第14日目前半

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 日 時  平成9年5月31日(土) 天候 曇りのち晴れ



一里塚のエノキ

 JR東海道線富士川駅前から旧東海道の坂道を北へ登って行く。富士川町役場の東に『史跡 岩淵の一里塚』がある。東海道起点の江戸日本橋から三十七里目に当たる一里塚である。
 『一里塚のエノキ』は西側の一里塚にあった。一里塚全体に根を回して勢いがある。数本の枝付の幹を目の高さの細い注連縄で束ねたように見える。東側の一里塚にもかってはエノキが植わっていたが、虫害のため昭和42年に枯死したため、昭和45年3月に2代目を植えたものが、現在、幹周囲1mほどに育っている。







大宮小学校のメタセコイヤ




 富士宮市の中央に富士宮浅間大社がある。浅間大社の駐車場に車を停めて参拝したのち、湧玉池の脇を通って浅間大社の東側の大宮小学校に行く。学校の周りを回って見るが、メタセコイヤらしい背の高い樹形の木はなかった。職員室に尋ねると、近年の旱魃の影響か、枯死し、平成6年12月伐採されたいう。親切な先生で、北校舎の裏側にある切り株の位置を教えてくれたのみならず、追いかけてきて、輪切りにし磨いて保存されている幹を校舎の鍵を開けて見せてくれた。
 樹齢はおよそ120年。ここで問題が出てきた。『静岡県の巨木』の中ではメタセコイヤの樹種別最大木であるとの案内だった。ところが、メタセコイヤは化石としては戦前から知られていたが、生育が確認されたのは、昭和20年、中国の四川省でのことである。苗木が日本に入り、和名『アケボノスギ』として学校などに盛んに植樹されたのは戦後のことである。だから樹齢120年のメタセコイヤは日本には存在しないはずなのだ。学校では『落羽松』と呼んでおり、それの方が正しいと思う。ラクウショウは『沼杉』ともいい、北米原産の落葉高木である。ラクウショウなら富士宮浅間大社にも1本巨木があり、学校からも見えていた。









北山本門寺のスギ

 富士宮浅間大社の西側から国道139号線を北へ向かって5キロほど走った富士宮市北山に北山本門寺がある。
 『北山本門寺のスギ』は開祖、日興上人が「南無妙法蓮華経」の7文字になぞらえて、永仁六年(1298年)に植えたものと伝えられ、通称『題目杉』と呼ばれている。かっては7本あったが、明治中頃1本落雷で失い、昭和初期の台風で2本倒壊し、昭和53年と昭和55年に相次いで枯死、現在は3本が残るのみである。
 境内の隅、樹林中の人の入らない草地の奥に3本並んでそびえ立っていた。20数年前に仲間が枯死したのが信じられないほど樹勢があった。







上条のサクラ

 北山本門寺前の道を西へ向かい、大石寺前を抜けて富士宮市上条に至る。『上条のサクラ』の桜は道路から100mほど入った、田植えの済んだばかりで水がたっぷり張られた田んぼの中にあった。車を道路に駐車してコンクリートの畦を歩いていく。わずか10m四方ほどが桜に与えられた土地である。太い幹にこじんまりと枝を伸ばしていた。
 樹種はヤマザクラだが、ウラジロガシやイヌツゲが宿木状に着生してかなりの勢力を持ち、遠くから見ると別の樹種のように見える。また幹にはマメツタ、ノキシノブ、ヒサカキ等が着生している。花の季節にもう一度来てみたいと思う。







村山浅間神社のイチョウ

 北山本門寺前の道を東へ向かい、富士宮道路を突っ切って富士の裾野に登って行く。元村山の集落に村山浅間神社がある。村山浅間神社にはイチョウとスギの巨木がある。
 『村山浅間神社のイチョウ』は本殿横に金網で囲まれていた。樹高16mはとてもないし、スケールが小さいと感じた。おそらく主たる幹が倒壊したものだと思う。葉叢の間から幹の裂け落ちた痕が見えた。







村山浅間神社の大スギ

 村山浅間神社には杉の巨木が沢山ある。本殿前から石段を一段降りたところに、『大スギ』と呼ばれ親しまれて来た境内最大の杉がある。
 すらりと伸びた幹がその太さを感じさせない。しかし、中心部に高さ8mに及ぶ空洞があり、最も太い枝に梯子状の鉄の支えがされていた。








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