第13日目後半

ホームページへ



 日 時  平成9年5月18日(日) 天候 晴れのち曇り



西山本門寺の大ヒイラギ

 国道52号線から富士川を渡り、身延線芝川駅の手前を左へ折れて北へ向かうと芝川町西山の集落に至る。『西山の糸ひば』を右手人家のそばに見て、さらに進むと岡の上の老樹の森に西山本門寺がある。本道より斜めに登る参道が少しわかりにくいので注意を要する。
 広い境内にはスギやクスノキやイチョウ等の巨樹・古木が沢山ある。大ヒイラギを探して本堂の裏手に回ると池浚いをしていた。そのおばさんに大ヒイラギの所在を尋ねるとその池の後ろにあった。
 天正10年6月2日、本能寺にて討死にした信長の首を、囲碁の名人、本因坊日海の指示で、原志摩守宗安が共に自刃した父胤重と兄孫八郎清安の首と共に持ち出し、当山に納めて首塚を築いた。『西山本門寺の大ヒイラギ』はその首塚の上に植えたものだと伝えられている。
 背の高い立派なヒイラギだが元気がない。この季節にはじけるような新芽が見られないのだ。心配である。







西山の糸ひば

 西山本門寺から南へ2キロほど戻った左側、一と田隔てた人家のそばに『西山の糸ひば』がある。
 ヒヨクヒバはサワラの園芸的一変種で庭園で植栽されることが多い。所有者の望月家では宝歴年間に酒造を行なっていた時代に植えたものだといわれている。
 隣の茶畑に登ってみる。『西山の糸ひば』は人家にくっ付くようにそびえていた。家もヒバも窮屈そうだが、その割に元気良く青空に枝を伸ばしていた。







大晦日五輪のカヤ

 『大晦日』は『おおつもり』と読む。駿河の国大晦日部落は鎌倉時代、7名の侍により住居を構えたのが始まりといわれている。芝川町から由比町へ抜ける山道で、福沢の部落から北へ向かって山の奥へ入る。車1台やっと通れるほどの道を詰めた最高地点に巨木の囲まれた人家があった。
 入口に1段高い墓地をその根張りの上に載せたように見えるカヤの巨木があった。その墓地に五輪の塔があるところから、『大晦日五輪のカヤ』と呼ばれている。入植当時の鎌倉時代にはカヤの実は米1升カヤ1升といわれるほど貴重品として尊重され、カヤの実からは灯油・カヤ酒・食用として重宝された。このカヤは当時植林されたカヤの樹林の1本だという。







大晦日のタブ

 『大晦日五輪のカヤ』から数10メートル入った奥に『大晦日のタブ』がある。このタブは五輪のカヤと共に屋敷の当主、望月旭氏所有の樹木である。
 タブノキは暖地の沿海地に多いクスノキ科の常緑高木である。この木は生育の北限に近く、また標高400mの高地に生育し、これほど巨木に育っているのは珍しいという。樹木に囲まれて全体がよく見えないが、太い幹と枝の高さにはまだまだ勢いがあった。







豊積神社・桃源寺夫婦いちょう

  • 番号    15
  • 生育地   由比町町屋原 豊積神社・桃源寺
  • 指定    町指定天然記念物
  • 樹種    イチョウ
  • 幹周囲   3.3m (桃源寺)
  • 樹高    25m (桃源寺) 
  • 巡礼日時  1997年5月18日 PM6:00(豊積神社)・PM6:10(桃源寺)

 芝川町から山道を由比町に抜ける。旧東海道と旧国道1号線の間の挟まれた由比町の街中に豊積神社がある。豊積神社は白凰年間に五穀の神『豊受姫』を祀って創建された古社で、延暦16年、坂上田村麻呂が東征の途上、ここで戦勝を祈願し帰路戦勝を報告した。それを祝って大太鼓を繰り出して町内をねり歩いた。これが今も『お太鼓祭り』として伝わっている。
 境内の中央に鉄柵で囲まれた銀杏の古木がある。豊積神社の御神木となっている。夕暮れも近づいている上に、新緑に覆われて幹の様子が良く知れないが、相当の古木とうかがえる。
 この『豊積神社のイチョウ』(左の写真)は雄株である。夫婦イチョウの雌株は200mほど離れた桃源寺にある。屋根越しに見えるイチョウを目指して進む。『桃源寺のイチョウ』(右の写真)はイチョウの巨木としてはまだ細い。夫婦イチョウとしてセットの価値なのだろう。夕暮れの中を帰路についた。



このページに関するご意見・ご感想は:
kinoshita@mail.wbs.ne.jp