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森町の高校を甲子園で優勝させる会
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私が初めて高校野球の甲子園大会を意識し始めたのは
1960年(昭和35年)第42回全国高校野球選手権大会からです
この大会で
静岡県代表静岡県立静岡高校が準優勝しました
決勝戦の 相手は柴田勲投手を擁する法政二高です
スコアは3対0
その後、静岡高校に進学した私は、今年もあるいは今年こそと
母校静岡高校が甲子園に出場し活躍するのを楽しみにしています

その気持ちは当然今でもありますが
36年振りに故郷三倉に帰り、ふるさとおこしを思い行動しているうち
誰もが願う「ふるさとの高校を甲子園に出場させたい」という気持ちが日増しに強くなりました
ふるさとの高校、つまり遠州森町の静岡県立森高校と静岡県立周智高校をです
思ったらすぐ行動を起こさないと気がすまない私は、
いろいろな人に呼びかけましたがほとんどの人は
「そんな事出来っこない」
このあたりの言葉で「そんな事出来すけー」とにべもない返事でした
いい反応を示す人もいるにはいますが具体的な動きとなると埒が開きません

ある時、静岡高校3年の時の同級生で元野球部員の親友に
私の思いと現状のもどかしさを打ち明けたところ
「俺に監督を任せれば5年以内に甲子園大会で優勝させてやる」と豪語しました
高校時代からこの親友の野球に掛ける情熱と技量を高く評価していた私も
さすがに俄かにはこの言葉が信じられませんでした
しかし、話し込み議論すればするほど彼の理論と夢は
私の思いと一致し計画ともまったく矛盾していません
そしてとうとう彼と組んで、森町の高校を甲子園で優勝させる
のがスタートのプロジェクトが生まれました
高校野球の原点に立ち、出来得る限り地元の生徒を育てて
今は亡き蔦文也名監督の情熱と志を継承するのです
森町発の「プロジェクトX」です

繰り返しますが
森町の高等学校が住民と地元の生徒の団結で甲子園の優勝を勝ち取ることは
スタートであり
目標はあくまで、「森町からも、世界を変える」ことです
私のまずなすべきは、親友がいずれかの高校の野球部監督に就任する環境を作ることです
彼の名前は、伏見昇三
甲子園に出場さえ出来ればと思っていた私に
「5年以内に甲子園で優勝出来る!」と断言し、私を燃えさせてしまった男です

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