのアジア人の 君が、どうして、何もしないのか?」と。私は、Cに返す言葉がなかった。いわんや、そのCに向 かって、「戦争反対!」とは、とても言えなかった。 今、私にはアメリカ人の孫がいる。もしその孫が、はるばる日本までやってきて、北朝鮮と戦 うと言ったら、私はこう言うだろう。「よしなさい。アジアのことは、私のほうで何とかするから」 と。 つまり「平和」というのは、それほどまでに、重いということ。決して、軽々しく口にしてはいけな い。……と思う。 【雑感】こんどの北朝鮮問題では、本当にいろいろ考えさせられた。今も、考えている。そして 最終的には、平和とは何か。そこまで考えている。 日本は戦後、六〇年近くも、平和を保つことができた。しかし誤解してはいけないのは、日本 がこれほどまで長く、平和を保つことができたのは、日本人が平和を愛したからではない。平 和を守ったからでもない。いきさつはともあれ、日本にアメリカ軍が駐留していたからにほかな らない。 もし日本にアメリカ軍がいなければ、戦後直後には、ソ連に。六〇年代には、中国に。そして 七〇年代には、韓国、北朝鮮、あるいはその連合軍に、日本は、侵略をされていただろうとい うこと。私は六〇年代の終わりに韓国に渡ったが、彼らがもつ日本への憎悪感は、ふつうでは なかった。 仮にあのとき、つまり七〇年代のはじめに、韓国と北朝鮮が統一し、その勢いで日本へ彼ら が攻め入ったとしても、だれもそれを止めなかっただろう。中国はもちろん、東南アジアの各国 だって、それを支持したかもしれない。つまりそうされてもしかたないようなことを、日本は、先 の戦争で、してしまった。 たまたまアメリカだったから、よかったのか。今も、アメリカの植民地のようなものだから、偉 そうなことは言えないが、もしソ連や、中国だったら、そのあとの日本はどうなっていたことや ら。北朝鮮だったら、どうなっていたことやら。想像するだけでも、ゾーッとする。 日本の平和はかくも、薄い氷の上に成りたっていたのか。私は今回の一連の北朝鮮問題を 考えながら、私はそれを思い知らされた。平和を口にするのは簡単なこと。しかしその平和を 守るために、私たちはいったい、何をしてきたというのか。今の今でも、「北朝鮮は、アメリカが 何とかしてくれますよ」と言う人がいる。しかしアメリカ人だって、日本人と同じ人間ではないか。 どうして彼らが、好きこのんで、日本人のために命など、落とすだろうか。 日本の平和は、日本人自らが、守るしかない。いきさつはともあれ、今の今、頭のおかしい独 裁者が、日本に向けて、せっこらせっこらと、核兵器とミサイルを作っている。先の米朝協議 (〇二年一〇月)でも、北朝鮮の姜第一外務次官)高官は、アメリカのケリー国務次官補に、は っきりとこう言明している。「核は日本だけを対象としたものだ」と。つまり「日本を攻撃するため に、核兵器をもっている」と。 平和主義者には、二種類ある。「いざとなったら戦争も辞さない」という平和主義者。もう一つ は、「殺されても文句は言いません」という平和主義者。このほかに、「戦争はいやだから」とい う平和主義者もいるが、これはエセ。どちらにせよ、つまりどの平和主義を信奉するかは、そ の人の自由だが、私は「座して死を待つ」(川口外務大臣)ような平和主義には反対である。私 自身はともかくも、私の家族や子どもたちが、目の前で殺されるようなことは許さない。絶対に 許さない。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(651) 親の気負い、子の気負い ●子の気負い 「親だから……」と気負うのを、親の気負いという。それはよく知られているが、「子だから… …」という気負いもある。これを子の気負いという。 ●相互依存性 こうした気負いは、相互的なもの。決して、一方的なものではない。親としての気負いの強い 人ほど、一方で、子としての気負いが強い。「よい親であろう」と思う反面、「よい子どもであろ う」とする。だからどちらを向いても、疲れる。 こうした気負いの背景にあるのが、依存性。もう少しわかりやすい言葉でいうと、「甘え」。親 に対しては、しっかりと親離れできていない。一方、子どもに対しては、しっかりと子離れできて いない。結果として、どこかベタベタの人間関係になる。 このベタベタの人間関係が、祖父母→親→自分→子へと、脈々とつながっている。だからふ つう、その中にいる人は、それに気づかない。それがその人にとっては、ふつうの人間関係で あり、またたいていのばあい、それが「あるべき人間関係」と考える。 ●ある男性のケース 長野県に住む、ある男性は、今、家族の問題で悩んでいる。両親に生活力がないことが大き な問題だった。とくにその男性の父親は、何かにつけて、彼ににグチをいう。「今の若いものは 先祖を粗末にする」「親に対して、口答えする」「嫁が、仕事を手伝ってくれない」と。 こうした父親の不平、不満を聞きながら、その男性は、ますます悶々と悩む。「両親たちは、 長い間、リンゴ農園をして、苦労をしました」「畑でいっしょに仕事をしている風景を見ると、皆さ ん、いい夫婦ですねと言います」と。 しかしそういうグチを、父親がその男性という子どもにぶつけること自体、おかしい。仮にぶつ けたとしても、子どもが悩むところまで、子どもを追いこんではいけない。その男性は、たいへ ん生真面目(きまじめ)な人なのだろう。そういう父親のグチを聞きながら、適当にそれを聞き 流すということができない。 ●未熟な人間性 依存型家庭につかっていると、依存性が強い分だけ、代々、子どもは精神的に自立できなく なる。自立できないまま、それがひとつの「生活」として定着してしまう。 たとえば日本には「かわいい」という言葉がある。「かわいい子ども」「子どもをかわいがる」と いうような使い方をする。 しかし日本語で「かわいい子ども」と言うときは、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子 どもという。自立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、かわいい子どもとは、あまり言わ ない。 また「子どもをかわいがる」というのは、子どもに楽をさせること。子どもによい思いをさせるこ とをいう。 こういう子ども観を前提に、親は子どもを育てる。そしてその結果として、子どもは自立できな い、つまりは、人間的に未熟なまま、おとなになっていく。 ●親の支配 依存型家庭では、子どもが親に依存する一方、親は、子どもに依存する。その依存性も、相 互的なもの。自分自身の依存性が強いため、同時に子どもが自分に依存性をもつことに甘く なる。その相互作用が、たがいの依存性を高める。 しかし親が、子どもに依存するわけにはいかない。そこで親は、その依存性をカモフラージュ しようとする。つまり子どもに依存したいという思いを、別の「形」に変える。方法としては、@命 令、A同情、B権威、C脅迫、D服従がある。 @命令……支配意欲が強く、親のほうが優位な立場にいるときは、子どもに命令をしながら、 親は子どもに依存する。「あんたは、この家の跡取りなんだから、しっかり勉強しなさい!」と言 うのが、それ。 A同情……支配意欲が強く、親のほうが劣位な立場にいるときは、、子どもに同情させなが ら、結果的に、子どもに依存する。「お母さんも、歳をとったからね……」と弱々しい言い方で言 うのが、それ。 B権威……封建的な親の権威をふりかざし、問答無用に、子どもを屈服させる。そして「親は 絶対」という意識を子どもに植えつけることで、子どもに依存する。「親に向かって、何てこと言 うの!」と、子どもを罵倒(ばとう)するのが、それ。 C脅迫……脅迫するためによく使われるのが、宗教。「親にさからうものは、地獄へ落ちる」 「親不孝者は、不幸になる」などという。「あんたが不幸になるのを、墓場で笑ってやる」と言っ た母親すら、いた。 D服従……子どもに隷属することで、子どもに依存する。親側が明らかに劣位な立場にたち、 それが長期化すると、親でも、子どもに服従的になる。「老いては子に従えと言いますから… …」と、ヘラヘラと笑って子どもに従うのが、それ。 ●親であるという幻想 人間の自己意識は、三〇歳くらいまでに完成すると言われている。言いかえると、少し乱暴 な言い方になるが、三〇歳をすぎると、人間としての進歩は、そこで停滞すると考えてよい。そ うでない人も多いが、たいていの人は、その年齢あたりで、ループ状態に入る。それまでの過 去を、繰りかえすようになる。 たとえば三〇歳の母親と、五歳の子どもの「差」は、歴然としてあるが、六〇歳の母親と、三 五歳の子どもの「差」は、ほとんどない。しかし親も子どもも、それに気づかない。この段階で、 「親だから……」という幻想にしがみつく。 つまり親は、「親だから……」という幻想にしがみつき、いつも子どもを「下」に見ようとする。 一方、子どもは子どもで、「親だから……」という幻想にしがみつき、親を必要以上に美化した り、絶対化しようとする。 しかし親も、子どもも、三〇歳をすぎたら、その「差」は、ほとんどないとみてよい。中には、努 力によって、それ以後、さらに高い境地に達する親もいる。しかし反対に、かなり早い時期に、 親よりはるかに高い境地に達する子どももいる。 そういうことはあるが、親意識の強い親、あるいはそういう親に育てられた子どもほど、この 幻想をいだきやすい。この幻想にしばられればしばられるほど、「一人の人間としての親」、 「一人の人間としての子ども」として、相手をみることができなくなる。 ●先の男性のケース 先の男性のケースの背景にあるのは、結局は、親離れできない彼自身といってもよい。その 男性は、実家の両親の問題に悩みながら、結局は、その実家にしがみついている。そういう彼 にしたのは、彼の両親、さらには彼の祖父母ということになる。つまり大きな流れの中で、その 男性は、その男性になった。 なぜ、その男性は、「両親の問題は、両親の問題」と、割り切ることができないのか? 一 方、その男性の両親は、「私たちの問題は、私たちの問題」と、割り切ることができないのか? その男性は、両親の問題を分担することで、結局は両親に依存している。一方、彼の両親 は、自分の問題を息子の彼に話すことで、彼に依存している。 本来なら、その男性は、両親の問題にまで、首をつっこむべきではない。一方、親は、自分 たちの問題で、息子を悩ませてはいけない。どこかで一線を引かないと、それこそ、人間関係 が、ドロドロになってしまう。 ●批判 こうした私の意見に対して、「林の意見は、ドライすぎる」と批判する人がいる。「親子というの は、そういうものではない」と。 少し話はそれるが、ここまで書いて、こんな問題を思い出した。親は子どものプライバシーの、 どこまで介入してよいかという問題である。ある母親は、「子どものカバンの中まで調べてよい」 と言った。別の母親は、「たとえ自分の子どもでも、子ども部屋には勝手に入ってはいけない」 と言った。どちらが正しいかということについては、また別の機会に考えるとして、私が言ってい ることは、本当にドライなのか? このことは、反対の立場で考えてみればわかる。 あなたは、いつかあなたの子どもが、あなたの問題で、今のS氏のように悩んだとする。その ときあなたは、それでよいと思うだろうか。それとも、それではいけないと思うだろうか。S氏 は、メールで、こう書いてきた。 「息子(中学一年)には、今の私のように、私の問題では悩んでほしくありません」と。 私は、それが親としての、当然の気持ちではないかと思う。またそういう気持ちを、ドライと は、決して言わない。 ●カルト抜き こうした生きザマの問題は、思想の根幹部分にまで、深く根をおろしている。ここでいう依存 性にしても、その人自身の生きザマと、密接にからんでいる。だからそれを改めるのは容易で はない。それから抜け出るのは、さらに容易ではない。 しかも親子であるにせよ、そういう人間関係が、生活のパターンとして、定着している。生きザ マを変えるということは、そういう生活のあらゆる部分に影響がおよんでくる。 これは一例だが、Y氏(五〇歳男性)は、子どものころ、母親に溺愛された。それは異常な溺 愛だったという。そこでY氏は、典型的なマザコンになってしまったが、それに気づき、自分の 中のマザコン性を自分の体質から消すのに、一〇年以上もかかったという。 親子関係というのは、そういうもの。それを改めるにしても、口で言うほど、簡単なことではな い。それはいわばカルト教の信者から、カルトを抜くような苦痛と努力、それに忍耐が必要であ る。時間もかかる。 ●因縁を断つ そんなわけで、私たちが親としてせいぜいできるここといえば、そうした「カルト」を、子どもの 代には伝えないということ程度でしかない。少し古臭い言い方になるが、昔の人は、それを「因 縁を断つ」と言った。 その男性についていえば、仮に彼がそうであっても、同じ苦痛や悩みを、子どもに伝えてはい けない。つまり彼自身は、親離れできない親、子離れできない子どもであったとしても、子ども は、親離れさせ、ついでその子どもが親になったときには、子離れできる子どもにしなければな らない。 しかしこと、彼の子どもについて言えば、ここに書いたような問題があることに気づくだけで も、問題のほとんどは解決したとみてよい。このあと、多少、時間はかかるが、それで問題は 解決する。 私はその男性に、こうメールを書いた。 「勇気を出して、自分の心の中をのぞいてみたらいかがでしょうか。つらいかもしれません が、これはつぎの代で、あなたの子どもに同じような悩みや苦しみを与えないためです」と。 (030306)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(652) 雑感 【事実1】アメリカの中西部のある町で、タクシーに乗る。メーターはついていない。料金は、乗 るとき、運転手と話しあって決める。「一人で一〇ドル、二人で二〇ドル……」と。日本でいう第 一種免許(営業用のタクシーの免許)など、ない。私を乗せてくれた運転手は、こう言った。「こ の町にはタクシー会社がなくてね。市長(メイヤー)に頼まれて、タクシー会社を開いている」と。 【事実2】〇一年の一〇月。「ここ数日内に、新たなテロがある」と、ブッシュ大統領が警告した その日。私とワイフは、アメリカに向かった。そのときのこと。成田空港では、三度、荷物検査 を受けた。帰り道、リトルロック(アーカンソー州の州都)の空港では、一度、荷物検査を受け た。三度と一度。しかし中身はまるで違った。成田空港での検査は、「いかにも検査していま す」という内容の検査。一方、リトルロックでの検査は、カービン銃をかかえた兵士二人がそば に立っていて、冷や汗が出るほど、あたりは緊張感に包まれていた。 【事実3】タイのバンコクには、無数のオートバイが走っている。どれも、日本でいう白タク(無免 許オートバイ・タクシー)。若者は、少しお金ができると、バイクを買って、それでオートバイ・タク シーを始める。そしてそれでお金がたまると、今度は、ツクツクと呼ばれるオート三輪を購入し て、それで白タクを始める。さらにお金がたまると、車を買う。さらにお金がたまると、メーター 付きのタクシー。さらにお金がたまると、クーラー付きのタクシー……と。 【事実4】世界で狂牛病が騒がれていたころ。オーストラリアの国際空港におりると、どこの空 港にも、見なれないカーペットが敷いてあった。靴の底についたドロを、落すためである。客は 空港へ入る前に、靴の底を、そこでよくぬぐうように指示される。もちろん肉製品などは、すべ てその場で没収。リストにのっている食品類も、すべて没収。 【事実5】私が子どものころには、自転車にも「鑑札」と呼ばれる、ナンバーがついていた。自動 車やオートバイにナンバーをつけるように、自転車にも、というわけである。おかげで自転車屋 はそれで結構、収入がふえたが、今から思うと、実にムダな制度だった。祖父がある日こう言 ったのを覚えている。「浩司、この店いっぱいの自転車より、時計屋の陳列の、一段に並んで いる時計のほうが、金額が多い」と。一台二万円として、自転車二〇台で、四〇万円。時計一 個一万円として、陳列一段分の四〇個で、四〇万円、と。私はそれを聞いたとき、子どもなが らに、「どうして時計には、鑑札をつけないのか」と思った。 事実1から事実5までを読んで、あなたはこれらの話の共通点は何だと思うか。ためしに小 学五年のU君に読んで聞かせたら、U君はこう言った。「日本は、何かしら、バカみたい」と。 そう、何か、おかしい。日本はやらなくてもよいようなことばかりやって、一方、やるべきことを やっていない? 日本が超の上に超がつく超管理国家であることは、外国へ出てみると、よく わかる。そこで行政改革(官僚政治の是正)ということになるが、ここまでくると、行政改革など 夢のまた夢。 たしかに必要な管理はある。役人にやってもらわねばならないサービスもある。決してすべて がムダと言っているのではない。しかし他方、不必要な管理も多過ぎるのも事実。この日本で は、何をするにも、許可、認可、資格がいる。この日本では、許可、認可、資格のいらない職業 はといえば、総理大臣と塾の教師だけという人もいる。つまりそれくらい、息苦しい。 が、それだけではすまない。この息苦しさが、社会そのものを硬直化させている。もちろん教 育とて例外ではない。欧米では、大学への入学後、学部変更や、大学から大学への転籍すら 自由。ヨーロッパでは、大学で取得する単位そのものが共通化されている。世界は今、そうい う時代になっているのに、いまだにこの日本では……。 もうやめよう。こんな話は。しかしこれだけは言える。生きる活力というのは、不完全なスキ間 から生まれる。不完全さを恥じることはない。むしろ問題とすべきは、完全すぎることによる弊 害である。社会が管理されてくると、人々は、言われたことはするが、それ以上のことはしなく なる。一見効率のよい社会に見えるかもしれないが、その社会の隅々に、無責任というチリが たまるようになる。そしてそのチリが積もりに積もって、やがて矛盾となって、社会に吹き出す。 たとえば今、北朝鮮の核ミサイルが、日本めがけて飛んでくるかもしれないという状況の中 で、「どの程度まで防衛するか」という、基準すら、この日本にはない。いや、基準などいらな い。へたに基準などあるから、対応できなくなってしまう。大砲の弾、一発うつたびに、「上」に 許可を求めていて、どうして国の防衛など、できるだろうか。よい例が、先の阪神大震災であ る。ときの自衛隊は、「上」からの発動命令がないという理由だけで、半日以上も、まったく動か なかった。 今、私たち日本人に求められているのは、「野生的なたくましさ」である。もちろん文化的であ るにこしたことはないが、四面を野獣に囲まれたような国際環境の中で、その「たくましさ」なくし て、どうして生き残ることができるというのか。たとえば教育でも、無数のコースがあって、もっと 自由に、子どもたちが選択できてもよいのではないか。アメリカには、通常の私立、公立の学 校のほか、バウチャースクール、ホームスクール、チャータースクールなどがある。教師がいな い、コンピュータだけの学校もある。学校の設立そのものが、自由化されている。もちろん失敗 も多いが、そういう失敗の中から、また別の新しい活力が生まれてくる。それがアメリカのダイ ナミズムの源泉にもなっている。 管理された社会の中、まさに「しくまれた自由」(尾崎豊)の中で、自分たちが管理されている ことも知らない。日本人がもつ悲劇性は、すべてこの一点に集約される。それがわかってほし かったら、ここに五つの事実を、思いつくまま、あげてみた。 (030307) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(653) 崩壊か、戦争か? 北朝鮮の食糧事情が、急速に悪化しているという。朝鮮日報(韓国系報道新聞)によれば、 「九五年から九八年の、大量餓死者が出た状況に近づきつつある」という。とくに今年に入って から、状況が悪化しているという。特別待遇を受けているビョンソン科学院の博士ですら、一か 月分の食料として、二〇日分のトウモロコシが配給されているだけという。エリート階級ですら、 この程度だから、あとは推してはかるべし。 こういう状況を知ると、では、北朝鮮の人たちを助けるべきという考え方と、そうでないという 考え方に分かれる。本来なら助けるべきなのだろうが、大きな問題が一つ、ある。過去におい て日本は、百数一〇万トンにもおよぶ食糧援助をしてきたが、そのほとんどは、末端の庶民に は届くことがなかったという。党幹部や軍に優先的に、配分されたという。しかも今、その党幹 部や軍が、日本に向けて、核ミサイルを着々と準備しているという。そういう話を聞くと、「今 は、助けるべきではない」という考えに傾いてしまう。 本来なら、国がこういう状態になれば、政権そのものが転覆(てんぷく)するはずだが、そこは 独裁国家。徹底した情報管理と恐怖政治で、国民をしばりあげている。日本の歌謡曲を口ずさ んだだけで、強制収容所に送られるという報道もあった。 が、それでも、あの金XXは、自国の不満を抑えきれなくなってきたらしい。そこで金XXが選 択しようとしている道は、外に向かっての戦争ということになる。「北朝鮮が苦しいのは、金XX の失政によるものではなく、アメリカや日本のせいだ」というわけである。何とも小ズルイやり方 だが、ここで忘れてならないのは、悪党はあの金XXだけではないということ。それを取り巻く党 幹部、さらにその周辺で、甘い汁を吸う、二〇万人ともいわれる党員たちがいるということ。こう いう組織が、全体として、今の北朝鮮という国家をつくりあげている。 まあ、どんな方向から考えても、ハタ迷惑な国なのだが、当の本人たちには、それがわかっ ていない。あげくのはては、自分の国の人たちを危険にさらしながら、ギリギリの瀬戸際外交を 繰りかえしている。アメリカにしても、日本にしても、あんな国、侵略する意図など毛頭ない。な いことは、ほんの少しだけアメリカ人や日本人とつきあってみればわかること。本音を言えば、 相手に、したくもない。 が、それを偉そうに、不可侵条約だの、国交正常化だのと、騒いでいる。ストックホルムの国 際平和研究所の調べによれば、これほどまでの経済難でありながら、北朝鮮は、ロシア、中 国、カザフスタンから、ミサイルや潜水艦などを、大量に武器を購入しているという。そんなお 金があるなら、食糧を買えばよいと思うのだが、そういう常識が通ずるような国ではない。 では、どうすればよいのか。 対話が重要なことは言うまでもないが、以前のような食料援助をつづければ、そのうち北朝 鮮は、大量の核兵器をもってしまうことになる。私は、日本もそれなりの覚悟をして、短期間 で、北朝鮮を兵糧攻めにするのが、一番、よいと思う。短期間なら、一般の人も耐えられるだ ろう。食料の流入を止めなくても、今まで援助していた分を、もうやめると言えばよい。それなら 制裁をしたということにもならない。そしてあとは一挙に、金XX体制を自然死に追い込む。 あとはさわらぬ神に、たたりなし。韓国へ亡命した、北朝鮮の上級工作員も、こう言ってい る。「(金XX体制を崩壊に追いこむための)最善の方法は、(日本語でいう)シカトだ」と。つまり 無視すればよい、と。もともとまともに相手にしなければならないような国ではない。いわんや 戦争などして、日本人が犠牲にならなければならないような国でもない。自由だ、平等だ、平和 だと叫んで、戦わねばならないような国でもない。その価値もない。今の北朝鮮は、どうしようも ないほど、あわれで、かわいそうな国だ。そういう視点で、つまり一歩、退いた視点で、ながめ る。 もちろん攻撃してくれば、そのときは、戦う。そのときは、容赦しない。私たちは、少なくとも私 は、座して死を待つような、軟弱な人間ではない。 (030307) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(654) チャットルーム チャットルームを開設して、二か月になる。しかしその間、参加してくださった方は、ほんの数 名。いろいろな意見交換ができると思っていたが、当初の思惑(おもわく)は、完全にはずれ た。 で、理由をいろいろ考えてみた。第一、私のマガジンにせよ、サイトにせよ、これほどまでに おもしろくないものはない。自分で読んでみて、そう思うのだから、どうしようもない。そういうお もしろくない世界に住む私と、チャットをするというのも、かなりの勇気がいる。私は読者の方の 立場で、ものを考えていなかった。 しかしとにかく数名の方とは、チャットができた。正直言って、それは本当に楽しかった。だい たい一時間と時間を決めているが、その時間が、あっという間に過ぎてしまう。本当にあっとい う間だ。ただ、不安がないわけではない。三重県のPさん、浜松市のSさんなどは、日ごろから メールを交換していたので、安心して(?)チャットができる。しかし初対面の方は、そうはいか ない。男性か、女性かもわからない。年齢もわからない。住所も家族構成もわからない。わか らないまま、いわばトンネルの中をさぐるようにして会話を始める。不用意な発言が、相手の方 をキズつけるということもありえる。 多分、相手の方は、私のことをよく知っている。私は、マガジンやサイトで、自己紹介をしてい る。この一方向性が、私を不安にする。だからしばらくチャットをしていると、何とも言えない閉 塞感(へいそくかん)を覚える。「ひょっとしたら、からかわれているのでは……」と思うこともあ る。「この人は、隣の人かもしれない」とか、「本当に女性なのか」とか、おかしなことを考えるこ ともある。 そこで私は一つのルールを、決めた。これは私の勝手なルールだが、読者の方へのお願い と言ってもよい。もしご理解いただけるなら、どうか協力してほしい。もっともこんなこと書いた ら、チャットルームは、ますます閑散としてくるだろうが、しかたない。 お願いというのは、もしできれば、チャットに先立って、メールでもよいから、簡単な自己紹介 をしてほしいということ。「何県の方ですか?」と聞いたとき、「それは言えません」などと答えら れたりすると、そのあと、チャットをどうつづけたらよいのか、わからなくなってしまう。そう思うの は、多分、私だけではないのでは? 何しろ人類がいまだかって経験したことのない分野だけ に、ルールそのものが確立されていない? 私がほしいのは、テーマ。みなさんの子育てで役にたてそうな、テーマ。みなさんが、今、ご家 庭で、子育てで、どんなことを問題にしているか、それを知りたい。チャットをしながら、そのテ ーマが煮詰まれば、私としても、それほど、うれしいことはない。そういうふうにしていただいた テーマを、これからのマガジンの中で、どんどんと生かしていきたい。 ……と書きつつ、今しばらく、チャットルームを開設する。毎週月曜日、午後11:00〜12:0 0ということにしている。(どこか高慢な言い方で、失礼!) 「こんなテーマで」というようなご意 見のある方は、どうか寄せてほしい。質問などは、大歓迎! (030307) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(655) 春 私のばあい、春は花粉症で始まり、花粉症で終わる。……以前は、そうだった。しかしこの八 年間、症状は、ほとんど消えた。最初の一週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花 粉症による症状が、消える。……消えるようになった。 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。花粉症のつらさは、花粉症になったことの ない人には、わからない。そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいこと はない。短い期間ならともかくも、それが年によっては、二月のはじめから、五月になるまでつ づく。そのうち、体のほうが参ってしまう。 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。二月になると、気分まで憂うつになった。しかし今 は、違う。思う存分、春を楽しめるようになった。風のにおいや、土や木のにおい。それもわか るようになった。ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっき り吸い込むことがある。どこか不安だが、くしゃみをすることもない。それを自分でたしかめな がら、ほっとする。 よく人生を季節にたとえる人がいる。青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。この たとえには、たしかに説得力がある。しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではない ような気がする。 どうして冬が晩年なのか。晩年が冬なのか。みながそう言うから、私もいつしかそう思うように なったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。人の一生は、八〇年。その八〇 年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。もしこんなたとえが許されるなら、青年時代 は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代 は、九合目でもよい。 さらに、だ。昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。 今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。冬に冷房をかけるような もの。私は、そんな違和感を覚えた。 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。乾燥した夏に備えるため だ。まだある。砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)の ほうが、すばらしい季節ということになっている。そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生 は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、 その木が死んでいるというわけではない。寒いから、休んでいるだけだ。……とまあ、そういう 言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからだ。自分の人生 が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからだ。 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。若いときのよう に、がむしゃらに働くということができなくなった。当然、収入は減り、その分、派手な生活が消 えた。世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。それ以上に、「だからどうな の?」という、迷いまかりが先に立つようになった。 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。「どう生きるか」 よりも、「どう死ぬか」を、考える。こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう 生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。さんざん考えてきたし、その結果、どうにもなら なかった。「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいの か! 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。それが死ぬということなら、死ん でもかまわない。そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。 今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。 「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」 「どうして?」 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」 「そんなこと、ないでしょ。みんなが、あなたを支えてくれるわ」 「しかし、ぼくは疲れた。こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」 「同じって……?」 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」 「同じじゃ、ないわ」 「どうして?」 「だって、五月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」 「……」 「新しい家族がふえるのよ。みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。今度は、そのセイジが おとなになって、結婚するのよ。私は、ぜったい、その日まで生きているわ」 セイジ……。と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。それは寒々とした冬景色の 中に、春の陽光がさしたような気分だった。 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」 「温泉なんて、喜ばないわ」 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」 「まだ一歳になっていないのよ」 「そうだな」と。 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ ば、一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ ていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。 私という人間には、単純なところがある。冬だと思えば、冬だと思ってしまう。しかしリンゴの 木を植えようと思えば、植える。そのつど、コロコロと考えが変わる。どこか一本、スジが通って いない。あああ。 どうであるにせよ、今は、春なのだ。それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。おかげで、花粉症 も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。今まで、春に憂うつになった分だけ、これから は楽しむ。そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。今、その憂うつで失った部分を、取り かえしてやろう。こんなところでグズグズしていても、始まらない。 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるもの か! 今は、春だ。人生の春だ! (030307) 【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、も うしないぞ。そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしま う。人生に、春も、冬もない。元気よく生きている毎日が、春であり、夏なのだ! ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(656) 浮気な空想 不謹慎な話だが、先日、電車に乗ったときのこと。通路の反対側に、美しい女性が座った。 年齢は三〇歳少し前だっただろうか。私はその女性を見ながら、こんな浮気な想像をした。 この女性と知りあいになる。ラブラブ関係になり、そのあと結婚する……と。しかしここでハタ と考えてしまった。「また一から、始めなければならない」と。 そう、すべてを、一から始めなければならない。私がしてきたことを、すべて、最初から、その 上、まったく同じことを繰りかえさなければならない。いくら美しい女性でも、その美しさだけで は、たがいの関係をつなぐことはできない。 話は変わるが、私は子どものころから、同じ作業を二度繰りかえすということが、苦手だっ た。だからある日、駅の改札口で切符を切っている駅員を見たとき、「よく、こんな仕事ができ るものだ」と、へんに感心したことがある。ほかに、たとえば編物をしている女性を見たときも、 同じように感じたのを覚えている。 これは私の性質のようなものかもしれない。だから仮に今、神様か何かに、もう一度過去に 戻り、同じ人生を繰りかえせと言われたら、多分、私はそれを断るだろうと思う。英語の言い方 を借りるなら、「ワンズ・イナフ(一度でたくさん)!」と。 そういう私だから、頭の中でその女性との未来を想像するうち、だんだん想像すること自体、 めんどうになってきた。家庭をもち、子どもをもうける。そしてその子どもを、これまた一から育 てる。 このままの状態で、つまり今までにつかんだ知恵や知識をもったまま、体だけ若くなるという のなら、若くなりたいが、そうでないなら、若くなりたいとは思わない。若い人には申し訳ない が、あんな未熟な時代に戻るのだけは、ごめん。もうこりごり。たとえば今、二男が結婚生活を 始め、子どもをもうけた。二男はとても幸福そうだが、その幸福感とて、私はすでに経験したも のだ。二男の幸福そうな写真を見ると、「よかった」とは思うが、その先にあるものがわかってし まうため、決して「うらやましい」とは、思わない。「これから先、たいへんだぞ」と、思わずそんな ことを言いそうになってしまう。 そのあたりまで考えていると、ちょうど空に散ったシャボン玉のように、浮気な想像が、パチン と音をたてて割れてしまう。 私は自分の人生を、自分なりに懸命に生きてきた。いろいろやり残したことはあるが、まあ、 こんなものだと、納得している。むしろこのところ、この年齢まで、ほぼ無事に人生を過ごしてこ られたことを、喜んでいる。大きな事故もなかったし、病気もしなかった。人間、ぜいたくを言え ばキリがないが、私はそれなりに、したいことができた。 で、結論。どうせ同じような人生になるなら、私は、さらに先に進んでみたい。だれが見ても、 老人ぽい顔になりつつあるが、それでも、もっと先へ進んでみたい。その先に、「死」が待って いるとしても、その限界まで進んでみたい。だから私は静かに目を閉じた。閉じて、その女性の 姿を消した。つまりその美しい女性と、心の中で別れた。 ついでに、一言。この話をあとでワイフにすると、ワイフはこう言った。「だから、あんたはオメ デタイのよ。あなたがいろいろ空想するのは、あなたの勝手だけど、相手にも人を選ぶ権利と いうものがあるのよ。あなたが結婚を申し込んでも、相手の女性は、それを断るわよ。どうして そういうことが、あなたにはわからないの!」と。ナルホド! (030307) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(657) ●日本の現状認識 いろいろ今、日本は、たいへんだが、しかし今まで、ラッキーだった。とくに私たち団塊の世代 (戦後生まれの世代)は、戦争を経験することもなく、平和と繁栄の時代を謳歌(おうか)するこ とができた。いろいろ苦労はしたが、いつも前向きな苦労だった。いつもその前に、夢や希望 が広がっていた。 教育にしても、そしてそれぞれの子育てにしても、いろいろ問題はあるにはあったが、そして 今もあるが、全体としてみれば、すばらしい時代だった。これはあくまでも相対的な見方でしか ないが、悲惨な戦争も、深刻な飢餓も、政治的な混乱も経験しなかった。「相対的」というの は、ほかの国々が経験した、戦争や飢餓、混乱とくらべると、日本がかかえた問題など、何で もなかったということ。 しかし今、日本は、重大なターニングポイントにさしかかりつつある。そのことは「個人」という レベルでみると、わかる。バブル経済崩壊以後、景気が悪くなり、収入は激減したが、何とか、 それまでの蓄(たくわ)えで、もちこたえることができた。言うなれば、それまでの繁栄の中で得 た備蓄があった。 が、その不況の時代が長すぎた。今の平成不況になって、すでに一〇年以上になる。本来な ら、生活の質を落として、それに対応しなければならなかったが、日本人は、その「質」を落とさ なかった。私の家でも、たとえば電気代、ガス代にしても、以前と同じだった。結果、その蓄え を食いつぶしてしまった……。 実は、国の財政も、これと同じ。国家税収が、五〇兆円から四〇兆円へと、この間に、一〇 兆円近くも減った。しかし支出がそれだけ減ったかというと、そういうことはなかった。相も変わ らず、ぜいたくな生活をつづけながら、足りない分は、赤字国債という借金でまかなった。今の 今も、私の山荘のすぐ裏では、第二東名の工事が進んでいる。度肝を抜くほど豪華な道路で ある。まるで山の中に、ギリシャのパルテノン宮殿かゼウス神殿の列柱が、無数に並んでいる かのよう。その工事費だけでも、一二兆円弱。国家税収の四分の一を投入している! 現在 の東名高速道路ですら、利用者が頭打ちになっているというのに、だ。 その上、今、日本の平和も、風前のともし火。となりのK国は、日本に向けて、せっこらせっこ らと、核ミサイルを製造している。が、この日本は何もすることができない。すべてアメリカ頼 み。加えて経済も、破綻状態。かろうじて日本を支えているのは、輸出と、海外投資。輸出は 輸出だが、わかりやすく言えば、日本が世界のサラ金になっている。しかしそれとていつまで続 くことやら。もうすぐ国や地方団体の借金だけで、一〇〇〇兆円になる。国家税収の二五年 分。国民一人あたり、約一億円! こんな借金、返せるわけがない。 暗い話ばかりつづくが、人生には、山もあれば、谷もある。同じように、日本にも、山もあれ ば、谷もある。ときには嵐がやってくることもある。しかし嵐がこわいと、逃げまわっているわけ には、いかない。立ち向かうときには、立ち向かう。しかも、それは早ければ早いほどよい。短 期間であれば、あるほど、よい。今のようにズルズルと、先送り、先延ばしにすればするほど、 被害は、大きくなる。 で、これからの日本は、どうなるか? 「日本は再生する」と主張する人もいるが、この説は 現実的ではない。 世界の経済学者の中には、「日本、オーストリア説」、さらには、「スペイン説」「大英帝国説」 を唱える人もいる。しかし現実は、刻一刻と、「アルゼンチン説」、さらには「メキシコ説」に傾き つつある。やがて日本も、今のアルゼンチンやメキシコのようになるという説である。しかし、本 当にこわいのは、そのことではない。日本人自身が、未来に向かって、自信をなくすことであ る。私たちはともかくも、子どもたちが、である。 ●子どもたちの未来 よく誤解されるが、貧しいことは、何ら、恥ずべきことではない。世間に対してはともかくも、自 分の子どもに対しては、とくにそうである。また貧しいからといって、子どもの心がゆがんだり、 卑屈になることはない。もしゆがんだり、卑屈になるとしたら、親自身の生きザマが、ぐらつい たときである。 たとえば私たちは、子どものころ、大きな磁石をもって、川の中を歩いた。鉄くずを拾うためで ある。そしてその鉄くずを、鉄くず屋へもっていく。そうすると、結構な小づかいになった。ときに は父親の一日の収入より、多く稼いだこともある。子どもにとっての、貧しさ、そしてそれから生 まれる、たくましさ。さらに未来への希望や自信といったものは、そういうものをいう。 もっとも当時と今とでは、時代が異なる。今の子どもたちが鉄くずを拾って歩くなどということ は、考えられない。しかし「形」は変わっても、方法はいくらでもある。あるが、その前に、こうま で子どもたちの世界が管理されてしまうと、それもままならない。お金を稼ぐとしても、援助交際 か下着売りで、ということになる。友だちと遊ぶにしても、数万円もかかるゲーム機で、というこ とになる。 私は、やはり一つの方法としては、一芸論をあげる。その一芸なら一芸だけに、秀(ひい)で るという方法である。教育という場でいうなら、得意分野だけを、どんどんと伸ばしていくという 方法である。そのとき大切なことは、子どもの夢というのは、子ども自身が実現できる範囲で、 子どもの身近に置いてあげるということ。子どもの世界には、子どもの夢というのがある。 たとえば私のばあい、子どものころの夢というのは、ブルドーザーを動かしてみること。ヘリコ プターに乗ってみること。大工になることだった。とくに大工になる夢は強くもった。毎日、近くの 寺の境内で泥んこ遊びをしながら、そんなことばかり考えていた。 で、ある日のこと。母が私にこう聞いた。「お前はおとなになったら、何になりたいか」と。すか さず私が、「ぼくは、土方(どかた)になる」と答えたら、母は血相を変えて、私を叱った。「そん なものに、なるんじゃ、ない!」と。土方というのは、工事現場で働く肉体労働者を言った。私が 小学二、三年生のころのことではなかったか。 しかし子どもというのは、そういう身近な夢を積み重ねて、やがて自分の未来を組み立ててい く。小学生の中には、「私は、おとなになったら、医者になる」とか言う子どももいるにはいる が、たいていは、親がそう言わせている。あるいは、スポーツ(水泳などの個人競技)で、力を 伸ばし、その分野の選手になるという子どももいる。しかしそういうのは、私がここでいう夢と は、違う。 子どもの夢というのは、子ども自身が、自分でもつもの。おとなたちが用意した世界で、おと なたちに誘導されてつくるものではない。が、今、社会にせよ、親にせよ、子どものもつ夢という のは、そういうものだと決めてかかりすぎているのでは? もう五、六年も前のことだが、あの宇宙飛行士のM氏が、このH市で講演会を開いた。そして さかんに、「子どもたちよ、夢をもて。もって、宇宙へ飛び出そう」などと言っていた。親にとって は、たいへん心地よい講演会だったが、それを聞いて、いったい、どれだけの子どもが感動し たというのだろうか。その講演会に行ってきたある女の子(中一)に、私が、「君たちも、宇宙飛 行士になってみたら」と声をかけると、その子どもは、こう言った。「どうせ、なれないもんね」と。 要するに、この日本には、コースというものがあって、子どもたちは、そのコースからはずれ ることすら許されない。そして子どもたちのもつ夢というのは、その範囲にせばめられる。少なく とも、親や教師は、そういう形で、子どもに夢を実現せよと迫る。しかしこんなことをすれば、子 どもが窒息するだけだ。 私のばあいも、高校二年まで、建築士になるのが夢だった。建築士が無理なら、大工でもよ かった。しかし当時の進学指導の中で、どういうわけか文科系に落とされ、さらに文学部から 法学部へと、コースを変えられてしまった。この時点で、私の夢は完全につぶされてしまった。 今でも、こういう形で、夢をつぶされていく子どもは、少なくない。しかしこういう状況の中で、 「子どもたちよ、自信をもて」と叫んで、いったい、どれだけの子どもが、それに納得するという のだろうか。また自信をもつというのだろうか。 子どもには、子どもの夢がある。そこでまず大切なことは、子どもの話す夢に耳を傾けてやる こと。そしてそれを何らかの形で実現させてあげ、さらにそれを積み重ねて、方向性をつくって あげること。「つくってあげる」というより、手伝ってあげると言ったほうが、よいかもしれない。と もかくも、そういう流れの中から、子どもは、未来に向かって、自信をもつようになる。 ●終わりに この不況下の中で、かえって受験競争が、復活するきざしを見せ始めている。「とにかく学歴 を」という考え方が、強くなっている。中には、「公務員になってほしいから」と言う親すら、いる。 「どうしてですか?」と聞くと、「仕事が楽だし、一生、食べていくには困らないから」と。しかし皮 肉なことに、そういうふうにして、子どもを追いつめれば追いつめるほど、子ども自身は、夢を つぶされ、自分の未来を悲観するようになる。 が、これでは何も、問題は解決しない。しないばかりか、日本そのものが崩壊してしまう。そう そう言い忘れたが、「日本、ロシア説」というのもある。日本中、公務員だらけになってしまっ て、ロシアのように、国全体が崩壊するという説である。決して冗談で言っているのではない。 日本は、すでに、その瀬戸際に立たされている。この原稿を書いている朝の新聞(三月八日) も、「株価の低迷から、銀行の三月危機は、いよいよ現実に」(Y新聞)とある。 まさに日本は、正念場を迎えた。 (030308)※ +++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※ 子育て随筆byはやし浩司(658) 心を許さない子ども 無視、冷淡、親の拒否的態度は、子どもに深刻な影響を与える。乳幼児期に、心のさらけ出 しができないため、親のみならず、他人と良好な人間関係を結べなくなる。子どもは、絶対的な 信頼関係のある親子関係の中で、心をはぐくむことができる。「絶対的な信頼関係」というの は、どんなことをしても、また何をしても、許されるという信頼関係である。親に対して疑いをい だかない安心感をいう。 この信頼関係が欠落すると、子どもは絶対的な安心感を得られなくなり、不安を基底とした 心理状態になる。これを「基底不安」というが、その不安を解消しようと、子どもはさまざまな方 法で、心を防衛する。@服従的態度(ヘラヘラとへつらう)、A攻撃的態度(威圧したり、暴力で 相手を屈服させる)、B回避的行動(引きこもる)、C依存的行動(同情を求める)などがある。 これを「防衛機制」という。 このタイプの子どもは、孤独と不安を繰りかえしながら、そのつど相手を求めたり、拒絶した りする。まさに「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」の人間関係をつくる。本人はそれでよい としても、困惑するのは、周囲の人たちである。あるときはベタベタと近づいてきたかと思うと、 つぎに会うと、一転、冷酷な態度をとったりする。親しみと憎しみ、依存と拒絶、密着と離反、親 切と不親切が、同居しているように感ずることもある。 が、悲劇はつづく。 他者とのつながりがうまく結べない分だけ、独善的、独断的な行動が多くなる。一見すると主 体的な生き方に見えるかもしれないが、その主体そのものがない。私の印象に残っている女 の子(中二)に、Bさんという子どもがいた。 Bさんは、がんばり屋だった。能力的には、それほどでもなかったが、そのため勉強も、よくで きた。親は、そんなBさんを、よくほめた。先生も、ほめた。とくに気になったのは、融通(ゆうづ う)がきかなかったこと。ジョークを言っても、通じない。このタイプの子どもは、自分だけのカラ に閉じこもりやすく、がんこになりやすい。 そのBさんが、ここに書いた、決して心を許さないタイプの子どもだった。そのときまでに、す でに私のところへ五、六年、通っていたが、いつも心を風呂敷で包んだような感じがした。俗に いう「いい子」ではあったが、何を考えているか、よくわからなかった。 決して勉強が好きというわけではなかった。しかしBさんにとっての勉強は、まさに自己主張 の道具だった。(勉強ができる)=(優秀であるという証明)=(みなにチヤホヤされる)というよ うに、である。ここにも書いたように、一見、主体性があるようで、どこにもない。Bさんは、いつ も自分の評価を他人の目の中でしていた。 もうおわかりかと思う。このBさんが、とっていた一連の行為は、自分の心の中の不安を解消 するためであった。勉強という手段を用いて、他人に対して優位に立つことにより、自分にとっ て居心地のよい世界を、まわりに作るためであった。先にあげた防衛機制の中の、A攻撃的 態度の一つということになる。 Bさんは、勉強がよくできる分だけ、孤独だった。友だちもいなかった。しかも自分より目立つ 仲間は、すべてライバルだった。Bさんの前で、ほかの子どもをほめたりすると、嫉妬心から か、Bさんは、よく顔をしかめた。が、そのBさんが、ある日、とうとう勉強でつまずいてしまっ た。最初は「勉強がわからない」と、よくこぼした。つぎに数か月先のテストのことを心配したり した。親はBさんに頼まれるまま、進学塾をもう一つふやし、家庭教師もつけた。しかしそうす ればするほど、Bさんの勉強は空回りをし始めた。 とたん、Bさんは、プツンしてしまった。ふつうの燃え尽き症候群と違うのは、無気力症状は出 てこないこと。別の形で、攻撃的になるということ。Bさんのケースでは、そのまま、本当にあっ という間に、非行の道へ入ってしまった。髪の毛を染め、ツメにマニキュアをし、そしてあやしげ な下着を身につけるようになった。と、同時に、私の教室をやめた。しばらくしてから、ほかの 子どもたちに、Bさんが、学校でも札つきのワルになったという話を聞いた。 Bさんを知る、ほかの母親たちは、こう言う。「えっ? あのBさんが、ですか?」と。実のとこ ろ、この私ですら、その変化に驚いたほどである。授業中でも、先生を汚い言葉で罵倒(ばと う)して、部屋から出て行くこともあるという。 ……では、どうするかということではない。あなたの子どもは、だいじょうぶかということ。あな たの子どもは、乳幼児のとき(二〜四歳の第一反抗期)から、あなたに対して、好き勝手なこと をしていただろうか。わがままというのではない。言いたいことを言い、したいことをしたかとい うこと。もしそうなら、それでよし。しかし乳幼児のとき、どこかおとなしく、仮面をかぶり、手がか からない子どもだったとしたら、ここでいう「心を許せない子ども」を疑ってみたらよい。そして今 は、その「いい子」かもしれないが、そのうちそうでなくなるかもしれないと、警戒をしたほうがよ い。 心の問題は、簡単にはなおらない。なおらないが、警戒するだけでも、仮に問題が起きたとき でも、原因がわかっているから、対処しやすいはず。またあなたの子どもが〇〜二歳であるな ら、これからの反抗期を、うまく通り過ぎることを考える。この時期は、子どもの心を形成すると いう意味で、きわめて重要な時期である。 (030308) +++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(659) ブーメラン効果 子どもに「勉強しなさい」と言えば言うほど、子どもが勉強しなくなる……ということは、よくあ る。子どもが、親の下心を見抜いているときほど、そうである。こういうのを、「ブーメラン効果」 という。 たとえば一人のセールスマンがやってくる。愛想のよい男で、どこかヘラヘラしている。そして 「今日はいい天気ですね。それにしても奥様は、美しい」と言ったとする。ペラペラと、口もうま い。 そういうときあなたは、そのセールスマンをどう思うだろうか。そのセールスマンの言うことを、 そのまま信ずるだろうか。多分、あなたはこう思うに違いない。「私を美しいと言うのは、私をお だてて、モノを買わせるためだ」と。 そこまで相手の心を見抜くと、あとはセールスマンが何を言っても、ムダ。あなたはそれを受 けつけない。セールスマンがうまいことを言えば言うほど、あなたは、ますますそのセールスマ ンの言うことを、拒絶するようになる。 「今日は、とくにお安くしておきます」(うまいこと言って!) 「半額にしておきます」(本当はそれでも、かなり儲けるんだろ!) 「試しに使っていただけたらと思います」(あとで、高額なものを売りつけるんだろ!)と。 自分の言葉が相手に向かい、結局のその言葉で、自分が損をする。心理学の世界では、も う少し別の意味でこの言葉を使うが、それがブーメランに似ているから、「ブーメラン効果」とい う。 要するに、下心を見抜かれると、こちらが言うほど、効果がないばかりか、かえって逆効果に なるということ。子どもを指導するときは、このブーメラン効果に注意する。いや、その前に、下 心などもたないこと。いつもたがいにストレートであるから、親子という。下心をもつということ は、すでに親子関係は、危険な状態になっているとみてよい。 (030308) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(660) 心霊体験(?) 今朝、不思議な体験をした。 朝、五時ごろだと思う。となりに寝ていたワイフが、起きて、部屋の外に出た。私が見たときに は、引き戸を閉めて、廊下へ出るところだった。廊下には常夜灯がついている。 私はその直前まで、夢を見ていた。どこかを皆で、歩いている夢だった。前を、T君という小 学生が歩いていた。私の夢の出演者は、たいてい私の生徒たちだ。T君は、私の生徒だった。 で、目が覚めた。そのとき、ワイフのうしろ姿を見た。きっとトイレに行くのだろうと思った。そ う思ったので、枕もとの電気を、つけてやった。戻ってきたとき、真っ暗では困るだろうと思っ た。 が、しばらく待っていたが、ワイフは部屋にもどってこなかった。昨夜は早く寝たので、早く起 きてしまったのかと思った。 が、そのとたん、ドキリ! 何とワイフが、横で寝ているではないか。私は、ソーッとした。部屋 を出たはずのワイフが横で寝ている。これはどういうことだ。私はすっかり、目が覚めてしまっ た。だから起きて、書斎に入った。 八時ごろになって、ワイフが起きてきた。土曜日の朝は、朝寝坊することが多い。そこで居間 へ行き、こう聞いた。「お前、五時ごろ、トイレへ行かなかったか?」と。するとワイフはしばらく 考えたあと、こう言った。「昨夜(今朝)は行かなかったわ」と。 「しかし、お前が部屋を出て行くのを見たぞ」 「きっと夢よ」 「夢じゃない。ちゃんと、電気をつけた」 「……」 「お前が出て行ったと思ったのに、そのお前が、出て行かなかった。どういうことだ?」 「私は、起きてから、トイレへ行ったわ」 「しかしたしかに、お前は出て行った」 こういうのを、心霊の世界では、幽体離脱というらしい。もちろん私は信じないが、ワイフは幽 体となって、部屋を出て行った? しかしそんなことはありえない。 私は悶々とした一日を過ごした。あれは気のせいではない。夢でもない。私はちゃんと、見 た。たしかに見た。そのとき、それまで見ていた夢のことを、はっきりと覚えている。それに何度 も繰りかえすが、枕もとの電気をつけた。夢なら、電気はついていないはず。 あるいはとうとう私の頭は狂ったのか。このところ、へんな現象が起きている。先日は、バレ ンタインでもらったチョコレートを食べ過ぎて、頭の調子がおかしくなった。 で、その日は夕食まで、気分が晴れなかった。アルツハイマー型痴呆症に、似たような症状 があるというような話を聞いたこともある。このところ、もの忘れをするようになった。あれこれ 考えていたら、ワイフがこう言った。 「あなたが朝、話したことね。あれ、S(長男)よ。Sがね、早く起きて、私たちの寝室に入ってき たんだって。何か、さがしものがあってね」と。 はははは。もう一度。はははは。つまり長男が、朝早く、さがしものをするため、私たちの部 屋に入ってきた。しかしそのとき私は、まだ眠っていた。が、長男が出て行くとき目が覚めて、 それをワイフと見まちがえた。寒いときは、長男は、ワイフのジャンパーをはおることがある。 そう言えば、私が見たそれは、赤いジャンパーをはおっていた。考えてみれば、ワイフは、トイ レに行くときは、ジャンパーをはおらない。 こうして私の心霊体験は、終わった。よかったと思うと同時に、何かしら、がっかりした。 (030308) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(661) 親の気負い、子の気負い ●子の気負い 「親だから……」と気負うのを、親の気負いという。それはよく知られているが、「子だから… …」という気負いもある。これを子の気負いという。 ●相互依存性 こうした気負いは、相互的なもの。決して、一方的なものではない。親としての気負いの強い 人ほど、一方で、子としての気負いが強い。「よい親であろう」と思う反面、「よい子どもであろ う」とする。だからどちらを向いても、疲れる。 こうした気負いの背景にあるのが、依存性。もう少しわかりやすい言葉でいうと、「甘え」。親 に対しては、しっかりと親離れできていない。一方、子どもに対しては、しっかりと子離れできて いない。結果として、どこかベタベタの人間関係になる。 このベタベタの人間関係が、祖父母→親→自分→子へと、脈々とつながっている。だからふ つう、その中にいる人は、それに気づかない。それがその人にとっては、ふつうの人間関係で あり、またたいていのばあい、それが「あるべき人間関係」と考える。 ●未熟な人間性 依存型家庭につかっていると、依存性が強い分だけ、代々、子どもは精神的に自立できなく なる。自立できないまま、それがひとつの「生活」として定着してしまう。 たとえば日本には「かわいい」という言葉がある。「かわいい子ども」「子どもをかわいがる」と いうような使い方をする。 しかし日本語で「かわいい子ども」と言うときは、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子 どもという。自立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、かわいい子どもとは、あまり言わ ない。 また「子どもをかわいがる」というのは、子どもに楽をさせること。子どもによい思いをさせるこ とをいう。 こういう子ども観を前提に、親は子どもを育てる。そしてその結果として、子どもは自立できな い、つまりは、人間的に未熟なまま、おとなになっていく。 ●親の支配 依存型家庭では、子どもが親に依存する一方、親は、子どもに依存する。その依存性も、相 互的なもの。自分自身の依存性が強いため、同時に子どもが自分に依存性をもつことに甘く なる。その相互作用が、たがいの依存性を高める。 しかし親が、子どもに依存するわけにはいかない。そこで親は、その依存性をカモフラージュ しようとする。つまり子どもに依存したいという思いを、別の「形」に変える。方法としては、@命 令、A同情、B権威、C脅迫、D服従がある。 ●命令……支配意欲が強く、親のほうが優位な立場にいるときは、子どもに命令をしながら、 親は子どもに依存する。「あんたは、この家の跡取りなんだから、しっかり勉強しなさい!」と言 うのが、それ。 ●同情……支配意欲が強く、親のほうが劣位な立場にいるときは、、子どもに同情させなが ら、結果的に、子どもに依存する。「お母さんも、歳をとったからね……」と弱々しい言い方で言 うのが、それ。 ●権威……封建的な親の権威をふりかざし、問答無用に、子どもを屈服させる。そして「親は 絶対」という意識を子どもに植えつけることで、子どもに依存する。「親に向かって、何てこと言 うの!」と、子どもを罵倒(ばとう)するのが、それ。 ●脅迫……脅迫するためによく使われるのが、宗教。「親にさからうものは、地獄へ落ちる」 「親不孝者は、不幸になる」などという。「あんたが不幸になるのを、墓場で笑ってやる」と言っ た母親すら、いた。 ●服従……子どもに隷属することで、子どもに依存する。親側が明らかに劣位な立場にたち、 それが長期化すると、親でも、子どもに服従的になる。「老いては子に従えと言いますから… …」と、ヘラヘラと笑って子どもに従うのが、それ。 ●親であるという幻想 人間の自己意識は、三〇歳くらいまでに完成すると言われている。言いかえると、少し乱暴 な言い方になるが、三〇歳をすぎると、人間としての進歩は、そこで停滞すると考えてよい。そ うでない人も多いが、たいていの人は、その年齢あたりで、ループ状態に入る。それまでの過 去を、繰りかえすようになる。 たとえば三〇歳の母親と、五歳の子どもの「差」は、歴然としてあるが、六〇歳の母親と、三 五歳の子どもの「差」は、ほとんどない。しかし親も子どもも、それに気づかない。この段階で、 「親だから……」という幻想にしがみつく。 つまり親は、「親だから……」という幻想にしがみつき、いつも子どもを「下」に見ようとする。 一方、子どもは子どもで、「親だから……」という幻想にしがみつき、親を必要以上に美化した り、絶対化しようとする。 しかし親も、子どもも、三〇歳をすぎたら、その「差」は、ほとんどないとみてよい。中には、努 力によって、それ以後、さらに高い境地に達する親もいる。しかし反対に、かなり早い時期に、 親よりはるかに高い境地に達する子どももいる。 そういうことはあるが、親意識の強い親、あるいはそういう親に育てられた子どもほど、この 幻想をいだきやすい。この幻想にしばられればしばられるほど、「一人の人間としての親」、 「一人の人間としての子ども」として、相手をみることができなくなる。 ●批判 こうした私の意見に対して、「林の意見は、ドライすぎる」と批判する人がいる。「親子というの は、そういうものではない」と。 少し話はそれるが、ここまで書いて、こんな問題を思い出した。親は子どものプライバシーの、 どこまで介入してよいかという問題である。ある母親は、「子どものカバンの中まで調べてよい」 と言った。別の母親は、「たとえ自分の子どもでも、子ども部屋には勝手に入ってはいけない」 と言った。どちらが正しいかということについては、また別の機会に考えるとして、私が言ってい ることは、本当にドライなのか? このことは、反対の立場で考えてみればわかる。 もしあなたの子どもが、いつか、あなたがた夫婦の問題で悩んだとしたら、あなたはそれを喜 ぶだろうか。 ●カルト抜き こうした生きザマの問題は、思想の根幹部分にまで、深く根をおろしている。ここでいう依存 性にしても、その人自身の生きザマと、密接にからんでいる。だからそれを改めるのは容易で はない。それから抜け出るのは、さらに容易ではない。 しかも親子であるにせよ、そういう人間関係が、生活のパターンとして、定着している。生きザ マを変えるということは、そういう生活のあらゆる部分に影響がおよんでくる。 これは一例だが、Y氏(五〇歳男性)は、子どものころ、母親に溺愛された。それは異常な溺 愛だったという。そこでY氏は、典型的なマザコンになってしまったが、それに気づき、自分の 中のマザコン性を自分の体質から消すのに、一〇年以上もかかったという。 親子関係というのは、そういうもの。それを改めるにしても、口で言うほど、簡単なことではな い。それはいわばカルト教の信者から、カルトを抜くような苦痛と努力、それに忍耐が必要であ る。時間もかかる。 ●因縁を断つ そんなわけで、私たちが親としてせいぜいできるここといえば、そうした「カルト」を、子どもの 代には伝えないということ程度でしかない。少し古臭い言い方になるが、昔の人は、それを「因 縁を断つ」と言った。 私たちはこうした依存性のみならず、親として、「悪い因」を子どもに伝えてはいけない。今、 あなたが親離れできない親、子離れできない子どもであったとしても、子どもには、親離れさ せ、ついであなたの子どもが親になったときには、子離れできる親にしなければならない。 しかしこと、この問題について言えば、ここに書いたような問題があることに気づくだけでも、 つまりあなたがあなた自身を疑ってみることだけでも、問題のほとんどは解決したとみてよい。 このあと、多少、時間はかかるが、それで問題は解決する。 (030306) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(662) プラスのストローク(働きかけ) 子どもは、プラスのストローク(働きかけ)があって、伸びる。たとえば赤ちゃんが懸命に体を 動かしたり、声を発したとする。そのとき大切なことは、親が、その動きをほめ、声に、愛情豊 かに答えてあげること。こうしたストロークは、人間の心の発育には、必要不可欠なものと言わ れている。が、このストロークがないと、子どもは発育そのものを止めてしまうという。いろいろ 例を聞いたことがある。 ある子ども(幼児)は、生後まもなくから施設へ入れられていた。体の発育のみならず、知育 の発育も遅れていた。が、別の施設へ移され、そこで保母さんたちによって、濃厚なスキンシッ プを与えられたところ、体重が急速にふえ、知育も著しく発達し始めたという。 ある学者は、たとえマイナスのストロークであるにせよ、暴力や威圧を受けた子どものほう が、無視、冷淡、拒否的な態度を経験した子どもよりも、まだ心理的にはよい結果をもたらすと も言っている。マイナスのストロークであるにせよ、ないよりは、まし、というわけである。 子どもを伸ばす、最大の秘訣は、プラスのストロークを、子どもに常に与えること。「あなたは 愛されている」「あなたは守られている」「あなたは信じられている」と。子ども自身のことについ ても、「あなたはすばらしい」「あなたはどんどんいい子になる」「あなたは何をしても、じょうずに できる」と。 一方、マイナスのストロークは、子どもを、負の方向に引っぱってしまう。これは当然だが、し かし子どもというのは、おもしろい性質がある。四種類の教師がいる。 (最初に叱って)→(あとでほめる) (最初にほめて)→(あとでほめる) (最初にほめて)→(あとでけなす) (最初に叱って)→(あとで叱る) この中で、子どもにとって一番好ましい教師は、最初の、(最初に叱って)→(あとでほめる教 師)だそうだ。またそういう教師は、子どもを伸ばすことができる。二宮尊徳も、そう書いてい る。以前、書いた原稿を、ここに張りつけておく。(順に下へいくほど、好ましくない教師というこ とになる。) ++++++++++++++++++++++++ 三つほめ、二つ叱れ 「かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って、よき人となせ」と言ったのは、二宮尊徳だ が、まさにその通り。子どもを叱ったら、必ずほめて仕上げる。「ほら、あなたもちゃんとできる でしょ」と。決して叱りっぱなしにしてはいけない。これは子育ての大原則。 ……と言っても、実際にその場になると難しいので、頭の中で格言として、この言葉を何度も繰 り返しておくとよい。「叱ったら、ほめる」と。 叱り方にもコツがある。 @子どもに威圧感を与えない……「威圧で閉じる、子どもの耳」と覚えておく。親がガミガミと叱 れば叱るほど、子どもの耳は閉じる。つまり叱っても意味がないということ。 A相手が幼児のときは、目線を幼児の目線まで落とす……親のほうが腰を落とし、幼児の目 線まで自分の目線を落とす。 B子どもの肩をしっかりと固定し、視線を子どもの目からはずさない……両手で子どもの肩を 両側からはさみ、肩をしっかりと固定する。そして叱るときは、子どもの目をしっかりと見つめ、 視線をはずさないようにする。 C言うべきことを繰り返す……怒鳴ったり、大声をあげたりしない。言うべきことをしっかりと繰 り返す。 D そして最後、というより、しばらく時間をおいて、子どもが叱ったことを守ったり、できるようにな ったら、ほめて仕上げる。 ふつう叱るときは内緒で、ほめるときは皆の前でする。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠 告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少し おおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあと は繰り返しほめる。 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女 子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。 +++++++++++++++++++++++++ このストロークは、サイレントベービー(笑わない子ども、表情のない子ども、さらには泣かない 子ども)との関連も指摘されている。決して、安易に考えてはいけない。 (030308) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(663) 女の先生 最近、私の教室で人気があるのが、女の先生。子ども(幼児)たちが、ときどき、「男の先生 より、女の先生のほうがいい」と言う。そういうときは、私は女の先生になってやる。 方法は、まず、ヘアーピース(かつら)をかぶり、セーターの下に、ボールを二個入れる。「若 い先生のほうがいいのか? 年をとった先生のほうがいいのか?」と聞くと、「若い先生!」と。 そういうときは、二個のボールを胸の上のほうに入れる。そしてこう言う。 「私的には、サー。幼児教育なんて、サー。どうでもいいのオ。てな、感じジー。ところであんた のお父さんにさア、いい弟なんか、いないイ〜」と。 子どもたちは腹をかかえて笑う。そこで、「じゃあ、年をとった先生をしてあげる」と声をかける と、「して、して!」と。 今度は、ボールを腹の上あたりまでさげて、こう言う。 「あんたたち、女だと思って、バカにするんじゃ、ないのよ。私しゃね、こう見えても……。あ あ、くやしい。世の中の男が、みんなバカなのよ。くやしいイ!」と。 ところがあるクラスでそれをすると、子どもたちが、「おばあちゃんをやってくれ!」と。おばあ ちゃんの先生というのは、私もしたことがない。が、子どもたちの要望ということであれば……、 ということで、ボールを、下腹部あたりまでさげて、こう言った。 「あんた、エッ、名前、何て言うのさ。えっ、よく聞こえないよ。何だって?」と。 もっともこういう演技を、幼稚園でしたら、即、クビになるだろう。私の教室は、すべて公開して いる。父母がいつも参観している。つまり親たちと暗黙の了解ができている。が、私がこういう 「ふざけ」をするには、ちゃんとした理由がある。 幼児教室というのは、親たちが、子どもが幼児であるだけに、神経質になっている。ときに は、親どうしが、パチパチと火花を飛ばすことがある。そういうときは、親自身を笑わせねばな らない。つまり親をリラックスさせる。それがないと、とても授業など、できない。 こうした技術は、私がこの三〇年をかけて、身につけたもの。そんなわけで私の教室には、 笑いが絶えない。だから私は親たちには、こう言っている。「子育てで疲れたら、BW(私の教 室名)へ、参観においでなさい。ストレスの解消になりますよ」と。 (030308) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(664) 作文教室 エッセーを書くとき、もっとも注意しなければならないのは、わかりやすい文を書くということ。 たとえば……。 「私の親が子どものころ、親に口答えすると、親は、親にたたかれたそうです。そこで親は私 が親になっても、子どもをたたくなと言いましたが、私が親になると、やっぱり、子どもをたたい てしまいます。そこで親に、親の因果は子に伝わると話すと、親は、私の親も、親によくたたか れたと話してくれました」と。 ボケーッと読んでいると、頭の中が混乱してしまう。事実、そういうメールをよくもらう。書いて いる本人はそれでわかっているつもりかもしれないが、読むほうは、そうではない。まるでから んだ糸をほぐすようにして読まねばならない。 そこで私の作文教室。(少し偉そうな言い方ですみません。) (1)文は短く……わかりやすくするため、文は短くする。たとえば、「今日は晴れだったので、ド ライブに行きます」は、「ドライブに行きます。晴れだから」とする。文も生き生きとしてくる。 (2)同じ言葉を使わない……同じような言葉は、避ける。意図的に使うこともあるが、繰り返さ れると、わずらわしく感ずることがある。たとえば「今日は、とくに、特別の日だから……」という のが、それ。「とくに」と、「特別に」が、ダブっている。 (3)難解な言葉は使わない……「そのように思慮して」と書くより、「そのように思って」のほうが よい。文はあくまでも、中身で勝負。 (4)ダブリは避ける……同じような表現が、同一エッセーの中に出てくるのを、ダブリという。最 初のほうで、「人生は風のようなもの」と書いて、またあとのほうで、「風のように人生は流れて いく」と書くのがそれ。 (5)あて字は使わない……「書いて下さい」というのがそれ。「下さい」で、「下」という字を使う が、「下」には、「くれる」という意味はない? これは好みの問題だから、何とも言えないが、私 はできるだけ使わないよいうにしている。 (6)「……思う」は不要……自分のエッセーで、自分で思ったことを書いているのに、「私は… …と思う」は不要。たとえば、「私はAさんが正しいと思う」と書くときは、「Aさんが正しい」と書け ばよい。 (7)ムダな敬語は使わない……これは私のクセでもあるが、敬語は、できるだけ避ける。「恩 師が言われた」ではなく、「恩師が言った」でよい。こういう敬語を、日本語の「美」ととらえる人 もいるが、私は、そういう上下意識が、好きではない。いちいち頭の中で、上下関係を判断しな ければならないというのは、めんどうなこと。 (8)あいまいな表現はしない……子どもは、よく、「今日、プールがあった」と言う。「今日、学校 で、プールのレッスンがありました」と言う意味だが、そうならそうで、そう書けばよい。あいまい な言い方は、読者を不安にさせる。 (9)読んでもらうという姿勢を大切に……文というのは、相手に読んでももらうことで生きる。そ ういう謙虚な姿勢を忘れてはいけない。 以上、思いついたまま書いたが、あなたの子どもの作文指導でも役にたつはず。ぜひ、家庭 でも、応用してみてほしい。 さて冒頭の話だが、親といっても、だれの親かわからなくなってしまう。家族関係を表現する のに、もっとよい方法がないものか? そこで私のばあい、文そのものを、区切ってしまう。「区 切る」というのは、文を分け、その間に説明を入れるようにしている。先の文も、私なら、つぎの ように書く。 「私の父が子どものころのこと。父が祖父に、口答えすると、よく父は、祖父にたたかれたそ うです。祖父は厳格な人でした。そこで父は、私にこう言いました。『お前が親になっても、子ど もだけはたたくな』と、です。しかし私も親になってみると、私は私の子どもをたたいてしまいま す。そこで父に、『こうした因果は、代々と伝わるものかもしれない』と話すと、『祖父も、そのま た親によくたたかれていたようだ』と話してくれました」と。 こう書くと、文もわかりやすくなる。(多分?) それから文というのは、一度、完成したら(?)、自分で声を出して読んでみるとよい。文のも つリズムがそれでわかる。私のばあい、そのリズム、あるいはリズム感を大切にしている。ま た読むことで、不自然な言いまわしに気がつくことが多い。ぜひ、試してみてほしい。 (030309) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(665) 夫の肌に触れると、ゾッとする? 今朝の新聞を読んでいたら、週刊誌のコマーシャルに、こんなのがあった。「家庭内危機の 真実」と題して、「あの人の肌に触れるだけで、ゾッとする。離婚したい」(週刊Y誌)と。 この話をしながら、ワイフに、「お前は、どうだ?」と聞くと、「私は、あなたに触られても、もう 何も感じない。でも、若いとき、痴漢に足をさわられたときは、ゾッとしたわ」と。 私は、こういう話、つまりセックスレスの若い夫婦の話を聞くと、正直言って、「もったいない」 と思う。「若いときは、思う存分、セックスを楽しめばいいのに」と。するとワイフがこう言った。 「男は、ゾッとすることはないの?」と。 男も、多分、フィーリングの合わない女性に触られたら、ゾッとすると思う。思うが、触られた 経験がない。それに私に触りたいなどという女性は、いないだろう。ただ、男のばあい、触って みたい女性と、触りたくない女性はいる。しかしその違いは、微妙なものだ。 会話の終わりで、ワイフは、こう言った。「今なら、痴漢でも、触らせてあげるわ」と。しかし残 念ながら、ワイフの年齢になると、痴漢ですら、見向きもしない。 ……と書いて、まじめな話。若くしてセックスレスになってしまうというのは、どこかに大きな問 題がある。どこにどうあるかは、私にはわからないが、(そこまで調べてみようという気にはなら ないが)、若いときは、ここに書いたように、もっとセックスを楽しめばよい。俗な言い方をすれ ば、「やってやって、やりまくる」。そういう夫婦の交流が、それ以後の夫婦関係を、濃密なもの にする。 しかしそれにしても……。夫の肌に触れるだけで、ゾクゾクではなく、ゾッとするようでは、結 婚生活もおしまい。ここに書いてあるように、離婚するしかない。 (030309) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(666) 生きる価値 政府の広報番組を見た。年金についての、番組だった。厚生年金のばあい、満六〇歳から、 毎月一〇万円が支給される。満六二歳から、毎月二〇万円が支給される。(あるタクシー運転 手のばあい。モデルケース)しかし被受給者に収入があるばあいには、その額は大幅に削減さ れる。 これについて、その運転手は、番組の中で、こう悩んでいた。「仕事をつづけるべきか、どう か」「アルバイトに切り替えるべきか、どうか」「どうすれば、年金をできるだけ多くもらえるか」 と。 私はその番組を見ながら、いろいろなことを考えた。その一。この運転手は、「もらえるもの は、もらわなければ損」と考えているようだった。それは当然のことだが、「健康である喜び」 「仕事ができる喜び」、さらには「生きる価値」を、その運転手がどう評価しているのか。それが たいへん気になった。 私も一度だけ、失業保険の受給資格があったことがある。しかし私は一円ももらわなかっ た。私のプライドが許さなかった。今もそういう感覚が残っていて、もしできるなら、国の世話に はならず、最後の最後まで、自分の力で生きたいと思っている。「思っている」というのは、あく までも今の時点で、そう思うだけということ。しかしその運転手のようには、悩まない。 その運転手は、満五九歳。運転手としての給料は、月額三五万円ほどだという。だったら、 私なら、仕事をつづける。仮に年金が八〜九割カットされても、だ。年金をもらうために、仕事 を減らし、給料を減らすというのは、どうか。少なくとも、私にはそういう発想は、ない。 年金よりも、大切なものがある。それは時間と生きがいである。いくら年金がもらえるからと いって、何もせず、ブラブラと毎日を無益に過ごすことは、私にはできない。事実、私の近辺に は、そういう年金生活者がたくさんいる。しかし私はそういう人たちを、うらやましいとは思わな い。言い方は悪いが、そういう人たちは、自分の人生という時間を食いつぶしているだけ(失 礼!)。 若い人には、未来は長いが、老人には、短い。それゆえに、刻一刻と消えていく「時間」を、 精一杯、大切に使わねばならない。問題は、「どう大切にするか」ということになる。毎朝起き て、毎日同じような生活をして、そして毎晩同じように寝る。適当に散歩して、庭いじりして、家 事をする。ときどき近所の仲間たちと時間を共有して、世間話をする。一見すばらしい人生に 見えるかもしれないが、それが本当に「大切にすることか」というとになると、疑わしい。 昔、ロンドンやパリのタクシー運転手は、プロ意識が強く、日本の運転手にはないプライドを もっているという話を聞いたことがある。私も同じような経験をしたことがある。アルゼンチンの ブエノスアイレスで、タクシーに乗ったときのことだった。その運転手は、そこらの外交官よりマ ナーが洗練(せんれん)されていて、流暢(りゅうちょう)な英語をしゃべった。 が、しかし、年金を一円でも多くもらうために、仕事そのものを放り出すというのは、まさにそ のプライドを、かなぐり捨てることになるのではないのか(失礼!)。「今まで、つまらない仕事を いやいやしてきました。だから、年金をもらうために、仕事をやめます」と。しかしそれを認める ことは、自分の人生の敗北を認めることに等しい。 それに仮に仕事をやめ、年金生活に入ったとしても、いったい、どのような人生が、その先で 待っているというのか。人間的にも、社会的にも、人は、仕事をしているから人なのである。タ クシーの運転手というのは、そういう意味でも、すばらしい仕事である。毎日、いろいろな人の 人生観の一端に触れることもできる。もし本気で日記を書いたら、タクシーの運転手だったら、 毎日、本が一冊ずつ書けるかもしれない。 ……と書きつつ、現実は、もう少し、違ったものかもしれない。私は二〇数歳のときから、国 民年金に加入しているが、ときどきワイフにこう聞く。「ぼくたちは、何歳からもらえるのかね?」 と。それに答えて「六五歳からよ」と。国民年金基金は、もう破産状態にあるという。だから本当 にもらえるようになるかどうかはわからないが、どこかでその年金に望みを託すようなところ も、ないわけではない。 しかし今は、こう思う。私はできるだけ、最後の最後まで、働く。そしてそのあと、どうにもこう にもならなくなったら、年金の世話になる、と。しかし私が年金の世話になるときは、私がもう最 期のときを迎えたということ。自分で、そう覚悟している。 (030309) 【追記】「年金」とは言うが、結局は、そのツケは、今の子どもたちが背負うことになる。私たち がもつべき意識は、できるだけそういう子どもたちに負担をかけないことではないのか。「目、 いっぱい、もらえるものはもらわなければ損」という発想は、つまるところ、国への依存性(甘 え)から発生する。日本人は、どうしてこうまで、依存型の民族になってしまったのか? これも 私は、官僚政治の弊害の一つと考えるが、それについては、また別のところで考えたい。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(667) 自己開示 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを 「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっ ているかが、わかる。 (1)自分の弱点の開示(私は計算が苦手) (2)自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった) (3)自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ) (4)自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ) (5)自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている) (6)自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる) (7)自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある) (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、ど の程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかが わかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題に ついて話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよ い。 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役にな ること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否 定するのは、最小限に抑える。 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。と きどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と話し始める子ども(幼児)が いる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」とたしなめることにして いる。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいという 願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。 あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と言い出した子ども(年中男児)がいた。「何 だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、 あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。 (030309) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(668) 接種理論 あらかじめ、マイナスの情報を子どもに与え、子どもの心の中に免疫性を植えつけておく。そ うすると、子どもが何かのことで失敗しても、子どもは、その失敗をより軽く、乗り越えることが できる。これを「接種理論」という。病気の予防接種のように、あらかじめ抵抗力をつけておくこ とに似ているから、この名前がつけられた。 たとえば受験指導のとき、受験指導と同時に、不合格になったときの対策や、心構えを話し ておく。あるいは、「受験では、人間の価値は決まらない」などと、話しておく。そうすることで、 たとえ受験で失敗しても、その失敗を、その子どもは、より軽く乗り越えることができる。この方 法はさまざまな分野で、応用できる。 たとえばよく、子どもにはどの程度まで家計の内容を話しておくべきかということが、親たちの 間で、話題になる。それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、一概には、どうということは 言えないが、ある程度の「予防接種」をしておくことは、それなりに大切なことである。とくに今の ように、経済的に不安定な時代においては、そうではないか。 さらに子どもがおとなになるにつれて、自分で発見していくことについても、そうである。家族 の秘密や、祖先の秘密など。子どもの側からみて、「ウソだった」という印象を与えないようにす る。たとえば……。 A子さん(中一)は、先夫との間にできた子どもだった。しかし母親は、そのことをずっと、A子 さんに隠していた。再婚した夫を、A子さんは、実の父親だと信じていた。しかし学校で、血液 型の話が出た。A子さんは、自分と父親の血液型があわないのに気づいた。A子さんは、AB 型。父親は、O型だった。O型の親からは、絶対にAB型の子どもは生まれない。 このA子さんのケースで、まずかったのは、両親が、そのことについてまったく話しておかなか ったこと。さらにA子さんが疑ったときも、それをがんこに否定してしまったこと。そのあとA子さ んが事実を知ったとき、その衝撃がいかに大きいものであったかを想像することは、それほ ど、むずかしいことではない。 ……と書いたが、このA子さんのケースは、実際にあった話ではない。私がここで創作した。 しかしもしこういうケースで、A子さんに、ある程度の免疫性があれば、その衝撃を小さくするこ とができたかもしれない。たとえば「お母さんは、以前、別の人と結婚していたのよ」程度のこと は話しておく、など。 もっとも、こんなことは、「理論」と言うほど、おおげさなものではない。しかし心のすみに入れ ておくと、どこかで役にたつかもしれない。 (030309)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(669)X もし、あなたの子どもが…… ●このところの北朝鮮問題で、私の「平和論」は、大きく変わった。平和というのは、自分の世 界を、平和に守ることだと考えていた。こちらから争いをしかけなければ、それで平和は保てる ものだと考えてきた。しかし平和を守るためには、それだけでは足りない。相手が、無茶を言っ て、戦争をしかけてくることだって、ありえる。そういうとき、「私は、戦うのは、いやです」と言っ て、逃げるわけにはいかない。あるいは核兵器、生物兵器、科学兵器など、大量破壊兵器を、 良識のコントロールのきかない独裁者が手にしたら、世界は、どうなる? 独裁者にそれを許 したら、それこそ世界は、メチャメチャになってしまう。そういう視点でも、もう一度、平和論を考 えなおさなければならない。 ++++++++++++++++++ ●まだ、私の平和論は流動的だが…… 今月二日、日本海上空で、北朝鮮のミグ戦闘機がアメリカ軍の偵察機に異常接近した。その ときのこと。北朝鮮のパイロットは、手信号を使って偵察機を北朝鮮に強制着陸させようとした という(二月八日、ニューヨークタイムズ誌)。 報道によると、アメリカ軍のRC135偵察機は、北朝鮮のミグ戦闘機四機に異常接近された 際、一機のパイロットから手信号で「戦闘機についてくるよう」に指示されていたというのだ(TB S国際ニュース)。 この事件は、日本海で起きた。そしてこういう事件を聞くと、日本人の多くは、「これはアメリカ と北朝鮮の問題」と、考えやすい。しかし本当に、そうか? 本来なら、この偵察は、日本がし なければならない任務である。その任務を、今、アメリカ軍がしている。はっきり言えば、日本 のために、してくれている。もしそうでないというのなら、ほかのどこの国が、日本のために、そ れをしてくれるというのか。RC135には、三〇名以上のアメリカ人が乗っているという。アメリ カ人といっても、私やあなたと同じ、人間である。 そこで少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。簡単に偵察飛行というが、今のような状況で は、北朝鮮軍に、いつ落とされてもおかしくない。つまりたいへん危険な任務である。そういう飛 行機に、あなたの子どもが乗っているとしたら、あなたはいったい、どんな気持ちになるだろう か。 それにしても理解できないのは、韓国だ。三八度線をはさんで、四万人近いアメリカ兵が、最 前線で、北朝鮮ににらみをきかせている。最前線、だ。北朝鮮と開戦ということになれば、まっ 先に攻撃目標になる。そういうアメリカ軍に対して、韓国の人たちは、反米を唱え、アメリカ国 旗を群集の中で破いてみせた。もしアメリカ軍が韓国に駐留していなければ、韓国は、あっと いう間に、北朝鮮に占領されてしまうだろう。占領されないまでも、悲惨な戦争が、長くつづくこ とはまちがいない。 北朝鮮の金XXの頭がおかしいとか、おかしくないとか言う前に、ともかくも、金XXは、日本を 攻撃目標にしている。日本占領計画まで立てている。そのために核兵器を用意している。そう いう北朝鮮の暴走を、中国が抑えてくれるか? ノー。そういう暴走を、ロシアが抑えてくれる か? ノー。本来なら、そういう北朝鮮に対して、日本自身が対峙(たいじ)しなければならな い。 忘れてならないのは、日本は、アジアでは、アメリカ以上に、孤立しているということ。はっきり 言えば、嫌われている。日本は、先の戦争で、そうされてもしかたないようなことをしてしまっ た。しかも、なおタチの悪いことに、日本は、その反省すらしていない。謝罪すらしていない。公 式には戦争責任すら、認めていない。「賠償」という言葉を使うと、戦争責任を認めることにな る。だから、「経済援助」という形で、ずっと世界を欺いてきた。 繰り返すが、戦後、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人が平和を愛した からでも、平和を守ったからでもない。たまたまアメリカ軍が、日本に駐留していたからにほか ならない。もしアメリカ軍が日本に駐留していなかったら、戦後直後には、ソ連に、六〇年代に は毛沢東中国に、七〇年代には金日成朝鮮に、そのつど占領されていた。あの韓国にして も、アメリカ軍による仁川上陸がなければ、金日成に、まちがいなく占領されていた。 今日もテレビの日曜討論会を見ていたら、解説者のT氏が、「アメリカは、自分たちの民主主 義を、(日本も含めて)他国に、押しつけすぎる」と、言っていた。しかし私は、アメリカに押しつ けられたにせよ、今のこの日本が民主主義国家になって、やはり、民主主義でよかったと思 う。ソ連型の共産主義や、北朝鮮型の独裁国家よりは、ずっといいと思う。戦前の日本のよう な、全体主義国家よりも、ずっとずっといいと思う。 反対に、これはあくまでも仮定だが、あのまま日本が、全体主義国家のままだったら、今ごろ 日本はどうなっていたことか。ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。日本は強大で、 すばらしい国になっていただろうか。それともアメリカ、ソ連、それに中国によって、さらにひどく 袋だたきにあっていただろうか。 こうした意見に対して、「アメリカは日本を植民地にしようとしている」という意見がある。ある いは先日、メールで、こう書いてきた人がいた。「アメリカは、日本を○○番目の州にしようとし ている。それがわからないのか!」と。 しかし日本は、日本人は、どうしてこうまでオメデタイのか? アメリカへ行って、アメリカ人と 話してみると、彼らにはそんな意図など、みじんもないことがわかる。だいたい、アメリカ人は、 もう、日本など相手にしていない。それはちょうど、北朝鮮が、「日本はわが国(北朝鮮)を侵略 しようとしている」と騒ぐのに似ている。だれもあんな北朝鮮など、相手にしていない。相手にし たくもない。 さらに日本や韓国は、アメリカ軍の最前線基地になっていると主張する人もいる。東西冷戦 時代には、たしかにそういう面もあった。が、今は、その冷戦も終わった。はっきり言って、今 のアメリカに、韓国を防衛しなければならない理由など、どこにもない。アメリカにとって、「実 益」が、まったくない。日本も、それに近い。しかもその上、韓国には反米政権が誕生した。私 はアメリカ人ではないが、それを知ったアメリカ人が、どう思うか。私はアメリカ人の心情がよく 理解できる。 私はよく、子ども(生徒)たちに、世界地図を見せる。教室にも、特大のが張ってある。私はそ れを見せながら、こう言う。「日本の大きさは、カルフォニア州と同じ大きさだよ。テキサス州の 半分だよ。世界の中で、日本がどういう国かを見ながら、日本がどうあるべきかを考えなけれ ばならない。それが、国際感覚だよ」と。 「自分がしなくても、だれかが何とかしてくれるだろう」という、依存性。この依存性こそが、日 本人の最大の特徴とも言える。それが家庭の中でも、日本国内でも、そして国際社会でも、ハ バをきかせている。だからといって、暴力的になれとか、攻撃的になれとかいうのではない。あ るいは軍備を拡充しろといっているのではない。ただ、ときとして、世界には、とんでもない国が 現れるということ。そういう国が、とんでもないことをしでかす。そういう国が、確率論的に現れ る。 今の北朝鮮が、そのとんでもない国ということになる。そのとんでもない国に対して、私たち は、あまりにも無防備だった。もっと言えば、あまりにも他人任せだった。アメリカのやり方に は、問題がないわけではない。しかしいくらアメリカでも、自国の若者たちを、好きこのんで戦 場に送り出しているわけではない。危険にさらしているわけではない。その上、彼らの世界とは 直接、関係のない、遠い、極東の日本海で、それをしている。そういうアメリカや、北朝鮮に対 して、「これはアメリカと北朝鮮の問題」などと、言っていてよいのだろうか。私は、それこそ、無 責任というものだと思う。 戦闘機のパイロットならいざ知らず、偵察機の乗組員たちは、本当に心細いことだろう。不安 なことだろう。そしてそういう乗組員たちの家族は、さぞかし心配なことだろう。それを思うと、私 はとても、「戦争、反対!」とは、言えなくなってしまう。仮に「反対!」と言うなら、アメリカ軍がし ている任務を、あなたがしてみることだ。「自分の子どもが戦争に行くのは反対だが、かわりに アメリカの子どもがそれをするのは、かまわない」というのは、あまりにも身勝手すぎる。私の 孫(アメリカ人)が、日本や韓国を守るために日本へ来ると言ったら、私はこう言うだろう。 「心配しなくていい。日本は、私たち日本人が守るから」と。もう少し別の言い方をすれば、こ うなる。「北朝鮮の核問題は、日本が責任をもって解決するから、心配しなくてもいい」と。 私の平和論が、これでかたまったわけではない。まだ流動的である。しかし今までは、どうで あれ、またこれから先、どうなるかは知らないが、しかし今の時点では、ここに書いたように考 える。ただここで言えることは、「平和」と「ぜいたく」は、似ているということ。どちらもそれに溺 れたとたん、「平和」は「戦争」に、「ぜいたく」は「貧乏」に早がわりする。要は、平和なときに戦 争の準備をし、ぜいたくな生活をしているときに、貧乏の準備をするということ。今が、そのとき だ。 (030310) ●事実、今のノ政権になってから、アメリカ軍は、韓国からの撤退を決めた。最終的には、空 軍と海軍の司令部だけを残し、陸軍は撤退するつもりらしい。が、肝心の韓国では、動揺を恐 れて、「撤退」ではなく、「調整」という言葉を使っている(朝鮮日報誌)。アメリカは、「冷戦時代 は終わったから」「韓国に経済的負担をかけたくないから」などと言っているが、本音は、「バカ くさいから」だ。今のノ氏(韓国大統領)は、選挙遊説中、「仮に米朝戦争になっても、韓国は中 立を守る」「アメリカと対等になる」「米朝の仲介役をする」などと述べている。おまけに巨大な星 条旗を、群集の中で、破ってみせるパフォーマンスまで、してみせた! 私がアメリカの大統領 なら、「ならば、どうぞご勝手に」と言って、サッサと、韓国から兵を引きあげる。アメリカ軍の韓 国からの撤退は、そういう流れの中にある? ●日本が今後、とるべき道は、とにかく、今の金XX体制を、自然死させること。「体制が崩壊す れば、朝鮮半島は大混乱する」と、さかんに韓国の大統領は心配しているが、戦争よりは、よ い。へたに経済援助をしたり、食料援助をして、ダラダラと延命させればさせるほど、結局は金 XXの思うツボ。世界が不安定になる。かえって北朝鮮の人たちを苦しめることになる。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(670) 心筋梗塞(こうそく) 三〇年来の友が、心筋梗塞(こうそく)で倒れた。仕事で滋賀県のO市にいたのだが、そこで 倒れた。幸い、まわりにいた人たちが機敏に行動してくれたため、一命はとりとめた。が、当然 のことながら、絶対安静。 一週間後、奥さんから電話が入った。「すぐ見舞いに行きたい」と申し出たが、断られた。「数 日前、多くの人に見舞いに来てもらったが、かえってよくなかった」と、奥さんは言った。 心筋梗塞。こわい病気だ。発作のあと、約五〇%の人が命を落すという。それに痛いらしい。 「焼けひばしを、胸に刺したような痛み」と表現した人もいる。死の恐怖そのものを感ずる人も 多いと聞く。 こういう話を聞くと、本当に、気が滅入る。人生のはかなさを感じてしまう。それに年齢が近い から、「つぎは、私?」などと、考えてしまう。私だけが、特別ということは、ありえない。今、元気 なのは、たまたまそうであるにすぎない。 で、明日は、近くの公民館で、集団検診を受けることになっている。毎年、血液検査や尿検査 は欠かしたことがない。私の家系は、幸い、ガンとはほとんど縁がない。たぶんDNAが、しっか りしているためだろう。心配なのは、循環器系の病気。祖父も父も、脳梗塞や心筋梗塞で命を 落している。あとは親類の中には、胃腸の弱い人が多い。精神的に不安定な人も多い。祖母 はヒステリー症だったし、父は、アルコール依存症だった。 よく人は、「死ぬまでの命」という。しかし問題は、その死に方だ。不思議なもので、今のこの 年齢から将来をみると、死ぬ直前のことまでは、あれこれ想像できる。しかしそれ以後のことに なると、スッポリと暗闇に包まれてしまう。予想すらできない。それは、「私」という主体が消えて しまうからではないか。 生きている間は、「ああしよう」「こうしよう」と思う。しかし死んだあとは、その「私」が、どこにも いない。たとえばこの書斎にある膨大な数の本にしても、「私」が想像できる範囲では、「いつ か古本屋に出せばいい」とか、考えることができる。しかし死んだあとのことになると、その 「私」がいない。だから、そういったことが考えられない。 何とも不吉なことを書いてしまったが、もちろんこんなことを書くからといって、その友が死ぬ ということではない。今は、治療法も発達しているから、それほど深刻に考えることもない。別 の友は、四三歳くらいのときに心筋梗塞を起こしたが、今でもピンピンしている。程度にもよる のだろうが、はげしい運動さえ気をつければ、何でもないらしい。 ともかくも、今回のことで、改めて、健康のありがたさをかみしめた。いや、昨夜も、寒かっ た。小雨が降っていた。しかし私は、自転車にまたがった。そして全身に力を入れると、思い切 って、ペダルをこいだ。途中、心臓の鼓動をたしかめたが、どうやら今のところは、だいじょうぶ なようだ。しかし……。その心筋梗塞で倒れた友も、今の私のように元気だった。油断はできな い。 みなさんも、どうか、くれぐれも、お体を大切に! 大切にしましょう! (030310) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(671) 名はHKと申します。 早生まれで二月の、先月四歳になりました、息子が一人おります。 F男という名前です。 めぐりめぐってはやし先生のHPにたどり着いた次第でございます。 どうぞよろしくお願い致します。 まずは息子の事から話します。 二歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。 そのときは一週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。 昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。 公園に行っても、お母さんも一緒にというのがもう口癖のようになっていました。 早生まれで三歳になってすぐ三年保育の保育園へ通わせるようになりました。 最初のうちは泣きましたが、他にも泣いている子どもがいるので、 そのまま通わせました。 でも思いのほかすぐに泣かずにバスに乗れるようになりましたが、 いまいち、保育参観なども見ていても、覇気が無く、 つまらなそうでした。 そのうち、お遊戯会などがあり、楽しいというようになりました。 でも、冬休み明けにまた嫌がるようになり、 しぶしぶ行くといった感じでした。 幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、 一つ下の、小さい年少さんが五人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。 家では、一人で遊ぶ時間もちょっと出てきましたが、 じっくり一人遊びができなくて悩んでいます。 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが 口癖です。私も私で、遊んでやればいいのですが、家事もあったりして、 少しの合間に遊んであげてもまた次の用事があるときに 離れるときに泣かれるとやなので、 遊んであげない事がほとんどです。 遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、 怒ったりして、 不安定だなと感じます。 私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。 先生のHPを見ていてこれだと思ったのが、自分がブランコを使っていても、 自分より強そうな子だと、ニヤニヤしながら貸してしまう、そういうタイプの子です。 先日、二月の保育参観と、役員会の時にむすこの幼稚園での生活の様子で 気になった事があるので、相談したいと思い、メールをさせて頂きました。 家で一人遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。 だいたいの年少さんは、皆それぞれ一人遊びをやりながら 友達とかかわっているといった感じなのですが、 うちの子だけ、その日、との時によっても違うのですが、 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! 付いてこないで!と言われても ニコニコして、ついて回っています。 それはいかがなものでしょうか? 一人遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか? どうも、相手にされてないようで、 うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。 昔からママ友達五人ほどで集まることが多いのですが、 自然に子供は一〇人ほど集まります。 ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は二階で遊んでいるのに、 うちの子だけ未だに溶け込めず、一人で下でもてあましているといった感じです。 でも、昔はずっと私のひざの上から離れなかったということを考えると、 離れるだけましと考えているのですが…… 親としてはもっともっとと欲が出てきてしまうのですね。 良くないですよね。 私もこういうHPを見れば見るほど、神経質になってしまい、 あ〜しなければ、こ〜しなければ、今こう言ったら機嫌悪くなりそうとか、 いちいち考えてしまい、 自然に息子と接することができなくなってきました。 もっと、ゆっくり、息子を見てやろうと思うのですが、 ちょっとした事がすぐ気になってしまい、 いちいち考え過ぎてしまいます。 自分の悪い癖です。 先生の話にもあった、息子と二人で歩いていても息子のペースが 遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。 父親もそういうタイプです。 先生のHPを見てからは気をつけています! あまり過干渉にならないようにも気をつけています! 子供と遊ぶのが苦手な方です。 でも、もう一人子供が欲しいのですが、もう2度も流産していて、 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。 長々と聞いて頂きまして、有難うございました。 ほんとはもっともっと話したいことが沢山あるのですが、まとまらないので、 この辺で。 アドバイス、お待ちしております。 どうか、よろしくお願い申し上げます! 兵庫県H市、HKより ++++++++++++++++++++++++++ 【HKさんへ】 HKさんの問題点を整理してみると、つぎのようになる。 ●二歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。 そのときは一週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。 ●昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。 ●幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、 一つ下の、小さい年少さんが五人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。 ●じっくり一人遊びができなくて悩んでいます。 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが口癖です。 ●遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、 怒ったりして、 不安定だなと感じます。 ●私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。 ●家で一人遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。 だいたいの年少さんは、皆それぞれ一人遊びをやりながら 友達とかかわっているといった感じなのですが、 ●うちの子だけ、その日、その時によっても違うのですが、 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! 付いてこないで!と言われても ニコニコして、ついて回っています。 それはいかがなものでしょうか? ●一人遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか? どうも、相手にされてないようで、 うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。 ●ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は二階で遊んでいるのに、 うちの子だけ未だに溶け込めず、一人で下でもてあましているといった感じです。 ●先生の話にもあった、息子と二人で歩いていても息子のペースが 遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。 ●父親もそういうタイプです。 先生のHPを見てからは気をつけています! あまり過干渉にならないようにも気をつけています! 子供と遊ぶのが苦手な方です。 でも、もう一人子供が欲しいのですが、もう二度も流産していて、 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。 ++++++++++++++++++ ●HKさんのお子さんのF男君について、考えてみる。 二歳のときに、吃音(どもり)が出たということから、F男君を包む家庭環境が、どこか神経質 であったことがうかがわれる。子どもの側からみて、全幅の安心感を得られないような状況と 考えられる。 ……と言っても、第一子のばあい、ほとんどの親は、神経質な子育てをする。不安先行型、 心配先行型の子育てである。しかしこれはある意味では、当然のことであって、だからといっ て、親を責めることはできない。(HKさんも、自分を責めてはいけない。) メールを読んで、気になるのは、親子のリズムが、合っていないこと。どこかにHKさんの「設 計図」があり、HKさんは、その設計図に合わせて、子どもを「作ろう」という意識が強いこと。た とえば子どもが泣くことについても、「泣いてはだめ」という前提で考えてしまう? なぜ、泣くの か、あるいは「泣いても、私がガードしてあげよう」という視点が、あまり感じられない? 子どもが泣くのは、子ども側から、それ自体が親への働きかけとみると同時に、ストレスの発 散をしながら、心の調整(バランス)をとっていると考える。またその前提として、F男君が、やや 情緒が不安定になっているとみる。 幼児のばあい、情緒不安は、@攻撃型、A内閉型、B固執型に分けて考える。ささいなこと が引き金となって、(とくに不安、心配)、子どもの心は一挙に不安定になる。不安や心配を解 消するためである。 「泣く」という行為は、風邪にたとえると、「熱」のようなもの。熱だけを冷ます方法もないわけ ではないが、しかし熱をさげたからといって、病気がなおるわけではない。同じように、「泣く」と いう行為だけをみて、それをなおそうとしても、意味はない。ないなばかりか、かえって症状をこ じらせてしまう。 F男君のケースでは、乳児期に、何らかの原因で、不安(基底不安)を覚えてしまったことが 考えられる。親自身が、それに気づかないことが多い。軽い置き去り、拒否的態度など。迷子 かもしれないし、無視(親はその気がなくても)、冷淡など。分離不安的な症状、孤立恐怖症的 な症状が、F男君には、みられる。 こうした不安が基本にあって、いくつかの恐怖症を併発している。対人恐怖症も、その一つ。 仲間と遊べないが、年下の子どもと遊べるというのは、年下の子どもとの世界のほうが、居心 地がよいからである。一般論から言えば、より年下の子どもとの世界を求めるのは、愛情不足 (愛情を求める代償行為)が原因と考える。親にはその自覚がなくても、子どもは満足していな いということ。 親のイライラほど、子どもの心に悪影響を与えるものはない。もっとも約七〇%の母親が、何 らかの形でイライラしているから、だからといって、HKさんは、自分を責めてはいけない。 しかし疑ってみるべきは、母親自身の欲求不満。家庭に閉じ込められることから発生する不 満、結婚生活の心配、望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。そうい う欲求不満が、ときとして、イライラに転ずることもある。そういう自分自身の欲求不満を、F男 君にぶつけていないか? ひとり遊びができないのは、あくまでも、その結果でしかない。F男君は、不安なのだ。基本的 に不安なのだ。母子の間に、絶対的な安心感を覚えることができないでいる。絶対的というの は、「疑いをいだかない」という意味。 ●では、どうするか? 濃厚なスキンシップを、大切にする。その前に、HKさん自身の中にある、不安や心配、「うち の子は問題がある」式の心配を、払拭(ふっしょく)する。そのために、子どもの前では、「あな たはいい子」を繰り返すとよい。 方法としては、添い寝、手つなぎ、抱っこをふやす。子どもが求めてきたときは、子どものほう から、体を放そうというそぶりをみせるまで、力強く、抱く。「もういい?」と、声をかけてあげると よい。 とにかく、F男君自身が、いだいているであろう、「不安」と戦うこと。F男君のことではない。あ なたの不安でもない。F男君の不安である。そのために、F男君には、全幅の安心感を与える ことだけを考える。まさに何があっても、「許して忘れる」こと。 HKさんは、「私は短気だ」と言っているが、戦うべきは、その短気ということになる。しかし心 配してはいけない。子どもは、満四歳半くらいから、幼児期から少年少女期への移行期に入 る。このとき、もう一度、子どもの性格そのものを、つくりかえることができる。この時期をのが してはいけない。最後のチャンスと考えてよい。 大きな失敗ではないが、しかしHKさんは、心配先行型、不安先行型の子育てをし、どこかで F男君の心を置き去りにしてきた。それはそれとして、これからは、それを改める。F男君のうし ろを、一歩退いて、歩く。これから一年半が勝負と、思うこと。この時期をのがすと、悪い面も、 すべて性格として定着してしまうので、注意する。それこそずっと、ハキのない子どもになってし まう。 私のHPを読んで不安になるというのは、むしろよいこと。不安になることを、不安に思っては いけない。HKさん自身が、自分の問題点に気づき、それを改めようとしているためと考えてよ い。しかしこの不安も、「私は、子どもを愛している」「子どもが好きだ」「どんなことがあっても、 許して忘れる」と宣言すれば、消える。そしてそのときから、私のHPを、気楽に読めるようにな る。 (マガジンも発行しています。どうかご購読ください。無料です。) こうした問題を考えるとき、大切なことは、何が「原因」で、何が、「随伴症状」かということ。た とえば分離不安にしても、ひとり遊びができない(孤立恐怖症)にしても、さらには対人恐怖症 にしても、その症状だけを問題にすると、「原因」を見失ってしまう。そして対症療法ばかりを繰 り返しているうちに、かえって症状をこじらせてしまう。 原因は、ここにも書いたように、子ども自身がもっている、「基底不安」。その不安だけを見す えながら、親子のあり方を、再構築するとよい。あとの問題は、それが解決すれば、自然消滅 する。 ●具体的には…… (1)濃厚なスキンシップを与える。とくに子どもが求めてきたときは、いやがらず、力いっぱい、 抱く。 (2)「あなたはいい子」「すばらしい子」を口ぐせにする。 (3)CA、MG分の多い、食生活にこころがける。甘い食品をひかえる。 (4)HKさん自身の心の問題と戦う。過去を冷静にみつめ、その過去と決別する。何か、わだ かまりがあるときは、それに気づく。気づくだけで、よい。子どもを育てるのではない。これから 生涯の友を育てるのだと考える。そういう意味で、子どもの横に立ったものの考え方をする。 (5)随伴症状(ひとり遊びができない。よく泣く)は、子どもが安心感を覚え、満足感を覚えるよ うになった段階で、消えるので、この際、無視。おおらかに受けとめること。 さあ、HKさん、自信をもって、前に進みましょう。あなたはこれから先、子どもと人生を分かち あうのです。子どもを子どもと思うのではなく、友として、迎えいれるのです。親の気負いなど、 どこかへ捨てなさい。子どもに教えられることを、恥じてはいけません。謙虚になるのです。親 意識も、捨てなさい。あなたの子どもがさみしそうだったら、親友として、そのさみしさを共有す ればいいのです。そうすれば、あなたの不安も、解消します。約束します。 (HKさんへ) 以上のように、HKさんからのメール、および、私の返信を、次回のマガジン(3ー19号、予 定)に掲載しますが、よろしいでしょうか。よろしくご理解の上、ご協力いただけたらと思いま す。ご都合の悪い点があれば、改めますので、できるだけ早く、お教えいただけたらと思いま す。勝手なお願いですみません。マガジンの購読申し込みは、私のHPのトップページからでき ます。 (030311) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(672) ●サニー様からの投稿より サニー様から、私のHPの掲示板に、つぎのような投稿があった。この問題について、考えて みたい。 ++++++++++++++++ はやし先生 (前略) さて、今日のメルマガに、 (以下引用)だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親 としてそれをたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた 視点で子どもを見るようにする。 ※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許 さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張 状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不 安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり (マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。(こ こまで引用) うちの場合は反抗期も十分あったのに(今でも喧嘩になると『このくそ婆!』とかいうのです よ!)。 結局小さい頃のその時期に私がその反抗を押さえつけていた(許してやらなかった)ことに発 端があるわけで、反抗しそこなったことが今マイナス型として現れているなら、この今のマイナ ス型の時期も自我を形成していると考えていいんでしょうか? 母親ばかりのせいではない、と自分を慰める一方、どこの家庭もそうでしょうが、母親が子供 にかかわる時間は膨大に多い。そのこどもとの時間を楽しめるときと、楽しめないときがあり、 それも仕方がないと思いながら、、、。 すみません。ここ2,3日ホルモンのバランスが悪いらしく非常に情緒が不安定で(私は周期的 にこういうことがあるのですが)誰とも話したくなく、また、周りのすべてに対し攻撃的になってい ます。鬱症状というわけです。 友人に話しても、母親はみな多かれ少なかれそういうことがあるようです。 C新聞にも、卵巣機能の低下によるホルモンのバランスの崩れで、二〇代から四〇代の女性 が更年期障害の症状を訴えるケースが多いという記事が出ていました。専門医に相談するべ しと。 でも実情は、お医者様は男性が多く、その症状を訴えても、『それくらいガマンできないか?』と か『ジャー薬飲んでみる?』という程度のリアクションで、もう二度と相談するか!という結果に なるのが常なのです。(私も友人もそうでした) 私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでしまい そうですので、今はやめました。 とりあえず自分が情緒不安を周期的に持っている、ということだけキモに銘じ、そういう時はな るべくヒトと接触を持たないように今は心がけています。 ++++++++++++++++++ サニー様へ 自分の過去をみることは、こわいですね。本当にこわい。自分という人間がわかればわかる ほど、その周囲のことまで、わかってしまう。「親を恨んでしまいそう」というようなことが書いて ありましたが、そこまで進む人も少なくありません。 若いころ、ブラジルのリオデジャネイロへ行ったことがあります。空港から海外沿いにあるリ オへ向かう途中、はげ山の中に、いわゆる貧民部落が見えるところがあります。ブラジルは、 貧しい国ですが、そのあたりの人たちは、本当に貧しい。しかし私が、直接、そういう人たちを 見たのは、観光で、どこかの丘に登ったときのことです。四、五人の子どもたちが、どこからと なく現れました。気がついたら、そこにいたという感じです。(印象に残っているのは、バスから おりたとき、土手の向こうから、カモシカのように軽い足取りで、ヒョイヒョイと現れたことです。) その子どもたちの貧しさといったら、ありませんでした。どこがどうというより、私はそういう子 どもを見ながら、「親は、どうして子どもなんか、つくったのだろう」と思いました。「子どもを育て る力がないなら、子どもなど、つくるべきではない」と。 しかしそれは、そのまま私の問題であることに気づきました。私も、戦後直後生まれの、これ またひどいときに生まれました。しかし「ひどいときだった」とわかったのは、ずっとおとなになっ てからで、私自身は、まったくそうは思っていませんでした。(当然ですが……。)「ひどい」と か、「ひどくないか」とかは、比較してみて、はじめてわかることなのですね。 私もある時期、親をうらみました。とくに私の親は、ことあるごとに、「産んでやった」「育ててや った」「大学を出してやった」と、私に言いました。たしかにそうかもしれませんが、そういう言葉 の一つ、一つが、私には、たいへんな苦痛でした。で、ある日、とうとう爆発。私が高校生のと きだったと思います。「いつ、だれが産んでくれと、あんたに頼んだ!」と、母に叫んでしまいま した。 で、今から考えてみると、子どもの心を貧しくさせるのは、金銭的な貧しさではなく、心の貧し さなのですね。私たちの世代は、みんな貧乏でしたが、貧乏を貧乏と思ったことはありませんで した。靴といっても、ゴム靴。靴下など、はいたことがありません。ですから歩くたびに、キュッキ ュッと音がしました。蛍光灯など、まだない時代でした。ですから近所の家に、それがついたと き、みなで、見に行ったこともあります。私が小学三年生のときです。 貧しいというのは、子どものばあい、ここに書いたように、心の貧しさを言います。……と考え ていくと、ブラジルで見た、あの子どもたちは、本当に貧しかったのかどうかということになる と、本当のところは、わからないということになります。身なりこそ、貧しそうでしたが、見た感じ は、本当に楽しそうでした。 一方、この日本は、どうかということになります。ものはあふれ、子どもたちは、恵まれた生活 をしています。で、その分、心も豊かになったかどうかということになると、どうもそうではないよ うな気がします。どこかやるべきことをやらないで、反対に、しなくてもよいようなことばかり、一 生懸命している? そんな感じがします。 さて、疑問に思っておられることについて、順に考えていきたいと思います。 乳児期に、全幅の安心感、全幅の信頼関係、全幅の愛情を受けられなかった子どもは、い わゆる「さらけ出し」ができなくなります。「さらけ出し」というのは、あるがままの自分を、あるが ままにさらけ出すということです。そのさらけ出しをしても、親や家族は、全幅に受け止めてくれ る。そういう安心感を、「絶対的安心感」といいます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかな い」という意味です。 この時期に、親の冷淡、育児拒否、拒否的態度、きびしいしつけなどがあると、子どもは、そ の「さらけ出し」ができなくなります。いわゆる一歩、退いた形になるわけです。ばあいによって は、仮面をかぶったり、さらにひどくなると、心と表情を遊離させたりすうようになります。おとな の世界では、こういうことはよくあります。あって当たり前ですが、家族の世界では、本来、こう いうことは、絶対に、あってはいけません。 おならをする。ゲボをはく。ウンチをもらす。小便をたれる。オナラをする。ぞんざいな態度を する。わがままを言う。悪態をつく。……いろいろありますが、要するに、そういうことが、「一定 のおおらかな愛情」の中で、処理されなければなりません。 これは教育の場でも、同じです。よく子どもたちは私に、「クソジジイ!」と言います。悪い言葉 を容認せよというわけではなりませんが、そういう言葉が使えないほどまでに、子どもを、抑え つけてはいけないということです。言いたいことを言わせながら、したいことをさせながら、しか し軽いユーモアで、サラリとかわす。そういう技術も必要だということです。 また夫婦も、そうです。私は結婚以来、ずっと、ダブルのふとんでいっしょに、寝ています。 で、ワイフも、私も、よく、フトンの中で、腸内ガスを発射します。若いころは、そういうとき、よく ワイフを、足で蹴っ飛ばして、外へ追い出したりしました。「お前だろ?」と言うと、「あんたでし ょ!」と、言いかえしたりしたからです。 しかし齢をとると、そういうこともなくなりました。あきらめて、顔だけフトンの外に出し、泳ぐと きのように(私は、そう思っていますが……)、口をとがらせて、息をすったり、吐いたりしていま す。かといって、腸内ガスを許しているわけではありませんが、しかしそれも、ここでいう「さらけ 出し」なのですね。 そういうさらけ出しをおたがいにしながら、子どもは、絶対的な安心感を覚え、その安心感を もとに、人間どうしの、信頼関係の結び方を学びます。 幼児でも、信頼関係の結べる子どもと、そうでない子どもは、すぐわかります。私は、ご存知 のように、年中児(満四歳)から、教えさせていただいていますが、そのとき、子どもをほめた り、楽しませてあげたりすると、その気持ちが、スーッと子どもの心の中にしみこんでいくのが わかる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかります。 しみこんでいく子どもを、「すなおな子ども」と言います。そういう子どもは、そのまま、私との 間に、信頼関係ができます。もう少し、別の言い方をすれば、「心が開いている」ということかも しれません。心が開いているから、私が言ったことが、そのまま、心の中に入っていく……。そ んな感じになります。 一方、心を開くことができない子どももいます。このタイプの子どもは、いわゆる「すなおさ」が ありません。何かをしてあげても、それを別の心でとらえようとします。ひねくれる。いじける。つ っぱる。ひがむ。ねたむなど。さらに症状が進むと、心そのものを閉じてしまいます。極端な例 では、自閉傾向(自閉症ではありません)があります。 が、こうして心を開けない子どもは、孤独なんですね。さみしがり屋なんですね。そこで、ショ ーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話が出てきます。寒い夜、二匹のヤマアラシが、体を 暖めあおうとします。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、相手をキズつけてしまう。しかし 離れすぎると、寒い。二匹のヤマアラシは、ちょうどよいところで、暖めあう。自分の位置を決 める……。 このタイプの子どもは(おとなも)、孤独をまぎらわすため、外の世界へ出る。しかしそこで は、どうも、居心地が悪い。うまく人間関係が、結べない。疲れる。しかたないので、また引っ込 む。しかし引っ込むと、さみしい。これを繰りかえします。繰りかえしながら、ちょうどよいところ で、自分の位置を決める……。 このとき、子どもは、自分の心を守るため、さまざまな症状を見せます。よく知られているの が、欲求不満を解消するための、代償行為です。指しゃぶり、髪いじり、夜尿症などがありま す。さらに症状が進むと、神経症を併発し、さらに進むと、情緒障害や精神障害にまで発展し ます。 が、子ども自身も、他人から、自分の心を守ろうとします。それを「防衛機制」といいます。相 手に対して、カラにこもる、攻撃的になる、服従的になる、依存性をもつなど。サニーさんが、ご 指摘なのは、このあたりのことなのですね。サニーさんの問題を、もう少し整理してみると、こう なります。 (反抗期はあった)(しかしそれを、押さえつけてしまった)と。 たしかにそういう親は、多いし、サニーさんだけが、そうだとはいうことにはなりません。いま だに親の権威をふりかざし、「親に向かって何よ!」と、本気で子どもに怒鳴り散らす人もいま す。しかし問題は、抑えることではなく、ここにも書いたように、「一定のおおらかな愛情」の中 で、それができたかどうかということです。いくら抑えても、子ども自身が気にしないケースもあ れば、軽く抑えても、子どもが深刻に気にするケースもあります。 そこで今度は、親自身の問題ということになります。 不幸にして不幸に育った親は、いわゆる「自然な形での親像」が、体の中にしみこんでいませ ん。ふつう子育てというのは、自分が受けた子育てを、そのまま再現する形で、子どもに対して します。それを私は、「親像」と呼んでいます。その親像がないため、子育てが、どこかぎこちな くなります。極端に甘くなったり、きびしくなったりするなど。気負い先行型、心配先行型、不安 先行型の子育てをすることもあります。 そこで掘りさげていくと、つまり、自分の子育ての失敗(こういう言葉は不適切かもしれません が……)の原因は、つまるところ、「自然な形での親像」のなさに気づくわけです。「私はどうして 自然な形での、子育てができないのか?」と。そしてそれがわかってくると、今度は、原因をさ がし、そして行き着くところ、自分の「親」に向かうわけです。「私をこんな親にしたのは、私の両 親が悪いからだ」と、です。 「私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでし まいそうですので……」と、サニーさんは、書いておられます。実のところ、私も、同じように、悩 んだことがあります。 が、私のばあいは、「戦後のあの時代だったから、しかたない」とか、「親は親で、食べていく だけで、しかたなかった」というような考え方で、理解するようになりました。今から思えば、貧 乏は貧乏でしたが、しかし同じ貧乏の中でも、まだほかの家庭よりは、よかったという思いもあ ります。だからその「怒り」のようなものは、やがて社会へと向けられていったと思います。 今でも、あの戦争を美化する人もいますが、私はいつも、「バカな戦争」と位置づけています。 「あんなバカな戦争をするから、いけないのだ」と、です。私が不幸だったのも、親が不幸だっ たのも、結局は、戦争が悪いのです。あの戦争は、もともと正義もない、大義名分もない、メチ ャメチャな戦争だったのです。 ということで、自分なりに処理しました。そこでサニーさんの件ですが、「(親を恨んでしまいそ うなので)、やめます」とあります。ここなんですね。ここです。まだ、サニーさんは、どこかよい 子ぶろうとしている。恨みたかったら、恨めばよいのです。多分、そうお書きになったのは、か なり深い部分で、サニーさんが、自分の心の問題に、気がつき始めておられるからです。むし ろ、これはすばらしいことなのです。 実はこの種の問題のこわいところは、そういう自分自身に気づかないまま、同じ失敗を繰り かえすところにあります。それだけではありません。今度は、同じ失敗を、つぎの世代に伝えて しまうところにあります。もし仮にここでサニーさんが、自分の心を抑えてしまうと、今度また、同 じ失敗を、サニーさんの、子どもが繰りかえすことになります。これを、教育の世界では、「世代 連鎖」とか、「世代連覇」とか言います。 これは極端な例ですが、「虐待」「暴力」も、同じようなパターンで、代々と伝わってしまいま す。 しかしひと通り、親を恨むと、今度は、「あきらめの境地」、さらには「許す境地」へと、入りま す。ですから、遠慮せず、恨みなさい。恨んで恨んで、恨みなさい。遠慮することはありません。 そしてあなた自身の親というよりは、あなたの心の中に潜んでいる、(親から受け継いだも の)、つまり(私であって、私でないもの)を、恨めばよいのです。 私も、子どものときから、父が酒を飲んで暴れる姿を、毎週のように見てきました。そういう意 味では、暴力的な体質が、身についてしまいました。小学五、六年生ごろまでは、何かにつけ て、喧嘩(けんか)ばかりしていました。結婚してからも、ワイフに暴力を振るったことも、しばし ばあります。 しかしそういう自分の気づき、その原因に気づき、そして親を恨み、やがて、そうであっては いけないことに気づきました。 さて本題ですね。長い前置きになりました。 残念ながら、「マイナスの自我」というのは、ありません。私も聞いたことがありません。「自 我」というのは、英語では「セルフ」、心理学の世界では、「意識する体験」、哲学の世界では、 「意識する主体」、精神分析の世界では、「人格の中枢」をいいます。教育の世界では、「つか みどころ」ということになるでしょうか。「この子は、こういう子だ」という、つかみどころをいいま す。それは、(ある・なし)で決まるもので、(プラスの自我、マイナスの自我)という考え方には、 なじみません。 で、仮に自我の発達が阻害され、情緒的な問題があったとしても、マイナスの自我ということ にはならないと思います。あえて言うなら、ここに書いたように、「自我の阻害(そがい)」という ことになるかもしれません。しかしサニーさんのお子さんのばあい、むしろ、今、不登校という形 であるにせよ、お子さんが、そういう「わかりやすい形」であることからして、強烈な自我がある と考えてよいと思います。自我(フロイト学説)についての原稿は、最後に張りつけておきます から、また参考にしてくいださい。 以上、こうしてサニーさんの過去をほじくりかえしましたが、そこで今は、こう考えてみてくださ い。 過去は、過去。今は、今。明日は、今の結果として、明日になれば、必ず、やってくる、と。 つまりこうして過去がわかったとしても、その過去に引きずりまわされてはいけないというこ と、です。サニーさんが、今、そこにいるように、子どもたちもまた、そこにいる。その「事実」だ けを見すえながら、あとはそこを原点として、前向きに生きていくということです。悩んだところ で、過去は変えられないのです。あくまでも、今は、今です。大切なことは、その「今」を、懸命 に生きていく。結果は、必ず、あとからついてきます。 お子さんたちについても、すばらしいお子さんたちではないですか。そこでね、サニーさんも、 もう気負いを捨て、あるがままの自分をさらけ出せばよいのです。子どもたちに向かって、さり げなく、とげとげしくなく、いやみなく、こう言えばよいのです。 「私も、これからは好き勝手なことをするからね。あんたたちも、自分で考えて、好き勝手なこ とをしなさい」と。 「こういうことを言うと、キズつくのでは……」「また喧嘩になるのでは……」と思ったとしたら、 サニーさん自身が、さらけ出しをしていないことになりますね。つまりそれでは、親子の信頼関 係は結べないということ。信頼関係を結ぶためには、まずサニーさんのほうが子どもに向かっ て、さらけ出しをしなければなりません。 で、話をもとに戻しますが、心の豊かさというのは、その信頼関係をいうのですね。いくら金銭 的に貧しくても、そんなのは、子どもの世界では、問題ではない。またそれで子どもの心がゆが むことはない。ゆがむとすれば、心の貧しさです。しかしですね、もし、もしですよ、サニーさん の子どもたちが、そのことをサニーさんに教えようとして、今の問題(問題という言い方も好きで はありませんが……)をかかえているとしたら、見方も変わってくるのではないでしょうか? サニーさんのまわりには、いろいろ問題もあるし、サニーさんとは、見方も違うかもしれませ んが、人間が求める幸福などというものは、そんなに遠くにあるのではないような気がします。 ほんのすぐそばで、あなたに見つけてもらうのを待っているような気がします。それがあのブラ ジルの子どもたちです。 だってそうでしょう。人間は、過去、数十万年もの間、生きてきたのです。そういう中で、いつ も幸福を求めて生きてきた。それがここ一〇〇年ぐらいの間で、学校だの、勉強だの、進学だ のと言い出して、子どもの世界のみならず、親たちの世界までゆがめてしまった。そして勝手 に、新しい幸福をつくりだし、一方、勝手に新しい不幸をつくりだしてしまった。そして新しい問 題まで、つくりだしてしまった。少なくとも、ブラジルの子どもたちが、今の日本の子どもたちより 不幸だとは、とても思えないです。一方、今の日本の子どもたちが、ブラジルの子どもたちよ り、幸福だとは、とても思えないのです。 この問題については、また別のところで考えてみますが、ときには、そういう原点に立ちかえ って考えてみることも必要ではないかということです。まとまりのない話になってしまいました が、また投稿してください。喜んで返事を書きます。 ++++++++++++++++++++++++++ 子どもの自我を伸ばす法(自我をつぶすな!) 子どもの自我がつぶれるとき ●フロイトの自我論 フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も のの考え方が現実的(頼れるのは自分だけという考え方をする)、創造的(将来に向かって展 望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行 動できる。 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや 占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけることができない、など。 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自 我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない 子どもといった感じになる。 ●自我は引き出す その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考 える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき 環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価 値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心 (子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへん難しい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。とくに乳幼児 から満四〜五歳にかけての時期が重要である。 ●要は子どもを信ずる 人間は、ほかの動物と同様、数一〇万年という長い年月を、こうして生きのびてきた。その過 程の中でも、難しい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質 は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育 ての原点はここにある。 (参考) ●フロイトの自我論 フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)は、自我の強弱によって、人の様 子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめて考えてみたのが、次の表である。 自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現 象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)な ど。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。 自我が強い子ども自我が弱い子ども 行動能力ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく 出る。ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。 現実感覚現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような考え 方をする。ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いた りする。 趣味の方向性将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽 器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに 伸びようとする。一時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意 味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。 衝動的行為ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールがで き、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。 衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいもの を買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。 +++++++++++++++++++++++++++++ サニー様へ このままマガジンへの掲載の許可をお願いします。つごうの悪い点があれば、至急、ご指摘く ださい。よろしくご理解の上、ご協力いただけたらと思います。 (030312)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(673) がり勉のA君 事例……A君(中二)は、勉強ばかりしている。勉強しているというより、学校でよい成績をとる のが趣味のようになっている。明けても暮れても、勉強ばかり。土日などは、家でも一〇時間 近く、勉強している。もちろん成績は、トップクラス。両親は、そういうA君をみて、喜びつつも、 しかしどこか心配している……。 ●なぜ勉強するか? がり勉の子どもがすべて、そうだというのではない。しかし人間関係がうまく結べない子ども は、(おとなもそうだが……)、自分の周辺に居心地のよう世界をつくろうとして、ときとして自分 に向かって、攻撃的になることがある。そしてその結果として、明けても暮れても、勉強ばかり をするようになることがある。このタイプの子どもは、勉強で目立つことにより、自分の立場を 守ろうとする。 一般論として、自分を守ろうとして、攻撃的になるのを、プラス型、引きこもるのを、マイナス 型と考えるとわかりやすい。攻撃型は、積極的に自分にとって居心地のよい世界をつくろうとす る。引きこもり型は、逃避することで、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとする。ほかに 同情型(相手に同情を求め、結果として、居心地のよい世界をつくる)、服従型(ペコペコと服 従し、忠誠心を誓うことで、居心地のよい世界をつくる)などもある。 さらにその攻撃型は、外に向かうタイプと、内に向かうタイプがある。外に向かうのは、暴力 をともなうことが多い。相手を暴力で威圧したり、威嚇したりする。が、中に、その攻撃性を自 分に向ける子どもがいる。たとえば学力やスポーツの成績で、人並みはずれた成績をあげ、 周囲を圧倒しょうとする。ここでいうがり勉タイプの子どもは、こうして生まれる。 勉強というのには、独得の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、「がんばり」というこ とになる。しかしこのタイプの子どもの「がんばり」は、ふつうではない。明けても暮れても、勉 強。ただひたすら、勉強。分厚い参考書と、黙々と取り組むなど。 まさに勉強しかしない、勉強しかできないといった状態になる。勉強ぶりそのものが、自虐的 になるのが特徴。勉強を楽しむというよりは、自分を痛めつけるようにして、勉強をつづける。 朝は、五時に起きて、まず朝勉強。学校でも、休み時間でも、参考書とにらめっこ。夜は、毎 晩、一二時まで勉強するなど。B君(高一)のばあい、驚いたことに、体験旅行のときも、バッグ の中に、英語の単語カードをしのばせていた! またこのタイプの子どもは、強迫観念をもつことが多い。「なぜ、そんなに勉強するのか?」と 聞いても、「楽しいから」とは、決して言わない。反対に、数か月先にある、模擬テストの心配を したりする。C君(高三)という子どもがいた。進学高校でもトップクラスだったが、頭の中は、偏 差値だらけ。「A大学のB学部は、○○点で、合格確実圏、○○点で、合格可能圏……」と。 今の学歴社会の中では、こうした子どもほど、スイスイと一流大学の一流学部(本当にこうい うランク分けは、不愉快だが……)へ、入学していく。しかし悲劇は、ここで終わらない。 昔、東大のある教授が、こっそりと、こう話してくれた。「東大へやってくる学生のうち、三分の 一は、頭がおかしい」と。「実験中に、突然、フラスコを床にたたきつけて割ってしまったのがい る」とも。そこでその教授が、父親を呼んで退学を勧めると、父親は「何とか、卒業だけはさせ てほしい」と、食いさがって譲らなかったという。 そして社会へ出てからも、こうした生きザマは変わらない。変えることができない。が、私のと ころへ相談にくるケースで多いのは、そういう夫をもった妻からのもの。いろいろなケースがあ る。その中でも多いのが、「主人は、仕事第一主義で、仕事ばかりしています。今の生活その ものが、受験勉強のつづきみたいな感じがします」というもの。妻とさえ、心の信頼関係を築け ない。ある夫のばあい、妻が不満をぶつけると、こう言ったという。「文句があるなら、(家を)出 ていってくれてもいい」と。 私は三〇年以上、子どもたちと接している。そして無数の受験生を教えてきた。もちろんほと んどは、すぐれた子どもたちで、それぞれが、それぞれの道へと進んでいる。しかし一方、この 受験教育に、疑問がないわけではない。「これでいいのかなあ」とか、「こんなことでいいのかな あ」と思うことも、しばしばある。ここに書いたのは、その疑問の一つということになる。 (030312) 【付記】 もう一五年ほど前だが、こんな相談を受けた。一人の女性(六〇歳くらい)がやってきて、こう 言った。「うちの孫(小三)は、毎日、学校から帰ってくると、二時間ほど算数や国語のワークブ ックをする。漢字が好きで、毎日、一〜二時間は、書き取りをしている。もっと伸ばしてやりたい が、どうしたらいいか」と。 それに答えて私は、こう言った。「よしなさい。活発ざかりの子どもが、毎日、家で数時間も勉 強するほうが、おかしい。その年齢だと、三〇分が限度。しかも遊びながらの、三〇分です」 と。 その女性は、不満そうな顔をして帰ったが、それから半年後。またその女性がやってきて、 今度は、こう言った。「孫が、バーントアウトして(燃え尽きて)しまいました。まったく何もしない で、毎日、ぼんやりと過ごしています。どうしたらいいでしょうか」と。 こういうケースは、少なくない。くれぐれも、注意されたい。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(674) 優者の論理VS劣者の論理 世の中には、優者の論理と、劣者の論理がある。そしてその論理は、まっこうから対立する。 まず優者の論理。 ●私は正しい。 ●私がすることは、正しい。 ●私が言うことは、みんなに受け入れらる。 ●私は世の中を、よくしようとしている。 ●人は私に触れれば、私を好きになる。 ●人から見れば、私はよい人に見える。 これに対して、劣者の論理。 ●私はゆがんでいる。 ●私はときどき、まちがいをおかす。 ●私が言うことは、みんなの意見とは違う。 ●私のような人間は、静かにしていたほうがよい。 ●人は、私を知れば、がっかりして、遠ざかる。 ●人から見れば、私は悪い人間に見える。 こうした違いは、いわばその人の人生の総決算として、決まるもの。日々の積み重ねが月とな り、その月々の積み重ねが、優者を優者にし、劣者を劣者にする。 しかしその糸口は、ほんのささいなことで決まる。もう少しわかりやすく言えば、それは人生の 入り口、なかんずく、乳幼児期で決まる。その入り口で、どちらの道を選ぶか、それで決まる。 実は、ここに幼児教育の重要性の一つがある。 私の教室(BW実験教室)では、最初に来た子ども(満四〜五歳児)を、ベタベタにほめる。ど んな意見を言っても、どんなことをしても、ほめる。親にも、家で、そうするように指導する。そし てプラスの暗示を、徹底的に与えつづける。最低でも、三か月は、これをつづける。とくに「勉 強」という、学習の動機づけでは、これはきわめて重要な作業である。 (できる・できない)は、別の問題。(正しい・まちがっている)は、別の問題。そんなことは、こ の重要性の前では、何でもない。まったく、何でもない。 【事例1】Fさんという女の子(年中児)がいた。静かで、ハキのない子どもだった。そこで私はF さんが何を言っても、ほめた。が、不思議なことに、ほめればほめるほど、顔が、暗くゆがむの である。 原因はすぐわかった。ある日帰り際、様子を見ると、Fさんの祖母が、Fさんを、こう言って叱 っていた。 「あんたができないから、先生は、ああしてわざとあんたをほめてくれるのよ。それがわから ないの! おばあちゃん、恥ずかしくて、たまらないわ」と。 私はそれを耳にして、その祖母に思わず、こう叫んでしまった。「あなたは、何てことを言うの ですか! Fさんの伸びる芽をつんでしまっている! それがわからないのですか!」と。 【事例2】計算マラソンの問題を出したときのこと。計算マラソンというのは、(3+2ー1+5ー3 ……)というように、数字が三〇〜五〇個並ぶ、計算遊びのことをいう。途中で一か所でも計算 をまちがえると、当然のことながら、最後の答が狂ってくる。 その問題を、K君(小二)が、何度も失敗しながら、挑戦した。が、三度目のとき、私はその答 がまちがっていることを知りながら、「よく、やったね。おめでとう!」と言って、丸をつけてあげ た。 が、その翌日、母親が私のところへやってきて、こう言った。「あの答は、まちがっています。 どうして丸をつけたのですか?」と。見ると、計算機で確かめながらしたのだろう、こまかい数字 がいっぱい、書いてある。 私はそれに答えて、こう言った。「一生懸命やったから、丸をつけました。それでいいのです」 と。 子どもの心は、無数の暗示でつくられていく。そしてその暗示は、日々の生活の、あらゆる場 面で、与えられる。そしてそれが積み重なって、優者と劣者を分ける。 さて、あなたはどうだろうか。あなた自身は、優者の論理をもっているだろうか。それとも劣者 の論理をもっているだろうか。あるいはあなたの子どもはどうだろうか。優者の論理をもってい るだろうか。劣者の論理をもっているだろうか。 子どものばあい、優者にするのは、むずかしいことではない。あなたの口ぐせが、子どもを優 者にし、一方で、子どもを劣者にする。さらに言えば、あなたはどのような印象を、子どもに対し てもっているだろうか。「うちの子は、すばらしい。どこへ出しても、恥ずかしくない」と思っている なら、それでよし。が、そうでないなら、まず、あなたの心を作り変えること。口ぐせは、あくまで も、あなたの「心」の結果でしかない。 さてさて日ごろ、あなたはどんな言葉を子どもに浴びせかけているか、一度、振りかえってみる とよい。 (030313) 【追記】 私はもともと、ここでいう劣者の論理の持ち主だった。今も、心のどこかで、それがどっかりと 腰をすえている。だからこうして自分の意見を書きながらも、「こんなことを書くと、嫌われるの では……」「まちがっているのでは……」と思うことがある。 とくに、どういうわけだか、女性には自信がない。きっと乳幼児期に、キズがついたのだろう。 私の母は、私を溺愛したが、一方で、きびしい人だった。私が今でももっている、「女性恐怖症 的な感覚」は、そういうところから身についたのかもしれない。 さらに「性」に対して、暗いイメージをもっている。いまだに「セックスは悪いこと」という邪悪な 誤解から、身を解き放つことができないでいる。 こうして考えると、優者の論理、劣者の論理というのは、同じ人間の中にも、無数に混在して いるということになる。このつづきは、またの機会に考えてみたい。 ++++++++++++++++++++ ●あなたの口ぐせ診断 あなたは日ごろ、どういう姿勢で、子どもと接しているだろうか。つぎのような姿勢であれば、か なり反省したほうがよい。 (1)何をしても、うちの子はダメだと思うことが多い。 (2)ひとりにしておくと、心配になることが多い。 (3)「子どもを信じたい」と思いつつ、毎日が、その戦い。 (4)子どもが何か失敗すると、カーッとなり、取り乱すことが多い。 (5)子どもの将来を考えると、不安に感ずることが多い。 もしそうなら、ウソでもよいから、今日からでも、「あなたはいい子」「すばらしい子」を繰りかえ す。そしてそれを最低でも、六か月はつづける。いつか自然な形で、あなたが「あなたはいい 子」と言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になっている。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(675) ●おとなの優位性 たとえば、カレンダーを見せて、「これはカーレンジャーだ」と、まちがえてみせる。「3たす4は ……」と聞いて、計算機を使って計算してみせる。さらに戦いごっこをして、簡単に負けてみせ る。 こういう姿を見て、子どもは、「何だ、おとなも、たいしたことないな。ぼくたちと変わらないでは ないか」と思う。いつもいつもそうであってよいわけではないが、ときとして、こうして子どもに自 信をもたせる。またそのおおらかさが、子どもを伸ばす。 まずいのは、いつも一方的に、おとなの優位性を、子どもに押しつけること。よい例が、権威 主義。 今でも、親の権威を説く人は多い。権威というのは、相手を問答無用に黙らせるには、たい へん便利な「道具」だが、しかし弊害も大きい。その第一。親の権威が強ければ強いほど、子 どもは自分の心を隠すようになる。ごまかすようになる。飾るようになる。ほかの世界ならとも かくも、親子の世界では、こんなことは決して、あってはならない。いまどき、三つ葉葵(あおい) の紋章を見せて、「控えおろう!」と叫ぶほうが、おかしい。バカげている。 権威主義とまでいかなくても、親意識(悪玉親意識)の強い人もいる。独特の話し方をする。 子どもが何か、口答えしようものなら、「何よ、親に向かって!」と。「親は絶対」と思うのは、そ の人の勝手だが、それを子どもに押しつけてはいけない。 子育てじょうずな親というのは、バカなフリをして、子どもを伸ばす。「こんな親、アテにできな い」と思わせつつ、子どもに自立を促す。子どもに負けることを恥じることはない。親というの は、ある時期がきたら、子どもに任すものは任せて、身を引く。そして親としてではなく、一人の 人間として、その生きザマを子どもに示す。子どもがあなたと対等になったとき、そのとき、子 育ては完成する。 (030313) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(676) 何とか理論 トヨタのカローラには、一〇年以上乗った。ボロボロになった。それで長い間、迷って、今度 は、トヨタのビッツにした。そのときのこと。それまではあちこちの車のカタログや、値段を見くら べたりしていたが、ビッツに決めたとたん、それらを見るのがいやになった。新聞の折り込み広 告を見ても、それを脇へ捨てるようになった。そういう広告を見て、迷ったり、後悔したりするの が、不愉快だったからだ。 こういう心理を説明するのに、何とか理論というのがある。昔、何かの本で読んだことがあ る。人間は、悩むことを避けるため、それ以上、あれこれ比較するのをやめる。ここにも書いた ように、比較すると、またその悩みが復活してしまう。 もっとも、こんなことは常識で、何とか理論と身がまえなければならないようなことではない。し かし、子育ては、そういうわけにはいかない。「そういうわけにはいかない」というのは、一度、 何かのことで決定をくだしても、そういう場面がつぎからつぎへとやってくる。その上、こちらに はその気がなくとも、相手のほうから比較してくる。「おたくのお子さんはどうですか?」「あなた はどうしますか?」と。 実際、ほかのことならともかくも、子育てをしながら、子育ての世界で、自分の道をつらぬくの は、むずかしい。かなり精神的にタフな人でも、子どもが受験期にさしかかると、おかしくなる人 はいくらでもいる。もともと精神的に弱い人は、なおさらである。子どもの定期テストのときでさ え、食事がのどを通らないとこぼした母親もいる。 で、問題は、なぜこういう愚劣な、(まさに愚劣だが)、受験戦争が、こうまで毎年、毎年、繰り かえされるかということ。子どもたちが、学習や勉強で苦しむのは、それなりにしかたないとして も、なぜ、こうまで親たちまで巻きこまれてしまうかということ。むしろ親たちのほうが、おかしく なる? その理由の一つに、この何とか理論がある。子どもが受験期にいる間は、親も、それなりに 迷い、苦しむ。問題意識もあって、学歴社会や受験競争の弊害について、意見をもっている。 しかしその時期を過ぎると、親たちがこの問題から、逃げてしまう。そしてほとんどの親は、こう 言う。「子どもの受験勉強など、もううんざりです」と。で、結果として、学歴社会も、受験競争 も、そのまま残ってしまう。 だから、繰りかえす。毎年、毎年、同じことを繰りかえす。あまり関係ない話かもしれないが、 こんなこともある。 高校生たちをつれて近くの書店へ行ったときのこと。私たちが高校時代に使った参考書が、 今でもそのまま生きているのには、驚いた。「チャート式○○」という参考書である。ほかにもい ろいろあった。私はそうした参考書を手に取りながら、「なつかしい」というようりは、「?」と思っ た。もうあれから四〇年以上にになるのに、この世界は、まったく進歩していない? むしろそ ういう事実に、私は「?」と思った。 (030313) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(677) 補償 子ども(小四男子)が、こう言った。「今年は、カニの値段が高いんだって。おじいちゃんが、 そう言っていた」と。そこで私が、」「どうして?」と聞くと、「鈴木Mが、逮捕されたからだってエ」 と。鈴木Mというのは、先ごろ、贈収賄(ぞうしゅうわい)事件で逮捕された、国会議員である。 外務省を舞台に、好き勝手なことをしていたらしい。 心理学の世界に、「補償」という言葉がある。たとえば自分に何らかの劣等感があったとす る。そのとき、生命力の弱い人は、その劣等感をもちながら、その劣等性に悩んだり、苦しん だりする。 しかし反対に生命力の強い人は、その劣等感を払いのけようとする。そしてその劣等性と は、まったく別の自分を作りあげようとする。これが、A・アドラーがいう「補償」という心理作用 である。つまりその人は、劣等性を感ずる自分とは、まったく別の自分をつくることにより、その 劣等感から解放されようとする。 たとえば、身体的コンプレックスをもっていた一人の男性が、いたとする。彼は身長も低く、胸 も薄い。そこでその人はある日一念発起して、ボディビルディングを始めた。そして数年後に は、筋肉モリモリの肉体に、自分を改造した。 つまりその人は、自分の劣等性を補うために、その反動として、別の自分をつくりあげたと言 える。こうした例は、多い。程度の違いはあるだろうが、あなた自身も、そういう経験をしたこと があるかもしれない。 この「補償」は、それまでの心理的抑圧感、圧迫感が強ければ強いほど、より強烈なパワー となってその人を支配する。これは私の例だが…… ●私は子どものころから、庭のある家に大きなあこがれをいだいていた。私の家は、町の中の 商店で、庭が、まったくなかった。だから、今の家に移り住むときも、庭の広さを、第一の条件 にした。これはここでいう「補償」とは、少し違ったものかもしれないが、私自身は、庭のない家 に、かなりの劣等感を覚えていた。よく覚えているのは、小学五、六年生のときだったと思う が、家の敷地調べというのをしたことがある。私の家は、三〇坪しかなかった。しかし友だちの 家は、農家が多く、数百坪とか、そういう家ばかりだった。私はその数字を見比べながら、言い ようのない劣等感を覚えた。だからおとなになってから、少しでもお金ができると、土地ばかり 買っていた。つまりその原動力になったのは、子どものころからもっていた、劣等感ということ になる。 これは親たちの例だが、学歴コンプレックスをもっている親ほど、子どもの教育に熱心になる 傾向がある。「うちの夫は、学歴がなくて苦労しています。ですから、息子には、そういう思いを させたくありません」と言った母親がいた。 で、冒頭にあげた、鈴木M氏。彼の生いたちは、ときどきテレビなどで紹介されたので、ご存 知の方も多いと思う。幼少年期には、かなり苦労した人らしい。で、ある政治家の秘書になり、 その経験を生かして、政界におどり出た。 もちろん私は鈴木M氏を、個人的には知らない。しかしテレビや週刊誌などで見る鈴木M氏 は、まさに「がむしゃら」という感じだった。あの種のがむしゃら性というのは、ふつうの心理状 態では生まれない。しかし補償という心理作用を、鈴木M氏にあてはめてみると、どこかうまく 説明がつく。これはあくまでも私の推察だが、鈴木M氏は、何らかの形で、大きな劣等感を覚 えた。その劣等感を、長く自分の中に蓄積した。そしてそれをバネとなって、鈴木M氏は、鈴木 M氏になった……? だからといって、鈴木M氏のがむしゃら性が、まちがっているというのではない。(贈収賄した ことはまちがっているが……。)今、活躍している有名人の中にも、このタイプの人は、いくらで もいる。ここにも書いたように、多かれ少なかれ、人はだれしも、何らかの劣等感をもってい る。そしてその劣等性を補うために、努力したり、がんばったりする。 ただ、ここで言えることは、そうした補償という心理作用は、あくまでも、自分に向けられたもの でなければならないということ。子どもに向けてはいけない。自分の劣等感を克服するために、 子どもを利用してはいけないということ。「夫は、学歴がなくて苦労していますから……」という のは、あまりにも親の身勝手というもの。 カニの話から、鈴木M氏を思い出し、ついで、子育てについて考えたので、ここにメモした。 (030314) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(678) 雑感 よく「孫はかわいい」という。かわいいと思うのは事実だが、しかし「孫をもった」という実感は、 まだ弱い。もう少し正確には、「おじいちゃんになった」という実感は、まだ弱い。まだ抱いたこと がないせいかもしれない。 二男は、数日おきに写真を送ってくれる。見るたびに、少しずつ、顔が変化するようだ。その 孫の特徴といえば、いつもビックリしたような目をしていること。大きな目で、しかもまん丸。目 は、嫁さんに似たようだ。 二男と孫が、この五月に日本へ帰ってくる。「浜松祭りを見せたい」と二男は言うが、その前 後は、航空券も値段が高いらしい。それであれこれ迷っているらしい。一方、私は私で、嫁さん に何を見せたらよいのか、あれこれ迷う。 半僧坊……このあたり最大の、禅宗の修行寺がある。 焼き鳥屋……焼き鳥を食べさせてやりたい。ほかに、日本料理はもちろんのこと、中華料理 に、スペイン料理。嫁さんは、米国文学の学位とスペイン語の学位をもっている。 ショッピング……日本のゆかたを買ってやりたい。 あとは孫を預かってやり、その間、自由に日本を旅行させてやりたい。嫁さんには、あちこち 行きたいところがあるようだ。 おかげで今から、窮乏生活。お金は使えない。その分、二男が来たら、いっしょにおいしいも のを食べよう。そのときのために、少し、前もってダイエットもしておかなければならない。何日 間、日本にいるか知らないが、日本では、毎日、違った料理を食べても、食べきれない。それ にしても、アメリカの料理というのは、貧弱。まずい。向こうでは、いつも朝食には、「ワッフルハ ウス」で、ワッフルを食べていた。甘くて甘くて、最後まで、口に合わなかった。あとは、「何とか おばさんの、家庭料理」という店や、「マクドナルド」など。市内では、日本料理も食べたが、ブ ロッコリーに、かつおの削り粉をかけた前菜には、驚いた。中華料理店もあったが、どこかあ やしげな雰囲気だった。ピザは、最小サイズを頼んだが、それでもワイフと二人でも、食べ切 れなかった。 きっと嫁さんも、日本で、逆のカルチャショックを覚えるに違いない。 その嫁さんで、すばらしいと思うのは、「すなお」なこと。私は、日本でも、あれほどまでにすな おな女性を見たことがない。心と感情、それに表情が、まったくといってよいほど、一致してい る。広大な牧場で、生まれ育ったためだろう。心をごまかすということができないらしい。「君 は、息子を愛しているか?」と聞くと、臆面もなく、堂々と、「Yes, I do love him.」と言っ た。そしてこんなことがあった。 結婚式が終わって、リトルロック(アーカンソー州)の「ダブルツリー」というホテルに帰ったとき のこと。「ダブルツリー」というには、まさに「林」。それでそのホテルが気に入って、いつもそこ に泊まっている。リトルロックでも、最大のホテルである。 何と、結婚式を終えたばかりの嫁さんが、ロビーにいるではないか! 二男は、ハネームー ンのホテルに、同じホテルを選んだ。 一瞬驚いて、うれしそうな顔をしたが、どこか悲しげ。一度部屋に戻って、ロビーにおりてみる と、二男も立っていた。しかし嫁さんは、一方で、懸命につくり笑いをしながら、ベソをかいてい る! 子どものようなベソだ! 「どうしたの?」と聞いても、答えない。そこで二男に向かって、「どうしたんだ?」と聞くと、「パ パとママがいるもんで……」と。 嫁さんは、早く二人だけになりたかったのだろう。そこへ私とワイフが現れたから、たまらな い。その気持ちは、ヨークわかった。だから私は二男に、数百ドルの小づかいを渡すと、こう言 った。「あたりまえだよな。これでおいしいものを食べてきな」と。 あとでワイフとこんな話をした。 私「日本人の嫁さんなら、ああいうとき、どうするだろう?」 ワ「がまんして、親とつきあうでしょうね」 私「そう思う。顔では笑いながら、心の中では別のことを考える……?」 ワ「アメリカ人というのは、自分をごまかせないのね」 私「ごまかすという作法を知らない」 ワ「ありのままという感じだわ」 私「ホント、ホントにそうだ。すべてがストレートという感じだね」と。 私は嫁さんに、空に抜けるようなすがすがしさを感じた。二男に対しても、私たち夫婦に対し ても、全幅に心を開いているのがわかった。きっとすばらしい乳幼児期を過ごしたのだろう。 ああ、それにしても、五月が待ち遠しい。 二男や嫁さん、びっくり目玉の孫は、このマガジンから、ご覧いただけます。興味のある人 は、どうか見てやってください。私には、かわいい顔をした孫です。(こういうのをジジバカという のかも? かわいい顔と思っているのは、私だけです。) (030314)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(679) 反動感情 ●反動感情 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私は、こ れを勝手に「反動感情」と呼んでいる。心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動 形成というのは、自分の心を抑圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになるこ とをいう。たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心 がないように振るまうことがある。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。 ほかに、たとえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。そ の反動形成に似ているから、「反動感情」とした。 ●Aさんのケース 私がAさん(三四歳女性、当時)に会ったのは、私が四〇歳くらいのことだった。もともとは奈 良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古都の雰囲気を 感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫を愛しています」「娘 を愛しています」と。 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。それ で私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は最初、Aさん の家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。が、そうではなか ったということ。 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそのとき 六歳になる娘だった。 Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別れてしま った。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その好きな人に、腹 いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆがんだ結婚だった。 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を始める前 までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」(Aさん)という。が、離婚は しなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業で、たがいにもちつ、もた れるの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そしてその教 え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった? ●反動形成 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でなければ、 あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いやだ」という感覚を味 わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感を避けようとする。 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに反発する ものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろうとする。反 対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。これが私がいう、「反動感情」である。 このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分の心の中に入れこもうとする。わかりやすく言え ば、好きになる。(正確に言えば、好きだというフリをする。)好きになることで、不快感を克服し ようとする。 よくある例としては、@相手につくし、服従する方法。A相手に対して敗北を認め、自分を劣 位に置く方法。B自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。自分という「主体」 を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き(affection)」という状態をつく るが、このばあい、「好き」といっても、それはネガティブな好意でしかない。若い男女が、電撃 的に打たれるような恋をしたときに感ずるような、「好き(love)」とは、異質のものである。 特徴としては、自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、厭世的(自分や社会 は、どうなってもよいと考える)な人間関係になる。これに関してよく似たケースに、「ストックホ ルム症候群」※というのがある。これはたとえば、テロリストの人質になったような人が、そのテ ロリストといっしょに生活をつづけるうち、そのテロリストに好意をいだくようになり、そのテロリ ストのために献身的に働き始めるようになることをいう。 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく言ったが、 どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけなのかもしれない。A さんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっていた? ●偽(にせ)の愛 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。しかし夫 婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる人は、いくらでも いる。 Bさん(四〇歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くことになった ときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。「冗談でし ょ?」と言うと、ま顔で、「本気です」と。しかしそのBさんにしても、表面的には、仲のよい夫婦 に見えた。たがいにそう演じていただけかもしれない。そこで「じゃあ、どうして離婚しないので すか?」と聞くと、「私たちは、そういう夫婦です」と。 親子でも、そうだ。C氏(四五歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさつすらし なかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しかしC氏は、人前 では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、その学校のPTAの副 会長まで努めた。 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく覚えて いるのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使っていたことだ。 父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲れさせ る。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度は、その反動 として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケースは、少ない。たいてい は、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。つづくというより、もちつづ ける。 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の人形として 生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。その中でも、よく 知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務 を果せ」と迫ったのに対して、ノラはこう答える。「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりも まず人間よ、あなたと同じくらいにね」(「人形の家」岩波書店)と。そのノラが、親に感じていた 愛、あるいは夫に感じていた愛が、ここでいう反動感情で作られた愛ではないかということにな る。もし、ノラが「愛」のようなものを感じていたとしたら、ということだが……。 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろいろな 人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、本当は、つき あいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれない。あるいは「私 はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろう か。 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親の前で、 ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理によい子ぶって いないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私たちはすばらしい親子関 係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。ひょっとしたら、あなたの子どもは、あなたと良 好な関係にあるフリをしているだけかもしれない。本当はあなたといっしょに、いたくない。いた くないが、し方がないから、いっしょにいるだけ、と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思 っているなら、その可能性は、ぐんと高くなる。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。 (030314) ※ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃事件に由 来する(一九七三年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、人質となった人た ちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」と呼ぶ。のちにその人質と なった女性は、犯人と結婚までしたという。 ※イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。好意でした ことをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。それがここに取りあげた 会話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメルと、三人の子どもを残して、家を 出る。 【付記】 父親に虐待されていた子ども(小二男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作っていた。そ こでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その子どもを 施設へ保護した。 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いたい、会 いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きなの?」と聞く と、その子どもは、「好き」と答えたという。 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子ども は、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようとした。そ の子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父親に嫌われた ら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感情を、自分の中につく ることで、自分の心を防衛したと考えられる。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(680) ブルース ●優等生ブルース 小学生のときから、勉強がよくできた。スポーツも万能。だから親にも、先生にも期待されて いる。そこでA君は、いつの間にか、自分で「そういう人間」をめざすようになった。「そういう人 間」というのは、そういう人間である。 A君は、いつも周囲に注目されているのを知っている。それは悪くない世界だ。が、同時に、 みなの期待を裏切ることもできない。だから、いつもA君は、優等生であろうとしている。……優 等生でなければならない。 しかし本当のA君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それが わからないまま、A君は、孤独だった。 ●劣等生ブルース 毎日、学校へ行っても、ハラハラしている。先生に指されないことだけを願いながら、体を小 さく丸めている。が、ときどき指されてしまう。そして「前に来い」「お前、説明してみろ」などと言 われる。とたん、教室は、笑いのウズ。 B君は、そんなとき、いつも、みなの前で、おどけて見せる。ひょうきんな顔をして、その場を 茶化す。みなに「バカ」と思われるより、「おもしろい」と思われるほうが、まだまし。 しかし本当のB君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それ がわからないまま、B君は、孤独だった。 ●中間層ブルース 勉強も、スポーツもほどほどにできる。しかしとくに、目立つということはない。夢も希望もな い。毎日、それとなく過ごしている。 C君の趣味は、テレビゲームとカードゲーム。塾も二つ通っているが、本当のところは、行き たくない。しかし行かなければ、立場がない。立場がなくなる。しかしこのところ、家にも居場所 がなくなってきた。親は、C君の顔を見るたびに、「宿題はあるの?」「勉強はすんだの?」と言 う。 しかし本当のB君は、どこにいるのか? 何を望んでいるのか? 何をしたいのか? それ がわからないまま、C君は、孤独だった。 ●ブルース それぞれの子どもが、それぞれの立場で、ブルースを口ずさんでいる。優等生といわれてい る子どもも、またそうでない子どもも。それが学校というところ。それが人生というもの。しかし 忘れてならないのは、彼らもまた、私やあなたと同じ、人間だということ。 ……と考えて、我が身を振りかえってみる。そしてこう思う。何のことはない。私たちだって、 同じではないか、と。私たちもそれぞれが、それぞれの立場で、それぞれのブルースを口ずさ んでいる。 しかし本当の私は、どこにいるのか? 何を望んでいるのは? 何をしたいのか? それが わからないまま、私たちもまた、孤独な世界を生きている? ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(681) 生意気な子ども 生意気な子どもというのは、どこにもいる。ふつうの生意気ではない。教師を教師とも思わな い。おとなやおとなの世界を、完全に軽蔑(けいべつ)しきっているような子どもである。私の経 験では、思春期を迎えた女子に多いように思うが、もちろん男子にもいる。 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。 +++++++++++++++++ 生意気な子どもたち 子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」 私「うるさいから、静かに」 子「うるせえのは、テメエだろうがア」 私「何だ、その言い方は」 子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」 私「勉強したくないなら、外へ出て行け」 子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃんと、金、も らっているんだろオ!」と。 そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学三年生だ。もの知りで、勉強だけ は、よくできる。彼が通う進学塾でも、一年、飛び級をしているという。しかしおとなをおとなとも 思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、ふえている。問題は、こういう子ど もをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中の怒りをおさえるか、である。あるいはあ なたなら、こういう子どもを、一体、どうするだろうか。 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子どもは 先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。彼が幼 稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこう言った。「あ なたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけいなことは言うな」と。 母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。ほか にも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。取 っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校一年生だった。あるいは面と向か って私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃネ、おとなになったら、あん たより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども(小六女児)もいた。やはりクラスでは、 一、二を争うほど、勉強がよくできる子どもだった。 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごしが低くな り、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとんどといってよいほ ど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。言いかえると、親も勉強 しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。子ども自身も、「自分は優秀 だ」と、錯覚している。 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本でエリート と言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行にも、そして政治家 のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した(?)ような人たちだ。見 かけの人間味にだまされてはいけない。いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだま せない。彼らは頭がよいから、いかにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることがで きるか、それだけを毎日、研究している。 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体の将 来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。 +++++++++++++++++++++ こうした子どもが、ある一定の割合で、現れるというのは、たいへん興味深い。概して、@頭 がよく、それなりに勉強がよくできる。A一人っ子か、裕福な家庭で、わがままに育てられてい る。B親自身が、子どもの教育に過関心で、「勉強がすべて」という価値観をもっている。原因 はともあれ、こうした環境が、子どもの心をゆがめる。 ここで「軽蔑しきっている」という言葉を使ったが、ふつうの軽蔑ではない。子どもというのは、そ のときどきにおいて、親や先生に向かって、「ジジイ」とか、「ババア」とか言う。しかし大半は、 冗談とわかるような言い方をする。だから言われたほうも、軽くそれを受け流すことができる。 しかしこのタイプの子どもには、まったくそれが感じられない。子どもらしい、かわいらしさが、ま ったく消える。 さげすんだ目つき、横柄な態度と言葉、おとなをなめきった態度など。私に向かっても、「この ヘンタイ野郎!」と言って、腹を蹴ってきた女の子(小六)もいた。そういうトゲトゲしいことを、平 気で言ったり、したりするようになる。 問題は、なぜそういう子どもになるかということよりも、親自身が、それに気づいていないとい うこと。親自身の価値観が、一般社会とは価値観がズレているから、説明すらできない。私が その子どもの問題点を指摘しようとしても、この原稿の中にも書いたように、「あなたは黙って、 息子の勉強だけをみていてくれればいい」というようなことを言う。「勉強さえできれば、うちの 子は、いい子」というような考え方をしている。 その上、このタイプの子どもは、概して頭がいい(?)。勉強だけは、よくできる。教師の前と、 親の前で、別々の人間を演じながら、その双方をうまく操る。こんなことがあった。Hさんという 小六になった女の子がいた。それほど裕福な家庭ではなかったが、一人娘で、わがままいっ ぱいに育てられていた。 そのHさんの態度が、粗放化し始めたのは、その一年ほど前からのことだった。皆が、どっと 笑うようなときども、その笑い声にまじって、「くだらねえこと、言ってるんじゃねえよ。時間のム ダだろオ!」と。 そこで私はHさんを強く、たしなめた。が、たびたびそういうことが重なったので、ある日こう言 った。「一度、君のお母さんに相談するよ」と。が、それから一か月もたたないうちに、母親から 電話があって、「今度六年生になりますから、どこか進学塾へ移ります」と。 こういうことはよくあること。Hさんは、家で、私の先手をとったわけである。こういうケースで は、子どもは、まず、家で私の悪口を言い始める。悪口をさんざん言って、親をして、「林はくだ らない教師」と思わせるように、しむけていく。あるいは子ども自身が、「もっと、高度な勉強をし たい。だからもっとレベルの高い、進学塾に行きたい」とか何とか言うときもある。こういう仕事 を三〇年以上もしていると、そういった子どもの心が手に取るようにわかる。 で、そのときも迷った。本当のことを言うべきかどうか、と。しかし結局は、何も言わなかっ た。言う必要もない。私の世界にかぎらず、教育の世界には、「一〇%のニヒリズム」という言 葉がある。どんなに教育に没頭しても、最後の一〇%は、自分のためにとっておくという意味で ある。でないと、身も心も、ズタズタにされてしまう。 その日が最後のレッスンというとき、そのHさんが、また暴言を吐いた。「あんたの教え方は、 ヘタクソって、言ってんだよ。今日でこの教室を、やめてヤラー、このバカヤロー!」と。そのと きは、私も遠慮せず、Hさんをたしなめた。しっかりと、にらみつけながら、こう言った。「なぜ、 私が怒っているか、わかっているね。これから先、君は、どんな人間になるかは知らないが、 私のこの目だけは忘れないほうがいいよ」と。 それがよいか悪いかということになれば、悪いに決まっているが、このタイプの子どもほど、 この受験社会を、スイスイとくぐり抜けていく。そして結果として、日本の支配階層をつくり、日 本という社会をつくっていく。で、私は、いつも、こういう子どもだけは作ってはいけないと思って いる。思っているが、どういうわけか、ある一定の割合で、こういう子どもができてしまう。これも 現代の教育がかかえる、矛盾の一つということになる。 (030315) 【生意気な子どもにしないためのアドバイス】 生意気な子どもイコール、ドラ息子、ドラ娘と考えてよい。そのドラ息子には、つぎのような特 徴がある。 ●ドラ息子症候群 @ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆 の中心にいないと、気がすまない。 Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定 めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほ しいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽 しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。 Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝 手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。Cバランス感覚が消え る。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。 こうした子どもにしないために……。これは以前、中日新聞で発表した記事である。 ++++++++++++++++++++ ●どうすれば、うちの子は、いい子になるの? 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私 は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読 む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い まくることです」と。 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。 自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や 根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。 ●一〇〇%スポイルされている日本の子ども? ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君 は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを 浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。 つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてき た高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校 生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のよう なものがある。 ●原因は家庭教育に こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱 って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、 それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。 ●子どもは使えば使うほどよい子に 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛 だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」 と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お 父さんがいるから、いい」と答えたりする。 生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた 子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかっ たからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子ども が二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。 ●いやなことをする力、それが忍耐力 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。 たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂 場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。 こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、 こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。 ●学習面でも伸びる もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える 力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋 さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。 ●家庭の緊張感に巻き込む 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見 ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回 り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし 知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら に食器を食器棚へしまわせる、など。 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の 草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ が、「いい子にする条件」ということになる。 ●バランスのある生活を大切に ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。@生活感の ある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうこ とをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るの だ」という意識をもたせる。A質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。B忍耐力をつ けさせるため、家事の分担をさせる。C生活のルールを守らせる。D不自由であることが、生 活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、Eバランスのある生活に心がけ る。 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。 ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。 子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを 忘れてはならない。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(682) ●SZさんへ、 今日、リンゴの木を植えることだ! このところ、反対に読者の方に励まされることが、多くなった。一生懸命、励ましているつもり が、逆に私が励まされている? 今朝(三月一六日)も、SZさんから、そういうメールをもらっ た。「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。三月一五日号のマガジンで、つぎのように書い たことについて、だ。 「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ ば、一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。」 「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。内容は、ヨハ ン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。あるときはユダヤ人として、強制収容所に。 またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。また今度は、ドイツ人として、 ハンガリア人キャンプに送られる。そして最後は、ドイツの戦犯として、アメリカのキャンプに送 られる……。 人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、この本 のテーマになっている。それはまさに絶望の日々であった。が、その中で、モリッツは、「今日、 リンゴの木を植えることだ」と悟る。 ゲオルギウは、こうも語っている。「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。どこによいこ とがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチャンス」)と。 たいへん参考になる。 もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウが感じた であろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。明日も、今日と同じようにやってくるだろう。 来年も、今年と同じようにやってくるだろう。そういう「私」と、明日さえわからなかったゲオルギ ウとでは、不幸の内容そのものが、違う。程度が、違う。が、そのゲオルギウが、『どんなときで も、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、 リンゴの木を植えることだ』と。 私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。「重さ」 というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。もちろんSZさんにそう励 まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はない。ないが、「これから も、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。 SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大切に。ゲオ ルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家ですから、また耳にされる こともあると思います。「よろしく!」……と言うのもへんですが、私はそんなうような気持ちでい ます。(ただし左翼作家ですから、少し、ご注意くださいね。) (030316)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(683) 1000号になれば……? 今、こうして「子育て随筆byはやし浩司」シリーズで、エッセーを書いている。それが、この号 で第683号になる。目標は、1000号。あと少しで、1000号! とくに「1000」という数字にこだわっているわけではないが、こうして目標をもたないと、どうし ても自分に甘くなる。書いたところで、収入に結びつくわけではない。だれかに頼まれているわ けでもない。だから、どうしても、甘くなる。こうしてエッセーを書くというのは、そういう「甘え」と の戦いでもある。 同じように、マガジンの読者が、三誌合計で、812人になった(3月17日現在)。こちらのほう も、数字にこだわっているわけではないが、やはり目標をもたないと、力が入らない。Eーマガ の「子育て最前線の育児論byはやし浩司」は、現在、659人。Eーマガだけで、1000人にな れば、と願っている。 随筆が1000号になったにせよ、読者が1000人になったにせよ、その先に、何があるか私 にはわからない。どうなるかもわからない。しかし「何か」があるような気がする。少し前、ケビ ン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームズ」という映画を見た。よい映画だった。英語の 脚本も、書店で売っていたので、買った。私は今、その1000という数字にこだわりながら、あ の映画を頭の中に思い浮かべた。 映画の中で、ケビン・コスナーが演ずる農場主は、不思議な声を聞く。「People will come」(そ れを作れば、人々がやってくるだろう)と。そこでその農場主は、トウモロコシ畑をつぶして、野 球場をつくる。どこかファンタジックな映画だが、しかし最後に親子が、黙々とキャッチボールを する姿は、感動的だった。何度見ても、あのシーンでは、泣かされる。 で、あの映画の中に、もう一人、光る脇役がいる。黒人の作家である。彼は現代社会に嫌気 を覚え、社会のスミで、隠れて生きている。そこへ「声」に導かれた農場主がやってきて、今度 は、二人で、その声の秘密を解き始める。私は、映画のストーリーとは別に、その作家の気持 ちが、痛いほど、よく理解できた。私と、その作家(元、超有名な売れっ子作家ということになっ ていた)とでは、比較のしようがないが、私とて、いつなんどき、筆を折ってもおかしくない立場 にいる。ときどき、なぜ私がこうして毎日、文を書きつづけているか、わからないときさえある。 読んでおわかりのように、私の文章は回りくどくて、ヘタクソ。中身はない。読んだところで、 得るものはない。だいたいにおいて、いくら本を書いても、私の本など、売れない。もうあきらめ た。 が、しかし、「1000」の向こうには、何かがあるような気がする。もし、この「子育て随筆byは やし浩司」(私のホームページの「随筆集」からアクセスできる)が、1000号を超えたら……。 もし読者の数が、1000人を超えたら……。何かがそこにあるような気がする。そしてその気 持ちは、あの農場主が、不思議な声を聞いたときの気持ちに似ているのでは……。勝手にそ う思っているだけだが、それは私にとっては、「希望」でもある。 もっともマガジンのほうは、ときとして、読者の数が減ることがある。あるいは数週間の間、ふ えないこともある。Eーマガの「はやし浩司の世界」や、メルマガのほうは、この数か月、読者が ほとんどふえていない。だから1000人になることは、目標ではあっても、期待していない。こ ればかりは私の努力では、どうにもならない。しかし「子育て随筆byはやし浩司」を、1000号 まで書くというのは、目標になる。これはだれにも、じゃまされない。(すでに、あちこちで「はや し浩司」を、攻撃している人もいるようだが……。どうせくだらない連中だから、私は相手にして いない。) そうそう、もう一つ、目標がある。それはEーマガの発行回数が、この3月27日号で、第200 号になるということ。その先、1000号までつづけるのも、一つの目標になっている。二日に一 度発行しても、計算すると、1000号になるのは、4年4か月と17日後ということになる。200 7年8月10日前後か。遠い道のりだが、がんばるしかない。 どちらにせよ、ほかに宣伝方法をもたない、電子マガジン。こうまで読者の方がふえたのは、 皆さんのおかげと、感謝している。皆さんの口コミがあったからこそ、ここまで読者の数がふえ た。本当に、感謝している。 私はこのマガジンを通して、私のすべてを、皆さんに伝えたい。私がつかんだ経験とノウハウ を、すべて、だ。そして私自身は、その先に何があるかわからないが、行けるところまで、行っ てみたい。そう、私にも、その声が聞こえるような気がする。「それをすれば、人々がやって来 るだろう」と。 それを信じて、私はがんばります! どうか読者の皆さん、これからもよろしくお願いします! (0303016) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(684) 反復強迫 +++++++++++++ ●親というのは、自分が受けた子育てを、自分の子どもに向かって、無意識のまま、再現する ことがある。再現しているという意識そのものが、ない。だから「無意識」という。それがよいも のであれば、問題はない。しかしときとして、悪いものを再現することがある。しかもそれが、子 どもに対して、復讐(ふくしゅう)的になることさえある。 +++++++++++++ ●しつけはきびしく…… 「子どものしつけには、きびしさが必要」と説く、教育評論家がいる。「最近の子どもの『乱れ』 は甘やかしが原因だ。だから家庭でのしつけを、もっときびしくせよ」と。「私の父親は、ゼウス (ギリシア神話の主神)のように威厳のある人だった。私が風邪をひいて、父親のひざの上で、 食べ物を吐いたときのこと。父は『無礼者!』と、私をたたいた。今の親たちに欠けているの は、そういうきびしさだ」とも。 こういうのを、心理学の世界では、『反復強迫』という。自分が子ども時代に感じた、強迫観念 (抑圧感や欲求不満)を、おとなになってから、つぎの世代に無意識のまま、反復することがあ る。そういうところから、そういう名前がつけられた。 つまりこのタイプの人は、自分が子ども時代にもった強迫観念を、今度は自分が親になったと き、自分の子どもに対して、それを再現する。「復讐」という言葉を使う学者もいる。この教育評 論家のばあいは、「評論」という形で、すべての子どもに対して、復讐的に再現していることにな る。すべてがそうであるとはかぎらないが、それを疑わせるケースは、いくらでもある。 ●子どもに復讐する母親 ある母親は、子ども(女児、八歳)に、きびしいノルマを課していた。ワークブックを、毎日、五 枚するというのも、その一つ。そのノルマを果たしていないときは、その母親は、夜中でも、フト ンの中から引きずり出して、子どもに勉強させていた。「約束は、守りなさい!」と。そこで私 が、「どうしてそこまでさせるのですか?」と聞くと、「いいかげんな人間には、なってほしくない からです」と。 この母親も、実は、自分が少女時代に、同じような経験をしていた。厳格で神経質な両親。そ の母親自身も、そういう両親に同じようにノルマを課せられ、勉強させられていた。そのときの 思い(抑圧感や欲求不満)が、復讐という形で、今度は、自分の子どもに対してしていたことに なる。こんなケースもある。 ある女性(四〇歳)は、マンションのエレベーターの中で、近所のA子さん(年中児)を見ると、 そのA子さんを、足で蹴り倒していた。そのためA子さんは、エレベーターに近寄るだけで、お びえるようになった。そこでA子さんの母親は、A子さんから理由を聞き、相手の女性に、それ となく抗議をした。が、その女性は、「エレベーターが揺れて体が当たっただけ」「めまいがした だけ」と、言い張った。 A子さんは、背が高く、色の白い子どもだった。その女性は、そういうA子さんに嫉妬(しっと)し たわけだが、その原因は、実は、その女性自身の少女時代にあった。その女性は、子どもの ころ、背が低く、肌の色が黒かった。足も短かった。そこで背が高く、肌の色が白く、足が長い 友だちに、はげしく嫉妬していた。その女性のばあい、そういうゆがんだ心理状態が、一度心 の奥にもぐり、それがおとなになってから、復讐という形で、再び現れてきたと考えられる。 ●強迫観念 ここでいう「強迫観念」というのは、きびしいしつけから生まれる抑うつ感や、欲求不満、嫉妬 や、満たされない愛情などから生まれる、精神的不全感をいう。子育てには、きびしさも、ある 程度は必要かもしれないが、それも度をこすと、子どもの心をゆがめる。先の評論家は、「無 礼者!」と、自分をたたいた父親を礼さんしていたが、本当にそうか? そう礼さんしてよいの か? 私の教室でも、その季節になると、ゲボを吐く子どもが続出する。しかし私は、「何でもな いよ」「気にしなくていいよ」と言いながら、汚れた机や床を、だまって拭く。子どもがおもらしをし たときも、そうだ。「無礼者!」と、子どもをたたく気には、とてもなれない。 この『反復強迫』は、無意識のうちにそれを繰りかえすという点で、やっかいなものである。自 分で自分の子ども時代に受けた強迫に再現しながら、「再現している」という意識そのものがな い。ないまま、再現する。ときとして、それが復讐的になることもある。極端な例としては、子ど もを虐待する親がいる。このタイプの親は、自分の子どもを虐待しながら、虐待しているという 意識そのものがない。つまり自分の子どもを虐待することで、自分を虐待した親に、無意識の まま復讐している。 ●あなたはだいじょうぶ? そこで、あなた自身は、どうかということを、少しだけ、振りかえってみるとよい。もしあなたが 心豊かで、恵まれた環境の中で、伸び伸びと育ったのなら、それでよし。そうでないなら、心の どこかに、ここでいう「強迫観念」がないかどうかを疑ってみる。もう一つ、こんなケースもあっ た。 ある母親は、自分の子ども(小学男児)が、勉強ができないことを、異常なまでに気にしてい た。そして学校での成績が悪かったりすると、ヒステリックなまでに、子どもを叱ったり、ときに は、暴力まで振るっていた。しかしやがてその母親は、なぜそうするかに、気づいた。 その母親の実の兄は、軽い知的障害者だった。そのためその母親は、子どものときから、兄 に対して、はげしいコンプレックスを抱いていた。その母親は、こう言った。「私の結婚式のとき も、兄のことばかりが気になりました。兄が病気か何かで、結婚式を欠席してくれることだけを 願っていました」と。 つまりその母親は、自分の兄に対してもっていたコンプレックスを、自分の子どもに対して、 再現していたことになる。(このばあいは、復讐というよりも、「息子が、兄のようになっては困 る」という強迫観念と言ったほうが、正しいかもしれないが……。) ●まず、自分に気づくこと で、もしあなたにここでいう『反復強迫』があるとするなら、まず、それに気づくこと。この問題 は、それに気づくだけでも、ほとんどが解決したとみる。まずいのは、それに気づかないまま、 同じ失敗を繰りかえすこと。そこであなたの心を診断してみよう。つぎの項目のうち、三個以 上、当てはまれば、ここでいう『反復強迫』を疑ってみたらよい。 【自己診断】 (1)自由奔放(ほんぽう)に生きている、自分の子どもや、近所の子どもたちを見ると、うらやま しいというより、腹立たしくおもうことがある。 (2)自分の過去や、自分が置かれた環境を思い出すと、「自分は不幸だった」と思うことが多 い。が、それゆえに、自分は、成長できたと、思うことが多い。 (3)私は子どものころ、いつも何かに耐えて生きてきたように思う。したいこともできなかった し、言いたいことも言えなかったように思う。 (4)子どもが勉強やスポーツ、習いごとなど、ほかの子どもよりうまくできなかったりすると、わ れを忘れて子どもを責めたり、叱ったりすることがある。 (5)自分の子どもに対して、わざと、いやな思いをさせたり、不便な思いをさせることがある。ま たそうすることが、子どものためと思うことがある。 (6)子どものある欠点だけが、異常に気になることがある。そしてささいなことで、子どもをはげ しく叱ったり、暴力を振るったりすることがある。 親は子どもを育てながら、自分が受けた子育てを再現する。よい意味での再現なら問題はな いが、悪い意味での再現には、注意する。子どもを育てるという喜びとは別に、ときとして、そ の子どもを、復讐の対象とすることもあるということ。じゅうぶん、注意されたし。 (030317) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(685) 教育に狂奔(きょうほん)する親たち なぜ母親たちは、不安なのか? ++++++++++++++++++++++ ●子どもを叱る母親たち ある英会話教室。三歳児からの英会話教室。親子同伴の英会話教室。週一回。月謝は、七 〇〇〇円。講師はアメリカ人。歌にゲームに、リトミックあり。なごやかな雰囲気。たいていは母 親たちが子どもを連れてくる。和気あいあいと、楽しんでいる? が、なごやかなのはそこまで。レッスンが終わり、部屋の外に出たとたん、母親たちが、いっ せいに子どもを叱り始める。 「どうして、あのとき、あなたは手をあげなかったの!」 「A君はできたのに、どうしてあなたはできなかったの!」 「キリンは、ジラーフでしょ。もう忘れてしまったの!」 「あなただけよ。フラフラ歩いていたのは!」 「あなた、先生の話を、ちゃんと聞いてなかったでしょ。ママ、恥ずかしかったわ!」 「今度、名前を聞かれたら、ちゃんと、マイネーム・イズ○○って、言うのよ!」と。 こうした母親をだれが、責めることができるだろうか。こうした教育を、だれがおかしいと言え るだろうか。実は、そういう母親自身も、子どものとき、彼女たちの親から、そういう教育を受け ている。 私が三〇年前に、幼児向けの英語教室を開いたときも、そうだった。いや、そのころのほう が、まだ、どこか穏やかだった。「どうせできなくてもいい」というような、おおらかさがあった。し かしまったくなかったわけではない。この私とて、そういう親たちに振りまわされたことが、しば しばあった。つまりそのころの子どもたちが、今、おとなになり、母親になった。子どもをもうけ て、子育てをしている。おかしいと言えば、おかしい。たしかに日本の子育ては、おかしい。しか し本当におかしいのは、そういう「おかしさ」自体に気づいていない、母親たちである。 ●「子どもを愛している?」 そういう母親たちでも、臆面(おくめん)もなく、「私は子どもを愛している」と公言してはばから ない。またそうして子どもを叱ることについても、「子どものため」と言う。たかが三歳の子どもで はないか。たかが英会話教室ではないか。私も昔、こう言った。「楽しむことですよ」「楽しめ ば、前向きの姿勢が生まれます」「子どもはがんばったのだから、おうちでは、ほめてあげてく ださい」と。 私は、そういう母親たちを見ると、「本当に、この親は、子どもを愛しているのだろうか?」とさ え思う。あるいは「愛するということが、どういうことだか、わかっているのだろうか」とさえ思う。 「私は私。私の子どもは、私の子ども」と考える前に、自分の子どもを、他人の目を通して見て いる? そして自分の子どもの心を、見失ってしまっている? 中には、泣き叫んでいやがる子どもを教室へ連れてきて、その教室の前で、子どもを叱って いる母親すらいる。「どうして、ちゃんと英語を勉強しないの!」「あなたが行くと言ったから、通 うようになったのよ。約束は守りなさい!」と。見ると、まだ三歳くらいの子どもである。 ●なぜ、母親は狂奔するか この日本では、子育てそのものが、「不安」という基盤の上に成りたっている。このことは、オ ーストラリアとくらべてみると、よくわかる。オーストラリアは、昔、「ラッキーカントリー」と呼ばれ た。鉱物資源が豊富だったからだ。地面を掘るだけで、お金になった。今もそうだ。それに世 界に名だたる、農業国。食べていくだけなら、だれも困らない。 しかし日本には、そういう安心感がない? 日本も昔は農業国で、それなりに安心感があっ たのだろうが、その基盤が、どうもあやしくなった。……と書いても、ピンとこない人も多いかも しれない。私は、実は、このことを田舎(いなか)生活をするようになってから、知った。 ●週末の田舎生活 私は週末は、H市の郊外のS村で過ごしている。H市での生活は、いわば都会生活。これら 二つの生活は、質的にまったく異なっている。その第一、都会生活は、一見便利でムダがない が、底力がまったくない。「お金の切れ目が、命の切れ目」。一方、S村での生活には、そうした 不安感がない。まったくないわけではないが、都会生活で感ずるような不安感はない。季節ご とに食べ物が、豊富にできる。二月のシイタケ、三月の山菜、五月の野イチゴ、六月のビワ… …というように。 村の人たちも、たがいに助けあっている。水にしても、自分たちで山から引いている。ゴミにし ても、量そのものが少ない。自分たちで燃やすか、生ゴミは、そのまま肥料として使う。燃料に しても、マキや木の葉は、あたりに捨てるほど、ある。私は畑までもっていないが、畑をもってい る人は、ほとんどの食べ物を自給自足している。 が、都会生活は、ここにも書いたように、それがない。「不安」の上に成りたっている。水道の 水が止まったら、万事休す。手のほどこしようがない。電気やガスが止められても、万事休す。 収入が途絶えれば、さらに万事休す。田舎のほうでは、仮に収入がなくても、何とかそのまま 生活ができる。しかし都会ではそうはいかない。その「いかない」ところが、不安の原点になっ ている。 ●結局は、コース こうした不安を、母親たちは、いつも肌で感じている。いざとなっても、戦う方法すら知らない。 術(すべ)もない。仮に夫が失業すれば、考えることといえば、せいぜいパートの仕事に出るこ とくらいなもの。山菜を集めてくる、野菜を育てる、家畜を育てるといった、人間が本来的にも つ野生的なたくましさを、発揮することもできない。 同じように、子どもたちの教育ということになると、コースに乗った教育しか考えられなくなる。 父親の仕事を、子どもに継がせることもできない。とくにこの日本では、ありとあらゆる職業 が、許認可、資格で、がんじがらめになっている。夫が失業したから、明日からラーメン屋の屋 台を引いて回る、ということさえ、この日本ではままならない。 だから……と、子どもの教育に狂奔する母親たちを擁護するわけではないが、そういう立場 にいる母親を、どうして責めることができるだろうか。また「あなたは、まちがっている」と、どうし て言うことができるだろうか。 ●結局は、犠牲者 こうした母親たちも、懸命に生きている。そしてそれぞれが与えられた社会の中で、懸命に生 きている。子育ても、その中の一つ。子どもの将来を考えれば考えるほど、彼女たちは、不安 になる。不安になって当然。社会のしくみそのものが、そうなっている。 こういう社会で、生き残るためには、自分自身を社会に適応させなければならない。子どもが 生き残るためにも、そうだ。学歴社会も、受験社会も、みんなおかしい。おかしいが、「おかし い」と言って背を向けたとたん、その人自身が、その社会からはじき飛ばされてしまう。 英会話教室が終わったあと、子どもたちを叱る母親たち。頭のどこかでは、いけないことだと 知りつつも、結局は、彼女たち自身、どうしようもないのだ。生き残るためには、どうしようもな いのだ。 (030317) +++++++++++++++++++++++ ●不安の構造 私は今、この原稿を、H市内のビルの一室で書いている。三階の一室だ。窓の外は、ビルば かり。少し離れたところに、四〇数階建ての高層ビルも見える。見晴らしのよい部屋だが、この 閉塞感(へいそくかん)は、どこからくるのか。 都会での生活は、ガラス窓を境に、部屋の中と外の世界が、完全に遮断(しゃだん)されてい る。私はいつか、この遮断性こそが、閉塞感の原因と考えた。好きなときに、飛び出すこともで きない。その上、都会の土地は、一センチ単位で仕切られている。仮に飛び出したところで、 隣の土地の上を、自由に歩くことさえできない。 私はときどき、いろいろ事情があって、この部屋に寝泊りしようとしたことがある。しかしもう一 五年になるが、一度とて、それをしたことがない。「したことがない」というより、できなかった。ビ ルの一室というのは、まさに仕切られた箱。よどんだ空気。分厚いカベ。空調のモーターの音。 どうしても落ちついて、眠られない。それで夜中に、結局は、タクシーに乗って、家に帰ってしま った。 これは「部屋」という物理的な話だが、子どもの世界も、これによく似ている。子どもが生まれ てから、社会に出るまで、子どもの世界は、がんじがらめに管理されている。学校以外に道は なく、学校を離れて道はない。しかも子どもを守るのは、あなたという親だけ。一歩、マンション の外に出れば、そこはすべて、「他人の世界」、「野獣の世界」。 たいていの親は、「うちの子は、外の世界で、しっかりとやっていかれるかしら?」と思う前 に、「やっていけるはずはない」と、それを打ち消してしまう。それはまさに、絶壁に立たされた ような孤独感と言ってもよい。「だれに頼ることもできない」「だれも助けてくれない」という孤独 感。つまり、現代の子育てには、こうした孤独感が、いつもついて回る。またその孤独感と無縁 でいることができない。 だから親たちは、教育に狂奔する。……せざるをえない。こういうギスギスの世界から、抜け 出るためには、それなりのコースに乗り、それなりの地位を得て、それなりの収入を得るしかな い。そうでなければ、社会からはじき飛ばされてしまう。ある母親は、ホームレスの人たちを子 どもに見せながら、こう言ったという。「あなたも、ちゃんと勉強しないと、ああいう人たちになっ てしまうのよ」と。そうした思いは、多かれ少なかれ、ほとんどの親がもっている。そういう閉塞 感が、ますます私や、あなたを孤独にする。 ●追いつめられる母親たち こうした不安と戦うには、いくつかの方法がある。しかし大半の若い母親たちは、その不安が 何であるかも知らず、あるいはその不安にさえ気づかないまま、それに振りまわされている。た とえばここに一人の母親(三五歳)がいる。昨年、長男が、小学校に入学した。が、父親が中 国人ということもあって、長男の言葉の発達が、遅れた。遅れたというより、バイリンガルの子 どもによく見られる現象だが、言葉が混乱した。 たとえば算数の文章題が、その長男には、読みきれない。数字だけをつなげて、トンチンカン な式を作ったりする。もちろん答は、メチャメチャ。そこで私が、「算数の力というよりは、言葉 の問題です」と告げた。「どうして、うちの子は、算数ができないのでしょうか?」という質問を受 けたからだ。 が、その母親は、すかさず、こう言った。「どこか、そういうことを教えてくれる教室はないでし ょうか? 先生のところで、教えていただけませんか?」と。 その母親は懸命だった。またそれ以外に、解決方法が思いつかなかった。しかしここで誤解 してはいけないのは、算数の文章題が読みきれなくて、不安に思っているのは、子どもではな く、母親のほうだということ。そしてその不安を解消するために、「どうしたらいいのか?」と悩ん でいる! そういう母親に向かって、たとえば、「あなたの子どもは、ふつうの子どもです。能力もふつう です。だから、それほど高望みせず、ふつうの生活をめざしなさい」と言うことはできない。本来 なら、そう考えることが、こうした不安と戦うための最善の方法だが、ほとんどの母親にとって は、「ふつう」というのは、それはそのまま敗北を意味する。しかしそう考える母親に対して、だ れが、「あなたはまちがっている」と、言うことができるだろうか。 ●結局は、人生観 結局は、親自身の人生観の問題ということになる。行き着くところは、そこということになる。 しかし大半の、……というより、ほとんどの親たちは、その人生観をもつヒマもなく、子育てを始 めてしまう。それに人生観などというのは、一朝一夕に確立できるものではない。だから若い母 親たちに人生観がないからといって、その母親を責めることはできない。 では、どうするか? どうしたらよいのか? ……と考えたところで、私は袋小路に入ってしま った。 もともと私のこんな意見は、いらぬお節介(せっかい)というもの。だいたいにおいて、若い母 親たちに、「あなたがたは、自分でないものに、振りまわされていますよ」と言ったところで、彼 女たちは、それすら理解できない。あるいは反対に、「だからどうなの?」と言いかえされてしま う。これは子育てそのものにまつわる、宿命のようなもの。どんな親も、自分で失敗してみるま で、失敗と気づくことはない。また自分がどんな子育てをしたかは、子育てが終わって、はじめ てわかるもの。その途中では、絶対にわからない。 だから……。結局は、どうしようもない? 「どうしてうちの子は、算数の問題ができないので しょう?」と聞かれれば、「言葉の問題がありますから」としか、答えようがない。そしてその上 で、たとえば具体的に、「本を筆写させるといいですよ。文章題を声を出して読ませるといいで すよ」というような指導で終わってしまう。親のもつ不安が、とりあえず解決できれば、それでよ い。 今日も、一人の生徒が、私の教室での時間変更を申しでてきた。どこかの進学塾へも通うよ うにになったという。「みなが大手の進学塾に行くというので、うちもそうします。ついては時間を 変えてほしい」と、メールにはあった。きっとその母親も、不安になったのだろう。いや、最近で は、このH市という地方都市でも、子ども自身が不安になるケースも、珍しくない。しかし私がで きることといえば、せいぜい、そういう母親や子どもの意向に従うことでしかない。あとは、その 母親の問題。その子どもの問題。私の問題ではない。 しかしこれだけは言える。親が不安になるのは、親の勝手だが、それを子どもにぶつけては いけないということ。でないと、つまり不安をぶつけられた子どもは、その不安を、つぎの世代 に伝えてしまう。あるいはその子ども自身も、生涯、その不安の虜(とりこ)になってしまう。不幸 か、不幸でないかということになれば、その子どもにとっても、それほど、不幸なことはない。 考えてみれば、現代人は、きわめて不幸な生活をしている。しかし不思議なことに、そうした 不幸を、不幸とさえ自覚していない? たとえば援助交際をしながら、多額の小づかいを稼い でいる女子高校を思い浮かべてみればよい。彼女たちは彼女たちに、ブランド品に身を包み、 おいしいものを食べ、結構、幸福感や、充実感を覚えているのかもしれない。しかし一歩、退い た視点で見れば、彼女たちほど、不幸な高校生はいない。しかし彼女たちに、それが不幸なこ とであることを、どうやって教えればよいのか。いや、その前に、それを教える必要はあるの か。 今、日本全体が、そうしたモヤモヤとした不安のウズの中にある。そしてそういう不安と、みな が、懸命に戦っている。母親たちも、そして教育も、決して例外ではありえない。子育てに狂奔 する母親たちは、その、ほんの一例にすぎない。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(686) 幸福論 見た目には清楚(せいそ)な感じがする女子高校生だった。顔にはマスクがかけられていた が、美人型であることは、わかった。そういう子どもが、「今は、二人のおとなと援助交際してい ます」(テレビ報道)と。「なぜ、そういうことをするの?」とレポーターが聞くと、「楽しいから」「お 金がほしいから」と。決して、貧しい家庭の子どもではない。東京都でも、いわゆるお嬢様学校 と知られている女子高校に通っている。 そういう子どもはそういう子どもなりに、充実感と幸福感を味わっているに違いない。週に一、 二回、交際するだけで、二〇万円近いお金を稼いでいる。身につけている小物にしても、数万 円から数十万円もするような、ブランド品ばかり……。しかし本人の意識とは逆に、不幸と言え ば、これほど不幸な女子高校生はいない。まさに空虚そのもの。その女子高校生は、その空 虚さにさえ、気づいていない? 私はその番組を見ながら、こんなことを考えた。「こういう女子高校生でも、やがて結婚して、 母親になるのかなあ」と。あるいはしばらくすると、「いつかは、自分の愚かさに気づくことがあ るのかなあ」とか、「考えてみれば、若い母親たちも、それほど違わないのでは?」とか、考える ようになった。 もちろんすべての母親が、こうした女子高校生の延長線上にいるというわけではない。大半 の母親たちは、そういう援助交際に代表されるような、ハレンチな世界とは無縁の世界にい る。しかし意識となると、それほど、違わないのではないのか。あるいは濃いか薄いかの違い はあるが、だれしも、その女子高校生と似たような意識をもっているのではないのか。 ……と考えて、それはつまるところ、私の問題であることに気づいた。「援助交際は悪いこと だ」ということはわかっているが、私だって、お金と、機会があれば、遊びの一つとして、それを するかもしれない。女子高校生と援助交際する男が、私より性欲が強いというわけではない。 一方、私のほうが、弱いというわけでもない。ただ違うのは、ほんの少しだけ、理性の力が強い ということになるが、その違いは、わずかなものだ。 が、私が気づいたのは、そのことではない。私が気づいたのは、私自身がもっている充実感 にせよ、幸福感にせよ、その女子高校生が感じているであろう充実感や幸福感と、それほど違 わないのではないかということ。そのことは、二〇代の若い母親、三〇代、四〇代の母親と、 順にみていくと、わかる。母親たちは、年齢を重ねるごとに、「おとな」になっていくが、しかし若 いころもっていたであろう愚かさが、完全に消えるわけではない。中には、四〇代になっても、 五〇代になっても、援助交際をしている女子高校生と、それほど違わないと思われる母親すら いる。 もっとも五〇代の母親ということになると、それは即、私自身ということになる。ただ私が、そ ういう女子高校生と違う点は、私は、そういう私を、少しだけ客観的に見ることができるというこ と。そして、そういう行為から生まれる空虚感を、自分で知っているということ。しかしそれを除 けば、私は、そういう女子高校生と、どこも違わない。いや、どこが違うというのか。 お金は嫌いではないから、いくらあってもかまわない。そしてお金になることなら、何だってす る。違法なことはしないが、しかしスレスレのところまでは、する。そしてそういうお金で買ったも のに満足し、充実感や幸福感を覚える。一方で、虚しいとわかっていても、毎日が、その繰り かえし。その繰りかえしから、どうしても自分を解き放つことができないでいる。 私はその女子高校生のことを考えながら、「私もそうだった」と思うことはあっても、「私は違っ た」とは、どうしても思えない。そして今、自分の過去を振りかえってみて、「今の自分は、あの ころの自分とは違う」とは、とても思えない。思えないから、このエッセーを書いた。ああああ! 「人間の最大の幸福は、日ごと、徳について語りうることなり。魂なき生活は人間に値する生 活にあらず」(プラトン『ソクラテスの弁明』)と説いたのは、ソクラテスだが、今は、その言葉を 信じて、前に進むしかない。 (0303018) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(687) 依存性の確認 ●近くの大型店で見た、一コマ。 近くの大型スーパーに行ったときのこと。若い母親が、子どもの先を、小走りにして、逃げる。 見ると子どもは、三歳くらい。男の子。子どもはその母親を泣きながら、追いかけている。子ど もは、決して泣きまねをしているのではない。本気で泣いている。が、それを見て、母親は、笑 いながら、もっとはっきり言えば、うれしそうな顔をしながら、ジグザグに走っていた……。 こういうのを、「依存性の確認」という。つまりこの母親は、自分の子どもが泣きながら走るの を見ながら、自分の親としての立場を確認している。しかし卑怯(ひきょう)と言えば、これほど 卑怯なやり方は、ない。 だいたい、親と子どもは対等ではない。いわんや相手の子どもは三歳児。そういう子どもに、 親としての優越性を見せつけるというのは、精神的に完成したおとなのすることではない。 ●依存心 日本型の子育ての最大の特徴は、子どもに依存心をもたせることに、あまりにも無頓着であ ること。つまり子どもに依存心をもたせながら、もたせているという意識そのものがない。いろ いろな例がある。 ある青年は、こんな手記を残している。 「私は子どものころ、母に溺愛されました。その溺愛に気づいたのは、高校生くらいのときで す。私は母に猛烈に反発しました。母を殴ったり、蹴ったりしたこともあります。が、やがて母の ほうから、愛情を切ってきたのを知ると、心も落ちつき始めました。それまでは、母の、一方的 な溺愛がうるさくてしかたありませんでした。私が暴れたのは、母の溺愛をやめさせたかったか らです。 それから一〇年近くたったときのこと。ほとんど実家には帰ったことがないのですが、帰って みると、母は、小さな犬を飼っていました。その犬を見ていたときのことです。母がやってきて、 犬に、お菓子を見せびらかし始めました。そして見せびらかしながら、『ホレホレ、お菓子がほ しかったら、ついておいで、ついておいで』と。その母の言葉を聞いたとき、私の記憶のどこか に、同じ言葉が残っているのを知りました。私も子どものころ、そうして母に手なずけられたの を知りました」(佐賀県在住のSE氏より)と。 ●親としての権威 親は、自分の優位性を子どもに押しつけることで、自分の親としての権威を保とうとする。そ の一つの方法が、ここでいう依存性の確認である。いろいろな例がある。 ある女性(六〇歳くらい)は、孫(小学四年生くらい、女児)に電話をかけて、こう言っていた (テレビ番組)。「おばあちゃんの家に、遊びにおいでよ。ほしいものを買ってあげるから、お小 づかいもあげるからア……」と。 また別の女性(やはり六〇歳くらい)は、孫(六歳くらい、男児)を、近くのスーパーに連れてい き、こう言っていた。「おばあちゃんが、チョコを買ってあげたことは、ママとパパには内緒だ よ。でないと、おばあちゃんが叱られるからね。わかったね」と。 こういう言い方は、一見、子どもをかわいがっているように見えるが、その実、子どもの人格 を、まったく無視している。もっといえば、子どもを、より劣位において、自分の優位性を保とう としている。 ●なぜ依存性をつけるか 親がなぜ、子どもの依存性に無頓着になるかといえば、二つの理由がある。一つは、自分自 身も、その親から、同じような子育てを受けているということ。もう一つは、これは日本人全体 の問題と言ってもよいが、日本人全体が、こうした子育てに代表されるように、依存型社会に なっていること。相互依存型社会といってもよい。 よい例に、「だから、なんとかしてくれ言葉」がある。たとえば子どもでも、何か食べ物がほし いときでも、「○○を食べたい」「○○を作ってほしい」とは、言わない。「おなかがすいたア〜 (だから何とかしてくれ)」というような言い方をする。 おとなでも、同じような言い方をする人は、いくらでもいる。私の伯母にも、いつも電話をかけ てきて、それも、今にも死にそうなか弱い声で、こう言った人がいる。「おばちゃんも、歳をとっ たからねエ〜」と。つまり伯母は、そういう言い方をしながら、言外で、「だから何とかしてほし い」と言っていたのだ。 こうした依存性が、家庭の中にも入り、そして親子関係にも入っている。そしてそれが日本独 特の、親子関係をつくっている。 ●依存型子育ての特徴 依存型子育ての特徴として、つぎのようなものがある。 (主体性の無視)子どもの意思を無視する。おけいこ塾でも何でも、親が勝手に決め、またや めるときも、親が勝手に決める。「子どもは親に依存するもの」という意識が強いため、そういう ふうなものの考え方をする。 (独善と誤解)「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは、私のすることに感謝 しているはず」という論理で、動くことが多い。子どもを、自分の子分か、付録のようにしか考え ていない。 (独特のよい子論)このタイプの親は、自分自身も親に依存する一方、子どもに向かっては、そ の依存性を求める。親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子と考え る。そうでない、独立心の旺盛な、親を親とも思わない子どもを、「できそこない」と位置づけ る。 (権威主義)自分自身の親を絶対化する傾向が強い。そしてたいていは、自分自身も、マザコ ン的。そこで、このタイプの親は、そういう依存性を正当化するため、親を必要以上に美化し、 一方で、親孝行を、親子関係の最大の美徳と位置づける。 (支配性)依存型の親は、子どもを自分の支配化において、子どもを、思うように操りたいと考 える。方法としては、命令型、同情型(弱い親であることを演出する)、服従型(子どもにペコペ コする)、それに権威主義型(親の権威を一方的に押しつける)などがある。 ●あなたはだいじょうぶ? 子育ての目標を、どこに置くかによっても、子育てのし方は変わってくる。が、もし子育ての目 標を、「よき家庭人としての自立」に置くとしたら、こうした依存性は、百害あって一利なし。完全 に依存性をなくせということではない。ないが、できるだけ少なくしたほうが、よい。言うまでもな く、依存と自立は、敵対関係にある。依存性が強くなればなるほど、子どもの自立は遅れる。 (0303018)※ +++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※ 子育て随筆byはやし浩司(688) ●あなたの子どもは、よい子? それとも優等生? ……しかし、そのよい子、優等生にも、思わぬ落とし穴がある! +++++++++++++++++++++++++++++ 子どもの反動形成 抑圧された「自分」が長くつづくと、その人は、本来の「自分」とは逆の「自分」を、徹底的に演 ずるようになる。これを心理学の世界では、「反動形成」という。学校の教師を例にとって、考え てみる。 今でも、聖職者意識をもっている教師は多い。そういう教師が、聖職者は、禁欲的でなければ ならないというイメージをもったとする。するとその教師は、そのイメージに従って、徹底的に、 禁欲者であろうとする。自らを、そうしむける。そして結果として、生徒が「セックス」という言葉 を口にしただけで、それを露骨に嫌ったり、そういう会話をたしなめたりするようになる。 子どもでも、幼いときから、「あなたはお兄ちゃんだから……(お姉ちゃんだから……)」と言 われつづけると、本来の自分を押し殺して、別の子どもを演ずるようになることがある。そして 「さすが、お兄ちゃんだね……(お姉ちゃんだね……)」とか、ほめられたりすると、さらに別の 自分を演ずるようになる。もちろん本人には、演じているという意識はない。 もちろんすべての反動形成が悪いわけではない。その反動形成が、よいほうに作用して、そ の人や子どもを伸ばすこともある。たとえば何かの欲求不満をもっていて、その欲求不満を克 服するため、別の自分を演ずることがある。つい先日までヘビースモーカーだった人が、自分 が禁煙したとたん、猛烈な嫌煙家になるなど。そういうことはあるが、しかしどこか不自然にな ることが多い。 たとえばウーマンリブ闘争の闘士のような女性に、Z女史という人がいる。マスコミにもよく顔 を出し、相手の男性に向かって、「それはセクハラだ! 謝れ!」とか、「女性蔑視発言だか ら、取り消せ!」などと言って騒いでいる。一見、女性の代表のような顔をしているが、しかしあ のZ女史ほど、「女」を感じさせない女性はない。動作やものの言い方まで、男性そのもの。お そらく子どものときから、「女の子」に扱ってもらったことがないのだろう。それから生まれる欲 求不満が、Z女史をして、今のZ女史にしたと考えられなくもない(失礼!)。 一方、子どもの世界でも、「ブリッ子」という、よく知られた言葉がある。 勉強もよくできる。スポーツも万能。その上、容姿もきれい。そこで親や先生から、「あなたは すばらしい子」と、言われる。で、このタイプの子どもは、そういう親や教師、さらには周囲の仲 間からの期待に答えようと、ますます拍車をかけて、よい子を演ずるようになる。 まだ小学生なのに、「地球の環境を守るのは大切なことです」「皆が、平和に暮らすことは大 切なことです」「弱い人を助けるのは、私たちすべての義務です」などと、言ったりする。あるい はいじめの現場を目撃したりすると、いじめている子どもに向かって、「そういうことをして、恥 ずかしくないの!」と、まさに優等生ぶって見せる。 しかしこうした反動形成が問題になるのは、その底流に、抑圧された自己欺瞞(ぎまん)があ るということ。はっきり言えば、エセ。それだけではない。本当の自分をどこか別のところに置 き、別の自分を演ずるというのは、それ自体、たいへん疲れることである。その「疲れ」が、あ る一定の範囲内に収まっていれば問題はないが、その限界を超えたとき、この反動形成は、 一挙に崩壊する。 たとえば小学生の間は優等生だったが、中学生になったとたん、集団少年(少女)になるとい うケースは、よくある。J君(中三男子)が、そうだった。 J君は小学六年生のときには、その学校の児童会長までした。夏期合宿のときは、リーダー として、大活躍した。しかし中学へ入ったとたん、そこでプツン。夜な夜な、コンビニの前で、ほ かの仲間とたむろするようになってしまった。やがてタバコを覚え、さらにシンナーまで覚えてし まった。あとはお決まりの外泊と、家出。親は「どうして?」と、深刻な表情で相談にきたが、こう いうケースは、決して珍しくない。 そこで子どものばあい、こんなことに注意したらよい。 子どものばあい、(心の状態)と、(外に現れる表情や様子)が、一致している子どもを、すな おな子どもという。しかし何らかの理由で、それが一致しなくなることがある。ここにあげたブリ ッ子も、その一つ。子どもが、どこかで無理をしているなと感じたら、できるだけ早い時期に、そ ういう無理から解放してあげること。早ければ早いほどよい。いわんや、子どもを、「お兄ちゃん だから……(お姉ちゃんだから……)」と、安易な「ダカラ論」で、追いつめてはいけない。 子どもの世界でこわいのは、仮面と遊離。これについては、また別のところで考えるが、要す るに、子どもは、子どもらしいのが一番。そういう自然さを大切にする。「この子は、よくできた 子だな」と思ったら、まず疑ってかかるのがよい。 (030319) 【追記】 このエッセーを書いていて、私自身も、ここでいう「自己欺瞞」に気づいた。私は考えてみれ ば、自己欺瞞だらけの人間である。今、思い出した話に、こんなのがある。 私は子どものころ、台風が好きだった。台風がやってくると聞いただけで、ワクワクした。しか しそのことを、だれにも話せなかった。子どもながらに、そういう自分はおかしいと思っていた。 で、子どもたちを教えるようになってからも、自分をだましつづけた。とても子どもたちの前 で、「先生は、台風が好きだ」とは言えなかった。しかし、だ。台風が好きなのは、私だけではな いことを知った。 アメリカ人の友人が、ある日、私にこう言った。「ヒロシ、台風がくると、楽しいね。ぼくは台風 がやってくると、ベランダにイスを置いて、ものが飛んでいくのを見ている」と。そのアメリカ人の 家は、高層マンションの八階にあった。 そのアメリカ人の話を聞いて、私は、「ナーンだ、そういうことだったのか」と思った。そしてそ のときから、私は、子どもたちに向かって、正直に、「先生は、台風が好きだよ」と言うことがで きるようになった。 台風がやってくるたびに被害にあう人も多いので、こういった話は、軽々にはできない。しか し「教師」という仕事には、こうした自己欺瞞が、好むと好まざるとにかかわらず、無数にからみ ついてくる。自己欺瞞のかたまりと言ってもよい。しかし、だ。こういう自己欺瞞は、疲れる。本 当に疲れる。自己欺瞞だけならまだしも、反動形成をするうち、自分を見失ってしまうこともあ る。だから私はあるときから、自分をだますことをやめた。ありのままの自分を、できるだけ外 に出すようにした。子どもたちと直接、接しているときは、とくにそうだ。 ……しかし、こうして考えてみると、人間だれしも、ありのまま生きるということは、むずかしい ことだとわかる。みんな、それぞれの立場で、自分をごまかしながら生きている? それが悪い というのではないが、しかしこうしたごまかしは、できるだけ少ないほうがよい。ごまかせばごま かすほど、自分を見失う。時間をムダにする。 +++++++++++++++++++++ 【子どもの反動形成についての補足】 ●自我の分裂 こうした反動形成で、こわいのは、実は、ここに書いたことだけではない。それが度を超すと、 自我そのものが分裂してしまう。優等生を例にあげて考えてみる。 優等生と呼ばれる子どもは、一種独特のものの考え方をしているのがわかる。主体的なフリ をしながら、どこにも主体性がない。 たとえばだれかが、教室のスミで、別のだれかをいじめていたとする。それを見たとき優等生 は、自らの正義感で、そのいじめを止めるのではない。まず頭の中で、模範解答を作り、その 模範解答に従って行動しようとする。「こういうときは、止めなければいけない。また止めるのが 正解」「止めなければ、あとで、先生に自分が責められる」「自分は、そういういじめを止めなけ ればならない義務がある」と。つまり自分の意思ではない、別の自分に動かされて、そうする。 ほかに…… ○先生に意見を求められる。→できるだけ、すばらしい答を出して、みなを感心させてやりた い。 ○何かの役をする。→自分がその役をするのは、当然のこと。みなの期待に答えたい。 ○友だちが困っている。→まず自分が、模範を示すべき。そうすればみなから、尊敬される、 と。 さらにたとえば進学を考えるときも、勉強したいからではなく、優等生として、それにふさわし いコースを自分で想定し、そのコースに自分を当てはめようとする。いつも自分の意思というよ りは、そういう自分を上から見ているもう一人の、別の自分の意思に従って、自分の行動を決 めようとする。「私にふさわしいのは、A大学のA学部。そこへ入れば、親も喜ぶし、先生も納得 するだろう」と。 ●幼児期にできる方向性 こうした方向性は、実は、すでに幼児期にできる。しかもそうした方向性をつくるのは、子ども 自身というよりも、親である。ある子ども(男子高校生)は、こう言った。 「ぼくは、自分の子ども時代を振りかえってみたとき、自分がどこにもいなかったような気がす る。食事にしても、食べたいから食べたのではなく、朝食時間や夕食時間になったから食べた だけ。寝る時間も、そうだ。幼稚園の先生に、きちんとあいさつをすると、先生や親は喜んだ が、ぼく自身は、自分がロボットだと感じたこともある。塾へもいくつか通ったが、親が行けと言 ったから行っただけ。そこでよい成績をとってくると、親は喜んだが、いつか、そうして親を喜ば すのが、ぼくの義務のようになってしまった。また親が喜んでいる間だけ、自分は自分でいるこ とができた。また自分の立場を守ることができた」と。 この子どもも、優等生だった。親も、そう思い、喜んでいた。しかし自分の中に、自分でない自 分をもつことは、たいへん危険なことでもある。度を超すと、そのまま自我が分裂してしまう。そ して自分でない自分に、自分が振り回されてしまう。子どもによっては、ある日突然、自暴自棄 になって暴れたり、反対に、他人との交流ができなくなり、引きこもってしまったりするようにな る。そこまで進むことはないにしても、たいていは、思春期を迎えるころから、自分自身と、自 分の中の自分でない自分との間で、はげしい葛藤(かっとう)を繰りかえすようになる。 そういう意味でも、幼児期において、「いい子」と呼ばれる子どもほど、警戒して観察してみる 必要がある。そこであなたの子どものチェックテスト。ここに書いたようなことで、いくつか思い 当たるような点があれば、あなたの子どもは、かなり無理をしている子どもということになる。 (1)うちの子は、優等生で、よくできた子と思うことが多い。ものの道理をよくわきまえている し、しっかりしている。どこへ出しても、恥ずかしくない。 (2)幼稚園の先生や小学校の先生にも、よくほめられる。いろいろな仕事を与えられ、それを ソツなくこなしているようだ。ほかの父母にもほめられることが多い。 (3)概して、親に従順で、たいていは親の決めた設計図や、スケジュールに従って行動してく れる。今のところ、順調にコースに乗っているようだ。 (4)ときどき、「アレッ!」と思うようなアンバランスなところがあるにはある。一〇〇点をとった 答案用紙の裏に、むごたらしい悪魔の絵を描いたりするなど。 (5)ときどき何を考えているかわからないときがある。喜怒哀楽の感情を押し殺してしまうよう なところがある。親の前でも、静か。親に従順で、あまり反抗しない。 これは補足の補足ということになるが、この話を、ある懇談会でしたら、ひとりの母親がこう言 った。「私が、その優等生でした。今も、その後遺症に苦しんでします」と。そういうケースも、少 なくない。さて、あなたはだいじょうぶか? ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(689) すなおな生き方 ●拾ったサイフ 道路にサイフが落ちていた。中を見ると、一万円札が一〇枚! 暗い夜道だ。まわりには、 だれもいない。民家も、まばら……。 こういうとき、あなたはどうするだろうか? 私は、中学生たち七人に、聞いてみた。「君たち なら、どうするか?」と。予想したとおり、意見はつぎの二つに分かれた。 A君「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」 B君「交番へ届ける」 (一人だけだが、「そのままにしておく」という子どももいた。) A君の意見は、子どもの本音である。本心と言ってもよい。しかしB君の意見は、エセ。そこで 私はB君に聞いてみた。 私「君は、本当にそう思うか。君なら、交番に届けるか?」 B「……届ける」 私「それは君の、本当の気持ちか? 本当にそう思うか? 本当の気持ちを言ってごらん」と。 しばらくするとB君は、はにかみながら、こう言った。「交番へ届けるということになっているけ どオ……」と。 そこでさらに私はB君に、こう聞いた。 私「なぜ、君は、ぼくに交番へ届けると言ったのか?」 B「それが正しいことだと思ったから……」 私「自分で正しいと、思ったのか」 B「それが正しいということになっているから」 私「だれが、そう言ったのか?」 B「学校の先生も、そう言っている……」 私「ちがう。君は、私という先生の喜びそうな意見を、言っただけではないのか。そういうふうに 言えば、私が喜ぶと考えて、そう言っただけではないのか?」 そう、B君は、学校でも、優等生と言われている子どもである。何かにつけて、クラスでは、リ ーダー的な存在である。するとB君は、今度は、こう言った。「しかし、そのお金は、他人のお金 だし……。きっと落した人は困っているかもしれない」と。 私「本当に、そう思っているのか? 落した人は困っていると、君は、本当にそう思っているの か?」 B「困っていると思う。だからやはり、交番へ届けたほうがいい」 私「待て! 君は、お金を落して、困ったことがあるのか?」 B「ぼくは、ない」 私「落したことがない人間が、どうして落して困っている人間の気持ちがわかるのか? それは 君の想像ではないのか?」 B「じゃあ、先生は、そのお金はどうすればいいと思っているの?」 私「それが問題ではない。君は、自分をいい子にみせようと、無理をしている。そこが問題なの だ」 B「どうして?」 私「君は、お金を拾ったら、絶対に、交番には届けない」 B「届ける」 私「どうして、そういうウソをつく!」 B「ウソじゃ、ない」 私「ウソでなければ、ごまかしだ。どうして自分の心を、そうまでごまかす! 本当のことを言 え。本心を言え。さあ、そのサイフをどうする!」と。 このタイプの子どもには、「自分」がない。いつも心のどこかで模範解答を用意し、その解答 にそって、考えたり、行動したりする。それはいわば、保身術のようなものかもしれない。そうす ることによって、よい子を演出する。つまりそうしていれば、親や先生にほめられる。自分の立 場を守ることができる。 一方、「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」と答えたA君は、自分の心をすなおに表現し ている。 私「どうしてサイフは捨てるのか?」 A「サイフがあると、証拠になってしまう」 私「どういう証拠になるのだ」 A「お金だけなら、だれのお金かわからないけど、サイフが残っていると、盗んだのがバレてし まう」 私「一〇万円だぞ。大金だぞ。それはバレないのか」 A「少しずつ使えば、親にバレない」と。 ●疲れる子どもたち 本音と建て前。本当とウソ。正直とごまかし。今の子どもたちは、幼いときから、この二つを使 い分けることを教えられる。その結果、その両方を、うまく使い分けられる子どもほど、「学校」 という社会を、スイスイとうまく生きていかれる。そうでない子どもは、そうでない。 もちろんだからといって、A君のように、拾ったお金を使ってよいというのではない。ないが、A 君のような生き方のほうがわかりやすい。子ども自身も疲れない。心もゆがまない。しかしB君 のような生き方をしていると、それだけで疲れてしまう。その結果、心がゆがむこともある。 自分の内部に潜む誘惑に打ちかち、拾ったお金を交番へ届けるというのは、かなりむずかし いことである。強い精神力と、それを支える道徳性が必要である。そしてその道徳性は、たえ まない反省と思考によって、はぐくまれる。そこらの中学生くらいに、それができるわけがない。 私が「本当のことを言え!」と迫ったとき、もしB君がそれでも、「交番へ届ける!」と言ったら、 私はB君の道徳性を認める。しかしそれとて、私という「他人の目」を感じているから、そう言う にすぎない。 ……と書いて、実は、これは親たちの問題でもある。子育ての問題と言ってもよい。たとえば ある親が自分の子どもに向かって、「学校では、友だちと仲よくするのですよ」と言ったとする。 しかしこの言い方は、「拾ったお金は、交番へ届けるのですよ」という言い方と、どこも違わな い。 が、その親が、子どもがもちかえったテストを見ながら、「何だ、この点数は! あのC君は、 何点だった? もっと勉強しろ!」と言ったとする。これは母親の本音と考えてよい。親は、こう 言っているのだ。「C君は、あなたの敵だ。そのC君を負かせ」と。 かわいそうなのは、そう言われた子どものほうである。一方で、「仲よくしなさい」と言われ、他 方で、「敵と思え」と言われる。拾ったサイフにたとえるなら、一方で、「交番へ届けろ」と言わ れ、他方で、「拾ったお金は自分のものにしろ」と言われるのに似ている。「同じ」とは言わない が、「似ている」。 こうした相反する矛盾の中で、要領のよい子どもは、その二つを、うまく使い分ける。が、そう でない子どもは、そうでない。そして底なしの自己矛盾の世界へと落ちていく……。しかしそれ はきわめて不安定な世界でもある。子どもによっては、その不安定さに耐えかねて、非行に走 ったり、引きこもったり、あるいは家庭内暴力を起こしたりする。そこまで進まなくても、自分の 中で葛藤(かっとう)する子どもは、いくらでもいる。 それはさておき、要領の悪い子どもは、この段階で二つの道に分かれる。徹底して、よい子 ぶるか、それとも居直るか、のどちらかである。冒頭にあげた、B君が、そのよい子ぶっている 子どもということになる。それに対して、A君は居なおっているということになる。 ●本音で生きる 子どもの世界を見ていると、それはそのまま、私たちおとなの問題であることがわかるときが ある。この問題もそうだ。私たちおとなも、昔は、子どもだった。そしてほとんどの人は、その子 ども時代の自分を、みな、そのまま引きずっている。たとえばあなた自身は、どうだったか。さ らには、あなた自身はどうかということになる。 「今」という時点で考えてみよう。今、あなたは本音で生きているだろうか。あなたが妻なら、夫 や子どもに対して、本音で生きているだろうか。それとも、あなたは、ここでいうような「いい子」 ぶってはいないだろうか。 が、これだけは言える。もしあなたが他人との世界の中で、「疲れ」を覚えるようなら、あなた は、いつも心のどこかで自分をごまかして生きていないかを、少しだけ反省してみるとよい。あ なたのそうした気負いは、あなた自身を疲れさせるだけはなく、あなたの夫や、子どもまでも疲 れさせてしまう。要は、ありのままの自分を生きるということ。飾ることはない。気負うことはな い。ごまかすこはない。ありのままでよい。 一〇万円が入ったサイフを拾い、お金がほしいと思えば、そのまま中身を抜いて、サイフだ けを捨てればよい。が、もしそれを「よし」としないのなら、交番へ届ければよい。そしてそのサ イフのことは忘れる。自分にすなおに生きるというのは、そういう意味で、わかりやすい人生を 送ることを意味する。 そうそう、先のB君も、私が「正直に言え」と迫ると、最後にこう言った。「やっぱり、先生、お金 がほしいから、もらってしまうよ」と。私はその意見を聞いて、安心した。B君には、まだ自分を 取り戻す力が残っていた。すなおな気持ちが、残っていた。私は最後に、B君にこう言った。 「自分に無理をしてはいけない。先生は、今でも、サイフを拾うたびに、迷う。しかし今は、そう いうふうに迷う自分がいやだから、何も考えないで、近くに交番があれば、交番に届けるように している。先日は、コンビニの前で拾ったから、コンビニに届けた。よいことをしているとか、悪 いことをしているとか、そんなふうに考える必要もない。要するに気負わないこと。 しかしね、誠実に生きることは、とても気持ちがよいことだよ。ウソだと思ったら、一度、拾っ たお金を交番へ届けてみてごらん。そのあと、ものすごく、気持ちがよくなる。その気持ちのよ さは、お金では買えないよ」と。 (030319) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(690) ボブのこと ボブ君夫婦が、七月に日本に来るという。奥さんのメイと、いっしょに来るという。楽しみだ。 そのメイは、ベトナム人。あの戦争を逃れて、オーストラリアへやってきた。そしてボブと結婚 した。今は、南オーストラリア州のB町で、女医をしている。 考えてみれば、私の留学時代の仲のよかった連中は、みんな、アジア人の女性と結婚してい る。 P君は、日本人のY子さん。D君は、台湾人のLさん。H君は、日本人のU子さん。そしてボブ は、ベトナム人のメイさん。 ボブは、大の鉄道ファン。「狂い」と言ってもよい。数年前は、数キロに渡って、本物の鉄道を 自分たちで復元してしまった。そして古い機関車を修復して、その上を走らせた。今も世界中を まわりながら、列車を見てあるいている。電話で話すと、いつも、「お金はワイフが稼いでくれる から」と笑っている。うらやましい! 息子と娘がいる。二人とも、アデレード大学を卒業した。息子のほうは技術者で、今年婚約し た。娘は、母親と同じように、女医の道を歩んでいる。何度か会ったことがあるが、頭のよい子 どもたちだった。ゲームボーイ(任天堂)をプレゼントしたことがあるが、ものの数分で、使い方 をマスターしてしまった。 しかし正直言って、いまだにボブの英語はよくわからない。南部ナマリというか、日本語でい えば、東北弁のような感じがする。それにスラングが多い。あのあたりまでいくと、「It is OK.」 を、「She will be an apple.」などと言ったりする。「ホント!」というときも、「フェア、ディンカム」な どという。もちろん辞書にも、そんな単語は、載っていない。 しかしそのボブも、歳をとった。丸々と太って、ビヤ樽のようだ。先日も、学生時代の写真を 送ってやったら、自分の写真を見ながら、「これがぼくだって?」と驚いていた。そう、ボブは、 私のオーストラリアの最初の友人だった。私がカレッジに入ったその翌日、昼食のとき、私に 話しかけてきてくれた。以来、三三年! 三三年だ! 私にとっては、友人というより、私の年 輪そのものと言ったほうがよい。あるいは人生、そのもの。 今朝も電話で話すと、オーストラリア人らしく、大声で笑ってばかりいた。陽気な男だ。……し かし、どうしてオーストラリア人というのは、ああまで陽気なのか? ……なれるのか? 国民 性というより、民族性の違いなのか。彼はいわゆるドイツ系オーストラリア人である。いつもビ ールを片手に、飲んで歌っている。そんな感じがする。 それに大の車ファン。今は、トヨタのランドクルーザーを数台、もっている。先日も、「ランクル 4は、左前輪のサスペンションが、右前輪のサスペンションよりかたい。どうしてか調べてくれ」 などと言ってきた。私には、さっぱりわからない質問だった。そこでトヨタの本社に問い合わせ ると、こう教えてくれた。「ランクルは、重心がやや右よりになっている。そこで右サスペンション を、ややかたくしている。多分、あなたの友人のオーストラリア人が使っているサスペンション は、トヨタ純正のサスペンションではなく、シンガポール製のKを使っているのではないか。それ で結果的に、左前輪のサスペンションをかたく感ずるのでは……」と。私は、車のサスペンショ ンのことなど、今まで、考えたこともない。 ボブの話は、つきない。そうそう今朝のメールには、こんなことが書いてあった。 「ジューン(母)は元気です。今も絵を描いている。今では、ぼくでも、アポイントを取らないと 会えないような状態になっている」と。ボブの母親は、あのあたりでは、有名な画家である。三 〇年ほどまえ、絵をもらったことがあるが、そういえば、あの絵は、今、どこにあるのか? 今 度、さがしてみよう。ボブが日本へ来るまでに……。 (030320)※ ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(691) 老後の不安 ●時の流れ ときどき、今まで無事に生きてこられたことを、不思議に思うことがある。そういう意味では、 私はラッキーだった。この三〇年間、いろいろあったが、しかし人生の流れに大きな影響を与 えるような事件は、なかった。家族は、みんな健康だったし、それに、ぜいたくはできなかった が、お金に困るというようなこともなかった。このところ仕事は低調だが、こういう時勢だから、 これはし方ない。何とか仕事がつづけられるというだけでも、感謝しなければ……。 街をひとりで歩く。歩いてY書店に立ち寄り、本を立ち読み。帰りに夕食の弁当を買って、また 街を歩く。三〇年も住んでいると、このあたりのことは、何でもわかるようになる。「あの店がで きてから、もう二〇年になる」「この店ができてから、もう一〇年になる」と。そんなことを知って いたからといって、どうということはないが、しかしときどき、そんなことを考えながら、しみじみと した気分になる。 しかし三〇年間も無事だったというのも、奇跡のようなものかもしれない。その上、私の時代 は、よい時代だった。平和だったし、活気があった。ちょうど私が大学を卒業するころ、日本は 高度成長期に入った。以後、それから二〇年間。一時は、アメリカのGDPを追い抜くところま できた。そういう「流れ」の中で、仕事ができた。家族を支えることができた。 もちろんそうでない、仲間もいた。IM氏は、四〇歳前で食道ガンで倒れた。焼酎(しょうちゅ う)と、タバコを手から離したことがない人だった。「いつかぼくの小説を本にする」と言っていた が、結局、それはできなかった。浜松へ私が来た当時、いつもいっしょにいた人だったから、I M氏が死んだときは、本当につらかった。 それにもともと「世」という漢字は、「十」が三つ重なってできたそうだ。つまり「一世代は三〇 年」という意味が、そこにこめられているという。何となくこじつけぽい感じがしないでもないが、 たしかに三〇年ごとに、一世代ずつ、過ぎていく。三〇年前に少年だった子どもが、今、同じ年 齢の子どもをもっている。 さてこれからの三〇年間、私をとりまく周囲は、大きく変わるだろう。そしてその変わり方は、 今までよりも、もっとはげしくなるだろう。人生を船にたとえるなら、若いときは、スピードを出す から、船は揺れる。しかし歳をとると、船を止めておいても、まわりの波で、船は揺れる。これ からの私は、もっと揺れるようになるかもしれない。心して、これからの人生を歩みたい。 (030321) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(692) 「私」さがし(2) 私には、私の問題がある。たとえば私は、何よりも、「孤独」がこわい。しかしこれは私の精神 的な欠陥(けっかん)によるもの。私は今まで、ずっと孤独だった。今も、孤独だ。その理由は、 自分なりにわかっている。が、そういう欠陥を改めることが、いまだにできないでいる。これから 先、一〇年とか、二〇年がんばっても、その欠陥を乗り越えることはできないだろう。努力はし てみるが、自信はない。私自身の問題点を、整理してみる。 【私は、人を愛することを知らない?】 私は、幼児のときから、親にさえ、愛されていなかった。父に抱かれたことは、ただの一度も ない。母が抱かせなかった。一方、母は、私を溺愛したようだが、それは本来の親の愛とは異 質なものだった。よく母は私を抱いて寝たが、それは私が求めたというより、母は自分がさみし かったから、そうしたのではないか? 母自身も、人を愛することを知らなかったのでは? だ から私は子どものころから、毎日、不安でならなかった。自分の居場所すら、なかった。 【私は、温かい家庭に飢えていた】 私は子どものころから、そんなわけで、いつも温かい家庭に飢えていた。全幅に安心できる 家庭を、いつも求めていた。で、私はそれを、自分の結婚生活に求めた。今のワイフと結婚し て、その温かい家庭を作ろうとした。しかし悲しいかな、私の頭の中には、その設計図すら、な かった。気負いばかりが強く、いつも「こうでなければ」「こうであってはいけない」と、そんなこと ばかり考えていた。 【私は、だれにも心を開くことができない】 私にとっての人間関係は、すべて、打算の上に成りたっていた。どんな人とつきあうときでも、 損得の計算をした。言いかえると、自分にとって損になるような人とは、つきあわなかった。反 対にだれかが心を開いてきても、それをすなおな気持ちで受けいれることができなかった。相 手の裏を見ようとした。下心をさぐろうとした。だから結果的に、私には、友人ができなかった。 程度の問題もあるが、今も、心を割って話せる友人がいない。ひょっとしたら、私は、ワイフに さえ、心を許していないのではと思うことがある。 【私には、私がない?】 私はいつも、自分をごまかして生きてきた。今も、その傾向は強い。他人は、私のことを、「お もしろい人」「楽しい人」という。実際、笑わせ名人だが、しかしそれが本当の私かというと、私 自身は、決してそうは思っていない。私は忠誠心が弱く、いつも他人に迎合してしまう。自分を 前面に出して嫌われるより、自分を隠して、好かれることのほうを優先させてしまう。だから、若 いころ(今でもそうだが)、他人と接していると、それだけで疲れてしまった。 以上、私の欠点を並べてみたが、もちろんよい面(?)もある。 【私は、正義感が強い】 「私はまちがったことが大嫌い」と言えば、かっこよく聞こえるが、実は、これは反動形成によ るものかもしれない。もともとまちがいだらけの人間だから、そういう自分がいやで、その反動 として、正義感が強くなったのかもしれない。事実、ときどき、銀行強盗を計画してみたり、悪の 大王を夢想することがある。悪の大王となって、世界を征服する。また若いころは、ポルノ小説 家になろうと考えたこともある。ヤクザの世界に、あこがれたこともある。 【私は、クソまじめ】 私はたしかにクソまじめなところがある。借金はしたことがない。金銭的に、他人に迷惑をか けたことは、一度もない。支払いも、一週間以上、延ばしたことはない。しかしこうした私の姿勢 は、私自身の道徳性が高いからではなく、他人に頭をさげるのがいやだったからではないか。 他人にものを頼むのがいやだったという、私自身の性格的な閉鎖性によるものかもしれない。 そしてこうしたまじめさも、反動形成によるものかもしれない。本当の私は、ルーズで、小ズル く、そして小心者。失敗を恐れるから、慎重なだけ。同じように、人に裏切られるのがこわいか ら、裏切られないようにしているだけ? 【私は、家族を大切にする】 理由は、簡単。私には、財産と言えるようなものは、家族しかいない。反対に、家族を取った ら、私には何が残る? 名誉や地位、肩書きなどというものには、若いときから興味がなかっ た。それに私は、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。その「家庭」に対する思いは、 人一倍、強い。今、私が家族を大切にするのは、あくまでも結果論にすぎないのでは? 【私は、問題意識が強い】 アメリカへ行ったときのこと。私は、道端(みちばた)の花壇を見ただけで、頭の中でバチバチ と火花が飛び散るのを感じた。形や、植え方、肥料の置き方などまで気になった。もちろんどん な花が咲いているのかも、気になった。こうした問題意識は、それがある人にとっては、当たり 前のことかもしれない。そういう意味では、私は自分に、そういう特徴があると意識したことはな い。そういう意識というのは、それがない人とくらべてはじめて、「ある」ということがわかる。私 のばあい、問題意識がない人を見ると、「どうして?」と思うことが多い。 【ものの考え方が、論理的】 私は子どもころから、理詰めでものを考えるクセがある。どうしてそうなったかは知らないが、 ともかくも、そうなった。伯父がそのころの私を思い出して、こう言ったことがある。「浩司は、子 どものころ、『どうして?』『なぜ?』と、うるさくてし方なかった」と。逆に私のばあい、非論理的な ことを言われると、頭の中がショートしてしまう。よい例が、占いとかおまじないの類(たぐい)。 信ずるとか信じないとかいうレベルの問題ではない。体が受けつけない。 ●自分への挑戦 孤独と戦うためには、こうした私の欠陥を克服しなければならない。しかしそれは簡単なこと ではない。こうした欠陥は、原罪的なもので、私の体質の中に、しっかりとしみこんでいる。私 自身と言ってもよい。 そこで私は、まず、自分の分析をしてみた。ここに書いたのが、その一部ということになる。 が、ここで別の問題にぶつかる。ここに書いた「私」は、あくまでも、今の私が気づいた私に過 ぎないということ。もっと自分を掘りさげれば、さらに別の私が出てくるかもしれない。その可能 性がある以上、今、わかっている「私」をもとに、結論を出すことはできない。 つぎに、仮に私がわかったとしても、「私」は、脳のCPUの部分の問題だから、それで、脳の CPUの問題が解決することにはならないということ。たとえば難解な数学の問題が解けたから といって、私自身は変わらない。同じように、私がわかったとしても、私がもつ問題が解決する ということにはならない。たとえばある人が、「私は冷たい人間だ」ということがわかったとして も、そのときから、その人が心の温かい人になるということは、ありえない。 しかし私は、今、こうして懸命に自分さがしをして、自分の中に潜む、原罪的な欠陥と戦って いる。何もしないよりは、ましというだけかもしれないが、しかし一方で、何もしないわけにはい かない。そして、だ……。 私がもっているような問題は、形は違うかもしれないが、みな、もっている。問題のない人な ど、いない。この種の問題は、そういう問題があることではなく、そういう問題があることに気づ かず、その問題に振りまわされることである。しかしそういう問題があるということに気づけば、 その問題を解決することはできないにしても、その問題を、意識的に回避することはできる。そ ういう意味で、つまり今、こうした原罪的な問題をかかえて悩んだり、苦しんだりしている人に は、私のものの考え方は、参考になるのでは。私のばあい、何としても、自分の中の孤独感 を、解決したい。それが私の精神的欠陥によるものだとするなら、なおさらだ。そういう願いを こめて、このエッセーを書いてみた。 (030321) 【追記】 「私は私」「私のことは、私が一番よく知っている」と思っているあなたも、一度、自分を疑って みてほしい。どこからどこまでは、「本当の私」であり、どこから先が、「作られた私」であるか、 と。 ほとんどの人は、「私」でない私にあやつられながら、それが「私」だと思いこんでいる。このこ とは、幼児を観察していると、わかる。たとえばわかりやすい例では、分離不安の子どもがい る。母親の姿が見えなくなっただけで、大声で泣き叫んで、あとを追いかけたりする。そういう 子どもとて、そういう行動をとりながら、「私は私」と思いこんでいるに違いない。つまり私たちお となも、程度や形こそ違え、同じようなことを、日常的にしているのではないかということ。そう 疑ってみることは、結局は、自分を発見する第一歩ということになる。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(693) 雑談 アメリカとイラクの戦争について考えているとき、ふと、こんなことを思いついた。距離感など というものは、実にいいかげんなものだということ。たとえばこの浜松市に住んでいると、静岡 市がずいぶんと遠くに感ずる。直線距離にすれば、約六八キロ。新幹線のこだまで、約三〇 分。 しかしアメリカやオーストラリアなどでは、六八キロなど、何でもない。ほんの隣町。「六八キロ を遠い」などと言おうものなら、笑われてしまう。 で、改めて、イラクの地図を見る。クウェートに駐留していたアメリカ軍が、イラクの首都バグ ダットに向かって進軍し始めたという(三月二一日)。そこで調べてみると、クウェートの首都、 クウェートから、バクダットまでは、東京から青森までの距離とほぼ同じくらいということがわか った。「東京から青森」と聞くと、ずいぶんと遠い距離に私たちは感ずるが、多分、アメリカ人に は、そうではない。東京から青森までといっても、フロリダ半島の長さ。彼らにしてみれば、伊豆 半島を制圧するような感覚ではないか。 で、なぜ私がこんなことを書くかといえば、こうした距離感というのは、その人が住む世界の 広さに反比例して、小さくなるものだということ。たとえば私は子どものころ、郷里のM市から、 たった八キロしから離れていなかったS市を、遠くに感じたものだった。しかしそのあと、世界中 をとび回ってみるようになると、八キロなど、同じ町内のようなものだと感ずるようになった。今 では日本全体が、小さな島に感ずることもある。(実際、そうだが……。)こんなことがあった。 オーストラリアの友人が、ある日、私に、こう聞いた。「君は、どの島から来たのか?」と。私 はムッとして、「本州(メイン・コンティネント)だ」と答えると、まわりにいたものたちまでが、どっ と笑った。私が冗談を言ったと思ったらしい。メイン・コンティネントというと、アジア大陸とか、ヨ ーロッパ大陸とかいうような、「大陸」を意味する。私が二二歳のときのことだった。 だからといって、日本がちっぽけな国というのではない。ただここで注意しなければならないこ とが二つあるということ。ひとつは、その「小ささ」を自覚した上で、日本の未来を考えねばなら ないということ。もう一つは、安っぽい民族主義をかかげ、傲慢(ごうまん)になってはいけない ということ。先日も、「林君、君には、大和民族としての誇りはないのかね? 日本人には、日 本人としてのアイデンティティが必要だ。どうして君には、それがわからないのか?」と、私を攻 撃してきた人(五〇歳くらい、高校教師)がいた。 しかしこうした感覚も、ここでいう距離感が変わってくると、変わってくる。江戸時代には、薩摩 (さつま)とか、長州(ちょうしゅう)などと言った。互いに争って、戦争までした。しかし今どき、九 州人とか四国人とか言う人はいない。「県」を意識するとしたら、高校野球くらいなものだ。それ 以外、私のばあい、「私は岐阜県人である」とか、「静岡県人である」とかいうことを、意識した ことは、この三〇年間、ほとんど、ない。 むしろ私たちに求められているのは、「韓国人も、中国人も、そしてすべての人間は、同じ仲間 である」という、コスモポリタン(世界主義)的な感覚ではないのか。安っぽい民族主義は、こう した世界の流れというか、人類が究極的にめざす世界に対して、マイナスになることはあって も、プラスになることは、何もない。むしろこうした民族主義は、危険なものですら、ある。ときと して、民族主義は、愛国主義者に利用されやすい。戦争の引き金となりやすい。あのバーナー ドショーも、こう書いている。「人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこないだろう」 (語録)と。 以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を、書いた。 ++++++++++++++++++++ 処刑になったタン君 ●日本人にまちがえられたタン君 私の一番仲のよかった友人に、タン君というのがいた。マレーシアン中国人で、経済学部に 籍をおいていた。最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を 聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。そのタン君。ある日私にこう 言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本 語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。 そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。 「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、 マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にま ちがえられると、もっと怒る。タン君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。 街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、タン君は、地面を足で蹴 飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。 そのタン君には一人のガールフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとし なかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。 が、やがて卒業式が近づいてきた。タン君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ ディグリー)を取得していた。そのタン君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。 「ヒロシ、ぼくのジェニーは……」と。喉の奥から絞り出すような声だった。「ジェニーは四二歳 だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。そう言い終わったとき、彼は 緊張のあまり、手をブルブルと震わした。 ●赤軍に、そして処刑 そのタン君と私は、たまたま東大から来ていたT教授の部屋で、よく徹夜した。教授の部屋は 広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。T教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をも らってメルボルン大学へ来ていた。教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になら れたが、タン君がマレーシアで処刑されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員も していた。 この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでタン君が生きているとしたら、それはそ れですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、タン君は、マレー シアで、一九八〇年ごろ処刑されている。タン君は大学を卒業すると同時に、ジェニーとクアラ ルンプールへ駆け落ちし、そこで兄を手伝ってビジネスを始めた。しばらくは音信があったが、 あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語 そのものが通じなかった。 で、これから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。その後、タン君は、マレーシアでは 非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして処刑されてしまった。遺骨は今、兄 の手でシンガポールの墓地に埋葬されているという。T教授にその話をすると、教授は、「私な ら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかんにくやしがっておられた。そうそう私は 彼にで会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア人だ」と言うよう になった。その心は今も私の心の中で生きている。 +++++++++++++++++++++ それぞれの人は、それぞれの距離感をもっている。その距離感は、大きければ大きいほどよ い。私はときどき、こんなことを想像する。いつか、人類がかぎりなく宇宙へ飛び出したときのこ とだが、やがて、宇宙対抗のオリンピックのようなものがなされるのではないかということ。「地 球人対火星人」「火星人対木星人」と。「金メダルは、土星人、五〇個、冥王星人、四五個… …」と。想像するだけでワクワクするような未来だが、決してそれはありえないことではない。 距離感の話から、とんでもない話にまで脱線してしまったが、これはあくまでも雑談。あまり意 味のない雑談。しかし平和論と、ここでいう距離感とは、それほど関係ないとも言えないのでは ないか。距離感を大きくもてばもつほど、平和についての考え方も、変わってくる……? あの ジョンレノン※も、そう言っている。それを信じつつ、この雑談は、ここまで……。 (030322) +++++++++++++++ ※かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。 ♪「天国はない。国はない。宗教はない。 貪欲さや飢えもない。殺しあうことも 死ぬこともない…… そんな世界を想像してみよう……」と。 少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。 皇族だの、貴族だの、士族だのと言っていた。 しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。 それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような 世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、 必ず、やってくるだろう。 みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。 あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。 大切なことは、その目標に向かって進むこと。 決して後退しないこと。 ただひたすら、その目標に向かって進むこと。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(694) 金XXさん、もう、およしなさい! 北朝鮮の軍事情報を集めれば集めるほど、あまりのお粗末さに、驚くばかり。たとえば…… 【再処理施設の再稼動】 ブッシュ政権の高官は、つぎのように述べている。「北朝鮮は、核施設の再稼動を、一週間 七日、二四時間の作業を行っているが、放射科学実験室などの施設の老朽化が著しく、難行 しているもよう」(朝鮮日報)と。 要するに、古くて使いものにならないということらしい。またクリントン政権時代に、分析担当 官を務めたロバート・アバレッズ氏も、つぎのように述べている。「再処理施設を本格的に稼動 させる前に、一度実験稼動を行わねばならない。その際、その作業は、遠隔操作で行わねば ならないが、北朝鮮にはその施設はない。だから北朝鮮では、人が直接、手で操作することに なる。そのため事故が起きるのは当然」(朝鮮日報)と。 つまり金XXは、核開発にやっきになっているが、どうもうまく進んでいないらしいということ。あ あいう男だから、さぞかしカッカしていることだろう。この一か月以上、公式の場に姿を見せて いないというが、多分、こういう失敗が重なっているためではないかと考えられる。 【ミサイル実験】 三月までに二回の巡航ミサイル実験をしたが、すべて失敗したらしい。発射前に暴発したり、 途中で落ちたり。やっと届いたミサイルも、標的を一五〇メートルもはずれたとか。もともとベー スとなった、中国製のシルクワームというミサイルは、博物館にあってもおかしくないミサイルだ そうだ。そういうミサイルで、このザマだから、あとは推してはかるべし。 【軍備】 私もあちこちから軍事雑誌を買って、一応、調べたが、あまりにもお粗末で、あきれてしまっ た。「戦闘機はどれも、旧式なものばかり。最新鋭のミグ29にしても、飛べるのは、二機しなか ない」とか、「ミゼット級潜水艦にしても、潜水能力は、せいぜい、七〜八メートル」とか、など。 戦艦にしても、旧ソ連から譲渡された船ばかり。整備状態も悪く、写真で見ても、サビだらけ? 笑ってはいけないのだろうが、笑ってしまう。 金XXさん、もうバカげた先軍政治など、おやめなさい。これから春にかけて、九八年当時に 匹敵するほどの食糧危機がやってくるとか。すでにその兆候が見られているという。ユニセフ のメア・カン担当官(東アジア担当)は、つぎのように述べている。「国際社会に一二〇〇万ドル の緊急援助支援を要請したが、現在(三月)のところ、五〇万ドル分しか集まっていない。現 在、一五〇万人の女性と子どもが、援助を必要としており、栄養失調の子どもが、七歳以下だ けでも、七万人もいる。また三分の一の母親の栄養状態がよくなく、貧血の状態にある」と。 この状態は、これから春にかけてさらにひどくなり、九八年当時のように、餓死者が続出する だろうと言われている。今の今でさえ、二五万トンの食料が不足しているという(ユニセフ)。地 方では、昨年九〜一〇月から、食料の配給は、全面停止され、ピョンヤンでも、一か月につ き、一五日分の食料配給がやっとという状態。ビョンソン科学院の博士でさえ、トウモロコシが 二〇日分しか配給されていないという(朝鮮日報)。 こういう状態で、金XXさん、日本はともかくも、アメリカと、どうやって戦争するつもりなのか。 仮に沖縄の米軍基地にミサイルを一発打ちこめば、北朝鮮全土は、その翌日には、石器時代 に逆戻りすることになるという。もちろんあなたの命も、その日のうちに消える。今のイラクを見 ればわかるように、北朝鮮の人たちが、「将軍様、バンザーイ」と血相を変えて叫ぶのは、あな たが尊敬されているからでない。こわいから、そうしているだけ。金XXさん、多分あなたも、そ れをもう、薄々感じているはず。 だから私は、あえてこう言う。「金XXさん、もうバカな政治は、おやめなさい」と。東アジアの人 たちにとってはもちろんのこと、北朝鮮の人たちにとっても、もっともよい方法は、金XXさん、あ なた自身が失脚すること。みぐるしい悪あがきはもうやめて、ほんの少しだけ、世界というカガ ミに、自分の姿をうつして見ること。そうすれば、あなたも、少しは自分の醜悪な姿に、気がつく はず。 (030322) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(695) ■■はじめての登園■■ 幼稚園、保育園、ご入園、おめでとうございます。 はじめての登園での注意事項をいくつか、考えてみます。はじめて何かのおけいこ塾や幼児教 室へ子どもを連れていくときにも応用できますので、ぜひ参考にしてみてください。 【対人恐怖症に注意】 子どもの恐怖症に注意してください。以前、高所恐怖症、閉所恐怖症などになった子どもほ ど、注意します。思考プロセスが脳の中にできているため、ちょっとしたことから、対人恐怖症 になることがあります。集団に対して一度、恐怖心をもつと、それがこの先、ずっとベースにな ってしまいます。それが原因で、集団生活が苦手になったり、「内弁慶、外幽霊」になる子ども も、珍しくありません(※1)。 とくに今まで、あまり多人数の中でもまれることがなかった子どもほど、注意します。親子だけ の狭い世界で、マンツーマンの生活をしてきた子どもなど。集団に対して免疫性ががない分だ け、恐怖心をもちやすいと言えます。 【前向きの働きかけ(ストローク)を大切に】 あなたの子どもに過敏傾向や神経質な面があるなら、子どもに恐怖感をもたせないように注 意してください。幼稚園や保育園は、楽しいところという印象づくりをします。前もって一度、子 どもと園を訪れてみるのもよいでしょう。そして「すてきなところね」「お友だちがいっぱいできる よ」「先生は、みんなやさしい人よ」と、前向きの暗示を与えておきます。「幼稚園の先生はこわ い」「服を着られないと、先生にたたかれる」式の脅しは、タブーです。 この時期は、「はじめの一歩」を大切にします。はじめの印象が、大切だということです。そこ でもし、あなたのお子さんに、つぎのような症状が見られたら、「無理をしない」を大前提に、お 子さんの心を大切にしてあげてください(※2)。 また子どもが園へ通うようになったら、家族で前向きの働きかけ(ストローク)を子どもに与え るようにします。「幼稚園へ通うようになって、あなたはますますいい子になったわ」「幼稚園の 先生がほめていたわ」など。「絵がじょうずになった」「歌がうまくなった」と、そのつどほめるの も効果的。この時期、子どもは、やや自信過剰ぎみなほうが、あとあとよく伸びます。欠点を補 おうと考えるのではなく、得意分野をさらに伸ばすのが、子どもを伸ばすコツ。 【子どもの様子を観察してください】 集団を見たとき、体をこわばらせる。親のうしろに隠れる。どこかおびえたような様子や警戒 したような様子を見せる。緊張する。 この時期、集団や新しい環境に、ある程度、警戒する様子を見せることは、悪いことではあり ません。むしろはじめから、傍若無人に平気で振る舞う子どものほうが、どちらかというと心配 な子どもとみます。多動性のある子どもや、知恵の発達が遅れ気味の子どもほど、警戒心が なく、平気で、ワーワーと騒いだりします。 「ここはどこだろう?」「みんなはどんな子どもだろう?」「何をするのだろう?」というような様 子で、周囲を観察する様子を見せたら、その一つずつに、ていねいに答えてあげてください。 頭ごなしに、「グズグズしないで」「うるさいわね」式に言うのは避けます。 こうした最初の対処が悪いと、子どもによっては、集団に対して恐怖感を覚えます。園での生 活になれるについて、少しずつ症状は収まっていきますが、しかしそのままその子どもの生活 態度として定着してしまうこともあります。ですから、無理をしないことです。 【分離不安の注意】 その中でも、とくに注意したのが、分離不安です(※3)。母親の姿が見えなくなっただけで、 狂乱状態になって泣き叫んだりします。分離不安の原因は、「捨てられるのでは?」という妄想 です。はじめての登園が引き金になることは、よくあることです。 子どもがこうした症状を見せたら、(見せる前に適切に対処しなければなりませんが)、無理 をしないこと。先生によっては、親を遠ざけ、「集団になれさせます」「やがてなれます」「私たち に任せてください」などと言って、強引に親子を分離させる人もいますが、これはたいへん危険 な行為です。しばらくすると、見た目の症状は消えますが、それでなおったわけではありませ ん。「潜った」とみます。無理をすれば、あとあと、かえっていろいろな情緒不安症状を引き起こ す原因となりますから、注意してください。 もしあなたの子どもが、はじめての登園で、分離不安の症状を見せたら、遠慮せず、お子さ んのそばについてあげてください。そして「何でもないのよ」「ママも、びっくりしているのよ」とい うような言い方をして、子どもの心をなぐさめるようにします。「わがままを言わないで!」「ひと りでいなさい!」式に、子どもを叱ってはいけません。心の問題は、突き放せば突き放すほど、 症状がこじれます。 【情緒障害の引き金にも……】 また子どもにとっては、はじめての集団生活は、かなりショッキングなできごとと理解してあげ てください。かん黙症や自閉症、自閉傾向なども、はじめての集団生活が原因で起こることも あります。 もしあなたのお子さんが、どこか手こずるような様子を見せたら、とにかく無理をしないことで す。たいていの親は、「保育園や幼稚園は、行かねばならないところ」と考え、行けない子ども を、問題児扱いします。しかしこれはまったくの偏見です。 また一日が終われば、いつもより気を楽にさせることを考えてあげます。子どもよっては、数 日目くらいから、顔色が悪くなったり、吐く息が臭くなったりします。そういうときはさらにスキン シップを濃厚にして、子どもの心を休めることだけを考えます(※4)。 【適当に行けばよい】 オーストラリアなどでは、最初は、週三日程度の通園ですましている幼稚園もあります。私の 経験でも、四年保育までは必要ないと思います。私が幼児教育の世界に入ったときは、二年 保育が主流でした。一年保育という子どもも珍しくありませんでした。それが三年保育になり、 四年保育になったのは、率直に言えば、園の経営方針が変わったためです。少子化で生徒が 少なくなるたびに、園は、保育の年数をふやしていったという経緯があります。 つまり最初は、「行きたいときに行けばよい」という大らかさを大切にしてください。園の先生 によっては、「集団になじめなくなります」「遅れます」「休みグセがつきます」などと、親を脅しま すが、これなどは、まったく根拠のないデマです。あまり気にしないように! とくに母親自身 が、学歴信仰、学校神話にこりかたまっている人ほど、注意してください。「保育園や幼稚園は 行かねばならないところ」「行けないのは、落ちこぼれ」という、まちがった先入観があれば、そ れを捨てます。 「気が向いたら行こうね」で、よいのです。そういう姿勢を大切にします。 【家では、息を抜かせる】 子どもが園へ通うようになったら、家でのしつけを、大幅にゆるめます。子どもによっては、神 経疲れを起こし、ピリピリしたり、ぐずったりします。コツは、親の視線を感じさせないほどまで に、好き勝手なことをさせることです。あれこれ気をつかうのは、逆効果です。園から帰ってき て、家の中でゴロゴロしているようなら、そのままにさせておきます。 それでも様子がおかしくなったら、先にも書いたように、スキンシップを多くし、CA、MGの多 い食生活にこころがけます。あとは睡眠時間を、それまでより多くします。とくに寝る前の一時 間は、子どもの脳を刺激しないようにします。はげしい動きのあるテレビやゲームは、避けま す。もし就寝時刻が乱れるようでしたら、ベッドタイムゲームを大切にします。 【うちの子は、うちの子……】 よその子と、何かにつけて比較しやすくなります。比較が悪いわけではありませんが、一度ク セになると、そういう目でしか自分の子どもを見なくなります。そしていつの間にか、自分の子ど もを見失ってしまいます。 いつも、「うちの子は、うちの子……」という視点を大切にしてください。要するに人のことは気 にしない。マイペースで、ということです。そして親とのつきあいは、如水淡交が原則(※5)。中 に、(私の経験では、一〇人に一人くらいの割合で)、たいへん気むずかしい母親がいますの で、注してください。こういうタイプの母親にからまれると、これからの園での生活に、あれこれ 問題が起きてきます。コツは、そういう母親とのつきあいは、園での活動の範囲に収め、プライ ベートなつきあいはしないことです。 【終わりに……】 子育てには不安はつきもの。しかしその不安の大半は、親自身が、自らつくるものです。わ かりやすく言えば、不安だと思うから不安なのであって、そうでなければ、そうでないということ です。もし子育てで不安に思ったり、迷ったりしたら、子育ての原点に立ち返ってみてください (※6)。 あとは子ども自身が伸びる力を信じて、子どもの肩をたたいてあげます。この時期、どうして も親は神経質になります。それはし方ないことですが、しかし、それも度を超すと、育児ノイロー ゼになったりします。あるいはかえって子どもの伸びる力をつぶしてしまうこともあります。もし 何か、心配なことがあれば、一、二歳年上の子どもをもつ親に相談してみるとよいです。ほとん どの問題は、それで解決します(※7)。 ++++++++++++++++++++++++はやし浩司 【参考】 ここに書いたことの中で、参考になりそうな記事を、今までに書いた原稿の中から、選んで集 めてみました。どうか参考にしてください。 (無断で転載、引用などはしないでください。よろしくお願いします。) ++++++++++++++++++++++++はやし浩司 @子どもの神経症 神経症は親を疑う 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、ま さに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの 三つに分けて考える。 @精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状 (周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩 む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反 対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。 A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、 頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発 熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと らえて警戒する。 B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面 に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無 関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出 歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。 こうした神経症が表れると、親は園や学校、さらには友人関係を疑うが、まず疑うべきは、家 庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われた というのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、 チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に 今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。 なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。子どもというのは、仮に園や学校でつ らい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは成長するが)、家庭の中でキズついた 心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこない。 神経症が子どもに現れたらら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家庭 環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりと できる時間と場所を大切にする。 +++++++++++++++++++++++はやし浩司 A子どもの神経疲れ 子どもの疲れは、神経疲れ 子どもが「疲れた」と言うときは、神経疲れ(精神疲労)を疑う。この段階で、吐く息が臭くなっ たり、顔色が悪くなったりする、腹痛や頭痛を訴えることもある。一方、子どもというのは、体力 や知力を使って疲れるということは、まずない。そういうときは、「眠い」という。あるいは本当に 眠ってしまう。 その神経疲れだが、子どもは、この神経疲れにたいへんもろい。それこそ五〜一〇分だけで も神経をつかっただけで、子どもによっては、ヘトヘトに疲れてしまう。とくに敏感児タイプの子 ども、つまり俗にいう神経質な子どもは、神経疲れを起こしやすい。このタイプの子どもは、い つも心が緊張状態にあることが知られている。その緊張した状態のところに不安が入ると、そ の不安を解消しようと一挙に緊張感が高まる。このとき、その緊張感を外へ吐き出すタイプ(暴 れる、大声を出す、泣く)と、内へこめるタイプ(ぐずる、引きこもる、がまんする、よい子ぶる) に分かれる。前者をプラス型というのなら、後者はマイナス型ということになる。教える側からす れば、一見プラス型のほうがあつかいにくくみえるが、実際にはマイナス型のほうが、はるかに むずかしい。 どちらのタイプであるにせよ、子どもが神経疲れを起こしたら、子どもの側からみて、だれの視 線も感じないような環境を用意する。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子ども がひとりで、ぼんやりできるようにする。生活習慣が乱れても、目をつぶり、子どもがしたいよう にさせる。子どもが求めるようであれば、温かいスキンシップをじゅうぶん与え、あとはカルシウ ム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。 こうした神経疲れが慢性化すると、子どもは神経症(チック、どもり、夜尿、夜驚、夢中遊行な ど)、さらには恐怖症(対人恐怖症、集団恐怖症など)や、情緒不安定症状を示すようになり、 それが高じて精神障害(摂食障害、回避性障害、行動障害など)になることがある。もちろん不 登校の原因になることもあるので注意する。 ++++++++++++++++++++++はやし浩司 B分離不安 女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラムニスト のものだが、いわく、「うちの娘(三歳)を初めて幼稚園へ連れて行った時のこと。娘は激しく泣 きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆(きずな)の深さに感動した」と。 そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、感動したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがっ て泣く子どもの姿」ではない。 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を 上げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立 恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四−六歳児についていうなら、 十五〜二十人に一人ぐらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静 かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声を張り上げ て、その後を追いかけたりする。 原因は……、というより、分離不安の子どもを見ていくと、必ずといってよいほど、そのきっか けとなった事件が、過去にあるのが分かる。激しい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で 入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒 否、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、 「捨てられるのでは…」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると分かりやすい。無意識 下で起こる現象であるため、叱(しか)ったりしても意味がない。 表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もい るが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱 状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がな おるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分 離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れる。 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場で優しく丁寧に説得を繰 り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察す ると、たいてい親の方が短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのが分か る。「いい加減にしなさい!」「私はもう行きますからね」と。こういう親子のリズムの乱れが、症 状を悪化させる。子どもはますます被害妄想を持つようになる。分離不安を神経症の一つに分 類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が 予定より遅くなっただけで、言いようのない不安に襲われます」と。姿や形を変えて、大人にな ってからも症状が表れることがある。 +++++++++++++++++++はやし浩司 C睡眠不足 「では今夜から早く寝させます」・睡眠不足の子ども 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャ ーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなって しまう。顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を 与えるかということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効 果は著しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時 間一五分。年長児で一〇時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度で も夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てら れていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つ まりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患 が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が原因で睡眠不足になったケースもある。で、 睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そんな 簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体内時 計が、そうなっているからである。そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生 活習慣というのは、そういうもので、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰り返すという習性がある。これを欧米で は、「ベッド・タイム・ゲーム」と呼んで、たいへん大切にしている。子どもはこの時間を通して、 「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を整える。このしつけが悪い と、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足になることがある。まずいのは 子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なことが日常化 すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するようになる。ひど いばあいには、情緒が不安定になることもある。毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずっ たりする、というのであれば、このベッドタイムゲームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教 訓。 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を 読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。コツは、同じようなことを毎晩繰り返すようにす ること。次にぬいぐるみを置いてあげるなど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興 奮させないことも大切だ。年少であればあるほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば 夕食後は、テレビやゲームは避ける。なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼 寝グセの残っている子どもは、その時刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満 五歳を過ぎても昼寝グセが残っているようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法 で対処する。 +++++++++++++++++++++はやし浩司 D親とのつきあい 負けるが勝ち この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子 どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教 育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人はい る。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうま ともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が 先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか 言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも 頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集 まる。しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから… …」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あな たのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういっ た苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝 ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。(は ++++++++++++++++++はやし浩司 E生きる源流に視点を ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、 またしかり。 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が 助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、 「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解 決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校 を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女 房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切 ることができた。 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子 育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして いる……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価 値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す る。 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか ら愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、 「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばら しい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を 越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。 が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授 業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受 けるたびに、私は頭をかかえてしまう。 ++++++++++++++++++++はやし浩司 Fトラブルは親に聞く 子どものことでトラブルが起きたら、一に静観、ニに静観、三、四がなくて、五に親に相談。少 子化の流れの中で、親たちは子育てにますます神経質になる傾向をみせている。そうである からこそなおさら、「静観」。子どもにキズがつくことを恐れてはいけない。子どもというのはキズ だらけになって成長する。で、ここでいう「親」というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親をい う。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というような 会話で、ほとんどの問題は解決する。 話が少しそれるが、私は少し前、ノートパソコンを通信販売で買った。が、そのパソコンには 一本のスリキズがついていた。最初私はそのキズが気になってしかたなかった。子どももそう だ。子どもが小さいうちというのは、ささいなキズでも気になってしかたないもの。こんなことを 相談してきた母親がいた。何でもその幼稚園に外人の講師がやってきて、英会話を教えること になったという。それについて、「先生はアイルランド人です。ヘンなアクセントが身につくので はないかと心配です」と。子育てに関心をもつことは大切なことだが、それが度を超すと、親は そんなことまで心配するようになる。 さらに話がそれるが、子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑 う。症状としては、つぎのようなものがある。 @生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、 A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低 下)、 B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日 常活動への興味の喪失)、 C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、 D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、 Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、 Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、 G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな る(感情障害)、 H他人との接触を嫌う(回避性障害)、 I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。 Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見られ たら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが 間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。 要するに風とおしをよくするということ。そのためにも、同年齢もしくはやや年齢が上の子ども をもつ親と情報交換をするとよい。とくに長男、長女は親も神経質になりやすいので、そうす る。……そうそう、そう言えば、今では私のパソコンもキズだらけ。しかし使い勝手はずっとよく なった。そういうパソコンを使いながら、「子どもも同じ」と、今、つくづくとそう思っている。 (030322) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(696) 私の中の二重人格性 私だけなのか、それとも、どの人にもそのような傾向があるのかは知らないが、私はときど き、どちらの自分が本当の自分なのかわからないときがある。 一人の自分は、タフで、独立心が旺盛で、こわいもの知らず。正義感が強く、がんこ。一方の 自分は、気が小さく、依存心が強く、おくびょう。優柔不断で、いいかげん。そのときどきにおい て、自分という人間が、変化する。そして一方の自分から他方の自分を見ると、「どうしてあん なことで悩んだのだろう」とか、反対に「結構、自分も無茶したな」などと、思ったりする。 ほかにもいろいろある。私は昔から笑わせ名人で、人を笑わせるのがうまい。相手の心に取 り入るのがうまい。しかしそれは本当の私ではない。自分でも、無理をしているのが、よくわか る。だからそういう自分を演じたときというのは、そのあと、ものすごく疲労感を覚える。 で、改めて考えてみる。「本当の私は何か?」と。 私は子どものときから、いつも不安でならなかった。家庭環境に原因があったのか、それとも 社会のしくみに原因があったのかはわからないが、ともかくも不安だった。とくに学生時代は、 先の見えない不安に、いつもおびえていた。よく覚えているのは、高校生のとき、教室で、補習 授業を受けているときのこと。私は山の端(は)に隠れつつあった夕日を見ながら、「早くこの時 期が過ぎてくれれば」と、それだけを懸命に願っていた。 こうした不安感は、受験生や、受験生をもつ親たちを見ているとわかる。「私もそうだった… …」と思うことが、しばしばある。 しかし社会へ出てからも、その不安は消えなかった。生きていくということは、そのまま不安と の戦いであるといってもよい。私のような生活をしていると、数週間から数か月先くらいまでの ことはよくわかるが、その先が、まったくわからない。そういう不安は、いつもついてまわる。 が、世の中には、こうした不安とは無縁の人も、いるにはいる。先日、ある小学校の校長(女 性、五〇歳前後)と、昼食をともにした。しかし彼女などは、まったくといってよいほど、その不 安を感じないという。 「私は、毎日、朝、起きるのが楽しみです」 「父も健在で、いっしょにテレビをみています」 「地域の活動も、私が率先してやっています」と。 そして最後にこう言った。「世の中には、あれこれ不満だらけの人もいますが、私は、不満と いうものは、もったことがありません。毎日、みなさんに感謝して生きています。ですから、食事 もおいしいし、生きているのがうれしいです」と。 私はその校長と話しながら、うらやましいと思う前に、驚いてしまった。あまりにも自分とは違 ったからだ。「世の中には、こういう恵まれた人もいるのだなあ」と、へんに感心もした。「どうす れば、私もそう考えられるようになるのかな」と思いつつも、「私には無理だろうな」とも、思っ た。 人間は、そしてあらゆる動物は、不安を基底として生きているというのが、心理学での常識に なっている。これを「基底不安」という。そしてその基底不安は、胎盤から離れて、産み落とされ たときから始まるという。だから人間は、そしてあらゆる動物は、その胎盤にかわるものを求め ながら、自分の不安をしずめようとする? もちろん胎盤の中に戻ることはできない。そこで人 間は、もろもろの代償行為を繰りかえすというわけである。 考えてみれば、私の二重人格性は、こうした基底不安を原因として、生まれたのかもしれな い。「不安な自分」、そして「その不安と戦う自分」。そういう二面性が、一〇年、二〇年とかけ て、自分の中に作られたとも考えられる。それは「理想」と「現実」との戦いであるといってもよ い。「理想の中で生きたい」という自分と、「現実はそうでない」という自分。たとえば受験勉強な どというのは、まさにそのかたまりであると言ってもよい。 「友だちと仲よくしなさい」と言われる一方で、「他人を追い抜け」と教えられる。そういう自己 矛盾と戦うためには、二面性がないと生きていかれない。要するに理想と現実を、そのつど、 どううまく使い分けるかということ。そういう使い分けをしているうちに、私の中に、二重人格性 ができたとも考えられる。 そんなわけで、こうした二重人格性は、だれにでもあるとも言える。ない人は、それだけでハ ッピーな人ということになるが、しかしそういう人は、いったい、どれだけいるというのか。来年 の心配などしなくてもよい、老後の心配をしなくてもよいと自信をもって言えるような人は、いっ たい、どれだけいるというのか。私たちは、みな、不安なのだ。不安であって当然なのだ! ……と居なおったところで、このエッセーの結論。結局は、こうした二重人格性を器用に使い 分けることができる人が、世渡りの名人ということになる。一方、それができない不器用な人 は、現代の社会に同化できず、社会からはじき飛ばされてしまうということになる。子どもの世 界について言うなら、「受験勉強など、くだらない」と思ってしまうと、その子どもは、学歴社会そ のものから、はじき飛ばされてしまう。損をすることはあっても、得をすることは何もない。しかし 皮肉なことに、そういう子どもにこそ、つまりそのつど問題意識をもち、矛盾を感ずる子どもに こそ、本当は、社会のリーダーになってもらいたいのだが……。 (030323) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司 子育て随筆byはやし浩司(697) 豊橋の多米峠に行く 今日は、ワイフと、ドライブを楽しんだ。……こう書くと、ほとんどの人は、私が運転したかの ように思うかもしれない。が、私は運転しない。車の運転免許証を、もっていない。 まず、国道一号線で、湖西(こさい)市に向かう。そこから浜名湖(はまなこ)に沿って北上し、 途中を左折。豊橋(とよはし)方面に向かう。多米(ため)峠を抜けるつもりだったが、着いたと ころは、JRの二川(ふたがわ)駅。つまり大回りしただけ。 途中で、レストランに入った。豊橋名物のきしめんを食べようと思ったが、あいにく、そのレス トランには、きしめんはなかった。しかたないので、私はザルソバ、ワイフは、てんぷらソバを注 文。そこで多米峠までの道のりを聞く。 しばらくすると店の主人が、大きな地図をもってきてくれた。親切な人だ。「この先、二つ目の 信号を、右へ回って……」と、地図を見ながら、教えてくれた。私はそれを忘れないように、手 帳に地図を描き写す。こうしたナビゲーションは、私の役目。 目的は、友人の家を訪問すること。友人の家は、その多米峠の下、豊橋市多米町にあった。 友人は家を建ててもう一〇年になるという。「一度、行こう」と思いつつ、あっという間に、その一 〇年が過ぎてしまった。 だいたい地図ももたないで、見知らぬ土地へ行くことのほうがおかしい。おかしいが、私たち はいつも、そうしている。あちこち道を聞きながら旅をするのが、私たちのやり方になってしまっ た。ときどき道に迷って、とんでもないところへ入りこんでしまうこともある。本当のところ、今日 も、あぶなかった。だいたい多米峠がどこにあるかも知らなかった。「峠」というから、山の途中 にあるだろうくらいにしか、考えていなかった。 が、その日は、あのソバ屋の主人のおかげで、ほとんど道に迷わず、友人の家にたどりつく ことができた。実際には、数キロ先まで行き過ぎてしまっていたが、その程度のミスなら、まだ よいほう。電話をすると、友人は、娘さんと二人で、大通りまで迎えに来てくれていた。 友人の家で一時間ほど過ごす。豊橋市は浜松市から、車で一時間弱の距離だが、私たち夫 婦には、そのあたりの土地カンは、まったくといってよいほど、ない。おかしなことだが、浜松市 に住んでいる人は、東京の方に向かって、目がついている。自分たちは関東の人間だと思って いる。名古屋市のほうが、はるかに近いのに、だ。一方、豊橋市の人は、名古屋市の方に向 かって、目がついている。浜松市の人と豊橋市の人は、背中合わせに、ちょうど逆の方向を向 いていることになる。 帰りは、そのまま多米峠を通って、引佐(いなさ)町のほうへ向かう。途中、浜名湖が一望で きるところがある。夜景が美しいそうだ。帰りに私たちの山荘に寄って、山の水を取ってくるつ もりだったが、疲れてしまい、そのまま自宅へ。気賀(きが)駅前の「T見」という、うなぎの白焼 きを売っている店で、白焼きを二本、買う。このあたりでは、よく知られた店で、私たちが行った ときも、七〜八人の行列ができていた。 家に帰ってからは、部屋を掃除して、一日は、おしまい。夕方、暗くなってから、白焼きを焼き なおして、ワイフと食べる。肉が厚くて、おいしかった。「さすが、T見のうなぎ!」と言いながら、 それを食べた。 (030323)※ 【今日のコース】浜松市→(国道一号線)→湖西市→二川→多米→多米峠→引佐町→自宅。 朝一一時ごろ出発して、家に帰ったのが、四時半ごろ。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 ※ 子育て随筆byはやし浩司(698) 前向きの人生、うしろ向きの人生 一度、うしろ向きになると、人生は、どこまでもうしろ向きになる。ものの考え方が否定的にな る。悲観的になる。不平、不満が多くなる。たとえば仕事が行きづまる。いくつかトラブルが重 なる。不安や心配が、それに拍車をかける。そうなると人は、「あれが悪い」「これが悪い」と言 い出す。そして原因を周囲の者や、過去に求め、思わぬ人を責めたり、また別のトラブルを引 き起こしたりする。 子育ても、これに似たようなところがある。一度、うしろ向きになると、子どもの悪い点ばかり が気になる。子どものささいな欠点や、もう忘れてよいはずの昔の失敗が、ことさら気になる。 それを責めたりする。叱ったりする。それこそ子どもが、お茶をこぼしただけで、「いつになった ら、あなたはしっかりでくるの!」と、こぶしをあげたりする。 そこであなた自身の姿勢をチェック。あなたはつぎの二つの親のうち、どちらのタイプに近い だろうか。もちろんその中間もあるだろうし、ときとばあいによって、揺れ動くということもあるだ ろう。あるいは子どもでも、兄と弟では、感じかたも違うということもある。 (前向きママ)うちの子は、外の世界でも、よくがんばっていると思う。一〇年後、二〇年後にし ても、今の私よりは、すばらしい人間になっていると思うし、私より希望にあふれたよい生活を していると思う。自分でも、「うちの子はすばらしい」と思うことがある。 (うしろ向きママ)うちの子は何をしても心配だし、将来についても、あまり期待していない。子ど もの一〇年後、二〇年後を考えると、気が重くなる。同年齢のほかの子どもと比較しても、どこ か見劣りがする。いつも、何か失敗をするのではないかと、ハラハラすることが多い。 問題は、そういう親の姿勢ではなく、そういう姿勢が、子どもに、悪い影響を与えているので はないかということ。そういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、 あなたの心は、そっくりそのまま子どもに伝わる。禅宗の世界にも、「以心伝心」という言葉が ある。師の心は、言葉ではなく、心を通して、弟子に伝わるという意味だが、親子のばあい、も っと濃密に、その心が伝わる。 もしあなたがここでいう「うしろ向きママ」なら、子どもの問題はさておき、あなた自身の心を作 り変えることを考える。方法がないわけではない。称して、「子育て改革作戦」。 【チャレンジ作戦】たとえば「うちの子は、あれができない、これができない」と悩むのではなく、 あなた自身が、それにチャレンジしてみる。そしてその緊張感の中に、子どもを巻き込んでして いく。子どもに本を読ませたかったら、あなたがまず本を読んでみせる。あなたが図書館へ行 く。そのついでに、子どもも図書館へ連れていく。 【あきらめ作戦】悪い点や欠点については、いさぎよくあきらめる。そしてこどものよい面や、得 意な面だけを見ながら、さらにそれを伸ばす。このいさぎよさが、子どもの心に穴をあける。も ちろんあなたの心も、それで明るくなる。 【許して忘れる作戦】どこまで子どもを許し、そして忘れるかで、親の愛の度量の深さが決ま る。子どもの問題や欠点は、あなたの問題や欠点として、受け入れてしまう。「まだ何とかなる」 「何とかしよう」とあなたが考えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。しかし「ま あ、うちの子はこんなもの」と割り切ったときから、あなたは、その重圧感から身を解き放つこと ができる。 【リズム作戦】子育てのリズムを、子どもに合わせる。子どものリズムで考え、子どものリズム で行動する。たいていこのタイプの親は、うしろ向きである分だけ、いつも子どものほうを振り 返りながら、子育てをしている。前を向いていない。だから目標を見失ってしまう。親は、ときと して子どもの前に立ち、ガイドとして、子どもを引っぱっていくが、そのとき、心配過剰、不安過 剰になっていないかを注意する。ガイドになるためには、目的地を見ながら進むことを忘れて はいけない。 【案ずるより産む作戦】子どもというのは、あなたという親の思い通りには、育たないもの。その ことは、あなたが一番よく知っているはず。言い換えると、あなたが何かをしたからといって、そ のようにはならないし、しないからといって、育たないものではないということ。子どもに任すとこ ろは任す。子育てには、親子でも、一〇%のニヒリズムをもつこと。とくに過保護、溺愛、過関 心気味の母親は、心のどこかでブレーキをかけるようにする。 【愚かな親作戦】親は、ときとしてバカなフリをして、子どもに自信をもたせ、ときとして愚かなフ リをして、子どもの自立を促す。まずいのは、「私は親である」という気負い。この気負いが強け れば強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。要するに肩の力を抜いて、子どもの横に、友 として立つこと。日本人は元来、親意識が強く、友として子どもの横に立つのが苦手。「子ども に頭をさげるなって!」ともし、あなたが思っているなら、それこそ、まさに権威主義。これから は親の権威で、子どもをしばる時代ではない。 【口ぐせ作戦】親の心を作り変えるためには、親自身の口ぐせを変える。これについては、以 前、書いた原稿を、末尾に張りつけておく。子どもというのは、長い時間をかけて、親の口ぐせ どおりの子どもになる。 +++++++++++++++++++++ 子どもの心を変える法(信じて伸ばせ!) 親の口グセが子どもを伸ばすとき ●相変わらずワルだったが…… 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を 利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣 かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつ けたりしていた。どの先生も手を焼いていた。が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちに クレヨンを貸しているのが目にとまった。私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい 子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それ からもその子どもはワルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッ とそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。 ●子どもの心はカガミ しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい 子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼 稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と 思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人 間関係というのは、そういうものだ。 イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つま りあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな 人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。一週間や二週間なら、何と かごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となると、そうはいかない。いわん や半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手に伝わってしまう。では、ど うするか。 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつ きあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくする ためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてか らだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚 えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。 ●前向きな暗示が心を変える まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセ にする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思 っているなら、なおさらそうする。最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人 間関係というのは、不思議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそうい う方向に向いていくからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようと する。相手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあっ た。 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや 服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつ う下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこ で調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。母親は下の子に兄のおさが りを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんのものがはけるようになったわ ね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そこでテスト。 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースが あるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうな ら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。 (030324) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(699) 子どもの前を歩く 親はガイドとして、子どもの前を歩く。それは当然のことだ。しかしその歩くとき、子どもの手を 引きすぎてはいけない。一方、子どものほうを、振りかえってばかりいてはいけない。要は、子 どもの歩調に合わせて、子どものリズムで歩く。 子どものリズムで歩いていない親は、すぐわかる。実際、いっしょに歩いている姿を見ればよ い。子どものリズムで歩いていない親は、子どもの手をぐいぐいと引きながら、前を歩く。子ども は子どもで、体を引っぱられるようにして、親についていく。そういうとき親は、たいていこう言 う。「何をぐずぐずしているの? 早く来なさい!」と。そして子どもは子どもで、「待って、待っ て!」と、泣き叫ぶ。 そこであなたはどうだろうか? 子どものリズムで子どもの前を歩いているだろうか。おけい ごとでも、塾でも、子どもの意思や心を確かめながら、入会を申し込んでいるだろうか。あるい は何でも、親のほうで勝手に決めてしまっていないだろうか。やめるときもそうだ。子どもの意 思や心を確かめながら、やめているだろうか。 また親は、子どものほうを、振り返ってばかりいてはいけない。親は、子どもの前に立ち、そ のゴールにまっすぐ頭を向けて歩く。親が道に迷っていて、どうして子どもを前に導くことができ るというのか。親は親として、自分の生きザマを子どもに示す。そのためにも、顔はまっすぐ前 に向けて歩く。こんなことがあった。 その学校に、どうしようもないワルで、ドラ息子のA君(小三)がいた。そこで正義感の強いB 君(小三)が、A君をある日、たたきのめしてしまった。B君の行為を、クラスのみなが、たたえ た。 しかしB君の家は、母子家庭。しかも運の悪いことに、B君の母親は、A君の父親が経営する 工場で、働いていた。B君がA君をたたきのめしたと知った母親は、少なからずあわてた。そこ でその夜、母親は、いやがるB君を連れて、A君の家にあやまりに行った。(何となく、できずぎ た話のように思う人がいるかもしれないが、これは一〇年ほど前、私の近辺で、実際にあった 話。) そのB君、母親がA君の前で、あやまるように何度も言ったが、B君は、がんとして頭を振ら なかった。当然だ! が、問題は、そのあと起きた。B君は、母親とも口をきかなくなってしまっ たという。私はそのB君の気持ちが、痛いほど、よく理解できた。私も子どものころ、同じような 経験をしたことがある。 このケースでは、あやまりに行くなら、母親だけで行けばよかった。B君にしてみれば、A君に あやまるということは、プライドがズタズタにされることに等しい。平気であやまることができる ほうが、おかしい。で、このケースでは、母親は、B君の気持ちを理解し、B君の行為を支持す べきだった。B君が、母親の姿勢に幻滅したのは、これまた当然ということになる。 子育てをしていると、子どもの前で、親の生きザマを示さなければならないようなときが、しば しばやってくる。そういうとき、親は、(あるいはあなたは)、どこまで自分の生きザマを、子ども に示すことができるか。親としてではなく、一人の人間として、だ。親というのは、そういう場で、 人間性そのものが、しばしば試される。まっすぐ前を見て歩くということには、そういう意味も含 まれる。 (030324) ++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司 子育て随筆byはやし浩司(700) 浜松のよいところ 私が住んでいる浜松市のよいところは、たくさんある。まず、気候が温暖なこと。このあたり を、照葉(しょうよう)樹林帯と呼ぶ学者もいる。一年中、緑が青々としている。その上、樹木の 種類が多い。こういう気候に恵まれているのは、鹿児島県の一部と、この浜松市(正確には浜 名湖周辺)だけだそうだ。 浜松市は、また世界に名だたる工業都市である。ホンダ、スズキ、ヤマハなどの国際的な企 業は、この浜松市で生まれた。ほかにローランド、カワイ、ホトニクスなどの企業もここで生ま れた。人口六〇万人前後の地方都市で、こうまで活気のある町は、ほかにない。一説による と、静岡県の県税収のほとんどは、この浜松市で稼いでいるという。(県庁所在地となっている 静岡市は、下駄(げた)の生産地として知られている。下駄だ! 下駄だぞ!) またここにも書いたように、人口六〇万人というのは、都市としては、ほどよい大きさかもしれ ない。基準はないが、私には、そうだ。市の中心部から半時間も車で走ると、緑の多い郊外に 出ることができる。さらに半時間も走ると、あたりは田園風景になる。南は、太平洋。北は農 村。西は浜名湖。これほどまでに変化に富んだ都市は、そうはない。……と思う。ときどき浜松 市の外に行くことがあるが、帰り道、浜名湖が見えてきたりすると、「ああ、美しい。ここが浜松 だ」と、うれしくなることがある。 私はこの浜松市に住んで、もう三二年になる。この町に住みついてしまったが、もともとそん なに長くいるつもりはなかった。しばらく住んで、オーストラリアへ行こうと考えていた。その気持 ちは、三〇歳を過ぎても消えなかったが、それが一〇年、二〇年……となり、三〇年になって しまった。この年齢になると、オーストラリアへ行こうという気持こそ、もうないが、そのため、ず っと、風来坊のような生活になってしまった。 が、今は、この浜松市で生涯を終えることには、何ら迷いはない。ここが私のふるさとだ。私 はこの浜松市に住むことができたことを、ラッキーだったと思っている。心から喜んでいる。 ……とまあ、ほめてばかりいたのでは、評論家の名前にキズがつく。問題点もないわけでは ない。 ひとつは、物価が高いこと。それに浜松の人は、みな、目が東京の方に向いていること。こう いうのを東京コンプレックスというのか。何でも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる。 そんな傾向が強い。工業はともかくも、文化ということになると、地元の人間が、地元の文化を 認めていない? たとえば数年前、駅前に、B芸術大学という大学ができたが、学長以下八〇 人の教官全員が、東京から来た人ばかりだった。 それに、これはあくまでも、金沢と比較してでの話だが、浜松市は、文化性がきわめて低い。 伝統工芸も、ほとんど、ない。そういう意味では、浜松市は文化都市ではない。工業の町、職 人の町、金儲けの町ということになる。 しかし総合点をつけると、浜松市はすばらしい町である。住みやすい。今、世界では、水不足 が深刻な問題になっているが、この浜松市は天竜川水系の上にある。冬の渇水期に、あぶな いことは何度かあったが、この三〇年間、断水したということはない。 が、何といってもすばらしいのは、私のような「よそ者」に、住みやすい町だということ。街道の 宿場町として発展した町ということもある。よそ者には、たいへん寛大である。私が学生時代を 過ごした金沢市のような、排他性、閉鎖性は、まったくといってよいほど、ない。何かにつけて、 オープン。いろいろ問題はないわkではないが、それを差し引いても、おつりは山のようにくる。 で、私はこの浜松市に、このところ、とみに愛着を覚えるようになった。しかし本当に愛着を 覚えるようになったのは、三人の息子たちの気持ちを聞いたときだった。三人とも、浜松市は すばらしい町だと言う。そしてさも自信ありげに、「ここはぼくのふるさとだ」と言う。それを聞い たとき、「ああ、これでいいのだ」と、自分に納得した。私が親としてすべきことは、そういうふる さとを、息子たちのために守ること。最後の最後まで、そういう息子たちの期待を裏切らないこ と。そう、心に決めたとき、私もこの浜松市で身を沈める覚悟ができた。と、同時に、私は心 底、この浜松市はすばらしい町だと思えるようになった。 (030324) +++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩 司
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