第20日目

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 日 時  平成10年1月31日(土) 天候 快晴



熊野神社の樹林

 国道136号線(下田街道)を南へ、大仁町に入ると右手に際立った岩山が見えてくる。その岩山は城山と言い、クライマーの格好のゲレンデとなっており、岩壁に張り付くクライマーの姿も見ることができる。その城山の反対側(東側)の旭化成の工場の裏に熊野神社はあった。
 熊野神社のそれほど広くない境内にクスノキ、マキノキ、ムクノキ、ナギノキなどの巨木が数本見られる。中でも本殿裏側に本殿を覆うように枝を伸ばしたクスノキはこの境内最大木である。
 隣りの公民館に女性の姿が見えたのでこの神社のパンフレットか何かないかと聞いてみたが、「ない」とすげない答え。さらに「役場に行けば・・・・」と聞こうとするとかぶせるように「ない」の返事。変なおじさんに警戒されたようだ。







日枝神社の一位樫

 修善寺温泉街の中心の桂川のなかに有名な「独鈷の湯」がある。そのすぐ北に町名の元になったお寺の修禅寺がある。修禅寺物語で有名なお寺である。その西隣に目的の日枝神社があった。
 日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立と伝えられる。元は修禅寺の山王社であったが明治の神仏混淆廃止令により分離されたものという。
 狭い参道や境内にはスギ・ケヤキ・マキなど10本ほどの巨木が並んでいる。中でも本殿右手の山の斜面にあるイチイガシは県指定の天然記念物になっている。ご神木でもあるのであろう。注連縄が張られていた。







日枝神社のスギ

 修善寺の日枝神社には県指定のイチイガシに加えてもう1本「静岡県の巨木」に入っている。
 巨杉が何本かあったので石段脇の最も太そうな杉をそれと決めて写真を撮った。あとで「静岡県の巨木」の本で確かめるとどうやら境内左手の幹が2本に分かれた杉が目的のものだったようだ。いつか撮り直しに行かねばならない。負け惜しみではないが、写真に取った杉も随分太く立派であった。







富士見の松

 国道136号線(下田街道)から修善寺温泉街に向かう途中、修善寺郵便局を過ぎてすぐ右へ折れて修善寺虹の郷への道を登る。「富士見の松」は修善寺自然公園内にある。
 自然公園入口に駐車し、側で工事中の造園業者に所在を聞くと、「最近枯れてしまった」という。また間に合わなかった。ショックであったが、まだ切られずに残っているとの情報に気を取り直して、サクラやカエデの落葉樹の遊歩道を10分程登って尾根に出た所の「富士見の松」はあった。
 わずかに枯れ葉を残して枝振りはそのままに立っていた。枝の向こうの青空の中に富士山が見える。横へ伸びた枝を支えた支柱から軽くなった枝が上がってしまっているのが悲しい。







田沢のイヌマキ

 国道136号線を天城湯ヶ島町に入ると、下田街道は狩野川沿いに国道414号線に入り、月ヶ瀬の手前で狩野川の右岸に渡ると田沢の集落に入る。川に沿って遠くからでも分かる一際高い木が「田沢のイヌマキ」である。
 イヌマキは個人の庭にあった。「大川伊都美建築アトリエ」という看板のある庭の広い家であった。声を掛けると当主が出てきて案内してくれた。暖冬の割に今年は雪が多く、大川さんの庭にも3cmほど雪が残っていた。
 雪を踏んで槙の木の元まで行く。下枝が払われた随分高い木であった。全国でも有数の高さだという説明であった。昔は2本あったが明治の時代に1本切ったのだと話す。庭内にはツバキの古木もあった。狩野川台風のときにもう1本あったツバキの古木が流された。後で拾いに行き植え直したが結局持たなかったとも話した。







天城の太郎杉

 国道414号線(下田街道)を南下し、「浄蓮の滝」や「昭和の森」を過ぎて、天城トンネルの手前で右へ滑沢渓谷に沿って林道を1.5キロほどを遡ると「天城の太郎杉」がある。
 雪はこの辺りでは20cmほど残っている。太郎杉は南向きの雪の斜面を100mほど登ったところにあった。不思議と太郎杉の回りだけ雪が解けている。巨木も生きていると感じる。老夫婦二人の先客がいた。
 伊豆一の太郎杉には樹齢の割に他を圧する威厳があった。太く伸びやかに樹勢旺盛に立っていた。道路端には「郭公や夜の雲脱ぐ太郎杉」の自然石の句碑があった。



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