日本の巨木−第3回−(沖縄県)

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名護のヒンプンガジュマル 名護市のシンボル

 沖縄に所用がある娘に付き合って、夫婦で夏の沖縄に行った。海には縁がないからレンタカーを借りて定番の沖縄観光をした。途中、沖縄本島北部の名護市に立ち寄って『名護のヒンプンガジュマル』を見学した。ヒンプンガジュマルは名護の街中、名護大通りが辛地川を渡る手前のロータリーにあった。
 ガジュマルは亜熱帯から熱帯に自生するイチジク属の常緑高木で、幹や枝から無数に気根を地上まで垂らし根付いている。一見すると気根が束になって幹をなしているように見える。
 『ヒンプンガジュマル』の名前の由来はそばにヒンプン石と呼ばれた石碑が立っていたことに由来する。『ヒンプン』とは沖縄の家屋で母屋と正面の門の間に建てられた魔除けの塀のことをさす。ヒンプンガジュマルは名護市のメインストリートの入口をふさぐように大きく生育して、それ自体が『ヒンプン』の役割をはたしていた。名護市のシンボルとして親しまれているのもうなずける。
 56匹のそれぞれ違うシーサーが建物を守っている名護市役所や、名護城への道順を駐車場のおばさんに聞いた。通じにくい言葉で細かく教えてくれたうえ、時間が短いからと駐車料金を半額しか取らなかった。旅に出るとちょっとした親切や心遣いがうれしいものである。おばさんに感謝。





首里金城の大アカギ 内金城(うちかなぐすく)の御嶽(うたき)の御神木

 那覇市の西部、首里城近辺はかっては鬱蒼とした樹木に覆われていた。中でもアカギは主力の樹木であった。アカギの巨木がそこここに生育していたという。しかし、1945年の沖縄戦で米軍の砲撃でほとんどが焼かれてしまった。首里城を見学した帰り道に生き残りのアカギの巨木(左の写真)があった。
 案内プレートによると
「このアカギは戦前まで約1mもの太い枝を首里城の城壁までのばし、道行く人々に涼しい木陰を提供していましたが、去る沖縄戦によって焼かれてしまい、枯れた幹だけが残りました。戦後、その幹も台風で途中から折れてしまいましたが、その後アコウ(クワ科)が寄生し、昔の面影をとどめています。」
 寄生したアコウが気根を下ろしてアカギの幹をびっしり覆い、今はかえってアカギの残った幹の倒壊を防いでいた。アカギは沖縄・小笠原・アジア東南部・南太平洋を分布にした常緑高木で、成長が早く、名前は樹皮が赤褐色の所から付いた。
 守礼門から少し南に行き、西へ少し下った首里金城町に目的の『首里金城の大アカギ』がある。道路端に国指定天然記念物の石碑があったがアカギが見当たらない。向かいの漢方薬店に入り尋ねると、「わかりにくいから」と言いながら、細い道を下った所にあると教えてくれた。車を置いて坂道を下る。あちこちに「ハブ注意」の標識があり、気味が悪い。足早に下った所にアカギの小さな森があった。
 沖縄には各地に御嶽(うたき)と呼ばれる聖域があり、岩や巨木を御神体に祭り、ノロやユタと呼ばれる女性によって豊作祈願や悪霊祓いの祭事が行われる。御神木にはガジュマルやアコウやアカギが選ばれる。御神木はたとえ枯れ枝と言えども御嶽の外へ持ち出してはならないといわれ、保護されてきた。
 この小さな森にも2ヵ所の御嶽があり、その一つの『小御嶽』が右手にあった。1本のアカギの前に格子のはまった石組が造られていた。左手にはもう1本のアカギ(左の写真)があり、その手前に説明板があった。
「内金城嶽境内には推定200年以上と思われるアカギの大木が6本生育しています。樹高は約20mで、樹幹にはホウビカンジュ・ハブカズラ・シマオオタニワタリ・クワズイモ・ハマイヌビワなどが着生しています。アカギは沖縄県内では普通に見られる樹木ですが、このような大木群が人里にみられるのは内金城嶽境内だけです。第二次大戦前までは首里城内及び城外周辺にもこのようなアカギの大木が生育していましたが、戦争でほとんど消失してしまいました。」
 アカギは6本あるというが、この2本だけ見て戻った。



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