2006/2/16
keisen

私が恵泉女学園短期大学の園芸科に通うきっかけは高校2年の時に知り合った花屋の方に「将来花屋になりたいなら恵泉に行くのがいいよ。」と教えてもらったから。
「自分は男だから入れなかったけどね。」とその人は言っていました。
2年間という短い限られた時間で命ある植物の栽培、収穫、利用という事項を学ぶには短大としては珍しい”全寮制”(しかも4人部屋)というスタイルは必然だったのでしょう・・・。
2学年合わせてそれこそ年頃の女の子たちがおよそ200人・・・の団体生活。6:30起床、7:00朝食、8:30朝の礼拝(キリスト教の学校なので・・・)分刻みのスケジュールがなかったら本当に無法地帯になるでしょうね(笑)
当時は他の大学に通っている友達の自由さにとても憧れていたのを憶えています。
 
今では恵泉の友人たちと当時の話をするととても盛り上がる♪
それは普通に生活していたらきっと味わえないような濃密な時間を共有していたからかな。
 
そんな私の思い出の場所が今年度を最後に幕を下ろすことになりました。
心から残念に思います。
 
ここに掲げた写真はすべて2004年5月24日撮影のものです。

 ←かなりヘルシーな寮の食事。
全寮制なので3食全て食堂でいただきます。
でも当時は全く痩せない。友達が周りに常にいると口にするお菓子の量は半端じゃないから(笑)
 
 
食堂前花壇の除草をする学生。→
草取りをする時は”祈りの姿勢で”とは1番初めの造園の授業で習った言葉。
草取りといっても「命あるものを取り除いていく」仕事だから。
 
←タペストリーガーデン
まだまだ日本では知られていないタペストリーガーデンも恵泉ではお馴染み。多肉植物を幾何学模様にデザインしていきます。カッコイイ!!
 
 
校舎屋上から野菜・果樹園を望む。
景色は10年前と変わらない。
ナス・キュウリ・トマトなどの夏野菜の苗が植わっていました。
タマネギ・ジャガイモの収穫の跡も・・・
 
 
←恵泉のメイン花壇であるボーダー花壇
 花卉専修者の学生が丹精込めて手入れをします。
 
 虫達も蜜を吸いに♪
 青い花は二ゲラと忘れな草。(ボーダー花壇)
 二ゲラの英名は
”LOVE IN A MIST”(霧の中の愛)
学生の時に学んだ花々の名前の由来には度々感動したものでした。
 
 
 
 
 
 
 
ロックガーデン。↑
本来は高山植物など涼しい気候を好む植物のための花壇の施工方法です。
 
 
←果樹園。
 恵泉には小果樹であるベリー類が豊富。
 ブルーべりーの果実が収穫の時期をまっています。
 真っ赤な実は恵泉ではじめて知ったユスラウメ。
先日市場で切花を見つけたので懐かしくて仕入れてみました。
 
 
        
 
(左)バラ園
    秘密の花園みたいって当時から思っていました。
(右)花卉圃場
     カンパニュラ・カモミール・カレンジュラなどなど。もちろんアレンジの授業でも使用しま              す。 
 
豚舎付近。
今は豚とイノブタが1頭ずつ。
私が学生の頃は豚ももっとたくさんいた。
豚の種付け&出産シーンはかなり衝撃的な思い出。
鶏も100羽くらいいて、採卵が苦手だった。くちばしが怖くて。タマゴは寮の食事に・・・
以前はユキという名前のヤギもいて毛糸をとれる綿羊(メンヨウ)という羊もいた今はもう居ない。彼らは目の黒目部分が丸くなくて四角い。
きっと近くで見ないと一生知らなかったかも。
 
恵泉ではこれら家畜の糞は有用な有機肥料としてリサイクルされる、本当に自然の流れをカラダで感じていたと思う。
 
トウモロコシは乾燥させて・・・豚の餌かな?
バケツ、歴史を感じます。
お店で使いたい様な良い雰囲気のバケツも幾つか発見。

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少子化などの影響で学生数がここ数年で激減、園芸科の閉鎖が決定した昨年は新入生を受け入れず現在は2年生が44名在籍するのみ。
この44名を来年の3月に送り出し59年に及ぶ恵泉女学園の園芸科の歴史が終わります。
写真の学生達は私が在籍した花卉装飾専修の後輩達。
プレイデーの準備に追われる中休憩中。頑張れ!!未来のフローリストたち!!
 
3階の教室よりもずーっと高く育ったメタセコイヤの巨木。
授業中もユラユラ葉を揺らしていたっけ。