2002年夏・滋賀‐京都の旅


8月2日〜8月6日にかけて滋賀・京都に行きました。
8月2日(滋賀県・安土)
まずは自転車をレンタル
安土につき、まず最初に自転車をレンタルした。それほど広くはないが、歩くのはたいへん。そんな時に自転車は便利。
あたりは田んぼが広がる
レンタル自転車屋のおじさんの話によれば、このあたりは元々は琵琶湖だったそうだ。でも食料増産のため干拓し田んぼになったという。最初に訪れた滋賀県立安土城考古博物館の周りも田んぼだらけ。建物は安土城を模したものである。
お昼過ぎに安土城址へ
博物館のなかで昼食を食べ、安土城址へ。天主(天守)が完成してわずか3年後の1582年には信長の死とともに、安土城は焼け落ちてしまい、今ではうっそうと茂る樹木に埋もれてしまいました。
発掘調査をしていました
安土城の大手門のところで発掘調査をしていました。話によれば、発掘調査・史跡整備事業を1989(平成元)年から20年計画で実施しているという。
ここを登るのかぁ!
復元された大手道をのぼる。左手は伝羽柴秀吉邸跡、右手は伝前田利家邸跡。それぞれ信長の家臣が住んでいたという。石垣がすごい!
このころにはだいぶヘトヘト…
安土城は体力的になかなか厳しいところであった。写真ではわかりにくいが、ここ(中盤)でも汗をカキカキ。いにしえの人びともここをのぼったのであろうか。
何もない…が、景色はよい。
のぼって、のぼって、のぼっていったところに、天主跡がある。戦に備えるとはいえ、なぜこんなところに天主が築かれたのだろうか?
ちょっとした公園になっていた
苦労してのぼった安土城をトントントンとくだり、安土の町を散策。ここは教科書にも載るセミナリヨ(神学校)址である。右に写るのは今回使った自転車である。その後、滋賀・草津に移動、宿泊。
≪感想≫
この日は途中雨が降ったり、めちゃくちゃ暑くなったりとたいへんな1日であった。ま、そんなことはおいといて、一面田園風景が続くところであった。自転車で移動できたのはよかった。
安土城は、今でこそ琵琶湖とはちょっと離れたところにあるが、当時は琵琶湖に突き出した半島のようなところにつくられたそうだ。交通・輸送を考えてのことであろう。
それにしても安土城に行った時には、かなり気温も上がったので、かなりたいへんであった。戦国の武将たちも天主に行くには、苦労しただろうな。ま、私とは鍛え方が違うだろうが…。

8月3日(滋賀県・草津)
草津駅からバスで。近くに風力発電のための風車がある。
ホテルからバスに乗り、滋賀県立琵琶湖博物館へ。すぐ近くには琵琶湖がある。開館前に到着したので、琵琶湖のほとりを散策する。
デカイ!
最初の展示室には、琵琶湖の自然(岩石・化石)を展示していた。そういえば、私も小学生の時、東山まで友人たちと化石を掘りに行ったなぁ。
琵琶湖の生き物たちも見れる
そして琵琶湖に住む生物たちもこうやって見ることができる。水族館に来たようだ。ほんの一部だけではなく、ここにも相当力を入れているように感じられた。
もちろん歴史の展示も
もちろん歴史の展示もある。この時は「わっ!中世?」という展示が行なわれていた。模型などを使い、分かりやすい展示であった。クイズもある。
後ろの黒板の「姓名判断致します」が気になるが。
琵琶湖博物館にもっといたいなぁと思いつつ、草津駅すぐのところにある「カレースリランカ」で昼食。本格的なスリランカのカレーでおいしかった!おばちゃんも気さくな方でした。
東海道と中山道との合流点
草津は宿場町。そして東海道と中山道の分岐点。右へ行けば東海道、左へ行けば中山道。ちなみに後ろ(上)にあるのは川(天井川なのです)。川の下をくぐるとここへでる。
草津本陣
草津本陣。
石山寺
電車で石山寺に移動。これは東大門。奈良国立博物館で石山寺の展示が行なわれるそうで、それを記念して普段は公開していない、本堂に置かれている本尊が公開されていた。
新しい発見があったという本堂
これが本堂(国宝)。かの紫式部はここで『源氏物語』執筆したらしい。紫式部が執筆しているようすを再現した人形がおいてあった。
いよいよ琵琶湖へ
ホテルに行き荷物を置いた後、いよいよ琵琶湖畔へ。う〜ん、広いなぁ。
涼しく、きれいでした
夜、7時から噴水をやっていた。まだこの時は明るかったが、7時半には暗くなり、ライトアップされた。幻想的な世界が広がる。風もあり、涼しい。
≪感想≫
まずは琵琶湖博物館。これはオススメ。1日いても飽きない。もう1度行きたいと思わせる博物館であった。歴史も勉強でき、地学も勉強でき、生物も勉強できる。まさに総合学習の場である。実際、子どもたちが数多く来ていた。県立でやっているところもすごい!それに引き換え、浜名湖をかかえる静岡県は…。静岡県もこれくらいのものをつくらなきゃ。かつて琵琶湖は「近江」とよばれ、浜名湖は「遠江」とよばれ、対比されたものだが、今となっては浜名湖は大きく差をつけられた。静岡県の文化行政の貧弱さを見せつけられた。
ホテルに戻り、もうひと驚き。さきほぼ見たばかりの石山寺の仏像がTVのニュースで紹介されていた。本尊の中に胎内仏が4体もあったという。なんとタイムリーな!こんなこともあるんだな。でも胎内仏は奈良に展示されているので、この時には見られず。

8月4日(滋賀県・大津)
このころ突然雨が…
午前中、近江神宮というところにいったあと、ここ園城寺(三井寺)に行った。日本史の教科書ではおなじみのところである。比叡山延暦寺との対立していたことで知られる。今はたいへん静かなお寺であった。
重そうな鐘。
これは「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれるものである。延暦寺との争いで園城寺にあったこの鐘を弁慶が比叡山へ引き摺ったところ「イノー・イノー(関西弁で帰りたい)」と響いたので、弁慶は「そんなに園城寺に帰りたいのか」と怒って鐘を捨てたという伝説がある。
博物館の中にいる時、かなり雨が降っていました。
大津市歴史博物館。山の上にあり、一時雨が降ったので、すべって転びそうになる。2階建てで、1階はテーマ展示。2階は年代順に大津の歴史をたどるという構成。企画展として「広告博覧会」ということで、明治以降のポスター・広告・看板などの展示がなされ、興味深かった。
琵琶湖畔に変わった形の建物が…
この日の最後に、琵琶湖文化館による。建物の形が変わっている。しかも下は琵琶湖である。
大津事件の現場
石碑には「此附近露国皇太子遭難之地」とある。あの大津事件がこのあたりでおこった。
≪感想≫
この日は、大津市内を散策した。大津市歴史博物館の企画展はおもしろかった。町でよくみかけるちょいと古めの看板(例えば、ボンカレー・オロナミンC)や広告(例えば、仁丹)、各企業のキャラクター(薬局や電気屋の店先に置かれている人形)などの展示には、なつかしさを感じた。
滋賀県は京都にも近く、琵琶湖もあり、交通の要所であったこともあり、都がおかれるなど歴史上重要な役割を果たしてきた。しかし、大津京にしても、安土城にしても、ほんの一時だけである。

8月5日(滋賀県・比叡山)
生源寺
天気がよい1日。スタートは、最澄誕生の地・生源寺。延暦寺・日吉神社の門前町である坂本をブラブラ。
坂本の町並み
坂本の町並み。ここのソバがおいしいらしい。時間が時間なだけに、通り過ぎるだけ。
日吉大社
日吉神社。川が流れており、川の水に触れると、とても冷たい。近所の子どもたちもパンツ姿・水着姿で遊んでいた。
ケーブルカーにて比叡山・延暦寺へ
そしてケーブルカーで比叡山に。この日は平日だったので、かなりすいていた。前日の日曜日は混んでいたようだ。
比叡山延暦寺・根本堂
延暦寺の根本中堂。中に入ると薄暗く、そこで1人の僧侶が護摩をたいていた。結構長時間、そのようすを眺めていた。まさに密教だなぁ、って感じがした。毎日やっているそうである。
比叡山山頂から
比叡山延暦寺は大きく3つに分かれていて、見るのがたいへんだったが(移動もバス)、比叡山山頂による。そこからの風景。琵琶湖も、京都も、すぐそこだ。山頂からバスで、京都へ向かう。

8月6日(京都)
京都駅出発
荷物を京都駅へ置く。ここから最終日のスタートだ。
初めて行く東寺
かつてこの五重塔と京都タワーを見ると京都に来たなぁという感じがしたものだが。駅から近いものの初めて訪れる東寺。数々の仏像に圧倒される。さすがである。ちなみに東寺は、真言宗の空海が嵯峨天皇から与えられたものである。
国宝3つ
東寺でちょいと酔っ払ったようなおじさんに声をかけられた。「にいさん、ここが写真のスポットだよ。国宝が3つもまとめて撮れるのはここからだけだよ。金堂(右)・講堂(左)・五重塔(奥)。忘れちゃいけないよ」と。ま、これでも日本史教師である。写真をとる。あとで調べたら、講堂は国宝ではなく、重要文化財だった…。
立命館大学国際平和ミュージアム
立命館大学国際平和ミュージアム。ちょうど「平和のための戦争展」をやっており、入場は無料であった。常設展示も充実していて、よかった。
金閣寺じゃないよ。鹿苑寺金閣。
立命館大学のすぐそばにある鹿苑寺金閣。慈照寺銀閣は3度くらい行ったが、金閣は本当に久しぶり。小学生の時以来だろう。
よく見たら電線だらけ
最後は、京都文化博物館。ここでは「古代日本・文字のある風景」という展示が行なわれていた。歴博で行われた時行きたいなぁと思っていた展示だったので、ちょうどよかった。期待通りの展示であった。延暦寺や東寺で心洗われた旅であった。静岡に戻る。