
1994年のリッチー

初期のリッチー。かわいいです
1967年12月22日生まれ
ニッキーの家から200ヤード離れた所に
住んでいたが、ニッキーによれば、ニッキーが
住んでいたところよろりも”おしゃれな”環境だった
かれの母親シェリーさんと父親のグレアムさんは
美容院を経営していて、度々何もすることがない
若者たちによってシャンプーなどを
盗まれるという被害を受けていた
ニッキーからは、「めちゃくちゃかわいい」という
理由で”テディ・エドワーズ”と呼ばれていた
彼の家族は典型的な敬虔なメソジスト信者で、
週3回は地元の教会に通わなければならず、
早くから反発心を抱いていたリッチーは、
ある頃からパッタリと教会に行くのをやめた
初めて買ったレコードは
ブームタウン・ラッツの「ラット・トラップ」
楽器を始めたのは1991年の1月
1988年のバンド結成当初は
楽器ができないリッチーはメンバーというよりはバンドのマネージャー的な存在だった
1991年にノーリッジでのライヴ後に
スティーヴ・ラマックとインタヴューを行い、
「どうせ本気じゃないんだろ。あんたたちも
ただのハイプだ。」とか言われ、「違うよ」と
説得しようとしたが信じてもらえなかった
リッチーは側にあったかみそりの刃でいきなり
自分の左腕を切りつけ始め、
「4REAL(本気だぜ)」と書き17針縫うことに
なった事件はあまりにも有名。
1994年に精神疲労が原因で入院
その後退院してマニックスに合流し、
ライヴに参加するが、自傷行為などは
やめた気配はなかった。
リッチーが言うには
「嫌な思いをさせられたからって、
相手を殴ったりするのは好きじゃない。
自分を傷つけるほうがずっと後味がいいんだよ。」
1995年、かわいがっていた愛犬スヌーピーも
この世を去り、その為に実家に帰り、
珍しく家族の写真を撮って少したった
2月1日に、ジェイムズたちと泊まっていた
ロンドンのベイズウォーターにある
エンバシー・ホテルから姿を消し、
その後インドやカナリ−諸島などで
目撃説が出るものの、発見はされていない
1994年のグラストンベリー・フェスの
音源を聴いていると、珍しくリッチーのギターの音が大きく聞こえてきます。キュッキュッと
いったり音が充分に伸びなかったりして、
ギターが下手な私も親近感を覚えます。
そんなリッチーのギターが今聴けないのは
とても残念です。
何が起こったのかは分からないけれど、
今もどこかで健康でいてくれれば、そして、
できたらもう一度私達の前に姿を現して
くれたら、と思います。
リッチーほどいろいろと物事を考え、
追求し、学んでいた人も珍しいと思います。
彼はある意味私にとってお手本なのです。
RICHEY JAMES EDWARDS
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