3 イスファハン2
<イスファハン町歩き>
大好きなイスファハン滞在も今日で最後。明日にはテヘラン、そして日本に帰らなくてはいけないのだ。
今日もいい天気!
大好きな場所、王の広場に早く行きたくて、朝食も食べずに歩きだす。
広場へは、ハシュトベフェシュト宮殿のあるきれいな公園の中を通って行く。
この宮殿は、美しく彩色された、古い大きな木造建築で、イランらしい侘び寂びの世界。
朝の光に映える緑がきれいな公園では、お年寄りがゆったりくつろいだりしていい気分。
朝食代わりに甘いイラン菓子を買って、広場を見下ろせる展望チャイハネにお茶を飲みに行くと、
昨日会った日本人妻(&子供)の旦那さんが!
日本語ぺらぺらの彼、よく話を聞いてみると、
昨日一緒にいた日本人女性と子供は長期旅行者なんだそうだ。たまたま知り合い、彼も日本語を勉強しているので、毎日会って一緒にすごしたりしているけど、夫婦だなんて、とんでもない! って。
「子連れで長旅・・・・・?」
一体何者なのかしら。
この夜、この謎が解ける(?)ことになるのだが、そのときにはまだ彼女が何者かわからないでいた。
昨日に引き続き、王のモスクに入ってのんびりすごす。心が洗われるね。どうしてこんなにきれいなんだろう。
絵葉書を選んでいたら、ディカプリオに似た(自称。でもホントにかわいい顔立ち)男の子が寄ってきて、日本語で話をする。上手!テロ以来、日本人がめっきりこなくなったので、日本語話せてうれしいんだそう。
だいたい、本当に観光客がいないもの!!!日本人どころか欧米人だってまったくいない。
彼と一緒にお昼ごはん。彼おすすめの、ナスの煮物。ご飯と一緒に食べて、おいしい!
コーラとヨーグルトも頼んで11000リアル。
野菜をトマトで煮込む、イランの家庭料理。トルコの煮込み料理と似ているけれど、やたらにしょっぱいトルコ味よりも上品で素朴でとてもおいしいのだ!
でも、イランではなぜか道端の食堂ではチェロカバブとか、どこも同じようなメニューばかりでつまらない。以前シーラーズでホームステイしたときにはいっぱいいろんな家庭料理を味わえたのだけど・・・。
展望チャイハネ
広場の北側、バザール入り口のところの2階。見上げるとすぐわかる。お茶はポットで2000R
Aboozar Restaurant
Aasari.Pasaj Enghelab Bazar Emam.Sq Esfahan
地元の人でいっぱいの人気レストラン。イマームスクエア(王の広場)から金曜日のモスクへ続くバザールへの道の途中にある。場所がわかりにくいと思うので人に聞くとよい。イランの食堂は品数が少ないので、煮物などが食べたくなったらお勧め。
美形で親切でさわやかな若者、ハミッド君と別れ、バザールを抜けて金曜日のモスク(マスジド・ジャマア)へ。
広場から続く、イスファハンの古いバザールは、エキゾチックでとても魅力的。
丸いドーム屋根の明り取りから差し込む光が幻想的で、時が止まったよう。
布や毛糸やスパイス・・・・・・小さな店がずっと並び、イスファハンで一番古くて格式のあるモスク、「金曜日のモスク」まで続いている。
マスジドジャマアは観光客がなく、ひっそりしている。以前来たときには観光バスで大勢の観光客がぞろぞろやってきて、にぎやかだったのに。改装中なのが残念だけど、私のために普段はしまっている小部屋を開けてくれたりして、ちょっといい気分。
ここはイスファハンで一番古く、大きいモスク。
静寂。
熱心にお祈りする人。昼寝をする人。
ときおり静寂を破ってハトが一斉にばたばたと飛び立ち、青い空をぐるりとかき回す。
そしてまた静寂。
ここも私の好きな場所。
マスジドジャマア 25000R
バス(100r)に乗ってハージュ橋へもどる。
水のない河沿いを散歩しながら隣の橋まで。
車両の通らない古い小さな橋なんだけど、とてもきれいで、中腹にとても雰囲気のあるチャイハネが。
入ってみると、おしゃれ!
薄暗い店内に夕方の射光が差しこみ、くゆらす水タバコの煙とチャイの湯気がぼうっと浮かび上がる・・・。
絶対ここのチャイハネもお勧めだわ!
<子連れバックパッカー女性と出会う>
夕方、王の広場に戻って日没後は入場無料になる王のモスクの中にもう一度入り、別れを惜しみ、
出てきて一気にお土産買い物タイムだ!!!とはりきっていると、
例の子連れ日本人旅行者&イラン人男が。
日本人の個人旅行者、特に女の子ってのは珍しくて会えてうれしいから、一緒に夕食を食べよう!とお誘い。
今は買い物タイムだから一時間半後に・・・と待ち合わせて、
行きつけだというレストランへ。
これがまた雰囲気のよいレストランで・・・・・。
「ペルシャスタイル」っていうのかしらねー、
ペルシャじゅうたんを敷き詰めたお座敷で食べられるんだけどほんっとに居心地がいいんだ。
やっぱアジア人は座敷の文化。テーブルや椅子じゃくつろげないのよ。
出てきたイラン料理もおいしかったけど、
なにが楽しいって、やっぱこの人たちのキャラクターが!!!
いやはや、濃いです。さすがの私も会った事ないくらい濃い人種。
イラン人のアクバルさんは30才くらい、がっちりした体格にぴちっとしたTシャツを着て、ジーンズもアメリカンスタイルでイラン人と思えないおしゃれな人。
いや、イラン男ってのはみんなとってもおしゃれなんだけど、特有の「イラニアンファッション」ってのがあって、私たちの目からみると、ちとダサいんだよね。きっちり襟付きのシャツと、ダブダブのジーンズが最大の目印、髪も天然ウエーブの髪を妙にきれいに整えて・・・・。イラン男の胸ポケットには必ず櫛が入ってるって、スゴイでしょ?!(苦笑)
で、そのイラン人離れしたアクバルさんの洗練されたファッションセンス、やはり、世界各地を転々として磨かれたんだそう。
革命で徴兵のときに、徴兵逃れで父親が外国にと行かせてくれたはいいけど、そんなヤツは、簡単に国には帰ってこれるはずもなく、ヨーロッパやトルコなどで働いて暮らしていたらしい。
ぺらぺらの日本語は、トルコにいたとき日本語教師をしていた当時の彼女から習ったものらしいが、本人は一度も日本に行ったことがないのは驚き!国際情勢をぺらぺらと日本語で論じちゃうんだからすごい。
その、国際情勢のハザマで生き抜いてきたアクバルさん10年も国に帰るのが許されず、やっと2年ほど前に帰国が許されてふるさとに帰ってきた。そしたらイランという国はすでに自分の知っているイランではなかった・・・・・。
謎めいているが頭も良いし冗談も面白い、なかなかいい男、独身。
ウルトラパワフルな日本人女性、Aさんと6歳の息子、Mちゃんは
1年半前に「日本を捨て」、流浪の民となりジプシー暮らし。
なにゆえ日本を捨てたのかは
「もう、怖くて聞けないみたいで誰も聞いてこないケド」
と本人も言っているように、私も聞けない・・・!
6歳って言ったら小学生。Mちゃんの将来は・・・と、とっても不安ではあるけれど、そこにそういう生き方を選んだ母と子がいる以上、他人がどうこういうことではない。
年はきっと私と同じかちょっと上くらい。
まさしく「国境を越えた」同世代3人、おしゃべりは果てしなく・・・
というか、Aさん、私に「同じニオイ」を感じたらしく、
「話が合ってウレシイ〜!!!!」
とアホな話から熱い夢の話まで、しゃべりまくる・・・・。
彼女は基本的にはバンコクに拠点を持ち、日本語教師をして小金を稼ぎ、今は西に向かって旅をしているとのこと。
どこまで行くかは決めてないけどパキスタンのクエッタが一番のお気に入りで、「自分の場所」だと思ったらしい。私がイスファハンを自分の場所だと思っているように。
旅は感性が磨かれるもの。
彼女はふと思いついた言葉を詩にしてノートに書きとめている。
力強くて美しい字。選ばれた言葉もパワーがある。
クエッタは彼女の感性が最高に刺激される町なんだそう。
クエッタといえばアフガン国境。
クエッタではアフガンビザが簡単にとれ、何の問題もなくアフガンにいけるらしい。
私ってなんと9月11日生まれなのよ!とんでもないでしょ〜!」
「ビンラディンの顔が好みなのよ〜。かっこいい☆」と
日本の高校生みたいなアホな話、だけど思いっきり濃い会話(!)をしつつ、夜はふけて。
「生きてくってとっても大変。だけど夢があるから生きていける。」
だなんて、旅人のセリフなのよね・・・・・と思う私。
日常に翻弄され、時間と感性を失っている私と、日本を捨て旅に出ることで時間と感性を得ている彼女。
そうなりたいとは思わない。でもこういう人もいるのだ、という事実。
日本語を話すMちゃん、顔つきは日本人の顔なのだが、なんともエキゾチックな目をしている。
その目には一体何が映っているのだろう。
<さようなら、イラン>
遅くにホテルに戻ると、さっきまで昨日会ったマンダナさん夫妻が私に会いたくて2時間も待っていたそう。
熊本でお世話になった教授達にお土産を渡してほしいので、夜、ホテルに届けるね、といわれていたのだ。
マンダナさんから手紙が残されていた。暖かい言葉。
「また来てね。」と。
すぐに電話をかけてあやまってひとしきりお礼とお別れを言う。
また、会いたいな。
イスファハン。やっぱり帰ってきたい街。
出発の朝、ハンバーガーを買って、お茶を飲みにシオセポル(橋)のチャイハネへ。
昨日Aさんに頼まれて余ったドルを日本円に両替してしまったので、テヘランに帰るぎりぎりのリアルと日本円しかなく少し不安。
ホテルを出てタクシーでバスターミナルへ。
タクシーを降りたらすぐにテヘラン行きのバスに拾われ、7時間、14000Rでテヘラン南ターミナル着。
バスの窓からエルブルズ山脈の最高峰が赤く神々しく光っているのが見える。きれい。
前の座席に座った20歳くらいの若者。私と話ができてよほどうれしかったらしく、
テヘランに着いたら空港近くのバスターミナルまでずっと私を送ってくれた。
(南ターミナルから西ターミナルまでは535番バス。夕方ラッシュ時のため、1時間かかった。400R)
バス代も彼のおごり。ちょっと得意になって一生懸命エスコートしてくれるのがかわいい。
最後にノートにメッセージまで書いてくれて。
おねーさんウレシイよ、ありがとね。
空港では最後の絵葉書を書き。切手が足りなくて困ってたら、たまたま近くにいたイランの旅行会社の人が「私が切手を貼って出しておいてあげますよ。」って。
しかも切手代、受け取らないの。
そして一週間後、見事にすべての葉書が届いていました。
イラン人ってこういう人たち。
みんな親切で暖かい。
ありがとう、みんな。
イラン大好きだよ。
そして、また帰ってくるんだろうな・・・・・・・・
イラン編 終わり
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