明日の清水港
水辺感謝の日に当たり
M・K生
去る10月16日、財団法人日本釣技術振興会主催の「水辺感謝の日」の活動として、清水港の清掃作業が行われた。
昨今は、釣りもレジャーの一つとして、二千万とも三千万とも云われる人達が各々に釣り場を求め東奔西走、時に
は外国にまでも出掛けて、その醍醐味を楽しむようになったが、それと並行して、釣り場の汚れも夥しいものがある。
その昔、戦前戦後の物資の乏しい頃は、自販機もコンビニもなく、自家製の弁当を持ち、持参の水筒のお茶で釣り
三昧の一日を過ごしたものだった。当時は塵も少なく、釣糸も全て天然素材のため自然に還ったと思われる。
戦後暫くして化学による人工素材がその大半をしめ、使い捨て時代の到来で釣りにも自然に還りにくい釣具が出来、
それを釣り場に捨てることに何の抵抗も感じない人達が増えたことは、大変淋しい気がしてならない。
この様なつまらない愚痴ばかり云っても仕方ないので、この辺で清水港の掃除奉仕について記してみたい。
このボランティア活動は前述の様な理由から釣り人に塵を出さない運動を意識してもらい、国際港として日本有数
の美港と言われるこの清水港を訪れる人々に、この美観を皆に伝えてもらいたいと云う発想から、釣具組合員と釣り
人の有志が、27年前から月1回のペースで始め現在に至っている。当初は塵の量も大変なもので、興津第一埠頭から日
の出埠頭までで2t車一杯にもなり、夏季には弁当・アミエビ其の他の腐敗した臭いで気分の悪くなる人も出る程だった。
其の後屑籠を設置し一定の場所への集積にも努力したが、心ない人達が持ち込む一般家庭の塵まで投入されむしろ
以前より悪くなり、この方法も中止のやむなきに到った。
その頃は、余りの汚れかたに行政から、釣り禁止の発言まであったが、話し合いの末現在に到っている。最近は行
政も埠頭の美化に努力して下さることもあって、当初に比べ非常に減量され、特に日の出埠頭は非常に綺麗になった。
海も昭和28年頃までは大変綺麗で、折戸湾でもその透明度は6m以上だったように記憶している。
其の後高度経済成長の時代に入ると一時はそれが30cm位まで悪化したが、其の後徐々に回復し現在に到った。
しかし透明度もさることながら、今はダイオキシン等の汚染物質による水質汚染が取りざたされている。これから
は皆で、この問題をクリアーして、宇宙で一番美しい星と云われているこの地球を、いつまでも大切に守り続けて行
きたいものである。
明日の清水港
会の活動
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