1954年10月20日生まれ。
一般的には73年の『警察』で主演として映画デビューしたと言われているがこれは誤りで、正しくは1972年の『四騎士』でチョイ役で映画デビューしている。
1974年、デビッド・チャンと共演した『朋友』で本格的に主演クラスに昇進。
80年代に入ってから、フーシェンには不吉な影が漂ってくる。
1983年7月7日、撮影所近くをポルシェで疾走中、運転していた弟がハンドル操作を誤り、対向車を避けきれずに道路脇の壁に激突、フーシェンの座っていた助手席側が大破した。
裕福な家庭に生まれ、香港やハワイで武術を学び、16歳の時にショウ・ブラザーズの俳優養成所に第一期生として入る。
また、『警察』の主演も実はフーシェンではない。
以降、チャン・ツェー監督のもとでクンフー映画から現代アクションまで数多く出演。
また、チョウ・ヤン(楚原)監督やラウ・カーリョン(劉家良)の作品にも多数出演するなど、幅広く活躍した。
代表作は『嵐を呼ぶドラゴン』『少林五祖』『唐人街小子』など多数あり、『少年蘇乞児』では監督にも進出した。
実際に武術の腕前も確かな物があるのに加え、甘いマスクと貴公子的な品が女性ファンから高い人気を獲得、70年代後半のショウ・ブラザーズのナンバーワン俳優として大活躍した。
また、1976年には『殺出鬼門關』などの共演を経て恋愛関係だった中国文化学院出身の北京語系歌手ジェニー・イェンと結婚。
ブルース・リーが生前に住んでいた家を購入して甘い新婚生活を送るなど、人生の絶頂を迎えていた。
81年、『五郎八卦棍』の撮影中に頭部負傷と両足骨折という大アクシデントに見舞われる。
6ヶ月後に復帰したものの、かつてのような激しいアクションは出来なくなってしまったため、出演本数も激減してしまう。
病院に急送されたものの、3時間の手術の甲斐もなく、29歳という若さでこの世を去った。
ブルース・リーの急死に次ぐ、“香港映画界第二の悲劇”と言われたその死に、多くの人間が嘆き悲しんだ。
| 制作年 | 作品名 |
|---|---|
| 1972 | 四騎士【未】 |
| 1972 | 仇連環【未】 |
| 1972 | 警察【未】 |
| 1974 | 朋友【未】 |
| 1974 | 嵐を呼ぶドラゴン |
| 1974 | 洪拳與詠春【未】 |
| 1974 | 少林子弟【未】 |
| 1975 | 少林五祖【未】 |
| 1975 | 馬可波羅【未】 |
| 1975 | 洪拳小子【未】 |
| 1975 | 八國聯合【未】 |
| 1976 | 八道楼子【未】 |
| 1976 | 方世玉與胡恵乾【未】 |
| 1976 | 殺出鬼門關【未】 |
| 1976 | 蔡李佛小子【未】 |
| 1977 | 唐人街小子【未】 |
| 1977 | 射雕英雄傳【未】 |
| 1977 | 少林寺【未】 |
| 1978 | 生死門【未】 |
| 1979 | 絶代雙驕【未】 |
| 1980 | 広東十虎與後五虎【未】 |
| 1980 | 多情劍客斷情刀【未】(別名=魔劍侠情) |
| 1981 | 少年蘇乞児【未】 |
| 1981 | 射雕英雄傳第三集【未】 |
| 1981 | 五郎八卦棍【未】※ |
| 1982 | 十八般武藝【未】 |
| 1982 | 神雕侠侶【未】 |
| 1983 | 花心大少【未】 |
| 1983 | 南斗官與北少爺【未】 |
※『五郎八卦棍』はフーシェンの途中降板により撮影が中断されていたが、フーシェンの死後にベティ・ウェイを代役として撮影再開し、1984年に完成した。