日本の巨木−第5回−(福岡県・宮崎県)

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鈍土羅の樟 墳墓の標識

 福岡県八女市の街中で、国道3号線と国道442号線の交差点から南へ200mほど下った右手にある熊野神社の境内に『鈍土羅の樟』がある。
 街の人に「八女に巨木は?」と聞いて、夕方余り期待せずに訪れた。しかし想像したよりはるかに立派な堂々たる巨木であった。地上から2mほどの所で4本に分かれた幹の一本が昭和43年の風水害で倒れモルタルで蓋がされている。規模はやや小さくなったが、その後も樹勢は良好である。
 伝説によると、昔熊襲反逆のおり、朝命を受け討伐に従軍し戦死した将士を葬った所に、墳墓の標識として植栽されたものであるという。それを裏付けるように大正の初めにこのクスノキの根元を掘った時に、内部に朱をほどこした石棺と土器数片が出たという。





秩父杉 頼朝の代参手植の杉

 宮崎県高千穂町の中心から国道218号線を高千穂峡へ向かう途中、まだ街中の右手に高千穂神社がある。
 雨上がりの濡れた石段を上がると高千穂神社の境内は巨木の森であった。石段を登りきった左に秩父杉がある。林立する巨木の中では、そんなに巨木に見えないから不思議だ。表側三分の一ほど縦に杉皮が剥がれ無残に見えるが堂々としている。
 高千穂神社は源家の信仰厚く、文治年間に秩父の豪族畠山重忠が頼朝の代参として参拝したとき、重忠手植えの杉二本のうちの一本だという。今も生国の名を冠して秩父杉と呼ばれている。
 高千穂神社本殿右手には神楽殿があり、毎夜観光用に「高千穂の夜神楽」が奉納されている。夜、再び高千穂神社を訪れた。ライトに巨木のシルエットが浮かぶ境内に、三々五々神楽殿へ向かう観光客がみられる。100人ほどの観光客の前で約1時間、夜神楽のダイジェストが奉納された。天の岩戸神話を神楽舞にしたものの一部分である。本物は冬場に夜を徹して奉納されるものだという。





八村杉 那須大五郎手植の杉

 国道265号線を南へ下り、国見トンネルを越えると秘境椎葉村に入る。さらに谷沿いに4kmほど行き、看板に導かれて国道から右の山へ登って行くと十根川の集落に入る。道端の『大杉茶屋』に駐車し、目の前の十根川神社の森に入る。『八村杉』は神社左手に聳え立っていた。
 そばに寄ってその巨大さに改めて圧倒された。樹皮を白い地衣や緑の苔に覆われているが、聳え立つさまに揺るぎ無いものを感じた。800年にしてここまで太くなるのは余程自然条件にも恵まれたものであろう。
 『八村杉』の名称は十根川集落が八つの村から形成されていたことに由来する。八村に鎮守のご神木であったことがうかがえる。鎌倉時代前期、頼朝から平家追討の命を受けた那須大五郎がこの地に下向した際、この地に神を祭る社を建立し、神木となる杉をお手植えしたといわれている。那須大五郎は椎葉平家伝説の一方の主人公である。
 八村杉を見て、戻ると茶店でお茶を飲んでいけと声をかけられる。居合わせた郵便屋さんとお茶をよばれる。山家にしては品のあるおばさんだが、白く塗った化粧がわざとらしい。まるで平家の末裔の都人を装っているかのように見える。おばさんの話では一本に見える幹も高い所で二本に分かれているという。森の樹冠を遠望すると、確かにとび抜けた部分が二つに分かれているのが確認出来た。





大久保の大ヒノキ 人工林の中の大ヒノキ

 『八村杉』から、さらに10分ほど奥へ入った農家の庭先に、ヒノキ見学者用の駐車場とトイレが出来ていた。山道を5分足らず、山の端を回った向こうの人工林の斜面の中に『大久保の大ヒノキ』が一本だけ浮いていた。
 無数の幹や枝が主幹に絡み付き樹冠が大きく広がっている。赤い幹が暗い林の中でも鮮やかである。昔、ディズニーのアニメで夜の森で騒ぐ目鼻の付いた巨樹の場面があったが、そんなキャラクターを感じる巨木であった。どうしてこの木が切られずに残ったのか、その歴史をたどるときっと面白いドラマがあったのであろう。



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