2005年6月議会 参与設置の条例 反対討論原稿
市町村合併を進めるなかで、首長ポストをめぐり密約がかわされたといううわさが各地から届いている。静岡清水の合併での小島さんと宮城嶋さんについても、そのようなうわさが流れ,事実、宮城嶋さんは副市長のポストを獲得しました。それに対する市民からの猛烈な批判があったのも記憶に新しいものです。批判というより、軽蔑の思いというべきかもしれません。清水区でのイベントオープニングセレモニー出席のニュースでは見かけることもありましたが、両市民の融和に対して副市長ポストが重要な貢献をしたという評価も特になかったと記憶しております。。
さて、今回、新島田市に参与をおく条例が提案されました。議案質疑においても委員会の議論でも、その必要性が明確にならなかった。
参与設置の目的に金谷住民の
金谷住民の意見を吸い上げる手段としては
1. 町内会長、総代というコミュニティーを代表する自治推進委員がいる。
2. 旧金谷町職員がいる。職員は住民の意見をいままで掌握してきたはずである。その情報を生かすことは容易である。
3. 住民を代表した議員が存在している。
この3つ以外に何が必要なのか。
21世紀の自治体にもとめられるのは参加型民主主義であるといわれています。そのような時代に何の権限を付与されないポストでは住民の行政への参加を促す力にはなりません。参与のポストはただの飾り物といわざるを得ません。そのような飾りに月額50万円を支払うほど新島田市の財政は豊かではありません。旧金谷町長として意見を聞く必要があるならば、それなりの会議を持ち、報償費としてあるいは情報収集のための会合として市長交際費から支払うことも可能ではないのでしょうか。
合併したこの時期、確かに一刻も早く住民の心が一体化することを願うものですが、それは権力の座にいるものが仕掛けることではなく、合併を選択した住民が自ら主体となって活動してこそ住民自治、あるいは参加型民主主義が達成できるものと信じております。参与のポストはその住民の力を引き出すことにマイナスにはなってもプラスになることはないと思われます。なぜならば、自治とは権力、あるいはポストの対極に存在するものだからです。
したがって、私は旧島田市と旧金谷町の住民の融和を図るためには参与は置くべきではないと考えるので、条例案に反対します。皆様のご賛同を期待します。