第11日目後半

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 日 時  平成9年4月27日(日) 天候 晴れ



小坂熊野神社のイチョウ

 静岡から国道150号線バイパスを焼津へ向かって走り、トンネルに入る少し手前で北へ降りて、山間に入ったところに小坂の熊野神社がある。イチョウは石段を数段登った神社参道脇にあった。
 東側からみると幹中央に口を開けた洞(右写真)がムンクの叫びの口そっくりに見えた。『すぐ側まで交通量の多いバイパスに迫られた巨木の叫びを聞くようであった』と書くと作文し過ぎである。裏へまわると幹や枝から下垂れが下がって(左写真)、幽霊でも見るようであった。いずれにしても、昼間までもあまり陽が差さない陰気な場所であった。
 かたわらに祠があり、『鴨脚天神社』と木柱に表示され、『鴨脚』に『いちょう』と振り仮名があった。『銀杏』や『公孫樹』はよく見るが、『鴨脚』ははじめてであった。広辞苑によると『鴨脚樹』で『いちょう』と読む。葉の形は確かに鴨の足に似ていないこともない。







石蔵院のお葉付イチョウ

 静岡から久能街道の狭い旧道を久能山に向かう途中、安居の街道沿いに石蔵院がある。『石蔵院のお葉付イチョウ』はその石蔵院の境内にある。
 境内では明日のお葬式の準備が出来ていて、銀杏のそばにテントが張られて写真撮影に少しじゃまになった。しかしそれはこちらの勝手だから遠慮しながら写真を撮った。今まで見たイチョウの中でもそれほど太いイチョウではないが、ここのイチョウは『お葉付イチョウ』といって葉の先に実が付くものが見られる、全国でも極めて少ないものだという。
 石蔵院には次のような話が残っている。家康が亡くなり、遺言によって久能山に葬られるため、葬列が石蔵院前を通り過ぎた後、門前で一人の武士が割腹殉死した。家康の厩の舎人という下級武士の井出八郎右衛門であった。その忠誠心は後の世まで語り草になり、昭和の初期に建てられた顕彰碑も残っている。このイチョウはその一部始終を見ていたに違いない。







小鹿神明社のクス

 久能街道から北へ大谷街道を上り、東名高速道路をくぐって少し行った先に神明社の杜がある。社殿右に静岡県でも有数の太さの『小鹿神明社のクス』がある。
 社伝によれば元亀・天正の頃、400年前にはすでに大木で神木とされていたというから、樹齢は1千数百年になるという。樹勢はすばらしく境内を覆わんばかりである。







本覚寺のクスノキ

 小鹿伊勢神明社から少し北へ上がった森が青龍山本覚寺である。日蓮上人の直弟子の日位上人が創建した古刹で『駿河の身延』といわれていた。
 クスノキは塀で囲われた宿坊の庭内と塀の外に同じ位の太さのものがある。目的のクスは塀の外のものだが、中のクスの方が枝の張り方がはるかに立派であった。いずれも創建当時からあったというから、700年以上の樹齢である。前景に新芽のふいた茶畑を入れて写真を撮ってみた







軍神社のクス群

 静岡市の曲金の踏切りの南東、旧東海道の街道沿いに軍神社がある。日本武尊の東征のおり戦勝を祈ったという伝承がある古社である。
 境内には巨木に入るクスノキが数本ある。いずれも腐った箇所を丁寧に補修されており、さすがに町中の巨木だと思う。驚くほどの巨樹も無いが、ここは数で来いといったところか。









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