第1日目後半

ホームページへ



 日 時  平成6年10月9日(日) 天候 くもり




諏訪神社のケヤキ

 新居関所には『湊神社の祭礼』の大きな幟が立ち、遠くから太鼓の音が聞こえて浮いた気分になる。新居関所に駐車したまま、諏訪神社まで歩いて行く。途中でお爺さんに道を聞いたところ案内してくれた。山に沿って6つのお寺が並び、その一番南側に諏訪神社はあると話す。諏訪神社は奉納煙火(手筒花火)で有名な神社だとも言う。細い路地の角を何度か回り神社前の大欅の見える所まで案内して、役目は終ったというように老人は帰って行った。
 参道と道路に挟まれ、太い枝を切られて、御難の欅である。幹は太く、3mほどの高さの所にオットセイの頭のようなコブが出ていた。少し登って諏訪神社に参詣した。境内には手筒花火の筒が転がっていた。







細江神社のくすのき

 弁天島から浜名湖大橋、村越舘山寺道路を通って細江に至る。新居にあった角避比古神社が、浜名湖に今切口が出来た明応の大地震で流没した際に、流れ出た御神璽が細江の赤池の里に漂着したのを尊び、社殿を建ててお祀りをしたのが細江神社の始まりという。
 細江神社の境内にはクスなどの巨木が鬱蒼と繁り、昼なお暗い。境内の7本のクスノキの巨木のうち、『夫婦楠』(写真下)は根が区別不可能なほど一体化してしまっている。











子さずけくす
 地図は前述「細江神社のくすのき」参照

 神明神社の社殿前は大変賑やかで、お祭りの片付けをやっているように見えたが、実はこれから始まるところだったようだ。
 神社の鳥居の前に、幹の丈は短いが下膨れの、肝っ玉母さんのようにどっしりとした立派な楠があった。『子さずけくす』とは良く名付けたものだと思う。
 帰ろうとすると、おじさんがお寺も見ていけという。参詣の押売をされたようで気に入らなかったが、折角の言葉だからと神社裏の長徳禅寺に参詣する。地蔵堂を覗いてみると小さな千体地蔵が整然と並んでいた。元禄時代に発願されて作られ、966体あるという木造仏である。目の保養をさせてもらった。









方広寺の半僧杉

 曇り空が少し暗くなったが、もう一ヶ所、奥山半僧坊方広寺で本日のとりとする。参道のお馴染みの五百羅漢さんに涎掛けが付いて、信仰の気持ちは理解出来ないわけでもないが、被写体としてはつまらなくなっていた。第一次世界大戦後の織物特需で稼いだ大阪の成り金の寄進で出来たという三重の塔を初めて見る。何時の時代にも似たような事をする人はいるものだと思った。しかし、百年の歳月は成り金趣味をも払拭するのか、三重の塔に落ち着きと存在感を見せていた。本堂軒下で抹茶を供していた。抹茶にアイスを浮かせた『抹茶フロート』を飲んでみた。
 半僧杉は本堂を少し下った3階建ての僧坊の傍らにあって、建物と高さを競うように聳えていた。過去の大火にも耐えた立派な巨杉であった。





このページに関するご意見・ご感想は:
kinoshita@mail.wbs.ne.jp