第13日目

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 日 時  平成11年10月11日(日) 天候 晴れ後くもり



村上社のクスノキ

 名古屋市南区、名鉄名古屋本線桜町駅の東方700mの楠町に「村上社のクスノキ」はある。春日野小学校の東の住宅地の中で、道路が入り組んでいて説明しにくい。住宅の間から木立がわずかに見えたら、それが目的の楠である。
 神社とは言っても社は小さく、住宅の間の空間はこのクスのために残された空間のようで、その空間いっぱいに枝をひろげていた。
 根元が巨大で、数本のクスが半球形の土盛りから八方に拡がっているように見える。名古屋市内ではその巨大さと根張りにおいて屈指のものあると教育委員会の説明板にあった。






薬師寺の大楠

 東名阪自動車道の弥富インターを降り国道155号線を左折し、500mほど走って右折しさらに500m進んだ辺りに薬師寺がある。インターから南へ直線距離で約1kmのところである。
 落ち葉や枯れ草を燃やす煙に広くない境内は覆われていた。頭を丸めた庵主さんに庫裏の前の駐車をことわって、境内に回る。「薬師寺の大楠」は本堂右手に、本堂に添うようにあった。本堂と反対側に回ると眼の高さに人が入れそうな穴が空き、幹の中が洞になっていることが知れた。
 弥富町教育委員会の説明板によると、「この大楠は、磯部の楠として有名であり、昔はこの付近が海岸線になっていた。・・・一説にこの楠にその昔豊臣秀吉が舟をつないだとも伝えられている。この樹下には古来鎮守の社が祀られていた。永禄年間(四百余年前)織田氏が鯏浦(うぐいうら)城を築き、その跡に薬師堂を建立したのもこの大楠下である。」
 庵主さんは本堂前でくつろぐ我々にお茶と地元の銘菓を出してくれ、しばらくお話をした。「あいちの名木」という本にここの楠が出ていると、わざわざ本を持って来て見せていただいた。また近くに「おみよしの松」という名木があるとも聞いた。帰りに女房がお供えを包んだところ、大きなトウガンのお土産までいただいた。






おみよしの松

 薬師寺の庵主さんに勧められて見に行く。近鉄名古屋線近鉄弥富駅南側の国道一号線交番前交差点から県道105号線を1kmほど南東へ進む。筏川を渡る手前の右側に弥富中学校があるが、「おみよしの松」は校内の東端の小公園内にひときわ高く立っている。
 説明板によると、「正保三年(1646年)の平島輪中開拓当時の植松と伝えられ、・・・・・・・おみよしの松の由来は、この川岸に津島神社の天王祭りの御葭船(葭で編んだ小船)が流れついているのを見て天王結縁の土地を記念して植樹し、この松を「御神葭松」 と名付けたものと推察される。何れにしても津島神社に因縁のある古松である。・・・・・」
 南側に筏川、北側に養魚池に挟まれて、近くに比べる高い構築物もなく、気持ち良く枝を広げている。幹は根元近くから二つに別れて立ち上がり、寄り添う高低二本の松のように見える。







津島神社の大いちょう

 東名阪自動車道の弥富インターを降り、国道155号線を右折し、6kmほど北上し、津島市の江西町交差点を右折し、600m程進んで左へ入ると広い津島神社の境内に行き当たる。
 「津島神社の大いちょう」は津島神社境内の正面鳥居から入ってすぐ左側にある。根元をぐるり石垣で固め、その上に鉄柵で囲んでいる。御神木の印に太い注連縄が巻かれている。幹や下枝には乳垂れも下がって古さを感じるのに比べ、上方の枝が妙に若々しい。伊勢湾台風で被害を受けたというから、その後新しい枝を伸ばしたものかもしれない。







旧御旅所跡の銀杏

 津島神社の正面鳥居を出て真っ直ぐ東へ100mほど進んだ左の角地に、「旧御旅所跡の銀杏」が町の一角を一本のイチョウのために残した形で立っている。
 かっては天王川西堤の旧御旅所跡にあったもので、現在は津島神社正参道の天王通りに面している。末広がりの根元が地表に表れ、見事な安定感である。立派な根元から立派な枝葉が育つようで、樹勢がすこぶる旺盛で雄木である。幹には大きな変わった結び目の太い注連縄が巻いてある。雄木は実が成らないので成木になる前に倒されることが多いが、この木はお旅所地内の神木として崇められ、今日まで残ったもののようだが、全国でも珍しいという。







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