第6日目前半

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 日 時  平成12年7月13日(木) 天候 晴れのちくもり





長島神社のクスノキ

 国道42号線を紀伊長島町に入り、江之浦の北側に発展した旧町内に入る。道は狭く入り組んでいて説明しづらいが、江之浦とは反対の山の斜面に長島神社がある。
 家並みのすぐ裏に長島神社に登る石段があり、石段の登り口の左手、丸石の石垣で整備された水路を隔てた山の斜面に「長島神社のクスノキ」がある。根元に向けて巨大化した幹に、デコレーションしたような奇妙な皺が出来ている。その皺の上端に引っ掛けるように注連縄が取り付けてあった。大変重量感のあるクスノキである。
 平成元年の環境庁全国巨樹調査で巨木として報告されているのはこのクスノキ一本だけであるが、石段を上がった本殿左のクスノキも幹回り5mは下らない立派な巨木であるし、狭い社域中にクスノキを中心に10本近い巨木があるように見えた。
 昨夜は紀伊長島町古里、古里温泉の民宿「浜風」に宿泊し、朝一番で長島神社を訪うた。民宿は夏の海水浴シーズン直前でよく空いていた。公衆温泉施設が定休日で入れなかったのは心残りであった。







豊浦神社のクスノキ

 国道42号線を南下、紀伊長島の町を通り過ぎて、5kmほど進んだ紀伊長島町三浦の三浦交差点を左折、山道を越すと間もなく静かな豊浦の海岸に出る。途中、道路に蟹が這い回り、車で轢き殺さないように神経を使う。道路のあちこちには潰れた蟹の死骸が散在していた。
 防潮堤の向こうに砂浜があり、穏やかな波音が聞える。防潮堤の上からのぞいてみると、湖のように静かな湾曲した入江に島や岬が程よく配されて、心休まる風景である。豊浦神社は海岸に出てすぐ、防潮堤と道路を隔て左手山側にある。「豊浦神社の社叢」として三重県指定の天然記念物になっていて、境内には暖地性の樹木がよく繁茂している。
 クスノキは緩い石段の参道途中の左側に立っていて、立て札には「樹齢約一千五百年」とあったが、森の中で守られていたためか、太さの割に傷みもなく、樹齢はせいぜい数百年といったところだと見た。








豊浦神社のバクチノキ

 豊浦神社にはもう一本紹介すべき巨木がある。本殿右側で、枝打ちされた細い杉林を背景にして、孤立する「バクチノキ」が随分太く見える。赤っぽい幹に小さな瘤が沢山出来ている。
 バクチノキとはふざけた命名であるが、樹皮がぱらぱら剥げ取れ赤茶色の幹が現われる様を、博打に負けてすってんてんになり、着物まではがれて赤裸にされた遊び人になぞらえた命名だという。
 豊浦神社は由来の案内板によると、「当社は往古より玉津浦・中野浦・豊浦の三ヶ浦の産土神にて大宝年間に創建されたという伝承を持つ古社である。・・・・・(第十四代仲哀天皇は)政治を神功皇后に委ねられ近臣を伴い南海巡幸の旅に出られた。そのさい我が浦にもたちよられ、素晴しい風光と敦厚な民情を喜ばれしばらく滞留された・・・・・九州熊曾の反乱に際し神功皇后と共に征戦された仲哀帝は戦いの最中に崩御された。そのことを知った浦人たちは遺徳を偲びこの地に当社を創建したという。いらい千数百年に渡って海と山に生きる人々の信仰を集めて来た。」
 







相賀神社のスギ

 国道42号線を南下、海山町の中心部の相賀交差点の左角に相賀神社がある。通りすがりに背の高い樹叢を見て立ち寄った。
 境内と背後の山斜面に杉の巨木が数本見受けられた。最も太い木は本殿の左右に石垣の上に対のなって立つ二本の杉のうち、右側の杉と見えた。まっすぐに立つ枝打ちされたきれいな巨木であった。
 平成元年の環境庁全国巨樹調査で巨木として報告されているのは杉で 5.03m、4.35m、4.23m、3.45mの4本である。








尾鷲神社の大クス

 国道42号線を南下し続け、山中と海辺の小さな町を幾つも通り過ぎて来た。そのため尾鷲トンネルを抜けて峠道を下って来て目にした尾鷲の町は随分大きな町に見えた。町に入って最初の坂場交差点を左折して500mほど進んで道路が広くなった左手に尾鷲神社がある。
 道路に被さるように二本の楠が目に飛び込んでくる。太い方のクスは幹が道路側に傾いている。細い方のクスも胸高辺りまでは太く、そこから急に細くなっている。二本のクスは根元が一体化しており、寄り添うクスを「夫婦楠」と称し、延命長寿・縁結び・夫婦和合・子授の神として祀られている。
 尾鷲神社に案内を請うと草取りをしていた老人(神主さんらしい)が「めったに人が来ないもので」と言いながら、御朱印を押してくれる。問わず語りに聞いた話では「平成5年に前の道路が狭いので神社側を譲って建物を社殿を曳いて後ろに下げた。そのためクスノキも境内の中に有ったものが一番表に出て道路に被さるようになってしまった。拝殿前の大きな葉の木はトチノキだが、かっては拝殿の内側にあったのだが外側へ出てしまった。平成に変わるときには過激派が神社に放火する事件があったりしたので、老体に鞭打って寝ずの番をしたりした。」
 説明板によると、「尾鷲神社の本殿は、もともとこの楠の木の西側にあったが、宝永四年(1707年)大地震津波により流出したため現在地に移った。・・・・・紀州藩は寛永十三年(1636年)奥熊野在々の現地調査を行なったが、その改め帳によると当時すでに周囲六メートルであったことが分かる。」
 社殿の後ろの山にもう一本クスノキの巨木が見えた。たぶん平成元年の環境庁全国巨樹調査で「9m」の表示のあるものであろう。








三木里海岸のクロマツ

 国道42号線の尾鷲の市街を通り抜けてすぐのところ、「九鬼」の道路標識があるのでそれに従い左折、国道311号線を進む。2kmほどある暗い八鬼山トンネルを抜け、九鬼を過ぎてから半島をぐるりと回って三木里海岸に下りていく。
 有料駐車場に入り込まないように町から海辺に出ると、主幹が高さ数メートルで切除された巨松がシルエットになって見えた。その側に「三木里海岸の松原」の案内板があった。「この松原は、国土保全のため正徳二年(1712年)紀州五代藩主徳川吉宗が植えさせたもの。松喰虫の被害から松を守るため毎年尾鷲市が消毒している。他の松原は伐採され、この松原と海水浴場(のもの)が市唯一のもの。」
 辺りには太そうな松も二、三本見えた。平成元年の環境庁全国巨樹調査では二本が巨木として報告されている。



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