正式名称はプロレタリア文化大革命。
1965年の文芸作品への思想闘争を契機に、66年の紅衛兵の学園闘争から、軍民あげての奪権闘争に発展し、文闘・武闘を展開。
文革の影響で、国内の建設事業は停滞し、多くの人民が国外に亡命、この結果、中国は国際的にも孤立した。
1981年、党中央委員会は文革を“指導者が間違っておこし、党・国家・人民に大きな災害をもたらした内乱”と文革が重大な誤りだったことを正式に認めた。
内外路線の差と人脈派閥が結合した中国の大権力闘争。
党内の劉少奇、ケ小平などを“実権派”として打倒・失脚させ、1969年4月の九全大会で、毛沢東、林彪ら“文革派”が勝利した。
1971年、林彪のクーデター失敗や73年のケ小平復活により文革は収束にむかうが、四人組が周恩来批判を展開して文革の継続を主張し反対派を抑圧。
76年の毛沢東の死後、四人組が逮捕されたことにより文革派は一掃され、10年続いた文革はついに終結した。