ジャッキー・チェン
82年、ジャッキー・チェンの監督第3弾『ドラゴン・ロード』が公開される。
『ドラゴン・ロード』の撮影終了後、ジャッキーは超大作『プロジェクトA』の撮影を開始する。
『プロジェクトA』は撮影に約2年を費やしていたのだが、ジャッキーはその合間に3本の作品にも出演している。
劉三兄弟
ゴールデン・ハーベストのジャッキー・チェンが大ブレイクしていく中で、ショウ・ブラザーズは崩壊への道を歩み始めていた。
五毒
台湾から香港に戻ってきたチャン・ツェーは、北派武術のコク・チョイ、チャン・チェン、ルー・フェン、蟷螂拳のロ・マン、テコンドーのサン・チェンの5人を主役にした『五毒』を発表した。
アレクサンダー・フーシェン
81年、ラウ・カーリョンはアレクサンダー・フーシェンを主演に据えた『五郎八卦棍』の撮影を開始するが、撮影中の事故により、フーシェンは頭部負傷および両足骨折という大アクシデントに見舞われる。
リー・リンチェイ
ジャッキー人気が世界中でブレイクしていく中、1人の武打星が彗星のごとく出現した。
シネマ・シティ
80年9月、"脱功夫映画"を宣言した新たな映画会社が設立された。
81年、『歡樂神仙窩』、『鬼馬智多星』、『追女仔』、『再生人』と次々とヒット作品を生み出したシネマ・シティは、82年にとてつもない作品を発表した。
シネマ・シティの勢いはその後も止まらず、82年の『難兄難弟』、『魔界天使』、83年の『我愛夜來香』など、ヒット作を連発。
「クンフーとスポーツの合体」という新たな発想による『ドラゴン・ロード』は、大ヒットしたとは言えないものの、今までの単なるクンフー映画を「クンフーアクション映画」へと進歩させた功績は大きいだろう。
アクロバット的な要素が増えたことは賛否両論あるが、『ヤング・マスター 師弟出馬』に引き続きいてのウォン・インシックとの死闘は見ごたえ充分である。
『プロジェクトA』は今までのクンフー作品とは異なり、1900年代初頭を舞台にしたモダンな作品となったため、古風なクンフーのイメージを消し去っている。
また、合法的に悪をこらしめる「警察官」という設定を取り入れることによって、「意味不明で唐突な喧嘩」や「不自然な戦い」といったクンフー映画の定番シーンを極力排除している。
そして最大の見所は、ジャッキー自らが時計台の上から何メートルも下に落下するスタントだろう。
怪我防止用のクッションを下に置かないという非常に危険度の高いスタントを、スタントマンを使用せずに主演俳優自らが行なうのは、香港映画界はもちろん世界中の俳優の中でもジャッキー・チェンが初めてであろう。
84年に劇場公開された『プロジェクトA』は世界中で大ヒットを記録し、ジャッキー・チェンは「世界のジャッキー」へと羽ばたいていったのである。
1本目は台湾で撮影した『ドラゴン特攻隊』で、“ジャッキー略奪事件”の調停役になった「天皇ブローカー」ジミー・ウォングが製作・出演の作品だ。
『プロジェクトA』撮影中のジャッキーを強引に連れ出し、ブリジット・リンやアダム・チェンといった他の共演者たちも脅迫まがいの手法で無理矢理出演させたジミー・ウォングだが、それほどヒットはしなかった。
2本目は香港・米国合作のオールスターキャスト映画『キャノンボール2』。
今回は『007/私を愛したスパイ』の悪役ジョーズでお馴染みのリチャード・キールとコンビを組み、三菱スタリオン・ターボでレースに参加という設定。
ジャッキー自身は『プロジェクトA』撮影の過密スケジュールから抜け出し、かなりリラックスできたようだが、作品は前作以下の愚作と言っていいだろう。
そして3本目は、盟友サモ・ハン・キンポーが監督・主演した『五福星』。
ジャッキー、サモ・ハン、ユン・ピョウのトリオによるコメディ・アクションで、ジャッキーの出演シーンはわずかだが、ローラースケート・アクションは見ごたえ充分だ。
フーシェン、ティ・ロン、デビッド・チャン、チェン・カンタイらのスター達も、ジャッキーの勢いには全く歯が立たなかったのである。
そんな中で、カーリョン、カーウィン、カーファイの劉三兄弟の活躍には注目していいだろう。
78年の『少林寺VS忍者』、79年の『ガッツ・フィスト魔宮拳』、81年の『武館』、82年の『十八般武藝』など、劉三兄弟の監督・主演作品はどれもなかなかの好成績をおさめている。
そして特に注目すべき作品は、ラウ・カーファイ主演の『少林寺三十六房』である。
『少林寺三十六房』は、17世紀に実在した人物・劉裕徳が少林寺の武道部屋三十五房をマスターし自ら三十六番目の房"三節棍房"を創設するまでを描いた作品で、78年の興行収益ランキングにおいてジャッキーの『スネーキー・モンキー 蛇拳』の270万香港ドルを上回る295万香港ドルを獲得して第5位を記録している。
もう一つ注目すべき事としては、ラウ・カーリョンが女武打星のベティ・ウェイ(惠英紅)を主役に抜擢したことである。
当時のショウ・ブラザーズは、ランラン・ショウの第2夫人的存在だったモナ・フォンが男優ばかりを優遇していたため、女優が映画の主役を飾ることはありえなかった。
そんな中、脇役でくすぶっていたベティ・ウェイの実力を見抜いたラウ・カーリョンは、80年の『長輩』の主役に彼女を選んだ。
『長輩』で男勝りの若き叔母役を熱演したベティ・ウェイは、82年の第一回香港電影金像奨の主演女優賞を獲得し、スター女優の仲間入りを果たした。
『五毒』はかなり奇妙な作品だったが、主役の5人の若さあふれる演技と、斬新なアクロバット・クンフーが注目を浴び、これ以降彼ら5人自身が"五毒"と称され、主演作品を連発していく。
この五毒たちの登場により、ショウ・ブラザーズ内ではナンバーワン武打星をめぐって五毒と劉三兄弟に争いが勃発するほどであった。
しかし、チャン・ツェーが最後の切り札として送り込んだ五毒であったが、ジャッキー・ブームには当然打ち勝つことが出来ず、ブームはすぐに去ってしまう。
事故から半年後にフーシェンは復帰するものの、この時期から彼に暗い影がつきまとっていたのかもしれない。
その後、『十八般武藝』や『御猫三戯綿毛鼠』などのカーリョン作品に出演し、元気な姿を見せていたが、ついに運命の日を迎えることになる。
1983年7月7日、フーシェンは弟で俳優のチャン・テンペン(張展鵬)が運転するポルシェ911に乗っていた。
清水湾沿いの道路を走行中、対向車を避けようとしたポルシェは運転を誤って道路脇の壁に激突し、フーシェンの乗っていた助手席側が壁に叩きつけられて大破してしまった。
病院に急送され3時間に及ぶ手術を行なったが、フーシェンは残念ながら息を引き取ってしまう。
わずか29歳という短い人生に、ブルース・リーの急死に続く"香港映画第二の悲劇"と香港中のファンが嘆き悲しんだ。
彼こそ、後にブルース・リー、ジャッキー・チェンに次ぐ"第三の功夫皇帝"と呼ばれるリー・リンチェイ(李連杰)である。
8歳の頃から武術を学んだリー・リンチェイは、75年〜79年まで5年連続で中国全国武術大会優勝という輝かしい実績を引っさげて映画界に参入してきた。
80年、リー・リンチェイは香港・中国の初の合作映画『少林寺』の主演に抜擢された。
中国政府の全面協力により本物の嵩山少林寺で撮影出来たことや、中国全土から現役の武術家が召集されたことで、『少林寺』は今までの少林寺映画とは比較にならないくらい中身の濃い作品に完成した。
リー・リンチェイも本格的な中国武術の実力を発揮し、とてもデビュー作とは思えない堂々とした雄姿を披露してファンを魅了した。
82年に公開された『少林寺』は、その年の興行収益ランキングで1600万香港ドルという大ヒットを記録して第3位となった。
ジャッキーの『ドラゴン・ロード』は1090万香港ドルで7位、サモ・ハン・キンポーの『ピックポケット』は1180万香港ドルで6位、さらには4位のアン・ホイ監督の『望郷』が記録した1547万香港ドルという数字も超えてしまったのだから、『少林寺』人気が凄まじかったことがよくわかる。
その映画会社こそ、80年代に一世風靡したシネマ・シティ(新藝城電影公司)である。
カール・マッカ(麥嘉)、ディーン・セキ(石天)、そして脚本家のレイモンド・ウォン(黄百鳴)の3人が中心となって設立されたシネマ・シティは、「クンフー=香港映画」という一般的な認識を打ち消すことに大きく貢献。
また、後に香港映画界を担う人材を多く育てた功績も非常に大きい。
シネマ・シティの創業作品は、ジョン・ウー(呉宇森)監督、ディーン・セキ主演の『滑稽時代/モダンタイム・キッド』。
チャプリンの名作『キッド』『街の灯』『モダン・タイムス』といった作品をモチーフにし、涙あり笑いありのとても素晴らしい作品で、興行収益ランキングで3位を記録。
ちなみに、ジョン・ウー監督の本作品でのクレジットが呉宇森ではなく呉尚飛となっているのは、彼が当時ゴールデン・ハーベストと契約していた関係で、そのまま呉宇森を使用するわけにはいかず呉尚飛という変名を使ったらしい。
2600万香港ドルというそれまでの香港映画の常識からは考えられない数字をはじき出したスーパーヒット作品『悪漢探偵』である。
主演にホイ兄弟のサミュエル・ホイ(許冠傑)、共演にカール・マッカ、シルビア・チャン(張艾嘉)、ディーン・セキ、そして監督がエリック・ツァン(曾志偉)。
『悪漢探偵』は、古典的なクンフー映画に飽きていた人たちに、カーアクションやメカアクションを主体にした「現代ガジェット・アクション」の魅力を存分に見せた作品である。
この作品以降、香港映画界は現代アクションや現代ドラマのいわゆる「ニューウェーブ路線」がブームとなり、古典的なクンフー映画は製作本数が激減していくこととなる。
83年に2327万香港ドルという数字で興行収益1位を獲得したのは『悪漢探偵』の続編、『悪漢探偵2』で、翌84年にはシリーズ第3作の『皇帝密使』が2928万香港ドルで1位を記録するなど、『悪漢探偵シリーズ』はシネマ・シティのドル箱となった。