ぼくのコレクション 01/4/28 小学校2年のときに父の建設会社が新しい工事現場に移動するため伊勢原市(神奈川県)に越してきた。
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00/11/26 横浜港の大桟橋に外国の豪華客船が訪れると、父と見物にでかけた。たまに、珍しいイギリスの巡洋艦など軍艦などもやって来た。昔のアルバムを開くと、父が撮影した客船の写真が沢山飾られている。どこか懐かしい70年代初頭の雰囲気が伝わってくる。 船見学の帰りに、いつものお約束のように高島屋に寄る。ショーケースに整然と並ぶ外国製のミニカーにうっとり見入ったり、鉄道模型が、まるで本物の風景を切り取って精密に縮尺したような、巨大なジオラマ台の上を軽快に走っていた。ぼくは時間を忘れてその世界に引き込まれた。プラモデル売り場で、父は客船の模型を手にした。店員のお姉さんが、くるくる回し包みで手早く包装して、にっこりとぼくに渡してくれた。家に戻ると、さっそく模型の箱を開けた。頑丈な造りの長細い箱に、白色で形成された船体の部品が詰まっていた。 昔のプラモデルの箱はとても頑丈な造りだった。厚さ1ミリ以上はあるボール紙で出来ていた。輸入の運搬を考えてか頑丈に造られていたのかもしれない。最近の模型では資材の節約などから、へなへなの頼り無い箱になっている。メーカーから再版される復刻版の懐かしい模型でさえ、見た目は昔のデザインのままだけど、箱は頼り無く薄い材質のままだったりして、どこか興醒めしてしまう。 組み立てはじめた客船の箱には英語ばかり書かれていた。「ゆないとすていっ号」と組み立て説明書の英語名の下に父が仮名をふってくれた。模型はかなり精密な造りで、6才の子供には難しすぎて簡単な所以外はほとんど父が組み立ててくれた。一通り完成すると、父は小さなビンを3本ほど、そして筆を用意した。それはプラモデル用のペンキだった。父は徐に赤いビンの蓋を開けて筆に色を含ませて、煙突を塗っていった。黒いビンの蓋を開けて、今度はぼくに船体を塗らせた。筆先から伝わるぬるぬるとした塗料の感触が新鮮だった。ぼくは、模型に色を塗るという行為を初めて体験した。 そうして白、黒、赤で塗りわけられた「ユナイテッド・スティーツ号」はテレビの上に誇らしく、飾られた。
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