軽音楽部 |
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| 昭和23(1948)年、静岡城内高校(現在の静岡高校)に、軽音楽部が創設されました。 当時のメンバーは5名。スチールギター(1)、ギター(2)、ウクレレ(2)からなる当時流行り のハワイアンバンド。 その名を「アロハ・レイ・ハワイアンズ」と言いました。これが全ての始まりでした。 軽音楽部にはその後、「ウェスタン・ライダーズ」というバンドも出来ました。 2つのバンドはどんな活動をしていたのか、また他にもバンドがあったのかは残念なが ら分かりません。 唯一分かっているのは、昭和27年10月18日の文化祭で、この2つのバンドが演奏した ということだけです。 |
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| 文化祭で演奏する軽音楽部(静中静高史より) | ||
マンドリン同好会 |
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| 軽音楽部の中に「マンドリンアンサンブル」が出来たのは、果たしていつなのか。 これも残念ながら分かりませんが、おそらく2つのバンドより後の時代でしょう。 軽音楽部のマンドリンは、昭和30、31年の文化祭での演奏が記録に残っています。 さらに昭和32年、軽音楽部から独立し、「マンドリン同好会」となりました。 この年の文化祭でも、演奏の記録があります。 |
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静高マンドリン部と「合同演奏会」 |
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| 昭和33(1958)年、マンドリン同好会はクラブに昇格しました。「静高マンドリン部」 の誕生です。 軽音楽部の伝統を受け継ぎ、ラテンの名曲やポップスの演奏を得意とする、大変な 人気クラブでした。 昭和38(1963)年には65名、39年には70名もの新入部員を迎えました。 しかし演奏の場は、相変わらず文化祭ぐらいしかありません。 そこで、昭和41年、静高マンドリン部が中心となって新しい演奏会が開催されました。 静岡市内の高校マンドリン部による、「合同演奏会」の誕生です。 この年の参加は2校(静高と静岡農業高校)でしたが、翌42年には7校が参加します。 この演奏会はその後長い間、静岡市内の高校マンドリン部の活動、交流の場として 開催されることになります。 |
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定期演奏会 |
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| 昭和43(1968)年、ついに静高マンドリン部独自開催の「定期演奏会」が始まりました。 第1回定期演奏会のパンフレットには、当時の部長のこんな言葉が載っています。 高校のマンドリンクラブで、定期演奏会を開くという例はあまりなかったわけですから ・・・そうとうの困難が予想されたわけだったのです。が、もしこの定期演奏会が成功し て、今後も続けて行われることになれば、我々のクラブ、しいてはマンドリン音楽の発 展に少なからず貢献できるのです。そこに、定期演奏会の大きな意義があるのです。 定期演奏会にかける期待と不安。これはいつの時代も変わりません。 だからこそ、この演奏会は現在まで続いているのです。 |
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![]() 第14回定期演奏会 現役・OB合同ステージ(1981.8.15 静岡市民文化会館中ホール) |
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全国大会 |
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| 活動の場を広げた静高マンドリン部は、その後着実に歴史を重ねて行きます。 しかしまた、新たな活動が始まります。「全国大会への挑戦」です。 平成3(1991)年、静高マンドリン部は「東海大会」へ初出場を果たします。 平成4(1992)年には、「全国大会」へ初出場。 さらに平成5(1993)年には、「全国大会」にて「優秀賞」の快挙を成し遂げました。 |
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「危機」と「復活」 |
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| 「全国大会」まで活動の場を広げた静高マンドリン部でしたが、その後、創部以来の 危機を迎えます。 部員の減少です。新入部員ゼロの年も、というほどそれは深刻でした。 文化祭も賛助出演を入れて演奏。30年間続いた定期演奏会も休止。 全国大会で優秀賞を獲った合奏団が、県大会も通過出来ない時代が続きました。 しかし部員たちは必死でした。このまま長い歴史に幕を下ろすわけにはいきません。 静高マンドリン部OGが顧問となり、技術講師の中野薫氏を迎え、再出発を計ります。 ついに平成15(2003)年には14名、平成16(2004)年には13名が入部。 平成17(2005)年には「復活」を告げる、第32回定期演奏会を開催しました。 さらに、平成18(2006)年2月の「東海大会」を通過、7月の「全国大会」では「優秀賞」 を獲得しました。 平成20(2008)年、静高マンドリン部は創部50年を迎えます。 次の50年で、ここには一体どんな歴史が記されるのでしょうか。 分かっていることはひとつ。 「いつの時代にも、マンドリン合奏にかける静高生がいる」・・・という事だけです。 |
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参考資料:静中静高史、定期演奏会パンフレット(第1回、第2回) |
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