第17日目前半

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 日 時  平成9年10月18日(土) 天候 快晴



宝永の杉

 東名高速道路の御殿場インターを降りて、国道138号線を北西に向かい、市街地を外れた仁杉(ひとすぎ)交差点を右に折れ700mほど走ると、前方右手に巨木が見えてくる。『宝永の杉』は子神社の境内、社殿の左に圧倒的な存在感であった。太さも木立ちの勢いも一級品であった。
 説明板には「宝永4年(1707年)富士山の宝永の噴火の砂礫が高い枝の部分に積もったまま残っていたのが発見され、以来俗称『宝永の杉』と呼ばれていますが、当時はすでに相当な巨木であったと思われます」とあった。
 杉の脇を通って背後の畑から見上げると上部の枝との通路の空間に雪の無い富士山が見えた。富士山を入れて『宝永の杉』の写真を撮ってみたが、案の定、富士山はとんでしまった。







永塚の大杉



 御殿場の仁杉交差点を『宝永の杉』とは反対に左折して、2kmほど南へ下った御殿場市永塚に永塚浅間神社がある。『永塚の大杉』はその境内にあった。幾度か落雷を受けていると言うが、その様子は見えず、下枝が無く性良くまっすぐに伸びたまだ若々しい杉であった。
 説明板によると、「この杉は、京都大学の上田弘一郎博士の鑑定によると、文杉(あやすぎ)という品種で、葉が短く密生し、材質も優れ生育旺盛で巨樹となる性質を具えているといわれています」とあった。







川柳浅間神社の芙桑樹

 『永塚の大杉』から北西に800mほど走った御殿場市川柳に川柳浅間神社がある。小振りの社殿の真ん前に『川柳浅間神社の芙桑樹』の二本の大杉がふさぐように立っている。根元が一体になっているように見えるが、二本の樹に間違いないという。参拝者は二本の杉の間から社殿の中心が拝めるので、杉越しに参拝出来そうである。
 説明板によると、「玉穂地区の別荘に住まわれた海軍大将伯爵樺山資紀氏は、この樹をこよなく愛し、明治三十九年「扶桑樹」と命名されました。「扶桑」とは中国の故事に由来しており、現在も『川柳の芙桑樹』として親しまれています」とあった。
 境内には二本セットになった太さが様々な杉が何組もあった。時代々々にセットで植えたように見える。これは何か意味があるのであろうか。







須走浅間のハルニレ

 御殿場市街から国道138号線を北東に進み、東富士五湖道路に乗らず一般道を行き、東富士五湖道路を潜るとすぐに須走浅間神社がある。『須走浅間のハルニレ』は広い境内の林の南縁にあった。広葉樹の森の中で森の主のように見えた。
 説明板によると、「ハルニレは北海道から九州まで分布しているが本県では極めて少なく当町に数本しか見当たらない。そのうち一番の巨木である」とあった。ハルニレは一般にはニレの名で親しまれている落葉高木である。







上野神明社のツクバネガシ

 富士スピードウェイの南側のサブゲートの東1kmに上野神明社がある。ツクバネガシは道路側に幹をせりだすように立っていた。道路側から見ると幾種類もの蔓性の植物が寄生していて、今にも朽ち落ちそうな幹に見えた。ところが一段高い境内側からみるとまだ充分持ちこたえそうであった。本来なら道路側に支えがほしいところだが、町指定の天然記念物のわりにはそれほど大切にされているようには思えなかった。
 ツクバネガシは山地に生える常緑高木で、枝の先に葉が4枚出て輪生状に並ぶさまが衝羽根(はねつきの羽根)に似ているところから和名が付いた。







上野のトチノキ

 小山町上野の上野公民館から北へ谷を入ると唯念寺がある。唯念寺境内で昼食をとる山仕事のおじさんに聞いたが、所在を知らなかった。境内に車を止め、そこから林道を200m入ったところにトチノキの標識があった。それにしたがって山道を少し入ると、小さな沢にそのトチノキはあった。
 説明板によると、「このトチノキには、うちわごけ、ビロードしだ、やまぶき、きはぎなど十四種類のやどり木を持ち、数の多いのと巨木では全国でもめずらしい」とあった。
 10年前の写真からするとメインの幹が朽ち折れ、ほとんど寿命が尽きているように見えた。



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