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このサイトでは「浜松まつり」とはどのような祭りなのかを紹介します
まずは 下の写真にて祭りの雰囲気を感じてください

□糸が絡み焼ける十数万人が入り乱れての
大空の合戦

花火の合図で168町の凧が一斉に5月の空へ。
十数万人が入り乱れ合戦開始。相手の糸を切ろうと
ときには十数本の糸が絡み合います。糸が焼け白煙
が立ち上がり、こげた臭いが会場に充満。興奮が興奮
を呼ぶ迫力です。

□初子の成長を願って凧場は熱気一杯

凧揚げ会場で、最初に揚げられるのは長男の誕生を
祝う「初凧」ラッパの音に囲まれて、担ぎ揚げられる
赤ん坊。その子の名前を入れた「初凧」の糸を握るのは
「初子」の父親。勇壮な凧会場に優しさがあふれます。


□激練り この瞬間、町は興奮の坩堝

凧場でも繰り返されている練り。屋台引廻しの中で、最
高潮に達します。各町の旗を先頭に、乱れなく行進して
きた隊列が他町と出会うと、組長の合図で旗を中心に
提灯を掲げた大人たちが渦となって勇壮な掛け声ととも
激練りを展開します。

□絢爛豪華な御殿屋台が描く一大絵巻

重厚な彫刻に飾られた御殿屋台には、子供達のお囃子
ラッパ隊と大人の練り、子供達の練りに先導されて、浜松
の街の中心を引廻されます。屋台にともされた灯りに映え
て、すべてがまさに絵巻のよう。
祭りの熱気が街にあふれます。

浜松まつりとは
  町民のアイデアで始まった
          町民のための町民のまつり。
浜松まつりの特徴の一つは、「都市まつり」ということ。つまり東京の天下祭りや京都の
祇園祭り
と違って、神社仏閣の祭礼とは関係ない、町民のまつりなのです。
そもそも浜松まつりの始まりは、今からおよそ430年前の永禄年間(1558年ー1569年)
にまで遡ります。江戸時代に酒井真邑が書いた「浜松城記」によると、当時浜松を治めて
いた引馬城主「飯尾豊前守」に長子「義廣公」が
ご誕生なったときのこと。待ちに待った
殿様の後継ぎ誕生を盛大にお祝いしようと、当時の入野村の住人、佐橋甚五郎の発案に
よって
義廣公の名を大凧に記して城中高く揚げたと言い伝えられています。
浜松まつりは、町民の呼びかけで行われた凧揚げから始まったおまつりなのです。
担ぎあげられる初子

ご殿屋台が浜松の夜を華麗に飾ります

浜松まつりの夜を彩るご殿屋台。この始まりも、町民の中から自然発生してきたもの。
この点でも日本中の屋台とは大きく異なっています。浜松まつりの屋台の始まりは、凧合戦の
帰りに大八車の四隅に柱をたてて凧を屋根がわりにして引いたところ、伝馬町の若松座の
「森三之助丈
という役者が、天馬・千歳町の芸者衆と一緒になって、鐘や太鼓で帰り道囃子
ではやしたてたところからと云われています。

合戦に使う凧と道具
凧合戦に使用する凧の大きさは、2帖から10帖までで 4帖(一辺が2,4m)
から 6帖(一辺2,9m)
が合戦には適しています。
糸は栃木県鹿沼地方に麻の栽培を依頼し、毎年上質な麻を購入して、浜松まつり会館
の浜松まつり保存会で製造、実費で各参加町に配布するため、糸の太さ、質ともすべて
同じものです。
合戦の凧 安定性、強度、美しさ
浜松まつりの凧は正方形で、風の具合によっ
て左右にぶれないように安定させるための
長い尾骨と尾縄をつけています。合戦時には
糸を急に引いたり出したりするため、凧には
相当大きな力が掛りますので強度を上げる
ために骨が多くなっています。また、高く揚
がっても凧印がはっきり見えるように、染料
をしみこませて透過光で絵柄が見えるように
なっています。



糸わく テギ
大きな糸巻きのような道具
各町2000mから3000mの糸を巻いています
糸を早く引く時に使う滑車のような道具
風の無い時に凧を揚げる時にも使います

 凧印に入る前に・・・。
現在「浜松まつり」に参加している「組」は169あります。
その169枚の凧が一斉に空に揚がるとどうなると思います・・・!。
空が狭くなっちゃうんですよ〜。あの広い空が・・・!分かりますか。
空が狭くなるんですから地面はもっと狭くなるんですよ。分かりますか。
その狭い地面は糸が縦横無尽にはしってるんですよ。その糸を避けながら
空にある凧を避けながら3mちかくある大凧を狭い空に揚げるんです・・・。
空に凧が揚がった時の快感、充実感それが祭りに参加している喜びです。

各町の凧印はこちら

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