むかしむかし

30年もむかしのお話ですが。
小学校3年生の夏休み、ぼくは岐阜県の母の実家に帰省していました。そのころは漆塗りの職人だったおじいちゃんも健在で、長男のおじちゃんが代を次いでいました。高山は漆塗りで有名ですが、そのむかし京都の職人衆が移り住んだと聞きました。どことなく方言が関西なまりに通じるものがあります。実家の家並みも町家といえる、隣の家と壁へだてて横つながりに続く作りでした。玄関の横がすぐ作業場となっていたので、漆の特徴的な匂いを感じるとおじちゃんの家に来たという実感が湧いてくるのでした。ずいぶん後になって、この良い香りは、本当の漆でなく、カシュー塗料の臭いという現実を知るのでしたが。同年令の従兄弟がいたので実家の帰省はとても楽しい日々でした。各家庭には上水道とは別に山から汲まれながれる、冷えた水道があってなんとも言えない美味しい水で、さらにその水で冷やされたスイカの味も格別でした。薄暗い部屋の奥のお仏壇には線香とお盆の果物の香りが混ざりあってなんとも言えない芳香となっていたのを覚えています。匂いと味、人間の五感に刻み込まれた記憶というものは何年経って残るものです。

もう明日、いよいよ帰省も終わって帰る時になって、おじちゃんがプラモデル屋さんへ連れて行ってくれたのです。まだ暑い夕暮れにとぼとぼおじちゃんの後を付いて行ったのを覚えています。このころからもうすでに僕がプラモデルに目がないということを親戚中のだれもが知っていました。褒め言葉にも叱られ言葉にもプラモデルが付いて回っているのを子どもながらに感じていました。おじちゃんが買ってくれたのはタミヤの3号突撃砲戦車で、自分でこの模型を選んだのか、はたまたおじちゃんが選んだのか、はっきり覚えはないのですが。山梨の社宅に帰ってきて、おじちゃんに買ってもらったプラモデルをいざ組み立ててみると、この3号突撃砲戦車にはモーターが入っていない、飾り専用の模型だったのです。組立は戦車の中まで出来ているメカニカルな部分があって、もうすっかり夢中になりました。すでに塗装することもおぼえていたので、ダークイエローとレッドブラウンの筆塗りで迷彩塗装にしました。いまから思うとこの模型がいわゆるタミヤの戦車にのめりこむきっかけになった記念すべきキットでした。ひょっとすると模型という素晴らしい趣味をもつきっかけがこのキットだったかもしれません。


時はながれて今年の寒い2月、元気だった岐阜のおじちゃんが亡くなりました。殆ど夏しか帰省したことがなかったので冬は始めての経験でした。さみしさと、寒さで参りました。ちょうど小学校3年前後のおじちゃんの孫たちが御葬式の合間に無邪気にしていました。むかしおじちゃんと出かけたプラモデル屋さんは現在も残っていて、そこでタミヤのプラモデルを5つ買いました。簡単に組み立てれられるロボット工作の物。そしておじちゃんの孫達にあげました。「おじちゃんありがとう」と、祈りながら。

2006/4/1

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