第8日目

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 日 時  平成11年5月28日(金) 天候 曇り



能登瀬の大イチョウ

 東名高速道路の豊川インターチェンジを下り、国道151号線を北東に進み、新城から鳳来町を抜け6kmほど進むと鳳来町能登瀬に至る。
 この大イチョウは国道の左側の道端にこじんまりと釣鐘型の樹形を見せていた。
 説明板によると「天永3年(1112)に、この村に住む善次という人が、伊豆国三島より銀杏の種を持ち帰り、諏訪大明神の社の境内に蒔き、生えたった後にこの辻に移植して現在に至る八百数十年を経た古い巨木である。目通り七米のこの巨樹は『能登瀬の大銀杏』と呼ばれて遠近に知られてきた。江戸時代後期頃に落雷で損傷したが、諏訪神社の御神木として崇敬され、銀杏では町内最古最大の姿で悠然と聳え立ってこの里を守り続け、その樹下には庚申塔、巡礼供養塔、御宝前灯篭などが立ち、この里の信仰の聖地となっている。」







槻神社の大杉

 東栄町の中心、東栄町役場から国道473号線を西へ設楽町に向って4kmほど進み、東栄町月の手前から槻神社の標識に従って山を上って行くと、山の中腹に槻神社がある。
 山の斜面を削って築かれた槻神社には杉の巨木が10数本林立して、古宮の雰囲気を醸し出している。大杉は社殿の左手、社務所の前に立っていた。境内にある杉の巨木の中でも測った訳ではないがおそらく最も太い杉なのだろう。御神木の立て札が立っている。
 槻神社にはさらに『鳥居杉』と呼ばれる杉があると言うが、標識も無く特定出来なかった。社殿の正面に参道を狭めている二本の杉はあったが それが『鳥居杉』だったのかもしれない。








長江のカシ

 設楽町役場前から東へ300mほど行った大田口の三叉路を国道473号線をたどって右折、300mほど進んで左へ分かれて登っていく道をたどる。津具村に至る県道427号線だが、山道を3kmほど進み、脇道に外れないように長江の集落を過ぎて、さらに1.5km、次の集落の天堤に至る。
 天堤まではバスが来ているが、その終点のバス停のすぐそばに『長江のカシ』はある。標識によるとアラカシとシラカシの合体木というが、黒い幹が根元近くから数本に分かれていて、どの部分がアラカシでどの部分がシラカシなのか判別出来なかった。
 カシを見学していると、道路側で草刈り機を使っていたおじいさんが手を休めて来た。声をかけると寄ってきて、しばしお話をする。こんな山奥にも時々巨木の見学者が来るので、自宅がすぐ下のこのおじいさんは巨木周辺の草刈りをしたり、見学者のためにテーブルや椅子をしつらえたりしているとはなす。カシの側には幹周3mには至らないが、町指定のヒイラギがあり、道路を渡った山の斜面にはモミの巨木があると教えてくれた。








長江のモミ

 『長江のカシ』から道路を隔てた山の斜面にカシと同じ町で作った杭状の標識が見える。おじいさんに断って斜面の小道と踏跡を20mほど登ると杉林の中にカシの巨木があった。
 おじいさんの話では先が大風で折れて勢いがなくなったというが、幹を見るとコケやシダが生えた上に蔓性植物が這い上がって樹皮も生気がない。枝も下から順番に腐って折れたといった感じでかなり上部まで失われている。幹内部にも相当腐りが回っているのかもしれないと思った。
 おじいさんは先へ進んで設楽町へ出る道を教えてくれた。おじいさんの勧めに従って、地図で確認した結果、反対の津具村へ出ることにした。








金龍寺の枝垂桜

 津具村役場の北西0.7kmの山麓に金龍寺がある。主要道路からも山裾に沿って広がる寺域に目的のシダレザクラも見える。
 村の教育委員会の説明板によると「当山第一九世大秀英仙和尚の筆子が明治初年に植えたと伝えられ、地元では大秀櫻と呼んでいます。」
 まだ100年余の樹齢で幹も傷み易い桜にしては珍しくきれいに若々しくさえ感じられた。枝垂れ枝にはしっかりと支柱がされてまるで藤棚のようである。近くの津具郵便局の風景印の図柄にもなっていて、花時には大勢の花見客で賑わうのであろう。しかし新緑の今は境内に人影がなかった。








津具八幡宮の杉

 津具村役場から北西に0.8kmほど進んだ下町交差点のさらに200mほど先で右折し、県道426号津具大嵐線を0.5km進んだ右手山麓に津具八幡宮がある。
 『津具八幡宮の杉』は社殿の右手奥、小さな沢のほとりに仲間の杉たちに囲まれて、枝の無い太い幹だけを見せて立っていた。この杉は津具八幡宮の御神木になっていた。





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