個性派悪役ファイル2

★ウォン・チェンリー(黄正利)★

 「こんなに怖くて、悪くて、強くていいのか!!」これが彼を初めて見たときの素直な感想だ。
相手を捕まえて右脚での連続ビンタ蹴り、相手の首を片足で巻き込んでの顔面蹴り、そして必殺の空中連続三段蹴り等、『ドランク・モンキー 酔拳』『スネーキー・モンキー 蛇拳』の2作品において彼が見せた数々の脚技はあまりにも衝撃的であった。
特に空中連続三段蹴りは、もはや彼の代名詞的技になっていて、どの映画においてもクライマックス場面で効果的に使用されている。

 彼は1944年に韓国で生まれ、少年時代を日本の大阪で過ごしている。
14歳の時に韓国に戻ってからテコンドーを学び、四段を取得。
1965年には軍隊に入隊し、軍兵に武術を指導する立場にまでなっていった。

 1977年、ン・シーユン(呉思遠)に見出されて映画界入りし、『南拳北腿』でデビュー。
この映画においてジョン・リュウ(劉忠良)と凄まじい蹴りあいを見せたことで注目されるようになり、以降、続編『南拳北腿鬥金狐』をはじめとして、『神腿鐵扇功』『鷹爪鐵布杉』などで立て続けにジョン・リュウと激闘を展開した。

 残念ながら日本では彼が出演している作品は、あまりビデオ化されていないわけだが、ジャッキーと共演した『ドランク・モンキー 酔拳』と『スネーキー・モンキー 蛇拳』の2本を見れば、一発で彼の凄さを理解してもらえると思う。
特に『酔拳』で演じた“殺し屋・鉄心”は、彼が演じたベストキャラクターとして今でも多数のファンに支持されている。

 他の主な作品としては『死亡の塔』『ブルース・リの復讐』等の“ブルース・リーそっくりさん映画”や真田広之が主演した『龍の忍者』、最近の作品では『上海エクスプレス』『チャイニーズ・ウォリアーズ』等に出演。
特に『チャイニーズ・ウォリアーズ』に関しては、アクションシーンの撮影中に主演のミシェール・キング(楊紫瓊)を負傷させてしまうというアクシデントが発生。
チェンリーは『蛇拳』の撮影中にもジャッキーの前歯を蹴り折ったという前歴があり、あまりにも妥協を知らないという事で、彼の出演を敬遠する監督もいたほどである。

 ジャッキーが『酔拳』『蛇拳』でトップスターへの仲間入りを果たせたのは、ウォン・チェンリーの功績が大きかったと俺は思う。
もちろん、復讐劇の排除やコメディ要素の導入など、今までのクンフー作品とはひと味違った内容の作品だったことがファンの支持を集めたのは事実だが、彼の脚技が他のクンフー俳優とは比較出来ないくらい強烈なインパクトを残した事は間違いない。
もしも『酔拳』『蛇拳』の悪役がカム・カンやジェームズ・ティエンだったとしたら、ウォン・チェンリーと同等のインパクトを残せた可能性は低く、ここまで映画がヒットしたかどうかは疑問だ。

 すでに50代後半という年齢のため俳優も引退してしまったようだが、是非とも復帰してほしいものである。


★ヤン・サイクン(任世官)★

 ヤン・サイクンの日本初登場映画は『クレージー・モンキー 笑拳』だ。
白髪に白髭の殺し屋を演じていたのでベテラン俳優だと思われるかもしれないが、1947年生まれなので『笑拳』撮影当時はまだ32歳だったわけだ。

 父親が映画監督及び武術指導家、兄と姉が武術俳優だったこともあり、幼い頃から様々な流派の武術を学ぶ。
クンフー道場で本格的に学んだわけではなく独学によるものであるが、武術家としても実力派として知られている。

 スタントマンとしてショウ・ブラザーズ入りし、武術指導家を経て、1975年に俳優転向。
初期には悪役だけではなく様々な役柄を演じる脇役として活動していたのだが、台湾で『出家人』『龍家将』などがヒットしたことによって名前が知られるようになり、『笑拳』の悪役として抜擢される。
まるで悪役専門に何十年も映画界を渡り歩いたかのような貫禄のある演技が評価され、これ以降、悪役専門俳優として『南北酔拳』『通天老虎』『博紮』など数本の映画に出演。
しかし、ジャッキーと共演した『笑拳』『龍拳』『醒拳』が劇場公開されただけで、他の作品が未公開なのが残念だ。

 80年代は現代アクションや現代コメディ映画人気が盛り上がりはじめた時代で、オーソドックスなクンフー映画の需要は衰退傾向にあった。
クンフー映画を活躍の場としていた多くの俳優達は、コメディや文芸作品からの出演依頼もなく自然に映画界を去っていったのである。
 ヤン・サイクンも時代の波には逆らえず、1985年から6年間、映画に出演していない。
そのため、ファンの誰もがすでに引退してしまったものだと思っていた。

 1991年、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明』で彼は見事に復活する。
『笑拳』の時よりかなり太っていたため、最初見た時は「これがヤン・サイクンか?」と思ってしまったほどイメージチェンジしていたが、クンフー・アクションは昔と変わらず素晴らしい動きを見せファンを安心させた。
以降、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』『スウォーズマン 女神伝説の章』『ドラゴン・イン』等の作品に次々と出演、高笑いがトレードマークの個性的なキャラクターとして活躍するようになる。

 ヤン・サイクンの代表作は間違いなく『笑拳』だ。
しかし、彼は“『笑拳』の悪役”というイメージを振り払い、三国志の張飛のような“猛将”をイメージさせる新たなキャラクターを確立させた。
これも時代の流れで仕方のない事なのだろうが、個人的には白髪で白髭の殺し屋の冷酷なイメージが俺は好きだった。
最近のヤン・サイクンからは冷酷さが感じられないので、出来ることならウェイトを絞って、昔のキャラクターに戻ってもらいたい。


★カサノバ・ウォン★

 インターネットの普及により香港映画関連のホームページも数多く公開されている。
これにより、今まで一部のマニアの間でしか知られていなかった俳優たちの存在がクローズアップされるようになった。
カサノバ・ウォンも、そういった俳優の1人である。

 長いこと韓国出身と言われていたが、実は幼児期に父親と共にチベットから韓国に亡命してきた正真正銘のチベット人である。
幼い頃からテコンドーと韓国合気道を学び、その実力は五段以上であると言われている。
また、ウォン・チェンリーと同じく彼も軍隊経験を経て俳優に転身している。

 70年代中頃、カサノバはサモ・ハン・キンポー(洪金寳)にスカウトされて映画界入りし、76年にサモ・ハン監督作品『少林寺怒りの鉄拳』で映画デビュー。
翌77年に出演した『必殺!少林寺武芸帳』においては、主演のジェームス・ティエンの存在が霞んでしまうほど迫力のある蹴り技を披露し、早くも注目を集めるようになる。
その後、ユエン・シャオティエン(袁小田)『女カンフー魔柳拳』や韓国映画『四大鐵人』など数本の作品に出演してキャリアを重ね、78年の『燃えよデブゴン10/友情拳』では素晴らしい連続スピンキックを披露。
この作品におけるカサノバのクンフー・ファイトは映画ファンから絶賛され、彼の名前は香港映画界に知れ渡った。

 カサノバの日本初見参作品は、1981年に劇場公開された『死亡の塔』だ。
“ブルース・リー最後の作品”というふれ込みでありながら、実はいっぱい食わせ物であったこの映画において、唯一評価できるシーンがタン・ロン(唐龍)演じるビリー・ローとカサノバの温室対決であった。
しかし、あまりにも『死亡の塔』の評価が低すぎるため、素晴らしい連続中段蹴りを見せたカサノバの印象は極めて薄く、クンフー映画マニアでも「韓国系のオカッパ頭の武術家」という認識しかなく名前を覚えている者は少なかった。

 1983年3月、フジテレビのゴールデン洋画劇場において放送されたのが『ドラゴン・カンフー 龍虎八拳』だ。
劇場未公開作品である上に、特に名前の知られた俳優が出演しているわけではない『龍虎八拳』をゴールデン・タイムで放送したのは、なかなか画期的な試みであった。
平均視聴率14.9%という数字も、かなり健闘したと言って良いだろう。
 この作品において、カサノバは「悪くて強い」という言葉がピッタリと当てはまるような殺し屋を演じた。
あらゆるタイプの蹴りの連続を披露して人を殺し、しかも笑顔。
最後も穀物倉庫において主人公と大激闘の末、ロープで逆さ吊りにされたところに巨大な丸太を叩き込まれて絶命するという凄まじい結末。
日本のクンフー映画ファンに、初めてカサノバ・ウォンという存在が認知された瞬間である。

 カサノバは、別に悪役専門の俳優ではない。
しかし、日本で公開・放送されたものは、彼が悪役を演じている場合が多いため、日本のクンフー映画ファンは彼を悪役俳優であると認識している場合が多いのだ。
俺自身、カサノバを香港映画界を代表する悪役俳優として高く評価している。
失礼かもしれないが、彼は正義のヒーローを演じるようなタイプの顔ではない。
連続蹴り、大回転ソバット、フライング・ニールキックによって人を殺しまくり、不適な笑みを浮かべている姿の方がさまになっている。

 残念ながらすでに俳優は引退し、韓国で映画プロデューサーをやっているという事だが、一度でいいからジャッキー・チェンとの絡みを見たかった。


★リー・ハイサン(李海生)★

 80年代の香港映画界を代表する名脇役として日本でも有名なのがリー・ハイサンだ。
クンフー道場を経営する武術家としても有名で、彼の道場から映画界入りを目指す若者も多いという。

 ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ラウ・カーリョン(劉家良)等、香港映画界の重鎮たちに信用が厚く、重要なアクションの相手として起用される事が多い。
主な出演作品を見ても、『ヤング・マスター』『死亡の塔』『モンキー・フィスト 猿拳』『燃えよデブゴン』『新Mr.Boo アヒルの警備保障』『少林寺三十六房』『プロジェクトA』『五福星』等、有名作品がズラリと並ぶ。
特に『ヤング・マスター』のタレ目のモヒカン刈りの悪役がファンには印象深いのではないだろうか。

 彼の凄いところは、シリアスな本格クンフーからコメディ路線に至るまで、あらゆるキャラクターを違和感なく演じてしまうことであろう。
悪役専門俳優がコメディキャラを演じる場合まわりから浮いてしまうパターンが非常に多いのだが、彼れの場合はまるでコメディ専門の俳優であるかのように役柄にとけ込んでしまう。
コメディ・クンフーの見せ方も、ジャッキー・チェンのそれとはひと味違ったものがあり感心してしまう。

 しかし、シリアスな本格クンフー作品における悪役の時こそ、彼のクンフーの神髄を垣間見ることが出来る。
残念ながら殆どが日本未公開なのだが、ラウ・カーリョン監督作品においてカウ・カーウィン(劉家榮)リュー・チャーフィ(劉家輝)と対戦した時の彼のファイトは素晴らしいの一言に尽きる

 最近は、彼の姿をスクリーンで見かける事が全くなくなってしまった。非常に残念である。


★フィリップ・コオ(高飛)★

 はっきり言ってフィリップ・コオは日本では全く注目された事がない俳優だ。
しかし、彼は間違いなく80年代を代表するトップクラスの悪役俳優なのだ。

 1949年に生まれ、ウェイターを経て20歳の時にスタントマンとしてショウ・ブラザーズに入社。
70年にショウ・ブラサーズを飛び出してゴールデン・ハーベストに移籍し、『ドラゴン怒りの鉄拳』や『燃えよドラゴン』にエキストラとして参加する。

 ブルース・リーの死後フィリップ・コオは台湾に渡り、本格的に俳優業をスタートさせる。
台湾時代の主な作品としては、ジョン・リュウとのマラソン・ファイトが有名な『神腿』や、ハン・インチェ(韓英傑)と激闘を展開した『六合千手』などがある。
 その後香港に戻り『激突!キング・オブ・カンフー』に霍元甲の父親役として出演。
この演技が認められ、エリック・ツァン(曾志偉)が監督した『賊賍』に、デビッド・チャン(姜大衛)の相手役として抜擢される。
『賊賍』で悪の武道家を演じたフィリップ・コオは、あらゆる角度から一方的に繰り出す拳技攻撃後を披露してデビッド・チャンを苦しめる。
後に“邪道拳”と呼ばれるこの戦法は、一言で言えば技術も何もかも無視して連続的に殴り続けるだけの街の喧嘩のような戦法なのだが、この邪道拳は彼独自のファイト・スタイルとして定着していくのである。

 80年代後半には再びショウ・ブラザーズに復帰し、数多くの作品に出演。
90年代には自らの映画プロダクションを設立し、主にムーン・リー(李賽鳳)や大島由加里を起用したB級アクションを多数監督。
俳優としても、サイモン・ヤム(任達華)と見応えあるファイトを展開した『刑事ディック/キプロスの虎』など、まだまだ現役である。

 フィリップ・コオが出演した数多くの映画は、ほとんどが日本では未公開であり、今後もビデオ化される可能性は低いであろう。
『激突!キング・オブ・カンフー』や『刑事ディック/キプロスの虎』以外では、せいぜい『ツーフィンガー鷹』『タイガー・オン・ザ・ビート』くらいしかビデオ化されていないのは残念だ。

 彼の邪道拳は、武術家から見れば「あんなものクンフーじゃない」という事になってしまうであろう。
しかし、まるでアルティメット・ファイトのマウントポジションパンチのような「本物の迫力」を持っていたのは間違いないのである。

 フィリップ・コオの近況としては、フィリピンを拠点にB級作品の監督&俳優として今でも頑張っているとの事だ。
リー・リンチェイを邪道拳でボコボコにするようなシーンが実現したら面白いと思うのは俺だけか?