津田正文とバリアフリーチェック  ★行ってきました。ヨーロッパへ

バリアフリー旅行記

★行ってきました。ヨーロッパへ。 ===空を飛んだ車椅子===
10月13日から27日までイタリア、フランス、イギリスを旅行してきました。夫 の正文さんは車椅子とつえでの旅です。旅行を楽しみながら気づいたところのバリア フリーチェックしてきました。

@.スケジュール
A.イタリア  
B.フランス   4/24 更新
C.イギリス
D.番外編

イタリア
●フーチェ空港へは非常時脱出用ドアから。
ローマの空港に着いたのは朝の7時。外は真っ暗。飛行機の横にはバスが待機している。これはタラップだ。車椅子の夫は降りられるのかしらと心配していると、スチュワーデスがやってきて、こちらへどうぞと導かれたのは非常用脱出口。ぽっかり開いた扉の向こうは真っ暗。どきどきして待っていると大きなコンテナが接近してきた。
そしてリフトがあがってきた。そのリフトはガラス張りのエレベーターになっていた。相当高いところなのでちょっと緊張して乗り込んだ。リフトは下がり、そのままコンテナ車に引かれてターミナルへ。頑丈そうな男性2人にガードされて無事地上に降りることができました。
非常口に近づいてくるコンテナ車。 二人にガードされて無事地上に
●オードリーヘップバーンとグレゴリ-ペッグの気分で。
私たちの年齢でローマといえば映画「ローマの休日」を思い浮かべます。オードリーヘップバーン演じるある国の王女様が、公式行事をすっぽかしてローマの町に抜け出したところ、グレゴリーペック演じる新聞記者と遭遇し、オートバイの後ろに乗ってローマの町を案内してもらう。

そこで,私たちも映画のヒーロー、ヒロインになってトレビノ泉、真実の壁、スペイン広場にいってきました。

トレビノ泉は道路から階段を下りていかなければなりません。車椅子では降りられない状態なので、正文さんは杖を使って1段ずつ下りていきました。手すりもなく結構あぶなかしかったんですが、下に到着したら上のほうから拍手が・・・・。ちょっと感動しました。その後、お定まりのコインを投げて、もう一方の階段を上っていきました。このときも少しふらついたら、アフリカ系の物売りの青年が手を貸してくれました。 スペイン広場 この階段には多くの人が座っていまた。そこで、私たちも意味もなく座ってしまった。しかし、当然、車椅子は階段を上れませんからはしっこのほうに・・・。ここでも多くの方に手を差し伸べていただきました。

真実の壁では多くの観光客が列を作っていました。入り口には少し高めの段差があり、車椅子ではいるのは少し困難でした。私たちの前には、イギリスのエジンバラから来た小学5年生が15人ほどいました。一人一人が真実の壁に手を突っ込み、先生に記念写真をとってもらっていました。恥ずかしそうに手を突っ込んだ後、吸い込まれる振りをしてシャッターを押してもらっていました。どこでも子供は屈託がなくかわいいものです。

●ナポリに洗濯物がよく似合う。
 ナポリ湾を抱いて北のほうの山の手は高級リゾート地
 中心地の南のほうは下町といった感じです。急な勾配のところに建物が建っているために、こんなところでは年をとったり、障害を持った場合は暮らしにくいと感じました。しかし、やけに目に付いたのが乳母車を引いた若いお母さんです。日本では出生率が低下しているせいか、乳母車を引いて歩くお母さんをトンと見かけなくなりました。
そして、ナポリといえば道を渡して洗濯物を干している光景が浮かんできます。(これも映画の影響ですが・・・)
見かけました。向かいのアパートの壁に紐を渡し、いっぱいの洗濯物を干しているところずらっとつながっていました。を。特に下町に行くほどその量は多かったようです。


●ポンペイの遺跡。マリーナ門はきつかった。
正文さんがポンペイに行きたいというので、旅行社の人に聞いてみたら、マリーナ門を入った広場までは車椅子でいけるという話でした。
ポンペイは紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火で6メートルの火山灰が降ってきて一瞬にして灰の中に埋まったそうです。発見されたのは18Cになってからです。

ポンペイについては下のサイトの中にポンペイのことが詳しく載っています。
http://www.love-italy.net/main.html
また、今ポンペイ展が全国で開催されています。もうじき名古屋へ来るようです。その案内は以下のサイトにあります。
http://www.asahi.com/event/italia/pompei/html/about.html

ポンペイの町は城壁に囲まれていて、マリーナ門を使って町から外部へ出入りをしていたそうです。その門は歩道と馬に分かれているのですが、
観光客は馬車道を通って遺跡に入っていきます。(観光の入り口はほかにも何箇所かあるそうです。)
さて、私たちはマリーナ門へ入っていきました。ところが途中から傾斜がきつく、なおかつ直径30cmくらいの丸い石が引きつめてありました。はじめは調子よく車いすを押していたのですが、だんだん傾斜がきつくなって私一人では押して行けなくなりました。門は30mから50mあるいは100mぐらいあるようです。入り口付近では多くの観光客が【押しましょうか】と声をかけてくれましたが、押していけそうなので断っていました。しかし、中ほどに来て、観光客がぱたっと来なくなりました。進むも戻るも大変としばらく立ち止まってしまいました。そこで、正文さんには門の壁についてある手すりを伝って歩いてもらうことにしました。すると、その手すりも途中でなくなり、いよいよ杖を使うことになりました。しかし、敷石なので杖も不安定なものでした。本当に汗だくだくで通り抜けました。
やったね!門を通りぬけただけでポンペイの遺跡を全部見てしまったほどの感激でした。広場で記念写真を取り、その周辺を少し見て戻ることにしました。町を見て歩くと3時間ぐらいかかるそうです。2万人が住んでいた町だそうです。

 帰りは頑丈な男性に声をかけていただいたので、お願いしました。すると何人もが手伝ってくださってあっという間に、車いすは出口に到着しました。バリアフリーになっていないところでも、みんなの好意に甘えて手伝ってもらえばよいのだと思いました。本当にイタリアでは多くの方に声をかけていただきました。


マリーナ門を前にして

マリーナ門を抜けたところ

広場、遠くにヴェスヴィオ火山が見えます

●サンピエトロ大聖堂へは神聖なフロア-から。
サンピエトロ大聖堂の前の広場では毎週日曜日に法王がお見えになるそうです。そのお姿を見るために何万人もの人が集まるそうです。その広場の横を通り、大聖堂へ入るためにチケット売り場に並んでいると、映画に出てくるような背の高いがっしりした体格のガードマンが近づいて、「中に入りたいのか」と聞いたような気がするので「yes」と答えると、「こい」と合図をした。何かわからないがついていくとエレベーターのところに案内された。そこにも別のガードマンがいた。とにかく指示に従った。エレベーターを出ると、その向こうに荘厳な扉があった。そこを押し開けてはいると、だーれもいないフロアー。遠くのほうにロープが張ってあり、そこの向こうには観光客がわんさと。どうやらここは神聖なフロアーのようだ。ひょっとしたら法王が乗るエレベーターだったかも・・・。ガードマンはロープのところまで案内してくれて、一箇所のロープをはずして、観光客のところへ誘導してくれた。車椅子を見たら、向こうから声をかけてもらえるのはありがたかった。帰りもロープの前に立つと、案内人がやってきて神聖なフロアーを通って、エレベーターに誘導してもらえました。

たくさーんのいすが並んでいるサンピエトロ広場 ちょと暗いですが透かして見てください。厳かさが感じられます。大聖堂内部

●システィーナ礼拝堂への遠い道のり
 バチカン博物館ではラファエロの間とシスティーナ礼拝堂に行こうと決めていました。どちらも入り口から一番遠くにあるので、案内図に従って進んでいたら、車いすマークが見えたので、旅行の情報誌「るるぶ」に載っているラファエロの間の「アテネの学堂」の絵を見せると、このエレベーターに乗れと合図をしてくれた。そして上の階へ行き、ずっと向こうだと合図をしてくれた。タペストリーのギャラリーや古い絵地図が並んでいる間を進んでいると、向こうから車椅子の集団がやってきました。
 10台以上の車いす、電動や手で自走している人や、介助者に押してもらっている人などさまざまでしたが、みんな明るくにぎやかでした。ちょっと心強くなりました。ラファエロの間へは簡単に行けました。多くの観光客がうっとりと眺めていました。次はシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」へ。そこここにいるガイドの人に絵を示して、「ここへ行きたい」というと「向こうのエレベーターへ」と指示された。そこへ行ってまた絵を示したら、「もっと向こうへ行け」。次のところで車いす用のエレベーターに乗って進んでいく。ちょっと不安になったので、また絵を示すと、今度は違う方向を示され、なんだか行ったりきたり。すっかり疲れてしまったら、今度は目の前に階段。フーッツ! しかし、すぐに係員がすぐやってきて、手すりにセットしたリフトを操作してくれた。やっとたどり着いた礼拝堂。ミケランジェロの作品を堪能しようと周辺に腰を下ろして、体いっぱいで感じている人が多かった。私たちもみんなに混じって、ゆっくり鑑賞しました。しかし、こんなにたくさんの貴重な作品を世界の人々に解放しながら、管理して行くのは大変なことでしょうね。観光客としてはありがたいことです。

 ●ベニス・サンタ・ルチア駅の車椅子通用門
ローマ・テルミニ駅を10時55分発の列車に乗り、列車の中で昼食をとり、ベニスへついたのは3時27分でした。列車を降り、みんなと同じように出口に進んでいきました。地図では駅の前は運河になっています。ホテルは駅の横になっているので、駅を出て左に曲がればよい、と考えていました。ところが、駅舎から出ると目の前には運河が・・・。しかし、階段がある。どこを見てもスロープはない。どこかに車椅子が通れるところがあるはずだ、と信じてもう一度駅舎の中へ入って、きょろきょろしていると、やはりあった。駅内の端に大きく車いすのマークがあり、その門を出ると、どこか寂しい路地。ちょっと心細くなりましたが、すぐに運河が見えてきたので安心しました。さて、ホテルを探さなければ。旅行社に予約をしてもらってあったので、地図を見ながら探したのですが、なかなか見つかりません。なんだか寂しそうな路地がありました。ちょっと入るのが怖いなあと思いながら、右左と看板を確かめながら進んでいくと、やっとあった、Hotel Stella Alpina 。しかし、残念ながら入り口に5段の階段があり、ちょっと不便をしました。

 ●ベニスの水上バス(各所を結ぶ船)には車椅子マークがついている。
ベニスでは運河が道路です。道路は歩道です。運河の上にかかっている橋も歩行者専用です。したがって、運河を通れるのはバス=水上バス、タクシー=ゴンドラ、自家用車、トラック=貨物船などです。旅行社の人のアドバイスでは「水上バスには車いすで乗れるが、たくさんの人が乗り降りするので、ちょっと大変かも・・・。」 ホテルで1泊して、朝から船着場に。チケットは大人3人1日乗り放題を買いました。なるほど船着場は大勢の人が待っています。しかし、10分も待てば船が到着します。乗降口に立っている乗組員は車椅子の私たちを見て、「ちょっと待て」との合図。ほとんどの乗客を乗せたのち、車椅子を押して乗せてくれました。降りるときも同様に乗組員がおろしてくれます。心得たものです。ふと見ると乗降口の横に車いすマークがついていました。あるとき、アメリカ人の車椅子と一緒になりました。奥さんと友達夫婦で旅行しているそうです。とっても高そうな車いすなので、「すごいですね」というと、「彼は100kg、頑丈でなければ・・・ははは」と。とっても明るい方たちでした。

運河沿いのレストランで

レストランから見た運河

 ●ゴンドラの行き交う運河沿いのレストランへは回り道で。
私は今まで海外旅行を何回かしましたが、ほとんど何らかの研修が目的でした。しかし、今回はまったくの観光旅行です。コースは娘に任せました。すると雑誌に紹介されているレストランで、お目当ての料理を食べようということになりました。例によって旅行雑誌「るるぶ」を片手に運河沿いのレストラン SEMPIONEへ。サンマルコ広場から北に入ったところらしいのですが、まるで迷路。行ったりきたりしながらやっと見つけたら、橋の手前だが、何段か階段があり、「入れるかなあ」と思案げに見ていると、向かいの店の人が出てきて、「あっちへ回れ」と。いわれるままに元に戻り、一筋向こうの道をとっているつもりが、またまた迷路。四苦八苦してたどり着いたもうひとつの入り口は多少の段差はあるものの車椅子でも入れました。ウェーターも親切でした。写真「運河から見たレストラン」の真ん中の窓際で食事をしました。

 ●リアルト橋へは杖であがったぞ。
リアトル橋を渡った広場で朝市があるということで、いってみました。リアトル橋は真ん中の通路におみやげ物やが並んでいる不思議な橋です。しかもベニスの橋はみんな階段。正文さんはここでも、杖で必死にあがりました。とっても疲れたようでした。橋の真ん中で記念写真を撮って、さあ向こう岸へ降りなければなりません。これ以上歩けとはいえないので、車いすに乗ってもらいました。さあ、降りようかと動き出したら、60以上に見える年配の方が来て、自分が車椅子を押すと言ってくださいました。私たちのほうが若いのにと思いながら、厚意に甘えました。降り終わって少々汗がにじんでいたように思いました。ありがたいなあ。感謝。

リアルト橋

過疎の島、トルチェッロ

 ●過疎の島へ多くの観光客が。
1日乗り放題の切符を買ったんだから、島巡りをしよう。お勧めコースはリゾート地・リド島、ガラスの島・ムラーノ島、レースの島・ブラーノ島、墓の島・サン・ミケーレ島、とあるなかで、「寂しげに揺れる葦の茂みにかっての繁栄の跡を探る。」のキャッチコピーに惹かれて過疎の島・トルチェッロ島に決めました。50分の船旅、たどり着いた島は10世紀には2万人以上の人たちが住んでいたそうですが、今は数件の家が残っているだけだそうです。しかし、船からはたくさんの人が降り、先の船で来た人たちが散策を追えて船に乗り込む。結構、訪問客は多いんです。私たちも船から下りて次の船が来るまで島を散策しました。ところが小さな橋や階段がそこここにありました。一緒に船を降りた人たちがさりげなく手伝ってくださいました。7世紀に立てられた教会は入り口には階段があったので中に入るのはあきらめて、外を回って、記念写真を撮りました。

 ●ミラノでの乗り換え時間はたったの20分。 ヴェニスの駅には敏腕手配師ががいた
旅行会社の人から、ヴェニスについた日にパリ行きの切符を買うようにと指示されていました。ホテルに荷物を置いて、駅へ引き返し、何人かが並んでいるカウンターへ行こうとすると、ガードマンのような人が出てきて、「あっちへ行け」と。なぜかわからないが、いわれた。そこへ行くと、やや太り気味の闊達な感じのおばさん(私と同じくらい)が私たちを招きいれてくれた。そこで、「ベニス発5:50、ミラノ着8:55、ミラノ発9:15、パリ着16:11の切符がほしい。」というと「NO! ミラノで20分では乗換えができない。」といわれた。ほかの列車にしろといっているようだが、「これでないとパリに着くのが夜になるので困る。」と主張すると、どこかに電話をかけているようだった。長々としゃべっていた。そして、「OK。切符販売の窓口で、この席のチケットを買って、またここに来い。」といわれた。その通りにすると、チケットをコピーし、faxで送っていた。そして、「ミラノの駅で車いすを搬送する手配をした。これでOKだ。」と説明された。おばさんやるじゃない!あなたは敏腕手配師だ。

当日は暗いうちにホテルを出た。例の車いす専用門が閉まっていたらどうしようと、はらはらしながら駅に着いた。ミラノ行きの列車は途中の駅でどんどん人が乗ってきた。ほとんど満員状態だ。高校生ぐらいの学生も何人も乗ってきた。私たちはミラノに着いたら真っ先に降りようと考えていたのが、通路も満員の状態になった。ミラノに近づくと気があせりだした。私たちがそわそわしている姿を見て、中年の女性が声をかけてくれた。「あの子達が助けてくれるから。」と。ちょっと意味不明だったが、到着したら、学生たちが出口で待っていてくれて降りるのを手助けしてくれた。そこへ写真のリフトカーがやってきて、車椅子を載せて、パリ行きの列車の待つホームへ。乗り込んで席に着く前に動き出した。リフトカーのお迎えがなかったら、ホームを探したりしている間に列車は出発していたでしょう。ヴェニスの手配師に感謝、ミラノ学生たちに感謝、そしてリフトカーの運転手にも感謝。

フランス

●リヨン駅のタクシー乗り場で最優遇。
 ミラノを出発した列車はパリまで9時間の長旅です。出発してまもなくスイスに入ったようです。かわいい家がならんだ小さな山間の町、澄んだ水が流れる川 、どこかの雑誌で見たような山々。風景を楽しみました。しかし、フランスに入ってからは、畑・はたけ・畠。なるほどフランスは農業国だと納得しました。延々と変わらない景色ですっかり眠たくなり、目が覚めるとパリでした。リヨン駅を出てタクシー乗り場に行くと、たくさんの人々(20人ぐらい)が列を作って並んでいます。最後尾につこうとすると、乗客を整理している係りの人が、私たちに向かって何か叫んでいます。
 もちろんフランス語です。よくわからないけれど、こっちへこいといっているようです。ロープで仕切っている列では車椅子が通りにくいのかなあと思い、指示されるまま列から離れて係員のほうへ行くと、どこへ行くのかといわれたようなので、ホテルの住所を差し出した。すると1台のタクシーを呼び、その運転手にホテルを指示してくれました。長い行列の人たちの申し訳なかったのですが、車いす優遇に感謝。

●ルーブルもオルセーもストライキ。
 ホテルについたのは夕方の6時前。ホテルの周りはレストランやサンドイッチ屋さんやブティック、靴屋さんととってもにぎやかです。
 フロント情報では美術館は今ストライキ中。明日開くかどうかは、明日にならなければわからないとのこと。まあ明日はだめでもあさってには開くだろうと簡単に思っていました。ホテルの部屋には小さなキッチンがついていて、長期滞在用です。部屋についてほっとしていると、部屋の前の広場がにぎやかになっています。覗くとデモなんです。プラカードを持ちシュプレヒコールをあげながら歩いていきます。もちろんまわりは警官で固められていました。うん、やってるやってる。数日前かららしいので、明日かあさってには解決するだろう。

●ユーロスターには障害者割引があった。
 翌朝は雨でした。まず、タクシーでパリ北駅に行き、ロンドン行きのユーロスターのチケットを買わなければなりません。くれぐれも予約を忘れないようにと旅行社の方に言われていましたから。北駅はにぎやかで、構内のお店にはハロインのかわいいお菓子が並んでいました。棒の先に魔女がついているあめを買いたいなあと思いましたが、まあ次に乗りにきたときに買えばいいかなと思いました。ユーロスターのチケット売り場と乗車口は2階です。ガラス張りのエレベーターで上がり、旅行会社の人が渡してくれた時間表を指し示しました。今まで列車の席は2等でした。今回は奮発して1等にしました。一人2万円ほどするといわれていたので、ちょっと痛いなあと思ったんですが、ホテルも安いところを選んでいるので、ここでちょっと贅沢をと考えました。この窓口の人が車椅子の夫を見て、なにやら言っているようでした。適
当に返事をしていると請求されたチケット代が予定より安いのです。私たちが不思議な顔をしているとメモを渡してくれました。standard 2094Fhandicaped 374F sccompany 374F 合計 2842F  このとき 1Fが20円だったのでふつう乗車券が41、880円(ひゃー高)、車いすの人と介助者が7、480円(これは非常に安い)。なんだか得した気分でした。ホテルに帰ってじっくりチケットを見てみると、食事つきのようです。これはこれは楽しみになってきました。

●やっぱりストライキだ。
 北駅からをチケットを買ってそのままオルセー美術館へ向かった。このときもタクシーに乗ろうと並びかけると、係員が呼んでくれて優先して乗せてもらえました。ストライキが解除されていますようにと祈りながら・・。タクシーを降りたところから入り口のほうを見ると、人がはいっているように見えた。小雨が降る中を入り口まで行くとやっぱり閉まっている。それでもルーブルは開いているかもと、はかない望みを抱いてセーヌ川を車椅子を押してわたりました。もちろん夫は合羽を着、私は傘をさして車椅子を押して歩きました。ちょっと厳しかった。悔しいので写真だけとってホテルに帰りました。

●ベルサイユ宮殿前の広場はすべて石畳。フーッツ!
 次の日もやはりストライキ。仕方がないのでベルサイユ宮殿に行くことにした。地下鉄に乗らなくてはならないが、「エレベーターはあるでしょう」と軽い気持ちで行きました。ところが、なかったのです。それでも若者たちに助けてもらって、何とか電車に乗り込めました。ベルサイユの駅は地上駅でした。しかし、通常の出口は階段になっているので、横のほうから出るようにと指示されました。そこは長いスロープになっていました。私たちはそのスロープをそろりそろり降りていると、後ろから小学生ぐらいの男の子が車いすでビユーンと飛ばしてきました。私たちの後ろで急ブレーキをかけてとまります。華麗な運転テクニック。感心してしまいました。
 駅から歩いていくと広場に着きました。その向こうに宮殿がそびえています。フランス革命を思い出すより、マンガや宝塚の「ベルサイユのバラ」の場面を重ね合わせてしまう自分をちょっとはずかしくなりました。パリでは小雨が降っていましたが、ここでは真っ青な空が広がっていました。しかし、この広場の石畳は車いすには過酷でした。前向きで押してはいけません。後ろ向きで引き上げるようにしていきました。
 それにこの広場が本当に広いのです。入り口までがとっても遠かった。

●車椅子と介助者は無料です。
 ここでもチケットを買おうと並んでいると向こうのほうに車いすマークがついた入り口がありました。そちらのほうに行くとやはりエレベーターで上がれるようになっていました。夫と私は無料でした。長い列を並ばなくってもよく助かりました。内部はきらびやかで、厳かな天井画や豪華なシャンデリア、誰もがあこがれる王妃のベッド、窓から見える美しい庭園。「ここでマリーアントワネットが贅沢三昧をしたのか」とため息が出ました。

●ひろーい、ひろーい庭園は無料開放。犬も人間もジョギング。
 お城から出て美しい庭園を巡るための乗り物 petit train に乗りました。お城から見える庭をぐるりと回るのかと思っていたら、どんどん奥へ入っていきました。そこは広い道が舗装されていて両サイドには大きな樹木が植えられ緑のトンネルになっています。犬を連れて散歩をしている人が何人もいました。ジョギングしている人も、サイクリングの人も大勢いました。この乗り物は何箇所かで止まります。そこで降りて周辺を散歩して、次にきたものに乗ってもいいようです。時間があればゆっくりと森林浴もできます。

●エスカレータで大事故寸前。
 帰りが大変だったんです。地下鉄を降りると、地上への出口はエスカレーターしかないところに来てしまいました。階段があればよかったんですが、どうやら改札口を間違えたようです。しばらく躊躇していたんですが、思い切って車いすごとエスカレーターに乗せようと言うことになりました。私が後ろ向きで乗り、娘が車いすの前を担ぎ上げて乗り込みました。順調に上がったのですが、最後のところで私が転んでしまいました。夫も車いすごと横になってしまいました。娘は次から次へ送られてくるエスカレーターの段を踏みしめながら、「おかあさん早く起きて」と叫んでいます。私の足は車いすの下敷きになっていて起きあげれません。日本ならエスカレーターを止めるボタンがあるので娘に向かって「ボタン、ボタン」とさけんでいます。
すると道を歩いていた人が2-3人駆け寄って来て、助け起こしてくれました。足はがくがく、とっても怖かった。でも大怪我をしなくってよかった。

●ユーロスターでロンドンへ。
 さんざんなパリでした。いよいよユーロスターでドーバー海峡の下をくぐります。時間はたっぷりあるから、その前に凱旋門を通ってから北駅に向かってもらいました。ところが道が込んでいたんです。時間は刻々と迫ってきます。はらはらしながら駅に着くと、2階へ上がるエレベーターが休止になっています。あせりました。とにかく娘を先に行かせて、私は駅員を探し、向こうのエレベーターがストップしている、2階へ上がりたいと訴えました。すると構内のレストランの中を通って案内してくれました。ユーロスターへの入り口には大勢の人が並んでいたのでほっとしました。こんなに大勢がいる間は列車は出発しないだろうと。ところがその列はなかなか進んでいきません。前を覗くとパスポートチェックをしているのです。そうかここは国境なんだ。そこを通過すると今度は荷物チェック。やっと通り抜け,大急ぎで車椅子を押して通路に出る。次は列車が止まっているホームへ降りなければなりません。
もしエレベーターがなければ間に合わないとあせりながらも写真を撮りました。ちゃんとエレベーターはありました。1等の車両の入り口には白い服を着た男性や美しい制服を着た女性が迎えてくれました。しかし、どういうわけか列車に乗り込むのは手伝ってくれません。やっと乗り込み、席に着くや否や列車は出発しました。すぐにお絞りが出、飲み物が出ました。そして、食事のメニューが配られました。それを見ているとフォアグラという文字が見えます。しかし,フランス語なので,読みまちがいかもしれないと思っていると、お皿の真ん中に丸いものが。ペーストになっているフォアグラでした。ちょっと生くさいホワイトチョコレートのような味でした。通常料金の5分の1で乗っている私たちも同じ食事でした。なんだかとっても得した気分でした。ドーバー海峡のトンネルは思ったほど感激もしませんでした。ふつうのトンネルなので居眠りをしている間にロンドン、ウォータールー駅につきました。

イギリス

  ●ロンドンユーストン駅の近くのホテルTHISTLEに1泊。
  ●見てしまった。車椅子の人が一人でタクシーに乗り込むところを。
  ●マンチェスターから産業革命が。
  ●ヨークの親切な紳士。
  ●小さな田舎町にヨーロッパ中の子供たちが集まっていた。  

番外編

  ●パリでヘアーカット。パリジェンヌに見えるかな。
  ●パリでは5人に1人が犬を連れている。これほんと?
  ●ほとんどの列車に車椅子マークがついている。
  ●マンチェスターの素敵なパブ