日本の巨木−第6回後半−(熊本県)

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南島菅原神社のクスノキ 『くすめきさん』と呼ばれる御神木

 国道3号線を南下し、山鹿市の市街地を抜けた国道端の東側に背の高い樹冠が目に付く。立ち寄って見ると下枝が無くまっすぐに立ったクスの巨木であった。
 説明板によると、地元ではこのクスは子供の喘息に効く神様が宿る神木として『くすめきさん』と呼ばれ親しまれてきた。昭和50年代後半には一時樹勢が衰えたが、氏子の皆さんの手厚い看護により回復したという。市の天然記念物に指定されたのは昭和57年というからその時に指定されてのであろう。





田原坂の大クス 西南の役の生き証人

 田原坂は熊本城の北方15kmにある台地の先端で、明治10年の西南の役で17昼夜の及ぶ最大の激戦地となった。坂の頂上付近は現在、田原坂公園として整備されて、慰霊碑や資料館がある。『田原坂の大クス』は公園の中心に枝張りの大きさに近いサークル状の石の玉垣に保護された土盛りの中にあった。
 田原坂公園は、国道3号線を進み、植木町で西へ折れ、国道208号線を3kmほどいったところから国道と分かれて左へ登って行った上にある。
 主幹を地上4、5mの所で失い、数本の太い支幹を回りへ横に伸ばし、見る角度では一書に書かれているように、横綱の土俵入りで両手を上にせり上げた姿に見える。この幹の中には西南の役当時の銃弾を沢山巻き込んでいるという。所々に見える瘤はその銃弾が原因だともいう。
 今年の夏の日照りの対処のためか、根元にホースで水遣りをする係員も見られた。





寂心さんの樟 戦国武将ゆかりのクス

 寂心は鹿子木親員入道寂心と言い、楠原城に本拠地を置いて、その後隈本(熊本)城に移った戦国武将で、1549年に没した。『寂心さんの樟』とよばれるのはこの寂心の墓と伝えられる墓石が樹下にあるためという。
 国道3号線を植木町から熊本市に入り、北部郵便局の角を西へ曲がり、1kmほど進んで鹿児島本線をくぐり、県道31号熊本鈴麦線に出て右折する。0.7kmほど進んで井芹川を渡る手前を右折し、道なりに最初の井芹川に掛かる橋を渡って丘へ登っていくと、大クスのそばへ出る。
 一本のクスが大きなドーム状の樹叢をなしている。そばに寄ると小山のような幹に圧倒される。下の横へ伸びた太枝には頑丈なパイプ製の支えがあり、根元の竹製の柵、枝先辺りを大きく周回する見学路の内側の石製の柵、外側の植え込みと三重に巡るサークルに仕切られ、大変大切にされている様子が知れる。回りには広い芝の公園や満開のコスモス畑があって気持ちがよい。





飯田丸の大樟木 熊本城内一の巨木

 熊本城内、天守閣南側の一段下の飯田丸に築城前から巨木としてあった大クスである。
 昭和60年、阿蘇で行われた植樹祭のとき昭和天皇が蒔かれたクスノキの種はこの木から採られたものという。
 広い飯田丸の城跡の空地に何本かの疎らな樹木を従えて、しっかりと根を下ろし、想像した以上に太く上までその太さが変わらない立派なクスであった。この好環境下、まだまだ太く大きくなって行きそうである。
 





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