2002年11月


〔2002/11/30〕 午前、しずおか市町村対抗駅伝を見に行く。自宅から歩いてちょっと行ったところに第3中継所があり、そこまでいく。その後、街に出て、話題の戸田書店・静岡本店に行く。広い。これまで静岡では見かけない本もたくさんあった。欲しい本がいくつかあったが、今日は黒羽清隆の『十五年戦争と平和教育』と『歴史教育と教科書問題』という本(古本屋においてありそうなほど汚れていた。倉庫かどこかに置いてあったんだろうな)と、ハーバート・ビックスの『昭和天皇(下)』(講談社)という新刊本等を購入した。15時ごろ、床屋に行く。
〔2002/11/27〕 午前中、中央高校でSさんと打ち合わせ。来週、A2の日本史の授業で、学徒出陣体験を語ってもらうためである。77歳のSさん。一応、「教え子」である。2年ぶりにお会いしたが、元気そうだった。しかも、Sさんは時々東京へ行ってはパソコンの勉強をしているという。「ボケ防止のためですよ」とおっしゃっていたが、なんともパワフルな方である。
放課後は、生徒会誌『騰雲』の編集会議。今年は、昨年より生徒主導でやってみようと思う。成否は特集の生徒アンケートにかかっている。その後、また別の会議。「師走」も近づく今日この頃。
〔2002/11/23〕 午前、静岡平和資料センターに届け物。その後、街へ。すみやで松任谷由実のニューアルバム「WINGS OF WINTER,SHADES OF SUMMER」を買う。書店では、鈴木裕子の『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』、渡辺浩『15歳のナガサキ原爆』を買う。
〔2002/11/22〕 国体のリハーサル大会ということで、1年生の3クラス等が動員された。そのため、今日は1時間だけ授業がつぶれた。勤務終了後、誘われていた歴史教育者協議会の11月例会に参加した。とはいっても、参加者は私を含め3名のみ。こじんまりとした部屋で、原発についての最近の動向について、報告を聞いた。静岡に来て、6年。地震と原発について身近な話題となった。
〔2002/11/15〕 勤務終了後、東海大翔洋高校のA先生のお宅で、静岡平和資料センターの次回展示についての打ち合わせを行なった。もう少し話し合いをしなければ、展示になりそうにない。3月に始まる展示。2月、3月は本業のほうも忙しいだろうから、体調管理を万全にしなければ…。例年、3月初めごろ、クシャミがとまらない。
ところで、A先生は翔洋高校を定年退職され、講師として引き続き、翔洋高校に行っている方である。部屋には膨大な数のビデオテープがあった。教材としてとったもので、まだまだあるという。書籍も直接は見なかったが、別の部屋から次々と持ってきたので、相当あるのだろう。う〜ん、すごい。
〔2002/11/10〕 自宅から自転車でちょっと行ったところに臨済寺(かつては林際寺と書いたようだ)という有名な寺がある。普段は僧侶が修行をしているので、入ることはできない。しかし、昨日と今日、特別公開しているという新聞記事を見た。お昼にでかける。この寺は、徳川家康が幼少のころ今川氏のもとで人質として生活したところとして、歴史上知られている。そこも公開されていた。今川、武田、徳川に関する文書などもたくさん所蔵しているようだった。庭園もすばらしく、秋の晴れた午後、ポカポカとして心地よい一時を過ごした。
臨済寺。裏手の庭園がきれいでした。 『静岡新聞』で公開されていることを知った人たちが数多く来ていました。
〔2002/11/9〕 午前中、登呂遺跡の発掘事務所で打ち合わせ。帰りにすみやで元ちとせの「この街」を購入。途中、朝鮮通信使の行列を見る。
〔2002/11/4〕 午前中、奈良国立博物館で開催中の正倉院展を見る。その後、興福寺をブラブラし、午後京都へ向かう。京都では京大のそばで古本市が行なわれており、数冊古本を求める。今年は例年より早めの18時ごろ京都駅発の新幹線(ひかり)に乗り、静岡に戻る。しかし京都から名古屋までのあいだ、一歩も身動きがとれないほど混んでいた。例年、19時過ぎの新幹線で戻るので、なんとか座ることができたのだが、ここまで混んでいるとは!なぜ早めの新幹線に乗り戻ったのかというと、明日の授業の準備ができていなかったからである。だから家に戻ると、すぐにパソコンに向かって、資料を作成した。すぐにも眠りたかったが…。