エチオピアを旅行して感じたこと



デブラゼイトのサッカー場にて

エチオピアでもサッカーは大人気。子供は無邪気なので最初は遠巻きにこちらを伺っていますが、一言かけるとすぐに何十人と集まってきました。この子供たちすごくかわいいでしょう。ほんといい笑顔するんですよ。この大きく黒い瞳で彼等は何を見てきたんだろう。


エチオピアの印象はまず、物乞いが多いなということでした。また治安はとてもよく、町を案内してくれたり、泊めてくれたりと親切な人も多かったと思います。今回は多くの人と話す機会があったので、この国の抱えている問題や、宗教感についても色々と意見をきくことができました。

<エチオピアってどんな国?>

 エチオピアに訪れたきっかけは、世界でもっとも貧しい国の一つといわれる国の文化や宗教や人々の暮らしぶりが見てみたかったからです。
国民の85%が農民を占めるこの国は古来より引き継いできた独特の文化を残す数少ない国の一つです。
コ−ヒ−に依存した不安定な経済や民族戦争、飢餓など厳しい問題に直面しながらも、運命をうけとめ、したたかに生きている姿には心を打たれます。
 エチオピア人の最初の印象は思っていた以上にクールでそっけなく感じました。子供は無邪気で好奇心が強くちょっと話しをするだけでも壁が消えるのですが、大人はヨソモノにあまり慣れていないのか、なにかしら興味をもちながらも警戒している様子でした。
 しかし一度仲良くなってしまうと彼等は家族のように振る舞ってくれる。お金も食べ物も人にあげるほど無いのに、今できる精一杯のもてなしをしてくれる。おそらく自分のハラが減っているだろうに、もっと食べろと勧めてくる。そんな姿に心を打たれました。
 彼等にとってみれば万物は神から授かったもので、困った人がいれば助けるし、客人がくればもてなすのはが当然なのだろう。
 そして雇用不足とはいえこんなにも物乞いの数が多いのは、逆に包容力のあるコミュニティーを持っているからではないでしょうか。
 彼等は度重なる飢饉や争いで自然の偉大さや人の儚さを身を持って知っており、それが宗教という形で今も生活に生きずいているのだと感じました。昔の日本もこんな時期があったんだろうな、と思いながら・・・・。



バスを待っている村人。
このバスは一日二台しか通っておらず、この日はもう満席。それにもかかわらず、こんなにもたくさんの人が乗りそびれて、不満そうな目でこちらを伺っています。


<この国の問題や援助について思ったこと>

一番大きな問題はやはり民族問題のような気がします。この国はティグレ族が巨大な権力を持っているため富を独り占めして、他の民族はとても貧しい暮らしをしています。この国はアフリカでGNPが一番低い国ということもあって、日本も含め、多くの国からODAによる援助が行われているはずです。それにもかかわらず数多くの人がこんなにも貧しいのは、援助の多くを一部の権力者が着服しているとしか考えられません。他国間干渉しないという国同士の原則があるので、援助国の多くはそれをわかっていながら援助しているのでしょうが・・・。

当然、この貧しさにともなって、1日中、働いたり物乞いをしたりで教育が受けれない子供が増えてきます。この子供達はあまりに高い失業率やがんばっても越えられい壁を知り、一種の諦めが感じられました。そのため、貧困層に最低限の教育と食の供給、雇用を増やすための新しい産業の開発、これらをNGOがダイレクトに支援して人々に希望(チャンス)を与える必要があると思いました。

もちろんこのように感じるのは、あくまで先進国から見た視点かもしれません。学校で教育を受けることがはたして必要かという考え方もあります。というのも日本や他の国々もかつては学校というものはなかったですし、そういうものは家族であったり密接な関係をもつコミュニティー社会がその役割を果たしていたからです。しかし農村部はともかくとして都市部では徐々にそういった助け合いや生活のうえで教育するという人間関係は崩れてきます。そして仕事というものがあるために競争原理も生まれてその歪みから抜けだせない人達もでてきます。ここではそういった人達に対する福祉を対象としています。

 地方では今でも昔ながらの共同社会が保たれている地域があるようです。こういった地域では今も独自の文化を歩み続け、多くの人はこのことを誇りに感じています。ではこういった地域での援助はいらないのか?というと私はそうは思いません。彼等にとって死はもっと身近なものでジーザスを信じれば天国にいける。そして病気や死を受け入れることは私達が考えるほど不幸なことではないかもしれません。しかし、すでに自国と他国を比較するものさしはエチオピアのなかでも数多く存在すると思います。他国で治る病気がお金がないので治らない。目に病気を患らっているのに医者にもかかれず片目が失明している人を数多くみました。こういった最低限の福祉を受けれないことは私は不幸だと思いました。これら最低限の福祉を援助することはこの国の文化を守るうえでも非常に大切なことだと思います。

 私は、エチオピア旅行中にジャイカでボランティアしている人と話す機会がありました。その人はパソコンの技術を教える仕事をしていたのですが、2年間やってみて思っていた以上に自分は現地の人にあまり必要とされていなかった。結局のところ自己満足のようなもの。などと言っていました。

私はそのとき、エチオピアのニーズに合わなかったのかと思いましたが、私を家に泊めてくれたエチオピアンにその話しをしたところ、
「多くの人ははほんとに貧しいんだ。その日暮らしの生活だから、勉強する余裕がないんだ。」と言っていました。

実際はどうなのかわかりませんが、援助、支援というものが西洋化という意味ではなくこの国の大多数のニーズにあったものであって、この国の文化を尊重した上でのものでなければならないと思います。

でも考えてみると援助というものは非常に難しい。単に一時的に生命を救うことを援助や福祉とするならば、それはさらなる不幸を呼ぶと思います。助けられた人を社会が養うには雇用を増やす必要がありますし、教育も必要になってきます。バランスを大きく崩さないためにも多角的で持続的な援助をしなければなりません。それはとても困難なことです。援助は良いことも生みますが、それだけではありませんから、過去の援助の及ぼした歴史を知り、確立したビジョンを持たなければできないことだと思いました。



バハルダールの土産物屋
がんばって売り込んでいる姿を撮りました。ノーファインダーで気付かれないように撮ったのですが、ばれてバクシーシを請求されました。もちろん何も払わず



<最後に>

たった20日の滞在なのでこの国の表面も見えてはいないと思いますが、色々と感じることがあったので現地で仲良くなった人達と連絡し続けようと思っています。毎度のことですが今回の旅行もいろんな人にお世話になった。いつかこの人たちに恩返しできる日がくればいいなと思っています。

エチオピア旅行は私にとって、非常に興味深いものでした。しかしエチオピアの魅力は今回行っていない南部にあると言われています。交通の便も悪く未知な部分が大きいですが、それだけにさらに大きな刺激を受けることができるでしょう。今回の旅行は滞在した期間も訪れた地域も少ないので、まだまだこの国を味わいきれていませんし、多くを伝えることはできませんが、この旅行記で少しでもこの国の魅力を伝えることができたなら幸いです。また機会をつくってエチオピアに訪れたいと思っています。




                                   2002年 3月 TONY


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