≪E2・HR通信・通巻164号≫ | |
第11号 2006/6/30 |
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清水の人びとにとっての7月7日
昨日から期末テストが始まりました。この期に及んでもまだゲームセンターに行っている生徒がいるようです。場合によっては、夏休みに学校で話を聞きますので、覚悟のほどを! |
さて、今日7月7日は、清水の人たちにとって、何の日でしょう? |
清水七夕まつり?そういえば、昨日から始まりましたね。 |
それからキミたちの保護者の世代にとっては、犠牲者27名をだした1974(昭和49)年の「七夕豪雨」が思い出されるところでしょうか。 |
さらにさかのぼってみると、1945(昭和20)年の7月7日未明のこと。133機ものB29が清水の空を襲いました。およそ1時間半の空襲で清水の街の半分は焼け野原となり、死者151名、被災した人は34,000名にものぼりました。 |
今となっては、その空襲のあともほとんど目にすることはありません。しかしよく観察すると、空襲の痕跡は残っています。空襲で「火の海」となった清水の街を命からがら生き延びた人びとは、これを見て今日の七夕の日にいったい何を願うのでしょうか? |
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