2005年6月議会 一般会計予算反対討論 原稿
新島田市の予算は2005年5月5日から2006年3月31日までの予算として、一般会計313億4400万円、特別会計と企業会計を含めると671億1669万2千円が上程されています。
今回桜井市長が編成した予算案を評価するのに東京大学大学院経済学研究科教授の神野直彦さんの地方財政論を基準にしました。
神野さんによると現在、日本を含め世界は「歴史の峠」にいるということです。一つ前の峠は19世紀末の軽工業時代から重工業時代への転換がなされたときで、そのときも世界的に不況で苦しんだということです。峠を乗り越えて重工業は自動車や家電などで20世紀の産業を引っ張ってきました。
20世紀末にその重工業が行き詰まり、次の時代の「知識と情報の時代」に転換しようとしています。しかし、日本にその知識と情報を引っ張る基幹産業がうまれてこないので、日本経済が苦しんでいるということです。
こんな時代に地方自治体は何をどうすべきか。この答えが私たち島田市のまちづくり力となることでしょう。
歴史の峠に差し掛かったとき地方自治体は何をどうすべきか。この疑問に対しスウェーデンが歴史の転換点でおこなったことが参考になるということです。スウェーデンは国家を挙げて福祉社会から知識社会へ転換した。そのとき地方自治体の経費の中身を替えていった。人的投資、教育と環境にお金を使う方向に。教育を重視すれば経済成長も雇用も社会正義も獲得できる。人間の能力が高くなれば生産性はよくなり経済成長もするはずだと。そして環境は『技術革新と市場の宝庫』として環境にいい事をしようとすれば必ず技術革新が起こり新しい市場が開拓されると考えている。
このような発想から実行へは国家戦略ではあるが、あくまで地方が考えて、予算を分配していったことが重要です。これがスウェーデンの事例なのですが、
日本の場合1980年からずっと公共投資を重視し、重工業のためのインフラストラクチャーをおこなってきた。1990年から財政と経済の2つの危機に直面したときも、アメリカの圧力に屈して財政再建を先送りし、内需拡大策として公共投資を600兆円約束させられた。そして地方に対し「あとで地方交付税措置するから」といって単独事業を増やさせた。約束の地方交付税はいま全体を縮小されてきています。ちょうど岩村市長の時代でした。私は議場で予算を正したとき、後で交付税措置される事業であるとの説明が何度も繰り返されました。あのときのつけがいま新島田市の財政で重荷になってきています。
そんななかでまず本予算の検証をするにあたり確認しなければならないことは、桜井市長がいま歴史の峠に直面していることを認識しておられるのかどうか。そして政策として打ち出さなければならないのは重工業時代のneedsではなく新産業を見据えたものであり、それにあわせたセーフティーネットをイメージしておられるかどうかです。
この点も含めて私は本予算を検証するための5つの視点をまとめました。
1.
needs(必要)とwants(欲望)の認識が島田市役所内部で確立しているか。
2.
needsをきちんと公で責任を持っておこなっているか。
3.
21世紀の経済をになうためにIT化も含めて知的投資をおこなっていかなければならないが、人的教育に予算付けがなされているか。
4.
仮にwantsの部分で民間委託を進めていくとして、民間でできることは民間でという手法がコスト削減を図るのみで、民間の経済活動を圧迫する結果になっていないか。
5.
住民の活動エネルギーをどう引き出そうとしているのか。地域経済活動へのトライアルを誘導しているか。そしてセーフティーネットは張られているのか。
この5点を視点として検証していきます。
まず1点目のneeds(必要)とwants(欲望)の認識が島田市役所内部で確立しているか。ですがその前に、needsの定義をしておかなければなりません。よく住民のneedsをつかんでという言葉を使いますが、そのときのneedsはえてして住民の要求や要望を意味しているのではないでしょうか。社会科学で言うneedsは人間が生きていくために埋められなければならないもの。欠けたら生存できないものとしています。そしてその基礎的なneedsを超えて膨れ上がっていくものが欲望wantsということです。Wantsは市場に任せられるがneedsは市場に任せられません。そこで、公共サービスとしておこなうべき事業かどうかを見るときこのneedsとwantsについて職員には充分政策議論をしてもらいたいものです。
そこで、新市建設計画7つの基本方針に添った主要事業を見てみると空港推進対策費、地域振興策定事業はまずもって行政がおこなうべきものでないと私は位置付けます。特に日本航空学園の理事長は桜井洋子議員が取り上げた外交問題に発展している扶桑社の歴史の教科書をすすめる会のメンバーであることに私は危惧を感じております。日本航空学園誘致には反対です。もちろん静岡空港建設計画の続行にも反対しております。
次に地域経済活性化対策推進事業つまり新築住宅への補助金、これはいつも主張していますが、あきらかにwantsの領域のものであり、個人の資産形成に市民の税金を使うべきでない。
ただし、付け加えるならば、この事業費がどのように産業に波及していったか、今回担当が産業連関表を使い経済波及効果として計算をおこなっていたという点は評価したいと思います。計算の結果は多少の効果はあるものの、真に島田市の経済に貢献するものとは言いがたく、その波及は市域を超えて広がっていくものといわざるを得ません。
次は伊太田代地区土地利用事業です。このなかで温泉掘削はneedsの領域ではありません。民間がおこなうべきものです。
次に2のneedsをきちんと公で責任を持っておこなっているか。についてでは、いま議論になっている幼稚園の民営化は公の責任放棄ではないか。島田市として幼稚園教育に責任をもっていくとして島田市立幼稚園を設立した経緯はどこへ行ってしまったのか。また、私立はその経営理念を個人の思想で決定できます。そこで憲法19条20条で思想信仰の自由を保障するものの手段として公立の幼児教育機関の必要性を私は主張します。
次に3の21世紀の経済をになうためにIT化も含めて知的投資をおこなっていかなければならないが、人的教育に予算付けがなされているか。
情報社会構築のために伊久美地区のブロードバンド基盤整備事業については賛成であるが、残された地区への整備計画も早急に立て、なおかつハード面のみではなく、市民全体に対し、情報化社会で使いこなす道具としてソフト面からの教育に力を注ぐべきでないか。一方、知的投資としての人的教育については生涯学習の定着は認めるものの、マンネリ化も指摘しておきたい。講座を提供するのみではなく、市民の自主的な学習活動をおこない能力を高めようとするのを支援する工夫も必要ではないか。例えば少年少女合唱団にぽんと150万円の補助金を出すのをやめ、自主学習サークルに年5万円くらいの補助を出せば、30団体が自己の能力を高めるために自主的学習活動を展開するのではないか。特に中高生への予算付けをもとめたい。また、金谷地区の図書館みんくるの知的空間のすばらしさをいかに使いこなすか期待するところですが、図書館を指定管理者制度で運営しようとの動きがあるようです。21世紀は知識社会であると冒頭述べたように、知的投資を切り詰めてはならないと考えます。
そこで、お茶の郷の運営について触れたいと思います。お茶の郷は観光の目玉として作られたようですが、1億円からの財政補填をせざるを得ない。そうであるならば、思い切って教育委員会に移管し、住民の文化と知的好奇心を満たす施設として気楽に使えるようしたらどうかと考えます。
4番目は仮にwantsの部分で民間委託を進めていくとして、民間でできることは民間でという手法がコスト削減を図るのみで、民間の経済活動を圧迫する結果になっていないか。という点です。
私は一般質問で、市長の施政方針で真の豊かさを求めるというくだりについてお尋ねしました。真の豊かさとは何をさすのですか。どのようにして図るのですかと。そのとき、所得と物価のことを述べたと思いますが、所得が上がり物価が下がることで豊かさは実感できるわけですが、行政の仕事の民間委託が急速に拡大するとコスト削減が先行し、低賃金雇用が広がり、家計の可処分所得が減少する。すると消費が落ち込むと同時に所得税、市県民税、消費税の縮小になっていく。ゆたかさを感じるサイクルにはなっていかない。私は民間委託を否定するものではないのですが、コスト削減を主目的におこなうのではなく、民間にゆだねることにより、住民の満足度が高くなることに確証を得た事業からおこなうべきと考えます。
最後に5番目の住民の活動エネルギーをどう引き出そうとしているのか。地域経済活動へのトライアルを誘導しているか。そしてセーフティーネットは張られているのか。についてです。
島田市賑わい商店街支援事業補助金が機能しているのか。障害者の雇用の促進に力を入れているのか。もし事業に失敗した、病気になった、障害者になった、ドメスティックバイオレンスを受けた、虐待を受けた、孤児になったといった危機に直面したとき、まず相談窓口は親切に受け入れているか。セーフティーネットとしての国県の施策の把握を十分しているか。縦割りでたらいまわしにしていないか。緊急保護対応はできるのか。これはまったく職員の教育にかかっている部分がある。ここでも人件費削減ではなく。職員の教育に予算をつけているか。私は職員の再教育や自主研修への予算は拡大すべきと考えます。
このように、21世紀のあるべき社会を見据えた予算であるかどうかを財政学の基本から検証した結果、本予算は短期的な満足を住民に与えるが、歴史の峠を越えていく危機意識の元での予算付けとはいうことができない。単に集まってくる税や依存財源を20世紀の社会システムの延長線上で編成したに過ぎないという結論にいたったので、私は本予算に反対します。