2002年12月


〔2002/12/31〕 午後、吉田裕さんの『日本の軍隊〜兵士たちの近代史〜』を読む。軍隊と社会との関係について述べた第1章がとくに面白かった。時間・身体・言語の秩序をいかにしてつくっていくのか。学校と軍隊が重なって見えた。夜、NHKの紅白を見つつ、遠くから耳に入る除夜の鐘をきき、年を越す。紅白は、20数年ぶりに生で歌ったという中島みゆきがよかった。
〔2002/12/29〕 午前中、洗濯と掃除(台所と風呂場)をする。午後、静岡の街へ。注文していた本をとりにいく。そして、17時51分のひかりに乗り、名古屋へ帰省する。比較的すいていて、座ることができた。年賀状、裏面の印刷は終えたが、まだ宛名と一言コメントを書いていない。明日、郵便局に行って書こう。
〔2002/12/27〕 24日から4日間にわたる特別指導(赤点指導)も最終日。何人かは、無事終了。13時半ごろまで、バラバラと終わったのでなかなかたいへんだった。途中、生徒会誌『騰雲』の生徒アンケート(←生徒が考えてきた)の印刷をする。遅い昼食をとり、14時半ごろから1時間ほど面談。慌しい仕事納めであった。明日は、家の大掃除と年賀状書きをはじめよう(ようやく)。もうお年玉つき年賀状(インクジェット用)は売っていなかった。
〔2002/12/26〕 午前、特別指導(赤点指導)3日目。夕方ごろ面談をしたが、面談の時間まで本を読もうとするが、ウトウトする。前の晩、静岡平和資料センターにて新展示の話し合いを遅くまでしたので、眠かったのだろうか?学校からの帰り道、コンビニに寄り、夏休みの課題(日本史)の保存版作品のコピーをとる。正月には、優秀作品をアップできるだろう。
〔2002/12/20〕 終業式。途中抜け出し、HR通信を印刷。放課後、成績不良者指導。今回は赤点をたくさん出したので、なかなか大変だった。そうこうしているうちに、印刷会社の方が来たので、原稿の一部を渡す。お昼、昼食を注文し忘れ、打ちひしがれる。仕方なく机の上の整理を行なう。午後会議。会議終了後、生徒会の人たちが『騰雲』の原稿を書いてきたので、チェックする。夜、清水にて忘年会。間抜けにも、ちょっと遅れる。でも、ちょうど乾杯をしようとしていたので、よかっただろう。結構、いろいろ企画のあった忘年会であった。
〔2002/12/19〕 午前中、アセンブリ・大掃除などがある。午後、2時間余をかけ通知表の記入を行なう。続いて、生徒会誌『騰雲』の原稿が集まってきたので、その整理を行なう。翌日、原稿の一部を業者に渡すためである。また、明日発行予定のHR通信の原稿を書く。何を書こうか?勤務終了後、静岡平和資料センターにて展示企画会議が行なわれる。21時ごろ終了。近所のラーメン屋で、遅い夕食。
〔2002/12/8〕 雨。今日は登呂遺跡で現地説明会がある。行く予定であったが、この雨では…。家で採点をする。
〔2002/12/7〕 東京に行く。雨。「『12・8開戦』と今」というシンポジウムに参加するためである。会場はいっぱいであった。山田朗さんの著書も、最近授業等で利用する。姜尚中さんはテレビでみるだけだが、注目の人物である。(ちょいとしゃべりにナルシスト入っているような気がするが、内容は鋭い。難しいが。)特に、ここ最近の世界の動きには注意しなくてはならないと思っているだけに、おもしろいシンポジウムであった。信太正道さんはガンを宣告されたばかりということで、その発言には力が入っていたことが印象に残る。
シンポジウムのようす 左より桂敬一、信太道正、山田朗、姜尚中の各氏。
〔2002/12/4〕 雨。こういう日に限って雨が降る。今日の6限の日本史で、前任校のときの「教え子」に学徒出陣体験を語ってもらった。わざわざ静岡からきてくださったのだが。でも生徒たちは一生懸命メモをとりながら、体験談をきいてくれた。雨のため、軍刀をもってくることができなかったのが、残念。
体験談を語る真田さん 電子機械科2年の教室にて。
〔2002/12/1〕 お昼のニュースで、東京教育大学(現筑波大学)教授だった家永三郎さんが亡くなったというニュースに接する。先月、京都の古本屋で家永さんの『歴史と責任』という本を買い、ちょっとずつ読んでいるところだった。また、彼の「戦友(教え子)」にあたる黒羽清隆さんの著書も買い、読んでいるところであった。こういった著書でしか知らない方であるが、なんだか寂しい感じである。