イスラエルの旅 (1995年正月)
このページは「のこのこつぶやきノート」に書いたイスラエルについての旅話を転載しています。
1 エルサレム 「重い街」
今まで訪れた国の中でイスラエルってのは一番不思議な国だった。
不思議というより、奇妙。
まずはエルサレムの話をしようか。
とにかく重い。
ずっしりと。
幾年の歳月を耐えて人々の歩みによって磨かれたツヤツヤとした石畳。黒いその石畳に細い路地の壁はなんともいえずしっとりとなまめかしく、声なき声を発して私たちに訪れた者にのしかかってくる。
だが実際に壁に触ってみると、冷たく乾いている。
歴史。民族。人々の思い。すべてが超重量。
薄暗い路地を歩けばアラブ(パレスチナ)人、ユダヤ人、アルメニア人、そしてキリスト教徒、あらゆる人々の姿を見ることができる。
だが、彼らの生活圏は決して混じることはない。
人が二人すれ違うだけの路地をはさんでくっきりと街が変わってしまう。
人種が変わる。宗教が変わる。物価が変わる。文化が変わる。家も壁のつくりもそれらを飾る花さえも。
それはまるで違う国のよう。
われわれ旅行者は迷路のような路地を迷い歩きながら、それぞれの様子を目の当たりにすることになる。
私はイスラムに詳しい。アラビア語も少しだけできるからパレスチナ人と話をする機会が多くなる。彼らは、好奇心で声をかけただけの無知な旅行者に思いのたけをぶつけてくる。
「もともとムスリムとユダヤ人は仲良くやっていた。だがある日、よそ者が入ってきた。ここは私たちの土地。昔も今もこれからも!」
「戦わなければならない。我々はたくさん子供を産み、育てなくてはならない。パレスティナの人口を増やさなければ!」
パレスティナ人のほうが断然おしゃべりだ。
ユダヤ人はあまり道端で旅行者と話しをすることはない。
ヒゲを伸ばし、キッパ帽をかぶり、常にうつむき下を向いて足早に歩き、どこかに去ってゆく。
実際ユダヤ人としゃべっていても必要なことだけしかしゃべらず、会話が続かないのだ。なぜだか人を寄せ付けない雰囲気がある。私の偏見かもしれないが、表情がないのだ。彼らはいつ笑うのだろう。
確かに近年、自分はユダヤ教徒だからと、自国を捨てて入植してた新参者がこれだけの歴史の街、しかも聖地にすっぽりと受け入られるはずもない。
彼らの動きをみていると、なんだか「ユダヤ人以外は全員敵!」というオーラがみなぎっている。緊張しているのだろうか。
中にはGパンポケットに短銃を指している人もいるのだ。
実際、銃をこれだけ身近に目撃する国も他にはない。
銃自体は外国では珍しいものではない。ただ、本来なら銃は軍人がその任務を遂行中に抱えているものだろう。もしくはアメリカなどでは、一家に一丁、お父さんがしかるべき場所に入れ、鍵をかけて保管されているもの。
実際、いつ撃たれるかわかったもんじゃない。
岩のドームや嘆きの壁へのゲートでは一人一人荷物検査とボディチェック。
キリストの聖生誕教会のあるベツレヘムでは、街中で銃声が聞こえてきた。「パーン!」と。
「今の・・・銃声?・・・だよね。」
「昨日、パレスチナ人とユダヤ人が撃い合いになって一人死んだ。今日は閉まっている店が多いのはそのせいだ。」
ジュースを飲んだあと、私たちはそのまま観光を続けた。
街角でじゃれあってキスをしている若いカップル。
男女とも軍服を着て肩にはライフル銃。
どこの世界にライフルかついだまんま無邪気にデートする国があるか!
この国には男女ともに徴兵制度がある。彼らの日常の青春は高校生とあまり差はないだろう。
ただ、世界が平和を願う心だけでは動かないことを知っている。
世界中にこぼれるように放浪しているイスラエルの若者。
イスラエルの若い旅行者はどこにいっても評判が悪い。日本の路上のイスラエリもしかり。
イスラエルの若者文化にしてもそうだ。
流行の音楽もどこか擦れていて、楽曲もサウンドも斬新で面白いのだが、ハートが感じられない。すかすかした空虚な音楽。
イスラエル名物の下品なTシャツの言葉たち。ブラックジョークとはもはや言えない。シャレにならず。心が痛まないのか!
彼らのかもしだす、独特の厭世感はこんな環境で培われたものだ。
それでもこの国に住みたいのか?自国を捨てて。
余計なお世話か。
2 宿 「タバスコの住人たち」
エルサレムの有名なバックパッカー宿、「タバスコ」。
旧市街の中にあり宿代も安く、死海やマサダへのツアーを毎日行っているのも魅力だった。
2段ベッドで一部屋8人ほどの男女混合ドミトリー。
この宿、明るい電気の割にはかなり怪しげなのだ。
とにかくすごい湿気!!
窓がないのだ。 窓がないのにシャワー室があるからもわ〜んとしてジメジメ。
それに、白いものが降ってくる。壁のペンキがはがれて天井からパラパラと。
長期滞在者が多く、同じ国の旅行者同士固まって自由に使えるコンロで自炊してる。
なんだか寮みたいで短期旅行者は居心地悪そう。
日本人たちもいて、この人たちがかなり強烈だった。
長期旅行1年。2年。3年。
髪が長い。ヒゲも長い。話も長い。金は無い。
アジアを巡って来た人、さらに旅が進んでアフリカ帰りの人、世界放浪中でイスラエルキブツの経験者。
彼らとも最初はすぐに溶け込めなかった。それでも新年会と称して次の日の夜は宿で宴会ということに。
「また年があけてしまいましたね。」
「といっても今日もやはり特に何もしませんでしたね。」
「確かに。」
「今日は何をしましたか。」
「とりあえず、また嘆きの壁に。新年だし。」
「・・・初嘆きですね。」
あまり会話についていけない。
とりあえず口をはさんでみる。
「今日はこのチキンは私たちのおごりです。」
(一同)「おぉ〜!!!」
瞬時に目が輝き、いきなり熱烈歓迎状態に。
なにせ、こんな居心地の悪いエルサレムで休息をとっている人たち、曲者ぞろい。
「僕は聞いてしまったんですよ。神の声を。」
「僕はニーチェを読みましてね・・・」
「ガツンときましたね。神の啓示です。」
(・・・?)
意味不明である。
だがこの宴会、メンバーが濃いので味がある。
このとき会ったメンバーとはいまだに交流がある。
ときおり北海道から公衆電話で電話してきては、
「あなたは神の声を聞いたことはないですか?」
「ないです。」
旅行者というのは私を含め、ちょっと変わりものが多いものだ。
この宿には2泊した。
朝の3時に宿の人が真っ暗な部屋に侵入してきて、いきなり上の段に寝ている私をゆすり起こしたり。(びびる!)
2段ベッドなのに欧米人カップルがやりまくっていたり。
私にとってはこの宿こそが「まさにイスラエル」という記憶となっている。
3 マサダ要塞 (一日ツアーより)
エルサレムの名物宿、タバスコが企画するツアーは朝3時出発。
一日を超有効に使う、欲張り且つ体力勝負なツアーだ。
1)マサダ要塞
2)死海で浮遊体験
3)エンゲディ国立公園
4)死海文書が発見されたクムラン
5)当時のパレスティナ自治区エリコ
一日でエルサレム周辺の主な見所は回ってしまう。
この時は1995年の1月3日。当時は日記すらつけてなかったので、全く資料がないのだが、思い返せばあの一日はこんな感じだった・・・。
朝の3時前、宿のスタッフが真っ暗な部屋に入ってきて、2段ベッドの上段に寝ている私をいきなり揺り起こす!
「起きろ。出発の時間だ。」
暗闇の中、耳元でささやかれ、ビビりまくって起床。
(まじかよ〜・・・。)
外は真っ暗。星がきれい。
で、正月だからめちゃめちゃ寒い!
ぼう〜っとしたまま、レインボーのペイントが怪しくもかわいい宿のワゴン車に乗り込む。ツアーに申し込んだ他の宿の客も何人か拾って出発。
何分位走ったか。すっごく殺風景な砂漠の岩山の前で降ろされる。
マサダ山。
ユダヤ人が築いた古い要塞都市。山頂は美しい死海を望む難攻不落の要塞であり、宮殿や教会、家などを有する完全な街が形成されていた。
ローマ人が責めてきた時にユダヤの民が最後まで抵抗して篭城、ついにほぼ全員が捕らえられることを選ばすに自決した、ユダヤ人にとっての聖地。
そびえ立ってる岩山を前に、寝ぼけつつも愕然。
「マジで登るのかよ〜。」
私は登山がとても苦手なのだ。
「正月だし、日の出をマサダ山頂で!」という、思いつくだけならいかにもワクワクするこの企画。
だが、実際はまだ寝ている体をイジメつつ、一時間もかけて、真っ暗な中を登っていったのだよ。
昼間の観光客はロープウェーで登るらしいのだが。
寒い。眠い。キツイ。おなかすいた・・・。
登りきった頃には空が白み、寒さに震えながら干したナツメヤシを食べていたら死海の向こう側から
「ペカーッ!☆」
っと、光の筋を放射してでっかい朝日が昇る。
死海が白く光って美しい!
なんだか神々しい。聖地なのだよ、ここは。
朝日が登りきると急に暖かくなってきて、要塞を観光。
立派な遺跡ではあるが、はっきり言って面白くない。(苦笑)
そしてきた道を30分かけて下る。
とにかく景色は美しい! マサダなのであった。
4 死海 (一日ツアーより)
マサダご来光の次はいよいよ死海浮遊体験である。
イスラエルといえば死海。
海抜マイナス400m(世界一低い場所)、塩分濃度33%、(普通の海は約3%)、いかなる動物も生息できず、その水は考えられないほど濃いミネラル分を含み、エステや皮膚病にミラクル効果をもたらす脅威の湖。
体験済みの友達に、「死海ですか!入ったら全身つるっつる、一週間は持ちますよ!長期旅行者なんかアセモが一発で治って水虫まで治ったってハナシですよ!」と聞き、楽しみにしていたのだった。
何度も言うようだが時は正月三日。日本よりは暖かいとはいえ寒い冬なのだ。気温は日が昇っている昼間なら15度くらい。だが寒いからどうしよう、だなんてこれっぽっちも考えなかった。
「行くのだ!浮かぶのだ!死海に来て浮かばずに帰れるかぁ!」
着いたのは殺伐としている死海のほとり。浮かんでいる人はほんの数人。かろうじてシャワーと着替えができるトイレがある。
ここらの記憶はほとんど無いのだが、やたらに寂しい場所だったことを覚えている。
そして同じツアーの欧米人が何人かいたはずだったのだが、死海では一緒にいた記憶は全く無い。ようするに、寒中水泳したのは私だけ?
一人水着に着替えて意を決し、そろそろと水辺に足を入れる。
水面はぼわ〜っともやがかかり、泥はぬるっとしている。水もなんだか粘度高し。水は汚れてはいないが決して美しい場所ではなく、イメージ的には沼のようだ。
水は意外に暖かい。気温より水温のほうが明らかに高いのだ。これならいける!
お決まりの寒さのポーズ。手をグーにして脇にぴったりつけながら腰までつかる。そして、教えられたとおりココロを落ち着かせ、手を広げて静かに足を水底から浮かせる・・・・
「浮いた〜!」
浮くじゃん。ホントに。 おもしろ〜い。
アタマと腕と足先が水面に出る。 うひゃひゃひゃ。写真と一緒だ。本とか広げてみたい〜。
キャーキャー喜ぶ私。手をふってみたりして。
浮かんじゃうから泳げない。目に水が入ったらキケンだそうだ。
陸から何枚か写真をとってもらい、水から上がる。
寒い〜〜っ!!
吹きっさらしの場所にむなしく立っているシャワーを根性で浴び、トイレに駆け込み洋服を着込む。
ほんの数分で死海浮遊体験終了。
発見。 死海の水は冬でも温かい。
(イスラエル編はひとまず終了です)
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