眼下に広がるのは、どこまでも澄んだ蒼。
吸い込まれそうなほど、果てなく、深く、深く・・・
そこに周りの喧騒が全て吸収されているように、声は届かない。
どれだけ叫んでも、泣いても、もう、彼には聞こえない。
「どうして・・・」
御座船から見下ろしても、もうあの人の姿はどこにも見えない。
「どうして、こうするしかなかったの?」
掠れそうな声で、は呟いた。
兵達が手分けして辺りを探したが、海に身投げした平知盛を見つけることは、ついにできなかった。
銀色の波間に漂う
出会いは燃えさかる京だった。
炎の中で、その銀色の髪は目にも鮮やかで、鋭い双眸も、剣の煌きも、は目を逸らすことができなかった。
あの時のの力では、知盛に傷一つ負わせることさえできず、ただただ逃げることしかできなかった。
大切な仲間を助けることもできず、炎の中で一人きり・・・
力が欲しかった。
仲間を護るための力。
彼に勝つための力が。
白龍が遺してくれた逆鱗を手に、は歩き出す。
数え切れないくらいの痛みを、運命を乗り越え、彼女は強くなった。
それは剣の力だけではない、心の強さ。
もう、あんな悲しみを繰り返したくはないから・・・
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平家との戦は、一の谷での源氏の勝利から、続く屋島でも勝ちを続けた。
しかしながら、目的の三種の神器の奪還は果たせてはいなかった。
追われる身の平家。
とはいえ、かなりの軍勢を有する上に、船上での戦に不慣れな源氏軍にとって、平家の水軍は十分に脅威と言える。
追い詰めたのは屋島の更に西、の世界の平家終焉の地・・・壇ノ浦。
彦島に本陣を構える平家軍を討つべく、たち源氏軍は一路彦島を目指す。
その途中、赤間関に彼は居た。
「待ってたぜ・・・源氏の神子」
「・・・っ!?知盛っ!!」
御座船に一人立ちはだかり、その口元を微かに緩ませる。
「生田で戦ってから、ずっとお前と戦いたかった・・・」
そう言い、静かに双刀を抜き放つ。
「今さら、戦いたくないなんて、寂しいことは言わないでくれよ?」
その瞳に、どこか悲愴な光が見えて、の心が揺らめく。
「私は・・・」
できることなら、戦いたくは無い。
戦えば、その分だけ、誰かの血が流れることになるのだから。
それは自分かもしれないし、大切な誰かかもしれない。
『お前と俺は同類だよ』
生田で彼が言った言葉が脳裏をよぎる。
戦いたくないと思う自分がいるのとは逆に、戦いを求めている自分も確かにいるのだ。
そう、本当に戦いたくないのなら、こちらに来たあの時、戦場には出るなという九郎の言を受け入れていればよかったのだ。
けれど、は自ら戦うことを選んだ。
誰かに護られるだけなら、どんなに楽なことだっただろうか。
しかし、力が無ければ、護りたいときに誰も、何も護ることなんてできないから。
だから彼女は剣を取った。
それは誰かを護るための力だったはずなのだ。
それなのに・・・
ぎゅっと掌を握ると、も腰に佩いた剣を抜く。
「・・・いいよ。戦おう」
迷いなど、とうに捨てている。
迷えばその分だけ、自分も仲間も危険に晒されるだけだから。
剣を正眼に構え、視線は真っ直ぐに知盛を捉える。
を見据える彼の瞳が苛烈に輝いた。
「潔いな・・・そういう女は好きだぜ」
そう言いつつも、間合は徐々に迫っていた。
勝負は一瞬。
どちらが動いたのが速かったのだろうか?
剣尖が閃き、刀と刀がぶつかり合い、激しく音を響かせる。
目まぐるしい攻防の中、ふと見る彼は、誰よりも輝いて見えた。
それはまるで、生と死の狭間で命の遣り取りを楽しんでいるかのように。
先に膝を折ったのは知盛だった。
「クッ・・・これだけ満ち足りた気分は久しぶりだ・・・」
「知盛、もういいでしょう?これ以上は・・・」
「そうだな。けじめは、自分でつけるさ」
戦いを終らせようとするの言葉に、知盛は微かに微笑むと船の欄干に手をかける。
「―!?待っ・・・」
海に身を投げようとする彼を止めようと、は必死に手を伸ばす。
その腕を彼は強く掴むと、己の方に抱き寄せ唇を重ねる。
それは深く、強く、甘く・・・
微かに血の味が滲んだ。
「最期に戦えたのがお前で良かった・・・俺を満たすのは、・・・お前だけだよ」
耳元でそう囁くと、力を籠めて彼女を押し返す。
「見るべきものはもう無い・・・鎌倉まで行くのは面倒だからな。ここで終わらせる」
「待って!知盛っ!!」
「じゃあな、源氏の神子・・・」
もう一度伸ばした手は、届くことなく、虚しく空を切った。
言いようもない喪失感が胸に去来する。
いつだって手を伸ばすのに、最後にはいつも届かない。
幾度もの運命が巡っても、この運命だけは変えられない。
あと少しで届くのに、必ず目の前をすり抜けていってしまうのだ。
「・・・元気を出して、ね?」
朔の労わる声が、ひどく遠くに聞こえる。
周りからの心配した声も、どこか虚ろに木霊する。
すべての音は、深い深淵の底に吸い込まれているかのように・・・
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その後、たちは彦島で還内府―将臣と避けられない戦いをした。
決着をつけた後、九郎の計らいで、既に戦う力の無い平家を将臣に託し、見逃すことができた。
無駄な血を流すことなく戦を終わらせることができて、良かったと思う。
だが、事態は思わぬ方向へと転がりだした。
平家を討てたのは、ほとんど全てが九郎たちの働きによるところが大きい。
それを民がどう捉えるかは、大体の察しがつく。
源氏の棟梁に相応しいのは九郎であると。
本人に兄を差し置いてという気持ちは全く無いのだが、周りはそうはいかない。
この事態を危惧した鎌倉殿、源頼朝は九郎たちを反逆の徒として追捕することにしたのだ。
追手から逃れるため、たちは九郎と弁慶が少年時代を過ごした奥州は平泉へと向かう。
平泉は御館である藤原秀衡が治める地であり、鎌倉からの圧力にも耐えうる地であった。
急ぎ平泉を目指す途中、白龍が険しい表情で歩みを止める。
「どうしたの、白龍?」
「誰か来る・・・この気は・・・」
首を傾げるの表情は、しかし次の瞬間、凍りつく。
あまりのことに、言葉が喉を通らなかった。
「あっ・・・・・知、盛・・・・・!!」
着ているものは違えど、その顔は見間違うはずもない、壇ノ浦で死んだはずの知盛、その人だった。
戸惑いと喜びが一様に襲ってくる。
生きていてくれて嬉しいという想いと、どうしてという思い。
何を言ったらいいのか、は咄嗟に思いつくことができなかった。
そんなとは裏腹に、警戒を強める一同。
「平知盛!!何故、死んだはずのお前がここに居る!?」
剣を構えて叫ぶ九郎に、彼はやんわりと微笑む。
「何か誤解をなさっておられるようですね。私は泰衡様の命によりあなた方を迎えに来た奥州藤原の者。あなた方の敵ではございません。どうか刀をお納めください」
その姿も、声も、同じだというのに、雰囲気は全くと言っていいほど違っていて、は戸惑いの色を隠せない。
「えっ・・・知盛、じゃない?そんな・・・」
「あなたが白龍の神子ですね?お噂はかねがね。お話したいこともございますが、今は一刻も早く奥州へと参られますことが先決かと。どうぞ、私の後について来てください」
いまだ信じきれていないが、ここで悩んでいても始まらないので、たちは彼の案内に従うことになる。
「あの、まだあなたの名前を聞いてないんですが・・・」
おずおずと尋ねるに、男は優しく微笑む。
「どうか銀とお呼びください、神子様」
その笑顔が、の知っている顔とどうしても重なってしまう。
本当に、彼は知盛ではないのだろうか・・・?
様々な想いが、奥州・平泉に渦巻いていた。
あとがき
はい、ということで、3000Hitを踏まれました桜様のリクで名前変換小説をお届けです♪知盛がお相手のシリアスということで、平家サイド設定でもいいかな〜?とも思ったのですが、十六夜記発売前にこういうものはやっておかないと!と思い、公式設定で、十六夜記のイメージで書いてみました。こんな展開になってほしいですけど、まぁ無理かなと(笑)。妄想するだけに止めておきますよ!桜様、こんなものでよろしければ、お持ち帰りくださいませvv
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