気がつけば、いつだって助けてくれた。
手を差し伸べてくれた。
辛いことばかりだったあの頃、その人の存在がどれだけ救いだったか。
それは幼い時の、優しい記憶。
決して忘れることは無い、今は名前を変え、誰よりも愛しい彼女の傍にいる、兄の思い出。
追憶〜色褪せない想い出
「あら?今日は、あなた一人で来たの?いつもなら絳攸様と藍将軍が付いてくるでしょう?」
夕餉時、いつもなら側近二人が必ず付いているのだが、今日は珍しくも唐突に現れた彼は一人だった。
「余も、たまにはあの二人を出し抜くことができるということだ」
そう言い、得意気に微笑む彼―紫劉輝こそ、この彩雲国の国主だというのだから、世の中不思議なものである。
そもそも、王宮にいるはずの彼がこんな街中に居ること自体、普通ならありえないのだが、既にこういう事態に慣れてしまっている秀麗にとっては、彼がここに来ることよりも、側近二人がいないことのほうが疑問であったのだ。
出し抜いたというよりも、楸瑛あたりが大目に見てくれた可能性のほうが高い気がしたが、秀麗は黙っておくことにした。
「で、今日はどうしたの?・・・って、よく見たらどうしてそんなに泥だらけなのよ!」
よくよく見れば、彼の上等な絹の衣は、あちこちが擦り切れ、ひどい有様だった。
「ふっ・・・これは抜け道を通って来た時にこうなってしまったのだ」
一国の王様のこの発言に、秀麗は思わずこめかみを押さえる。
子供ではないのだから、もう少し何とかしてほしいと本気で思った。
「もぅ、ほら、汚れを落とすから上着脱いで。代わりに静蘭の服を貸すから」
「えっ!?兄う・・・いや、静蘭のをか!?」
至極慌てた様子の劉輝に、秀麗は怪訝な表情になる。
「何よ、静蘭のじゃ嫌なの?」
「いや、むしろ嬉し・・・い、いや、その・・・余は大丈夫だ!ほら、こうして叩けば・・・」
「・・・・・・あぁっ!!?ちょっとダメよ!さらに汚れが染み付いちゃったじゃないの!!」
突然やって来た上に、秀麗に服を洗わせと知れたら、あの兄に何と言われるか解ったものではない弟は、それこそ必死で断り、泥を叩き落とそうとするが、逆に汚れは前よりもひどくなってしまった。
「早く洗わないと落ちないわよ!ほら、いいから貸して」
「うぅ・・・面目ない・・・」
そう言い、彼は、しゅんと項垂れる。
その様子が、なんだか叱られた子犬の様で、秀麗は小さく微笑んだ。
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「そういえば、まだ聞いてなかったわ。ねぇ、今日は何をしに来たの?」
結局、劉輝の服は洗濯されることになり、乾くまで待つついでということで、劉輝は秀麗の手料理をごちそうになることになっていた。
秀麗はふと箸を止め、目の前で美味しそうに食べている彼にそう尋ねる。
「うむ、今日は秀麗は一人だと聞いた。だから余が来たのだ」
「はぁ?それじゃあ、全然解らないわよ」
眉を顰める秀麗に、彼は優しく微笑む。
「一人で食べる食事はつまらないだろう?だから秀麗が寂しくないように、余が来たのだ」
その表情に、秀麗は一瞬どきりとする。
普段、子供みたいだと思っていても、こういう時の彼はとても大人びて見えるから、こちらとしては、心臓が持たない。
「・・・何よ。私は一人が寂しい子供じゃないのよ」
口では強がってみるものの、内心では図星だった。
ただでさえ、いつもは一人で食事をすることが無いというのに、つい先日まで燕青という居候が居たこともあり、大勢の食事に慣れてしまっていた秀麗にとって、一人ぼっちの食事は寂しいものだったから。
だから、彼が現れた時も、内心では少し嬉しかったのもまた事実なのだ。
「でも、そうね。来てくれて嬉しいわ・・・・・・・やだ、ちょっと、どうしてこのタイミングで寝れるのよ!!」
ふと、気がつけば、彼は秀麗の手料理を綺麗に食べ終え、いつの間にか卓に突っ伏して規則的な寝息をたてている。
秀麗は少しばかり呆気にとられたが、そっと手近にあった毛布を掛ける。
「疲れてるのね、やっぱり・・・」
つい先日までの記録的な猛暑で、壊滅的な被害を受けた朝廷は、今、政務の遅れを取り戻そうと忙しいのだろう。
本当はここに来ている暇など無いはずなのに、それでも来てくれた彼の優しさに、少しだけ心が揺れる。
「今日はありがとう、劉輝」
秀麗は小さく囁いた。
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「やぁ、今日は急に夜勤になって災難だったね、静蘭?」
「これは藍将軍。冷やかしなら間に合ってますよ」
にこやかに話しかけて来る楸瑛に、静蘭はどこまでも爽やかに微笑み返す。
しかしながら、表情と言葉は全くかみ合っていなかった。
「そう邪険にしないでくれよ。いくら家に居る秀麗殿が心配だからってさ」
「いやですね、別に邪険になどしていませんよ。たとえ今日の臨時夜勤があなたの差し金だとしても」
「・・・・・・・」
口元は微笑んでいるが、目は明らかに笑ってはいなかった。
思わず背筋が凍る楸瑛。
唐突に回れ右して帰りたいという衝動に駆られる。
「・・・・・・たまには主上に夢を見させてあげたいじゃないか。それで仕事の能率が上がるのならこっちのものだし」
「それは大目に見るとしても、今日の夜勤は高くつきますよ?最近はこの暑さの所為で、食材が値上がりしてる上に、お嬢様は唐突にやってくる方にも、惜しみなく奮発して料理を作られますから・・・」
「解った!!出す!出すから!!ついでに、日持ちする食材も届けさせる!!」
「いいんですか?それは助かります。お嬢様もきっと喜ばれますよ」
明らかに疲れきった様子の楸瑛とは対照的に、静蘭はにっこりと微笑む。
楸瑛からの特別手当と食材をもぎ取ることに成功した静蘭は、実に満足気だった。
「さて、そろそろ交代の時間なので、私は帰らせていただきます」
「じゃあ、秀麗殿によろしくと。それと、近々絳攸と一緒に食事に伺いますとも伝えておいてほし・・・おや?絳攸じゃないか。どうしたの、君、また迷子になってたんじゃないのかい?」
楸瑛の視線の先には、明らかに何時間も彷徨っていたであろう、自称・鉄壁の理性の姿があった。
楸瑛と静蘭の姿を認めると、ふらふらとした足取りでこちらにやってくる。
「うるさい!別に迷っていた訳じゃない!!ちょっと遠回りをしただけだ!!」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるから。で、どうしたの?秀麗殿の家に行って復活した主上を目一杯働かせるって勢い込んでた君が、何で門まで来てるんだい?」
楸瑛の問いに、思い出したという様に、絳攸の顔に怒りが込み上げる。
「あんの馬鹿王め!!まだ帰って来ないんだぞ!?」
絳攸の言葉に、静蘭と楸瑛は顔を見合わせる。
「と、いうことは、主上はまだ・・・」
「我が家におられるということですか!?」
こうしてはいられないと、三人は一路、紅家へと急ぐ。
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いつも差し伸べられるのは自分より大きな手。
優しい声。
どこかぎこちなかった笑顔も、今では自然。
辛い時は、いつだって見守ってくれている大切な人。
「お目覚めですか、お嬢様?」
閉じようとする瞼に力を込めながら、秀麗はぼんやりと目の前の静蘭の顔を眺める。
「んー・・・あれ?静蘭?私、あれからどうしたんだったかしら?」
徐々にはっきりとしていく思考の中、はっと思い出したように、秀麗は彼に尋ねる。
「そうだ!劉輝はどうしたの?」
「劉輝様なら、先程、藍将軍たちが引きずっていきましたよ」
その光景が容易に想像できて、秀麗はひきつったような笑みを浮かべる。
「そ・・・そう。まだ、お礼をちゃんと言ってなかったのに」
「心配することはありませんよ。劉輝様にとって、お嬢様といることが一番のお返しですから」
そう言い、静蘭は優しく微笑む。
「そう?それならいいんだけど・・・」
優しく微笑むその表情に、不思議なデジャビュを感じる。
どこで見たのだろうかと首を傾げるが、なかなか思い出せなかった。
「お嬢様、どうかされました?」
「あっ、ううん。何でもないわ。・・・ごめんね、静蘭は仕事で疲れてるのに」
「いえ、好きでやっていることですから」
心から微笑むことができるのは、彼女がいるからに他ならない。
誰も信じられなくなっていた自分を、救ってくれたのは、目の前の少女だから。
「待ってて、すぐ朝餉の支度するからね!」
そう言い、走っていく彼女を見送りながら、静蘭はこの生活がいつまで続けられるのだろうかと、心の中で呟いた。
あとがき
2662Hitを踏まれました夜様のリクエストで、彩雲国の劉輝×秀麗のイメージで書きました。静蘭がいいとこどりということですが、どうでしょうか?冒頭と途中は、それぞれ劉輝と秀麗から見た静蘭像という感じです。彩雲国の話は、普段書いたことがないので、一人称や、誰が誰をどのように読んでいるかが少し微妙でした(汗)時間設定は、2巻と3巻の間くらいのイメージで。夜様、このようなものでよろしければ、お持ち帰りくださいませvv
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