第14日目

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 日 時  平成12年5月13日(土) 天候 くもりのち晴れ



永安寺雲竜の松

 国道一号線を岡崎市から安城市へ入り、2kmほど西進した東栄町交差点を右折、0.7km行った明治川神社交差点から二つ目のT字路を右折、200m進んだ右側に「永安寺雲竜の松」がある。
 説明板によると「永安寺は大浜茶屋(浜屋町)の庄屋柴田助太夫の霊をまつる寺です。助太夫は1677年(延宝5)貧しい村人のために助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられています。この松の樹形は、中心の幹が上へのびず、分かれた幹が地をはうようにのびて、その形が雲を得てまさに天に昇ろうとする竜を思わせるので『雲竜の松』と俗に呼ばれています。」
 「雲竜の松」は竹垣に四角く囲まれ、這うように枝を伸ばしていた。そばになぜか石灯籠が一基立っていた。






弥陀の松

 国道247号線を南下して碧南市に入り、4kmほど進んだ浜町交差点を左折、二つ目の信号、羽根町交差点を右折、500mほど進んだ右手に西方寺がある。
 西方寺は大きな門と頑丈そうな土塀で囲まれた大寺で、真宗大谷派の三河でも有数の大坊だという。
 広い境内参道右側に姿の良いクロマツがある。説明板によると「この松を通称『弥陀の松』といい、寺に参詣する人々は『ありがたい松』といって拝むようにして眺めて通る。枝振りがことに見事で、大きな本堂の前庭にふさわしい景観をそえている。時折この松を主題にして句会なども開かれることがある」という。少し斜めに立った主幹から水平に枝が伸びている。長い年月、庭師の手が入った松であると思う。






大野のビャクシン

 国道155号線を南下し、常滑市に入ってすぐの矢田川橋南の交差点を右折し、大野町の市街に入った「大野町3」の交差点を左折、川を渡ってすぐ左折、100mほど入ったところに「大野のビャクシン」がある。
 平野家の前庭にビャクシンの巨木があった。これに違いないと思い、庭で農作業する女性(平野美谷子さん)に声を掛けて案内していただいた。目的のビャクシンは裏庭の一段低い一角にあった。何かの本に前庭のビャクシンをそれと紹介されたらしく、間違える方も多いが裏の方がかなり太いという。このビャクシンはかってはもっと枝葉が豊かであったが、伊勢湾台風などの幾度かの大風で枝を落し、奇怪な枝振りとなっている。昔は沢山の木に囲まれていたが、今は隣のイチョウの巨木と二本だけなので風が直接に当たるようになった。その一角が一段低いのは回りの住宅部分を嵩上げしてきたためである。雨水の逃げ場がなくて溜まりそうに見えるが、辺りはもともと砂地で水が溜まらないうえに、行政で排水工事をしていただいたので万全であるなどと話をしてくれた。直下には最近落した枝の残骸も残っていた。
 昭和4年発行の「大野町史」によると、平野家は「累代この地方の大庄屋の家柄にして、徳川家康の来宿するところとなること二度にして、・・・・ その都度家康よりこの樹につきて賞賛を得たるものなり」とある。昔から見栄えの良い木であったようだ。







大野のイチョウ

 平野邸の裏庭には隣家との境界近くに、もう一本イチョウの巨木があった。雌木でギンナンが沢山出来るという。ギンナンは落葉とともに隣家にもたくさん落ちるようだ。
 平野美谷子さんといろいろお話するうち、息子さんが大学の後輩であることや、現在自宅近くの高校に先生として勤務していることなどが判ってきた。家の娘もお世話になっていたかもしれない。全くの奇遇であった。帰りには庭で育てているジャーマンアイリスの切り花をたくさん頂いて帰った。






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