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西伊豆松崎ヨットクラブ機関誌
強風波浪なため子浦港に緊急非難 |
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『がんばるぞ』とセールを揚げ、南に250度、当初の目的地三重県の五カ所湾に向け、うねりと風のなかを走り抜ける覚悟であった。
エンジントラブル再度非難 |
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| 31日。快晴思いのほか状況はいい。出るぞ!艇長が叫ぶ。8時出航。沖はまだ昨日のうねりが残り、ややパンチングぎみ。風が安定しないが5ノットで進む。2時間後、風をつかむ。快調だ!。石廊崎が小さくなり、御前崎が微かに見える。そのときエンジン異常の警報が鳴る。「エンジン停止」帆走で走り、エンジンが冷えると早速エンジンルームを開け、故障箇所をチェック。うねりの中、油まみれになりながら約一時間。西里艇長は「原因が解らない。これでは危険だ、もどろう」 また、子浦港に向け変針!早速携帯電話で岡村造船に連絡。トラブルを報告。ーー昼一番で造船所出入りの業者が駆けつけると言う。ラフィキは2ポイントにセールを落とし、帆走で港に向かう。エンジンは今なら動く。子浦港の湾内一杯までは帆走し、ギリギリまで動力は使わない。そして、着岸時にスタートするそうだ。賢明だ!慌てるとこうは行なわない。納得だ!湾内でほっとすると艇長は「今日は妻良(めら)に入ろうか」と。まっ、気分転換に「同じ所より、いいじゃあないか」と言う事であろう。風の強いことと、先客のロープで接岸には戸惑った。岸壁には定置網の準備のための土嚢の山でヨットからの乗り降りが大変であった。またも、疲れのためか近藤会長は土嚢の上で昼寝。艇長も船内で眠りにつく。その間に岡村造船の社長が様子を見に車を飛ばしてきた。皆が話ているとき私は眠りこけた。寝耳にエンジン修理の音を聴く。簡単に修理は出来たらしい。後で聞くと原因はポンプ接続ホースの裏側に亀裂が入っていたためらしい。 |
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| 午後4時ひと眠りしたため食欲もでてきた。妻良の街を散策しながら豆腐を一丁買う。頭の中で「今日は中華で攻めようか」と船内に戻る。5時30分、九州のアベックラーメンとマーボ豆腐、朝の残りご飯でチャーハン。そしてビールで少し早い夕食となった。 | |
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ほろよい疲れでうとうとしていると昨夜の仲間(斎藤、鈴木、芳賀、細田)プラス国本君でまた、陣中見舞だ。メインデイシュは差し入れの「おでん」。そして今日は勇気ある撤退を祝すワインとビールで宴会が始まった。外はまだ風速30ノットの風が吹き荒れていたが、「明日は何処で酒盛りか?伊豆半島なら何処でも参上するぞ!」などと冷やかされ、モンテの仲間に暇乞い。北西の空には「ヘールポッブ彗星」が輝いていた。松崎で見るよいり一段と大きく全員で感激。「また、明日もここで宴会だな!」と別れた。 |
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4月1日、定置網漁の漁船の音で眼が覚めた。艇長の第一声は『出航だ!』であった。何と風も凪ていた。うねりも落ち着き最高だ。 |
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昨日、近藤会長が摘んできたラッパ水仙と桜の花を海に献花した。それは、ことの駿河湾のこの辺の海底には昨日のような「春の嵐」のため何隻もの漁船や練習帆船が沈んでいるからである。現在世界に誇れる「帆船日本丸や海王丸」はこのような事故、犠牲者を一人でも無くそうと運動し、建造されたものです。その思いに気をとられていると前方10時の方角から一隻の漁船がこちらに向かってくる。このままでは衝突の危険があるので我々のヨットを大きく45度、漁船のあきらかに解るよう変針する。漁船はそのまま後ろを通過すると眺めていると、何となく視線を感じ大きく手を振った。するといきなり減速し、手招きをする。漁師はすぐさまに船室にもぐり、つぎには片手に赤い魚を振り揚げている。「西里さん、あれを見て!」と言うと、「魚をもらえるぞ」とすぐさまエンジンを減速し、舵を使いおおきく旋回した。その漁師は魚を海になげこんだ!。艇長は「タモだ!」と言い、キャビンに飛び込むと、ツーピースの網を取り出した。(魚は深海魚なため一度釣り上げられると浮袋に空気が入り浮く)その魚に船を横付け網ですくった。三人で大きな声でお礼を言う。
近藤会長はノートに船尾に書かれている船名、漁港名を直ぐ書き就けた。大井川漁港、海政丸と書かれていた。 |
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初のオーバーナイト体験
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| 西の空に夕日が赤く沈みかけ、北西にはヘールボップ彗星が現れてきた。 初めてのナイトクルージング、西里艇長にレーダーの使い方を教わる。思いのほか大変だ。船を中心に全て円の中で距離、方角を判断すること。また視覚外の見えない遠方までを全て感知するため画面の中は船でいっぱいだ。更に一番近いものにカーソルを合わせるとその船の針路が判るが、一般の船はヨットより遥かに速いため、前方だけに気を取られると直ぐ後方から追い越されたりするので一段と神経を使う。でも慣れるとお互いがレーダーを使っているのだからと思うと安心だ。 夜のワッチは三交代。一人は寝ることが出来る。二度ほど熟睡した。二度目は朝方、朝日が昇る前、西の空から赤に近いオレンジ色の三日月が海面から茫洋と現われたのには感激した。そして朝日を見ることなく眠りにつく。眼が覚めるとそこは本船航路の真っただ中、「船の銀座通り」である。艇長と近藤会長は、もう気楽なものと、船名を読んだり、手を振ったりしていた。 空は快晴である。気圧も落ち着き、昨日は、風最高で18ノット。今は7ノット前後、波も1m弱、快適な走りである。 艇長は本日の予定を発表。「串本まで行こう」予定の五箇所湾には、このままでは午前中に着いてしまう。 早速、GPSのカーソルを串本港に合わせ、慣れたオートパイロットも南に変針、ジブセールを降ろし、7ノットで目的地に向かう。12時過ぎ、串本港に着き、港内でうろつく。予定の港は余りに小さく係留する場所としては不安である。すぐ後ろから入港してきた漁船に訪ねるとここより南の大きな漁港を指定してくれた。お礼を言い、その港に着いた。そこはプレジャーボート指定の岸壁があったが工事用のクレーン付台船がロープを四方にとって、とてもヨットは近づけない。そこで陸地にもっとも近くの漁船の後ろに係留を決めた。 串本港到着 |
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| 12時49分着岸。なんと妻良港から27時間。白石鉱次郎君を除く、モンテナイトYCでの無寄港記録達成の瞬間であった。 さっそく記念写真、乾杯。燃料の補給、飯、風呂と続くが、寂しいかな私はここまで。明日は電車で松崎へ。 短いようで長い、そして航海の全てが凝縮された旅であった。せめて鳴門海峡まではと名残おしいが仕方ない。後は近藤会長の報告に任せます。 西里さんの夢航海に突如として便乗した航海であった。後悔もあった。反吐もはいた。しかし、白石鉱次郎世界一周のサポートより、15年のヨットクラブの活動より又違った経験であり、感動であった。今までより、またひとつ大きな輪へと脱皮したような風が心の中を通り抜けた。後の報告を楽しみにしています。西里さん、近藤さんガンバッテ! 文責 細田栄作 |
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