潮騒(しおさい)の調べ、永久(とこしえ)海神(わだつみ)

 

 

 

 

「馬の乗り方を教えてほしい?どうしたんだ、急に」

 

将臣は怪訝な表情で、目の前の彼女を見返した。

 

「だって戦に行く時とか、馬くらい乗れないと不便かなって思って」

「まぁ、馬は乗れた方がいいに決まってるけどな。教えてやりたいけど、俺も暇じゃねぇんだよ」

 

望美の言葉に、彼は困ったように頭を掻く。

教えたいのは、やまやまなのだが、生憎(あいにく)、片付けねばならない雑事が思いの(ほか)溜まっていた。

後回しにしていた自分が悪いのだが、そんなことを言っても、最早手遅れだ。

今抜け出したりすれば、経正辺りに小言を言われるのは確実だろう。

 

・・・正直、逃げたい。

 

「どうしてもダメ?」

「悪ぃな、望美。今居なくなったら、俺、絶対経正に殺される・・・!」

 

彼女からの誘いを断ることは心苦しいが、やはり片付けるべきことをしなければなるまい。

 

「そっか・・・ごめんね。将臣くん、忙しいのに無理言って・・・」

 

項垂れる望美に、一瞬、決意が揺らぐ。

彼が声をかけようと、口を開きかけたその時、思ってもみない声が後ろから聞こえてきた。

 

「なんなら、俺が教えてやろうか?」

「―!!」

 

振り向いた先には、知盛が不敵に微笑んでいた。

 

「えっ、いいの!?知盛!」

「あぁ、俺は還内府殿と違って、暇だからな。それくらい付き合ってやるさ」

 

顔を輝かせている望美の前まで来ると、知盛は彼女の頭を優しく撫でる。

その表情は、いつになく穏やかで、将臣は彼がこんな表情もできたのかと、内心、かなり驚いていた。

 

そもそも、誰かに何かを教えるなどという行為も、今まで彼が進んで申し出たことがあっただろうか?

何かに執着することもあまりなく、戦の時だけ生き生きとして、それでいて一門が滅びることにもあまり頓着していないような男だ。

それが、ここ最近、少しだけ変わってきているように思う。

 

(ま、原因は100%、望美だな)

 

将臣は独り()ちると、望美へと視線を移す。

嬉しそうに微笑んでいる様子を見ると、少し(しゃく)だが、知盛に頼んでみようかと思う。

 

「じゃあ知盛、怪我とかしないように見てやってくれよ」

「言われなくても、解ってるさ」

「そうか?ま、頑張って練習してこいよ、望美」

「うん。将臣くんも頑張って、お仕事、片付けてね」

 

彼女たちを見送ると、将臣は経正に怒られないうちに、雑事へと戻っていった。

 

 

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「わぁ!綺麗な毛並」

 

目の前に居るのは小柄で、白みを帯びた青色の毛並が見事な、青毛の白馬だった。

そっと触れると、さらさらとした感触が心地良い。

馬とこんなに近くで接する機会など、現代では無かったので、少し怖くもあったが、慣れてしまえば可愛いものだ。

 

「この子、小さいけど、子馬?」

「いや、そいつは大人になってもその大きさだ。鎧を着けた大の男を乗せるには小さいが、女、子供を乗せるには丁度いい」

 

知盛は、鞍を馬の背に取り付けながら答えた。

 

「よし、こんなところか。まぁ乗ってみろ」

「えっ、いきなり!?」

 

驚いた声を上げる望美に、知盛は呆れたような視線を向ける。

 

「おいおい、乗らなかったら何もできないだろう?」

「うっ・・・それはそうだけど、心の準備が・・・きゃっ!?」

 

もごもごと口籠る彼女を、彼はふわりと抱き上げると、馬上に押し上げる。

まだ状況がよく解っていない様子の彼女に、手綱(たづな)をしっかりと握らせると、自分も黒鹿毛の馬に乗った。

 

「とりあえず、大輪(おおわ)(だの)(とまり)の辺りまで行ってみるか」

「えっ、ちょっ・・・ちょっと、知盛!?」

 

焦る望美とは裏腹に、彼は不敵に微笑んだ。

 

「何事も、慣れることが大事だろう?いいか、手綱だけは放すなよ」

「そんなこと言ったって・・・!」

「大丈夫だ、馬は乗り手の気持ちを酌んでくれる。毅然としていろ」

 

観念したのか、彼女は手綱をぎゅっと握ると、顔を引き締める。

その様子に、彼は小さく微笑んだ。

 

「ゆっくり走らせてやるから、ちゃんと付いて来いよ」

「う、うん!やってみる」

 

こうして、二人は大輪田泊へと馬を走らせた。

 

 

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福原にある大輪田泊。

ここは、かつて清盛が宋との貿易のために修繕し、平家に富と繁栄をもたらした港だ。

今でも、異国との貿易は盛んに行われ、船が多く停泊している。

 

望美たちは、港より少し離れたところに馬を留め、しばし休息を取ることにした。

 

「はぁぁ、緊張した・・・」

「そうか?なかなか筋は良かったと思うぜ」

「ホント?良かった〜」

 

知盛の褒め言葉に、望美はほっと胸を撫で下ろす。

 

途中、何回か落馬しかけたが、どうにかここまで無事に辿り着くことができた。

それもこれも、知盛のおかげではあると思う。

ゆっくり走らせるとは言ったものの、急に速度を上げたり、下げたりと、付いていくだけで必死だった。

とんだ荒療治ではあったが、どんなに離れても、必ず少し先で追いつくのを待っていてくれたし、落馬しそうになれば、必ず助けに戻ってきてくれた。

だから安心して、乗ることができたのだ。

 

 

 

 

波が寄せては返す。

 

港から少ししか離れてはいないのだが、人気はあまりなく、潮騒の音がよく聞こえた。

望美は靴を脱ぐと、波に足を浸す。

まだ泳ぐには早い季節で、水は冷たかったが、疲れた足には心地よかった。

 

「海はやっぱりいいよね。綺麗で、どこまでも果てしなくて・・・」

 

ぴしゃんと水が跳ねる。

 

「・・・元居た世界と、何も変わらない。この海も、空も・・・」

 

空は紅に染まり始めていた。

 

「・・・・・帰りたいか?元の世界に」

「えっ?」

 

振り向いた先の彼の表情は、怖いほど真剣で、真っ直ぐに自分だけを捉えている。

目を逸らしたいのに、どうしてもできなかった。

 

「帰りたいか?」

 

もう一度、先程よりもはっきりと、彼が言葉を紡ぐ。

 

二人の間を、潮風が通り過ぎた。

 

ついと、望美は海の方へと視線を戻す。

ほんの少しの時間。

けれど、まるで時間(とき)が止まってしまったように感じた。

 

「う・・・ん・・・それは、やっぱり帰りたい、かな?いきなりこっちに来ちゃったし」

 

本当に突然。

日常は崩されてしまった。

 

「でも、今はまだ帰れない、帰れないよ。私にだって、護りたい人たちがいるから」

 

このままでは、滅び行く運命(さだめ)だとしても・・・

どうしても助けたいから。

護りたいから。

 

波の音だけが、やけに大きく響いた。

 

次の瞬間、望美は彼に後ろから抱きしめられていた。

 

「帰らせたくない、そう言ったら困るか?」

 

その声は、驚くほど近くで、優しく囁かれ、鼓動が速くなるのが自分でも解る。

 

「知盛・・・」

「傍にいてほしい。せめて、今だけでも・・・」

 

そう言うと、彼はそっと口付ける。

優しく、甘く・・・

 

沈み行く夕陽だけが、辺りを優しく染めていた。

 

 

 

 

 

 

あとがき

111Hitを踏まれた、ゆみ様のリクエストで、知盛×望美の甘い話です。どうですか、甘くなったでしょうか?時間設定とかは、あまり気にしないでくださいね。長編の平家サイド設定の番外編な感じです。チモリがメインのはずなのに、前半、将臣くんが出張りすぎまして、申し訳ない!話上、出る必要がありまして・・・。えー、ゆみ様、お気に召されましたら、どうぞお持ち帰りくださいv

 

 

 

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