日本人類のあけぼの

明石原人の謎

 まず、この表を見てほしい。

年代人類種別主な化石人骨
400万年〜250万年前猿人アウストラロピテクス、ラミダス猿人、ガルビ猿人
250万年前〜20万年前原人ホモ・ハビルス、ジャワ原人(ピテカントロプス)、北京原人(シナントロプス)、ハイデルベルク人
20万年前〜3万年前旧人ネアンデルタール人、ローデシア人、ソロ人
10万年前〜1万年前新人クロマニヨン人、周口店上洞人、グリマルディ人、ボスコップ人
1万年前〜現代現代人ホモ・サピエンス・サピエンス(学名)

 これが世界史上における人類の歴史だ。
“最古の人類”と呼ばれている猿人の化石人骨は、今のところアフリカからしか発見されてない。
その次の原人になると、アジアからもジャワ原人北京原人の化石人骨が発見されてるから、日本からも原人の化石人骨が発見されたって不思議じゃない。

 実際、昭和6年に兵庫県明石市の西八木海岸で発見された化石人骨が、昭和23年に東京大学の長谷部言人(はせべ ことんど)によって「ニッポナントロプス=アカシエンシス」、つまり「明石原人」と命名された事があるんだよ。
長谷部によれば、腰骨の形からジャワ原人や北京原人と同じ段階のものという判断をしたらしい。

 ところが昭和57年に、同じ東京大学の遠藤萬里(えんどう ばんり)馬場悠男(ばば はるお)によって、この考え方は否定されるんだよ。
遠藤と馬場は世界の化石人骨のデータを集めて研究し、統計的手法によって「明石市で発掘された化石人骨は原人段階ではなく、新人段階のものである」という結論を導き出したわけ。
つまり、「明石原人」ではなくて「明石新人」って事だよな。

 ややこしい事に、昭和60年に西八木海岸の再発掘調査が行われ、そこが10万年〜5万年前の地層だった事がわかったんだよ。
最初の表をみてもらえばわかると思うけど、10万年〜5万年前は旧人の段階に相当する。
 そうなると、「明石原人」でもなく、さらに「明石新人」でもなく、「明石旧人」って事になる。

 残念ながら、昭和6年に発見された人骨は太平洋戦争で焼失しているから、長谷部も遠藤も馬場も、残されていた石膏模型を研究しただけなんだよ。
骨そのものを年代測定することが出来ない状況である以上、昭和60年の地質調査結果が一番妥当な結果だと俺は思うんだけど、学会の方でも正式に「明石旧人」と発表してないので、「明石市の化石人骨」については宙に浮いちゃってる状態なんだよ。
 だから、最近の学校の教科書では「明石市の化石人骨」の事は扱っていないみたいだな。

日本の化石人骨

化石人骨(発見場所)年代人類種別
港川人(沖縄県具志頭村港川)2万年前新人
聖岳人(大分県南海部郡本匠村)1万5千年前新人
葛生人(栃木県安蘇郡葛生町)1万年前新人
牛川人(愛知県豊橋市牛川町)1万年前新人
三ヶ日人(静岡県引佐郡三ヶ日町只木)1万年前新人
浜北人(静岡県浜北市)1万年前新人

 この表を見てもらえばわかると思うけど「明石市の化石人骨」を無視して考えた場合、日本では旧人以前の化石人骨は一片も発見されていない。
これは、日本の土壌の殆どが酸性だからって事が、原因なんだよ。
骨の主成分はリン酸カルシウムなので、酸性土の中に埋まった骨は数十年〜数百年で溶けてしまう。
例外が石灰岩層と貝塚だな。この場合だと、アルカリ性が強くて骨は溶けずに保存されるんだよ。

 このように化石人骨の有無だけで見ると、日本には原人も、旧人も存在しなくて、新人からはじまるという結論になってしまう。
でも、そうした理解が間違いであることはいうまでもない。
 何故なら、化石人骨が発見されなくても、旧人や原人の時代に該当する時期の地層から、人間が確実に存在した証拠がいくつも見つかっているんだよ。

 原人・旧人の痕跡は、何故か宮城県に集中しているんだよ。
宮城県玉造郡岩出山町の座散乱木遺跡(ざざらぎいせき)からは、4万5千年〜3万5千年前のものと推定される石器が見つかっている。
時期的には、旧人と新人の境になるので微妙だけど、旧人段階の一番最後の人々がそこで生活していたのは間違いないんだよ。

 同じ宮城県の黒川郡大和町にある中峯C遺跡(なかみねCいせき)からは、14万年前と推定される石器が見つかっている。
こっちは完全な旧人段階になるな。

 宮城県古川市清水の馬場壇A遺跡(ばばだんAいせき)からは、驚くことに30万年〜20万年前と推定される石器が発見されている。
つまり、原人段階の後期に該当するわけだ。
ここで発見された石器からは、ナウマンゾウオオツノシカの脂肪酸も検出されているし、火を炊いた跡も確認できるんだよ。
これは、ヒトが石器で動物を調理し、それを焼いて食べた証拠だよな。

 骨が見つからなくても、これだけの証拠があれば、日本に少なくとも20万年前にヒトが生活していたのは間違いないって事だな。

2001年の新事実

 2001年、お茶の水女子大学の松浦秀治教授が「聖岳人」「牛川人」「葛生人」「三ヶ日人」の骨をフッ素年代測定法で調査したところ、これまでの歴史を大きく塗り替える結果が出てしまったんだよ。

化石人骨調査結果
聖岳人中世以降の人骨
牛川人ナウマンゾウのすねの骨
葛生人獣骨や室町時代以降の人骨の寄せ集め
三ヶ日人縄文時代人の骨

 この調査結果をどこまで信用して良いのかわからないけど、この発表は歴史学会にとっても衝撃的だったんだよ。
特に「葛生人」は、俺としては非常に残念な結果だ。

旧石器発掘ねつ造問題

 2003年5月24日、日本考古学協会の調査研究特別委員会は、東北旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長がかかわった9都道県の計162遺跡でねつ造があり、前・中期旧石器時代(3万年以上前)の全遺跡を無効とする検証結果を発表した。
報告によると、藤村氏が関与した遺跡は最大186カ所あり、このうち159カ所は遺跡そのものがねつ造だったというんだから、とんでもない話だ。
ねつ造発覚時、本人は「魔が差した」とコメントしていたけれど、調査研究特別委員会は「藤村氏の石器探しは当初から遺跡のねつ造を目的としたもの」と指摘し、「学問的探求心ではなく、名声の獲得を求めた可能性が強い」とした。
日本の中期旧石器時代(3万年以前)の存在を証明したとされる宮城県岩出山町の座散乱木遺跡を再調査した結果、ねつ造と断定。
「石器が出土した地層は人が生活できない火砕流跡だった」とする地質学の検証結果と合わせ、同遺跡の学術的価値をあらためて否定した。
50万年前の石器を発見したとされた宮城県築館町の高森遺跡も、多数の出土石器から本来付着するはずのない農耕具の鉄分などを検出し「資料全体が不自然」とした。
その他、北海道の総進不動坂、天狗鼻、美葉牛、下美蔓西、岩手県の瓢箪穴、宮城県の馬場壇A、中峯C、上高森、中島山、志引、柏木、山田上ノ台など、とにかく数多くの遺跡が歴史から削除されていくことになった。
 今に始まった事ではなく、江戸や室町時代、さらには飛鳥時代にも、「ねつ造」は行なわれていたのかなあ。
そうだとしたら、どれを信用していいのかわからないよな。


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