ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は、主としてライプツィヒ時代に独立した世俗カンタータを書き、さまざまの機会に演奏した。 それは大学の儀式、トーマス学校の祝日、貴族や著名な市民の邸宅での祝事、富廷からの依頼などである。 ザクセン選帝侯のために書かれた大規模な祝賀や崇敬のためのカンタータのほとんどは、コレギウム・ムジクム(バッハが指導していた大学生を主体としたアマチュアのアンサンブル)で演奏された。 当時の好まれたタイプは歌劇風の音楽劇 drama per musica で、神話や羊飼いの物語、あるいは寓話に基づく祝祭の性質にふさわしい単純な節を持っていた。 また、さらに抒情的なカンタータやイタリア語の作品(2曲)もコレギウム・ムジクムで演奏された。 そしてかなり庶民的な様式と軽快な筆致を持った《コーヒー・カンタータ》と《農民カンタータ》は、真に迫ったユーモラスな性格で際立っている。 なお1725〜1742年の作品のほとんどの歌詞は多才なしかし二流の詩人ピカンダー(本名クリスティアン・フリードリッヒ・ヘンリーチ)の手になるものである。
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コーヒー・カンタータ、 BWV.211 《おしゃべりはやめて、お静かに》
1529年と1683年の二度にわたるトルコ軍のウィーン包囲は、ヨーロッパに大きな災害をもたらしたが、同時に新しい文化や生活様式に触れる機会ともなった。 コーヒーもその一つで、この新しいぜいたくは、葡萄酒や煙草と同じように、音楽家に恰好の材料を提供することになった。コーヒーを主題にしたカンタータは最初フランスで、次にドイツで作曲されている。
ライプツィヒはヨーロッパ屈指の商業都市で、外国の産物や新しい流行には敏感だった。 1697年頃には早くも市評議会でコーヒー店への課税が議題にのぼっており、1725年には免許を受けたコーヒー店が8軒もあり、その中でツィマーマンの経営する二つの店では演奏会が開かれていた。出演者は当時ライプツィヒに2つあったコレギウム・ムジクムの一つで、彼らは金曜日の夜、冬にカダリナ街の店で、夏にはもう一つのツィマーマンの店の庭で音楽会を開いた。このコレギウム・ムジクムは、1702年にテレマンが設立したもので、バッハは二度(1729〜37年、1739〜41年)にわたって、そして恐らくその後も指揮者をつとめていた。
ライプツイヒ時代のバッハの教会カンタータの大部分にテキストを提供したピカンダーもコーヒー熱を見逃すはずはなく、1727年に出版した詩集の中でコーヒー熱を諏刺している。 後に彼はそれを喜劇的カンタータの素材に転用し、バッハに提供した。作曲の時期は1732年(シュピッタ)、1732-35年(デュル)、1734-35年(ジーンズ)などの諸説があって確定しがたい。
ピカンダーの歌詞は庶民的な気分を取り扱っている。父親の「旧弊氏」は娘のリースヒェンのコーヒー狂(当時のライプツィヒの淑女たちにも共通の好みだったと思われる)をさまさせようとする。 父親の脅しは、最後に結婚を許さないというまで効きめがない。 しかし娘は父親に罠をしかける。彼が適当な婿を探しに行っている間に、彼女は「好きなだけコーヒーを作ることを夫が約束し、結婚証書に書きこまなけれぱ、どんな恋人も家に入れない」と公言する。
音楽は10曲から成るが、最後の2曲のテキストはピカンダーのものではない。 彼は結婚と引き換えにコーヒーを飲むのを諦めることを娘が約束するところで終らせたが、多分バッハは滑稽な終りをつけ加えることで下品に陥ることを防いでいる。 追加のテキストが誰の手になるものか判らないが、オリジナルの形よりも彼の趣味に合っていたことは確かだし、さらに想像すれぱ、ツィマーマンの店で演奏し、報酬を受け取るのであれぱ、コーヒー讃歌で終らせるのがふさわしいことは当然考えられる。
二人の登場人物 〜もう一人語り手のテノールがいる〜 は明快に表現され、大きな説得力を持っている。年とった男は不平をいっては威張り散らす。 若く、純真な娘は花婿への期待に胸を躍らせ、生き生きとしている。 この独創的なカップルは、ドイツ各地で人々を犬いに喜ばせたであろう。 1739年にはフランクフルト・アム・マインでこの曲が演奏されたと権測されるのは、このことを物語っている。
バッハの音楽は、性格と情熱の描写にすぐれている。 それは登場人物のアリア 〜第6曲のもったいぶった重々しいリズムや、第8曲の舞曲のリズム〜 ばかりでなく、語り手のレチタティーヴォ 〜第1曲の父親を説明する時の重々しい付点リズム〜 にも示されている。
編成はソプラノ(リースヒェン)、バス(シュレンドリアン=旧弊氏)、テノール(語り手)、演奏はフルート、ヴァイオリンIII、ヴィオラ、通奏低音で、第8曲ではチェンバロがコンチェルタンテとして取り扱われている。
●農民カンタータ、 BWV.212 《われらの新しいご領主に》 (狂言風カンタータ)
1742年8月30日に、侍従カール・ハインリッヒ・フォン・ディースカウは、ライプツィヒ近郊のクライン=チョッハーの領主として村人から忠誠の誓いを受けた。 彼は60歳の誕生日にこの祝典を迎えたが、領主として土地税、アルコール飲料税、所得税などの監督官でもあった。●演奏者について
祝典の大きなイヴェントは、花火の打ち上げとバッハの《農民カンタータ》の演奏であった。テキストの作者はバッハに多くのカンタータのテキストを提供したピカンダーだったが、彼の職業は官吏で、1740年に彼は近隣の土地税とアルコール飲料税の徴税吏であった。新しい領主を迎えて地位を持ちつづけるのに不安を感じたのか、あるいは持ちつづけることを許された感謝を表わすためか、彼はCantate en burlesque (狂言風カンタータ)の台本を書き、この地方で最も重要な作曲家の援助を得たが、この気晴らしはピカンダーにとって新しい領主に気に入られる点で、すばらしい方法であったに違いない。
彼の詩の主題はクライン=チョッハーの農民の生活から採られた。休日を喜ぶ農民たちは、上部ザクセン地方の方言でカンタータを始める。 その後で農民の恋人同士が紹介され、彼らは新しい領主とその妻を讃え、次に徴税吏、徴兵官にいろいろと当てつけ、踊りながら酒場に入って行くところで終る。
当時の上流階級は、フランス語とイタリア語での物語の上演に食傷していたから、対照のためであったにせよ、ドイツの農民の余興を当然のことながら楽しんだに違いない。 ピカンダーの狂言風カンタータも、この辺を踏まえての作品であろう。
バッハがこのような台本に音楽をつけたとしても驚くことはない。彼は多分、事件の道徳的側面を全く問題にせず、一度だけではあったが、ほとんど終始一貫してポピュラーな様式で世俗作品を作曲することを楽しんだであろう。 彼自身がドイツ農民の血を引いていたことは《ゴールドベルク変奏曲》の最後に、民謡に基づくクォドリベット(良く知られた旋律と歌詞が連続して現われたり、同時に組み合わされたりする接続曲の一種)を書いたことからも明らかである。
貴族的な要素は二つのアリア〜第14曲と第20曲〜だけに現われるが、前者は10年ぐらい以前に書かれた祝典カンタータ《国の父なる国王陛下万歳》 Es lebe der Konig, der Vater im Lande (BWV.Anh.11) から、後者は《フェーブスとパンの戦い》 Streit zwischen Phobus und Pan (BWV.201) からとられた。 残りはすべて快いポピュラーな形式の限界内にとどまっている。 そこには叙唱がない。第2曲と最後の曲(第24曲)だけが二重唱で、その間に農民と恋人たちは、代わる代わるレチタティーヴォとアリアを歌う。 器楽の伴奏の主体はヴァイオリン(2)、ヴィオラ、バス(通奏低音)だけで、これは村のオーケストラの様式である。 ホルンは2曲 〜第16曲と第18曲〜 に登場するが、後老は元来、狩猟のための歌であったことを考えれば納得が行く。 そしてフルートは第14曲にだけ使われている。
カンタータは器楽楽章(序曲)で始まる。 それは七つの短い舞曲調の民謡に基づくクォドリベットで、ワルツで始まり、中間にはサラバンドのリズムも登場するが、最後にワルツが戻ってくる。 舞曲調は声楽都分も支配しており」、ブーレー(第2曲、第24曲)、ポロネーズ(第4曲、第6曲)、マズルカ(第12曲)、サラバンド(第8曲)、農民舞曲(第22曲)、原形不明の舞曲(第10曲)が認められる。これらの曲はすべて短かく、粗野で楽しく、飾り気なく仕上げられている。旋律の形式は徹底的にポピュラーで、バッハの頭の中では良く知られた旋律が渦巻いていたに違いない。特に三つの旋律は、当時のドイッで歌われていたことが判っている。また第8曲には有名なスペインの《ラ・フォリア〉の旋律が使われている。
パッハの全作品の中で、このようにポピュラーな音楽を使った例は少ないが、粗野な農民を主人公とし、彼らの日常生活を反映しながら、バッハの音楽は芸術的に高い水準を保つている。晩年のバッハが到達した抱擁力の広さと、融通無碍の書法を示す好個の作品といえよう。
クリストファー・ホグウッドは、イギリスの古楽演奏のリーダーの一人である。1941年9月10日、ノッチンガムに生まれた彼はケンブリッジのペンブローク・カレッジで古典と音楽を学ぴ、1964年にバチェラー・オブ・アーツの称号を受けた。彼が特に大きな影響を受けたのはレイモンド・レバードとサーストン・ダートで、その他ラファエル・プヤーナとグスタフ・レオンハルトにも学んだ。 その後ホグウッドは、ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得て1年間をプラハで過ごし、同地の大学と音楽アカデミーで研究を進めた。彼はケンブリッジ時代から、すでにハープシコード奏者としてデヴィッド・マンローと定期的に共演しており、1967年にアーリー・ミュージック・コンソートが組織された時にメンバーとなったのは、自然の成り行きであった。その後10年にわたって、このグループは大きな成功を収めるようになり、ホグウッドはさらにハープシコード奏者として多くの録昔を残し、ラジオの講演著作、楽譜の校訂など、幅の広い活動を展開し、脚光を浴びるようになった。≪歌詞対訳≫
ホグウッドは1973年に、歴史的な様式に基づいてバロックと初期古典派音楽の演奏を目的とするアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)を組織し、指揮者に就任した。この剰寸1によるモーツァルトの交響曲全曲録音は鳥い評価を受けたが、彼はその後バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディの主な管弦楽作晶、ヘンデルのオラトリオなどを積極的に取り上げ、近年はオリジナル楽器による演奏を、べ一トーヴェンにまで広げている。彼はさらに世界のオーケストラの指揮台に立ってポピュラーな名曲を手がけており、その活動には端侃すべからざるものがある。わが国には1972年にアカデミー室内管弦楽団のチェンバロ奏者として初めて来日し、1976年にはアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(五人編成)のリーダーとして、バロックの器楽曲と声楽曲を演奏した。さらに1984年には拡大されたアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックを率いて来日し、チェンバロを弾きながらモーツァルトとハイドンの作品を指揮して話題をまいた。二つのカンタータで主役を歌っているエマ・カークビーは、古典の歌手として理想的なテンペラメントの持ち主である。彼女はオックスフォード大学で古典を学んでいる問に、ルネッサンスとバロックの音楽に興味を持つようになった。彼女のレパートリーは15世紀のイタリアのフロットーラから、ダウランドを中心とするイギリスのリュート歌曲、パーセルの歌曲、バッハ・ヘンデルのカンタータとオラトリオ、モーツァルトからハイドンの宗教作品に及んでいる。 カークビーのヴィブラートを抑えた声は清純そのもので、その後の時代の流れの中で、これら古い音楽にまとわりついた一切の爽雑物を洗い落としてくれる。 「天使の声」と呼ばれるのも当然である。 彼女はアントニー・ルーリーの主宰するザ・コンソート・オブ・ミュージックと数多くの録音をしている他、エンシェント室内管弦楽団、ザ・タヴァナー・プレイヤース、ロンドン・バロックなど、イギリスの主な古楽の演奏団体と共演している。
わが国には1984年にザ・コンソート`オブ・ミュージックのメンバーとして来日し、さらに1986年、ルーリーと二人で再ぴ訪れて、リサイタル、公開レッスン、公開講座を開き、彼女の文学的教養の深さと、澄んだ美しい声で改めて感銘を与えた。また、バスのデイヴィッド・トーマスとテノールのロジャーズ・カヴィ=クランプもオワゾリール・レーベルに欠かせない重要な歌手達であり、今回もすばらしい名噌を聞かせてくれている。〔高橋昭〕
KANTATE 211
SCHWEIGT STILLE, PLAUDERT NICHT 1. Rezitativ (Tenor)
2.Arie (Bass)
3.Rezitativ (Bass
& Sopran)
4.Arie (sopran)
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カンタータ第211番
コーヒー・カンタータ (1734/35年頃) 《おしゃべりはやめて、お静かに》 1.レチタティーヴォ (テノール)
2.アリア (バス;弦楽:通奏低音
ニ長調 4/4 自由なダ・カーポ)
3.レチタティーヴォ(バス/ソプラノ)
4.アリア
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5.Rezitativ (Bass
& Sopran)
Schlendrian Wenn du mir nicht den Coffee lasst, so sollst du auf kein Hochzeitsfest, auch nicht spazierengehn. Lieschen
Schlendrian
Lieschen
Schlendrian
Lieschen
Schlendrian
Lieschen
Schlendrian
6.Arie (Bass)
7. Rezitativ (Bass
& Sopran)
Lieschen
Schlendrian
Lieschen
Schlendrian
Lieschen
Schlendrian
8. Arie (Sopran)
9.Rezitativ (Tenor)
10.Chor (Terzett)
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5.レチタティーヴォ (バス/ソプラノ)
旧弊おやじ お前がコーヒーをやめなけりゃ、 婚礼祝いに出しちゃやらぬ、 いや、散歩にだって行かさんぞ。 リースヒェン
旧弊おやじ
リースヒェン
旧弊おやじ
リースヒェン
旧弊おやじ
リースヒェン
旧弊おやじ
6.アリア
7.レチタティーヴォ (バス/ソプラノ)
リースヒェン
旧弊おやじ
リースヒェン
旧弊おやじ
リースヒェン
旧弊おやじ
8.アリア(ソプラノ;弦楽;チェンバロ;通奏低音 ト長調 6/8 ダカーポ〕
9.レチタティーヴォ (テノール)
10.合唱 (ソプラノ/テノール/バス;
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OKANTATE 212
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●カンタータ第212番口民カンタータ
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