≪E2・HR通信・通巻180号≫ | |
第27号 2006/12/8 |
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12月8日という日を考える
昨日から2学期期末テストが始まりました。体調を整えて、そして勉強したうえで試験に臨んでください。 |
さて、ときどきボクを訪ねて、お客が学校に来ることがあります。先日は、坐漁荘研究会の方がみえました(面識はない)。 |
坐漁荘の主人といえば……、そうですね、西園寺公望です。授業で詳しく紹介しました。彼は昭和天皇の側近中の側近として、亡くなる直前まで日本の行く末を気にかけていました。 |
西園寺公望は、世界の中で日本を位置づけ、戦争と軍部の台頭には徹底的に抵抗していきました。そのように考えるに至ったのは、若いときに、革命の嵐が吹き荒れるフランスに10年余りにわたって留学し、自由主義思想を学んだ経験が大きいと思われます。 |
そして西園寺公望の思いとは正反対の方向に日本が向かうなかで、1940年11月24日、興津の坐漁荘で彼は92年の生涯を閉じました。その1年後の1941年12月8日、アジア太平洋戦争が始まります。無謀な戦争に突入していった日本を、西園寺はどのような思いでみていたのでしょうか? |
ちなみに西園寺公望が12月7日に生まれた(太陽暦)というのも、何か「運命」的なものを感じますね。 |
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