駿河湾海を守る会発足について
平成9年3月に発生し5月の下旬まで続いた赤潮は、駿河湾はもとより神奈川県から三重県までの海を覆った。
一週間もすれば消えると思われていた赤潮は、どんどん勢力を広げ、ゴールデンウィークが過ぎても消える
気配が無いどころか、生息密度が濃くなり赤潮と言うよりどどめ色の全く形容のしがたい色だった。そして
一番不安に思ったことは、行政・漁協・関係官庁から、一般に全く情報が下りなかったことだ。そんな危惧を
釣り仲間や、釣具店、釣り船店などの仲間に話したところ同じ様な危機感を抱いており、何とかしなくてはと
思っても方法が分からない、せめて情報だけでもつかめないかと相談していた頃、さる会合で宮城島清水市長に
お会いでき相談したところ、「そういう話は民間から持ち上げてくれば、行政は対応する。」とのお答えをいただき、
急きょ赤潮対策協議会(仮称)の設立発起人会を召集した。その会合での皆さんの発言は深刻そのもので、
漁業被害はほとんど出ていないので、漁協はほとんど関心がないとの事、海洋レジャーのイメージダウンを心配する
マリーナ関係者、釣具の売り上げの激減(エサの売り上げ10分の1、釣具の売り上げ5分の1)海に行っても
魚がおらず、釣りをする気になれない釣り人、お客の来ない釣り船店、この赤潮が7月まで続けば夏の海洋
レジャー客は全滅だと心配する観光業者等、被害拡大を心配する発言で埋まった。そこで急きょ、赤潮対策
協議会を設立すべく5月22日、清水市役所記者クラブにてプレス発表した。
ところが、5月23日より赤潮は急激に消え始めてしまい、とりあえずの危機は回避された。
そこで、第2回目の設立発起人会において、より広範囲の運動展開(海洋環境保全と赤潮対策)と組織の強化
を目指し、名称を駿河湾海を守る会と改め、会長には県国との折衝にも対応できる人物になっていただこうと、
望月義夫衆議院議員にお願いすることが決まり、望月議員の快諾をいただき、7月10日清水公民館において
駿河湾海を守る会の設立総会となった次第です。