富士登山2009(吉田口)

2009年7月17・18両日、風雨の中吉田口馬返から山頂久須志神社まで往復しました。

あっぱれ!富士登山 みんなの登山記09-1もご覧ください。

 自宅を4時20分に出発、東名&東富士五湖道路を経て富士吉田へ。
 東富士五湖道路は平日のため、1区間360円(ETC割引後)、須走から通しで720円。これが土・休日なら260円(ETC割引後)、通しで520円と通常の半額。
 富士吉田の市街地を一旦須走方面へ折り返し、浅間神社の横から「元有料道路」の富士吉田富士山道路に入ります(別途レポートします)。

 雨降る馬返。金曜日の早朝ですので車もまばらです。途中、御殿場市内のコンビニで調達したおにぎりとお茶で早い朝食をとりながら、天候の様子をみました。

 中部電力の雷情報サイトでは、ここから比較的近い富士宮市北西部に「中雷雲発生」の情報
 6時50分、「雷雲はありません」の情報に切り替わっているのを確認して出発。

 柵の向こう、右カーブの先は早くも階段になります。
 車両やバイク、「乗り入れられるもんなら乗り入れてみろ!」足回りがどうなっても責任はもちません。
 柵の右手は桂屋跡。そのさらに手前に、右下写真の仮設トイレが置かれています。


↓下写真に見えるのは「明大山荘」、かつて大文字屋という茶屋があったそうです。ここでボランティアの方々がお茶や漬物の接待をされることもあるそうですが、この時は行われていませんでした。
登山道の標識の後ろの敷地は、かつて「富士山ホテル(八合目のものとは別)」が建っていたところです。
 こういうトイレを見ると
小土肥菜の花舞台
を連想してしまいます。

 平地の菜の花舞台と違い、さすがに仮設手洗いまでは備わっていませんので、利用にはウェットティッシュがあると便利です。

 夏の登山シーズンのみ設置とのこと。
 馬返周辺は鬱蒼とした森。

 太古からの原生林、といいたいところですが、資料で明治期の写真を見ますと、この辺は草山と木山の境で、鬱蒼とした森ではなかったようです。

 つまりこの辺りの森は「二次林」。
 馬返の標高は1450m、御殿場口の新五合目や須山口の水ヶ塚とほぼ同じです。すでにそれらを踏破していますので、標高差は恐るるに足らず、怖いのは自分の年齢(3歳余計に食っている)と雷のみ。

 この地点には富士守稲荷という、ペルーの元大統領が耳にしたらお喜びになりそうな社があります(字が違いますけどね)。

 そしてもう一つ、鍋屋という茶屋があり、往年の馬返は4軒の茶屋が立ち並ぶ賑やかな場所だったそうです。
 左の猿像は石鳥居の両脇に一対になって建てられているものです。狛犬ではなく猿なのは、庚申の年に一夜にして富士山が湧出したという言い伝えで、猿が富士山の使いとされたことによるそうです。

 右の禊所跡ですが、石鳥居を入ってすぐの所にあります。歴史がありそうですが、意外にも大正時代に入ってから旧登山道を塞ぐ形で立てられたそうです。
 現在の吉田口登山道(馬返〜五合目)の特徴は、このような浸透枡が設置されていることです。富士登山の最盛期にはこんなものはなかったと推測されますが、2002年から富士吉田市が取り組んでいる、文化財としての吉田口登山道の保存整備事業において、登山道の洗掘を防ぐために講じられた措置です。

 浸透枡のほか、勾配のある区間では、石畳や丸太で雨水を斜め下へ逃がす施工も見られます。

 雨水、と書きましたが、ここは富士山の馬返、雪解け水対策も忘れてはならないところなんでしょうね。
 7時ちょっと前に一合目鈴原社に到着。

 かつては朱印や焼印が捺されていたそうです。

 馬返からここまでは直ぐという感じで、標高差もわずか70m。あまり休憩所という感じはありません。

 付け替え前の登山道は石鳥居からここまで直登してきたそうです。付け替え前の登山道から見ると右下の写真のようになります。
下写真は付け替え前の登山道。この辺は旧道専門サイトにお任せします……。
 二合目御室浅間神社です。この辺一帯は富士河口湖町(旧勝山村)の飛び地。

 馬返を出てから最初の「根性の見せ所」です。一合目からちょっと距離が長いところです。
 雨もほとんど上がって暑いため、レインコートをここで脱ぎました。

 写真では屋根上部が光って見えますが、これは霧のため。

 馬返からここまで、晴天時でも木陰になりますので、特に休憩は必要なかったのではないかと推測されます。

 敗戦後、一合目とここ二合目との中間に「レッキス」という山小屋があったそうです。レッキスといえばフォークダンスで有名な「ジェンカ」の欧米での呼び方。
 二合目から三合目への途中、細尾野林道の終点にぶつかります。ここにも「車・バイク立入禁止」の立看板。三合目側、柵の先は石畳ですから、柵の意味は大いにあるわけですが、右下写真のように、二合目側は比較的急な石段。「入れるものなら入ってみろい!」でもオフロードバイクだと入っちゃう恐れはあるんですよね……。

 ここにも仮設トイレが置かれています。夏季限定です。
 三合目中食堂です。別名「三軒茶屋」。三社宮(写真左手奥)、はちみつ屋(写真右手及び左手手前)、見晴茶屋があったところです。

 「三軒茶屋」といっても世田谷線もなければ玉電もなく、当然「ペコちゃん」が走っているわけでもありません。世の鉄道ファンの皆さんお間違えのないよう……。 ここは富士山吉田口です。

 右手のはちみつ屋の建物も半分崩れています。が、その手前はちょうどいい休憩スペースになっており、現在ここを歩く人々にとっても良い休憩ポイントになっているところです。細尾野林道からもほど近く、山小屋復活させるならここが良いかもしれません。
 四合目大黒天です。大黒天は里へ降ろされ、茶屋は跡形もありません。富士吉田市が案内板を設置してあります。
 四合五勺、御座石です。ここに着く前にまた雨が降り出しました。今度は強い!急いで写真の建物の軒に避難しました。直後、ピカ!ゴロゴロゴロ……。ついに恐れていたものがやってきてしまいました。
 ほどなく、富士登山競争の練習をしていたランナーさんがやってきて、やはり雨宿り。

 ちなみにここは現役の山小屋「井上小屋」で、予約があれば営業をするらしいです。

 NTTの電話線も、五合目からここまで延びてきています。
 名前となっている御座石は左写真の岩。

 登山道は右写真、山小屋の右手を行きますが、雨の直後は水溜りができることもあるので要注意です。
 御座石から少し行くと、立派な石垣が登山道右手に見えてきます。五合目館跡です。

 かつて吉田口五合目は、現在の七合目よろしく山小屋がひしめき合っていたところだったそうです。(御座石も五合目とすることがあります。)

 ここから佐藤小屋(現役)まで五合目が延々とつづくわけです。しばらく歩くと左手に広い敷地が現れます。五合目桂屋跡です(馬返にも桂屋がありましたね……)。
 ちょっと判りづらい写真ですみませんが、早川館跡です。支柱の残骸が写っています(写真中央)。

 ここから右にターンした先に天地界館跡があります。この天地界館は昭和30年に移転のため閉鎖、現在は七合目トモエ館になっているそうです。
 天地界館跡を過ぎて左にターンすると、この「たばこ屋」が現れます。

 富士山の山小屋で「たばこ屋」は珍しい名前です。現在も山小屋での販売品目の中にタパコはないからです。(というわけで、愛煙家の皆さんはタバコと携帯灰皿を持参する必要があります)。

 かつてここでは(というより富士山の山小屋では)タバコ、売っていたんでしょうか。

 手持ちの資料にしても図書館で調べたところでも確認できていません。
 たばこ屋から右にターンすると不動小屋跡です。小屋はなくなっていますが、登山道をはさんで反対側にある不動明王の祠は現存しています。

 あれぇ?不動明王って仏教じゃなかったか?軒に鈴が吊られているのは他にも例があるけど、幣帛が吊られていてはまるっきり神道ですよ。

 神仏混淆の名残でしょうね。思わず拍手(かしわで)打っちゃいました。
 不動小屋を過ぎると石段を登り、この滝沢林道とぶつかります。
(石段の登り口に五合目救護所跡があったそうです)。

 この柵、ザックを背負いながら通るのが難しいところです。下山時には金剛杖で持ち上げながら抜けました。

 林道を歩き、左にターンすると富士守稲荷(馬返にもありますね)のところで登山道の単独区間に戻ります。が、これは滝沢林道工事の際付け替えられた、いわば新道です。
 再び滝沢林道にぶつかります。
 ここから通行止めゲートの脇を上がります。
 風を遮るものが無いため風雨が強く感じられました。

雨の富士山 霧に包まれ
 
 (雪の進軍 氷を踏んで)
何処が沢やら道さえ知れず
  (何処が河やら道さえ知れず)
帽子は飛ばされ捨てても置けず
  (馬は斃れる捨てても置けず)
ここは何処ぞ いまだ五合目
 
 (ここは何処ぞみな敵の国)
ままよ大胆休憩するに

  (ままよ大胆一服やれば)
他人(ひと)の吸うなる煙草も持たず
  (頼み少なや煙草が二本)

……そう、軍歌「雪の進軍」替えるにも、私はノン・スモーカーなのでサマになりません。早いとこ、この上の佐藤小屋に入るとします。
 程なく佐藤小屋です。冬季でも営業する日があるそうです。また吉田口では数少ない、現役営業している山小屋です。

 ここに着いたときは風が強く、雨が斜めに降っているように見えました。既に10数名の登山者の方々がいましたが、諦めて帰ろうとする方、下山途中ずぶ濡れになり、タクシーを呼んでもらって待っている方々が待機中でした。
 そんな中、エスプレッソ・コーヒーを頼んで体を温めながら、出発のタイミングを見計らっていました。
 帰ることも考えました。ここから小御岳へトラバースしていけば、バスの便があります。富士吉田からタクシーで馬返に車を回収に行けば、事は難なく片付きます。
 この先六合目の指導センターまで距離はそうありませんから、そこまで行って小御岳へ戻り、次の機会に河口湖口を八合目大行合まで登れば、吉田口の踏破も達成されるわけです。今回は馬返から六合目まで歩いたのだから、これで十分というものです。
 が、右上写真の木立の上にある「里見平・星観荘」へ記念の金剛杖を買いに入ったところ、「午後から『紫外線に注意』との予報が出ている」との情報をいただきました。となれば決行あるのみ。上記の計算が全てクリアされてしまいました。
「里見平・星観荘」に立ち寄ったことは、同荘親父さんのブログ(7/17 10:04)にも記録されています。
 まずは六合目、登山指導センター横の合流点を目指します。
 
 途中経ヶ岳には日蓮上人の銅像があります。今年2009年は、私にとって「山中の銅像に縁のある年」になりました。5月には八甲田山・馬立場で後藤房之助伍長、そして今回7月は富士山六合目で日蓮上人です。どちらも男前に造ってありますね……。
   同じように風雨を突いて登る方々が見えてきて、ついに六合目登山指導センターに到着しました。
 これで吉田口の単独区間は終了し、河口湖口(船津口)・精進口との重複区間がここから八合目大行合まで続きます。
参考資料
 『富士山叢書 富士を登る 吉田口登山道ガイドマップ』
 富士吉田市歴史民俗博物館 2006年

 『企画展図録 絵葉書にみる富士登山』
 富士吉田市歴史民俗博物館 1999年

富士登山2009(吉田口・河口湖口)六合目⇒山頂⇒本八合目トモエ館へ

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