私の好きな唄
私はかなり熱狂的なクラシックファンなのに、同じクラファンの作った音楽サイトを訪れて、同じファンたちが書いた感想文を読んで面白いと思ったためしがほとんどない。逆にイライラすることのほうが多い。なんでそんなつまらないことばっかり書いているのかね。もっと言うべき事は他にあるはずだ。・・・でも思えば、かなり思うべきところのものが無ければクラ好きになるはずがなく、天の邪鬼な音楽ファンは「他の人とは違う所に興味を持とう」と心懸けるのが本当のところなのだから、とうぜんのことだ。だから、クラシックファンというものは、各自、孤立して孤高をたもっているべきものだと思っていた。
でも、じぶんがかんそうぶんをかきはじめて初めて、他の人の感想文がなにかしら楽しく読めるようになってきたよ。
考えてみれば、私は本の中の他人の文章には異常に影響されやすい性格なんですよね。なのにネット上の文章には反感を覚えるなんて、変なことだね。不思議だね。
だから、自分も、誰か他の人が私の文章を読んで発奮できるような妄言をつらつら自然体に書けるようになれたら、と思い、それを願うようになってきた。妄言、それは暴論、しかし私の中では真理なのだ。第一義に、私は音楽について、自分だったら読みたいと思う文章を書く。
 
 
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★ベートーヴェン作曲 歌劇≪フィデリオ≫  (1805年〜)
       〜第10曲(第一幕フィナーレ)「囚人たちの合唱」
- 2005/12/29(Thu) 07:11
ベートーヴェンのフィデリオというのが、最近一番良く聴くオペラです。
初めて聴いた時、あまりにもゴツゴツして不細工な造形に興味を失い、しばらく放って置いた。それがなんの拍子か車の中で何回か続けて聴いて、麻薬のように離れられない音楽になってしまった。なんて、異様な迫力に満ちているんだろう! ベートーヴェンが革命者であるということが、本当によく理解できる。
ただ、物語の筋と登場人物の性格がどーでもいいことが難点。
 

1枚目のCDのおわりのところで合唱があるんだけど、どうしたわけだかここのところで、不思議な旋律が現れるのだ。それは、テノールが皆を導くために歌う叙唱と、そのあとの合唱の伴奏が、シューベルトのミサ曲第2番のクレドと同じ音楽なのだ。ミサ曲では、一番感動的な部分でシューベルトが音を小刻みに積み上げていって、盛り上がりを最高にまで持ち上げる。・・・なんで一緒の音楽なの?

そう、私が今日言いたいのは「似てる」ってだけ(笑)
ただ、「英雄交響曲の冒頭とモーツァルトのバスティアンの序曲が似てる」ってなレベルではなく、明らかに同じ音楽だから。フィデリオ(第1稿)初演は1805年で、シューベルトのミサは1814年だから、シューベルトがわざとフィデリオを取り入れたのかねえ。シューベルトってそういうことをする人だったっけ?
とまぁ、それがさいきん気になること。

CDはカール・ベーム、ドレスデン国立管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団のやつ。
 
 

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★ハイドン作曲 交響曲第48番ハ長調≪マリア・テレジア≫ Hob.I-48 (1768〜69年)

- 2005/12/27(Tue) 07:53
大好きな砂川しげひささんの『聴け聴けクラシック』のマリア・テレジアの項に、「以前にウィーンにいったとき、リンク通り王宮前の広場に女帝の銅像が立っていた。(中略) 女帝像の頭の上にハトの糞が垂れていて、それをみているとなんだかうれしくなった。ミラノの女帝の息子のフェルディナンドが後年、モーツァルトを宮廷音楽家に雇用しようとした。その時、母君のマリア・テレジアが「乞食のように世の中を渡り歩いているような無用な人間を雇ってはいけません」」てなことを言って、これをつぶしたのだ。ハトの糞を見て、そういう記憶が甦ったのだ。ぼくはそれをネに持っているのだ。このフンは当然の報いで、犬がいればこの女帝の足にオシッコをかけてやるべきだと思ったほどだ」ということが書いてあって、喝采を覚えた。そうだそうだ!(←これは、音楽についての本だからこんなこと言ってるんですからね、念のため)

女帝マリア・テレジアはかなりな音楽好きで、とくに歌がとても上手かった(声が綺麗だった)そうなのですが、賢明な彼女は自分の趣味よりも国家の政策を優先した。マリア・テレジアが“改革家”グルックを優遇したのは、グルックの歌劇が音楽の劇的描写にり登場人物の感情表現をおこなうので、これまでのような華麗な舞台装置が不要で、つまり金がかからなかったからである。
さて、交響曲マリア・テレジア。この曲を紹介する時、解説書では必ずハイドンと女帝の対面の場面を描いているので、ハイドンと女帝はかなり親しく、女帝はハイドンの音楽に好感を覚え、本当に女帝はハイドンのオペラを何回も観に行ったかのように錯覚してしまいますが、本当は、マリア・テレジアとハイドンは、一回しか会っていないのですね。邪推すれば、ハイドンの雇い主のエステルハージ家は当時マリアテレジアが統治に細心の注意を払っていたハンガリーの最大の侯爵家なので、女帝の言葉の裏には「女帝がオペラを見に来てやるからオペラをじゃんじゃん作れ、そして侯家の金をじゃんじゃん使わせろー」と言っていたのかもしれませぬ。(←江戸幕府の大名疲弊策じゃないんだから)
女帝がエステルハーザを訪問した3年後に、女帝がウィーンに宮廷劇場を新しく作ったので、その記念にハイドンにオペラの作曲を依頼したのですが、なんと女帝は同じ台本で別の作曲家にも依頼していて、ハイドンのより先にそっちのが上演されてしまったので、ハイドンが激怒した、というエピソードもあります。

さてさてさて、というわけでエピソードの真偽がどうも定かではない交響曲マリア・テレジアですが、音の響きがとても華麗で輝かしいので、「さすがマリア・テレジア!」という感じになっている。マリア・テレジアが来た時にたまたま演奏された新曲(だろう)ということで題名が「マリア・テレジア」なので、この題名にそれほど意味はないのですが、いや、そこはそれ。私たちは歴史音楽マニアですから、ハイドンが曲に与えた劇的物語性をもとに、標題を考えてみよう、と思わずにおれなくなろうともいうものです。
 

第一楽章 「即位後の波乱と輝かしきマリアの美貌」
先帝の死去と共に始まる女帝の輝かしき治世。抜き差しならぬ情勢の中で蠢く列強の野望とは裏腹に、宮城のバルコニーから臣民の前に姿を現した女帝の姿からは神々しい後光が差し、帝臣たちは喜びに打ち震えつつひれ伏すのだった。そこへ差し込める暗雲、隣国プロイセンの戦争王が10万の大軍を率いてやってきた。でも、女帝はかよわいながらも無茶放題な23歳、けっしてめげないぞ。相手が自分が女だと侮っているのなら、相手の侮り以上の巨大な女になってみせましょお! 単身ハンガリーの宮廷に乗り込む女帝。感動的な演説で強力な援軍を引き出す女帝、その腕には愛して愛して止まない息子パピの姿があった。プロイセン王なんてチョチョイのちょいだわ、みてらっしゃい! ・・・そして何もしない夫フランツ。

第二楽章 「優しい家族達のなかで」
たとえ諸外国が激しく吠え立てようが、アルプスの霊峰が優しく見下ろすシェーンブルン宮殿の中で、家族たちがあるかぎり、おそろしいものはなにもない。夫フランツが優しくアルペンホルンを吹いて女帝を慰める。息子ヨーゼフもホルンを吹いて優美に踊る。クリスティーネもレオポルドもホルンを優しく吹くよ。あどけないマリア・アントニアはたぶん吹けないけどね。

第三楽章 「女帝の統治政策」
見てらっしゃい、女帝の帝国の統治策を! 小規模ながら華麗なシェーンブルン宮殿を! 宰相ハクスヴィッツの税制改革を! ブルボンとの同盟を! 農民改革を! 2人の息子の有能を! 軍隊の増強を! ウィーンの人口増を! 売春の禁止法を! 教会勢力の制限を! 学校教育の充実を! 女帝の政策はどれもが小気味良く効率的になされることでしょう!

第四楽章 「帝国は踊る」
七年戦争(1756〜63)は激しく厳しいものであったが、もはやプロジァ王の奸計ですらも女帝の輝かしさを減ずることはできない。将軍たちとハンガリーの兵士は各地ですさまじく奮戦するであろう。シュレージェンは奪われたが、やがて取り戻されることであろう。息子ヨーゼフとレオポルトは光り輝く青年になることであろう。女帝の貫禄もいや増し、女帝の威光は欧州の真上で踊る。ウィーンの宮廷も、踊る踊るのだ。
 

というような意味を、ハイドンはこの音楽に象徴的に込めたんですよね、きっとね。
CDは、トレヴァー・ピノックがイングリッシュ・コンソートを指揮したアルヒーフ盤がいいです。
 
 

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★アリアーガ作曲 弦楽四重奏曲第2番イ長調

- 2005/12/24(Sat) 20:42
と、まぁこれまでつくづくご覧のように、私はマイナー曲愛好家なのです。
そもそもクラシックを聴くという事自体がマイナー趣味なのですが、どうしたわけか、そんなクラシック音楽もメジャーな曲とそうでもない部分に分かれていて、当然ながらCD屋に並んでいるのは有名な曲ばかりだ。私は有名な曲にはそれほど興味が湧かない。なによりサプライズが無いし、迎合に過ぎると思えてしまうし、ま、いつでも聴けるもんだからね。でも、でも、クラシックを聴くとは、そういうことでは無いはずだ。だって、だって、わざわざ世の中の流れとは逆流して古いのを聴くんだよ。サプライズが無くてどうするつもりなのか。神の声は隠れた部分に宿る物なのだ。私はマイナー分野に一家言のない人は、クラシック愛好家とは認めん。クラシック音楽愛好家は、変人であるべきなのだ。

さてさて、アリアーガ。
「スペインのモーツァルト」と言われたアリアーガ(1806年生まれ、1826年死去)こそ、そんなクラシック愛好家に対する最大の福音の象徴であるといえる。クラシックを、表面だけ囓っている男はアリアーガという名前なんか絶対に知らないし、ちょっと聴き込んでいるマニアには「早すぎる死が惜しまれる逸材No.1」として名が轟いているからね。クラシック世界とは、過去の芸術を扱う物であるから、我々に与うられるべきその絶対量は決められているのであるが、もし仮りに私たちの知らぬ遺産がまだ別に膨大に埋もれているとしたら。マイナー音楽(の傑作群)はそれらを私たちに期待させてくれるイエス・キリストの福音であり、アリアーガはその筆頭なのである。(アリアーガがモーツァルトと比べられるのは、たまたま誕生日が同じだからであって、作品数が異様に少ないのは20歳誕生日10日前に死んでしまったから当然であるとして、でも、アリアーガをモーツァルトと呼ぶ事を否定する人は誰もいない)

ネットで検索してごらん。アリアーガについて書く人は、必ず多大な思い入れを込めて書くから。
そのアリアーガの最高傑作は、弦楽四重奏曲の3曲。
なかでも最も人の頭の一番深く突き刺さるのは第一番ニ短調で、実際私もこの曲を聴く度に「泣ける映画」を観た直後のような胸に突き上げるものを感じるのですが、それもそのはず、この第1番はモーツァルトの交響曲第40番の印象をそのまま弦楽四重奏にしてみたような感じ。当然、一番の人気作。
・・・でもでも、アマノジャクな私が推薦するのは、第2番(の第4楽章)。正直、聴いた限りの印象は、第1番の“激烈に泣ける”音楽よりは落ちる気がするです。(実は今日の私の文章も第1番について書くつもりで書き始めた) でも、1番があまりにも名曲然として聳えすぎていて、それに対して翻ったら、2番と3番が名部将として自然な感じで控えていたのを眺めて、ふらふらと惹かれてしまった。あくまでも古典的な趣の中に、清冽な天才が煌めいているのがいい。とくに第2番の第4楽章は、第1番の“泣ける”第4楽章と同じ音楽を、別に組み立てて、あえて長調的に語っているように思える。2番以上に第3番は、空気に溶け込み、もぅ放心してしまっているんですけどね。

CDはグァルネリ四重奏団。
私がこの音楽について知ったのは、音楽之友社の『クラシック・ディスクコレクション301』という本の中の喜多男道冬氏の文章でした。この本がなかったら、私がこよなく愛するマイナー音楽の大半には、出会えなかったに違いありません。でも、この曲に並んで挙げられている、アリアーガの交響曲ニ長調のレコードは、いまだに見つけられん。
 
 

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★メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ短調

- 2005/12/24(Sat) 11:01
つくつく、最初の出会いって大切だと思う。
メンデルスゾーンってのは、モーツァルトに劣らず、もしくはそれ以上の恵まれた神童だったと思っておりゃすが、実を言うとモーツァルトの初期作品はあんまり好きではなくて、一方、私はメンデルスゾーンの初期作品が大好きである。
確か、高校生の時、ピアノ三重奏曲ニ短調を聞いてメンデルスゾーンに大きな興味を持ち、続けて18歳の時の作品・弦楽八重奏で「メンデルスゾーンはハズレの無い作曲家なのか?」と思ったのだった。
大学生になった日、私は母親に付き添われてはるばる遠州から九州へ引っ越しした。ウチの母親は中途半端に世話焼きなので、適当におだてつつ家電一式を買わせ、佐世保駅へ母親を見送りに行った足で、そのままCD屋に直行。しばらく充分なだけの音楽を仕入れるためである。
私が高校生時代にNHK-FMをチェックしながら録り溜めた録音テープは150本ぐらい。でもそれは、引っ越しに当たって全部実家へ置いてきてしまったのである。当座の音楽飢餓をどうにかせねば。
高校時代は音楽は全部FMで充足し、録音テープも知り合いから医療用のをタダで譲ってもらっていたため、私には音楽に金を払うという意識はなかった。レコード屋に行って思った。「高い!」 一人暮らしでどのくらいの生活が出来るのかもその時は分からなかったため、「さいあく、今手に入れた音楽だけをしばらくずっと聴かねばならんのだぞ」「何度聴いても楽しめるものを、飽きないものを、ヴァリエーションに富んだ選択を」と思いつつ、選んだのは6枚。
当然ながら、それらが、その後の私の音楽生活を決めるかなめとなったのだ。
ヘルムート・リリング指揮『メサイア(モーツァルト編曲版)』、ランパルの『モーツァルト・フルート四重奏曲集』、ケルテスの『新世界』、ブロムシュテットの『ペールギュント&ホルベルク組曲』、モーツァルト『戴冠式ミサ』、内田光子の『モーツァルト・ピアノ協奏曲24番』、そして、このメンデルスゾーン作曲ヴァイオリン協奏曲ホ短調&ニ短調』だった。ヴァイオリンを弾いていたのはヴィクトリア・ムローヴァ、指揮はサー・ネヴィル・マリナー。

ホ短調はともかく、13歳の時の作品のニ短調を聴いて、わたくしは狂喜したのである。なんてキレが良く、煌めきに満ちているんだ、少年メンデルスゾーン!
というわけで、わたしは世の天才と呼ばれる人の少年時代の音楽の愛好家になったのです。めでたしめでたし。・・・・と思ったら、さっきも言ったように私はモーツァルトの少年時代の作品にはいろいろと含むところのものを考えちゃうし、つい最近、初めてビゼーの17歳の時の交響曲ハ長調を聴く機会を持ったのですが(同傾向の作品だと思うのに)、全然楽しくなく、馬鹿馬鹿しく思ってしまった。
メンデルスゾーンのこの曲だって、極言すれば「若書き」の一言で片づけられる作風で、実際各種の本にはそう書かれているのですが、前述の理由で私はこの曲に遥か古くから聞き惚れているので、いまでも少年メンデルスゾーンの輝かしい才能にうっとりとしてしまうのですよ。3楽章の少年の溢れる楽才と実験精神は、なんということか!
(さらに、13歳のメンデルスゾーンは似たような感じの驚くべき『弦楽のための交響曲』というのを14曲も残してくれているのです)
ネットなんかで、少年メンデルスゾーンの天才をバカにしている人をたまに見かけると、死ねばいいのにと思う。
 
 

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 ★プロコフィエフ作曲 ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調

- 2005/12/23(Fri) 07:54
(ヴァイオリンの曲ばっかり続いてるが、どうかしたのかなオレ?)
えらい好きな音楽。
大学生だった頃、母校に教育実習に行きました。今も昔も人前で喋るのは達者ではない私がどうして教育課程を目指したのか、今となっては自分でも理解ができませんが(おかげで以後10年間おもしろい目にいっぱい会ったし、MyPreciosと最終的に巡り会ったのもそうなんですが)、同じ時期に一緒になった実習生は10人前後いて、実習生たちの控え室は美術室だった。高校に美術部員だった私が、気怠く湿っぽくロマンティックな長い時間を過ごした美術室で、また別の時間を過ごすことになったことに不思議な心の動きを覚えた。自分の中では、高校生だった自分と大学生になった自分は、何か生まれ変わったような違う気がしており、迷路のような構造の高校の中心部にある美術室という場所を通して、タイムワープしたような奇妙な感覚だったな。
実習生たちは、お互いにとても仲が良かった(ような気がする)。教員実習なんかでまともなことができたはずがないのですが、その日あった事をあれやこれや話し、熱心に話し合った。私なんかもかなり話し下手なので実習は苦労したはずなのですが、楽しかった記憶しかない。みんなが見に来た授業で私が何か思いつきでやってみた画期的な方法がえらくみんなから褒められて、なかなか評判は良かったんだよ。(←何をしたかはさっぱり覚えていないが)
さて、実習仲間にひとり、音楽学校に進学して音楽の実習をした人がいた。彼女は高校の2年と3年の時、同じクラスだった。とても端正な美貌の持ち主で、クラスの中ではかなり目立つ存在だった。何度か机の位置が前後ろになったことを覚えているな。結構接点はあった。しかし高校生時代の私は、ラヴクラフトやムアコックの世界に浸ることに夢中だったのである。今考えると、とてももったいないな。
教育実習で一緒になって初めて知った事。彼女は小さい頃からヴァイオリンを特訓していて、そのための音楽大学に進学したってこと。も、もったいない〜。というのは、私は昔からヴァイオリンを華麗に力強く弾く女性に潜在的にすぐ惚れてしまうという特性をもっているのです。・・・こ、こ、高校時代にそれを知っていたら・・・・(何もしなかっただろうけどさ)
その女性の実習内容は、、(実習期間は3週間もあるんですが)ラヴェルのボレロのCDを繰り返し聴かせ、オーケストラの各楽器の特性をレクチャーしていく、というもので、面白そう!と思う一方で(ラヴェルが嫌いな私としては)どんなもんなんだろう?と思っていたのですが、彼女が持参していたCDがブーレーズ盤で、おかげでそれはいずれ私が年古りた時に聞き込みたいと思うCDになった。
んで、これまた生徒に見せるために彼女がヴァイオリンを学校に持ってきた日があった。(ヴァイオリン好きな私は有頂天!) んで、ヒマなときに好きなヴァイオリン曲の話になって、私が「一番好きなのがメンデルスゾーン、いま気になっているのがプロコフィエフ」と言ったら、彼女は即座にその場でヴァイオリンを取り出して、メンデルスゾーンとプロコフィエフの両曲のさわりの部分を麗しく弾きだしてくれたのです。
雨のそぼふる薄暗い日、黴臭く甘酸っぱい空気の(?)ふたりきりの(だったっけ?)美術室で、チロチロと流れるヴァイオリンの音色。私が彼女に特別な感情を抱いたのも無理からぬことであります。そして、プロコフィエフは何にも代え難い大好きな音楽となった。
・・・もう、いまから16年も前のことです、、、、、、
 

ヴァイオリン曲としては、プロコフィエフの1番と2番は、とても特異な性格の曲ですよね。CDで続けて聴く事が多いため、同じ様な連続した雰囲気の曲と理解してしまいがちですが、実際は、1番が25歳前後の作品、2番が43歳ぐらいのときの作品。渡辺和彦の『ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏』には、「1980年代までは「わかりやすい」2番が頼多く演奏され、専門家や学者に評価の高い1番よりも、2番の方が聴衆に人気があった」、「1番を演奏するのは相当に難しい。(中略) 実演で完璧な演奏に出会った事がない。しかし難しいのに音楽には「リリシズム過多」と評されたくらいメロディがあふれており、モダニズムとロマンティシズムの奇妙な合致が実現されている。プロコフィエフ自身、このような協奏曲は2度と生み出せなかった」とか、書かれています。

CDは、チョン・キョンファがいいですよ!
 
 

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★ラフマニノフ作曲 ≪2つのサロン風小品≫ 作品6 (1893年)
                    &≪ヴォカリーズ≫ 作品34-14 (1914年)

- 2005/12/18(Sun) 20:36
「女性による力強いヴァイオリン」つながりで(^−^)
ちょっと前の私は、それはそれは、女性の力強いヴァイオリニスト・諏訪内晶子を愛していました。
それは、外見がたおやかなのに、その弾くヴァイオリンがとても力強く芯があったから。
でもなぜか、今の彼女はそうでは無くなってしまった。
諏訪内嬢が私の期待値から逸脱してしまったのは、明らかに伝説のストラディヴァリウス“ドルフィン”を入手してからで、それ以前の彼女は素晴らしかった。今ではそうではない。またやがて、彼女がドルフィンを乗りこなし、以前のような女神の姿になって戻ってきてくれる事を望む。

んで、私が諏訪内嬢の音色にメロメロになったのは2枚目のCD『メロディ』で、中でも中間に置かれたこの3曲が素晴らしかった。(ピュアゴールドCDも買っちゃったもんね)
諏訪内嬢は「2つのサロン風小品(ロマンス、ハンガリー舞曲)」のあいだに有名な「ヴォカリーズ」を挟んでいるんだけど、これは、他の人もよくする弾き方なんでしょうか? どちらにしても、とてもいい、すごくいい。この頃の輝いていた諏訪内嬢の話をすると、涙で前が見えなくなる太陽領です。
ラフマニノフのこの手の作品を、もっと聴いていたい。

んで、「私はもうバッハを好きではない」と宣言した直後に、諏訪内嬢が新譜でバッハのヴァイオリン協奏曲集を出して下さったんですけど、どうしましょ? (この3曲はバッハの音楽の中でも嫌いではない部類にはいるが、ちょっと前にヒラリー・ハーンのを買ったばかりだしなー。ヒラリー・ハーンのですらちっとも印象に残ってないしなー)
 
 

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★ヴィヴァルディ作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ短調 RV248 (?年)

- 2005/12/13(Tue) 08:01
「愛の音楽つながり」で(笑)
マリアナ・シルブ演奏 イ・ムジチ合奏団による「アンナ・マリアのための協奏曲集」が大変な愛聴盤なのです。

ヴィヴァルディ・ファンサイトの『赤毛の司祭』で、かなり前にふたつの映画の事が話題になっている。ひとつは、ハリウッド産の映画で、女子ばかりの慈善院の音楽教師であったヴィヴァルディが、出来の良い生徒アンナ・マリアと淡い恋を得て素晴らしい霊感を迸らせる、という話。もうひとつは欧州産のかなり真面目な作品で、若くして司祭の地位を得ながらも、悪意ある左遷によって慈善施設の音楽教師という屈辱的な役職を与えられた主人公の話。
下世話な興味が湧く一方で、やっぱり、いくらピエタ音楽院が幼女から妙齢の人まで女だらけの園(笑)であったと言っても、教育者が教え子と激しく恋に落ちるなんて、ふつーには無いことだと思う。(←私が言っても説得力が無いが) 大体ヴィヴァルディは聖なる司祭なんだからね、さらに有り得ない。
しかしながら、ヴィヴァルディがピエタ音楽院でピカイチの楽器演奏の腕(←ヴァイオリンだけではなくいろいろな楽器の)を持っていた30歳違いの小娘アンナ・マリアのために膨大な曲を書いたのは確かな事で、その曲を聴く度にあまりの素晴らしさに感嘆の声を挙げ、男張りの超絶技巧に目が白黒し、「こりゃ作曲者は恋愛とは行かなくても、この生徒に特別な感情を持っていた事は間違いないぞ」と思うのである。
(ヴェネチアのピエタ音楽院の名手アンナ・マリアの名前は、当時ヨーロッパ中で有名だったそうです)
このイ・ムジチのレコードに収録された6曲はどれも素晴らしいのですが、やっぱり冒頭に置かれているこのイ短調をプッシュ。アダージョ楽章に突然プレストが始まるので、「え、もう3楽章?」と眩惑させる所が型破りです。

私は、ヴィヴァルディの音楽がとっても好きです。
で、いろんなヴィヴァルディの音楽を聴く度に、19世紀にダラピッコラが言ったという「ヴィヴァルディはひとつの協奏曲を600回描き直しただけ」という言葉が頭をグルグル駆けめぐります。この言葉はとてもいろんな意味を含んだ言葉ですが、結局の所褒め言葉ですよね? ヴィヴァルディというと「バロック音楽の代表」「聴きやすい音楽」と言われがちですが、ヴィヴァルディのCDに付いてる解説書を読むと、どれもヴィヴァルディの音楽を否定する文章から始まるのが面白いと思うし、実際、ヴィヴァルディの作品は型破りな作法だらけだ。でありながら、どの作品も(マイナーな作品であっても)とても高い水準にあるし、どれを聴いていてもまったく飽きないのがすごいと思う。

…んで、いろいろ調べたんですが『協奏曲スーパーガイド』にもこのRV248についての情報が載ってない。いったい何年の作品? 音の響きから見て後期の作品なのは間違いないと思うんだけどね、(作品11の前後?)、そもそもヴィヴァルディの後期っていつから?
 
 

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★パガニーニ作曲 ≪愛の二重奏≫

- 2005/12/11(Sun) 15:09
「愛の音楽つながり」ということで。
先の投稿で「いい年の男が恋とか愛とか言うの(を聞くの)は照れる(照)」と書いてしまいました。実際、大人が「LoveLoveブリブリ♪」とか言っているのは、純粋な心の吐露と言うよりも何か邪悪な動機が働いていると言っても良いと思いますね。これは、「クラシック音楽を愛好している」と自分から言う人間はすべからく変人である、と言うのと同じくらい真理であると思います。・・もっとも、ここで私の言う“邪悪”とは、かなーーり下の方で私が延々と述べてきた“混沌”とは全然違う意味ですけどね、金とか名声とかそういうこと。
ところがここで、パガニーニほどの男にここまで「愛について」を正面切って歌われてしまうと、赤面するわけにもいかず、ただ痛快を感じるのみなのです。

怪優クラウス・キンスキーが主演した『パガニーニ』という映画がありました。いまここで録画テープを引っ張り出してくる気にもならないエロ映画だったと思うのですが、大意は、晩年の名声を博したパガニーニが数々の女性と浮き名を流しつつ、真実愛するのはただひとりの息子とヴァイオリンを弾く両腕だけ、その爛れた生活の中で音楽を純化させていき、絶頂の中で死ぬ、といった感じでした。ま、エロにどうしても目が行ってしまうので、知らずに見た人は「なんやねんこりゃ」「パガニーニって何者?」と思うだけでしょうが、我らクラシック愛好家は、鬼畜に至る前にパガニーニが愛に飢える浪漫青年だった時期があった事を知っているので、そこで深い感慨に包まれてもいいのです。
パガニーニには、18歳〜22歳までの間に『空白の4年間』と呼ばれる時期がありました。11歳の時に音楽デヴューした彼はアマチュア音楽家だった父に連れられて各地で演奏行為を行い、モーツァルト張りに名を成していたのですが、数年後、突然姿をくらまして、どこかの裕福で高貴で美しくて若い女性と暮らしていた、という。本には「深い挫折の結果失意の底で」とか「音楽よりも愛を選んだ」とか書かれていますが、時代が時代だったので(←フランス革命全開)、パガニーニのような人は食い詰めてしまったというところでしょう。でもしかし、ここで大事なのは、“その女性”がギターという楽器にとても愛着を持っていた事で(当時は空前のギターブームだった)、おかげでパガニーニがギターとヴァイオリンのための音楽を大量に書き落とすことになったことです。この頃のパガニーニの音楽は、とても音が力強く伸び、とても気持ち良いのです。中でも「チェントーネ・ディ・ソナタ」と呼ばれる18曲が有名ですが、それ以外にも、ソナタ集作品2と作品3のそれぞれ6曲もなかなか。これこそ、愛の息づきが充満している音楽というのでしょう。(ネットを読むと、「書かれた音楽から判断してこの女性はあまりギターが上手で無かった」とか憤懣なことが書かれていたりもしますが) 
で、ナクソス盤のオビに「青年パガニーニが激しく恋に落ちた相手(名前以外は全く不明)がギターを弾き、二人で演奏した甘い日々への追憶が、恥ずかしいぐらいのラブストーリーとなっています」とあるのですが、今日はずっとネットや本で必死でこの女性の名前を探したのですが、わからなかった、、、、 いいゃ、美しい「ナゾの令嬢」ということで。

さてさて。
ここまで話を広げておいて、今回取り上げる≪愛の二重奏≫は、この『空白の(愛の)4年間』に書かれたものではありません(笑)
23歳になったパガニーニは、突如ナゾの令嬢に別れを告げ(?)、ルッカの宮廷に仕官します。ここには今をときめくフランス皇帝ナポレオンの8歳違いの妹エリーゼが嫁いでいて、彼女がとても音楽好きだったのです。彼は得意の(Vnの)テクニックで公女をメロメロにし、宮廷の寵児となったのでした。この≪愛の二重奏≫はこのトスカーナ公妃エリーザ・バキオッチに捧げられた物です。いわば、パガニーニ版『エリーゼのために』ってことですね。
この曲にまつわるエピソードをいろいろ探してみると、ふたつの相反する話が出てきます。
ひとつめは、現代教養文庫の野呂信次郎『名曲物語』に書かれているエピソード。
「ある日宮廷で彼の音楽会が開かれたところ、パガニーニはどうしたわけか、E線とG線だけ残して、あとの糸を全部切らせてしまいました。エリーゼ姫はそれを見て不思議に思い、なぜなのかを尋ねます。するとパガニーニは答えます。「E線は王女さま、G線はわたくしを表したのです。これからふたりで美しいお話をいたしますのを、お聞き下さい」とうやうやしく言い、ヴァイオリンを手にして美しい演奏をしたのでした。その素晴らしい音楽にエリーゼ姫は感激して聞いていましたが、曲が終わると静かに命じます。「次は一本の弦だけで弾いてみてご覧なさい」 それを聞くとパガニーニは、得意顔でさらに美しい曲を弾き始めました。それがパガニーニの「G線のソナタ」だった、ということです」
もうひとつは、インターネッツで見つけたエピソード。
「パガニーニは公妃の面前で、臆面もなく≪愛の二重奏≫と題した音楽を初演し、エリーゼ嫉妬に狂う」
どちらにしても、この曲にはパガニーニには珍しく物語り仕立ての章立てがしてあって(音楽は単一楽章、9分ぐらいなのですが)、「はじまり−願い−調和−内気−歓び−いさかい−平和−愛のしるし−別れの知らせ−別離」となっている。

ここで、冒頭で私が「男が愛だの恋だの言う時は必ずよこしまな魂胆がある」といった部分に戻るのですが、明らかに(たった1年で)パガニーニの愛についての音楽は、性質が変化しております。前の、伸びやかな力強さで愛に浸る濃密な音楽はなりを潜め、ここでは軽やかに、お洒落に、輝かしく、劇場を持って女性を褒めるように飛び跳ねる。ただ、恋人同士だけに意味の分かるヒソヒソ話に、息の長い色っぽさを入れる事も忘れない。

この音楽は、最初は一挺のヴァイオリンでE線とG線だけを使って演奏するように作曲されたのですが、とても難しくてパガニーニ以外は弾きこなせなかったので、現代ではE線の部分がヴァイオリンで、G線の部分をギターかピアノで伴奏するように編曲されているようです。おかげで、ナクソスのパガニーニの『ヴァイオリンとギターのための音楽』のシリーズに収録され、「謎の令嬢」のための作品2や作品3と聞き比べることができるのですね。ばんざい!
 
 

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★オルフ作曲 カンタータ≪カトゥーリ・カルミナ≫

- 2005/12/08(Thu) 03:55
これはスゴイ。
オルフといえば≪カルミナ・ブラーナ≫ですが、もちろんそれだけではない。こっちの方は、その原型がカルミナブラーナよりも4年も先の、1933年には一通り揃っていたといいます。(ただしその時は、現行版の三部構成ではなくて、10曲の歌の寄せ集めだった) カルミナブラーナが大成功したので、オルフは調子に乗ってこっちも大改訂して世に送り出しました。
オルフの代表作であるカルミナブラーナは、クラシック音楽の中でも唯一無比の際立った作品です。でも、カルミナブラーナを聴き込んで、「もっと凄い作品は無いか?」と辺りを見回した時に、カルミナブラーナよりももっと高い熱に浮かされた譫妄のような興奮に覆われたこの作品があることは、とても幸せなことだと思います。オルフの音楽、大好きよ。

題名の≪カトゥーリ・カルミナ≫とはラテン語で≪カトゥールスの歌≫という意味。
ガイウス・ヴァレリウス・カトゥールスとは共和制ローマの終わりの時代の頃の高名な詩人です。ギリシャ詩を深く研究し、「学識の人」という渾名を同時代人から冠せられる一方で、初期には風刺詩をいっぱい書き、のちには故郷への想いや恋の歌を熱く歌う事で名を馳せ(←「恋愛詩の祖」といわれる)、のちのヴェルギリウスやホラティウスにも大きな影響を与えたとか。彼の詩はもちろんラテン語ですが、ネットで検索すればかなりいっぱいその訳文の断片が読めます。でも、正直言って、わしには彼の詩ってよくわからん。いい年して恋愛らぶらぶぶりぶりとか言ってるのも照れますしね(照)。

さてさてさて。
この音楽におけるその詩も、当然ラテン語になっているのですが、実際カトゥールス作の文章がどれほど活かされてるのか、さっぱりわかりません。だって、一応物語形式になっているのですが、物語の中でカトゥールス自身が恋愛でひどい目に会う、という始終になっているんですもの。結局、カトゥールス自身が自分を主人公にして悪い恋愛の見本を書いたのか、それとも残されたカトゥールスの悲惨な恋愛詩をもとに、台本作者がカトゥールスの恋愛遍歴を物語り仕立てにしたのか?
ともあれ、かいつまんで言うと、「人目もはばからずラブラブブリブリしている若い男女がいて、それを傍で見ていた老人(←笑。これはカトゥールス自身か?)が、「恋で周りが見えなくなるようになるとロクな目に会わんのだよ。そうそう、むかしこういう男がいたんじゃ」と二人に言って、昔のカトゥールスが“類い稀な美と賢さ”で知られた遊女レスビアに対してした恋について語り始める」というもの。
その「世界一の女性」と歌われるレスビアという女性もカトゥールスを馬鹿にしているし、たくさんの男性を相手にしているし(遊女だから仕方がないのか?)、レスビアの美を歌い上げるカトゥールスもほかにも同時にたくさんの女性に手を出しているし、「しょーがないなー」という気になってきます。この「レスビア」という女性、「レズビアン」の語源になった女性かな(だからカトゥールスに対して涼しい態度を取るのか)、と勘違いしかけましたが、考えてみればそれはサッフォーの住んでいたレスボス島の名前が元でしたね。

とにかく、劇性を深めるために、序章に当たる若い二人に対して老人がいらんことを言う部分は、合唱以上に激しく打ち鳴らされるピアノ(←4台も使っているんですよ)や太鼓や木琴などの打楽器群が特徴です(合唱も激しいが)。 対して、カトゥールスの回想部分は伴奏は一切無く、無伴奏合唱だけで熱っぽく延々と続く。まぁ伴奏があろうが無かろうがやっているとこが同じなのですが、その対比に世代間の隔絶が強く現れていて、見事だと思います。

わたし、いつも合唱曲を聴く時、メンドイのでいちいち歌詞を読んだりしません。でも冒頭の部分がとても力強く印象的なので読んでみたら、「あぁお前の舌! 小さな舌! 私をなめ回す舌! いつもぺらぺらと蛇のように気持ちよく動くね!」「注意して! 注意して! 私の舌は蛇よ! 蛇にご注意! 何でも噛むわよ!」 ・・というものだったので笑ってしまいました。歌詞を読む前は勢いに込められた殺気から見て、てっきり「殺す! 殺してやる!」とか歌っているとおもったよ(笑)
ラテン語って意外と、こういうどーしよーもない堕落を歌い上げるのに適した言語なのかしらね?
 

CDはオイゲン・ヨッフム。女がアーリーン・オジェーで男がヴィエスワフ・オフマンのテノールなのだ。
 
 

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★シューベルト作曲 弦楽四重奏曲第15番ト長調 D.887 作品161 (1826年/出版1851年

- 2005/12/05(Mon) 23:52
この曲は、こんなに深刻ぶっているのに、長調の音楽なのが不思議だと思います。
シューベルトが死ぬ2年前(29歳)のときの作品。死んだ年にこれを書いてくれた方が良かったんですよ。そのくらいの作品です。
大木正興の『室内楽名曲名盤100』という本に、「シューベルトがこの作品で交響曲への夢を遠くに抱いていたことはほぼ間違いがないように思われる。それがこの曲の色彩的な魅力として現れていると同時に、また四重奏としてはやや中途半端な物になってしまった理由である。(中略) そのいつ果てるとも知れないこの作曲家独特の悠久の美は、すぐあとに続く弦楽五重奏曲やハ長調大交響曲に一脈通じる物であるが、それに比べるとここでは、彼の霊感とそれを操る手綱はいくぶん精彩を欠くようにも思える」と書かれているが、「何言ってやがんでいっ」と思う。一見、取っつきにくいように思えるが、ロザムンデや死と乙女の豊饒なメロディは今回は控え目に、でもその分濃厚さは増し、その狂昂は後の世のスメタナやドヴォルザークの室内楽に受け継がれる。シューベルトは、同時期のベートーヴェンの冷厳な同種とは別の次元の、有機的で迫力のある玄妙な響きの構築を、存分に繰り広げているのだ。

エルンスト・ヒルマーという人の『大作曲家 シューベルト』という本に、「『ロザムンデ』『死と乙女』を含んだ弦楽四重奏曲の三部作がどうやら計画されていたらしく、このことはザウアー・ウント・ライデスドルフ社が出した1824年9月7日付けの『ヴィーン新聞』に読み取れる。しかしこの計画は、作曲者がその後しばらく別の街に行ってしまったため、さしあたり実現を見なかった。元来の構想が実現を見せたのはト長調四重奏曲がようやく1826年に完成した時だった」って書いてあるんですが、本当でしょうか? …だとしたら、この曲は純音楽的な構成美を大切にしつつ、死と乙女と同種のロマンチックな光を別の方向から組み立て直した、強い作品だと思うのです。シューベルトの音楽は、最後の年に信じられない転身を遂げ、手の届かない所へ昇り詰めてしまうんですが、(さっきも言いましたけど)この曲に関してだけは、弦楽五重奏曲と作曲順を入れ替えて欲しいと思いましたね。「シューベルトは最後の最後に化け物になってしまいましたとさ」「それから彼がどこに行ってしまったのか。誰もそれを見た人はいません」と言って物語が終われるからさ。

この曲の中心は、第2楽章だと思います。冒頭部分でややチャーミングなメロディがビオラとチェロで歌われます。解説によるとこのメロディは「スウェーデンの民謡に基づくともイザーク・アルバート・ベルクという人の書いた歌によるものだともいわれている」のだそうですが、ビオラとチェロで弾かれているだけあって、音はか弱い。そこへ(録音の都合上そうなっているだけかも知れませんが)二本のヴァイオリンが力強くそれを掻き消すかのような力強い旋律を弾く。ここだけに限らずこの楽章の主題は「何かを強く打ち消すこと」であるものだと思いますのだ。さらに、楽章の中間部分から、とても不吉な音が響いてきます。それは、スメタナの『わが生涯から』の終楽章で、スメタナの耳が聞こえなくなる予兆のイヤな響きの耳鳴りと同じ音で。シューベルトのこの曲では、スメタナの曲以上に執拗に、強い耳鳴りが延々と響きます。そして、一番怖いのが、この楽章で8分50秒前後に突然場違いな弦の弾き音が大きく「ポンッ」と響くこと。この音には音楽上の意味が全然無く、すごくイヤな響きなのですが、その破裂音はたった一回だけで、音楽は何もなかったようにまた元のメロディを弾き続ける。でもその音楽は決してもう元と同じ物には聞こえない。変容しているのです。
もう最初から最後まで、この楽章が恐くて恐くて。

CDは、アルバンベルク四重奏団。
 
 
 

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★ブリテン作曲 ≪フランク・ブリッジの主題による変奏曲≫ 作品10 (1937年)

- 2005/12/03(Sat) 06:21
ブリテンは、「毒の無いイギリスのショスタコーヴィチ」だと思っているのです。
この変奏曲は、作曲者が23歳の時の作品。こんなのをサラリと書けちゃうんだから、天才の人ってすごいんだなあ。変奏曲の主題であるフランク・ブリッジというのは、ブリテンに音楽を教えた先生の名前。1919年に6歳の少年ブリテンに出会ったブリッジは、この少年の音楽的才能に惚れ込み、一方的に音楽の教授を申し込むのだ。何と教授料は無料、ブリッジはブリテンの家に住み込んだという。13歳の頃から、ブリッジはブリテンに本格的に作曲のやり方を教え始めた。一方で、16歳になったブリテンは英国王室音楽大学に入学し、そこで作曲をブリッジとは正反対の音楽のアイアランドに学ぶ事になる。
そのブリッジの書く音楽はどんな物だったのかというと、ネットで検索するととても好意的な感想が多いね。作品も多い。叙情的で内向的な美しさの音楽。でも「第一次大戦終結を境に、ブリッジの音楽は内省的で無調もいとわない方向へと傾いていく。そのカギを握るのは、戦争で失った知人たちへの哀悼心とシェーンブルク一派の音楽らしい。それ以後のブリッジの音楽は、とにかく人が変わったようにシブイのだ」ですってさ。
おっと、ブリッジの音楽のことなんてどうでもいいのだ。

ブリテンが23歳の時に、同じく新進気鋭の指揮者だった32歳のボイド・ニールが「自分の演奏会で演奏する曲を書いてくれ」と言ってきたので、「人生のとりわけ感じやすい時期に眼を開かせてくれた恩師F.B.に“愛情と讃仰をもって”」この曲を作曲した。
とにかく、真面目に作っているし、それ以上に師に対する愛情と、目に見えない(邪悪な)ユーモアに満ちあふれていると思う。私が「邪悪なユーモア」というのは、これを聴いていると「変奏曲って何だっけ?」という気分になってくるところだ。変奏曲って何だっけ?
曲の構成自体は“普通の”構成である。 ≪導入部と主題≫≪1.アダージョ≫≪2.行進曲≫≪3.ロマンス≫≪4.イタリア風のアリア≫≪5.古典的なブーレ≫≪6.ウィンナ・ワルツ≫≪7.無窮動≫≪8.葬送行進曲≫≪9.詠唱(チャント)≫≪10.フーガと終曲≫ それぞれの変奏が1?2分前後で(葬送行進曲だけが4分、終曲は8分)、全曲で28分ぐらい。
でも、1曲目と2曲目がブリッジの主題をちゃんと引き継いでいるのに、その次の曲からガラッとブリテンの音楽となり、軽快に進み、第八変奏で再びブリッジが戻ってきてそのまま沈鬱的に終わるのだ。この「ブリッジの主題」というのが(ブリッジの「弦楽四重奏のための田園曲第2番」という曲から採られているらしいのですが)、私にとっては苦手な種類の曲。これがブリテンの手によってあれよあれよという間に軽妙に塗り替えられていく。行進曲→ロマンス→イタリア風のアリア→古典的なブーレの部分なんて、とても爽やかな音楽が次々と繰り返されて、とても気持ちが良い。そして全曲が終わってみると、とても満ち足りた気分である。ブリッジ色がブリテン出汁で綺麗に混ぜられている。
どうも、ブリテンはブリッジにすごい愛情を寄せているのに、その賛歌をブリテン島伝統のユーモア“死んだ鍋(デットパン)”でくるんでみてしまったような、そんな気がするのです。

(※“デットパン”とはアイルランド特有の(←アレ?)ユーモアで、「真面目な表情」でサラリと言うので、笑って良いのかいけないのかわかんない冗談の事を言います。英国人はこれが得意です)

CDは、ブリテン自身が英国室内管を振っている、キングレコードのロンドン盤。
 
 

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★シューマン作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ短調 (1853年)

- 2005/12/01(Thu) 06:09
その『ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏』のシューマンのヴァイオリン協奏曲の項に書かれている文章。「問題はこれが本当に傑作かどうかということ。私は学生時代からこの曲のファンで早くから楽譜を手にし、発売されたCD/LDのほとんどを聴いているぐらいだからもちろん傑作派。しかし世間の評価はいまだこの曲には厳しい」「しかし愛着は変わらない。この曲ほど頭の中を這い回る暗い雲の影を影を感じさせる協奏曲は無いからだ。まぁ、こうなると偏愛に近い」「『終楽章が混乱している』という指摘がある。残念ながらこれは本当。しかし最初のふたつの楽章はじゅうぶん美しく、とくにドルチェで出る第一楽章第二主題と、ランクザーム(ゆっくりと)の第2楽章はシューマネスクそのものだ」という文章に反し、わたくしはその“混乱している”第三楽章が大好きなのだ。イイんです。もったりとしていて劇的で。
アーノンクール盤の解説書に書かれている文章もそそります。「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は作曲された当時、ウィーンの人々によって辛い評価を下されたために長い間埋もれる事になった。1844になって名ヴァイオリニスト・ヨアヒムがこのベートーヴェンを掘り出し、各地で積極的に演奏。1853年にニーダーラインでシューマンの指揮の下でこの曲を演奏。ヨアヒムはシューマンに言う。「ベートーヴェンのこの作品があなたの刺激となって、室内楽以外は崇高な作品が欠けている哀れなヴァイオリニスト達に、どうかあなたの深い箱からひとつ作品を取り出してください。豊富な財宝の守護者さまへ」。3ヶ月後にシューマンはヴァイオリン協奏曲の作曲を始めるのですが、実質これが彼の最期の大曲になった/シューマンの死後、妻のクララとヨアヒムが二人でこれを試演してみて、「この曲は演奏も出版もしないほうがいいね」「精神的エネルギーがさらに全てを奪おうとしており、皆が消耗してしまうことが明らかであると残念ながら言わざるを得ない。悲惨である」と言った、とかあって、そのエピソードにはさらに私の妄愛は高まらざるを得ないです。なんだい、クララもヨアヒムも本質的にはロベルトの敵だったのじゃね。なんだぃ、ロマンチックじゃんね。それは、快感を覚える痛々しさで、結局心地良いんです。

CDは、アーノンクールの指揮の下でクレーメルがヴァイオリンを弾くテルデック盤。
 
 

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★シューマン作曲 チェロ協奏曲イ短調 作品129 (1850年)

- 2005/12/01(Thu) 04:13
わたしはシューマンが大好きなのです。暗い音の中に、鮮烈な青い情念の炎がメラメラと燃え盛っている感じが好き。
ただし、大好きなのに関わらず、シューマンの曲には私の大好きな曲と大嫌いな曲がはっきりと分かれていて、その境目の境界を、きっちりと自分の中で分けるのも楽しい。
私は、ピアノソナタ第一番が大好き、子供の情景は大嫌い、クライスレリアーナは嫌い、謝肉祭は微妙。交響曲第一番は嫌い、第三番は大嫌い、第二番は意外に好き、第四番は偏愛してる。そして、ピアノ協奏曲は嫌いだけど、チェロ協奏曲は大好きな曲になるわけです。
なんてロマンティックなんだろうね。黒い炎が燃えまくっている。

この曲を作曲した当時のシューマンは40歳ですが、彼にとってはこの曲から晩年の始まりになるわけです。(これから次第に音楽が書けなくなり、6年後に気が狂って死ぬ) 同じ時期に交響曲第三番ラインを書いているのですが、さっき書いたように私は交響曲の方は嫌いだ。
本によると、この年にシューマンはデュッセルドルフ市の音楽監督に就任しているのですが、就任1ヶ月後に忙しい中でこの曲を構想、それから6日でスケッチをおこない、さらに8日ですべてのスコアを完成したってさ。そんな事を微塵も感じさせない丁寧な作りにも、好き度アップです。
作曲してから4年後の1854年にシューマンはこの曲の楽譜を出版しますが、彼が監督を務めていたデュッセルドルフの管弦楽団は、彼が死ぬまでこの曲を演奏するのを拒否したってさ。(つまりシューマンは、一度も演奏された事が無い曲をを出版した) あはは。
とても参考になる渡辺和彦の『ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏』という本にも、「私は学生の頃、このコンチェルトの実演に初めて接し、何が何だかさっぱり理解できなかった」って書いてあるし(←これはこの人の好意的な書き方で、この後に好意的な口振りで楽譜上の不可解さをいっぱい挙げてくれるんですけど)、「昔の本には、この曲が最終的に完成した1854年2月はシューマンが手紙の中に『いよいよ頭がおかしくなって、夜な夜な怪しい聞こえる』などと言い出した月、云々の記述があり、この曲を作曲者の精神病との因果関係の中でとらえようとしていたと分かる。うーーん、そうかなあ」 などとも書いてあって、まあ、つまり、いろんな意味で総合的に言って、私はこの曲が好きで、たまに聴いては暗い気分になるのである。

CDは、バレンボイムの指揮でジャクリーヌ・デュ・プレがチェロを弾くEMI盤。
 
 

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★タルティーニ作曲 ヴァイオリンソナタト短調≪失われたディドー≫ 作品1-10 B g10 (1731年)

- 2005/11/28(Mon) 00:15
昔から、長らく追い求めているくせに未だ巡り会えない(私にとっての)幻の曲というものがあります。
タルティーニといったら“悪魔のトリル”だけで有名な作曲家ですが、こちらの“ディドー”の方も悪魔のトリルに匹敵するぐらい濃厚な蜜をぷんぷんと振りまく、すばらしい魅力の音楽だと思うんですよね。
この曲を私が聞いたのは、高校生ぐらいの頃。NHK-FMを録音しまくっていた時期に、たまたまテープの隅に入ったものだった。(メンデルスゾーンのスコットランド交響曲の次に入っていたんですよ) たまたま録音したにしては、私はすぐにこの曲の虜になった。とてもヴァイオリンの音がとても良く伸びて、私をロマンティックの彼方に連れて行ってくれたのです。私は、そういう曲が好きだった。≪失われたディドー≫っていう題名も、何か良く分からない彼岸のおもむきを醸し出しているように感じた。その頃はディドーが何か知らなかったんだけれどね。
大学生になって、ゆえあって≪悪魔のトリル≫のCDを買い漁るようになり(←それは最初に買ったパールマンのCDがとても満足出来ないものだったから、蒐集魂に火がついて)、折良くCD界にも第一回タルティーニ小ブームが起きていて(←?)、でも買い集めたCDでディドーが入っていたのはたった一枚だけだった。
そのCDは、ドイツのヴァイオリン奏者インゴルフ・トゥルバンという人が弾くクラーヴェス盤のタルティーニのソナタ集で、でも初めてそのCDでこの曲を聞いた時、「この曲だけどこれは違う」って思った。調べてみたら、悪魔のトリルと同じく、クライスラーが何曲か編曲した中の一つにディドーがあり、私の頭の中にあるディドーと、トゥルバンの弾くディドーの印象の違いは、クライスラーの編曲版か原典版の違いだったようです。
でも分かったのはそれまで。それからディドーの入ったディスクは見つからないし、それから今日まで私は悶々とした夜を過ごす事になっているのです。

トゥルバン盤に入っている解説書の少ない情報によれば、「ヴァイオリンソナタト短調 作品1の10」は、作曲者が39歳の作品で、(※悪魔のトリルの作曲年代推定は、19歳という説から50歳頃の作とする説まで、錯綜している)、ル・セーヌ社から出版された作品1の作品集の10曲目に収録されている。タルティーニは戯曲を読みながら作曲の霊感を得る癖があり、この曲の場合は当時一世を風靡していたメタスタージョ(の戯曲)を夜な夜な眺めながら作曲したと伝えられたので、この愛称で呼ばれるようになったとか。一応、滅亡したカルタゴの女王ディドーの生涯になぞらえた作品構成になっているようです。(?)

んで、CDはトゥルバン盤しか聴いた事無いんですが、(さっき「この曲だけどこれは違う!と思った」って書いちゃいましたが)、なかなかこのCDいいです! ただ演奏の仕方でバロック風にヴァイオリンを小気味よく切る弾き方が、ロマンティックな暗い雰囲気を断ち切ってしまっている印象がするだけであって、「ここを夢想男クライスラーはどう料理していたんだっけなぁ??」って勝手に頭の中で補完しながらこのCDを鑑賞するのが私の常です。タルティーニのソナタの場合、緩→急→緩急 という楽章構成になってるのが多いのですが、正直、急→緩→急 という順番より物語性が強くなってイイ感じがしますね。タルティーニばんざい!

ネットで調べると、ディドーのCDはカントロフ盤とかアモイヤル盤とか、いろいろあるみたいですよ。おかしいなぁ。(ただ、一般的には副題で呼ぶよりも、「ヴァイオリンソナタト短調 op.1-10」と表記してあることの方が多いようなので注意を要する。だって悪魔のトリルもト短調なんだもん) 一番入手しやすいのは、海野義雄がヴァイオリンを弾くソニー盤かなぁ?(1000円だし) 私がFMで聴いていたクライスラー版は誰が弾いていたのかなぁ? ともかくこのロマンティックにはたまにひたりたい!
 
 

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★大バッハ作曲 カプリッチョ≪最愛の兄の旅立ちに寄せて≫BWV.992 (1704年)

−2005/11/25(Fri) 07:31
私はバッハは嫌いなのかも。
という畏れが最近ある。ここんところ、音楽を聴くことができる時間が格段に減り、であるからこそ、良い音楽を聴く時は精神を研ぎ澄まして集中して大事に聴きたいと思う。ところが、その貴重な時間のために、バッハに手を伸ばそうという気持ちが、さらさら無くなってしまったのである。非難を怖れずに言いますが、バッハの音楽ってつまらないよね?
この私であっても、20代の前半はバッハを真剣に聴いていたと思う。バッハの音楽をかっこいいとも感じていたはずである。なのになのにね。
昨日、不安になったのでロ短調ミサ曲を聴いてみました。おかしい、全然楽しくない。(一応この曲はずーっと私の中で、「一番素晴らしいミサ曲」という地位を占めているんですよ) なんか音が波に充ちて派手に動くのに心は躍らない。私がバッハを気に入らなく思うのは、音楽の目的が「うっとりさせる」こととは別の所にあるかの如き所なのだ。そして、そういう感じがその他のバッハの良い所全体を隠し覆ってしまっているような感じがするのです。正直言って、だったらば私はヘンデルやヴィヴァルディの方を聴いちゃうよ。今の私は、バッハなんかいらない。

クラシック愛好家にとって、バッハが好きでない、と言うのはとても勇気が要る事です。(素晴らしい事は間違いないから)
でも私は宣言したいと思う。「30になって私はバッハが嫌いになりました」。 
私はヘンデルやパーセルを愛しているのです。
(でもね、多分ね、50代、60代になったらね、私なんかでもバッハについてもっと気の利いた別の違うことを言えるようになっていると思います)

・・・はぁ! (←言ぅたった♪言ぅたった♪ ・・という何かを成し遂げた気持ち)

と、いうような事を平気で言う私でもオススメしたいと思う一曲があります(笑)
それが、偉大なるバッハが19歳の時に作曲した奇想曲≪最愛の兄の旅立ちに当たって≫で、これは大バッハ唯一の物語的性格を持った標題器楽曲なのだそうです。これは、愛らしい! 若い頃の作品なのでガチガチの構造性は持っていないし、何よりも、変な曲で聴いてて楽しいですからね。
(I教授の講談社現代新書の『J.S.バッハ』でも、「バッハを知るための20曲」の2曲目に挙げられています)

バッハは子沢山で知られますが、バッハ自身も8人兄弟で、その一番の末っ子だったそうです。といっても(手持ちの資料では)一番上の兄のヨハン・クリストフと、3歳違いの兄(7番目?)のヨハン・ヤーコプ以外は名前も分からなく、男女の比も分かんないんですけどね、まぁいいや。
9歳の時、バッハの両親が亡くなり、まだ子供だったヨハン・ヤーコプとヨハン・セバスチャンは、すでに自立していた長兄ヨハン・クリストフに引き取られました。この長兄はパッヘルベルに師事し、オールドルフ市のオルガニストとなっていたほどの立派な音楽家でした。しかも蒐集癖も多大だったらしく、いろんな作曲家のいろんな楽譜をたくさん所有していたのです。でもしかし、弟たちに対しては、それらを気前良く開陳するよりは、厳格なしつけでもって対したことで有名ですね。(@月下の写し)
その後10年、バッハ兄弟は兄の世話になるのですが、やがて22歳になったヨハン・ヤーコプは、オーボエ奏者としてスウェーデンのカール12世の近衛隊(の軍楽隊)に入隊することになる。その旅立ちに寄せてヨハン・セバスティアンが作曲したのがこれです。

この音楽を頭の中で思い返す時、まっさきに浮かんでくるコミカルな感じのメロディがあります。タララララッタッタララララ〜ッララッ っての。ところがこれは第5楽章のメロディだそうです。タイトルは『御者の吹くラッパ』。とてもおどけている感じ。
全体で13分くらいの長さのこの作品は6つの楽章に分かれていて、でも明確にその6つの楽章は二つの部分に分けられる。最初の4つの楽章、(1)「旅を思いとどまらせようとする友人たちの甘い言葉」 (2)「異郷の地で起こり得るさまなざまな出来事に対する警告」 (3)「友人たちの嘆き」 (4)「友人たちはとうとう別れは避けられない事だと知り、別離を告げるためにやってきた」 では、付けられたタイトルからも分かるように(←全部クドイわ!)、悲しい悲しい感じの沈鬱な歌。これが延々と続いて終わりそうもない。この兄は本当に友人たちに慕われていたんだね。
ところが一転、5楽章目、「御者のアリア」で軽やかなラッパが響き渡ると、ウキウキ(?)した雰囲気(なんか皮肉っぽい?)に変わり、フィナーレ「御者のラッパを真似たフーガ」で華麗に終わる。実質大事なのは、この最後の2曲ですね。要するに、友人たちはヨハン・ヤーコプと分かれる事をすごく悲しがっていたんだけど、ヨハン・ヤーコプ自身はすごくせいせいしていたって感じ。そしてそれを見つめるヨハン・セバスチャンの心も明らかに兄の側にあるのです。「(イジワルな長兄の家から逃げ出せて)いいなぁアニキ、でも良かったなっ!」って感じ。友人たちは悲しんでいるが弟は喜んでいる(笑) そんな感じが如実に表れていて、とても楽しい音楽だと思いました。大体、オーボエ奏者の兄なんだから、オーボエで作曲すればいいのにね。

おもしろいことには、同じ年にバッハはもう一曲カプリッチョ≪ヨハン・クリストフ・バッハを讃えて≫を作曲している。(したたかなことよ)。でも、こっちの曲は聴いたこと無いなぁ。そして、バッハ自身もこの年学校を卒業してアルンシュタットのオルガニストになってるんですよね。良かったね、バッハ。
CDは、レオンハルトがチェンバロを弾くフィリップス盤で。
  

p.s.
うひゃあ。念のために調べてみたら、バッハの最愛の兄ヨハン・ヤーコプは、12歳のとき父の死で長兄に引き取られたあと、1年後に「町楽師の修行をするために」故郷のアイゼナハへ戻ってるんですって。…俺の妄想をどうしてくれるんだぁ、ってカンジぃ

 

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★ベートーヴェン作曲 ≪エロイカ≫の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 作品35 (1802年)

 - 2005/06/04(Sat) 10:02
ベートーヴェンは不思議なメロディメーカーである。
彼の曲には、素敵なメロディを持ったものも数多いが、それ以上に「どうしてこんなのを」とおもうようなのを曲の中核において、それを強引に展開していくようなものもたんとある。(ベートーヴェンは人をウットリさせる優美な旋律を作る事が苦手だった、もしくはそれに人一倍の苦労を要した、という人もいますが)、実は彼にとっては、メロディというのはどうでもいいもので、これを彼一流の堅牢かつ華麗な構築物に作り上げることが、一番の快感だったんじゃないか。
で、「エロイカのテーマ」は、ベートーヴェンお気に入りのテーマなんですって。
彼の全作品中、4回も使用されているんですって。そんな例はほかにもあるのかしら?
このエロイカのテーマの、こんなにゴテゴテとした不自然な作りのメロディも珍しいんじゃないかと思いますが、でも、さもありなんという気もする。推進力に満ちあふれている。
ただ、第一楽章の、より力に満ちたテーマでもなく、第二楽章のいろいろな場面に使えそうな葬送行進曲でもなく、一番プラスチック玩具のような第4楽章のテーマが一番の作曲者のお気に入りだったというのは、つくづくおもしろい。そもそもこれは、バレエ『プロメテウスの創造物』に初めて使ったテーマの転用なんですってね。で、現在はこのテーマは「エロイカのテーマ」と呼ばれているのですが、実際はエロイカ交響曲(1804年)の作曲はこの変奏曲(1802年)から2年後の作曲で、プロメテウスは1801年だ。ベートーヴェンはこのテーマを3年間もいろいろとこねくり回していたのだ。言い換えれば、英雄交響曲のフィナーレは「15の変奏曲」の変奏のひとつで、ベートーヴェンは15の変奏の中でいろいろ語った自らの英雄観を、ボナパルトの登場に当てはめてみたかったのだ。
私は、このテーマによる変奏曲と、リスト編曲による交響曲第3番のピアノ版を交互に聞き比べるのが好き。次第に、どっちがどっちかわからなくなる。変奏曲の方は、ベートーヴェンが変奏が大の得意だということが良く分かるし、延々にいつまでもつづく感がとても吉。ほっとけばこの調子で死ぬまで続けているだろう。感動部は前半にあり、中間部にはどうしても「いつ終わるのか」と思ってしまう。そのあとでベートーヴェンは、素晴らしい(のかよくわかんないコロコロとした)フーガを置くのだ。フーガそのものが変奏曲みたいだ。

CDはグレン・グールド。
 
 

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★チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲第2番ト長調  作品44 (1879〜80年)

 - 2005/04/11(Mon) 22:55
中国歴史小説をたくさん書いている宮城谷昌光氏は、クラシック音楽の愛好家なんだって。
私は、宮城谷氏の中国小説の、微妙な不思議な爽やかな読了感が好きなのです。がっちりではなく殺伐でもなく、緻密に書かれた文章は、太古の中国史に対していいようのない興味を沸き立たせてくれますね。
そんな氏が、クラシック音楽についての本も数冊書いてる。その中の『クラシック千夜一夜 〜音楽という真実〜』という一冊を手に取った。そりゃもう、「あの文章の書き手が、クラシック音楽評ではどんなふうな筆を見せるのだろう」と、とても興味津々になるわけです。
・・・でも、半分ぐらい読んでガッカリ。なんだか、当たり前のことしか書いていない。(音楽についてはシロウトさんだからあたりまえのことなのだ。・・・んでも、砂川しげひさ氏の例もあるし) 妙な所に歴史小説家っぽいこだわりがあって、そこがかえってゲンナリするのよね〜。
取り上げられる曲目もオーソドックスなものばかりで、だがしかしね一曲だけ、私の目の惹く曲目が入っていたのである。
それがこの、チャイコフスキーの第2番。
氏いわく、「第一番よりもこちらの方が緊迫度は高いし、隠れた名作」。同感、本気で同感!
私はチャイコの第一番のとりとめのなさが苦手なのだ。一方でこの第2番の凝縮力と壮大にはとろけるようにめろめろしてしまう。
メロディもなかなかいいんだよね。突然日常の何でもない風景の中に、私の頭の中でこの第2番の壮麗なテーマが突然鳴りだして、びっくりすることがあるくらい。すごい壮大なんですよ、メロディが。
間違いなく、第2番は第1番よりも何百倍もいい曲だよー。聴き所が多いんです。渋さと輝かしさを同時に合わせ持っている。
氏は、この第2番の思い出について、個人的エピソードについて語っておられますが、ただの趣味の人が書く本は(サイトも)、個人的思い入れエピソードの部分以外は意味が無いと思う。面白味のない曲目立てなんて、いわんやおやだ。第2番を強引に置いた宮城谷氏、ほんとはもっともっと取り上げたい「中国史的観点から見た注目すべき西洋音楽」とかあるんじゃないの?

私の愛するCDは、ヴィクトリア・ポストニコワのピアノ、ロジェストヴェンスキーのロンドン盤だ。1993年のチャイコイヤーに出された協奏曲全集だった。
 

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★モーツァルト作曲 セレナード第12番ハ短調 ≪ナハトムジーク≫K.384a (1782年)

 - 2005/03/31(Thu) 23:07
モーツァルトにも、下の≪騎手≫と同じ、か冥く不思議な神妙な匂いを持つ曲が一曲存在する。
作曲の意図も経緯も、全く不明の謎の作品だ。弦楽を一切使わずに管楽器だけで演奏するために書かれた一群の作品の中の一曲で、編成はオーボエ×2、クラリネット×2、ホルン×2、バスーン×2。「セレナード」というのは普通、祝祭的な催しのために書かれるのに、モーツァルトはこの曲では晴れ晴れしい感興を完全に無視している。そもそも題名からして、「夕べの調べ(セレナード)」なのに「夜の音楽(ナイトミュージック)」というわざと矛盾を与えた、時を越えちゃったよ感、なのです。
最初の一音が鳴ってから音楽が終わるまで、心は異世界へ引き込まれっぱなしになります。まるで音を放射するブラックホールです。
この音楽のこの感覚、何かに似てるんだと思っていたか、やっとそれが分かった。諸星大二郎の漫画『栞と紙魚子』だ。次々とおかしなことが世の中には起こっているのに、何も動じずそれを眺めている感じなのだ。
音が全部管楽器でできているというのが、異世界感を際立たせている。私が「オーボエって美しい!」と思ったのはこの曲が最初だ。管楽器は、音を重ねると弦楽器以上に不気味になる、と初めて知ったのもこの曲だ。3楽章のメヌエット、旋律がとても単純なただの曲なのに、不気味で心が躍るのです。第4楽章も、そのゾクゾク感は世界一。・・・・不気味不気味って、「夜の音楽(ナハトムジーク)ってタイトルに踊らされすぎ」って思うかな浅子さん? でも普通ナハトムジークって言ったら、アイネクライネナハトムジークの軽やかな印象の方に引きづられると思うから、モーツァルトのこのネーミングは勝利です。
作曲については、「結婚資金のためとか、ヴァン・スヴィーテン男爵邸で聴いたバッハやヘンデルの曲に触発された」とかいろいろ説があるんですが、この曲を作曲した5年後、モーツァルトはこの音楽をそっくりそのまま弦楽五重奏曲に改作しているんですよ。(弦楽五重奏曲第2番ハ短調k.406)。管楽器の煌めきを追求した苦心の作を、今度は弦楽器だけで。しかも、こうした編曲には抜群の冴えを見せるモーツァルトが、調性をハ短調のままに置いてるんです。管楽器の方でいつも感嘆しているので、弦楽五重奏を試しに聴いてみると「なんだよブー」と思うのですが、4楽章まで聴くとそんなことどうでも良くなっちゃうんです。この愁いのメロディから受ける印象は同じなので、結局この音楽にどっぷり漬けになってしまう。モーツァルトは、この不気味でブルブルする響きを書きたかったんだね、2度も。
私の手持ちのCDは、ベルリンフィルの管楽アンサンブルによる、オルフェオ盤。
(弦楽五重奏の方は、ヨゼフ・スークとスメタナ四重奏団による、デンオン盤です)
 
 

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★ハイドン作曲 弦楽四重奏曲第74番ト短調≪騎手≫ 作品74-3 (1793)

- 2005/03/30(Wed) 01:15
下の≪狩り≫よりも何倍も何倍も強烈なか冥い凄い香りがするのがこの曲である。この匂いを一度嗅いでしまったら、容易く現し世には帰れないよ。
この曲は、上の曲よりも10年以上の後の作品である。洗練の極みを尽くしたザロモン交響曲を書いていた頃である。作曲者の後期の頃である。なのに、こんな不思議な響きを書き殴れるとは、本当に恐れ入ってしまうのである。
この音楽の音は、とても洗練された音とは言えないだろう。洗練の反対、荒ぶる魅惑。ズンダンダンズンダンダンズンダンダンダンダン! 上昇する、駆け上がる黴臭さ。不思議な香り。
この曲を初めて聴いた時、私はとても青臭い少年だった。この最初の旋律を聴くと、そのとき私が読んでいた本のタイトルまで脳裏に甦ってくるよ。スティーブ・ジャクソンの『モンスター誕生』と山本弘の『モンスターの逆襲』。主人公は弱ったドワーフ小人の戦士とかホビットさんを襲って頭からバリバリ食べちゃうのだ。主人公は残虐だった。しかし、残虐を進めるたびに、主人公は聡明さを取り戻してゆく。
それを思い出す。
甘い強烈な音色の香りは、時間を封じ込めるタイムカプセルのような効果を果たすのだ。
CDは、ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団によるテルデック盤です。
 
 

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★ハイドン作曲 交響曲第73番ニ長調≪狩り≫ Hob.I-73 (1780〜82)

- 2005/03/28(Mon) 00:35
ハイドンの音楽って、ひっどくオシャレな響きの煌めく作品もあれば、つややかな作品、激情に任せた作品、クドさを追求した作品、音の分厚い作品、いろいろあって、とてもバラエティに富んでいるし、本当にサービス精神が満載な人だったんだと思う。その中に、独特な強烈な香りを放つ一群がある。不思議な香り、濃い香り。本によっては「土の香り」と書いてあるよ。
この交響曲の第4楽章を、私は“魔女の踊り”と呼んでいるよ。それはただの私だけの感趣なんですけど、多分初めてこの曲を聴いた時(中学生ぐらいの頃)、たぶんテレビで魔女が主題となったドラマかなんかがあって、「その主題歌に似てる」と思ったんだ。もう詳しい詳細は自分でも思い出せないが、いったんそういう風に刷り込まれてしまった思いは、二度と消えない。「あったしの婆ちゃんはビビデバビデブウ〜〜」とか歌詞を付けて歌っちゃえそうだ。
中間の連音の「ビビデブブブデデテブブブヂヂヂデデボボボボ〜〜」という部分が爽快で(空飛ぶホウキに連れて行かれそうで)好き〜
でもこの第4楽章、実は同時期に作曲中のオペラ『報いられたまこと』の序曲をそのままそっくり転用した物なんですって。なぁんだ。・・・それだけならまだしも、初演された時の初稿では1楽章と終楽章は逆だったんですって。(そんなのモーツァルト以降は考えられないぞ) 現行版で聴いてみると、1楽章と4楽章を入れ替えた姿は全然考えられない。第1楽章は、時計タイプのきりっとしたスマートな人だ。
CDはアーノンクール。アーノンクールのハイドンは、細部がとてもザラついててささくれ立っている。
 
 

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★ショスタコーヴィチ作曲 弦楽八重奏のための二つの小品 作品11(1924/25年)

- 2005/03/27(Sun) 10:28
天才少年ってものは、若い時は変な編成の室内楽を書きたがるのか? この音楽は、ショス蛸が18歳の時の作品です。
(編成; ヴァイオリン×4、ヴィオラ×2、チェロ×2)
一つ目は、友人の詩人(←同学年)のヴォローディア・クルチャヴォフがチフスで死んだため、それを悲しんで作った「プレリュード(前奏曲)」。この曲以降、ショス蛸は、親しい人が死ぬと曲を書いて追悼するようになった。という意味で、すっごく印象的で、意義深い作品なんです。
この手の音楽で、ショスタコーヴィチは響きに葬送の意味をあまり持たせない。序奏こそ沈痛であるものの、そもそも蛸の音楽はみんな大体こんな感じだし。それよりも、その後に続く軽やかなステップがとても印象的で、意外な作りだ。ここちよいです。
『ショスタコーヴィチの証言』を改めてざっと斜め読みしてみたんだけど、クルチャヴォフに関する証言は見つからなかったので、それもかえって想像をそそります。
2曲目は、一曲目とは全然別の意図で作られた作品。タコさんお得意の“悪魔的な”スケルツォです。のっけから高い興奮状態で始まり、絶えず無窮動で、大脳の上の方でブンブンブルブル震えている感じが、メンデルスゾーンの八重奏曲の第4楽章のパロディなのかと勝手に思ってみたり。(タコはメンデルスゾーンなど、馬鹿にしていそうですけれどもね)
って、この曲を聴きながら私が気持ちの中で対比しようとする、例えば交響曲第八番やヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンソナタは、これよりずっと先の作品なんですよね。巻き起こる興奮は同じなのに!・・・だから、ショスタコーヴィチ愛好はやめられない。
 
 

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★メンデルスゾーン作曲 弦楽八重奏曲変ホ長調 作品20(1825年)

- 2005/03/23(Wed) 01:35
上の音楽に対し、唯一無比の独創性を発揮しているのが、この曲である。作曲者16歳の時の作品。この頃、作曲者は余裕に任せてさまざまな編成の試行作品を数多く書き殴り、可能性の果ての追求を目指していた。「弦楽四重奏は最も最小の要素で最も多くを表現できる理想の形態」とはよく言うが、それに楽器をひとつ付け加えると、それは冒険となる。若いメンデルスゾーンは、その冒険の究極を目指した。「ベートーヴェンの七重奏、シュポーアり複奏四重奏曲を目指した」というが、その上を行くヴァイオリン×2、ヴィオラ×2、チェロ×2、コントラバス×2、は、明らかに楽器が多すぎである。あからさまに、余分な音が多く出過ぎる。・・・・ところが。この早出の天才がこの無謀な編成に挑戦した結果、この不思議な音色を持つ未曾有の作品が出現することとなった。
なんというかね、音がとっても若々しい。喩えて言えば、花粉症で鼻が詰まっている少年が、とてつもない美声で素晴らしい歌を聴かせる、というもったりとした感じがある。ちょっと福々しすぎる。でも、やっぱり聴き惚れる。やっぱり、天才少年フェーリクスの、若い頃の詩性は唯一無比だ。ちょっと、メロディの運び方が青臭くて鼻に付くんだけど、楽器が組み合わされることによる何とも言えない香りは、ガマンできない。
特に、何の捻りも無い第三楽章のスケルツォ(失礼!)がそのまま第四楽章のアレグロに移行するところが好きだ。ここで空気が一変し、その前の楽章を含めてすべてが良い思い出に強制的に変わるのである。すごいよ。
 
 

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★メンデルスゾーン作曲 ピアノ三重奏曲第一番ニ短調 作品49(1839年)

- 2005/03/22(Tue) 00:00
美しい音楽が数多いクラシック作品の世界の中で、私が世界一最も素晴らしく、世界で一番美しいと思う作品は、メンデルスゾーンのこの曲だと思う。
ただ単にメロディが美しいというだけではない。周りにあるものを絡み取って引きずり込んでいく、ほの黒い、甘美な美しさがステキなのである。とてもロマンティックです。雨のしとしと降る夕暮れどきに聴きたい。あるいは全天が真っ赤に染まる夕暮れ時に聴きたい。あるいは、周囲15kmに二人切りしかいない濃密な湿気の丑三つ時。淡い霧雨どき。
本当に、ただ単にメロディが美しいだけでは無い。ピアノとヴァイオリンが重厚に折り重なり畳まれる第一楽章、超高速でコロコロとピアノが転がる第三楽章、しくしくメソメソと大人を脅し続ける第四楽章、嗚呼、美しい、美しい。ただ単にメロディだけに寄りかかるのではなく、いろんなガラス細工をうずたかく積み上げて、うっかり触れば割れてしまうかのような作為的な可憐さを見せ付けるのだ。そのきらびやかさは、まるで無理矢理に涙を誘うお昼のメロドラマのような甘美さがあるんですよ。私はこれを、「メンメン泣き」と呼ぼうと思う。
例えば、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調やベルリオーズの幻想交響曲、ベートーヴェンの皇帝やモーツァルトのハ短調協奏曲のように、あまりの素晴らしさに感嘆して、似たような響きの作品を捜そうとしても、類例のなかなか無い、全く独創的な芸術作品がある。
一方で、この曲のような甘ったるいメロディ作品は、他の作曲家によっても結構作り出されているので、メンメン泣くのにとても気が楽だ。例えば、モーツァルトのヴァイオリンソナタホ短調。ブラームスのピアノ五重奏曲、ピアノ三重奏曲第三番。フランクのヴァイオリンソナタ。チャイコフスキーの偉大な芸術家の思い出。
その中でも、とくに、メンデルスゾーンのこの曲がピカ一。
こんなに愛しているのに、私がこの曲で持っているCDは2枚だけ。チョン・キョンファ、アンドレ・プレヴィン、トゥルトゥリエ、この三人が競い合うCDがあれば、他は要らないと思う。
 こんなに浪漫的な音楽なんだから、なんかステキな香りのする逸話とかあったらいいのにね。
この音楽に関しては、作曲にまつわるエピソードがまったく無いのだ。せいぜい、この音楽の作曲当時、作曲者はベルリンにいたが、国王おかかえの音楽家がこの音楽を演奏するのを聴いて、あまりにその演奏の緊迫感の無さに、メンデルゾーンが激怒したという話があるというくらいだ。それをきっかけにメンデルスゾーンは王都ベルリンに大きく失望し、遠くザクセン王国のライプツィヒに秀れた音楽院を設立するのである。
・・・って、メンデルスゾーンを激しく失望させたこの当時のプロイセン国王は、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世。私が最大級に愛する冷峻な風景画家カスパル・ダーヴィト・フリードリヒを保護した芸術王なんだけどなあ。(皮肉なことである)
 
 

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★ベートーヴェン作曲 交響曲第五番ハ短調 作品67(1808年)

- 2005/03/19(Sat) 23:05
数週間前に、静岡市のレコード屋に行ったのです。そこにベートーヴェンの宗教的オラトリオ『橄欖山上のキリスト』の新譜CDが並んでいたのですが、それをなんと私は買わずに帰ってきてしまったのでした。それは、私にとっては、とても特別な事態だったのです。だってこれ、偉大なる大ベートーヴェンの作品のめぼしいもののうち、私が聴いていない最後のものだったのです。数年前の私だったら何も考えずに小躍りして買ったと思う。(秘曲マニアだから) 秘曲なクセに大曲だから、世のベートーヴェン好きにも見せびらかせますし。それに指揮は何といってもケント・ナガノだったのだ。!
だが、そのときの私は一度手に取っただけで、簡単に棚に戻し、そのまま店を出てきてしまったのだ。(そして、そんなことがあったことをついさっきまで思い出さなかった)
私の、音楽好きの嗜好は最近変容しちゃっているようです。特にベートーヴェンなんて、進んで聴くような音楽じゃなくなっています、私にとって。

前にも言ったことがありますが、ベートーヴェンの作品の中で『第九』『田園』『大公』『ピアノ協奏曲1〜4』『ヴァイオリン協奏曲』『トリプル協奏曲』などはとくに苦手。(冗長に過ぎるから) …じゃあ、私にとってベートーヴェンは嫌いな作曲家なのかというと、もちろんそんな事はなくて、むしろすっごく「特別な存在」です。つまり、ごく限られた特定の曲だけを耳が擦り切れるくらい集中して聴く。その他は聴かない。ベートーヴェンの音楽はとても好きだが、楽聖などと崇めることはない。(かつてはそう考えていたかも) ベートーヴェンは、その生き方からして聴く者もそこそこ偏向した愛着を持ってもいいと思うのです。(私の偏好ぶりもまだまだそんな大したことないけど)
私が聴くベートーヴェンは(よく聴く順番にいうと)「創作主題による32の変奏曲」「第五」「最後の3つのソナタのはじめの2曲」「皇帝」「英雄」「フィデリオ」「田園ソナタ」「熱情」「弦楽四重奏曲16番」「セリオーソ」「ハープ」「チェロソナタとヴァイオリンソナタの全曲」「ピアノ三重奏曲」「戦争交響曲」「序曲集」、、、こんなもんかな。あとはもう要らない。

その第五番。この音楽はわたしにとってはとても特別な音楽だ。
今回この項を書くに当たって聴き直した順番は、カラヤン盤→トスカニーニ盤→フルトヴェングラー盤→クライバー盤→グールド盤でした。そう、私はこの曲のCDを何枚も持っているのです。とは言っても実はこれで持ってるレコードの全部なのですが(おっと、宇野功芳盤もありました! もう二度と聴かないけどね)、このくらいでもバラエティに富んで楽しいですよ。一方で、ここにある以上の描き方もあるのかと思ってしまうです。一つの演奏を聴きながらそういうことを考えるのは無性に楽しいな。最近の指揮者のとかどうなんだろ。若い人のとか。
おやおやアナタ。
「レコードをたくさん持っているって自慢かよ!」「別の指揮者の演奏ったって同じ音楽だろ?」と思ったね? 違うんです。私はかなりなクラシック音楽通だと常日頃騙っていますが、実は私が幾種類も聴き比べるだなんてクラキチみたいな真似が出来るのは、この曲含めて数曲だけなんです。私はかなり飽きっぽいので、この曲ほどの求心力を持っているものでないと正直苦しい。でもこの曲は何度も聴くのがとことん楽しい。三回は続けて聴くのだ。とても好きなのだからだ。(普通のマニアじゃ、5枚ぐらいのレコードでは「ふふん」と鼻で笑うでしょうけど)
「クラシック愛好家」とは、私が言うのも変ですが、趣味人としては異常者の集まりですよ。こんな長ったらしくて理屈に満ちた物を我慢して聴き続けるんだもん。(私どもに言わせれば、理屈の存在しないモノはクズです)。長くて苦痛に満ちたものでむ「うーーーむ」と眉をしかめながら悦びの表情をし、決して「つまらない」と言ってはならない。あらゆるものに意味を見いださなければならない。変な異常者です。しかし異常者は変人だから、嫌いな物を好きと言うことは絶対にないし、一方で苦痛なことを「私は苦痛です」と言うことも絶対にないのだ。飽きっぽい私が、「ベートーヴェンかよ」と言いながら少なくとも4回は聴き直す、一体この中に何があると思いますか?
ベートーヴェンの神髄と考えるもの。荒っぽさ、洗練されて無さ、朴訥さ、不器用さ、一本の芯。暴風が吹き抜ける直前の一瞬の静溢。ぐちゃぐちゃに掻き乱されると同時の昇華。荒々しさに見せかけた幼さ。幼さに見せかけた老成。ためのタメ。性急さと溜め。テンポを一定に保たずに自在に動かしたくなる欲求。敢えて溜めずに一気に駆け落ちること。新生のための破滅。
・・・と、すべてがエキサイティングなんです。芸術とは一般に、題材を乗り越えて無限に広がる壮大性があったりすると、私はそれを一番褒め称えたくなってしまうんですが、この音楽は違う。無限に広がる漆黒の宇宙を、一点に向けてギュウギュウに収める。一点に、一点に。

自分の選択肢の中に、カラヤンが入っていることがなんだか嬉しいです。カラヤン愛好は、なかなか趣味人としては言い出しにくい所があって、特にこの曲についてはとても厳しいところがある。宇野功芳なんかの言葉を借りて言えば、「カラヤンとクライバーは、一見アプローチは一緒だが、込められた魂の熱さは全然違う」とのことで、悔しながらそれには完全に同意なのですが、カラヤン好きとして言いたい。カラヤンは、だって、クライバーとは別の物を目指していたんだもん。(それが何かは霧の彼方にあるけれども) 「カラヤンの次にクライバーを聴く」、「カラヤンの次にトスカニーニを聴く」という聴き方をしていれば、いいものですよ、カラヤンて。

実はコレまで、「すべての中でグールド盤が一番エキサイティング」と思っていましたが、今回の聞き比べではそうではなかった(今日は体調が悪いかしら)。体調に応じて味わいが大きく変わったりもします。
 
 

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★パガニーニ作曲 ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調 (1830年)

- 2004/12/13(Mon) 04:33
“世界の果て”と呼ばれたナルラァの奈落の崖から、さらに踏み込み南方へ1700リーグも広がる荒野の果てで、とうとう慈悲の女王の手に救われることもなく、私はやつに追いつかれた。執拗に七旬(=2ヶ月)もの間、不眠で私を追ってきた悪魔の如き男の名は“呪われた黒い剣の使い手”エルリック。今は亡き“光の帝国”の最後の皇帝である。

かつて私は、新王国の連合国の一員として、“光の帝国”の首都イムルイル攻めの軍勢に加わった。この戦役では、メルニボネ族の最後の皇胤エルリックみずからが攻め手の先陣に立ち、連合軍に道を指し示して、“夢見る都”を侵略軍から阻む迷水路を突破させ、その結果、イムルイルは炎上して、光の帝国は滅亡した。

この戦役で私は比類なく名を挙げた。

“虹色の塔”と呼ばれたダン・フェス・イルフェリマとナァ・レス・ナローンの壮麗なふたつの塔を略奪した後に、そのふたつの塔を槍の二打ちにして倒壊させ、つづいて竜の洞窟でまどろみの中にあった古竜たちを皆殺しにし、最後に王宮に追い込まれた皇族の生き残りを一列に並ばせ、一斉に首を刎ねさせた。だがしかし、これだけなら、戦場でのならいの常として、当の帝国の正当な支配者に対しても責められるべきことではない。連合軍の司令官たちは、この戦争ではみなその手の残虐にふけり、多くの戦利を得た。しかし、それは古い旧文明を焼き尽くして我らの新文明を再生させる、すべてはみな必要なことであったのだ。

しかし戦後、私は、“恐ろしい目を持つ白子”のメルニボネ帝国の最後の皇帝が、他の誰でもなく、私に対してのみ激しい憎悪を燃やしていることを知ることになる。それは、あるひとつの噂が原因だった。この私が“戦利品として”持ち帰ったとある芸術品についてのひとつの噂、それは略奪のために駆け上った炎上する塔の中で、長椅子に横たえられていた“最後の皇女”のうつくしい遺体のことであった。言い伝えによると、最後の皇帝が自らの国に異民族の連合軍を率いて攻め入ったのは、貴奴が思いを寄せる高貴な一人の女性を連れ出すためであったが、事天が急転し、皇帝は乱刃の中でみずから最愛の女性を刺し射止めるに至った。そして清浄な炎で最愛の遺体を黄泉に送るために壮麗な塔ごと火を放ったのであるが、美しい皇女は焼け尽くさなかった。私がそのあと知らずに財貨を求めてその塔へ押し入った。炎上する塔の真っ赤な世界の中で、長椅子に横たわるこの世のものとも思われぬ美しさに魅せられ、私はそれを居国へ持ち帰ってしまったのである。

戦争が終わって1年後、私の留守中に、ヴィルミール古王国にある私の居城が、ニュレフュルテの蛮族を率いる謎の指揮官の軍勢に襲撃された。

高笑いと共に掛け寄せた漆黒の影の襲撃者たちは、館の中の私の家族をひとしきりなぶり、使用人たちのすべてを殺戮すると、その中に私の姿だけが無いことを知り、激怒して、一晩中を近隣の村を襲撃しまわったのちに森の闇の中に退いていったという。

身の危険を感じた我はすぐに隣国へ亡命したが、やがて諸国を放浪するうち、諸民族の坩堝たるアルギミリア国の首都カドサンドリアの喧噪する街路で、とうとう奴に見つかった。市場の高級露店をひやかしながらそぞろ歩いているとき、刺すような超自然の熱視線を感じた。ふとそちらを見ると、人混みの向こうに黒い装束に身を包む、白い顔を持った赤い目の男がいた。男の視線は、ただ一点を見詰めていた。それはなにをあろう私の首。一瞬にしてわたしの全身は総毛立ち、無我夢中で目の前の旅商から、彼が引いていた頑丈そうな馬をひったくるように買い取ると、後ろを振り返らずにムチを激しく当て、町の城門から駆けだした。

それからの悪夢の如き逃亡行は、思い出すも悲惨なものであった。

大王国の宮殿に保護を求め、山の上の隠者の庵に策を受けに行き、深い底なしの沼地に凍えながら身を潜め、大荒野の旅商に身をやつし、大海に小舟を浮かべさすらい流れても、やがて、視界の彼方に我が身を追う白面の悪魔の姿が現れる。とうとう南の大陸で、逃げ込んだ密林は彼の放った火の妖霊に焼き払われ、その先の荒れ地は沈下して水没し、岩砂漠は粉々に砕かれて陥没し、果てに住む魔女の塔は一撃で粉々に粉砕された。最後に、地の果ての向こうに広がる泥土の平原に逃げ込み、馬を乗りつぶしてまで疾駆して逃げたのだが、遂に彼に追いつかれたのだった。
 

「唾棄すべき冒涜者ウンナリドリムのフワムナク公よ。その恥ずべき首をそこへ伸ばせ!」
「ま、待ってくれ!メルニボネのエルリック公! 貴公と私はくだんの戦いの折り....」
「覚悟を決めよ!」

私がしようとした哀願の文言を聞く耳も持たず、白面の悪魔はワルツのステップを踏むように大股で踊りながらこちらに駆け寄りながら、背中に背負った巨大な黒剣を軽々と引き抜く。その動きに一塵の無駄も無く、絶望した私は、それでもこの身も新王国では指折りの剣の使い手として名を馳せた身だ、伝説の黒い魔剣の力には及ばぬまでも力の限りそれと切り合わせようと、悲壮な決意をしつつ、自分の剣を抜いた。

「覚悟!」 最後の皇帝はもう一度透き通る声で鋭く叫ぶと、高く跳躍した。それを受けようと剣を振り上げようとした私は驚愕した。高い! 速い! 鋭い! 強い!

私が腕を一毫も上げる間もなく、目にも止まらぬ一閃で黒い魔剣の禍々しい刃は、私の下腹に打ち込まれる。恐るべき一撃! 私には絶叫を上げる余裕も無かった。吸い込まれていく! 苦しい! 私の肉に深く食い込んだ刃から迸る鮮血とは裏腹に、私の中から意識と記憶と精気と臓物と、その他のあらゆる物が剥離されて渦を巻いて黒い刃の中に吸い込まれていくのだ! ・・・これが、名高い“嵐もたらすもの”の呪われた力なのか! 苦しい! こわい! 傷口の付近から凍るように冷たくなっていく意識と、身体の全体が爆発するように熱が膨張する感覚と、黒い一色で染められていく視界の中で、急激に自分の自我が薄く引き延ばされ痛く溶けてゆき、すべてが虚無の中に引き込まれてゆく感触に絶望しながら感じながら、もうこれまでか、と思い、しかし私は心の中で激しくすすり泣くことしか出来なかった。

「・・・・・?」

突然、冷たい痛みが止み、やや甘美を帯びた痛覚に変わった。身体の全体が麻痺して自由が利かない中で、私はなんとか力を振り絞ってようやく薄目を開けた。黒衣に身を包んだ白子が、いぶかしげな表情で私の顔を見下ろしている。「・・・いま、ストームブリンガーを通して、汝の中の、わが恋人の記憶が我れに流れ込んだ」 低く、地の底から響くような声で彼は言った。「・・・これは、、 これはなんなのだ?」 それは詰問だった。この一年、美しい皇女の遺体を傍らに置いた私の魂は、常ならざるものへと歪んでいった。その歪みが、私の魂の大部を成し、それが正当な彼女の恋人、エルリックへと流れ込んだのである。最初、世にふたつとない戦利品として手に入れた皇女の遺体を、私は腐らないように処理をさせた後、美しく飾りたてて額に入れ、居城の大広間に掲げて飾った。訪問客のうち限られた特別な人物にのみ、得意になって秘密にそれを見せ、美しい芸術品に対して賛辞が寄せられるのを喜ばしく聞いた。しかし、私の中で彼女の美を愛する気持ちは、やがて苦おしく熱い愛へと変わっていった。なぜ、私は彼女の動く姿を眼にすることが出来ず、彼女の鈴のような声を聞くことがなかったのだろう! 私は後悔し、彼女を人目に付かないところに引き上げた。最上階の聖堂に玉座をしつらえて彼女を安置し、彼女に夜ごと話しかけた。飾り物としてさらされた裸形の彼女を見たことのある不届きな者を、暗殺者を雇って殺害させた。そして選ばれたあの日、その血と髪を、禁じられた魔界の貴公子、赤い炎に包まれたアリオッチに捧げ、願ったのである。私の願いと欲望は聞き届けられたが、しかし彼女の身体はアリオッチの住まう魔界の煉獄の黒く燃えさかる炎の中で、溶けて消え失せてしまった。

「だから、そちの城に我が従妹サイモリルの遺体はなかったのだな。…アリオッチは私に何も言わなかった!」

強い怒りを込めた声でエルリックは吐き捨て、そして次にやや口調を変えて言った。「汝の行為は許し難いが、少なくともわが血族を高貴に扱った。望みが有れば言え。ひとつだけ聞き入れてやる。それから殺す」

瀕死の状態の私の望みか? ふわはははは。
悶えながらも自嘲する気持ちで私の中が満ちた。正常に思考する力がもはや無かったのかもしれぬ。私はつい呟やいてしまった。
「それなら、、、、 “メルニボネ名物メドラレドラックのレドラ煮込み”が食べたい」
それは、新王国の貴族の若者が良く好んで冗談で口に出すメニューだった。“夢見る都”の伝説のシェフが力を振るって作る、“光の帝国”の皇族だけが食することを許された幻の料理。「悪魔に魂を売るんなら、せめてそれを食べてから死にたいもんだなぁ」 それは、高貴ならざる人間族の貴族が言う、高尚な冗談のひとつだったのである。ただ我は時間稼ぎがしたかったのかもしれぬ。
「・・・・・そんなものでよいのか?」 しかし、私の冗談を聞いたのは、真の高貴な種族の数少ない生き残りのエルリックだったのである。彼は眉を美しくしかめ、いぶかし気な表情をしながらも、言った。「待っておれ」

黒い剣を背負った男の動きは、とても素早かった。
息も絶え絶えの私の眼にはもう彼の動きは見えなかったが、大股に駆ける彼が、遠ざかってゆく気配は分かった。どれほどの時間が経っただろうか。魂の大部分を黒い魔剣に吸い取られ、鋭い傷口から流れ出る血は、永劫に止まらぬ。時間の経過と共に(というか、この場所には時間などという物が存在するのだろうか?)、かすかに残った体温もわずかずつ失われ、気は果てしなく遠いが、意識だけは悲しいほどかすかにしっかりとしている。痛い。寒い。痛い。痛い。
やがて、暗くなった私の世界に、気配がした。

ドサリ。
「ほら、採ってきたぞ。ガヂスチリ草と、アルテンの根と、クンテラ鉱物だ」
と、言われても、視力を失った私の眼には、近くの物が見えぬ。
「待っておれ。次はシャンタク鳥の肉と臓物だ」
・・・シャンタク鳥? 問おうにも声を出すよりも速く白男の気配は近くから消え失せ、やがて、少し離れたところで、誰かが何かと激しく戦っている物音がしてきた。力を振り絞って薄目を開けると、エルリックが、恐ろしい、馬のような顔をした巨大な生き物に斬りかかっている。 「アっハハハハハハハハハッッ!!」 静寂の黒い世界の中に、人ならざる美しい存在の高笑いが美しく高く響く。相変わらず、その跳躍は高く、ステップは素早く、斬り込みは驚くほど鋭い。惚れ惚れするようだ、と遠くなる意識の中で私は感嘆していた。
「待っててねー、フワムナク君! こんなのやっつけちゃうのチョチョイのチョイだから♪」

それから、どれほどの時が流れただろうか。(もはや分からぬ) 苦しみに悶えながらふと、薄目を開けると、そこには返り血を全身に浴びて、しかし満面の笑みをたたえたエルリックの顔があった。「ホラ! 獲れたよw」 

「あと必要なのは、“海いちごのジャム”と“七色鳩の胸肉”と“チコリの実”と“美貌の果実”と.(中略)と..(中略)と..(中略)と“煮え酢”と“虫の肝”と“ルーナ・ソース”だから♪」
「大丈夫! 全部ちゃんとこの近くで手に入るハズだから♪ 待っててねん(ハート)

そして、またもエルリックは、「オーッホホホホホホッホッホッ」と高笑い響かせながら、駆けていく。もはや彼は、喜びと期待に満ちた邪悪な喜悦の表情を隠しもしない。

・・・・・・・・は、早く終わらせてくれ! 私はまたも気を遠くしながら、甘美な死の旋律に全身を包まれ、力弱く願うのだった、、、、、、、、、。

 
と、こんな感じの音楽です(笑) (←どんなんですか)
いや、マジで(笑)
 
第1楽章;アレグロ・マエストーソ (約17分)
第2楽章;アダージョ・フレビーレ・コン・センティメント (約7分)
第3楽章;ロンド・ガランテ。アンダンティーノ・ガイオ (約11分)
◎おすすめ盤◎
サルヴァトーレ・アッカルド(vn)、シャルル・デュトワ(指)、ロンドン・フィルハーモニー管(‘76年)(グラモフォン)