海洋環境を考える


・・・・・・・巴川と海・・・・・・・東海大学海洋学部澤本彰三教授


川は昔から、飲料水や農業などの取水場所や食料を得る場所などとして利用されてきました。

大雨による災害を避けるため、多くの人々が山に木を植え、堤を築いたりしてきます。その苦労  

の後は、地形図から読みとれます。これは巴川も同じでしょう。                     

 巴川ではいまでも、筏に組んだ材木を上流へひいてゆく小舟を見かけることがあります。これ   

は、この川がゆったり流れることに関係がありそうです。徳川家康は1607年に駿府に住むよ    

になり、甲州と信州からの年貢米を駿府に運ばせるために、角倉了以に富士川と天竜川の水路を  

拓かせました(静岡県の歴史山川出版社)。港橋バス停留所わきに「甲州廻米置場跡」の石碑が  

ありますが、家康のことには触れていません。川底から見つかった大石から、駿府城の改築にも  

この川を使用したと考えられています。巴川は竜爪山の山すそから始まり、いくつもの河川と合   

流しながら18kmほど流れます。しかし、流路の縦断曲線を描いてみると、高低差はほとんど    

なく、全体が下流域のようです。長尾川のように上流と中流がみられないのです。このことが川   

をさかのぼって、年貢米を清水から駿府城まで運ばせるという考えが生まれるきっかけになった   

のでしょう。                                                    

巴川からは、アユやボラなど18種類の魚類とカニ類、水棲昆虫や水辺に来る鳥など様々な動 

物が報告されています(私たちのくらしと川 巴川、清水市生活環境部公害課、昭和62年発行)。 

護岸がコンクリートで固められていても、川にはまだ動物が住む場所、植物の生えている場所後  

どこかに残っているのでしょう。アユ、ウナギ、ボラははまだ海とのつながりを保っています。  

例えば、アユは秋から冬に産卵し、孵化した子供は川を流れ下り、春まで沿岸域にいて動物プラ  

ンクトンを食べて育ちます。3月から7月には川に入り、コケ(付着藻類)を食べ、中流域で     

友釣りの対象となります。                                           

巴川には、海の動物もいます。これはボラが河口からおよそ5km上流の高部みずべ公園に 

も現れることと関係がありそうです。港橋の橋脚をよく見ると、何かが付着していることに気    

がつきます。フジツボ類やカキ類です。どのようにして巴川をさかのぼったのでしょう。これ     

らの動物は、子供の時にはプランクトンとして波と流れに身を任せています。この特徴により、  

親とは異なる場所へ運ばれて生活を始めるのです。港橋のフジツボ類やカキ類は、上げ潮に乗っ

て川を遡り橋脚にたどり着いたと考えられます。このような海の動物は、さらに上流に付着して  

いるかもしれません。                                             

 巴川は都市部を流れる川なので、その水量に占める家庭排水の割合は83%と高くなってい 

ます(前掲 私たちのくらしと川)。家庭からの排水には十分に気を付けないと、いつの間に    

か巴川に生き物がいなくなることがあるかもしれません。巴川が汚れると、清水港が汚れ、港   

外や駿河湾での漁業への影響を心配しなくてはならないとも限らないのです。河口にできた静清浄

化センターの役割は大きいのです。                                     

 今年の4月頃に、本屋さんで「巴川」という写真集を見つけました。伊藤英明さんの20年に  

およぶ巴川の観察記録が詰まっています。「港と川」は、どこへ行っても絵になります。清水   

港と巴川を題材にしたさまざまな作品がでてくると、市民の見方が変わり、水辺で遊ぶことが   

あたりまえのようになることでしょう。    



講演をする澤本先生 講演をする澤本先生


(平成10年8月21日に行った清水市浜田公民館浜田まちづくり文化講演会「巴川と海」より抜粋)


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