クワン・タッヒン(關徳興)

 香港映画界の伝説的俳優。

 1905年、広州生まれ。
家は貧しく、辛亥革命成立の1911年に戦火で父親を亡くしてからは、母親が女手一つでクワン・タッヒンら四人の子供を養う。
 学費もままならず、彼は学校にも一年間通っただけで、8歳から工事現場などて働き、13歳の時にシンガポールに奉公に出されホテルの給仕として苦労を積む。
 まもなく広東オペラ劇団の師匠に弟子入りし、そこで武術と出会う。
 彼はその師匠から、南派少林拳洪家拳白鶴拳を修得し、武術家としても実力を上げていった。
 16歳の時に広州に戻り、香港や中国各地で舞台に立ち、『三国志演義』超雲『水滸伝』武松の役で名を馳せる。

   1932年、彼はサンフランシスコに招かれて公演。
翌年にはサンフランシスコ・ロケによる華僑向け広東オペラ映画『歌侶情潮』に主演し映画デビュー。
 以降、映画と舞台の二足のわらじをはく事になる。
 日中戦争が勃発した1937年に中国に帰国。
広東オペラの俳優一座「愛国劇団」を組織して巡業しながら、日本軍が暴虐の限りを尽くす中国大陸で抗日運動に明け暮れる。
 彼の一座が中国軍の士気を高めたという理由で日本軍が彼の首に懸賞金を賭けたため、日本軍の追っ手を逃れてアメリカに亡命。
 アメリカで俳優として活躍、多くの作品に出演する。
 戦後、アメリカ時代の映画が香港で公開されて大ヒットを記録し、国民的英雄として凱旋帰国をはたすと、香港でも映画デビューする。

 1949年、実在した英雄“黄飛鴻”の小説を映画化した『黄飛鴻傳上集・鞭風滅燭』に出演。
彼が黄飛鴻と同じ洪家拳の使い手としても有名だったので、出演依頼を受けたのだ。
 『黄飛鴻傳上集・鞭風滅燭』は大ヒットし、以降彼は、足かけ30年以上、作品数にして99本にもわたって、ただひたすら黄飛鴻だけを演じ続けた。

 黄飛鴻少林寺拳法における南派少林拳の使い手だったので、必然的に彼の適役は、北派少林拳の武術家、シー・キエン(石堅)が演じる事が多かった。
また、他の出演者に関してもほぼ同じメンバーによって作品は作られ、ブルース・リーの父親・リー・ハイチュアン(李海泉)黄飛鴻の孫弟子・ラウ・チャーン(劉湛)、そしてジャッキー・チェンの『ドランク・モンキー酔拳』の老師役で有名なユエン・シャオティエン(袁小田)等が常連メンバーだった。

 黄飛鴻映画のストーリーは、『水戸黄門』的な内容で、弟子たちの手にあまる市井のトラブルに対して最後に黄飛鴻が本気で怒りだして悪役をこらしめるというもの。
 たとえお決まりの展開でも、観客の溜飲がさがれば良かったわけである。
 また、中国の伝統的な道徳観が明確に打ち出されていたこと、獅子舞など中国南方に伝わる大衆文化が劇中ふんだんに取り入れられていたこと、そして武術場面が従来の映画のような芝居がかった動きでなく、本物のクンフーだった事が、同シリーズの成功に大きく寄与したと思われる。

 観客にとって、黄飛鴻と彼のイメージは日増しにだぶっていき、彼自身も「黄飛鴻としての人生」を歩み始める。
黄飛鴻が広州で漢方医局兼道場「宝芝林」を営んだように、彼も俳優業のかたわら漢方医局を経営。
また、慈善活動に力を注ぎ、1982年にはイギリスのエリザベス女王からMBE勲章を授与された。

 晩年の彼は香港よりもアメリカにいた期間の方が長く、香港の日常生活でも、ジーンズなどのカジュアルウェアを好んだ(90歳近い爺さんだぜ!?)。
映画はハリウッド映画を好み、特にロバート・デ・ニーロ作品が好きで、香港映画は全く観なかったという。

 1994年の旧正月映画『大富之家』が彼の最後の出演作品。
香港恒例“新春初笑い”のオールスター喜劇で、若手スターに混じって、「黄飛鴻を尊敬する老人」という自己パロディめいた役柄を演じていた。

 1996年、体調を崩し香港で入院。
病人らしくなく元気に入院生活を過ごしていたが、6月27日に病状が急変し、翌28日に膵臓がんで死去。
91歳だった。

主要出演作品リスト
制作年作品名
1933歌侶情潮【未】
1935昨日之歌【未】
1949黄飛鴻傳上集・鞭風滅燭【未】
1956黄飛鴻之醒獅會金龍【未】
1968黄飛鴻之威震五羊城【未】
1968神鞭侠【未】
1969黄飛鴻之浴血硫黄谷【未】
1974スカイホーク鷹拳
1979燃えよデブゴン7
1980黄飛鴻與鬼脚七【未】
1981ツーフィンガー鷹
1986烏龍大家【未】
1949大富之家【未】


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