平成15年「禅の友」4月号
命とは何か
二月に涅槃会を勤めたかと思っているうちにお彼岸を迎え、あっという間に四月の降誕会です。十二月の成道会のころ、すっかり葉を落とした落葉樹などは枯れ木と見まごうばかりの姿でした。しかし厳しい寒さの中でも、立春を過ぎるころから桃や桜は枝先の色も赤みを増し、まさに、いのちを感じさせてくれます。
私たち人間も、いのちがあるからこそ生きているにもかかわらず、さて、あらためていのちとは何かと考える時、多くの答えの中から何を選べば良いのでしょうか。
お釈迦さまのお生まれになった四月八日、当寺の幼稚園は、毎年入園式を行います。園舎での式のあとは、本堂で親子そろって花まつりをします。小さな竹の柄杓で誕生仏に甘茶をかけ親子で手を合わせる姿は、美しいいのちの形を見る思いがします。
子どもたちは、卒園までの三年間、毎週本堂で坐禅を組みます。ひどい雨の日でも、嫌な顔ひとつせず傘をさし、担任と石段を登ってきます。人生の基礎を作る幼児期の三年間に、坐禅や茶道、作務や料理など、寺での活動を、生活として、ごく普通に教育の中に位置づけてきました。
今や、人生八十年どころか、人生百年の時代に突入したかと思うような元気な方にお会いすることも少なくありません。昔の晩年は、実年とか熟年といった言葉に置き換えられ、老後がどこから始まるのか、否、あるかないのかも定かではないようです。
医療も進み、長い人生を生きる可能性が大きくなりました。平均寿命の伸びを見る時、人生後半の生き方が、今ほど問われることはないように思います。三年間の園や寺での生活が子どもたちの人生にどんな影響を与えるのか、今はまだわかりません。
生命とは、自分一人のものではなく、多くの人から受け継いだものであり、次の人に大切に手渡すものではないでしょうか。親から子へ、子から孫へ、生命のリレーがバトンタッチされていくことは、死んでしまった人から生まれた子供など一人もいなかったことを見ても明らかです。
ところが、精子の冷凍保存により、父親の死後に生まれる子供の可能性も出てきました。そうかと思えば、事故や病気で倒れて回復の可能性もないに等しい状態でも、色々な人工延命装置につながれ、死ぬこともままならない人もいると聞きます。
まったく、何が生で何が死か、容易には判断できないような世の中になってしまったように感じるのは、私だけでしょうか。
長いあいだ神秘に包まれていたヒトの遺伝子の解読も、ついに完了するそうです。遺伝子操作は、人工的生命の誕生も夢ではないところまで発達し、クローン羊が世間を騒がせたのも昨日のことになりました。
今や、授かる生命から、作る生命へ。人間の欲望はとどまるところを知りません。願わくは科学と倫理が相反することのないよう、私などは、祈るばかりです。
今回、「いのち」について考える宿題をいただき、色々なことが頭に浮かびました。
生に対する執着が、ここまで科学を進歩させてくれたことは、その恩恵の中で生きるものとして感謝すると同時に、その怖さも感ぜずにはいられません。
こんな便利で豊かな、勝手気ままな生活をしながら、不平不満、不安に不信と、心が満たされないことから起きる悲しい事件があとを絶ちません。
宇宙の観点から考えれば、生命などないかに見える石の中で元素はものすごいスピードで動いているわけで、石や木と私たちは、たいして変わりません。違うところは、私たちは感じ、そして、考えて行動することができることができることではないでしょうか。
生まれ、死んでいくのは、お釈迦さまとて例外ではありませんでした。人生はその長短ではなく、どう生きたか、そこを問われるのは言うまでもないでしょう。
人として、仏教徒として、いのちとは何かといえば、仏法の中で生きることそのものではないでしょうか。手を合わせる形や坐禅の形にいのちの美しさを感じるのは、それゆえかと思われます。
花まつりの四月、今一度いのちとは何かを考え、私の仏の子たちと毎日を大切に、仏法を求めて生きていきたいと思います。
平成11年9月「仏教とジェンダー」
寺院における女性の空間
空気のような存在
臨済宗の寺院で生まれ、二十四歳で曹洞宗に嫁して二十年になろうとしている。私とはいったい何か。生まれてこのかたずっと寺族ではあるけれど僧侶ではない。宗派によって寺族の定義はいろいろであろうが、曹洞宗においては寺院の中の僧侶以外を指す。ここでは特に寺院の中で生活する僧侶の妻を指したいと思う。
昭和六十年に、寺族得度なるものを受けて准教師資格を有し、絡子を許され、寺の中における役割も決して小さくもないのにもかかわらず、曹洞宗の教義の上では私という人間は認められていない。分類される位置がないという、空気のような存在である。
このことに気づいたのは、皮肉にも曹洞宗の寺族研修であった。人間を、出家した男と女の比丘と比丘尼、在家の男と女の優婆塞と優婆夷の四衆に分けるが、寺族はどこにも含まれていないのである。数々のレポートとスクリーンを終了して、めでたくか、おめでたくか准教師資格を取得したが、そのときの疑問はずっと解決されないで今日に至っている。何故寺族は教義の中に分類位置づけされないのか。この問題は、僧侶の結婚というお釈迦さまや道元禅師の時代には前代未聞であった事態が引き起こした、なんともややこしい結果なのではあるけれども(そのこと自体、女性に対する蔑視かどうかは別にしても)、現にその結婚から産まれ、そのまた寺同士の結婚から産まれ産まれて今を生きながら、どう受け止めるべきか、自分自身の存在の鍵として、いつも頭のどこかにぶら下がっていた。
禅宗において、今日のようにどこの寺にも当然のごとく奥さんがいたり、子供がいたりという光景が見られるようになったのは、明治五年の太政官布告により、僧侶の肉食妻帯が、正式に認められるようになってからであるが、政府に許可されれば出家の身でありながら結婚して家庭を持つという、私には理解できない現象の背景には、寺院を支える労働力の質と量における変化があったからではないだろうか。
その昔、というより、現在もそうであらねばならないが、寺は修業道場であり、一休さんのアニメのように子僧さんがいたり、寺男や寺女という安価な労働力や檀信徒の奉仕が寺を支えていた。しかし、経済社会の発達は、人々の価値観を、信仰を基盤としたものから、より経済性を重視したものに変化させ、寺に流れていた労働力は都市社会に吸収され、その不足していった労働力を補う手段として妻帯は有効であった。その上、後継者確保という問題も解決したのではないか。とにも角にも寺族は誕生して今に至り、家族が住む場所ではないような寺の中で重要な役割を担っている。
しかし、元来出家主義の仏教において、僧侶が妻帯するのであれば、新しい教学を打ち立ててからからでなくてはいろいろな問題が生まれることは必至であり、寺族問題はその最たるものといえよう。もしも解決の糸口があるとするなら、それは私たち寺族の生き方如何にかかっているのではないだろうか。とはいうものの、そう考える一方で、現在も道元禅師の出家至上主義から一歩も踏み出していない曹洞宗において、寺院管理を行い、家庭生活を営み、寺族も准教師などとレッテルを貼ってもらって絡子を掛け、布教活動の末席を汚す毎日は、良くも悪くも刺激に満ちていて多忙極まりなく、その解決など夢のまた夢とも思える。
理想と現実のはざまで
小さい頃、僧堂で修行することへの憧れから、女に生まれたことを悔しく思った記憶があるが、それは取りも直さず寺院における
男尊女卑への反発の裏返しだった。早くに父を亡くし、戦争で兄もなくした末っ子の父にとって、僧堂の師家は親以上の存在であり、生活の基盤は僧堂にあった。私とは逆に曹洞宗から臨済宗に嫁した母にとっても、父の理想と現実の矛盾は、私の疑問とまったく同じで、寺族問題そのものであった。
成長するに従って、出家主義の父を支える母の姿に同性としていつしかエールを送っている自分に気づいた。僧堂大好き人間の父に我を殺して仕える母を見ての二十四年、夫と結婚してからの二十年、どちらもお寺の使命と寺族の生き方を考えての時間であったが、住職の妻としてのこの二十年は、お寺の幼稚園や保育園、建築の設計や晋山式という大行事に護持会の騒動も加わり、物凄く波乱に満ちていて、とんでもなく結構な日々だったが、なかなかよそでは味わえない価値があり、寺族の立場という精神的空間と、家族が居住する物理的空間を求めての戦いでもあった。トイレのない部屋にオマルを運び、押入れに子供を寝かせ、玄関の前で食事し、台所で顔を洗う。個人のプライバシーが優先される一般家庭ならいざ知らず、ほとんどがパブリックスペースのような寺院において、子育てをし、家事をし、年間行事を行い、毎週坐禅会をし、檀家の法事をする。
あたかも家族など住んでいないかのようにお寺の体面を保ちつつ、裏では、あっちに行ったり、こっちにしまったりとそれだけでかなりの労力を要する。境内の掃除に終われ、子供を背負って草取りなどということもあったが、どこにも自分がゆっくりとくつろげる空間はなかった。曹洞宗寺院一万五千かの寺の中で、寺族女性が専有できるスペースを持つ寺院はどれくらいあるのか。また、曹洞宗宗務庁のデータによれば、年収五百万円以上の寺院は、全体の三五%程度であり、この中でも、寺族に対して労働に見合った給料を支払っているところがどれくらいあるのか。そして、教義上の位置は仕方ないとして、宗教法人上の役割を持つ寺族はどのくらいいるのか。
こう考えると、教義上の空間ばかりか法人上の空間や生活空間、時間的空間に経済的空間と、寺院の中で女性が自分の空間を確保することは非常に難しそうである。寺族は住職と信仰という価値観で結ばれ、毎日の生活を修行と心得て、同士として共に行じてゆくものである。寺族こそ出家者たるべきで、無であり、空でありたいから、教義上の地位も、労働に見合った賃金も、専有するスペースも要らないといえば要らないが、だからこそ逆に、その実現のために寺族にとって機能的で合理的な伽藍と、住職の理解が必要ではないだろうか。
僧堂ではない現代の消費経済社会の中にあって、家事や子育てをしながら寺院運営をし、檀信徒の教化などさまざまな課題にぶつかりながら、何十年も存在を否定されて生きてゆくことなど、余りにも非現実的である。しかし、その非現実を、現実として生きている寺族がどれだけいることか。きっと多くの方々が、今も自分を探しながら、自分を押さえて生きているのではないだろうか。現実の寺族の生活は、憧れの雲水の修行よりきつそうである。
空間の獲得
たまたま東海地震に備えて建築の必要が生じ、設計を始めて紆余曲折で十年になろうとしているが、なかなか実施設計にこぎつけず、今年こそ着工せねばと思っている。どんな客殿、庫裏にするかということは、どんな寺院生活をおくるかということでもある。うちでは幼稚園と保育園があるため、その子どもたちの教育と布教活動を同一線上にあるものと考え、三つの法人を協力し合って維持管理していくという方針がはっきり自覚でき、住職ともどもお互いの生き方を確認する結果となった。寺院の伽藍は、かなり最大公約数的分類であるが、基本的には本堂、書院、庫裏からなり、それらをどうつなげ、 どんな機能を持たせるかでその寺らしさが出てくるのである。寺族などいなかった時代からの伝統的な従来の伽藍には、当然寺院の生活など考慮されていないわけで、鍵などかからない夏向きの部屋は生活の足しにもならない床の間がデンと構えて、ほしい収納は布団を入れる押入れのみ、などということが多いのではないだろうか。何ごとかのときには開放して使うという考えがどこまで行ってもあって、家族専用の空間をつくりにくくしている。
平成と年号も改まって、町内寺院のほとんどが新増改築を行い、現在も後を絶たない。寺院に住職の家族が公に存在するようになってほぼ百三十年、ついに家族の空間なくしては寺院運営は成り立たないというところまで来た。にもかかわらず、現代教学における寺族の研究は進んでいないようである。しかし、教学上の位置などあろうがなかろうが、現実に生活の場を確保し、不便な中でも家族生活を営んでいかなくてはならない。そんななかで寺院に生まれた男子は、居ながらにして出家したことになって僧侶となり、住職となって妻帯し、出家主義をかかげてお経を読み坐禅をする。寺族は、そんな住職たちの建前を支え、本音を押し殺して、この百年というもの、知らず知らずのうちに僧堂でもできないような大変な修行を強いられてきたのではないだろうか。そして、ここ三十年は、急激な社会の変化に伴い、寺族の意識も、その生活も、大いに変わってきているように思う。
寺院収入だけで維持できるかどうかの境目を年収五百万円とすれば、先のデーターより、六五%の寺院は兼職することになるし、その内容も住職だけでなく寺族も兼職することがでてくると、修業道場としての寺院本来の使命を果たしてゆくことは、時間とストレスとの戦いになってくる。時間に追われ、人に追われていると、地球環境も省みず、ついつい身勝手な便利さを求めて労力を省くことが当然の社会の波に呑まれそうになるが、そんな現代社会であるからこそ、仏教者として、人間も自然の中の一部として
他によって生かされていることに感謝し、寺院が新の文化の発信地として、実践してゆくことが重要である。
幼稚園では、坐禅だけではなく、茶道や料理も毎週行い、自分の暮らしがいかに自然と密接につながっているかを実際に体験し、五感で感じることを大切にしたカリキュラムを豊富に組んでいる。お米の研ぎ汁は木にかけたり、野菜屑は畑に穴を掘って埋めたり、つくばいで柄杓一杯の水を汲んだりと、なんでもないような日々の生活を大切にする行動から私の環境論理学を基盤とした教育は成り立っている。三歳児が菓子器の取り箸をうまく扱いたくて、自分からスプーンをやめて箸に変え、夕食に黙って箸の練習をするという自己課題の発見と課題達成のための自発的努力、そして、課題の達成という姿に出会うと、三歳児といえども修行の同士であり師でもあることを思い知らされる。園児とスギナを摘み、境内のあちこちから集めた花々でお釈迦さまにお花御堂を作ることから今年の幼稚園は始まった。卒園後も坐禅を続けようと、日曜子供坐禅会に参加する子、学校の帰りに坐禅茶道教室に通う子がでてきたり、父母も子どもに負けじと月一回坐禅と茶道を続けている。お寺と園の二足の草鞋は少々苦しすぎて、毎日へとへと、一足脱ごうと思うこともたびたびであるが、経営ではなく自分の修行だという住職の言葉を信じて、この二足を履き続けていくことに私のこの寺における空間があるように思う。
寺院に生きる女性が、すばらしい空間を自分自身で見いだし、自分自身で作っていくことこそが、現代教学における寺族解釈そのものであり、それをすることができるのは、寺院に生きている私たち女性をおいて他にないのではないだろうか。
それぞれが、それぞれの立場で、よりよい自己の、実現に向けて努力し、苦しみ、時には涙も流しながら、しかし、こんな幸せな生き方ー会いがたき仏法に会い、お釈迦さまの時代の真に自由な女性の生き方ーを求めさせていただける法縁に恵まれたことを深く感謝し、毎日を大切に、溌剌として生きていくところに寺院における女性の空間が生まれるのではないだろうか。最後に、私の空間を作り出す力を育ててくれた父と母、住職、大学の恩師、友人や仲間に、心より感謝したい。